京都大原の画仙人
日本画家、小松均さんは、その風貌とその生活ぶりから「京都大原の画仙人」と言われた。どんなお顔なのか~と京都駅ビルの伊勢丹美術館で開催の展覧会。入り口、79歳の時の肖像が出ていた。総髪は白く、顎鬚も白く、遠くをみる眼…なるほど見るからに仙人だ。
住まいは♪~京都大原三千院~♪の大原の里外れ、奥の奥。生まれは最上川の河口近く山形県大石田。絵画の学び、東京経て25歳、この大原へ。会場前、写真とともに87歳で没するまでの経歴年譜が詳しい。展覧会は小松作品に魅せられたコレクター1人の所蔵。水墨を中心とした大原の四季風景、大原女と晩年、故郷・山形へ行っての最上川などだ。
展示作品で写真撮影ができたのは1点。農耕中の牛を描いた6曲1双の屏風絵。それはもう?牛の姿が大胆。屏風一杯に牛だ。仙人にまだなってない32歳の時の作品。自給自作の暮らし、来る日も来る日も自宅から見える大原を描き続け半世紀、しだいに仙人化したらしい。イラスト付き、早わかりの年譜に時代ごとの信条。「写実を尽くし、写実を捨てる。自然を追求して、自然を超える」「誰も真似でもない墨絵を描く」「真の芸術を求める」。さすがに画仙人!。
※ 小松均(1902~1989)。国画から日本美術院、文化功労賞受賞。 ※ 展覧会は2月3日まで。
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コメント
京野菜、大原女、三千院、寂光院、しば漬け~~~
大原を京都のメジャーな観光地に押し上げたデューク・エイセスのご当地ソング「女ひとり」=永六輔作詞、いずみたく作曲=。そのデュークのリーダーを解散時まで務めた谷道夫(90)は宮崎市出身。元気に、今も歌にかかわっている。
この歌がリリースされたのは65年。小生が学生生活を始めた年だ。以来、京との付き合いも永いが、大原に行ったことがない。「2回行ったよ」と女房殿が非難する。
投稿: s.hidaka | 2025年1月16日 (木) 11時19分