« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »

2025年1月

2025年1月31日 (金)

古代遺物「ZOUKEI」展

Img_3416_20250128082301 Img_3417_20250128081301 Img_3418_20250128082401 Img_3425 Img_3431 Img_3436_20250128082501 Img_3444 Img_3439_20250128082501 Img_3446_20250128082701 Img_3450_20250128082801 何はともあれ~ぶらり入ると、古代の大屋根の飾り、鴟尾(しび)だ。大きさにしびれる。兵馬俑も一体。展示のケースは、ケースバイケース、そのおりおりだ。今は昔の羽子板、困らない独楽だ。企画は学生さんの智恵借りて「ZOUKEI」。かたどられるモノたち展。

 

 西陣の今出川通り、京都市考古資料館だ。遺構の遺物をどっさり、市埋蔵文化センターが別棟にある。元の西陣織物会館改修とはいえ、建物が古い。それがまた似合うと言えば、似合う。歩き行くと、まあ、入って見る。入館無料。書籍、ビデオに椅子もあり、ひと休み出来て、古代が学べる。企画展は学生さん発案の「ZOUKEI」。埴輪、土偶などについて。

 

 学生さん、前は「造形芸大」だった京都芸術大学。古代遺物をアート感覚でとらえる。興味ある造形物を1点でも鑑賞を~という。あれもこれも、解説読みはしんどい。ざあっと見て、気になる1点がいい。そう思って、のんびりみたら、鶏だ、牛だ、猿だ、狐だ。巫女さんだ、家だ、壷だ。本物あり、写真あり。何が面白かったか、1点となると、亀岡から出土、鶏の埴輪だ。長かった縄文時代、ことさら首が長く、夜明けはまだかと、コケコッコー!。

 

 ※ 「ZOUKEI」展は1月26日で終了・

 

| | コメント (1)

2025年1月30日 (木)

ペリカン紳士との出会い

Img_3456 Img_3457_20250127065701 Img_3459_20250127065801 Img_3461 歩くと出会いがある。ぶらり歩いて、ヒョイとブログのネタが現れる。なんかないか、なんかないか~と意識しない方がいい。自然体、これが一番で、この間、京都の北野さん、初天神への道すがらも、そうだった。ペリカンみたいな白い鳥を吊るして歩く紳士と出会った。

 

 西陣、千本今出川から西へ、七本松を超えたあたり、北側の歩道だった。天神さんへは五花街の一つ、上七軒から斜め、東門から入るのが、まあ、地元を知ったツウ歩きと心得ている。石畳、お茶屋さんの黒塀が続き情緒あふれる。そんな雰囲気を写真にと思って歩いていて、天神さんの帰りか、道路上でペリカン紳士と、おばさんが二人、立ち止まって、なんか話している。

 

 最初は、鳥と思わず、可愛いワンちゃんねえ~とでも話題にしているのかと~そばへ行くと、犬ではなく、白い鳥だ。マフラー、コートの紳士が、板から幾本もの糸を右手で操って、鳥を歩かせたり、羽根を広げさせたり、口を開けさせたり、だ。現代アート、糸操りのイカロスの翼だという。インスタグラム、漆山美術館で検索すれば、わかります~という。チェックすると、象の画像など出て来た。ペリカンかイカロスか、紳士はそう話して行き過ぎた。これも出会いだ。

 

| | コメント (1)

2025年1月29日 (水)

北海道と沖縄、物産対決

Img_3377 Img_3378_20250126074201 Img_3379 Img_3380 Img_3383_20250126074301 Img_3385 Img_3387 あなたは純白、雪の北海道派か、それとも紺碧、空と海の沖縄派か。行くとしたら、住むとしたら~だ。食べ物の好みはどっちか。本州ではない同じ日本の島と島、遠く離れて気候も風土も食べ物も、みんな異なる。北海道VS沖縄。寒さか暑さか、比べあいに興味がわく。

 

 京都市地下鉄東西線、市役所駅の御池ゼスト商店街河原町ひろば。いま、「南北うまいもの合戦」という北海道と沖縄の物産展開催中だ。お互いのローカルフードが250点近く並び、つい足がとまる。この企画、調べると、もう5,6年前から始まり、全国あちらこちらで巡回、人気があるようが、御池ゼストでは初めての開催だ。ぶらり見て回るのが、面白い。

 

 その対決ぶり、その1。札幌味噌ラーメンと沖縄ソーキそば。う~ん?ラーメンかな。その2。ハッカ飴VS黒糖。これは身体に良さそうな黒飴だ。その3で、蟹・昆布と海ぶどう・ゴーヤならどうか。その4でスイーツ。バター飴とちんすうこうは互角か。番外編で、その5の観光。名所対決は札幌時計台と守礼門。これはガッカリ度、好勝負だ。行くとすれば、冬は沖縄、夏は北海道だろうか。今朝の気温、恋のマチ札幌は-1度、君のナハは+17度…。さあ、どっちかな。

 

 ※ 御池ゼストでの「南北うまいもの合戦」は30日まで。

 

| | コメント (1)

2025年1月28日 (火)

車窓から見た暖簾「牛めし」

Img_3244 Img_3257 Img_3245_20250125085801 Img_3248 Img_3251_20250125085901 Img_3253 Img_3254_20250125085801 京阪バスの車窓から見た暖簾「牛めし」が気になる。山科から五条通を西へ、西本願寺を経て京都駅八条口へ行くバス。烏丸五条停留所を超えたあたりの南側で、それが見えた。白く大きく、よう目立つ。前になく新店のようだ。暖簾「牛めし」。気になって気になって~。

 

 気になったら確認しなければ~だ。またバスに乗ったおり、烏丸五条停留所で降りた。すぐ近く室町交差点角。最近、ホテル名を「変なホテル」に変更したホテルの1階が「牛めし」暖簾をかけている「牛飯五帖」。夜なく朝とランチの営業。牛めし4種類、見本つきの立て看が出ている。高くなく安くなく~1200円の「出汁巻きと牛めし膳」に決めて入った。

 

 店内広い。客いない。どうかなあ。出汁巻きの味、店の板さんの腕がわかる。四角いお重は、出汁巻きと牛めし、半々の仕切り。下に白ご飯。まず、白味噌すすった。ええ味、京都らしい。出し巻き、アツアツ、これも〇や。これなら、板さんええと、牛めし。甘辛具合がちょうどいい。まだスマホ食べログ評価出てないけど4・0はいける。レジの店員に~暖簾て来ました~と話すと「暖簾効果がありがたい」と。変なホテルの「牛めし」、変ではない。

 

 ※ 牛飯五帖の五帖は、煮る、炊く、焼くなど料理の方法とか。営業はホテル1階を借りて、連携しつつ自立営業という。

 

| | コメント (0)

2025年1月27日 (月)

いま、京近美の企画展は~

Img_2834 Img_2831_20250124082901 Img_2845 Img_2853 Img_2857 Img_2868 Img_2879_20250124083101 Img_2883_20250124083201 Img_2889_20250124083201 Img_2909 Img_3297 Img_3292_20250124083401 購入、寄託、寄贈…数ある所蔵品をどう企画展示するか、学芸員の手腕を大とする。そう思って、博物館、美術館へ行って、今の京近美である。開館から60年余、一年中絶えず何かを意図して展示を続け、現在は作家の生誕、没年を調べ、周年記念の展覧会を開催している。

 

 特別企画展は、木工芸の人間国宝・黒田辰秋生誕120年。年4回入れ替わる4階のコレクション展は、異端画家・甲斐荘楠音の生誕120年展、美人画・竹久夢二の生誕140年と没年90年展だ。作品たくさん並んで、見ごたえある。所蔵作品が少ない西洋画はいつも入り口展示、いまはオランダの抽象画家・モンドリアン没後80年企画、作品は3点だけだ。

 

 特別展は入場料いるが、コレクション展は後期高齢者の証明あれば無料だ。歩きの流れ、ぶらりと入って、どんなんかなだ。だいたい写真撮ってよい。作品撮るのも楽しみの一つ。モンドリアンの抽象画、垂直と平行と無着色。コンポジションという。素朴さがいい。甲斐荘さん、ちょっと不気味さで恐ろしい。それが魅力らしい。竹久さん作品は対照的。大正ロマン、夢二式美人。なよなよしさがいい。生誕、没年の周年展、学芸員グッドな企画が続く。

 

 ※ 黒田展は3月2日まで。現在のコレクション展は3月末まで。

 

| | コメント (0)

2025年1月26日 (日)

ヒレ酒、尾ひれはひれ~

Img_3049_20250123075901 Img_3045 Img_3047_20250123075901 Oip_20250123080001 Img_3362_20250125090601 ヒレは漢字で鰭。思い浮かぶのは、フカヒレ、ヒレカツ…それに冬に熱燗でヒレ酒かな。ヒレ酒はエイのヒレもあるらしいが、トラフグが一番。芳醇な香りがして、酒ツウにはたまらないという。パッと火をつけ、アルコールを飛ばすのも格好いい。冬の季語ともいう。

 

 いつもの出歩き大会。鴨川の団栗(どんぐり)橋を渡り、北西へ斜め、高瀬川超えて50㍍、細い路地の「食堂おがわ」。営業は夕方からで、入ったことはないが、「食堂」という名の小さな居酒屋さん。スマホで調べたら、それがなんと予約でも簡単にとれない人気店らしい。食べログ4.5。その店前、昼過ぎ通りかかって、板に虫干しのフグのヒレである。

 

 路地なので日あたらず、陰干しにぴったり。板貼りのヒレは50枚近く、どこの部位なのか色、大きさがちがう。ピコピコよく動く胸ビレか、小さく可愛い尾ヒレか、それとも背ビレか、腹ビレか、だ。干したあと強火で飴色になるまで炙って、熱燗のコップに入れ、蓋をして、香りを酒に染みこませて~。もう10年も20年も前、どこでか、記憶は遠くへだが、まあ、いっぱいだった。ヒレ酒話、それこそ「尾ひれ、はひれ」と大げさに弾んだ気がする。

 

| | コメント (1)

2025年1月25日 (土)

何でもある弘法縁日

Img_3148 Img_3134_20250122083701 Img_3137_20250122083801 Img_3135_20250122083701 Img_3155_20250122083801 Img_3163_20250122083901 Img_3181_20250122084201 Img_3199_20250122085001 Img_3186_20250122084101 Img_3178_20250122084001 Img_3191_20250122084101 Img_3190_20250122084101 Img_3198_20250122085101 Img_3204_20250122085101 Img_3210 Img_3179 Img_3214 Img_3219 王将は駒だ。帽子は300円、靴下は100円だ。櫛も、ハサミもある。着物のはぎれ300円。キュウリ1本100円。揚げたてワカサギ天ぷらは中カップ500円、これは美味そうだ。靴みがき体験しませんか~ともいう。何がどこから出てくるか?それが、弘法市だ。

 

 弘法太師・空海さんの月命日は21日。毎月その21日の東寺境内は露店がどっと出る。1年始まり1月は初弘法。雑踏の中、あっち見て、こっち見る。弘法さん命日お参りも大事だ。空海さん住まった国宝御影堂。駒札に司馬遼さん登場。「知人と待ち合わせは平安京最古の遺構、ここがよい」と書く。販売の絵馬は空海さん。旅姿は修業中の大きな太師像だ。

 

 それ、昭和2年、信者さん建立の像。袈裟、白い脚絆、足元は靴のような。お参りの手桶、そこへ置け?。後ろ回って、触れば、願いかなう。まだまだ歩けますように!。愛ちゃんの店は古着。懐かしいポスター、ヘップバーン、松山恵子、崑ちゃん、美空ひばり、グリコ…。頭と顔付き熊の毛皮、白雪姫のリンゴ飴。近くに五重塔、遠くに京都タワー。星条旗とウクライナ国旗飾り、人生は楽しく苦しく美しい…。弘法さん、雑多な世の中が浮かび出る。

 

| | コメント (0)

2025年1月24日 (金)

美味い豚カツカレー550円!

Img_3088 Img_3089 Img_3083 Img_3085 Img_3087_20250121083001 Img_3086 美味いカレーはある。安いカレーもある。だけど、美味く、安く~と揃うのはそうはない。それがある。豚カツカレーが美味く、値段なんと550円だ。食べログ評価は3・47。出てくるのがまた早い。「美味い、安い、早い」。三拍子が揃うカレー、そんじょそこらにない。

 

 象さんマーク、吉象カレー。「よしぞう」と読む。京都駅八条口のアバンティ西壁面に店がある。カウンター8席。2018年9月に開店、コロナ禍乗り越えて来た。開店の年に知って、このブログでも紹介したことがある。中国上海で営業していたが、地下鉄工事で立ち退きになり、日本へ戻って開業~と書いている。店主は元ボクサー、上等カレーで修業とか。

 

 年に5,6度は入っている。値段、開店当初から据え置き。吉象カレー390円、一番人気がある豚カツカレー550円。時代は、なんでも値上がりなのに~である。開店当初は自販機で券購入だったが、今は前金、直接渡しが変わったぐらい。それと前は100円割引券まで配っていたけど、さすがにそれはない。今は、店前の丸椅子で店内空き待ちがよくある。象印魔法瓶みたいで、演歌の吉幾三みたいで、今日もよし!いくぞう。よう頑張っている。

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2025年1月23日 (木)

冬の植物園には明日がある。

Img_2952_20250120081001 Img_2951 Img_2959_20250120081001 Img_2958_20250120081001 Img_2982_20250120081801 Img_2979 Img_2968 Img_2973_20250120081101 Img_2966Img_2967 Img_2978 Img_3001_20250120081601 冬の植物園はまだ眠っているのだろうか。どこかに春の芽生え感じるだろうか。開園101年目に入った京都府立植物園、ことし初めての訪問だ。入場は決まり決まって、地下鉄駅ある北山口。ハボタンが麦わら帽の少女像を囲んでいる。冬はやはりハボタン主役のようだ。

 

 ハボタンは5種類。つぐみは、葉がこっぽり丸く、白、紅、桃色の3種。くじゃくは葉が伸びて白と紅だ。園内あちこち、組み合わせの妙を見せている。色物と言えば、スノードロップ。白い釣り鐘のような小さな花が可愛い。写真撮りはアンダーアングルがいい。黄色いロウバイはまだ。高い樹木に赤い実がよく目立つ。木札ないけど、たぶんクロガネモチかな。

 

 葉が落ち切り枝のもつれているのは、シダレエンジュ。ぐじゃぐじゃが面白い。大きなユウガオ3個、ころんと転がったままだ。ハスの鉢の並びが整然としている。ツルツルの樹皮が冬日にさえるサルスベリ。静かな園内、散策中に鳥だ。デジカメで遠くからシャッター。まさか、翡翠・カワセミ?まあ、小さく撮れた。まだまだの桜園、早め早めの十月桜。小さい花が横並び開花。木彫クマの毛糸帽とマフラーが暖かそうだ。冬の植物園には明日がある。

 

| | コメント (1)

2025年1月22日 (水)

応挙の寅絵はいくら?

Img_2697_20250119081101 Img_2691 Img_2694 Img_2736_20250119081301  Img_2707 Img_2716_20250119081201 Img_2693_20250119081801 Img_2715 Img_2709_20250119081201 Img_2732 Img_2729_20250119081401 Img_2734 応挙の虎だ。光琳の達磨だ。さあ、買った、買った。えっ、50万、そっちは100万…、鑑定済み、滅多に出ないよ。もう一声…なんぼ?200万。ほかは~、ナニ250万…、もうない。じゃあ、決めた250万!。古美術品オークション。というような光景だろうか。

 

 図書館帰り、京都市勧業館みやこめっせ前、通りがかって、古美術・骨董オークションの看板が出ている。いつもの~どんなんかな癖が出た。京都市中京区に本社という創業30年余、KK古裂会主催。名前と電話番号書いて入り、写真は?聞くと、どうぞと。広い1階会場、見渡すかぎり骨董品、大物、小物ざっと1500点という。何をどう見て、幾らかだ。

 

 応挙落款の寅軸絵は、寛政庚戌(かのえいぬ)初春の記述がある。崖を覗き込む猫顔の寅、雪景色だ。京博の応挙研究学芸員なら、どう値を付けるのだろう。500万?。いや、わからない。誰が持っていて、幾らで落札されるのか。またどこかの展覧会でお目にかかるかもだ。会場ぶらり、ぶらり。花魁化粧道具、甲冑刀剣、まさか?の種子島伝来の鉄砲、御神輿、仏像、茶道具一式…、見る人が見れば、億かどうかのオークション、今は見て置く?だけだ。

 

 ※ 下見会は1月16,17日にあった。のち東京プリンスホテルでも。年に何回か。そのつどカタログあり。入札は書き込み式。

 

| | コメント (0)

2025年1月21日 (火)

宇野宗佑総理と写真対面

Img_2763_20250118083701 Img_2764 Img_2770_20250118083701 Img_2802 Img_2772 Img_2775 Img_2774 Img_2776 Img_2777_20250118084101 Img_2766_20250118083701   滋賀県出身の総理大臣と言えば~だ。わずか69日の短命総理で変に有名でもあったが、それは宇野宗佑氏。中山道の守山市の造り酒蔵生まれ。ぶらり中山道を歩くと、守山市が宇野氏の生家を譲り受け、観光町家施設「うの家(け)」に。青い大きな垂れ幕がよく目立つ。

 

 無料公開。入ると、東蔵、南蔵、酒蔵…めまい、くらくらする。新しい「咲蔵」…これは観光客の飲食蔵だ。土間は三和土、見上げて吹き抜けの梁柱が太い。竈、井戸…床がみしみし音を出す床を歩いて障子の部屋など、町家が出て、土間に総理大臣宇野宗佑さんコーナー。足跡たどる経歴、若き日々の写真、総理就任時の新聞スクラップなど、当時の栄光が浮かびあがる。

 

 宇野家の酒、銘柄は「栄爵」だった。まるで総理就任、知っていたような。総理就任は平成元年(1989)6月で、第75代。今から36年前、66歳の時だった。顔写真が何枚も。広いおでこ、ふくよか、黒ぶちメガネ。河野一郎氏秘書、県議から国政へ。外務大臣から総理へ。剣道、乗馬、俳人…、まさに文武両道の政治家だった。総理を辞して9年後、75歳で没している。中山道ぶら歩き、立ち寄った「うの家」。宇野総理対面が懐かしい。

 

 ※ 宇野宗佑(1922-1998)守山市生まれ、八幡商、神戸大卒。

 

| | コメント (0)

2025年1月20日 (月)

コサギ、道草撮り

Img_2666 Img_2684 Img_2674_20250117092301 Img_2683 Img_2675 Img_2682_20250117092401 Img_2676 Img_2677_20250117092301 Img_2680 羽根がぜんぶ白く、シロサギはシロサギだけど、ダイサギ、チュウサギ、コサギのうち、どれだろう。大、中、小の大きさの区別からだと、コサギだ。嘴と足の色の見分け方からしても、冬場に嘴が黒く、足が黄色いのは、コサギだ。川の中、ちょこちょこ…よう動くなあ。

 

 岡崎の府立図書館へ、借りた本返しに行く途中。いつも歩き通る琵琶湖疎水から分流する白川だ。川幅5㍍ほど、流れる水が透き通って、川沿いウオークが気持ちいい。三条通りから入って、最初の小さな橋のあたりだ。気温5,6度、寒くはないのだろうか。長くて細い脚、抜き足差し足、小魚探しだろうか。上から見て、距離にして6,7㍍でデジカメ構えた。

 

 ズームアップ、近い。目が合いそうだけど、堂々としている。歩いても歩いても、小魚、見つからないようだ。諦めたのか、飛んだ。真上、電線にとまった。飛んでいる鳥の写真撮り、むずかしい。羽根を広げた一瞬、シャッター1回、なんとか撮れている。今度は電線上、じっとしている。石川五右衛門気分、絶景かな、絶景かな~だろうか。それとも、餌さがしは俯瞰的に~だろうか。行動的作家・小田実「何でも見てやろう」の道草撮り?だった。

 

 

 

| | コメント (0)

2025年1月19日 (日)

出会った「気になる木」

Img_2305_20250116091401 Img_2217Img_2283 Img_2300 Img_2303 Img_2216 Img_2440_20250116091801 Img_2410_20250116091801Img_2441_20250116092201 Img_2393 ホタルの町、滋賀県守山市を歩いて、あの木、この木と気になる木があった。その出会い、一度二度三度…。「近江太郎」と呼ばれる野洲川へ3日間歩きに行って、市域のあっちで、こっちで~だ。メモリアルな木、夢のある灯の木、学びのある木…ちょっと紹介したくなった。

 

 野洲川河口近く中洲地域。JR守山駅からがバス30分、幸津川(さづ)停留所降り、公民館へ行く道筋、小学校グラウンド前にメタソコイヤ。説明板とライトが3個。守山市内で一番大きく、地域のシンボル、ふれあいの灯という。守山市役所近くでは青年会議所20周年記念、~野洲川から来ました~と近江太郎メッセージ植樹の碑。近江太郎の木、大きく~だ。

 

 廃川、野洲川の南流跡は「びわこ地球市民の森」。近江野菜栽培地「おうみんち」のバス停から西へ4㌔。川、堤防が平地になり森にする植樹。マンサク、サンシュ、ネムノキ、スタジイ…名札あり、これはナニと木の種類が学べた。湖岸さざなみ街道を歩いて、美崎地区に「ムクロジ(無患子)」。木の説明板は、子どもが病気にかからないよう願い、黒い実は羽子板の羽根の玉になる~と。たまたま出会った木、♪~その木なんの木、気になる木~♪。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2025年1月18日 (土)

初穴子

Img_2599_20250115070901 Img_2600_20250115071001 Img_2604 Img_2612_20250115071001 Img_2614 Img_2621 新春、初穴子だ。また穴子!思われそうで、言われそうでも、好きなものは好きだ。丼にするか、握りで行くかで、蕎麦だ。「穴子蕎麦」~名前からして雰囲気がある。いいねえ。蕎麦の老舗、江戸の安政元年創業、「えびや」さん。ここで1360円の初春穴子蕎麦だ。

 

 通りがかるたび、もうなんども入っている。京都の四条通り、堺町と柳馬場の間、南側だ。写実画家・円山応挙が住んでいた場所にあるビルの地下1階。応挙居宅跡の石碑と門弟1000人も~など書いた駒札の後ろから地下へ降りる階段。四条通り側のガラスケースのメニュー見本。「穴子蕎麦」が手前にあって、よく目立っている。ついつい、その気にさせる。

 

 昼どき、客が多いと真ん中のカウンター席だ。お茶持参の店員さん、注文する前から「穴子蕎麦ですか」と聞いてきそうだけど、まちがいない。時代小説で長谷川伸、山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平と来れば、蕎麦の場面だ。ここは、蕎麦に穴子。鉢いっぱい、長さ10㌢ほどの焼き穴子3列、蕎麦を隠している。葱と海苔も入って、手打ちの八割蕎麦だ。穴子は一つを3回、丁寧に丁寧に~。柔らかい、そっと甘い。こりゃあ、春から穴子がいい。

 

 

| | コメント (1)

2025年1月17日 (金)

壷、壷、壷…「服部遺跡は語る」

Img_2327 Img_2337 Img_2340_20250114082301 Img_2341_20250114082301 Img_2343 Img_2344_20250114082401 Img_2348 Img_2349 Img_2354_20250114082501 Img_2355 掘って、掘って、甕、壷、それに古くても皿?など出るわ、出るわ…だったらしい。滋賀県守山市、野洲川河口近く服部遺跡発掘調査だ。縄文後期から弥生、古墳、奈良へ、発掘は深さ3㍍、時代ごと4層にも出現した。調査は昭和50年から5年間に及んだ~と知った。

 

 流域の長さなどから「近江太郎」と言われる野洲川。何度も洪水被害が出て、昭和46年から下流の北流、南流を閉じ、その真ん中に放水路づくりの改修工事が始まった。その現場で小学生が弥生時代の土器発見がきっかけになって、工事中断しての発掘調査だったという。その時の出土品所蔵で、守山市が現場近くに埋蔵文化財センターをつくり公開している。

 

 JR守山駅前から2時間に1本の近江鉄道バス服部線、25分乗って行った。野洲川服部大橋近く。一帯はサッカー場など野洲川歴史公園。センターは昭和55年完成、2階建て。入り口に「乙貞」(おとさだ)という銅印モニュメント。遺跡から出土、奈良時代の貴族か役所の判子では~と。発行の機関誌も「乙貞」だ。アイデア、乙なもの?である。館内無料、館内見渡して、壷と甕など。所蔵点数200万点。企画展は壷並べ「服部遺跡は語る」!。

 

 ※ 野洲川、鈴鹿の御在所岳が源流、流域62㌔。土砂多く、大洪水12回も。昭和46年に河口から7キロ、放水路つくり、改修工事。昭和54年に完成。北流、南流を閉じて河川敷に。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2025年1月16日 (木)

京都大原の画仙人

Img_2052_20250111075601 Img_2050_20250111075601 Img_2054_20250111075601 Img_2060 Img_2059 日本画家、小松均さんは、その風貌とその生活ぶりから「京都大原の画仙人」と言われた。どんなお顔なのか~と京都駅ビルの伊勢丹美術館で開催の展覧会。入り口、79歳の時の肖像が出ていた。総髪は白く、顎鬚も白く、遠くをみる眼…なるほど見るからに仙人だ。

 

 住まいは♪~京都大原三千院~♪の大原の里外れ、奥の奥。生まれは最上川の河口近く山形県大石田。絵画の学び、東京経て25歳、この大原へ。会場前、写真とともに87歳で没するまでの経歴年譜が詳しい。展覧会は小松作品に魅せられたコレクター1人の所蔵。水墨を中心とした大原の四季風景、大原女と晩年、故郷・山形へ行っての最上川などだ。

 

 展示作品で写真撮影ができたのは1点。農耕中の牛を描いた6曲1双の屏風絵。それはもう?牛の姿が大胆。屏風一杯に牛だ。仙人にまだなってない32歳の時の作品。自給自作の暮らし、来る日も来る日も自宅から見える大原を描き続け半世紀、しだいに仙人化したらしい。イラスト付き、早わかりの年譜に時代ごとの信条。「写実を尽くし、写実を捨てる。自然を追求して、自然を超える」「誰も真似でもない墨絵を描く」「真の芸術を求める」。さすがに画仙人!。

 

 ※ 小松均(1902~1989)。国画から日本美術院、文化功労賞受賞。 ※ 展覧会は2月3日まで。

 

| | コメント (1)

2025年1月15日 (水)

寺町京極商店街美術館

Img_2163_20250112074501 Img_2165_20250112074501 Img_2167 Img_2173 Img_2175 Img_2174_20250112075101 Img_2178 Img_2177 Img_2180  アーケードから吊り下がった幕に子猫の写真が可愛い。お花畑の子猫、カメラに乗りかかる子猫、サクラの花の下の子猫…、仰いで見上げて、幕の子猫写真は前と後ろ…1枚、2枚、3枚、4枚……4枚で終いということはない。子猫の写真、ニャン枚もニャン枚?もだ。

 

 京都の寺町京極商店街アーケード下、見歩く美術館になっている。朝も昼も、寝静まった夜中も、一年じゅう何かの作品が展示、ぶら下がっている。四条から三条まで550㍍、店舗数は200店余り。年間200万人が買い物観光で通り抜けるという。3か月に一度か、吊り下げ作品の展示替えは、人通りがない夜中だろうか、それを思うと大変だろうなと思う。

 

 秀吉が散らばっていたお寺を一カ所に集めての寺町。天正18年(1590)の始まり、400年以上たって、今だ。お寺、仏具屋さんなど減り、様変わりだげど、年々賑わっている。巨大提灯が2年前に出来て、同時にアーケード美術館も。今の企画展示は、大津市の子猫写真家・三好良典さんの作品だ。四条通りから歩いて、50㍍ごとの吊り下げ展示。三条通りのすき焼きの三島屋、巨大カニさんが見えるまで見上げ続け、首がニャンともだるく。

 

 ※ 三好良典さん。写真家。捨てられた子猫を保護しつつ、写真撮り。SNS人気上昇、10万超すフォロワーという。展示は15日で終了。

 

 

| | コメント (1)

2025年1月14日 (火)

女子駅伝、折り返し観戦

Img_2497 Img_2502 Img_2503_20250113081701 Img_2509 Img_2513 Img_2516 Img_2517_20250113082201 Img_2525_20250113082201 Img_2526_20250113082201 Img_2536 Img_2548 Img_2561 Img_2565 Img_2566  全国女子駅伝、いつも9区間のどこかで観戦、ことしは折り返し点へ行った。宝ヶ池の国際会館前。西京極で号砲が鳴ったころ、もう現場について、NHKラジオの中継を聞きながら待った。下馬評、地元京都が強い、強い、穴がない、スキがないという。どうだろうか。

 

 折り返しの国際会館、地下鉄南北線の終点下車。改札出て、頭に柴を乗せた大原女像。まん丸く可愛い。長い通路出て、日本初の国際会議場、できてから59年にもなる。三角錐の折り返しから比叡山が近く見える。ラジオ中継、2区で京都が首位に立っている。予想どおりだ。折り返しは5区から6区へ。1分以上、差がどんどん開き、京都の独走になり出した。

 

 分離帯またいでNHKの定点カメラ、車両通行止めの赤いラバーコーン、6区ランナーのアップ、京都陸協審判員の点呼…シチズン時計がスタートから60分超えの針を刻んでいる。来た、来た!赤いユニホーム、26番京都だ。折り返し点曲がって、タスキとって中継だ。後ろをどんと離している。ランナー次から次へ…、頑張りにデジカメ、拍手、声かけ忙しい。翌朝、主催の京都新聞。1面、スポーツ面見開き、社会面…駅伝また駅伝と載った。まるで駅伝新聞。

 

 ※ 第43回全国都道府県対抗女子駅伝。1月12日開催。西京極出発決勝、国際会館折り返し9区間42・195㌔。京都が3年ぶり19回目の優勝。

 

 

 

 

| | コメント (1)

2025年1月13日 (月)

「謹賀新年」は世界の旗

Img_2128_20250110082701 Img_2127_20250110082001 Img_2140 Img_2132 Img_2133 Img_2131 Img_2130_20250110082101 歩き通って、旗屋さんの店先、足がハタととまった。2025年の新年を祝して、ウインドウガラスに「謹賀新年」。大きさ縦2㍍、横1㍍ほど。カラフルな絵文字だ。よくみると、旗屋さんらしく、世界各国の国旗をつないでいる。世界の国から「おめでとう!」なのだ。

 

 京都のオフィス街、四条烏丸から四条通りを西へ西へ。祇園祭山鉾、月鉾の御旅所をもうちょっと超えた西洞院あたり、平岡旗製造店だ。明治16年(1883)創業、140年以上の老舗店。夏の全国高校野球100回大会で、3代目の深紅の優勝旗新調。この旗店が西陣の綴れ織りで制作している。ことし初の歯医者通いの道筋、旗の「謹賀新年」との出会いである。

 

 国連に加盟は193の世界各国と地域だ。どこの国の旗をどれほど使い、どう配置しているのだろう。ウインドウ前の、ハタ止まり。「謹」はどことどこか、「賀」はどうだろう。国の見極めがずかしい。日の丸はすぐわかった。「年」の上だ。星条旗のアメリカは?英国のユニオンジャックは?トリコロールのフランスは、…、どこに配置してあるのか。あの月と星はどこだろう。「謹賀新年」の旗、100以上ある。みんなわかれば、優勝旗授与だ。

 

| | コメント (0)

2025年1月12日 (日)

今年も日展!

Img_1829 Img_1874 Img_1906_20250109075701 Img_1948 Img_1958 Img_1944_20250109075901 Img_1934 Img_1952 Img_1954 Img_1818_20250109075501 Img_1789_20250109075501 Img_1963 今年も日展だ。東京皮切り一年間、全国を回る。今は師走から京都だ。改組とか改編とか、審査方法など課題が出るたびに冠が変更になり、現在は新日展11回だが、その前身、明治40年の第1回文展から数えれば、100年を超えている。新春、その京都展を見に行った。

 

 京都展は地元京都新聞が紙面で応援、主催している。毎週土曜の美術欄、4日付けで大きく載った。「高水準でジャンル多彩、初入選からベテランまで新作450点」の見出し。紙面参考にして会場へ。75歳以上の京都市民。市の敬老乗車証を提示すれば、無料で鑑賞できるのがいい。会期中、行こうと思えば、二度でも三度でもだけど、その一度目だ。

 

 日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5科。なんせ大変な作品数。市京セラ美術館の全館を使っている。ざあっと見て回っても1時間。気になった作品の写真撮り、余計に時間が…。全国を巡回する特選以上、京都・滋賀の入選作品、どれもこれも見ごたえある。作品の一部を写真紹介すると、彫刻の宮瀬さん、谷口さん、洋画の池田さん、日本画の池内さん、美術工芸の中井さん、書の坑迫さんら…それと、朝に制作?した我がサラダ作品も、ついでにどうぞ?。

 

 ※ 日展京都展は1月18日まで。

 

 

| | コメント (1)

2025年1月11日 (土)

書初め「折々のことば」

Img_2070_20250108085801 Img_2071 Img_2088 Img_2075 Img_2073_20250108090101 Img_2074_20250108090201 Img_2085_20250108090401 Img_2087 Img_2072_20250108085801 Img_2076_20250108090201 Img_2077 Img_2083 Img_2082 Img_2078_20250108090301 Img_2079_20250108090301 Img_2080_20250108090301 一年の始まり、あなたはどんな言葉を考えて、筆にしますか。食品、生活雑貨など販売大手の無印良品山科店の新春イベントは、買い物客の書初め。筆も、汚れ防止のエプロンも貸します。半紙は無料です。子どもさん歓迎です~で書きあがった作品の展示100点を見た。

 

 その書、人それぞれとはいえ、面白い。朝日新聞1面、哲学者鷲田清一氏が選ぶ「折々のことば」みたいに半紙に書かれた言葉を分析して、繋ぎ合わせたら、ほんわかと生活感が浮かびあがって来た。「ごはんができましたよ」→「食べる」→「減塩」。2025の始まりに思い浮かぶ言葉としては、何とも単純だけど、考えれば、食は日常の繰り返し、大事なのだ。

 

 筆さばき、上手い下手は問わない。何が書かれているか、だ。「転機」→「何かやる」→「野球」→「勉学に励む」。この言葉の繋がりは一念発起だ、文武両道だ。2025年へ決意新たに。「金を稼ぐ」→「増収増益」→「千万両」→「出あい赤飯」。商いがうまくいって、「のんびり」→「レム睡眠」→「極楽」とつながって「極楽」の筆が踊っている。書に現れた「折々のことば」を綴ってきて「yesか、はいか」だけが、どっちやね!と浮いている。

 

| | コメント (0)

2025年1月10日 (金)

冬はサザンカ

Img_2069 Img_1969 Img_1968 Img_1967 Img_0685_20250107080201 Img_0686 Img_1656 Img_2090 冬は赤い花が恋しい。歩いて、ぱっと明るい花に出会うと嬉しい。つい立ち止まって、対面する。近づいて、デジカメ撮りする。花弁1枚2枚、ズームアップ撮りもする。その花の代表ならサザンカだ。いいの、どこに咲いているか知っている。ちょいとそっと紹介しよう。

 

 演歌で大川栄策さんの冬の宿、童謡でたき火だ!たき火だ!のサザンカ。「山茶花」の漢字読み「サンサカ」なのに、訛ってしまって「サザンカ」。ツバキ科ツバキ属に常緑低木。首ごと落ちるツバキに対し、花びらをバラバラと散らす。落語で言う枕はこのくらいにして、歩き見つけのサザンカについてだ。まず、これは凄い!と思わすピンクから写真案内しよう。

 

 自宅近くの山科、清水焼団地の入り口、竹細工「御池」の店前庭先。高さ3㍍ほど樹木が丸ごとピンクピンクしている。花を散らしても、蕾が次から次と咲いて、つい見惚れさす。金賞と言っていい。白いのは、七条河原町近く「京仏所跡」と駒札が立つ田中家。垣根全体が白い。交差点の角っこ、信号待ちの間、ずっと見ていられる。赤はわりに見かけて、花びらを二重三重に重ね、バラのようなのがいい。寒くてもサザンカ、元気咲きありがとう!。

 

| | コメント (0)

2025年1月 9日 (木)

巳年のヘビ神様、大もて!

Img_1988 Img_1989_20250106092001  Img_2010 Img_2011_20250106092601 Img_1993_20250106092101 Img_2004_20250106092501 Img_2001 Img_1992_20250106092001 Img_1987_20250106092701 さすがにさすが…巳年のヘビ神様が賑わっている。「出町の弁天さん」と呼ばれる弁財天妙音堂だ。本堂に弁天さんの使い、白蛇の木像、裏側には蛇また蛇の絵馬だ。よく行く出町桝形商店街のすぐ東側。ヘビは苦手だが、今年は年男だし、歩きの流れ、頭を下げに行った。

 

 境内そう広くはない。線香代の1本10円、賽銭箱に入れて、線香立ててのお参り。本堂前に梵字の垂れ幕。「オン ソラバテイエイソワカ」。何のことか、ムニャムニャと手を合わる。本堂後ろに白い六角堂。年の数だけ左回り、願いが叶うとか。年の数が大変なら3回か7回か11回でもいいと。年男84回は回避、お情けの3回、ワン!とは言わずに回った。

 

 ここは京都七福神の一つ、弁天さん。金運、芸事、健康に霊新た。本堂前の神木は招霊のオガタマノキ高木が阿と吽の対で立つ。社務所にその切り株がハート型、よく見て~と写真の掲示。どこかな~と見上げる。右側の樹木、高さ5㍍、写真通りに注連縄あたり、あるある。恋事にもいいらしい。お守り、財布に入れれば~のヘビカード1枚800円、本日は売り切れ、またの日に~の表示あり。12年に一度、ヘビ神様は、モテテ、モテテ……いる。

 

 ※ 出町妙音堂は800年前、琵琶の家元・西園寺家が建立。現在は禅の相国寺塔頭の飛び地。石の鳥居、神仏習合に。お御籤は凶が多い。

| | コメント (0)

2025年1月 8日 (水)

出版の始まりは京都

Img_1703 Img_1609_20250104091901 Img_1706_20250104091701 Img_1704 Img_1709 Img_1767 Img_1768 Img_1608_20250104091901  今年の大河は江戸時代の出版王・蔦重こと蔦屋重三郎を描く「べらぼうめ」と威勢がいいが、実は実は~である。京都が日本の出版の始まりで、しだいに江戸、大坂と広まって行くが、明治までは京都が中心だった。小学校、市電とともに出版も最初はグー、京都だという。

 

 それ、なんで知ったかというと、歩いてだ。昼からのさすらいウオーク、外国人らが多く狭い錦商店街のけん騒を抜けて、麩屋町通りを北へ、六角通りの手前、元生祥小学校の裏塀に石碑とその説明板があった。石碑は「八文字屋自笑翁邸跡」。八文字屋って?と立ち止まって、その説明を読むと、ここが日本最初の出版の地で、それが八文字屋だとわかった。

 

 だれが書いたのか、その説明がマラソン解説の増田明美さんでないけど。詳しすぎる。デスマス調の文章。「当時の本屋は典籍、草紙類の版元(発行者)でした」と書き出し、ここが八文字屋という印刷(木版刷り)と製本(和綴じ)そして販売もする出版物発行の総責任者で、江戸時代前期、その店舗があった場所だ~と説明している。それならば、江戸中期の出版王・蔦重より早い。石碑名の自笑は八文字屋2代目。役者本人気など蔦重の先がけだった。

 

 ※ 京都市下京区五条通り富小路下ル、本覚寺にお墓がある。ここも歩いて発見した。

 

| | コメント (0)

2025年1月 7日 (火)

スナフキンが好きだ

Img_1433_20241231081501 Img_1443_20241231081701 Img_1449_20241231081701 Img_1458_20241231081801 Img_1441_20241231081701 Img_1455_20241231081901 Img_1426 Img_1431 Img_1430  あの仲間の中で、だれが好きって~と問われれば、そらあ、いつも、ほれ、三角の帽子かぶって、緑の服を着て、リュック一つ持って、釣りして、ハーモニカをふいて、詩を詠んだり、作曲したり、友にアドバイスしたり…、こう紹介すれば、もう、わかってもらえたかな。

 

 ムーミン一家の長男トロール君の親友、スナフキン。そう!、正解です。あったかい間は、みんなと一緒だけど、寒くなると、みんなと別れて、ひとりで、じゃあまた春になったらね~と、どこかへ旅に出かける。どこか哀愁があり、自分の世界を持っている。憧れというか、そんなスナフキンが好きだ。そのスナフキングッズ、何かあるかなと、京都高島屋へ行った。

 

 フィンランド、ムーミン谷のムーミン家族とその仲間。♪…ねえ、ムーミン、はずかしがらないで…♪で、こっちむくと、白く丸々のムーミン一家。みんなおっとりしている。ポーチ、エコバック…グッズ色々のムーミンマーケット、全国を回って、昨年暮れに京都高島屋へ。パパもママも仲間たちも7階特設売り場にいる。お目当てのスナフキンはどこ、どこで、見つけたスナフキンは言う。「大切なのは、自分のしたいことを自分で知っていることだよ」。

 

| | コメント (0)

2025年1月 6日 (月)

お多福仮面の舞踏会

Img_1713 Img_1715 Img_1720 Img_1723 Img_1724 Img_1729 Img_1735_20250105074501 Img_1741_20250105074501 Img_1747 Img_1750 Img_1751 Img_1754 青いジャージのお姉さん、何をやるんだろう。特設会場、観客は一杯だ。壇上のお姉さん、黙して語らず。これが「最後の作品」と書いた紙を出し、音楽をスマホでセットし、「仮面舞踏会」と題する作品名を見せて、お多福の仮面をかぶって、ひょい、ひょいと踊り出した。

 

 正月三が日の3日。神社詣でして、帰る途中の御池ゼスト商店街の河原町ひろば。2日続きの大道芸祭だ。朝から芸人さん次から次のようで、通りがかりで見たのは、加納真実さんのパントマイム芸。通称、青いジャージの女神。広島県出身、早大サークル活動が始まり。芸を磨いて、全国を回り、30年近いようだ。少しの立ち見のつもりが、面白くて動けない。

 

 お多福の仮面で、ひょっとこ踊りにドジョウすくい。アラ、エッサッサ…、軽快な音楽、会場の手拍子、盛り上がる。演目の仮面舞踏会。お多福面の加納さん、会場へ入りこんで、お客さんに同じお面をかぶらせ、舞台へ引っ張りあげる。手ふり身ふりと同じ踊り。また会場から1人、2人、3人と増えて、狭い舞台が大賑わい。エンヤコラ、エンヤコラ…みんなで、お多福仮面のパントマイム舞踏会…。会場はヤンヤヤンヤ、笑う舞台に福が来る!。

 

| | コメント (0)

2025年1月 5日 (日)

巳年、神社の絵馬は~

Img_1639 Img_1643_20250103101701 Img_1147_20250103101001 Img_1487_20250103102501 Img_1580 Img_1577 Img_1511_20250103102101 Img_1499_20250103102001 Img_1500_20250103102001 脱皮・変革の巳年、実のある巳年…、各神社はどんな巳年の絵馬を飾ったのだろう。正月ぶらりぶらり。京都市内の神社へ寄っては、どんな絵馬かと見て回った。ヘビは神様のお使い、縁起がいいという。各神社はとぐろをどう巻かせたか、ニュルリ絵馬のお手並み拝見!。

 

 秀吉さん祀る豊国神社、正月は国宝の唐門が開く。初詣は本殿前で拝観だ。唐門の前に絵馬。毎年、近くの京都女子大美術部の学生さんが制作する。今年は白ヘビに千成瓢箪を抱えさせている。瓢箪が旗印、出世開運の秀吉神社らしい。ヘビが赤い舌ペロリ、細い眼がニンマリ。どこか漫画ぽくて、可愛い。並んで初詣すんだ参拝者、ヘビ絵馬とともに記念写真!。

 

 

 道真さんの北野神社は、堂本印象一門の三輪純子画家の絵馬。名所の梅林をあしらい、白ヘビが長い。真っすぐ伸ばせば3㍍?。京都銀行CM、長~いお付き合い。世界遺産・下鴨神社は京阪出町柳駅前で境外絵馬を出す。「お正月は下鴨神社で~」。山科、内蔵助の大石神社は、ヘビに小槌と小判。大願成就?。京都御所西、イノシシ・護王神社の拝殿前に白ヘビ絵馬。イノシシなんでや!。南側の菅原天満宮は漢字一字「巳」。これはこれで感じがいい。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2025年1月 4日 (土)

穴子丼、一緒が嬉しい

Img_1244 Img_1245 Img_1248 Img_1247 Img_1250_20241230075501  まだあるかなあ。神戸三宮、あの穴子専門のお店だ。なんという店名だったか、場所はだいたい覚えている。だいぶお年寄りのご夫婦経営で、いい娘さん手伝っていた。三宮センタープラザ地階だ。確か西へ歩いて、外れのような奥の奥、あるかな、あるかな~と行った。

 

 昨年の師走、花時計を見に行ってからだ。駅前、フラワー道路からセンタープラザへ降りて、長い賑わいのプラザを東から西へ、もう大方行き止まり、人が途絶えた所、あった、あった。看板と青い暖簾は「あなご料理・神戸大善」。ここ、ここ、ここだ。店構え、前と全く変わらない。初めて入ったのは、コロナ禍の前、もう7.8年は経っている気がする。

 

 あの穴子丼、味はどうだろう。店内はカウンターとテーブル三つ、ご夫婦健在、娘さんもだ。みんな同じだけど、前になかった神戸百選を示す楯がある。横でなく楯を読む。~震災とコロナを乗り越え、市民に愛される飲食店として営業を続けてこられた。ここに敬意を表して~と、神戸市長が賞している。良かった、良かった、拍手だ。焼き穴子二つ、おすいもん、沢庵の穴子丼が出た。柔らかい、ご飯も美味しい。変わらないのが嬉しい。来て、良かった。

 

 ※ あなご料理大善。昭和53年夫婦で開業。センタープラザ完成したときから。神戸百選の表彰は令和5年3月。
 

 

| | コメント (2)

2025年1月 3日 (金)

足腰の守護神・護国神社

Img_1496_20250102113401 Img_1506_20250102112801 Img_1508_20250102113101 Img_1510 Img_1513_20250102113201 Img_1516_20250102113201 Img_1527 Img_1528_20250102113901 Img_1524 Img_1530 Img_1532_20250102113301 Img_1533 イノシシがいる、いる。猪突猛進のイノシシ。一体、どれだけいるのか。狛犬でない狛猪、手水舎、猪人形の数々…、京都御所西側、護王神社。イノシシが祭神・和気清麻呂の傷んだ足を守ったという。今年も元気で歩きたい~と新年、足腰の守護神・護王神社へ詣でた。

 

 巳年なので、拝殿前の大絵馬は白ヘビ。そのほかは、境内みんな、イノシシ。社務所側には各地寄贈のコレクション。神代杉のイノシシ像、ウイスキーのマークもイノシシ…どうして、こうもイノシシなのか。そのワケ?は、和気清麻呂公だ。出身は岡山県和気町。山陽線に駅がある。長岡京から平安京へ、桓武天皇に遷都進言で知られている。その清麻呂公、なぜイノシシなのだろう。

 

 神社の絵巻、清麻呂公の御輿回りにイノシシ300頭だ。天皇の傍に仕えた権力者・道教に諫言され、はるか鹿児島へ流される旅の途中、なおも道鏡一派が襲うのをイノシシが現れ、護衛した。イノシシが姿を消えた後、不思議と痛めていた足が元に戻ったという。諸説ある伝説、それが護国神社とイノシシの関係というワケだ。境内、清麻呂公像、お祈りする足形、撫でイノシシ…。本殿に賽銭あげて、2礼2拍1礼…。「今年も毎日1万歩、歩けますように」。

 

| | コメント (0)

2025年1月 2日 (木)

昭和100年の元旦新聞

Img_1586 Img_1594_20250101124801 Img_1597Img_1596Img_1595Img_1587 Img_1588Img_1599Img_1592 元日は、どっしり新聞だ。毎年、コンビニ行って、買い集めて、ページを捲って捲って、どんなんかな~だ。あれから一年、各紙とも大地震だった能登を思いやって、一面に社会面に~。スポーツ面、広告面…どこかで大谷さんが顔を出す。今年も一日一度は大谷さん!。

 

 ああ、そうか。今年は昭和なら100年。平成も令和も含めて、100年だ。小学館発行、ピッカピカの「小学一年生」は創刊100年目。「子どもが元気なら未来は明るい」と。そのとおりだ。その年、金閣寺を書いた小説家・三島由紀夫、哲学者梅原猛が生まれて、今年が生誕100年。京都新聞1面、これを機に学術分野の「梅原猛賞」制定と載る。独自ダネかな。

 

 広告なら日経新聞。記事頁と広告頁が代わりベンタン。EV戦略のトヨタ広告は見開き。「e」のイラスト、目玉が飛び出ている。高い広告代、それでもイイのだ。目立ったのは集英社と学研。集英社は、足裏で蹴って、壁を「打破っ!」。学研は爺と婆が笑って「長生って最高!」。王子ホールディングスは、ハッピーニューイヤー「2125」。100年先を見つめてSDGs、持続社会。どんな100年になっているのか。その年、彼岸新聞を読もう。

 

 

 

| | コメント (0)

2025年1月 1日 (水)

花時計は巳年の「2005」

Img_1209_20241229075901 Img_1188 Img_1206_20241229075901 Img_1189 Img_1235_20241229080401 Img_1234_20241229080301 Img_1231Img_1210 あの大震災から30年、神戸・三ノ宮の花時計デザインは巳年のヘビだ。赤紫の葉ボタンをバックに白の葉牡丹を使って「2025」とニュルニュル浮かび上がらせている。脱皮するヘビのように新たな姿に生まれ変わる「挑戦と変化」を楽しむ年にしたい~という。

 

 自宅が崩壊、震災を経験、独り暮しの叔母が健在だったころ、盆暮れには神戸へ行って、暮れには決まって花時計を見て帰った。神戸・シアトル姉妹都市提携記念で67年前に誕生した花時計は、いまは神戸市役所北側から東遊園地に移っている。ここで、毎年1月17日のあの日を思う慰霊祭がある。奪われた命と残った命を結ぶ「希望の灯」も灯り続けている。

 

 叔母が101歳で他界して3年。暮れ、久々に行った。駅前のフラワー道路の街路塔、j1連覇と天皇杯で2冠、ヴィッセル神戸の優勝フラッグが誇らしげだ。三ノ宮大変革の工事も継続している。東遊園地へ入って、震災の記憶を甦らせる傷ついたマリーナ像。時計の針が「5時46分」で停止している。明日へ、安藤忠雄さん設計、青いリンゴがある「こども本の森」図書館前、巳年の花時計である。長針と短針、時を静かに刻んで、正午すぎだった。

 

| | コメント (1)

« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »