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2025年1月 1日 (水)

花時計は巳年の「2005」

Img_1209_20241229075901 Img_1188 Img_1206_20241229075901 Img_1189 Img_1235_20241229080401 Img_1234_20241229080301 Img_1231Img_1210 あの大震災から30年、神戸・三ノ宮の花時計デザインは巳年のヘビだ。赤紫の葉ボタンをバックに白の葉牡丹を使って「2025」とニュルニュル浮かび上がらせている。脱皮するヘビのように新たな姿に生まれ変わる「挑戦と変化」を楽しむ年にしたい~という。

 

 自宅が崩壊、震災を経験、独り暮しの叔母が健在だったころ、盆暮れには神戸へ行って、暮れには決まって花時計を見て帰った。神戸・シアトル姉妹都市提携記念で67年前に誕生した花時計は、いまは神戸市役所北側から東遊園地に移っている。ここで、毎年1月17日のあの日を思う慰霊祭がある。奪われた命と残った命を結ぶ「希望の灯」も灯り続けている。

 

 叔母が101歳で他界して3年。暮れ、久々に行った。駅前のフラワー道路の街路塔、j1連覇と天皇杯で2冠、ヴィッセル神戸の優勝フラッグが誇らしげだ。三ノ宮大変革の工事も継続している。東遊園地へ入って、震災の記憶を甦らせる傷ついたマリーナ像。時計の針が「5時46分」で停止している。明日へ、安藤忠雄さん設計、青いリンゴがある「こども本の森」図書館前、巳年の花時計である。長針と短針、時を静かに刻んで、正午すぎだった。

 

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コメント

NHK TVの画面から神戸市内の至る所で燃え上がる火柱と倒壊したビル群の映像が~~早や30年。
2週間後、大阪梅田から電車とバスと徒歩で2時間近くかけて三宮の神戸新聞社前に。新聞製作機能を完全に失う無残な姿に。大阪から朝毎読の新聞が避難所に大量に投げ込まれて、「神戸新聞はつぶれる」。
京都新聞社の支援でペラに近い夕刊を夜遅くに発行、共同通信など各地方紙の協力で神戸は生き抜いた。その時面会した社会部デスクとの交流が続いている。

投稿: s.hidaka | 2025年1月 1日 (水) 06時37分

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