「本能寺の変」の石碑
あの「本能寺の変」は、ほんまはここ!と立派な石碑が立っている。今も残る仁丹の町名表示プレートは「京都市中京区油小路通り蛸薬師下ル」。消防器具を収納した本能消防分団の隣だ。砂利を敷いた囲いの中、縦横1㍍ほどの石碑に由来を書いた銘板がはめ込まれている。
予約また予約で通う虫歯治療。歯医者さんは、町中の四条西洞院西へ行った所。治療すむと、そこを拠点に歩く。碁盤目の町並み、西か東か、北か南か~。この間は油小路通りを北へぶらり行って、本能寺跡だった。世界的な指揮者、佐渡裕さん出身の市立堀川高校が近い。前にも確認に行き、知ってはいたが、歩き通っての出あい。改めて銘板をしっかり読んだ。
石碑は京都市役所前の御池寺町にある現在の本能寺が建て、由来を書いている。寺は、日蓮さんを開祖とする法華宗。始まりは応永22年(1415)の本応寺から。焼けたり、場所が代わったりで、本能寺になり、天正10年(1582)6月2日、光秀謀反で信長自刃、お寺が焼失した。寺側は7年後に再建の上棟式を迎えたその日、天下をとった秀吉から現在地へ移転命令。「一山、大衆声を放って号涙す」とある。移転の無念、いかばりだったか~。
※ 写真右2枚は現在の本能寺。
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