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2024年10月20日 (日)

京都市内、竪穴住居跡復元

Img_5595_20241017071001 Img_5591_20241017070901 Img_5594_20241017070901 Img_5604 これが京都で最初に見つかった竪穴住居跡なのか。8000年から8500年前、縄文時代早期の遺構。やや楕円形、縦に2・9㍍、横に2・4㍍。どんな京都人が暮らしていたのか。掘って出て来た時そのままの復元模型だ。じっと見ていて、先人の先人の住まい、感慨深い。

 

 京都の西陣、旧織物会館、京都市考古資料館2階の常設展示室だ。1階では秋向けの特別展示「ファッションの考古学」。バス停今出川大宮の真ん前、ぶらり歩き通って、無料入場で入って、昔はこうだったのか~と学ぶ。展示の竪穴住居跡は平成3年3月(1991)京都市左京区北白川上終(かみはて)町で、古代の宮・北白川廃寺発掘調査のおり見つかった。

 

 廃寺の発掘調査すんだあと、さらに黒い土が~と掘り起こすと、柱穴がポツリ、ポツリと10個出て来たという。発掘現場は、頭に薪を乗せた大原女が通った、今の地名で北白川別当町だ。京都芸術大あたり。正月の全国女子駅伝の前後半の山場区間。住宅地なのでもう埋め戻されていて、その時に象った同じ大きさの模型だ。全国で竪穴住居跡の発掘は1000カ所はあるそうだが、洛中の洛外とはいえ、市内は市内だ…、そこに京都の縄文人がいた。

 

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