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2024年8月 9日 (金)

松原橋ヒストリー

Img_0082_20240805070801 Img_0079_20240805070701 Img_0080_20240805070701 Img_0083_20240805070801 Img_0120_20240805070701 いつの時代、だれがどう架けたのか、今、それがどう変わったのか。橋、ブリッジには橋の歴史、ヒストリーがある。鴨川の堤を歩くのが好きだ。その鴨川にかかる橋、お江戸と結んだ三条大橋は名前が通っているが、そのずっと下流に架かっている松原橋はどうだろう。

 

 それどこ、それがどうした~と言ってしまえば、おしまい。橋は、南座横の四条大橋と国道1号兼ねる五条大橋の間にあって、歴史は三条大橋よりうんと古く、平安時代に嵯峨天皇の勅命で架かった。清水寺への参詣道、両側に松並木、都大路の中心で、当時は「五条松原橋」と言われ、実はここが♪~京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶が~♪と歌われる決闘の舞台だった。

 

 最近、ちょくちょく、昼にマチ中華・六波羅飯店によってから、この橋を渡る。白線だけの歩道、クルマと自転車に気を付けて、渡った西北詰め、京都市の建てた駒札がある。擬宝珠の前だ。そこにしっかり、橋のヒストリーが書きこまれている。秀吉が東山に京大仏の方広寺建てるおり、今の五条大橋を架け、「五条松原橋」から五条の二文字を抜いて、今の至っているという。昭和に出来た牛若・弁慶の像も、現在の五条大橋西の分離帯で戦っている。

 

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コメント

昨年末、ゴルフ会の懇親会で上洛。4泊したのが、この松原橋に近い京町家風ホテルでした。
早朝散歩で、女房殿を連れ立って松原橋を渡り、対岸の祇園・宮川町へ。清水寺参道を東に
進み、六波羅蜜寺から東大路まで。五条坂から広い五条通りを西へ五条大橋へ。
「ここが牛若丸と弁慶の決闘の舞台。これが牛若・弁慶像」
自慢たらしく女房殿に紹介すると、初めての対面に子供ような笑顔を。

投稿: s.hidaka | 2024年8月 9日 (金) 06時57分

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