「膏薬辻子」の地名由来
地名の由来、なんで?と首をよく傾げる。ここもそうだ。「膏薬辻子」と書いて「こうやくのずし」。辻子は細い道かと、わかるが、「膏薬」とは~である。あぶら・ろうで練り合わせた外用剤だが、いまどきピンと来ずで、道路の入り口に駒札があり、読んでそうか!だった。
ここは四条通り、むかしチンチン電車が走っていた西洞院の手前だ。道路の角に祇園祭郭巨山の札所。京都市が立てた駒札はその前だ。近くの歯医者へ行く前、読んだ。このあたりは六波羅蜜寺を創建した空也上人の念仏道場があった。武士の先達、平将門が関東で乱に敗れ、首がさらされて、天変地異がおき、上人がここで怨念鎮めの供養の空也道場を開いた。
なんで膏薬?か、最後の最後に出て来た。人々はその道場を「空也供養道場」と呼び、それがなまって「こうやく道場」となって、「膏薬」の名前がついたという。由来知ったけど、苦しい訛り方だ。駒札から、図子とも路地ともいう細い道を歩くと、平将門を祀る東京は神田明神からの鳥居があった。首があった場所、将門の慰霊という。かぎ型の道をさらに南の綾小路通りへ。木版画店、重文・杉本家住宅の板塀、仁丹地名表示…「膏薬辻子」の今があった。
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