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2024年7月12日 (金)

寝物語の溝は国境

Img_7314_20240708081701 Img_7316 Img_7326 Img_7332 Img_7340_20240708082001 Img_7356_20240708082001 Img_7246 Img_7313_20240708081801 国境に幅50㌢ほどの小溝がある。ひょいと東へ渡れば美濃、いまは岐阜県だし、こちらの西側は近江の滋賀県。中山道の街道筋、「寝物語の里」として古跡になっている。後年、司馬遼のライフワーク「街道をゆく」第24巻、近江散歩に登場する。本持参で、現場へ行った。

 

 駅は標高1377㍍、伊吹山のふもと、柏原だ。JR琵琶湖線の米原で東海道線に乗り換え、醒ヶ井、近江長岡に次ぎだ。やっとICカード使用、京都山科から1340円。司馬さんは須田克太画伯らと名神と国道21号で行っている。昭和60年(1955)で、おおかた30年前だ。駅前からすぐ中山道60番目の宿場・柏原宿へ出、東へ東へ、歩きに歩いた。

 

 かつてあった長久寺が引っ越し、地名だけが残り、いまは広場になっているあたり、木札が立っていた。「近江美濃国境寝物語」と書かれている。司馬さんらも、小さくとも橋が~と思っていたらしいが、そこに溝だった。溝の両側、「岐阜県」「滋賀県」の新しそうな小さな石柱。昔は隣りあって、壁を隔て寝物語が出来る宿あたり、今は2階建ての住宅が建っていた。現場へ来た記念、溝の真ん中に我が靴を置いて、岐阜かな、近江かな~と写真を撮った。

 

 

 

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コメント

人気のハイキングコースになっている中山道の馬籠~妻籠宿間8㌔を歩いたことがあります。
旧街道では箱根で旧東海道を、地方道では薩摩街道、長崎街道、備前街道など~
「寝物語の里」のことは初めて知りました。調べて由来がより分かりました。静御前伝説もあると~
博識、健筆、健脚の洋洋さん、凡人の私の興味をそそること、多しです。

投稿: s.hidaka | 2024年7月13日 (土) 18時10分

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