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2024年7月

2024年7月31日 (水)

なで仏は、賓頭盧さん

Img_8773 Img_8774 Img_8775 Img_8778 顔はいかつくて、神通力があるという。お名前は賓頭盧さん。「びんずる」と読む羅漢さん。お釈迦さんの中で、一番弟子の尊者さんだ。頭でも、お腹でも、腰でも、具合がわるいとこあれば、拝んで賓頭盧さんの同じとこをナデナデすると治るというから、ありがたい。

 

 東大寺大仏殿、長野の善光寺など、わりに全国あちこちだが、京都では烏丸高辻近くの因幡薬師、寺町三条の矢田寺。どちらも、ぶらり歩きコース。ちょっと寄っては、本尊お参りのあと、外側に座っている賓頭盧さんと向かい合う。頭がツルっとしているので、親近感がわく。その法力、出会いがもっと早かったらとは思うが、なくした毛髪?、頭に手がいく。

 

 北野の天神さんは、なで牛がいるが、賓頭盧さんは、頭がナデナデしやすい。尊者さんだし、撫でて、そんじゃ~ということない。ナタデココのツルリとした食感も思い起こす。威厳のある像だが、どこのも赤銅色。調べると、お酒が好きでやめられないらしい。さらに、なんで外側なのかというと、才能は抜群だけど、しゃしゃり出ることが多く、お釈迦さんは、それなら外にいて、その法力をみなさんに役立てなさいとか。賓頭盧さん、訳ありだった。

 

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2024年7月30日 (火)

食べログ評価信じて~

Img_8610 Img_8611 Img_8626 Img_8612_20240726075701 Img_8621_20240726075701 スマホで点検したら、食べログの評価がやけに高い。3・6.3・8に4・0というのもある。その評価、たまには???もあるけど、だいたい、そう狂いはない。美味しいカレーが食べたい~とチェックしていて、引っかかったのが、このカレー屋さん、太陽カレーだ。

 

 どこかな?~で阪急西院駅からすぐだ。交差点から南東、二筋目かどビル2階という。ヒマだし、午前11時の開店前に行くと、7,8人もう階段下に並んでいる。食べログもだけど、カレーライスの百名店にもノミネートというから、この人気、インド人もびっくり!かもしれない。ルーにワインを混ぜたフルーティーな旨辛さ、それが秘密らしいが、どうだろう。

 

 並んでいるとき、メニューチェックした野菜スペッシャルだ。温泉玉子入り1050円。カウンター席の上に大きな黒板。見上げて読むと、ライスは7代目儀兵衛さん推奨、島根の極太米、白ワイン使用。有機野菜は♪~京都大原三千院~♪の農家と契約という。辛さもご飯も控え目オーダーの食べログ4・0のスペッシャルが登場。賀茂茄子、万願寺、水菜…、ルーとご飯一緒に、どうや!。うん、旨辛や、ええ味や…さすが食べログ、いや、太陽カレー。

 

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2024年7月29日 (月)

大船鉾の龍頭、追悼巡行

Img_8645 Img_8647_20240725081701 Img_8648_20240725082101 Img_8649 Img_7549 Img_7552_20240714073701 Img_7891_20240714074001 祇園祭の後祭、11基巡行の最後、大船鉾が戻って来た。鉾町の一つ、四条新町下ルの会所だ。雨が降っている。雷がゴロゴロして、時おり稲妻がピカッと走る。鉾の舳先に厄払い、大きな龍の頭だ。高2㍍、重さ20㌧、金色に光っている。雨、龍の眼からの涙だろうか。

 

 龍頭を制作した木彫作家、森哲荘さんが今年3月、逝去した。滋賀県米原市醒ヶ井、木彫の里・上丹生で、この道一筋60年余、77歳だった。大船鉾150年ぶり巡行復活、禁門の変で焼失していた龍頭の制作依頼を受け、苦悶の中、2年ががりで作り上げた。中山道歩き、醒ヶ井木彫美術館へぶらり入り、その制作秘話、森さんインタヴューの記事を読んだ。

 

 大丸さんと縁深い伏見区の瀧尾神社拝殿の龍頭がモデルだった。何度も通い、最後には自宅へ運んで、龍とにらっめこ。完成して暫くは脱力状態だったと話している。10分の一、龍頭も飾ってあった。モデルの龍頭も祇園祭中、大丸1階ウインドウで展示。後祭はことし復活10年、大船鉾の龍頭は大金幣と隔年で、巡行4度目。制作した森さんはいない。雨の中の龍頭、下から眺めて、両眼から大粒の涙が流れているように見える。稲妻、また光った。

 

 ※ 祇園祭後祭巡行は7月24日あった。

 

 

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2024年7月28日 (日)

「あたりまえなんて無いんだよ」

 Img_8556 Img_8558 Img_8000_20240724085701 Img_8637_20240728060401 Img_8125_20240724085701 Img_8633_20240728060401 暑くてもぶらり、ぶらり。朝の方がいいのに昼からぶらり、ぶらり。わかっちゃいるけど、そのクセ、やめられない。まあ、かっぱえびせん。歩くとお寺の伝言板、どんなんかなと見るのもクセ。後白河法皇の長講堂山門前、その伝言板は「あたりまえなんて無いんだよ」。

 

 国道1号の五条通りから富小路を南へ、京都タワーが見える道を六条まで行って、長講堂だ。後白河法皇の元六条御所、法華経を講ずるお堂。そこで「あたりまえなんて無いんだよ」の伝言に腕を組んで長考した。なんか意味が深い。当たり前、国語辞典をひくと、そうあるべきこと、変わらず普通~と出ている。伝言板は、そう思っていたらアカンよと諭している。

 

 そうか~ともう一度、腕を組みなおした。尊い命、当たり前じゃない。生かされている命、大事にしんと。猛暑、お~いお茶、ペットボトルの大谷さん。水分補給や。気温は37度超えている。この暑さ、普通やない。スマホアプリの歩数計、勝手に6千歩から1万歩と目標にしているけど、ほどほどにしとかんと。出あった外国人女性、みんな揃って下駄に草履で着物姿。これ当たり前じゃない。当たり前なら、昔も今も、~あたり前田のクラッカー~。

 

 

 

 

 

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2024年7月27日 (土)

みうらじゅん「マイブーム」全貌

Img_8475_20240723073801 Img_8398_20240723073701 Img_8400 Img_8402_20240723073801 Img_8574_20240724075601 Img_8572 Img_8404_20240723073801Img_8424 Img_8430_20240723074101 Img_8463 流行語大賞「マイブーム」を世に出した黒メガネのみうらじゅんさん。その「マイブーム」の全貌展が会場の中だけでなく、外から始まっている。みうらさんが命名した滋賀の飛び出し坊や、みうらさん自らが坊やになって、展示会場の外へ出てきて、ぼやぼや?せんと、どうぞ!。

 

 ロックやり、イラストレーターやり、新語どんどんのみうらさん。いま、京都伊勢丹でFES、フェスティバルという、ちょっと変わった展覧会。チケットあって覗いてみたら~最初にみうらさんの挨拶。「ようこんだけ集めはった。ようこんなに描かはった~とあきれてもらう展覧会です」と。いや、そのとおり、なんやかんや、あるある~あきれたボーイズ?。

 

 だからか、展示作品が会場の外、通路にはみ出て、チケットいるのかな~と思ってしまう。テングレンジャーが赤、青、黄の鼻を伸ばしている。ガラスケース、収集した天狗のお面が溢れている。黒枠のご本人遺影。イエッ!みうら!。勝手に観光協会、ご当地ソングは全48曲。そのうち「恋はGO!GO!ME(山梨県)」「恋の安来ブギ(島根県)」「天国に一番近い県(宮崎県)」はヒット中。これまだ場外展示。会場入って、何が何やらブーム。わてよう言わんわ?。
 
 ※ 展覧会は8月25日まで。

 

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2024年7月26日 (金)

~イルカはいるか?~

Img_8339 Img_8340_20240722070401 Img_8342 Img_8341_20240722070401 Img_8335_20240722070601 Img_8348 これはいい。秀作一番はこれだ。「どうしても いちどくらいは言ってみたい イルカはいるか イルカのがっこう」。これは、駄洒落の極致、これはいい。いちどどころか、なんど言ってもいい。そのイルカ、どこに行ったら、いるか。もういちど、イルカはいるか!。

 

 出会いは、京都市地下鉄の南北線。市営地下鉄と乗り入れしている近鉄車両の中づり広告。それまで本を読んでいて気づかずだったが、植物園の北山口で降りしなにだった。ドア閉まるまで、2,3枚デジカメ撮りしたが、6車両ぜんぶ、貸し切り広告のようだ。駄洒落好きのヒマ人としては~である。もういちど、イルカはいるか~。確認に地下鉄へ乗りに行った。

 

 広告主は、梅小路公園にある京都水族館。この夏、体育、給食などイルカと一緒に学ぶイルカの学校を開校したので、生徒募集という。市営地下鉄には出ていない。烏丸御池で南北線乗り換え、新田辺行き近鉄車両に乗れた。京都駅すんで乗客減って、車両渡り歩いて、デジカメ撮り。「ひまに飽き スマホなぐさむ 休日を いざおわらせむ イルカのがっこう」など、絵入りで何首もだけど、やっぱり一番はイルカがジャンプして、~イルカはいるか~。 

 

 

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2024年7月25日 (木)

京都タワー見て、しゃぶしゃぶ~

Img_8469 Img_7736 Img_7737 Img_7739Img_8472_20240722071301 Img_7742 Img_8470_20240722071001 ピンクに白い筋入り。見るからに柔らかい。これ、これが、黒毛和牛の霜降り。大きな肉、1枚、2枚、3枚…下にもある。5枚かな。一つ、パセリが乗っている。野菜、豆腐…、タレはゴマとポン酢。IH、鍋のだし汁がフツフツしてきた。さあ、しゃぶしゃぶ。肉からや。

 

 目の高さ、正面に京都タワーが見えている。京都駅ビルと併設する京都伊勢丹11階レストラン街、北東は肉のモリタ屋。席順発券の自販機は12番。待って、待って40分、いや1時間だったかなあ。長いカウンター席の真ん中、京都駅を見下ろして、電子機器ニッデックの冠がついた昼のタワー、よく晴れている。景観よし、肉はよし、値段?それもよし…。

 

 店員さん、肉をしゃぶしゃぶして、どうぞ!という。自分でした方が気分出そうだが、このサービスも値段のうちか。肉、茶色になっている。一枚、まずポン酢で、どうや。うわっ!柔らかい。旨味が舌に走る。さすが、三嶋亭と肩を並べる明治2年創業の老舗。由良川の上流、京丹波の原野に森田牧場、自前の肉だけのことはある。2枚目、男前?いや、ゴマダレ。どうや。ああ~また柔らかい。甘い。マスク?いや、肉が…、なんとニクらしいことか?。

 

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2024年7月24日 (水)

夏、ヒマワリを見に行く。

Img_8266_20240720072001 Img_8269_20240720072301 Img_8249_20240720071901 Img_8252_20240720072001 Img_8274_20240720072401 Img_8283 Img_8286 Img_8302_20240720072501 Img_8307_20240720072701 夏だ!サマーだ!ヒマワリだ!。それに恐竜だ!。いつもの府立植物園に来ている。ことし100周年、古代にタイムスリップして特別に恐竜展も~だ。夏休みに入り、猛暑に負けない夏の花、ヒマワリが見たい。太陽のエネルギー、そのパワーも感じたい~と行った。

 

 暑い。今日も35度を超えている。熱中症警戒アラート。水分補給、大谷選手写真入り、お~いお茶は欠かせない。お~い、元気なヒマワリがどこだ~と、いつもの北山門から入って、ハイビスカス。赤いの、黄色いの、自慢の鼻を伸ばしている。この花、南国出身、暑さには滅法強い。噴水付近に恐竜出現。でっかいけど短足だ。名前?ショートレッグザウルスか?。

 

 恐竜前のデスクに判子。スタンプラリーその1だ。恐竜もだけど、ヒマワリがみたい。チラシ地図、正門前と沈床花壇付近だ。タキイ種苗とのコラボ企画、ヒマワリ畑と恐竜もある。太陽ギラリ。汗が噴き出る。お~い大谷さんだ。帽子とタオル必携だ。食用、観賞用…植物園内のヒマワリは20種という。夏場、太陽エネを吸収しているのがいい。どれかな、いた、いた、あれだ。高く高く、よう輝いている。ヒマワリパワーだ、元気もらった。ありがとう。

 

 

 

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2024年7月23日 (火)

知られざる祇園祭、ここに~

Img_8021 Img_8018 Img_8017_20240719071201 Img_8022 Img_8043_20240719071301 Img_8024 Img_8027_20240719071301 Img_8041_20240719071301 Img_8044_20240719071301 そのポスター、「知られざる祇園祭がここにある」とキャッチして、武者の鎧兜が写っている。その知られざるとは~ただならぬと、ポスターが貼られた町家を覗くと「祇園祭・弓矢町武具飾り」という。代々、町のお宝か、いかめしくて立派な鎧兜などが展示中。

 

 すっかり行きつけになった「六波羅飯店」。昼に出歩いて、六丼こと六波羅丼をお腹に入れて、松原通を鴨川方面へ歩きだしてだった。警察署統合、今は交番になった昔の松原署あたり、所々に赤いノボリが立ち、町家にポスター。その一軒に入って聞くと、近くに全体を見せる弓矢町の会所があるという。路地裏へ行くと、まん幕を飾り、町の皆さんが、武具などを説明していた。

 

 この町の皆さん、かつて清掃など行事ごと、八坂神社に奉仕してきた人たちという。祇園祭の神輿渡御では、武者列で先頭を行き、神輿を守ったという。町内財政難、歩くには武具痛みが激しくなど50年前にやめて、今は鎧甲冑の虫干しを兼ね、武者列復活への思いを込めて、鎧甲冑、武具類、往時の写真などを公開という。1階から2階へ、ミシミシする階段上がった。ご先祖は弓や矢づくりだったらしい町の人が出て「昔はこの町内も祇園祭り参加でした」~。

 

 ※ 弓矢町は今年の17日夕からの神輿渡御では裃姿だけで歩き、来年は鎧兜新調して武者列で復活参加の予定という。

 

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2024年7月22日 (月)

タペストリーの鯉は何匹?

Img_8086 Img_8091_20240718071101 Img_8095_20240718071201 Img_8096_20240718071101 Img_8097 鯉、いったい何匹描いてあるのだろう。タペストリーは縦10㍍、横5㍍。家の屋根より高い。そこに鯉たちがぎっしりだ。昇り竜でなく、昇り鯉だ。赤いの、黒いの、大きいの、色の濃いの…中には金色もいて、それを見つけると縁起がいいという。だから、見に来い!?。

 

 祇園祭の山鉾ストリート、室町通りの三条下ルの老舗・帯地屋、誉田屋源兵衛店前だ。宵山から前祭、後祭の間じゅう、鯉タペストリーが掛かる。いつ頃からか、もう祇園祭恒例の風物詩になっている。宵山の雑踏避け、昼間にぶらり、確認に行って、見上げた。鯉、カープ、鯉、カープ…まあ、いる、いる。数えるのは~無理と思ったら、何匹か表示が出ていた。

 

 ぜんぶで286匹。真新しい板に「祇園会・無病息災と誉田屋源兵衛創業286年を慶ぶ」と記されている。調べると、誉田屋さん創業270年の平成20年(2008)に270匹からが始まり。その年以来、毎年一匹ずつ増えて、今年は286匹だという。作者は鯉絵で有名なキ~ヤンこと木村英輝さん(81)。毎年、金色の鯉をどこかに書き加えているという。その金鯉の発見、縁起がいいという。それ見つけて、恋したい?とまた、見上げた。
 

 

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2024年7月21日 (日)

ラーメン店並びの写真

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 京都駅からすぐ東、JR線を跨ぐ高架橋の南側だ。洛西から引っ越してきた京都市立芸大正門の向かい。北に第一旭本店、南に新福菜館。所在地で言えば、高倉塩小路上ルだ。道路は4車線、市バスが走っている。並び、塩小路通りへ下り坂。京都タワーも見える。その列の歴史は昭和、平成、令和と続いてきた。今も昔も30㍍、50㍍…場合により100㍍だ。

 

 出町の黒豆大福のふたば、東山三条の天津飯のマルセイ、祇園の焦げ飯の儀兵衛などなど、長い並びの店は多いけど、ここは歴史がちがう。昭和22年、旭食堂で始まった第一旭は、九条ネギだ、豚骨だ、醤油だ。屋台からの新福菜館はスープも炒飯もブラックだ。両店とも、一度食べたらまた!のようだ。歩きで市芸の展覧会、その流れで、長い列をよく見る。長さ模様にアートを感じ、色んな角度でデジカメ向ける。写真の出来ばえ、ロング&ヤング?。

 

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2024年7月20日 (土)

官製絵はがき、始まりは祇園祭

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 いま、京都は祇園祭のさなか。7月じゅう、八坂神社を中心に何かと行事がある。宵山、前祭の山鉾巡行、神輿渡御はすんで、今度は後祭の山鉾巡行、神輿の還御などだ。高島屋、大丸はウインドウに祇園祭展示に工夫していて、京都駅ビル2階のインフォメーションは祇園祭の官製絵はがきを並べた。これ、新聞で知ったのでなく、ぶら歩きの「足」で知った。

 

 なかなか、玄人受けの企画だ。遥邨さんの翌年は三輪晁勢さん、船鉾の前部分を描いている。山口華楊さんは岩戸山。橋弁慶山は小野竹喬さん。山の上、弁慶と牛若が対決している。これぞヤマ場だ。堂本印象さんは鶏鉾。コケコッコーで、朝が来た。洋画家の須田国太郎さんは、はがきぜんぶ使って放下鉾。なるほど、ほうか、ほうか?。上村松篁さん、福田平八郎さん、徳岡神泉さん…どれもいいなあ。祇園祭山鉾絵はがき、画家の感性?、見応えあり。

 

 ※ 展示は7月31日まで。展示はマンガで祇園祭の裏話なども紹介している。

 

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2024年7月19日 (金)

国鉄時代のラッセル車

Img_7459_20240715082501 Img_7460 Img_7462 Img_7465 あの黒い塊、なんだ?、なんだ?。遠くから見て、近づいて、まじかに見て、雪かき車、ラッセル車だ。JR、いや国鉄時代の遺物。ちょっと詩的に言うなら残照かな。線路に積もる雪をシュッシュッ…蹴散らし、蹴散らし、機関車に押されて、頑張った昔のラッセル車だ。

 

 さすが、ここは湖北、積雪の多い滋賀の米原。琵琶湖線、東海道線、北陸線、新幹線がある駅、びわ湖側の西口から出て、円形ロータリーを抜け、西へ10分余り。邦楽邦舞の上演で頑張る県立文化産業会館の近く、県道の前だ。なぜ、ここで野外公開か、よくわからないが、役目すみ引退、40年近くここだ。格好良さ、鉄道ファンの鉄ちゃんにはたまらない。

 

 正面に除雪の大きなプレート。上に長く伸びたバズーカ砲のようなライト。黒い車体に黄色い線が入っている。デザイン字の「名」は名古屋局、車体番号は「ロキ555」。「ロ」はのろまの「ロ」、「キ」は貨物分類と~スマホで調べると、鉄ちゃんが書いている。中山道柏原宿へ、駅前の東横イン泊まりの朝ウオーク出会い。豪雪時の米原―大垣間、39年も関ヶ原を行き来して、大活躍だったという。前から後ろから横から眺めて、その頑張りご苦労さん!。

 

 ※ 展示板説明によると、昭和18年3月製造。昭和38年の大豪雪のおりなど運行㌔5634㌔と。同型のラッセル車は小樽とここだけ。年に一度、東海道線OB支部が清掃している。

 

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2024年7月18日 (木)

祇園祭大船鉾の龍頭

Img_7549 Img_7550_20240714073701 Img_7551_20240714073801 Img_7552_20240714073701 Img_7555 Img_7886 Img_7891_20240714074001 ついこの間のようなのに、あれから8年か。祇園祭り大船鉾が150年ぶり復活した平成28年(2016)。その年の9月の産経新聞。「龍とにらみ合った2年間」の見出しで、彫刻師森哲荘さんのインタヴュー記事だ。森さん、大船鉾船首・龍頭制作の思いを語っている。

 

 中山道の醒ヶ井宿を歩いて、醒井木彫美術館だった。米原のJR醒ヶ井駅から鈴鹿山系へ坂道3㌔、木彫りの里・上丹生に江戸時代いらい、職人さんが暮らす。木彫美術館は先覚者、森大造さんの仏像展示が中心だったが、2階に上がって壁に産経新聞である。ことし77歳で没した森哲荘さんの写真。大船鉾龍頭10分の一の龍像と大船鉾巡行の写真も一緒だ。

 

 10年以上前、木彫りの里で森哲荘さんに会っている。木彫りイベント参加だった。産経新聞、仏のような森さんの顔が懐かしい。京都東山の瀧尾神社所有の龍頭を参考に通い続け、ついには頼んで自宅工房へ持ち込み、作り上げたという。祇園祭、今年は辰年。瀧尾神社と創業者の関係深い京都大丸ウインドー、モデルになった龍頭展示中。醒ヶ井から戻り行った。後祭りの24日、巡行最後に大船鉾の龍が登場する。森さん追悼、見に行かねば~である。

 

 

 

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2024年7月17日 (水)

「福助さん大集合」

Img_7374 Img_7375 Img_7383_20240713074801 Img_7379 Img_7382 Img_7411_20240713075001 Img_7384_20240713074801 Img_7410_20240713075001 Img_7400 まあ、流線形というのか、頭が大きい。耳、これまた大きくて、ダブダブしている。いつも裃(かみしも)つけて座っている。立ち姿は見たことはない。手には扇子を持っている。さて、この人だあ~れで、江戸時代からの商いの神様、みんながご存知、福助人形である。

 

 中山道、江戸から60番目の宿場町にある柏原歴史館。もぐさ屋から染物店に転じた商家を旧山東町(合併で米原市)が買い上げ、宿場の歴史を伝える資料を集めて見せている。2階建て建物は重文。その2階へ上がると、広い畳の間にまあ~見て下さいと福助の間。眉毛の濃いの、薄いの、頭の剃り青いの、皺がよっているの~と、大小さまざまな福助さんたち。

 

 福助さんルーツは諸説ある。有力なのは歴史館斜め向かい伊吹もぐさ店の「亀屋左京」の番頭さん説。忠実で、絶えず裃つけ、扇子手放さず、旅人にもぐさをすすめ、商売が繁盛したという。店は代々、福助さんを商売の鏡として、人形にして今も店内に飾っている。柏原歴史館は収集した73点に加え、寄贈を受けた132点の合計205点を「福助さん大集合」として常設展示している。どれもこれも福相、福々しい。見ているだけでふくよか、福がきそう。

 

 

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2024年7月16日 (火)

街道の今昔

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 中山道六十九次、江戸から柏原60番目、醒ヶ井61番目だ。JRなら間に近江長岡駅が入る。前の日は柏原宿歩き、七夕の日は醒ヶ井からだった。昔の旅人が歩いた街道筋、今は今なりの発見がある。江戸からの中山道は鎌倉時代の東山道と所々で重なる。地蔵川は透きとり、冷たくて、目が覚めるので醒ヶ井、居醒の清水という。梅花藻が咲き、ハリヨが棲む。

 

 赤い前垂れの地蔵さんに眼鏡かけた地蔵さん。現代アートぽい。竹藪前に2㍍ほどの樹木、剪定が見事だ。梅雨の晴れ間、瓦屋根に蒲団干し、長靴も~だ。キョウチクトウの散った花を天日干し、何にするのか。歩数計1万カウントの頃、山水のバケツ受け発見。頭からかぶり、熱中症対策の生き返り。これぞ佛心水か。誰がお住まいだったか、2階が丸見えの廃屋。お寺の伝言板は「自己とは何ぞや是れ人生の根本的問題なり」。街道歩きに今昔あり。

 

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2024年7月15日 (月)

京マチ子、山本富士子…女優の映画ポスター

Img_7387 Img_7388_20240711080601 Img_7389_20240711080701 Img_7390_20240711080701 Img_7398_20240711080801 Img_7399_20240711080801 Img_7395_20240711080701 Img_7364_20240711080501 ああ!、いやあ!懐かしい。京マチ子さんと山本富士子さん。映画は2大スター競演「夜の蝶」。1957年制作いうから60年以上前。「羅生門」などでグランプリ女優の京マチ子さんは、95歳でなくなっているが、山本富士子さんは93歳ご健在、どうされているかなあ。

 

 この映画のメガホンは吉村公三郎監督。実家が滋賀県米原市、中山道柏原宿にあり、ご先祖は庄屋さんで、江戸時代は旅人の脇本陣。ぶらり、街道筋を歩いて、その実家を見て、柏原歴史館へ入って、2階の一室が吉村監督思い出コーナー。「女」の内面を撮らせたら、この人の右に出る監督はいないと言われ、室内の映画ポスターも女優さんが目だって多い。

 

 戦前ふくめ、映画全盛時代、昭和の作品ポスターが並ぶ。「夜の河」「偽れる盛装」「源氏物語」「自由学校」「越前竹人形」「夜明け前」…。岡田茉莉子、山口俶子、乙羽信子、小暮美千代、小夜福子、若尾文子、田中絹代…、名女優の主役、ポスターの顔に。もう黄泉の国へ~が多そう。お元気でも90歳代。その山本富士子さんは初代ミス日本で、京都の鴨沂高校出身、寺町三条の三嶋亭向かい、生家の標識がある。あの人、この人…、それはそれは~懐かしい。

 

 ※ 吉村公三郎(1911-2000)大津市出まれ。昭和期の映画監督。父は朝日新聞記者から広島市長。兄はフランス文学者。長男はNHK解説員など。

 

 

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2024年7月14日 (日)

中山道の夏の花

Img_7300_20240710071701 Img_7309_20240710071701 Img_7426_20240710072001 Img_7432 Img_7433_20240710072101 Img_7469 Img_7486_20240710075101 Img_7494_20240710075201 Img_7707_20240710075301 Img_7708_20240710075301 ひとり歩きの発見、あんな花、こんな花、そんな花だ。中山道、近江の醒ヶ井宿、柏原宿をぶらり、ぶらり、ちょっと立ち止まって、そうか、あんたがそうか~と知り合う。みんな夏へ向かう花さんたち。梅雨の晴れ間、歩き出あって、それぞれが明るくて、いい顔だった。

 

 近江と美濃の国境あたりか。赤紫の花がアイスキャンデーの棒のように何本も伸び、それはキク科のユリアザミ。背丈は50㌢ほど。町中では見かけない。いや、はじめまして~だ。黄色い花、背は低いけど、これもヒマワリの一種。田舎のおばあちゃんが丹精込めた。みんな朝の太陽へ向いておはよう。そっくりなのは、ヒマワリモドキ。まあ、仲間に変わりない。

 

 柏原宿のやいと祭。だれのまいた種が一番、高くか~を競う「ひまわり競技大会」。金網、茎の下に名札あり。見たおり、もう2㍍近く。本番まで2週間、まだまだ伸びそう。のっぽ栄冠は誰に輝く。水の綺麗な醒ヶ井宿。トロピカルな赤い花は、マンデビラ・サンデリ。釣り鐘のようなぶら下り花は、ホスタ・カピタタ。夏本番、これからのタチアオイ。煙に巻くが花言葉のスモークツリー、小さく可愛いヒナギキョウ…、みんな写真撮った。忘れないよ!。

 

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2024年7月13日 (土)

柏原宿の「やいと祭」

Img_7279_20240709090901 Img_7261_20240709090901 Img_7355_20240709091101 Img_7420_20240709091401Img_7376 Img_7418_20240709091301 Img_7450 Img_7614 Img_7622 Img_7625 東洲斎写楽が描いた役者絵、お灸がもろ肌の右肩に据えられている。血行障害か、肩こりか、役者は眼をむきアチチ、アチチ…。これ、中山道は近江の柏原宿、毎夏開催する「やいと祭」の定番ポスター。今年29回目。いま、街道筋に青地のノボリと一緒に目立っている。

 

  「やいと」って、わかるだろうか。漢字で「艾」と書く「もぐさ」は、どうだろう。若い人には、難しいかなあ。その原料が、薬草の蓬(よもぎ)と言えば、どうだろう。近江と美濃の国境、伊吹山ふもとの柏原宿の名物、それが伊吹もぐさ。旅人の必需品の一つで、お土産にもなり、江戸のむかし、「亀屋」と名乗るもぐさ屋さんが、10軒近くあったらしい。

 

 いまも一軒のこり、歌川広重の木曾街道六十九次柏原宿で、描かれている。司馬遼・街道をゆく24巻の近江散歩現場取材。街道を歩いて、7月27日開催のまつりへ、町は準備のさなかだった。大道芸、伊吹高校書道パフォーマンス、お寺で念仏コンサート…毎年1万人ほどの人出という。柏原は、やいと、もぐさ、よもぎ、伊吹山…再認識という。柏原歴史館の食堂では、ここしかない「やいとうどん」。とろろに紅生姜…、出汁はアチチ、アチチ???。

 

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2024年7月12日 (金)

寝物語の溝は国境

Img_7314_20240708081701 Img_7316 Img_7326 Img_7332 Img_7340_20240708082001 Img_7356_20240708082001 Img_7246 Img_7313_20240708081801 国境に幅50㌢ほどの小溝がある。ひょいと東へ渡れば美濃、いまは岐阜県だし、こちらの西側は近江の滋賀県。中山道の街道筋、「寝物語の里」として古跡になっている。後年、司馬遼のライフワーク「街道をゆく」第24巻、近江散歩に登場する。本持参で、現場へ行った。

 

 駅は標高1377㍍、伊吹山のふもと、柏原だ。JR琵琶湖線の米原で東海道線に乗り換え、醒ヶ井、近江長岡に次ぎだ。やっとICカード使用、京都山科から1340円。司馬さんは須田克太画伯らと名神と国道21号で行っている。昭和60年(1955)で、おおかた30年前だ。駅前からすぐ中山道60番目の宿場・柏原宿へ出、東へ東へ、歩きに歩いた。

 

 かつてあった長久寺が引っ越し、地名だけが残り、いまは広場になっているあたり、木札が立っていた。「近江美濃国境寝物語」と書かれている。司馬さんらも、小さくとも橋が~と思っていたらしいが、そこに溝だった。溝の両側、「岐阜県」「滋賀県」の新しそうな小さな石柱。昔は隣りあって、壁を隔て寝物語が出来る宿あたり、今は2階建ての住宅が建っていた。現場へ来た記念、溝の真ん中に我が靴を置いて、岐阜かな、近江かな~と写真を撮った。

 

 

 

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2024年7月11日 (木)

フランスの古い広告展

Img_7009_20240706065201 Img_7014 Img_7007_20240706065101 Img_7008_20240706065101Img_7010_20240706065201 Img_7013 Img_7016_20240706065201 クジラの潮吹き、お金のシャワーになっている。このポスター、なんかなと考えて、ああそうか、全国宝くじ売りの予告なんや。金曜日発売。こっちの象は、長い鼻をジョウロにして、スコップを持つおじさんの頭に水をかけ、種まきのお手伝い。これも広告、洒落ぽさがいい。

 

 京都河原町の大型書店「丸善」へ行って、地下1階から2階へ降りて、ハヤシライスが売りのカフェ前。小さなギャラリーで「フランスの古い広告展」やっていて、どんなんかな?と覗いて、それがけっこうおもしろい。1920年から1980年代、まだ、テレビのない時代の広告ポスターを揃えて、壁いっぱいに並べている。ついつい、あれも、これもと見た。

 

 地下鉄の駅などに掲示したポスター、メトロサイズと言い、大きくよく目立つ。女性が芝生で逆立ちして、その胴から先の足が木、花が咲いている。DIJON~フランスのブルゴーニュにあるワインの町・ディジョンのPRだ。こっちは冷蔵庫前に座って、両脚を入れて涼んでいる。新製品の宣伝らしい。どのポスターもユーモアがあり、ウエットに富み、デザインも優れている。これ、50年も60年も前だそうだが、いまの今も通用する古い広告、それが楽しい。

 

 ※ 展示は7月4日で終了。

 

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2024年7月10日 (水)

ビューティフルな冷麺

Img_7089 Img_5661_20240705070101 Img_7090 Img_7088 夏、かき氷もだが、冷麺もまた美しい。かき氷はイチゴの赤、メロンの青だが、冷麺は盛り付け次第で美しさが増す。よく行くマチ中華の六波羅飯店。ここの冷麺は彩りと盛り付けにさりげないこだわりがある。ミシュランならランク高いのでは。まあ、ビューティフルだ。

 

 冷麺は冷やし中華とも言い、北海道では冷やしラーメンと言うそうだ。韓国冷麺はパック販売あり、岩手の盛岡冷麺も美しさで名前が出るが、六波羅飯店の冷麺もひけを取らない。店になじんで、ちょっと身びいきなところもあるが、決まって初めに写真を撮って、スープまで飲み干して~あちこち行くけど、ここの店の冷麺が一番や~といつも、ほめて店を出る。

 

 どうビューティフルか、どう美味しいか。錦糸卵の黄色、ハムの橙色、胡瓜の青はどこでもだが、この店は春雨の白がある。その上に赤いチェリーが細い先を伸ばして乗っている。これがいい。器はガラス、透き通っている。春雨、ほかにない。チェリーも缶詰とはいえ、可愛い。よそはプチトマト。彩りは、赤、白、青、黄色、橙。盛り付け、見惚れる。中太の麺と氷の塊、酸味の醤油出汁が次第に冷えて、終わり頃、ええ薄味になって~、それがたまらない。

 

 

 

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2024年7月 9日 (火)

ひつまぶしは肝入りの「特上」!

Img_6599Img_6600Img_6609Img_6616_20240704110001Img_6611Img_6610Img_6612Img_6607 これ、肝っ玉母さんみたいな肝や。うな丼、うな重、ひつまぶし~とあって、肝入りひつまぶしの特上。ひつまぶしは、そのまま、薬味入り、出汁かけ…三度の味わいがいい。「特上」となると、でっかい肝乗り、吸いもんはハマグリ。盆と正月いっしょの大盤振る舞い、これで猛暑乗り切り。

 

 一の丑は今月24日、二の丑は8月5日。ウナギ、土用の日の前倒しで、行ったのが京都大丸8階レストラン街の炭火うな富士。養殖で最高級の青ウナギは西日本ではこの店だけ。初めて行ったおりは満員でテークアウト、今回は予約して店内入り。それで、もういっぺん言うが、注文は肝入り、特上のひつまぶし。値段も特上。最初に胡瓜の漬けもんか出た。

 

 それに、ウナギの茶わん蒸しの一品も追加。やる時はやる。ホンマは1尾14000円もする「天の青うなぎ」だったけど、滅多に入荷しないというので、その次のこれ。広い店内見渡しつつ、来た、来た「特上」が来た。おひつの底が深い。肝がどんと乗って、青ウナギは1尾と半分という。食べきれない場合は、持ち帰りどうぞと。なんせ、なんども言うが「特上」。食べても食べてもウナギ、いまも猛暑だけど、まあいつ梅雨あけても大丈夫!。「特上」「特上」…。

 

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2024年7月 8日 (月)

タンポポモドキの「ブタナ」

Img_7047_20240704122601 Img_7046 この花、てっきりタンポポだと思って、写真を撮って、自宅のパソコンに取り込んで、いつもお世話になっているスマホのアプリ、ググールレンズでセイヨウタンポポか、和製タンポポかと調べたら~である。なんと「ブタナ」と出た。別名で「タンポポモドキ」だという。

 

 思い込みはいけない。まさか~である。写真を撮ったのは、20年ぶり新紙幣発行の7月3日。五条烏丸でバスを降り、烏丸通りを北へ歩いて、今日は忙しいかなと、京都銀行本店がある高辻通りあたりへ来てだった。歩道わきの街路樹の幹近く、茎の長いタンポポが一本だけ伸び、葉っぱがロゼット状に開いていた。けなげに咲いているなあ~と写真撮りだった。

 

 その花がタンポポによく似て、まちがわれやすい「ブタナ」。ヨーロッパ原産の帰化植物で、キク科エゾコウゾリナ属の多年草という。5月ごろから9月にかけ、国内どこどでも見られるというから、勘違いして見ている方が多いかもだ。漢字では、なんとも気の毒な「豚菜」。パリでは、豚サラダの花と言うらしい。花言葉を調べたら、それが「最後の恋」。その恋、どこでどうなったのか、ちょっと来い!と聞いてみたい。何事も思い込みはイカン!。

 

 ※ タンポポは根元は花一つ、ブタナは茎がすっと長く伸びて、枝がわかれる。

 

 

 

 

 

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2024年7月 7日 (日)

繁華街に庶民の食堂

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 まず、永正亭(えいしょうてい)。東に高島屋、西に藤井大丸の間、四条寺町下ル40㍍の東側。「そば」のノボリあっても、店構え狭く、つい通り過ぎてしまう。入ると店内は長く、京らしい鰻の寝床。客はデパートの店員さんら常連。まあ満席で、通路で立って待って…。海老一本、海苔たっぷりに天ざるそば850円は安いし、おいしい。名物メニューのようだ。

 

 店は明治24年創業とは古すぎる。京都に住みながら知らなかったのが恥ずかしい。もう一軒は、麺と定食の「はやし」。東山三条下ル、天津飯人気のマルシンの向かい。~「は」ようて「や」すうて、おいしい「し」~の「はやし」という。定食は大盛りが自慢。ここも常連さんが多い。昭和28年創業。豚しゃぶサラダ定食900円。店の壁は色紙だらけ。近くに祇園花月、芸能人来店が多いようだ。世の中知らないこと、知らない店、まだまだある~。

 

 

 

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2024年7月 6日 (土)

商店街を洒落て見る?

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 改札口の近く河原町ひろば。なんかイベントやっている。雨の日も猫イラストの前で、歌謡ショー。歌い手さん次々、ショーなので少々?見る。中央では天ぷらなど出店あり。4年かけて育てたカブトのヘラクレスは一匹5千円。売れず減らず?。靴屋さん、夏向きバーゲン。男もん、女もんスニーカー、店内見渡す限りのクツまたクツ。多すぎて見定めに苦痛??。

 

 八百屋さん、甘いズッキニ販売。すぐ、ズッキニ=じきに?。ちょっと苦しい。「昼から立ち呑みやってます」。升で、どう飲ます?。梅酒の梅はうめえ?。本屋さんの本。午前7時の朝ごはん研究所。見出しは「朝食は料理にあらずパズルなり」。いや、ちがう。朝食はバナナの顔なり。そんなバナナ?。絵本の絵は花火。「ヒュ…パーンパンパーン」。ええ音、この絵本、ええ本?。そうそう、歌手さんの浴衣もゆかった?。洒落倒れの一日が過ぎ行く!。

 

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2024年7月 5日 (金)

「膏薬辻子」の地名由来

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 ここは四条通り、むかしチンチン電車が走っていた西洞院の手前だ。道路の角に祇園祭郭巨山の札所。京都市が立てた駒札はその前だ。近くの歯医者へ行く前、読んだ。このあたりは六波羅蜜寺を創建した空也上人の念仏道場があった。武士の先達、平将門が関東で乱に敗れ、首がさらされて、天変地異がおき、上人がここで怨念鎮めの供養の空也道場を開いた。

 

 なんで膏薬?か、最後の最後に出て来た。人々はその道場を「空也供養道場」と呼び、それがなまって「こうやく道場」となって、「膏薬」の名前がついたという。由来知ったけど、苦しい訛り方だ。駒札から、図子とも路地ともいう細い道を歩くと、平将門を祀る東京は神田明神からの鳥居があった。首があった場所、将門の慰霊という。かぎ型の道をさらに南の綾小路通りへ。木版画店、重文・杉本家住宅の板塀、仁丹地名表示…「膏薬辻子」の今があった。

 

 

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2024年7月 4日 (木)

トトロと金ロー

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 金曜ロードショーのこと、ナウく「金ロー」と言っても、それ!柳家金語楼かい~と聞かれそうだ。落語家、喜劇役者の柳家金語楼さんだが、息子さんはロカビリー歌手の先がけ、山下敬二郎だ。その山下さんも今は~だけど、ここで紹介するのは京都市美京セラ美術館で開催「金曜ロードショウとジブリ展」。東京、富山から巡回、これから広島、秋田、長崎へいく。

 

 そのトロロ、いやトトロか、ジブリか、金ローか、人気だ。ほかにも展覧会あり、京都市美に行くと、トトロ回りを歩いて、いまを感じる。案内は山高帽の金曜、フライデーおじさん。崖の上のポニョ模型、入って記念撮影、ひとり一回。会場前、千と千尋~などジブリのアニメ幕が下がる。壁面は金ローでジブリ番組紹介の過去のTV欄ぎっしり。1985年の「風の谷のナウシカ」に始まり、ジブリは金ロー200回。おじさん、ロー見る?かである。

 

 ※ 京都市美の「金曜ロードショーと~」展は6月29日で終わり、広島会場へ。

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2024年7月 3日 (水)

そうだ、動物園にいこう!

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 京都市地下鉄東西線の蹴上駅。琵琶湖疎水が通って、発電所があって、地上へ出るのに、深くて、曲がりくねって、コンコースは長い。京都市動物園の東門、南禅寺参道を通って、東山駅よりこちらが近く、そのコンコースの壁面に象が描かれ、人気の動物たちのポスター。最近、入れ替わって、いまはゾウ、ゴリラ、キリン、ツシマヤマネコ、フラミンゴの顔だ。

 

 いつもの気まぐれウオーク。そうだ!動物園へ行こう。ポスターの動物たち、ホンモノを見に行こう。高齢証明は無料、市バス・地下鉄の敬老乗車証を見せて東門から入った。熱中症対策、400円のソフトクリーム一つ。今年の辰年、アニマル園長のエミューに挨拶して、類人猿舎。ゴリラ、背中が大きすぎる。レッサーパンダ、熟睡している。ツシマヤマネコの檻、おりいってのお願い、子孫繁栄多彩句で非公開。写真で~と。園内はZOO?と続く。

 

 

 

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2024年7月 2日 (火)

朝が来た!朝の顔だ!

Img_3036_20240629070101Img_4440Img_4355_20240629071001Img_4922Img_4995Img_5826_20240629072301Img_5179Img_3501Img_4562_20240629071301Img_3682_20240629070501  Img_6453_20240629072801Img_6626_20240629073001Img_5724_20240629072201Img_6160_20240629072701 朝が来た!。さあ、ブレイクファーストだ。古くても皿を出す?。冷蔵庫を開ける。皿にコールスロー置いて、お絵描きなら背景、決まってホワイトだ。朝の顔づくり。いつもいつも、今日は何にする。蜜柑かな、茹で玉子かな、チリ産のブドウにするか~出たどこ勝負だ。

 

 早いもんで、もう2年、いや3年?。去年の夏、大腸憩室で1週間入院して絶食と病院食だったほかは、ずっと自作している。宮崎、東京、鈴鹿…旅行してホテルのバイキングでもだった。このコーナーでも、どんな顔になったか、なんどか紹介している。一年ほど前からは、新聞の朝刊一面を下敷きにして、その日のニュースとコラボ、時事性も加えている。

 

 ええ顔も、ちょっとなあ~の顔も、食べる前に写真を撮る。自作自演、いや、自作自食だ。毎日歩き出かけては、町の中の何かをデジカメ撮りしているが、朝の顔は毎日の一番撮りだ。撮ったのは、パソコンに入れてある。ここに紹介したのは、5月、6月の分。玉子かけご飯、食パン、お粥…紙面では、相撲の大の里優勝、全米女子ゴルフの笹生優花の優勝…、材料は増えて、漬けもん胡瓜、ゼリービーンズ…、朝の顔づくり、少しは進化しているかな。

 

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2024年7月 1日 (月)

けったい?面白い?横尾忠則作品

Img_5805_20240628081101 Img_5806_20240628081101 Img_5808_20240628081201 Img_5802 Img_5801_20240628081101 Img_5815_20240628081201 Img_5813_20240628081301 Img_5812_20240628081401 Img_5811_20240628081201 けったいで、なんや、これは~と思う面白さというのだろうか。見れば見るほど、しがめばしがむほど、味わい深いスルメのようだ。絵画か、ポスターか、グラフィックデザインか。日本のというより、世界の美術家・横尾忠則さん(88)の作品。まあ、兎も角、けったい。

 

 いま、京近美のコレクション展で、横尾作品がひと部屋に展示中だ。その作品、神戸の王子に県の横尾忠則美術館があり、近くに住んでいた叔母を見舞いに行ったおり、よく行って、何度も見ている。その奇抜さ、いまさら驚きはしないが、若い女性がわき毛を見せて、抜き手を切って泳いでいたり、裸でバイクの疾走があったり…、やっぱり、見るとびっくりする。

 

 展示は1960年代、神戸から東京に出て、土方巽、唐十郎、寺山修司、三島由紀夫らとの出会いからら生まれたポスター作品が多い。東京キッドの美空ひばりがいて、その下はきっと?佐藤栄作さん。ビートルズもいて、高倉健に鶴田浩二も登場して~おひかえなすって~。首吊り?だれか、横尾さん本人、赤ちゃん写真も本人…。展示ポスターのタイトルは、腰巻きお仙、由比小説、いや由比正雪、今昔物語でモナリザ…、その奇妙さがまともなのだ。

 

 ※ 京近美コレクション、横尾展は8月25日まで。

 

 

 

 

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