幸野楳嶺先生の胸像
あご髭、きれいに伸び、先っぽは絵筆のようだ。お顔、幾つのときか、目がすずやかだ。若く見えて、男前といっていい。着こんだ和服、威厳がある。日本画、明治の京都画壇をけん引した幸野楳嶺氏。名前は何度もだが、こんな方だったのかと、彫刻像で初めて知った。
JR京都駅東側へ引っ越してきた京都市立芸術大。陸橋のたかばし、人気のラーメン店前の正門から東へ行って、C棟の芸術資料館前。塩小路河原町の西南だ。そこの入り口に、この大学で最初に日本画を教えた幸野先生の胸像がある。高いコンクリート台座の上だ。引っ越し記念、創立以来140年余の歴史をひもとく企画展があり、そのおりお目にかかった。
幸野先生は円山派、四条派の流れ、花鳥画の第一人者。教え子に東の大観と並び称せられる竹内栖鳳、さらに美人画の女性画家・上村松園など。東京藝大より古く、公立では日本最初の芸術大学として、幸野先生の存在は偉大だ。長崎・平和祈念像で有名な卒業生、北村西望が制作した幸野銅像があったが、戦時中の金属類供出でなくなり、その石こう原型が残っていて戦後、それをもとに生徒らが作り上げた胸像という。いや、はじめまして!~である。
※ 幸野楳嶺(1844-1895)京都市生まれ。
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