京都東山馬町、空襲の記録
今から79年前、終戦年の昭和20年(1945)1月16日深夜、清水寺に近い京都市東山区馬町一帯に米軍B20号一機が飛来、爆弾を落とした。死者41人、負傷者50余人、全半壊家屋143戸。京都で初めての空襲だった。その記録を後世に印す慰霊の石碑がある。
週に一二度は京阪バスを降りて、歩き始める馬町。老舗の饅頭屋さん過ぎて、花屋さんの向かい。かつて修道小学校。いまは東山支援学校の門を入って、すぐ左側だ。大きさ1・5㍍ほどの岩盤に「馬町 空襲の地」と刻まれている。となりに空襲の詳細を記した銘板と死亡者の名前がある。当時の空襲の記録を調べ、地元自治会らが建立、今年で10年になる。
京都ではここ馬町と西陣、二度の空襲は聞いていたが、馬町に石碑があるのは知らずだった。知人から清水寺の機関誌が届き、ページを捲っていて、森清範貫主のいとこ、森孝忍長老の新連載「戦争の傷跡」の中で出ていた。清水寺は東山馬町交差点から五条坂こえ北東800㍍。お寺さん関係の方も被害に~と記されている。機関誌にこの慰霊碑写真、被害地図。西本願寺大谷本廟、京女大なども近い。そう知られていない京都空襲の記録、ここにあり。
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コメント
先の太平洋戦争で京都でも米軍の空襲があったと~~
唯一空襲がなかった都市だとばかり理解していました。
五条坂、河井寛次郎記念館近くでしょうか。
41人が犠牲になり、うち子供が13人だったと慰霊の
石碑に。終わりが見えないウクライナ、ガザでも弱者が
犠牲に。
投稿: s.hidaka | 2024年5月17日 (金) 06時34分