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2024年4月10日 (水)

連歌師宗祇は「近江の人」

Img_0459_20240407075801 Img_0460_20240407075901 Img_0461_20240407075901 Img_0577 Img_0576_20240407075901 Img_0578_20240407080301 Img_0613  和歌の西行、俳句の芭蕉と並び、連歌師で有名な「漂泊の歌人」、ご存知だろうか。室町時代の宗祇法師。和歌の余興だった連歌を芸術の域にまで高めた歌人という。出生地に諸説あったが、平成に入って、「近江の人」とわかり、湖東の能登川に帰郷の像が出来ている。

 

 JR能登川駅西口を出て、西へ歩いて5,6分、林中公園入り口。台座の上、白馬に乗って、笠をかぶり、白髭たくわえた胴像、銘板に「宗祇法師・帰郷旅姿」と印されている。近くの東近江市能登川支所へ尋ね事で行く途中の出会い。一日歩いて帰り、こんどは能登川図書館前の入り口に顕彰碑も。肘をかけ、団扇を持って、寛いだ様子の宗祇像が描かれている。

 

 宗祇の出生地は、紀伊か、摂津か、近江か諸説あったが、広島大名誉教授・金子金治郎さんの研究で、書簡その他から宗祇は彼の父が近江守護の六角氏に仕えた武士だったことが明らかになったという。湖東の能登川は六角氏の守護地。能登川町にとって、宗祇は我が町の偉人としての像である。顕彰碑に宗祇の句集「ふるさとにて」から~かげ涼し 南のみ山 北の海」。575の発句、意図組み77。その繰り返しの連歌、終いの挙句へ、果てしない?。

 

 ※ 宗祇(1421-1502) 全国を回り、西行、芭蕉と並ぶ日本三大漂泊歌人。 ※ 連歌は、五・七・五の発句に別の者が七・七の脇句をつけて、また別の者が五・七・五と続ける文芸。最後の句まで百韻繋ぐのが一

 

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