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2024年4月

2024年4月30日 (火)

「蹴上げのつつじ」一般公開

Img_2248_20240429074101Img_2340_20240429074901Img_2254_20240429074101Img_2264_20240429074101Img_2279Img_2287_20240429074301Img_2290Img_2314_20240429074201Img_2321_20240429074301Img_2305 Img_2325_20240429074701Img_2304Img_2332_20240429074701Img_2334Img_2336Img_2341 赤紫のや、白い純なのや、ピンクや~と、つつじ、つつじと見て、それに加えてである。与謝野晶子の歌碑、クマバチ案内、南禅寺と比叡山の展望台、配水管クイズ、輪投げ、キッチンカーなどあって、さらに~である。冷たい水サービス、黄色い蓮華つつじも咲いている。

 

 京都市上下水道局蹴上浄水場。「蹴上のつつじ」で名があり、5年ぶり一般公開。つつじ4600本と新聞に載り、気温30度超えの真夏日に行った。山科から地下鉄で御陵の次、2つ目が蹴上駅。三条通りの正門から入った。坂を上がって、上がって、琵琶湖疎水から取水場、ろ過池、沈殿池、給水場など施設を様ざまに見て、色とりどりのつつじは7分咲き…。

 

 広場に晶子の歌碑。「御目ざめの鐘は知恩院聖護院いでて見たまえ紫の水」。浄水場出来る前にあった旅館に夫と泊まり、朝の句読み。オスに針なく、飛んでいても怖くないとはクマバチ案内。太陽光設置の展望台。南禅寺山門真下に見えて、五右衛門より絶景かな、絶景かな。事務所棟では水道クイズ。京都市内の配水管を合計した距離は?の3択。答えは4万2千㌔。京都からタイまでと。マンホールの数は?、給水量は?学んで、学んで、つつじ見た。

 

 ※ 一般公開は4月29日で終了。

 

 

 

 

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2024年4月29日 (月)

うどん屋さん、週刊朝日、五能線

Img_1502_20240426075601 Img_1507 Img_1511_20240426075601 Img_1512 Img_1513 Img_2064_20240426075801 これは、出会いの二重奏、いや三重奏かな。たまに入る食堂「まつ山」さん、昼に「しっぽく」頼んで、待つ間にテーブル下から週刊朝日である。去年5月30日付け、101年の歴史を閉じた週刊朝日の23年5・5~12合併号。おおかた1年前の号、まだ置いてある。

 

 「まつ山」は、秀吉さん祀る豊国神社前、歩きコースの正面通り。その週刊朝日、表紙の顔は男前アイドル・正門良規さんだけど、下に司馬シリーズ「街道をゆく」と出ている。捲ったら青森「北のまほろば」再訪、日本海の海べりをコトコト走る五能線が登場している。秋田の能代から青森の五所川原へ。もう20年前、東京勤務のおり、乗りに行っている。東能代を出て、白神、千畳敷、鰺ヶ沢、木造など経て、マラソン福士さんの故郷・板柳のコテージに泊まった。

 

 長期連載「街道をゆく」の41回目が青森編。その時の思い出、司馬さんに随行した朝日記者・村井重俊さんが書いている。村井さん著の文庫本「街道をついていく」を読んだとこだ。旭富士、舞の海、隆の里など青森のお相撲さんは京都の御所人形みたい、木造駅のモニュメント、目玉ギョロリの遮光器土偶は怖すぎる~と司馬さんの言葉を紹介している。休刊直前の週刊朝日、昔ながらのうどん屋さん、思い出の五能線…その出会いの重なりが嬉しい。

 

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2024年4月28日 (日)

店名は、なんで「六」なのか。

Img_2004_20240425072601Img_2006 Img_2017 Img_2008 Img_2011_20240425072701 Img_2012 どうして、その店名は「六」なんだろう。場所が六丁目?、店長が六代目?、浅草ロック出身、越路吹雪歌った♪~ろくでなし~♪ご縁?、それとも、サイコロで六の目が出た?~。新しく出来た中華そばの店名が「六」。歩き見つけ、なんで、なんで~と、開店6カ月頃に入った。

 

 京都四条河原町下ル、「GOOD NATURE」内2階だ。高島屋の南側、1階の喫茶コーナーが広く、穴場ぽく落ち着くので、ときどき行くが2階へは初めて。表に「ラーメンやってます」と立て看が出て、その店名の「六」が、なんとなく気になっていた。館内は自然食があふれ、「GOOD」「GOOD」している。中華そばの「六」もグッドなのだろうか。

 

 店の暖簾前で食券自販機。中を見たらコの字型カウンター。3、6、3の~12席がほぼ埋まって、奥の外国人夫婦隣の席が一つ空いている。中華定番のメニュー1100円。昼でもヤカンいり水飲んで、出た。細麺、醤油スープ、豚肉、海苔、シナ竹…まあ、美味しい。食べ終わって、入店目的のなんで「六」か?店員さんに聞いた。「はい、オーナーが岩崎で、岩のロック。メニューが六種類なんです」。まさか~のロックンロールではなかった。

 

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2024年4月27日 (土)

モンチッチ50年展

Img_2020 Img_1910_20240424075201 Img_1909 Img_1881Img_1877 Img_1890 Img_1885 Img_1887 Img_1883 Img_1889  モンチッチか、ポンキッキか、それがややこしいが、ここはモンチッチ。ぶらり入った京都高島屋7階催事で、モンチッチ誕生50周年の記念展開催中という。指しゃぶりの、可愛いお猿さん人形。世界各国へ7千万体という人形の歩み。何でも見てやろう~と上がった。

 

 スマホで事前検索、まちがってポンキッキが先に出た。これもお猿さん、フジTVの子ども向け番組で登場、やはり50年という。ガチャマンとか、開けポンキッキ!などスマホに出て、モンチッチと似ている。この二つ、交互の早口言葉ならどうなるだろう。モンチッチ、ポンキッキ、モンチッチ、ポンキッキ…、そのうちチッチキッキ、チッチキッキになりそう。

 

 展示会場、ニンテンドーのグッズ売り場前だ。着せ替えモンチッチが壁面に300体も。 それはそれは~のモンチッチだ。生まれは東京葛飾区、寅さん同郷。有名になって葛飾観光大使に。縁結びの浅草・今戸神社は絵馬あり、モンチッチ神社兼ねている。モンはモンキーでなく、フランス語で私の~。チッチは日本語でちっちゃい。日仏造語のモンチッチとか。その50年の年譜は、海外進出、結婚、双子誕生など…、いまや株式会社「モンチッチ」!。

 

 ※ 京都高島屋のモンチッチ展は4月29日まで。

 

 

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2024年4月26日 (金)

居酒屋は甲賀流隠れ家

Img_1453_20240423082901Img_1457Img_1455Img_1446_20240423082801Img_1450_20240423082901Img_1444Img_1447Img_1449Img_1454 ドロン、ドロン…伊賀流はいかん。甲賀流はこうや~と出た。地下鉄東山駅を上がって古川町商店街の三条通り入り口。いつ店開きしたのか、「立呑・甲賀流隠れ家」。隠れ家にしては、白い暖簾と白い提灯がよく目立つ。店は昼間は開いたり閉まったり、ドロン、ドロン…。

 

 何が気になるか、看板メニューのマッタケが気になる。マッタケご飯、焼きマッタケ、マッタケうどん…。いまはタケノコやのに、入って座れば、ちょっとマッタケ?。なにしろ、そこは甲賀流か。夜中心の居酒屋だけど、週になんどか、昼間に開いて、そのおり初めて入って、手裏剣シュシュと黒板メニュー。メーンのマッタケは値段相談、ちょっとマッタケ?。

 

 黒板メニューは甲賀流の書き込み。マッタケ入り、すき焼きにしゃぶしゃぶ。一品でアジフライ。カツオの刺身、海鮮サラダ。どれもこれも甲賀流で、近江牛のステーキも甲賀流。週に二度、昼からアランドロン?の板さん、何を注文しても素早い。初めての、この際とステーキに刺身に海老フライと注文したら、ドロン、ドロンと出る。板さんサービス、ちょっとマッタケと、マッタケご飯が出た。土産には振りかけマッタケ…。甲賀流はマッタケメニューに効果あり?。

 

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2024年4月25日 (木)

開園100年、ボタン100種

Img_1801Img_1797_20240422075301Img_1806Img_1747_20240422075201Img_1807Img_1823_20240422080201Img_1800_20240422075601Img_1818Img_1816_20240422075701Img_1819_20240422075701 Img_1828_20240422080101Img_1808Img_1836_20240422080301 似合うのかどうか、大根にボタン…。京都府立植物園100年記念で、島根県松江、中海に浮かぶ大根島からお祝いで、島で育つ100種150鉢のボタンが来た。展示最終日は雨降る日曜日だったが、見ておかねば~と傘差し行った。花はボタン、雨はボトン、ボトン…。

 

 ボタン展の記事が載った京都新聞・京日記によると、植物園と松江大根島牡丹協議会は前から親交があって~という。そう言えば、ビニールハウス特設で開催する「早春の草花展」で、毎年、正月に咲かせた大根島の鉢植えボタンを見ている。今回は、植物園の開園100年に合わせて100種という。「花の王者」、立てば芍薬座れば牡丹、見る目はトロン…。

 

 植物園は最近、シカか出て、いっとき休園している。園内のあちこちに注意の貼り紙。「シカを見たらシカって下さい」かなと、読んだら「近づかず事務所へ通報して」。ボタン展は植物園会館の中。雨降りで鑑賞者が少ない。担当者は~今日が一番、よく開いているんですけどねえ~と。鑑賞、贅沢な独占になった。どんな種類が、名前を点検しながらみた。島根の輝き、島大臣…なるほど。花魁、七福神、黄冠…なるほど、なるほど~花は名を表す?。

 

 ※ 開園100年記念ボタン展は4月21日で終了。 ※ 中海の大根島は神奈川・江田島くらいの大きさで。本来の「蜛蝫(たこ)島」が、当て字で「太根」さらに「大根」に。

 

 

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2024年4月24日 (水)

種麹(たねこうじ)のお店

Img_1541 Img_1550 Img_1534 Img_1537 Img_1538 Img_1540 Img_1531 Img_1535_20240421074101 Img_1551 ここだ、ここだ、ヤッパリ、ここだったんだ。山形・高畠町の米鶴酒造の杜氏・須貝智さんが京都の地酒試飲会へ来て話していた種麹(たねこうじ)の老舗店、ここだ。米麹の元の種麹は、京都が始まりで、全国でいまは7店舗しかない。その一つと話していた店がここだ。

 

 江戸時代から360年の種麹屋さんで、店名は「菱六もやし」。空也上人創建、六波羅蜜寺の近くというより、よく行く町中華「六波羅飯店」のお向かいさんだ。古そうな店やし「もやし」って、野菜かなあ~、それにしても甘酒も販売しているし~酒絡みかなあ~と店前通って思っていた。須貝さんの話が世間を騒がせた紅麹から種麹へ移って、この店が出て来た。

 

 その時、店名まではだったが、六波羅蜜寺の近くと聞いて、勘が働いていた。その日から三日後、歩きに行った。扁額、古すぎてよく読めないけど右から左へ、「麹種もやし」のよう。調べると「もやし」は麹菌の形が似ていて「もやし」と言うらしい。味噌、醤油、酒…その元はみんな種麹なのだ。「菱六もやし」の種麹お得意さんは全国に2千軒とか。お店のぞくと、米麹パウダーに甘酒1本瓶も販売している。いやいや、知らぬとは申せ~であった。

 

 ※ 米麹パウダーは出汁巻き、焼肉などふりかけ調味にいいとか。甘酒瓶はアルコールなしで、健康によしの総合飲料とか。

 

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2024年4月23日 (火)

外国人観光、街角百態

Img_1573_20240419080901Img_1690_20240421075201Img_1506_20240419080601Img_1552Img_1855_20240423061601Img_1412_20240419080101Img_1345_20240419080201Img_1555Img_1564_20240419080701Img_1605 Img_1425_20240419080001Img_1608_20240423062601Img_1562_20240419080701Img_1670_20240423062201 繁華街で信号待ちしていたら~だ。右も左も外国人観光客…、米国人かな、いや、欧州からかな。前は日本人、いやちがう。台湾、韓国、中国…。いったい、ここはどこなんや~、まちがいない、ここは日本、京都や。歩いて出あう皆さん外国人、その街角百態を撮った。

 

 その一枚は町のうどん屋さん。ご夫妻の男性、うどんをレンゲに乗せて、箸でスルスル…、出汁もレンゲで一杯、二杯…、ラーメンやないうどんやけどなあ。湖魚店前、若い外国人男性。蒲焼き一枚テークアウト、どこでどう食べる?。ミニ餃子店前、並んでいるのは外国人ばかり。なんでや。路上座り込み3人、カツオ、梅か、昆布か、三角おにぎり頬張っている。

 

 歩き、鴨川堤が多い。金閣、嵐山など避けた独自路線だろうか。半パンツウオーク…日常化しているような。河原でヒゲの男性ひとり。川見つめ読書。覗いたら横文字びっしり。哲学書、ニーチェの親族、ドイツ人?。sushi、お絵描き、自転車、団体ツアー…、みなさん、どこの国からだろう。~What country are you from?~。3月訪日の外国人観光客300万人。単月で過去最高という。インバウンドからオーバーツーリズム、その先は??。

 

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2024年4月22日 (月)

京都御苑のサトザクラ

Img_1626 Img_1620 Img_1627_20240420075701 Img_1630 Img_1632 Img_1634 Img_1635_20240420080901 Img_1637 Img_1638_20240420080901 Img_1641 Img_1645_20240420080201 もう初夏が来ている。歩くのに気持ちいい。春のサクラもまだ少し残っている。足の弾みにリズムがつく。一日どうウオークするか、足任せがクセになっている。近場なら都会のオアシス、京都御苑。なんせ樹木は5万本、ベンチは存分、どこからも入門可だ。裏口はない。

 

 空がもやった大陸の黄砂が去って、空の青さが戻った日。鴨川の納涼床の組み立てが始まった日。いつもの昼からぶらり。本屋さんで買った弱虫ペダルの漫画絵の布袋にベンチ読みの街道を行く1冊、青森編と、お~いお茶のペットポトル。その一服先で、入門したのが京都御苑。元の勤め先に近い烏丸丸太町側の間之町口。近くの上村松園さん居宅も知っている。

 

 公卿邸宅跡復元して、環境省事務所も入る閑院宮前のベンチ。腰掛けて見上げた樹木、若い緑が瑞々しい。クスノキ、カツラ、ムク…みんな新芽だ。初夏?、しょうか~と洒落てしまう。御苑内北へ行って、下立売あたり。サトザクラだ。モコモコして、フワフワして、ピンク満開だ。京都御苑、ずっ~となのに、出会いは初めて。花が重さで垂れている。芝地に、目の前に、幾本も…だ。~こんにちは、初めまして~。歩きの出会い、グッドの日だった。

 

 ※ 御苑サトザクラ見た日は4月19日。

 

 

 

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2024年4月21日 (日)

出土した江戸前期の下駄

Img_1473 Img_1465_20240418080601 Img_1467_20240418080701Img_1469 Img_1468 Img_1470 ガラスケースの中、土器と下駄が並んでいる。古い土器はときどき、ドキドキ?してみるが、古い下駄とは珍しい。武家か、町人か~誰が履いていたのか、江戸時代前期の下駄だいう。陳列、一つや二つではない。履き古して、捨てられたのか、沢山、沢山、出土して発見という。

 

 京都市地下鉄烏丸御池駅、改札口へ降りる構内の東側だ。烏丸線と東西線の乗り継ぎ駅、乗降客は多い。自宅ある山科、行くも帰るも、よく利用している。ガラスケースは烏丸線を通したおり、事前の埋蔵文化財の発掘調査で出て来た遺物展示だ。「烏丸線の文化財」~粋なタイトルがついている。その中の下駄だ。いつも通り抜けるのにあっしの足がとまった。

 

 地下鉄の前の市電変電所のひとつ、姉小路通り車屋町の敷地から出て来た土器と下駄。江戸前期のゴミ捨て場では~と。江戸前期と言えば、家康から5代将軍綱吉の1700年の頃。草履に代わって下駄が日常化してきた時代。展示の下駄、大きいのや、小さい子どものや。並べきれない分は写真がある。「これほど大量の下駄の発見、極めて珍しく貴重」という。地下鉄工事で、眠りから覚めた300年前の下駄、カランコロンとよう出た、よう出た。

 

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2024年4月20日 (土)

色づく「イカ明太丼」

Img_1316 Img_1315 Img_1318_20240417073201 Img_1323_20240417073301 Img_1324_20240417073301 Img_1319 からし和えにした菜の花で「春丼」とは。なんともええネーミング。こっちはナニ?。「イカ明太丼」。青いオクラに黄色い錦糸も入れて、イカの白、明太子のピンクか。いや、絵画世界みたいな丼や。ふわとろが命という定番の親子丼もあるし、さてさて、どれにするかだ。

 

 端っこにあっても「なか卯」。牛若弁慶像のある五条大橋から西へ、河原町五条北東かど。昼は何にするか~と五条坂でバス降りて、陶器屋さん並ぶ五条通りをぶらり、ぶらり。弁慶うどん、ラーメン藤、からあげ専門店、魚屋さんの立ち食い…、どこか、どこかと歩いているうち、むかしはコーヒー一服でよく入った「なか卯」。マンボはウー?、お腹はグー?。

 

 店前、ポスターがいろいろ。どう選ぶか。値段か、好物か、旬か、彩りか。これかな、いや、あれかなと思案六法。いろいろ、えろえろと悩んで、見た目の美しい「イカ明太丼」に決定!。値段は並590円。自販購入、呼び出し番号は48番。男は黙って?アナウンス待ち…。「48番のお客さま」で窓口トレー受け取り、テーブルへ。真ん中にイクラでないオクラ、周りは明太で色気づいたイカ。味の方はいかが?で、いや、如何にも、いかしている。

 

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2024年4月19日 (金)

阪神第8代監督、岸一郎って?

Img_0886 Img_0887_20240416073001 Img_0888 Img_0889_20240416073001 手元に一冊の本がある。「虎の血~阪神タイガース、謎の老人監督」。本の帯、その紹介が凄い。~プロ野球経験なしのジイさんが指揮官って、なんでやねん~。「とめたバットでツーベース」などのノンフィクション作家、村瀬秀信さんが調べ抜いて書いた本である。

 

 阪神第8代監督の岸一郎さん、ご存知だろうか。阪神の歴代監督、牛若丸こと吉田義男なら、熱血監督・星野仙一なら、もちろん、アレの岡田彰布なら~だけど、岸一郎って監督いたのかな?である。それが在籍わずか半年とはいえ、まちがいない。恰幅よく縦じまのユニホーム、甲子園で写っている。朝日新聞の書評紹介で知って、ファンとしては~で読んだ。

 

 北陸新幹線、金沢から延伸の福井・敦賀の出身。元監督の松木謙治郎、ヒゲ辻の辻佳紀捕手が敦賀で、阪神ファンが多い町なのに尋ね歩いて、町の人が首をひねる~と書き出す。戦前、早大の左腕、満鉄野球部のスター選手で、戦後、敦賀で農業暮らし。阪神電鉄・野田オーナーにタイガース改革の書簡を出し、1955年に60歳で監督就任だった。ライバル巨人に9連敗、チーム内不協和音…シーズン中、痔痛で辞任…。その本、全318頁は波乱に富んでいた。

 

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2024年4月18日 (木)

上戸、下戸…中戸?

Img_1064 Img_1065_20240415074301 Img_1066_20240415074301 Img_1068 Img_1069 Img_1071_20240415074301 Img_1078_20240415074701 Img_1083_20240415074801 お酒が大好きな上戸、まるで飲めない下戸。そんなに飲めず、しかし、飲めなくはない中戸?。その中戸だけど、山形からお酒の品評会で金賞なんどもという酒蔵の杜氏さんが京都へ来て、ミニ講演付き飲み会に誘われて行った。中戸、どう飲むか、そこが難しい。

 

 場所は四条新町上って、ちょっと横丁へ入った市川ワインバー。群馬出身のご主人、昼間は奥で美容院という二刀流。杜氏さんは山形県高畠町、300年続く米鶴酒造の常務でもある須貝智さん。平成10年当時から酒づくりの杜氏。高畠町は山形県の南東、上杉藩の米沢隣で福島県にも近い。どういうご縁か、コロナ前から市川ワインバーで飲み会がある。

 

 参加は愛飲家ご夫妻、お医者さんら上戸の皆さんと中戸のひとり。テーブルに須貝仕込みの銘酒が並ぶ。今はやりの720ℓの4合瓶。米鶴酒造イチオシの巨匠、亀の尾、三十四号、雪女神…。グラスお猪口の乾杯で始まり、この酒は~の須貝トークに含蓄がある。みなさん、お酒がすすむ。中戸は控えめ、アテがいい。須貝さん土産、山形名物の玉こん。好物、何より素晴らしい。「上戸は毒を知らず下戸は薬を知らず」。中戸は飲み方知らず?。

 

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2024年4月17日 (水)

能登川のシンボルは水車

Img_1197_20240414084201 Img_1115 Img_1121_20240414084601 Img_1120 Img_1116_20240414084901 あっ、あれや、あれ…、水車、水車、やっぱり大きい。遠くからでも、よう見える。耳をすましてどうかな。コトコトコットン、コトコトコットン…聞こえるかな。ここ、ここ…、これが直径13㍍、関西で一番大きい水車や。前から会いたかった水車、下から見上げた。

 

 合併で滋賀県東近江市になった能登川町のシンボル水車。水辺の景観で日本遺産になった伊庭内湖の中だ。琵琶湖の内湖40、そのうちで、一番大きかった大中の湖の干拓地を見に行き、その東側だった。地元に住む知人マイカーで、干拓地をぐるり回ったおり見えた。停めてもらい、水車周りウオーク。国の1億円ふるさと創生事業、33年前に復元という。

 

 湖東、能登川町は清流の町。大小の水車が江戸から明治にかけ、精米、製粉などで小屋や水辺の家に30近く活躍、かつて「水車の町」と言われた。時代の変せんで一つまた一つと消え、昭和36年にずべてなくなる。復元はその当時のメモリアル。伊庭内湖をカヌーランドで公園化、芝地に立つ。♪~コトコトコットン、コトコトコットン…ファミレドシドレミファ…耳をすまして、お聞きなさい~♪。復元の水車は回らないのに「仕事に励みましょ!」。

 

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2024年4月16日 (火)

「仮睡」~私は誰でしょう!

Img_1032 Img_1039_20240413075401 Img_1035_20240413075301 Img_1036_20240413075401 Img_1046 着物姿のまま、頭を文机に傾けて、眠っている女性は誰なのだろう。花鳥画の文化勲章作家、上村松篁さんが、画学生の終わり、卒業制作で描いた一枚である。題名は「仮睡」。仕事疲れのひと休み、うたたねか。大正10年(1921)、おおかた100年以上前の作品だ。

 

 京都市立芸大移転記念の特別展のひとつ。「美工、絵専時代の上村松篁~若き日の異色作をめぐって」と題している。昨年10月、市立芸大は洛西からJR京都駅から東へ歩いて5分の所へ越してきた。陸橋、いつも長い列の人気ラーメン店の向かい。まあ、歩きコース、学内展があるなら、すぐ行ける。松篁さん展はC棟6階のアートスペース、EVで上がった。

 

 ガラスケースの中、松篁さん卒業時の「春立つ頃」など、既にして花鳥画の絵才溢れる作品とともに松篁さんには珍しい人物画「仮睡」だ。描かれた女性は誰~とクイズのような問いかけが出ている。女性初の文化勲章作家で、松篁さんの母、松園さん47歳ころか、それとも画学校のモデルさんか。口元、目鼻立ち、松園さんに似ているとも言われるが、100年も前、資料はないという。「私は誰でしょう?」のなぞ解きもまた、芸大の課題のようだ。

 

 ※ 上村松篁(1902-2001)。 ※ 市芸大移転記念展はC棟1階、芸術資料館で4期に分け、来年2月まで開催。松篁さん作品展はその関連で6月2日まで。

 

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2024年4月15日 (月)

きつねうどん

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 本によると、剣客小説、食通の池波正太郎が京都のきつねうどんの出汁を絶賛している。ほんにそうか~と、改めて、地元京都のきつねうどん。甘い揚げが一枚か二枚、ネギ入り。店によって蒲鉾一枚。400円から500円。それをそばにすると、ネギは同じだが、揚げが短冊刻みになる。出汁は薄く、爽やか、ええ味している。今さらながら、なるほどうまい。

 

 東京のうどんは出汁がドド黒い。京都の薄い出汁を知ったら、とても、とても…。京都のきつね!は、うどんも、そばもあるが、大阪できつね!と注文すると、うどんと決まっているらしい。そばはそばにない?。うどんをうろん、きつねをけつね~とも言うらしい。たぬきは、京都はあんかけ、すり生姜。ほかでは天かすのハイカラとか。まあ、あっちこっち、きつねもたぬきも、ところ変われば品変わるで、よく化ける。ポイントは汁を知ることか。

 

 

 

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2024年4月14日 (日)

御堂筋は彫刻の道

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 ♪~あの人もこの人もそぞろ歩く~♪でヒットした大阪ラプソディー。その1番は御堂筋は恋の道だけど、彫刻ストリートでもある。難波から梅田へ4㌔、イチョウ並木の広い歩道を歩くと、国内外で著名な作家さんの作品が29体も出て来る。考える人のロダン、智恵子抄の高村光太郎、好きな佐藤忠良など、戦後の大阪、彫刻芸術で復活と始まったという。

 

 彫刻は、女、女と登場して、また女性。いとはんの船場で、イスに腰掛け、人待ち顔の女性像。作品名は「ジル」。上海帰りのリル?。いや、ジル。作家は朝倉響子さん。どのあたりで見たか、印象派、ルノワールは「ヴェールをもつヴィーナス」。晩年、眼を悪くしての彫刻と。見惚れる女性像は舟越保武、文化勲章・中村晋也は「姉妹」…。まだしまい?でない御堂筋、彫刻の道。「座る婦人像」「休憩する女流彫刻家」…、女性像が多いのはなぜだ。やはり、恋の道?。

 

 

 

 

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2024年4月13日 (土)

サクラの記憶、パソコンの中

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 早咲きカンピサクラ、三条大橋西南の弥二さん喜多さん像から始まっている。3月の始めだった。堀川通り、一条戻り橋で河津桜も見事だった。建仁寺境内で、ここもカンピサクラ。メジロが来て、小枝が揺れて騒がしかった。二条城のソメイヨシノの開花宣言は3月28日、だいぶ遅かった。京都御苑は近衛邸のイトザクラの垂れ下がり、芝地でヤマザクラも見た。

 

 歩いて、歩いて、サクラまたサクラ。パソコンクリック、出て来る、出て来る。♪~花も咲きます…1週間に十日こい…トコトントコトン~♪と撮っている。シダレザクラ名物の円山公園で、宴会ザクラ。国道1号の五条通、ピンク濃い陽光ザクラ。寺町の本満寺ででっかい一本桜。岡崎公園で疎水と大鳥居が映える。鴨川の堤は、ユキヤナギ、マンサクの競演。桜のトンネルは高野川の堤。その名残りのサクラ。良寛さんは~散るサクラ残るサクラも散るサクラ~と詠む。また、来年よろしく。

 

 

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2024年4月12日 (金)

人気プリン、芭蕉碑、ミャクミャク像…

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 難波・高島屋の美術画廊を見ての帰り。天気よし、久々の御堂筋ウオーク、梅田までは4㌔、春らんらん。南海電鉄前は難波広場、ニンテンドーのジャンボ象、定番の洒落で鼻が長いゾー。賑わい一番は道頓堀。グリコとカニ。それに、阪神ファン飛び込みの川。ごめんやっしゃ、すんまへんなあと、歩き抜けて大丸の心斎橋へ。御堂筋、南行6車線、歩道も広い。

 

 クスリの道修町、一服どうしょう?ドトールコーヒー。鏡に誰や写ってる?。わいや、わいやがな。ホテルの中にお寺、時代やなあ。北御堂、芭蕉終焉の地石碑。最後の句は「旅に病んで~」。歩きに病むことはなくても、ほどほどや。おもちゃの店がある。TOI。帰りの京都までとおい?。マンホールは大阪城と桜。造幣局通り抜け満開や。淀屋橋、大阪市役所の玄関前、万博のミャクミャク像が寝そべってる。ここは堂島、この先、どうしまっ?。

 

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2024年4月11日 (木)

ちょこっとバスで大中干拓地へ

Img_0491_20240408073801 Img_0490_20240408073801 Img_0476_20240408073801 Img_0517_20240408073901 Img_0521 Img_0527 Img_0534_20240408074701 Img_0536 Img_0535 Img_0548 Img_0555 Img_0551 どうちょこっとなのか、JR琵琶湖線能登川駅の西口から「ちょこっとバス」に乗った。琵琶湖岸、終点の大中行き。ちょこっとは、乗る距離か、料金か、バスの大きさか~、乗客が2人、ちょこっとだった。ちょこっとずつ停留所16カ所、料金はどこまでも200円。

 

 八日市が中心の東近江市に合併するまでは神崎郡だった能登川町。農地化して60年余り、大中の湖干拓地を見たくて行った。琵琶湖の内湖は40余り、その中で一番大きかった大中の湖。ちょこっとバスの後部座席。農地、畑地になり、内湖がすっかりナイコ?になった町を車窓から見た。山路、乙女浜、福堂、粟見…初めての集落を知って、大中で降りた。

 

 帰りは道路になった昔の堤防を歩いた。スマホマップで、駅まで1時間18分と出た。♪~知らない町を歩きたい、どこか遠くへ行きたい~♪。干拓記念碑、新田配水場、神社などあり、遠くに信長が天下布武の城を築いた安土山が見える。琵琶湖へ流れる川は大同川。モロコが釣れる。干拓で碁盤目になった農地…、首だげ出た青首大根、戦時中のような米テープのガラス、高齢化注意の飛び出し老人…。アイドントノット?能登川、ちょこっと知った。

 

 

 

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2024年4月10日 (水)

連歌師宗祇は「近江の人」

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 JR能登川駅西口を出て、西へ歩いて5,6分、林中公園入り口。台座の上、白馬に乗って、笠をかぶり、白髭たくわえた胴像、銘板に「宗祇法師・帰郷旅姿」と印されている。近くの東近江市能登川支所へ尋ね事で行く途中の出会い。一日歩いて帰り、こんどは能登川図書館前の入り口に顕彰碑も。肘をかけ、団扇を持って、寛いだ様子の宗祇像が描かれている。

 

 宗祇の出生地は、紀伊か、摂津か、近江か諸説あったが、広島大名誉教授・金子金治郎さんの研究で、書簡その他から宗祇は彼の父が近江守護の六角氏に仕えた武士だったことが明らかになったという。湖東の能登川は六角氏の守護地。能登川町にとって、宗祇は我が町の偉人としての像である。顕彰碑に宗祇の句集「ふるさとにて」から~かげ涼し 南のみ山 北の海」。575の発句、意図組み77。その繰り返しの連歌、終いの挙句へ、果てしない?。

 

 ※ 宗祇(1421-1502) 全国を回り、西行、芭蕉と並ぶ日本三大漂泊歌人。 ※ 連歌は、五・七・五の発句に別の者が七・七の脇句をつけて、また別の者が五・七・五と続ける文芸。最後の句まで百韻繋ぐのが一

 

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2024年4月 9日 (火)

飛び出し坊や50年展

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 黒い目クリクリ、よ~いドン~坊やは、滋賀県東近江市の発祥。1973年、東近江市の八日市社会福祉協議会が子どもの交通事故対策で、地元の看板やさん・久田泰平に発注して、生まれた。子どもの形の繰り抜き看板、あちこちの角っこ、注意喚起で立ち並んでいるのをイラストレーター・みうらじゅんさんが見て、「飛び出し坊や」と名づけ、有名になった。

 

 記念展開催は東近江市能登川博物館。JR能登川駅西口から歩いて5分。図書館と一緒になっており、地元の干拓地調べで入って、偶然の観賞だった。TVのニュースで開催は知っていたが、会場がここだったとは~。坊や50年の歩み、成人式坊や、三方よし近江商人坊や、ジャズ坊や、飛んで埼玉映画出演の坊や、近江米坊や、50年記念の顔出しぼうや…、展示会場は二つ、坊や、坊やしている。たまには♪~ぼうや!よいこだ、ねんねしな~♪?。

 

 ※ 開催は5月5日まで。

 

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2024年4月 8日 (月)

「桜満載展」

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 正面の大きなガラスに画家の名前と「Merry・Cherry・Blossom」。町家を改修して開廊して3年目。東京、大阪、パリに次いで京都。オーナーはこの作家はいいと目利きする為永清嗣さん(59)。桜満載展は朝日新聞京都版に載って、紙面の中で為永さんは「作家ごと桜イメージがちがう。こういう見方があるのかと視野が広がります」と述べている。

 

 安井曾太郎受賞、智内兄助さん。題名は桜源郷。天からピンクのサクラが降っているような。欧州の大コレクターが、この画家の絵を多数所蔵という。これが日本画と思わす菅原建彦さん。樹齢千年の神代桜との出会いで、古木の幹からでる限りない生命を描き続ける。作品に臥龍松、薄墨桜などある。今回は古木に桜で「春」。「だまし絵」の上手い山本大也さん。小枝と折り紙、本物貼ったか?と勘違いさす。みなさん~サイタサイタ、サクラ咲いた~と描いている。

 

 ※ 桜満載展は4月14日まで。

 

 

 

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2024年4月 7日 (日)

新たまねぎポン酢ステーキ

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 大津で14年前に初めて出来た立ち飲み屋さん、スタンド林屋である。大津勤務時代、開店当初から通い、いまも月に一度は京都山科から行く。店はJR大津駅から県庁方向へ1、2分足らず。店長はイメ面と言われ、自分でもそう言う林さん。料理学校、料理店などで修行して、30歳のおり、リーズナブルで粋な料理を~と起業して、ずっと、流行っている。

 

 そのメニュー、あれやこれやと変わる。いくたび、ずいぶん、出あってきた。直近で、新たまねぎのポン酢ステーキ。注文したら、ナイフとフォークも一緒に出て来た。ナフキンまでは~だが、ここはフレンチ店ではない。居酒屋である。ステーキ、肉系ばかりではない。直径15㌢の輪切り、フライパン炒め、厚切りで3枚、焦げ目がついて、ソースはポン酢…。淡路産の新タマだろうか。ナイフとフォークで1枚、2枚…、ここは居酒屋、まちがいない。

 

 

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2024年4月 6日 (土)

町中華、全メニュー制覇へ

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 飾り気なし、ここぞ、町中華の六波羅飯店。大和大路東入ルの松原通り、伝説の幽霊飴の向かい、空也上人が開祖の六波羅密寺から北へ100㍍の角っこだ。気に入って、去年暮れから歩きの流れでよく行く。注文は同じものにせず、店内の表示メニュー制覇を目指している。入るたび、空也上人ご縁、今日は、なに食うや?だ。なにを食うても1000円以内。

 

 三和土の土間にテーブル、壁と向き合うカウンター、店になれたら水はセルフ。経営は二代目で50年。味も、具も、客も、庶民だ。人気は唐揚げとカレーチャンポン。焼き餃子は6個、いきなりだと熱すぎる。この間、味噌ラーメンと一緒に注文して、舌がやけど。いま、やっとおさまった。カレーラーメンは、あんかけ、玉子とじふう。鉢がら汁がこぼれそう。細麺は中で塊り。ほぐしてほごして…。次は何にするか。炒飯キムチが気持ちよさそう?。

 

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2024年4月 5日 (金)

この花ナンダ?、ああ、そうなんだ!

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 この黄色い花はナンダで、春にまず咲くマンサク科の樹木。宮崎のヒュウガミズキに高知のトサミズキ。それにシナミズキも。花がなければ、スッと通り過ぎる樹木だ。春だけ、小さい花をつけている。草むらに壷みたいな青い小さいのはなんだろう。花札見て「ムスカリ・アルメニアク」というらしい。名前、ムスカシイが、ぴょこっ、ぴょこっと伸びて可愛い。

 

 赤いチュウリップは「ファンアイク」、黄色いスイセンは「アガパンサス」…品種名はいろいろ。島倉千代子は♪~人生いろいろ~♪。モクレンも品種多く、白く小ぶりなのは「メリルモグノリア」だというし、いろいろな品種名、まあ、その時だけ知って、チューリップや!スイセンや!、モクレンや!でいい。春は花と花の色の重なりもいい。白のユキヤナギ、赤のボケ、黄色のレンギョウ…、競演ぶりが写真になる。ゴッホがサクラに似ていると言ったアーモンド=左から5枚目=の花も咲く。

 

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2024年4月 4日 (木)

ピンク濃い国道ザクラ

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 国道も国道、お江戸・日本橋から大阪へ総距離270㌔のルート1号。神奈川、静岡などむかしの東海道、大津から京都へ入って、牛若・弁慶像の五条通り。中央分離帯、ピンクのサクラは烏丸通りの西、室町通りで咲いていた。京都におおかたいて、最近はよう歩いているのに、こんなところにサクラとは~である。交差点、信号が青になって、分離帯へ入った。

 

 いつから咲いていたのだろう。風吹くと、花びらが舞う。散り始めだ。ピンク色が鮮やかな花びら、カンヒサクラだろうか。それなら咲きようが釣り鐘、ラッパみたいだし、ちがう。そうや、この色は、カンヒサクラと天城吉野を掛け合わせた陽光サクラだ。戦後、愛媛の高岡正明さんが非戦、平和を願い、品種開発して全国に植樹した、そのサクラだ。日本の真ん中を縦貫、ビュンビュンと車が通り抜ける国道、そこで咲くサクラのピンク、ちょっと濃い。みんな来い?。

 

 ※ 写真撮りは4月1日。京都市内、陽光サクラは四条河原町北東かど、御池高倉北などでも咲く。

 

 

 

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2024年4月 3日 (水)

「チャイ」

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 JR、地下鉄、京阪、バスがある山科駅。京都の洛中洛外、大津のような。そこに複合商業施設ラクト。大丸が撤退して、代わり無印良品。地下にスーパー、1階に飲食コーナーなど。スペースひろく、木造りのテーブル席、カウンター席が並んで環境にやさしい。壁面、きのこなどモノクロ写真が、現代絵画か。本持ち込んで、ゆったりして「チャイ」がいい。

 

 コーヒー、紅茶と同じようにホットもアイスもある。健康献立のメニューもだが、スイーツもビールもあり、人それぞれ。「チャイ」は500円。カップは大きく、底もそこそこ深い。単独メニューで一度、二度目はアンクロとセット。アンクロとは餡入りのクロワッサン。チーズもあるが苦手だ。セットは660円。餡は口大きくあ~ん。本は読んでも読んでもの「街道をゆく」。今は秋田、読んで飽きたことはない。帰りバス時間来たら「チャイ」なら?。

 

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2024年4月 2日 (火)

ユキヤナギ群生

Img_0042_20240401082801 Img_0044_20240401082901 Img_0045 Img_0047_20240401082901 Img_0035_20240401082701 Img_0224 Img_0225 小さな、小さな5弁の白い花、細く低く枝垂れた枝に、どれほどつけているのだろう。近づいてみて、百や千どころでない。万以上はあって、とてもじゃないが、数え切れない。ザ・ホワイト。雪が降り積もったように白い。春、サクラの開花に合わせて咲くユキヤナギだ。

 

 植垣、公園…、いま、あちらこちらと見かけるが、群生なら鴨川の河原堤だ。その一番は出町柳の三角州。高野川の河合橋と並んで、まだ名前が加茂川の出町橋左岸だ。バラ科の落葉低木。高さは2㍍少しだが、ここでの長さは10㍍以上。橋を渡る前、上から眺め、いまが見ごろだ。その北側の上賀茂橋へ向かう堤も群れ咲きして、ユキヤナギ名所になっている。

 

 京都新聞社会面4コマ漫画の隣、この場所の群生がカラー写真で載った。見出しは「純白のクッション」。満開のサクラは毎年だが、ユキヤナギ掲載は珍しい。植物園は北山門入って、西側でも群生している=写真後ろ2枚=。背丈が1㍍ほどと低く、白い道を分け入るように歩くのが気持ちいい。ユキヤナギは関東以西、秋田、青森などは咲かない。雪国の東北では、雪との見分けがややこしく、遠慮しているからだろうか。その花言葉は「殊勝」。

 

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2024年4月 1日 (月)

アニマル園長はエミュー

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 選挙の結果、辰年のことし、京都市動物園の第9代アニマル園長に決まった。立候補は園が推薦したカメ、トカゲ、ヤモリなど、空想上の動物・辰イメージの6候補。エミューは有効投票4691票のうち、1143票を集め、954票で2位のトカゲを突き放しトップ当選だった。彼岸明け開票、スマホ検索で確認して、喜びの表情?はどんなだろうと見に行った。

 

 琵琶湖疎水記念館の隣、いつもの通り抜け、東入り口から入って、エミューの檻はすぐ近くだ。檻はタンチョウツルとクジャクに向かいあっている。金網に囲われ、広さは10㍍以上ある。名古屋動物園で2014年4月18日生まれ、7年前に京都市動物園に移住して、もうじき10歳のオス。名前は、漢字で豪、片仮名でゴウ。当選祝いの記念写真、檻の前でデジカメ向けた。ゴウさん、あっちへこっちへ、ゴー、ゴー。慣れない園長業務、照れくさそうだ?。

 

 

 

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