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2024年3月

2024年3月31日 (日)

「休眠打破」のサクラ

Img_9208 Img_9206 Img_9216 Img_9220_20240330075801 Img_9219 Img_9235 Img_9238_20240330075901 Img_9239 来た、来た、やっと春が来た。遅かったけど、サクラの春が来た。日々の歩き、どこでサクラを見るか。円山公園、まだちょっと早いかな。植物園、鴨川堤防…、そこもいいけど、まずは京都御苑だ。近衛邸跡の枝垂れ。ふんわり、大きく開く一番咲きのイトザクラがいい。

 

 それにしても、雨もよう降り、開花宣言はだいぶ遅れた。それでも二条城ソメイヨシノの標本木、近畿で一番だった。いっぺんに7、8輪も開いた。いつもは東京・霞が関のサクラが先に咲くのに今年はここも、この10年で一番おそく、そのせいで京都と同じ日の開花宣言。いま全国で開花が相次ぐが、東京と京都が同時咲きは、ひょっとして史上初めてだろうか。

 

 御苑は寺町広小路、梨木神社から入った。和風迎賓館南側の芝地、パッと明るく、ハクモクレンが満開だ。紫色のモクレンはまだ蕾、これからだ。京都御所の東側で、花と葉が同時に出るヤマザクラ。いつもはソメイヨシノの後からなのにもう咲いている。ことしは何か変だ。北へ行って、今出川通り側、人だかりがして、意図したとおり、イトザクラだ。薄いの、濃いの~と咲いている。松の緑と芝生、輝く陽光と青い空…、「休眠打破」でサクラが目覚めている。

 

 ※ 京都の開花宣言は3月29日。 ※ 「休眠打破」ーサクラが冬の寒さを破って眠りか覚める様子。

 

 

 

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2024年3月30日 (土)

新聞1面とともに顔サラダ

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 短歌革新の俵万智さんの代表作はサラダ記念日。~「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日~。こちらの一句は~「この顔いいね」と誰も言わず、自分でほめて、毎朝がサラダ記念日~。顔は季節ごと変わって、冬から春へミカン。変化技で、たまにスーパーで買った細巻きの穴キュウ。モロコの甘露煮、チリ産ブドウなど使うこともある。

 

 その顔サラダと朝刊一面の組み合わせ。日銀がマイナス金利解除の朝刊、顔サラダはブドウの眼が飛び出している。驚いたんかな。110年ぶり、新入幕優勝は尊富士。「たけるふじ」―読み方も、優勝も、記憶に残った。出身は青森・五所川原。秋田の能代から日本海沿い五能線の終着駅、20年前の一人旅思い出すなあ。自民安倍派裏金、モスクワのテロ、北陸新幹線が敦賀延伸…、朝のニュースは、顔サラダとともにグッドもバッドもモーニング?。

 

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2024年3月29日 (金)

ピンクのユキヤナギ

Img_9052 Img_9051_20240327071901 Img_9053 Img_9054 Img_9055_20240327072001 釣り竿のように細く枝垂れて、淡い色の小さな花をつけている。春に白い小花を溢れる如く咲かす、あのユキヤナギに似ているけど、なんだろう。わからない時は、いつものスマホ・グーグルレンズ。その花にかざしてみたら~である。なんと「ピンクユキヤナギ」と出た。

 

 山科駅前、JRから京阪の踏切こえて、バスターミナル前の植垣だ。よく手入れされていて、春夏秋冬、季節の花が咲き出す。一日の歩き帰りのバス待ち、気にして通りがかって見ているのに、初めてだ。つぼみがピンクで、花が開くと外側が淡く、内側が白く、ハデハデしくなく優しい色あい。花びらは小さく5弁、サクラのようでもあり、可愛い花だ。

 

 去年、真っ白に咲いたユキヤナギが秋に茶けて紅葉すると知った。これも、鴨川を歩いて、グーグルレンズのおかげだった。いらい、ユキヤナギは歩き発見のお気に入り。植物園、出町柳、鴨川…どこにあるか知っている。いま、白い花がだいぶ増えて来ている。初めて知ったピンクユキヤナギは園芸品種という。別名ではフジノユキヤナギ、ほかに黄色く咲くオウゴンユキヤナギもあるらしい。バラ科シモツケ属だ。山科で見た淡いピンク色、もう忘れない。

 

 

 

 

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2024年3月28日 (木)

「ヤッパリ、紙の本」は???

Img_8750Img_8751_20240325080701Img_8752_20240325080801Img_8996Img_8755_20240325080801Img_8756_20240325080801Img_8757_20240325080801  「ヤッパリ、紙の本」は「ネットの時代」にやっぱり、負けたのか。ぶら歩き、ふらっと書店へ入るのが好きだったのに~。JR山科駅前、複合商業ビル・ラクト4階の山科書店が今月いっぱいで閉店。表通りのウインドー、「ヤッパリ、紙の本」の書が泣いている。

 

 「やっぱり」。その意味、スマホで検索せず、書棚の旺文社・国語辞典第9版で引いた。①もとのままである様②思った通り。案の定③なんだかんだ言っても結局―と出た。「ヤッパリ、紙の本」は、①であった欲しかったが、②③にあてはまる。閉店が今月半ば、京都新聞の市民版で記事になった。~「紙の本」推しも経営厳しく限界~の見出しが大きく目にく。

 

 書店はビルと同時開店して26年、100坪、3万冊、地元に馴染みだ。記事には本離れで客足遠く~など閉店の理由が書かれていた。書家畠中幸代さんの「ヤッパリ、紙の本」の筆をショーウインドウで見て、4階へ上がった。地下の無印良品には買い物客多いが、広い書店はがらっとしている。「3月31日をもって~」の閉店のお知らせが寂しい。3月、河原町三条近くの古書店「大学堂」も100年の歴史を閉じている。「ヤッパリ~」が悲しい。

 

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2024年3月27日 (水)

~子どもは大人が忘れていたものを描く~

Img_8920_20240324085401 Img_8923_20240324085501 Img_8927_20240324085901 Img_8926 Img_8925 Img_8933_20240324090001 Img_8934_20240324090101 Img_8917_20240324085401 Img_8918 Img_8922_20240324085501 Img_8931 Img_8919  フロアに工作作品、壁面と衝立に水彩、油絵…まるで、おしくらまんじゅう、足の踏み場もない。今年で69回目という児童作品展。ぶら歩きの途中、展示会場の京都市美別館へ入った。作品、どれも思い思い、子どもの感性、見たまま感じたまま。見歩いて、何とも楽しい。

 

 年少さん、年長さん、それに中学生。京都市北区にアトリエがある京都上京児童美術研究所に通う子どもたちの作品だ。市美別館の展覧会、二三年前にもぐうぜん知って見ている。主催者は「子どもには大人に見えないものが見える。子どもには大人に描けないものが描ける」と紹介する。大人が忘れていた素直な感じ方、そんな子どもの作品があふれている。

 

 歯磨きの自画像。上を向いて、青いブラシで歯をゴシゴシ。その無心さがよく出ていている。こっちはお母さんかな。口紅、ほお化粧は紫色、眉毛と髪の毛は茶色…感じたままの色だ。アトリエで模写した作品だろうか。長い髪はクリムトの女の三世代、ダビンチのモナリザ、ピカソの二つの顔…、子どもの感じ方で描いている。大人はいろんな観念に邪魔されるのか、どこか人の目を気にする。子どもは天真爛漫、それがそのまま作品になっている。いいね、うまいね!。

 

 ※ 第69回児童作品展は3月24日で終了。京都市上京児童美術研究所は昭和54年に私設開設。

 

 

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2024年3月26日 (火)

東福寺の「塔頭」

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 釈迦をしのぶ涅槃会(ねはんえ)の東福寺。本堂に縦11㍍、横6㍍の巨大な涅槃図が掛かり、無料の特別公開と新聞で知って行った。東山の第一日赤あたりから歩き入って、本堂までの道筋、塔頭また塔頭である。退耕院は安国寺恵瓊のお寺、ここで恵瓊と三成らが関ヶ原の戦いを謀議という。明暗寺は、尺八の根本道場。雲龍院は九山八海の庭園があるという。

 

 藤原道長が由緒の同聚院、手水前の不動明王像が怖そう。芬陀院は雪舟の庭がある。八重の桔梗が咲く天徳院。駒札よく読むと、大坂冬の陣、方広寺の鐘に「国家安康・君臣豊楽」と撰文した清韓僧正のお寺と知った。即定院、龍吟院、大機院…どの塔頭も駒札で知識が膨らむ。本山では、紅葉の通天教、国宝の三門、本堂天井は堂本印象の蒼龍図…、ねはんサービスで甘茶。猫もいる珍しい涅槃図は写真不可、ポストカード買って、猫はどこ?と見た。

 

 ※ 東福寺涅槃会は3月14日から3日間開催。

 

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2024年3月25日 (月)

丸善で、梶井基次郎「檸檬忌」

Img_8856 Img_8855_20240322072501 Img_8857 Img_8852_20240322072101 Img_8861_20240322072501 Th_sub21 Img_8865 積み重ねた画集の上に置かれた黄色い檸檬、どうなったのだろう。ずっとそのままか、ひょっとして爆発したのか。梶井基次郎と言えば、短編「檸檬」。その舞台は京都の書店「丸善」。肺病だった梶井は31歳の若さ逝った。きのう3月24日、梶井「檸檬忌」だった。

 

 河原町ぶらり宣言が出ている商店街、三条下がって、ちょっと粋な商業ビルBAL。その地下1階と2階がジュンク堂書店の経営する新しい「丸善」。坂本龍馬が刺殺された近江屋の斜向かい、ぶらりよく行く。復活開店いらい、梶井「檸檬」は新潮社の文庫本で、どこかのコーナー、本物のレモン付きで平積み。爆発恐れず、だいぶ前に買い、書棚に置いている。

 

 書き出しは「えたいの知れない不吉な塊りが…」だ。最後のページは「丸善が美術の棚を中心として大爆発するのだったらどんなに面白いだろう」と書き、その想像を熱心に追及したという。3月24日檸檬忌の3日ほど前、丸善へ行ったら地下2階に特別コーナーがあった。丸善オリジナルの缶バッジ、檸檬スイーツ、全集に梶井の生前の写真など。レモンも下にそっとあった。著作は大正14年(1975)。間もなく100年記念、爆発どうだろう?。

 

 ※ 梶井基次郎(1901-1932)大阪生まれ。京都三高卒、東大中退。檸檬は京都の下宿時代を書く。湯河原で療養、大阪で逝去。

 

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2024年3月24日 (日)

あの花は「ビバーナムディヌス」

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 五条坂から西北、空也上人の六波羅蜜寺へ行く道筋、民家の垣根だ。花木は二つ、樹高3㍍ほど。前みたより、花の咲きようがうんと増えている。グーグルレンズ、丁寧にしっかりあてた。ちょっと時間がかかっている。どうかな、どうかな~で出た。「ビバーナムティヌス」。スイカズラ科ガマズミ属、常緑低木、欧州などで自生という。前とちがう答えが出た。

 

 小さい赤い粒々の蕾は、花が開いて白くなる。3月から4月にかけて開花して、夏にはブルーベリーのような紫の実がなるという。グーグルレンズから、さらに「ビバーナムティヌス」でスマホ検索したら、そう説明があって、目の前の花、まさにそのとおりだ。樹木いっぱい、赤い蕾と白い花、額アジサイのように咲いている。よく見ると、夏からのはずの紫の実も三つ、四つ見える。番外の実りだ。花ことばの一つは「私を見て」。~ハイ、ハイ、よくよく、見ました~。

 

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2024年3月23日 (土)

天皇剃髪のお寺はここだ!

Img_8693 Img_8694 Img_8695 Img_8697_20240320081601 Img_8709_20240320081601Img_8719 Img_8710_20240320081601 Img_8712_20240320081601 Bb1jdmi2  在位2年、第65代花山天皇が19歳で、髪を落とし、法皇になったお寺がTVに出た。源氏物語の紫式部を取り上げた大河ドラマ「光る君へ」。京都市山科区、西国33カ所番外札所、元慶寺’(がんけいじ)だ。第何話だったか、見ていて、ああ~あのお寺や~と行った。

 

 自宅から歩き20分ほどだ。内蔵助一力通いの大石道から国道1号を渡り、渋谷街道の北花山河原町。お寺の入り口、「番外札所」「花山法皇」と印した札が立つ。山科名所の一つ、一度行って、知っている。お寺のアクセス案内は、地下鉄御陵駅下車と出ているが、知らず行くにはややこしい。花山天文台、花山中学、花山神社…、付近は法皇ご縁で花山名が多い。

 

 お寺は天台宗、小野小町ら歌詠み、六歌仙の一人、遍昭上人の創建。山門は離宮ふう。金網の中、梵天像と帝釈天像は京博へ出陳中だ。境内は広くないが、黄色いサンシュユ、赤いボケなどが咲く。本堂前に2㍍ほどの岩石。天皇の黒髪が埋められた場所の目印と駒札に出ている。藤原兼家、道兼親子の策略で、若き天皇無念の出家の証し。花山天皇演ずる本郷奏多が、ツルツル頭になったあのシーンが甦る。やっぽり、髪を返せ!。その剃髪のお寺はここだ!。

 

 

 

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2024年3月22日 (金)

久々の「ひつまぶし」

Img_8376 Img_8390 Img_8364 Img_8373_20240315070001 Img_8385 Img_8384 Img_8386 Img_8387_20240322062801 パリっとして、ふわっとして、ええ味や。これ、鰻の蒲焼き。切腹は嫌やと背中から切る江戸ふうに対し、お腹からざっくばらんに切る関西ふう。そのまま、薬味、茶漬け~と、一度ならず三度の味わいは名古屋ふうの、ひつまぶし。まあ、食べてみなはれ!で関西ふうひつまぶし。

 

 前々から一度は~の、炭櫓’(すみやぐら)。店は京都高島屋の向かい、エディオンの8階にある。近江八幡からの出店、入り口で調理場を丸ごと見せている。腹開きの鰻、串刺しにして備長炭で焼いて、壷のタレにつけて、二度繰り返し、短冊に切って…。ガラス越しに見て、つばが出る。河原町通りが見えるシースルーEV、エディオン各階はスルーして行った。

 

 ひつまぶし、何年前だったか、名古屋の熱田神宮店いらいだ。炭櫓’のオーナー、この名古屋の味が忘れられず、近江八幡で店を起こしたという。高くついてもすみには置けない備長炭の炭で焼いて、秘伝のタレ漬け。知っていても、店員さん案内、三度の食べ方指南を聞く。まずお茶碗に一杯。食べて、パリっとして柔らかく、鰻がうまい。次に刻み海苔など薬味、最期は茶漬け、タラタラかきこみ、これまたうまい。食べログ、評価も高い。パリっとした味、もうじきパリ五輪?!。

 

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2024年3月21日 (木)

キュビズム、蝦蟇鉄拐、プロペラ自転車…

Img_8643 Img_8648_20240318065101 Img_8631 Img_8629_20240318064601 Img_8635_20240318065001 Img_8641 Img_8655 Img_8657_20240318065501 Img_8661 Img_8628 歩きの流れ、ぶらり見に行く京近美のコレクション展。令和6年度の第1回が始まって、どんなんかなだ。平安神宮大鳥居が真ん前の4階へ上がって、無料になる高齢の年齢証明見せて、展示目録取って、各部屋を巡回鑑賞。わかるの、わからないの、作品はたっぷりある。

 

 よく行っているので、展示の流れはわかっている。最初は西洋絵画。今回はピカソのミノタウロスの頭が出た。近美自慢の所蔵作品。お隣は新規所蔵、パリの画家・グレーズの「キュビズム的風景、木と川」。どれが木やら川やらだ。対象を幾何学的に分析して描くキュビズム作品。ピカソのも、同じキュビズム。わかれば、たいしたもんだけど、いくら見ても??だ。

 

 次は日本画。今尾景年、山元春挙…は名前を知った画家さん。知らない画家で江中無牛。作品は中国の仙人を描いた「蝦蟇鉄拐」。肩に蝦蟇、ガマンしている?。写真が多い部屋、今回は床にシート敷いて本がズラリ並ぶ。意味?不明。そこを出て、油絵作品。4月からの特別展「没後100年富岡鉄斎」に関連して、鉄斎に影響を受けた画家、梅原龍三郎、中川一政、里見勝蔵らの作品。最後は夢の乗り物、プロペラ自転車。飛んだだろうか。とんだ?作品だ。どの展示も、見るだけがいい。

 

 ※ 令和6年度第一回コレクション展は5月26日まで。鉄斎展は4月2日から。

 

 

 

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2024年3月20日 (水)

「桜にメジロ」

Img_8618 Img_8619 Img_8621 Img_8622 早咲きの桜、ピンクの色濃く、花弁が筒状なので、カンピザクラだろうか。幹が細く、若い桜だけど、樹高3㍍ほど。その花咲く枝、風も吹いてないのにザワザワしている。立ち止まって、何かなと見て、小さな鳥たちだ。枝から枝へ、花から花へと、騒がしく動いている。

 

 いつもの建仁寺境内通り抜け。法堂(はっとう)東側から釣り鐘堂当たりへ来て、はっと?した。彼岸入りの晴れた日、目立つサクラ木のそばへ寄ってだった。よく観察して、スズメより小さく、黄色く、目の回りが白い。メジロだ。沢山いれば、押すな、押すな~で目白押しだが、どうだろう。5,6羽はいる。デジカメ構え、ズームにした。メジロにまちがいない。

 

 花札で、旧暦2月の絵柄は「梅にウグイス」。春呼ぶ谷渡りの、ホーホケキョだが、これは、「桜にメジロ」だ。ウグイスは警戒心が強く、姿はそうみせないようだが、メジロは甘いモノに目がない。民家の庭先にミカンの実を置くと、ヒョイと出て来るという。スイーツ鳥だ。早咲き桜の蜜も好物らしい。人目構わず「チュッチュッ、チュッチュッ」と騒がしく鳴いて、蜜がよほど甘いのか、花から花へよく動く。写真のピント合わせまで、甘くなった。

 

 

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2024年3月19日 (火)

新門前通りが面白い

Img_8315 Img_8093_20240316071101 Img_8081Img_8082 Img_8080 Img_8083Img_8344_20240316072601Img_8330 Img_8316_20240316072101 Img_8087 Img_8326 Img_8345 右見て、左見て、ぶらり、ぶらり、何が出て来るか、それが面白い。京都祇園、浄土宗知恩院前の新門前通り。骨董屋さん、ギャラリー、黒格子塀の京町家などが並び、美術ストリートという。東山通りから西へ西へ、縄手通り超えて川端通りまで、まあ、500㍍だ。

 

 祇園界わい、人歩きの多い八坂神社前の四条通り、その一つ北側の観光スポット・新橋とも違う。もう少し、足を伸ばして古門前通りに対する新門前通り。むかしから高級な品揃えの骨董屋さんが多い。外国人観光客も来て、ネット調べで昔、ベーブルースも見歩いたと出ていた。ゆっくり、のんびり歩ける。仏像、土器、飾り猫、その価値はわからないけど、出物のようだ。

 

 ガラス工芸はルネ・ラリック専門店。フランス19世紀のアールヌーボ時代の作家、その作品集めた店だ。京町家の塀に、都をどり、京おどり、北野をどりのポスター。「を」「お」のちがいに注意。瓦屋さん、2階から布袋さんなど七福神ずらり。路地の奥は竹工芸店か、入り口のタケ組アート門。人間国宝、京舞井上八千代さんのお宅は能の片山家。店前の大車輪?喫茶店、明治の蒸気機関車とか。「吾唯足知」と刻む石も出て、ただ見て歩き心地よい。

 

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2024年3月18日 (月)

季節外れ、花たちは?

 Img_8538 Img_8206_20240317073001 Img_8465 Img_8467_20240317073701 Img_8468 Img_8222 Img_8221Img_8574_20240317074001 Img_8575 Img_8578  気温15度から20度、季節外れの暖かさが続いて、もうええのかな?と花さんたちが芽を吹き、いつもより早く花を開かせている。日々、どこへ行くか、気ままに歩いて、そんな花さんたちと、思わぬ出会い。知っている花、知らなかった花…その出会いを撮った。

 

 コブシ、モクレン、ハクモクレンとややこしいが、自宅出てのバス停前は、民家庭先にコブシ。ムジャムジャ毛の芽が出た翌日、気温20度超えて、白い花を青い空に向けた。いつもよりだいぶ早い。♪~こぶし咲く~♪の大川栄策さんもびっくりか。スイセンは歩くたびに目がつく。大仏殿跡公園、高瀬川端など群生スイセンの見どころ、イチ推しで推薦?できる。

 

 七条大橋上ル、鴨川遊歩道東側にサンシュユ。中国原産、粒々の黄色い花は「春黄金花」とか。初めての出会い、秋には赤いグミも出るらしい。六原の民宿庭先には赤い粒々の花。グーグルレンズはミヤマシキミ(深山樒)?と出たが、どうだろう。馬酔木にも似て、さらに見極めたい。京阪出町柳駅前の長徳寺ひろば。赤い椿と紅梅、それにオカメザクラが満開だ。そうは見られない赤また赤の同時咲き、見ごたえがある。季節外れ現象、いいもんだ。

 

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2024年3月17日 (日)

情報は、なんやかんや

Img_8154_20240314072801 Img_8265_20240314072801 Img_8282 Img_8358 何をコーディネートするか。会議の進行か、着て出る服装か。その意味、辞書を引くと、調整と出る。何事も、こうあらねばならいは、ちょっと言い換えれば、こーでねえと。英語のコーディネートと、日本語のこーでねえと。日米二つの言葉が洒落で馴染んだポスターを見た。

 

 「自転車に乗る時はヘルメットをかぶりましょう」。自転車少年をイラストで描いた警察の交通安全ポスターだ。西陣の今出川通りを歩いて、交番隣りの塀で見つけた。そのキャッチコピーが「コーディネートはこーでねえと」。これが警察のポスター?と思う洒落っ気がある。朝日新聞見開き全頁広告は、かっぱえびえん。指の先に1本「このえび、と~まれ」。

 

 かっぱえびせん売り出し60周年記念。本社のカルビーがちょっと捻って、指とえびで感謝広告。やめられない、とまらない。おやつはカールく?、食べて食べて60年とは~である。寺町商店街を歩いて、くつ屋さん店前にでっかいスニーカー。16文、ジャイアント馬場専用か、ガリバーか。通りがかって、どこか微笑ましく、笑いはクツクツ?。居酒屋さんは、丸鍋と一品で、店名は「なんやかん屋」。世の中の情報、まあ、なんやかんや?ある。

 

 

 

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2024年3月16日 (土)

紫式部の弾いた和琴???

Img_8155_20240313082901 Img_8157 Img_8165 Img_8176 Img_8168 Img_8169 Img_8167 Img_8179 ここ掘れ!ここ掘れ!で、1200年前の平安京、遺跡に遺物が出てきて、その掘り出しもの、メインは和琴という。京都市考古資料館はいま「紫式部の平安京」~地中からのものがたり~と題し、発掘パネルとともに和琴を特別展示している。


 大河ドラマ「光る君へ」絡みの企画だ。考古資料館は、今出川大宮のバス停真ん前、西陣のど真ん中。どこでだったか、和琴が載った紫色のチラシを見て、ぶら歩きで行った。鳥羽離宮跡から出土した和琴はヒノキ材、孔6つで、平安中期の六弦琴という。ガラスケースに横でなく、ビルマの竪琴?縦の展示だった。


 ~風の涼しき夕暮れ…独り琴をかき鳴らしては…~は、紫式部の一句。琴を弾く紫式部の絵巻物写真も出ている。五島美術館所蔵の国宝で、写真撮影は禁止。発掘の和琴を紫式部が弾いたかどうか不明も、関連を意識づけした写真のようだ。別のところで発掘、「ことじ」と読む小さな琴柱も2個展示してある。琴の胴に立て並べ、弦の音を調整する柱だ。コトコトコットンは水車、この和琴は誰が弾いて、どんな音だったのだろう。


 ※ 紫式部の生没年は不詳も、生きた時代は平安京建都から200年後、源氏物語書き始めは24歳、全54巻完成は8年後で、没年は44歳という。 ※ 特別展示は6月23日まで。光源氏モデル、源融や、藤原道長邸宅跡発掘パネルほか、かな文字の器なども展示。

 

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2024年3月15日 (金)

まだぶら下る姫リンゴ

Img_8244_20240312070201 Img_8250_20240312070901 Img_8247_20240312070301 Img_8248_20240312070301 Img_8251 Img_8252 Img_8254 もうお彼岸、春が近いのに、まだぶら下っている。葉っぱがすっかりなくなった枝先に一つ、二つ、三つ…、見上げて探すと十個はある。建仁寺境内、大和大路へ出る西門近くの姫リンゴ。大きさ2,3㌢、赤く成ったままだ。いつまで下がり続けるのか、それが気になる。

 

 姫リンゴが下がるのは、樹高5㍍、バラ科の落葉樹だ。お隣さんは、その2倍はある常緑樹の楠木。天井に双竜図が描かれた法堂前、そこにも姿形、格好いい楠木があり、前の庭石に腰掛けて、法堂の火頭窓と一緒に眺めて、ひと休みする、心頭滅却すれば火もまた涼し~には遥か遠いにしても、禅僧・栄西さん創建のお寺さん。なんとなく心のほどが落ち着く。

 

 そこを立ち上がって、10㍍ほど先に姫リンゴだ。五条坂でバスを降り、あの世とこの世の分かれ道、六道の道を生き抜けて、建仁寺の境内へ、一週間に一度は~である。姫リンゴは、新緑すんだころ、白い5弁の可愛い花を咲かせ、受粉の早かった花は夏、季節外れの青い実をつけていた。秋深まって、ここにも、そこにも~と青かった実が赤くなった。冬、葉が落ちて、丸裸になっても、幾つか、ぶら下がり。先のこと取材、誰に話を聞けば~である。

 

 

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2024年3月14日 (木)

本邦初公開?アオサそば

Img_7990 Img_8005_20240310070101 Img_8000 Img_8002_20240310070501 鉢一杯、緑々して、なんというアオサだ。蕎麦メニュー、ザルや、おろしや、きつねや、たぬきや、色々だけど「アオサそば」という。本邦初公開?食べたことも、見たこともない。通りがかった蕎麦屋さん店前、写真つきで蕎麦メニューの貼り紙。そのアオサが気になった。

 

 京都御苑ぶらり、その帰りだった。お店は「手打ちそば・花もも」。葵祭り、時代祭りが出て来る堺町御門から女子駅伝ランナーが走る丸太町通り。裁判所を超え、寺町側へ歩いて、南側だ。いつも入店待ち、ミッシェランなんとかに名前が出ている人気店。平日の午後2時半、昼すんで夕方までの間、客並びがなかった。1階は8人が同時に座れる大きなテーブル。

 

 食べたいというより、そのアオサの写真が撮りたい。1000円。すし屋さんで、アオサ汁は何度かだが、蕎麦のアオサだ。たこ焼き、お好み焼きにふりかける青のりとはちがう。岩場に引っ付いている「海藻」がアオサ。植物繊維多く、カルシウムは牛乳の8倍という。ワサビ付きで出た。蕎麦はまるで見えない。箸でかき分け、手打ちの二八そばが出て来た。レンゲで出汁と一緒にアオサ。食感?なんか舌が青くなった気がする。蕎麦より、そうさ、アオサ!。

 

 

 

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2024年3月13日 (水)

「木のきもの」

Img_7989_20240309071301 Img_7967_20240309071201Img_7968_20240309072201 Img_7969_20240309071801 Img_7970 Img_7972_20240309072001 Img_7978_20240309071301 Img_7986_20240309071901 Img_7987_20240309071301 和服を着続けた小説家の幸田文さんは、木を見るのが好きで、木のエッセイをたくさん書いている。その一つに「木のきもの」がある。杉のきものはたて縞、松は亀甲くずし、ひめしゃらは無地~と書く。書店でその復刻版の幸田本を見つけ、本持参で、京都御苑へ行った。

 

 幸田エッセイの現場検証だ。御苑内には5万本の樹木、種類も多い。御苑東南の寺町門から入って、すぐイチョウだ。幸田さんはイチョウのきものは「いぼ立っている」という。いぼ?って、何かと調べて、しわのようだ。巨樹になると大きな縦のしぼが出来るという。イチョウ、目の高さで、どうかなと、その樹皮を見たら、確かにしぼ立ちのしわだった。

 

 木のエッセイ15編をまとめた「木」という幸田本。役所広司さん主役のアカデミー賞候補作品「PERFECT・DAYS」の中で登場する。公衆トイレの清掃マン・役所さんが仕事を終え、読んでいるのが幸田さんの「木」。それが話題になっての復刻だった。人それぞれに履歴書、それは木にも~という。幹の色、木の肌で、木のきものがわかるという。御苑の中、皮が浮き出たの、剝げ落ちたの、ツルツルの~、木の樹皮きもの、どれもこれも、きどっていた?。

 

 ※ 幸田文(1904-1990)幸田露伴の次女。父追憶の作品など多く「黒い裾」で読売文学賞などあり。

 

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2024年3月12日 (火)

一条戻り橋、満開の河津桜

Img_8184 Img_8185_20240311070401 Img_8187 Img_8189_20240311070501 Img_8191 Img_8197 Img_8200 Img_8202_20240311071001 Img_8186_20240311071601 ピンクピンクしたサクラだ。橋下の堤から太い幹が出て、橋を覆うように咲いている。1本のサクラ樹。出歩いて、こんなところにこんな見事なサクラ。知らないこと多いが、この満開サクラも初めてだ。ソメイヨシノに先がけて、濃いピンクが目立って咲く河津桜だ。

 

 日本で初めてのチンチン電車が橋を渡った堀川の一条戻り橋。近くに陰陽師・安倍晴明祀る晴明神社がある。この戻り橋、謂れが多い。戦時中は出征兵士が戻って来るようこの橋を渡り、かと思うと、嫁に行く娘は戻って来るなと橋を渡らずだ。安倍晴明はここで亡き父を祈りで甦らせ、渡辺綱はここで鬼の腕を切ったなど、伝説の橋は、いま、満開のサクラだ。

 

 少し寒かったが、春感じさす好天。オープン戦9連敗の阪神、いつか好転と思いつつ、同じ歩くなら清流が戻った堀川端を~と歩いた。二条城へ向かって、今出川通りから南へ500㍍で、この戻り橋。日曜の昼下がり、長さ10㍍ほどの橋がひときわ明るい。ご近所か、何かで知った皆さんか、橋の上から下から眺めている。河津桜、三条大橋西側でも伏見の淀堤でも咲いてニュースに~だが、ここ一条戻り橋のピンク咲きは鮮やかだ。来年も戻り咲き、まちがいない。

 

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2024年3月11日 (月)

いったい、品目なんぼある?

Img_7936_20240308071601 Img_7938_20240308071501 Img_7956_20240308071501 Img_7957 まあ、ある。健康食のバロメーターは一日30品目、これはそれどころやない。まあ、なんやかんやある。一食で~だ。好きや嫌いや~言ってられない。赤飯かと思ったご飯、白米に玄米に粟など、ぜんぶで十六穀。もう30品目の半分を超えている。えらいこっちゃ!。

 

 大阪梅田・阪神百貨店9階大食堂。フードコートに隣り合うレストラン街、焼肉の食堂園、鰻の魚伊などと、ここ一六茶寮。四国は愛媛の一六タルトと同じで「イチロク」と読む。どこに入るか迷って、この店のウインドウ「旬彩膳」に目が行った。ひと月100,000人の客とかいう人気店という。番号札24番取って、ちょい待ち。いや、だいぶ待ちで入った。

 

 木箱のトレーが出た。ある、ある…てなもんやない。真ん中のローストビーフを中心の九つ。箱の外に十六穀と赤出汁と小松菜のグリーンジュース。箱の中の九つ、番号付きの献立表がついている。右端の一は、鯛の和風カルパッチョ。二は、鶏むね肉と山うどのからし酢味噌和え…。番号確認して、これはなんや、これはなんや…。調味料やら彩りの葉っぱやら入れたら、数えきれない。まあ、ありすぎる。一汁三菜プラス三菜の店名は「一六茶寮」。品目数あるある。

 

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2024年3月10日 (日)

「トノ」「ツボネ」「テンプラ」…

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 ニホンザルも赤ら顔だが、このサルさんたち、もっと赤い。尾っぽは、ニホンザルより長く、身体の30%から40%という。インド、アフガニスタンに生息、メス中心の母系社会で群れるらしい。園舎の看板、そんな説明板があった。群れはぜんぶで12頭、名前と生年月日、特徴が一頭ずつ書き込まれている。その名前が何とも面白く、「トノ」が殿なのだ。

 

 園舎はむかし、法勝寺の九重塔が建っていた観覧車の近く。2年ほど前、サル島が古くなって引っ越してきた。「トノ」の相方か、「ツボネ」。顔が一段と赤いという。柵から覗きこむも、よくわからない。下唇が突き出て、餌の執着心が強いのは「テンプラ」という。気の毒な名だ。あっ、あれかな。ずっとモグモグしている。寄り目は「カンカン」。立っていても「ヨコ」。ほかに「ボコ2」に「アギ」に「ヨネ」に…、名前見て、サル見て、特徴を読んで、男一匹「トノ」はどこだ。

 

 

 

 

 

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2024年3月 9日 (土)

世界一の「どーも」くん

Img_7160_20240306072101 Img_7154 Img_7159_20240306072201 Img_7158 Img_7960_20240308072201 身体は四角で茶色、口は四角で赤。歯は上と下に4つ。小さい目。手は長く、足は短い。まあ、2等身か。身長は1㍍20,体重は85㌔。生まれは穴倉の卵。年齢は25歳、ずいぶん大きくなった。名前は「どーも、どーも」のど~もくん。NHKのマスコットキャラクターだ。

 

 ぶらり、NHK京都放送局へよく行く。入った正面、超大型スーパーハイビジョンがある。8Kプラザ。椅子30席ほどあって、画面見てもよし、歩き疲れでうたた寝してもよし。場所は地下鉄烏丸御池駅改札出て、南西かど。二条城近くから引っ越して来年で10年。ここのエントランスに世界一大きいどーもくん。見上げて、その高さは3・9メートルという。

 

 世界一?大げさなと調べたら、可愛いどーもくん人気は国内から国外へ。米国のハロウインにも登場するなど、グッズも多彩で、オオモテらしい。いくたび、ど~も!と挨拶するが、身体につけている衣装が、よく変わっている。去年の暮れはサンタさんだったが、今は十二単ぽい着物だ。男なのに~も、そこはNHKのPR大使。今年の大河ドラマ「光る君へ」で、紫式部を気取っている。回りは出演する俳優さん看板。みなさん一緒に「どーも、どーも」。

 

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2024年3月 8日 (金)

「清水五条陶板の散歩道」

Img_7864 Img_7875 Img_7858_20240305090601 Img_7860 Img_7859 Img_7869 Img_7865_20240305090701 Img_7873 Img_7874 Img_7872 雪降る清水の舞台、大屋根が白い。いいアングルやなあ。少し行って隣は、登り窯と三重塔とブルーの空。これもいいなあ。信号を渡って、向かい側。こっちは、紅葉の境内、桜の三年坂。四季折々の清水寺や。陶板との出会い。歩いて、歩いて、次はどんなんかな?だ。

 

 「清水五条陶板の散歩道」。清水寺への入り口、東大路の五条坂から鴨川がそこの川端通りまでの国道1号、五条通りだ。北と南の歩道。電線が地中化になって、地上機器の上に地元の窯元らが、それぞれに陶板作品をつくった。地元活性化一助という。ぜんぶで12カ所。年末、漢字一字揮ごうの清水寺・森清範貫主が散歩道の題字を書いている。これ、今まで気づかなかった。

 

  陶板設置、もう15年という。広い歩道、北側か南側か、よく歩いているのに陶器屋さんに目が行って~だった。ひとつ知って、順番に見て歩いた。9代目清水六兵衛さん、河井寛次郎のお孫さん、人間国宝・清水卯一さんの長男保孝さんらが作品を寄せている。作品名、作家名が剝れているのも。「清水の舞台から望む」は、擬宝珠が大きい。「道」は陶器の町。「清流」は音羽川。どの作品も清水五条の地元愛で溢れている。アートの散歩道、知って良かった。

 

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2024年3月 7日 (木)

植物園ミニミニガイド

Img_7686 Img_7691_20240304065801 Img_7701_20240304065601 Img_7703Img_7721Img_7732Img_7706_20240304070201Img_7708Img_7707 Img_7714Img_7713Img_7749 春の花、咲き始めは黄色。蜂が黄の色が好きだからだと言う。そう言えば、菜の花がそうだ。花菜で「ハナナ」。おひたし、辛し和え、お吸い物…ちょっとした、あの苦味がいい。春にまず咲く~と洒落て「マンサク」もそうだし、樹皮が和紙になる「ミツマタ」の花も黄色だ。

 

 京都府立植物園、土曜の午後1時からは、決まって、ミニミニガイド。正門近く植物園会館前集合、園の職員さんが見ごろの花へ案内する。弥生3月最初の土曜、担当は園芸課の磯野さん。サザエさん家と同じです~和ませて、随意参加の20人ほど、引き連れて、園内ウオーク。その最初、蜂が好きな黄色い花。集合場所前、こも被りのソテツ前、ハナナだった。

 

 ミツマタは、枝という枝、どれも三つに分かれている。「ほれ、これも、これも」と磯野さん。歩きながらワイヤレスマイクの説明だが、後ろだと聞き取りにくい。写真を撮っていると、遅れをとる。随行、兼ね合いが難しい。大芝生まで行って、テント内特設の早春の草花展。ハナナが溢れ、チュウリップ、アネモネは赤、白、青と咲き、島根の大根島から大輪のボタンも。草花に自らの鼻を近づける磯野さん。「春の匂いがいっぱいです」。クンクンクンクン。

 

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2024年3月 6日 (水)

老舗の「かぶら蒸し」

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 京料理・一平茶屋はかぶら蒸しが名物。四条通り、大きな提灯かかった南座、にしん蕎麦の松葉の角を曲がって、南へ5,60㍍。鴨川の向かい、川端通り。大正時代から続く老舗だ。簾が二階に掛かって、表側は茶色の壁。風が吹いて、暖簾がめくれて、表札は佐々木さん。エプロンのお母さんは三代目の奥さん、いまは息子の4代目が継いで100年という。

 

 先付けが出た。ごま豆腐だ。八寸が来た。タコだ、フグの煮凝りだ。凍った煮凝りは好物、それがフグとは初めてだ。造りだ。来た、来た、かぶら蒸しが来た。京野菜の聖護院かぶら。漬けて薄く切って千枚漬け。これは皮を剥いて、すりおろし、蒸して、蒸して…。ふんわり、柔らかいなあ。あっ!中から煮穴子や。これまた好物、ええねえ。赤出汁、香の物、小さなお茶碗にご飯。少し、ちりめん山椒が乗っている。一平茶屋初見参、これぞ、老舗のかぶら蒸し!。◎◎◎。

 

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2024年3月 5日 (火)

いま「仁丹」町名板はどこ?

Img_7426Img_6936_20240302075001Img_6941_20240302075001Img_7437_20240302074301Img_7891Img_7439_20240302074601Img_5600  上ルか、下ルか、東入か、西入か~、水族館のイルカではない。京都市内独特の地名表示である。上ルは北、下ルは南、東入と西入はそのまま、そのまま?だ。苦い粒々、ふくむと口臭が消える仁丹、その広告看板付き、上ル、下ルの町名表示板はいま!~と探しに歩いた。

 

 きっかけは、本だ。自動車のホンダではない。「京都を歩けば<仁丹>にあたる」。古く、年々減っている、この仁丹町名板に興味を持った京都新聞記者らが、歩いて調べて書いた本だ。もう一度、ホンダではない。トヨタでもない。京都市内のふたば書店と大垣書店、この出版を面白がって、PRコーナーをつくり、販売に力を入れた。1800円買って、読んで、歩いた。

 

 仁丹の町名板、始まりは明治43年ころ、100年前という。当初は1200枚、それが家屋解体、ビル化など年々減って、2010年で810枚、さらにこの10年で540枚と絶滅危惧化しているという。残っているのはどこか、本を持って歩いた。ポイントは町家が残る路地の四つ角。四条通りを一筋下ルの綾小路、烏丸通りから西入、五条通一筋下ルの楊梅通り…、黒板壁に髭紳士の仁丹さん、ここや、ここや!とあった。どうか、そのまま、お元気で!。

 

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2024年3月 4日 (月)

花見だんご

Img_7476_20240301073201 Img_7474 Img_7475_20240301073101 Img_7478_20240301073401 Img_7481_20240301073501 Img_7483  串刺しは三つ。上から順番が決まっている。春のピンク、冬の白、夏の緑の3色だ。秋はない。食べて飽きないようにないようにと洒落ている。春3月、花見だんご。京のだんごをネット検索して、下鴨神社が起源のみたらし団子に続いて、秀吉の花見だんごが出て来た。

 

 みたらし団子と同じで、花見だんごも全国に広がり、その謂れなど諸説あるようだが、秀吉もその一つ。天下を取った秀吉の全盛時代、京都の醍醐にサクラ700本植え、1300人招いてお花見のおり、茶菓子に花見だんごを振る舞ったのが始まりとか。ネットでは、ほかに雛祭り、厄払いなどの説も出ていたが、ここは秀吉説をとって、買いに行った。

 

 バス降りて、歩いて秀吉祀る豊国神社へ行く道筋。東山馬町の稲川餅さん。老舗の御菓子司、いまは4代目。ご近所の陶芸家・河井寛次郎さんが好物だった「むぎ餅」が名物。花見だんごはひと串150円。大津で懇親会もあり、土産にむぎ餅と一緒に買い、ひとつだけは、豊国神社隣りの大仏殿跡公園へ行って、写真撮りして、春よ来い!と味わった。公園、春誘いの水仙が咲き出している。春・ピンクから入り、冬の白から夏の緑へ~、確かに秋なく、飽きない?。

 

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2024年3月 3日 (日)

「ピラカンサ」の赤い実

 Img_7509_20240229070801 Img_7510 Img_7520_20240229070901 Img_7519_20240229070901 この成りようはどうだ。小さな粒々の赤い実がいっぱい。木が丸ごとレッドになっている。街道筋の民家庭、樹高は3㍍以上か、屋根を超えている。確認のため、グーグルレンズあてた。思っていたとおり、ピラカンサだ。それにしてもこれだけの赤い成りよう、そうはない。

 

 冬場、歩いていると赤い実はよく目立つ。多いのはナンテン、洒落て、何点もある。難を転じて、縁起がいい。万両のマンリョウ、千両のセンリョウ。これも、正月にめでたい。クロガネモチは、苦労せずお金持ちの意味とか。まあ、赤い実の成る草木は庭木、鉢植えに好かれる。その一つ、ピラカンサ。南ヨーロッパ原産、明治初めに日本へ入ってきたという。

 

 南欧生まれで、ピラカンサは、ギリシャ語。ピラは炎、カンサは刺。ピラの炎はわかるが、カンサを監査すると、葉にトゲがあり、とわかった。常緑のバラ科だ。夏には白い花が咲き、秋から冬へ赤い実が熟す。七条通り、高瀬川角にあったが、昨年の整備で切られて今はない。少し寂しかったが、自宅ある山科歩き、旧東海道の四ノ宮で新しく発見だった。しばし立ちどまって、全体見て、近づいて見て、その花言葉の一つは「美しさはあなたの魅力」だった。

 

 

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2024年3月 2日 (土)

町歩き、看板キャッチ

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 「京都で2番目にうまいコーヒーの店」。その謙虚さ、控え目がいい。本当は1番うまいと言いたい??。「おじさんの喫茶店~只今ゆっくり運転中だよ~」。ドリンクはみんな250円。おじさん、仲間意識が芽生える。恋する白カレーうどん、海鮮トキドキ豚、細巻きバイキング、新鮮な京野菜で「美人(べっぴん)サラダ」…どれもこれも、フレーズが気になる。

 

 その面白さ、キャッチするのか、されるのか、まだまだある。丼専門店「DONBURI DON」、スイーツ専門店「甘」…、串カツ屋~酒に溺れろ、串にまみれろ!~、持ち帰り専用500円お好み焼き「ワンコインぶたモダン」。食べ物だけではない。どこにいるのか「天才を募集します」。ネット時代と言っても「ヤッパリ紙の本」。結びはヤッパリお寺の伝導掲示板。~丁寧に生きる それだけで人生はよくなる~浄土宗空也寺。そうやなあ!。

 

 ※ 歩き見つけの看板は京都市内、綾小路、松原通り、烏丸通りなど。

 

 

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2024年3月 1日 (金)

東本願寺、堀水面は濃~い緑

Img_7452 Img_7453_20240227072801 Img_7459_20240227073201 Img_7455 Img_7461_20240227073101 Img_7464 藻か、植物性プランクトンか、アオコか、緑色が濃~い。抹茶色といってもいい。東本願寺を南から北へ、御影堂門、阿弥陀堂門超えて、唐門あたりから筑地塀にそった堀の中だ。北側の親鸞会館あたりまで、およそ150㍍、水面上は緑でぎっしり。見た目からは美しい。

 

 歩くたびに見ている。秋には彼岸花がニョキニョキ出るあたり。冬場に入り、新しい年がすぎ、水面の濃~い緑がだんだん、北へ広がって、堀を埋め尽くしている。歩道沿い、真宗の教えが看板で次々に出ている。生きて来た道を思い、よく読んで、とおり行くが、その一つに「物事をありのままに引き受けられない私」。なんでや、この水面?と思う私がいる。

 

 毎年のことか、暖冬のせいか。水質汚染、アオコか。同じ堀端、二条城はどうか。東本願寺の水は、蹴上の琵琶湖水からひいた本願寺水道。江戸時代、4度火事がでており、防火対策で五条通りなど京都市内を通って、パイプが東本願寺まで来ているという。御影堂前、蓮型の噴水、七条通り側で鯉が泳ぐ水は、琵琶湖からだ。その同じ水、南側はよく流れ、北側は淀んだままなので、藻がもうもうのようだ。美と見るか、汚れと見るか、その教えをこいたい。

 

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