光源氏の別荘「河原院」
京都に、奥州は陸奥「塩竃」の町名がある。牛若・弁慶像が立つ五条大橋から西へ、国道1号の河原町高倉の歩道橋。下から見上げて、そこに「塩竃」の地名表示、なんでかナ?だ。これ、はるか1千年前、光源氏の別荘「河原院」に由来するようだ。平安時代の初期という。
紫式部の源氏物語、主人公・光源氏のモデルは、左大臣源融と言われる。空海らと並ぶ平安の三筆、嵯峨天皇の皇子。その別荘跡が今の渉成園(枳殻邸、東本願寺所有)をふくむ「河原院」という。陸奥好きだった源融の別荘庭園。奥州・塩竃を模し、池に難波から海水を運び、塩焼きを再現したとか。その広大さ、東西は鴨川から柳馬場、南北は五条から六条あたりと。
司馬遼「街道を行く」(33)白河・会津のみちを読んでいて、源融、渉成園、河原院が出て来た。坂上田村麻呂が奥州へ行って戻って以来、都人は陸奥ブーム~と書いている。源融は宇治・平等院を造り、さらに「河原院」だったという。ふだんの出歩き、その場所を知っている。本持参して現場確認へ。高瀬川五条下がり、老木のそば「源融・河原院跡」の駒札、国道1号で「塩竃町」、さらに「名勝・渉成園」…。今日の歩きは、1千年前を思って~だった。
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