どうして、佐藤兄弟、鉄道の父、十三重塔?
歩きには、出会いがある。そうは知られてない歴史の人たちのお墓、石碑、史跡。調べてどうして、ここに~と思う不思議さ。京都市東山区の馬町は、自宅からバスを降り歩き始めの拠点。そこに源義経に仕え、守った佐藤嗣信・忠信兄弟の石碑が建っている。何でだろう。
石碑の傍から路地へ入って10㍍。二人のお墓があった。その向かい、日本の鉄道の父・佐藤政養(まさやす)親子供養碑がある。また、なんでかな~である。説明板と、佐藤政養その人の写真。奥州・山形生まれ、勝海舟門下に入り、測量など学び海軍の一番弟子に。維新後、政府の鉄道官、新橋―横浜間のレールを敷いた。同じ佐藤姓、その先祖が佐藤兄弟だという。
佐藤兄弟は源平盛衰記に登場。兄の嗣信は屋島の戦いで義経の身代わりで死去。弟の忠信は頼朝に追われる義経をかばい、吉野で自決する。歌舞伎吉野千本桜の戯曲にある。二人の墓がなぜ、ここにかは?不明だが、かつて二つの十三重の塔があり、それが今は、南西500㍍の京博で、屋外展示になっている。佐藤政養は、没する前年、先祖を思い、ここに土地を買い、父を供養、政養が没すると、奥さんが碑など整備した。どうしてここに~謎解きの断片がある。
※ 佐藤嗣信・忠信兄弟。義経が奥州へ来て、平家追討に旅立つ降り、藤原秀衡の命で、義経の家人になった。平安・鎌倉時代の人。 ※ 佐藤政養(1821-1877)長崎海軍伝習所で坂本龍馬などの兄弟子。
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