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2024年2月

2024年2月29日 (木)

ダンゴは石?何かな

Img_6904_20240226073401 Img_6907 Img_6909 Img_6912 Img_6911 Img_6913Th_20240229060701 あれはなんだろう。俳優・目玉の松ちゃんの胸像の向こう。塀ぎわに白いのが見える。ダンゴかな~と見に行って、やっぱりダンゴ。棒に刺した石づくり。先っぽに一つ、ちょっと離れて4つ。触って、ヨイショしたが、どっしり重い。梃子(てこ)でも動かぬようだ。

 

 出町枡形商店街へ行くおり、通る葵公園の中だ。高野川の河合橋と加茂川の出町橋の間の三角州。よく整備され、ベンチもあって、一服どころだ。世界遺産、下鴨神社の参道入り口でもある。石の串ダンゴ、現代アートらしい。枯れ草、石囲い…ミニ庭園ふう。クヌギか、大木のわき。重文・旧三井家下鴨別邸の南側土塀の真ん前だが、周りになんの説明もない。

 

 花見だんごなら串刺し3個だし、団子は五つある。何ダンゴだろう。わからぬ時は、スマホ検索だ。「京都のダンゴ」と入力したら、「みたらし団子」と出た。起源は鎌倉時代、下鴨神社の御手洗池からという。「御手洗」は「みたらし」と読む。後醍醐天皇がお参りしたおり、この池から縁起の良い泡がプツプツ5つ~など色々書かれていたが、アートの石ダンゴの場所は下鴨神社参道近くだ。さとう醤油、くず餡の「みたらし」発祥地、そのメモリアルアートのようだ。

 

 ※ 葵公園の景観美化、京都芸術大(元造形大)が協力。表示はないが、ダンゴアートも制作か。 ※ みたらし団子はかつて、下鴨神社葵祭りなどのおり、氏子がつくり、神前に~という。下鴨本通り側、老舗饅頭屋さんあり、今も昔ながらの香ばしく甘いみたらし販売している。ダンゴ五つは先が頭、後4つは身体らしい。

 

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2024年2月28日 (水)

トラりんくん、お久しぶり!

Img_6542 Img_6549_20240215073901 Img_6546_20240215073801 Img_6550_20240215074501 Img_6553 Img_6554 Img_6556_20240215074401Img_6561_20240215074801 Img_6566_20240215074401 出て来た、出て来た~、京都国立博物館のゆるキャラ・トラりんのおでまし。博物館奥の部屋から廊下へ出て、もう手を振っている。グレーと白の縞模様、真っ白で大きなお腹、長い尻尾ぶら下げ、目が大きくて、可愛い。やあ、こんにちは、お久しぶり、元気だったかな。

 

 京都東山七条かど、三十三間堂の前が京博。特別展ないおりは、高齢証明あれば、入館無料が恒例?。方広寺側からか、妙法寺側からか、歩きコースの一つ。いまはお雛さまの展示があり、ぶらり入って、トラりんくんと出会った。出番は土日祝の一日3回。行くのは平日多く、この間は日曜午後で、トラりんくんとは、ずいぶん前、写真を一緒に撮って以来だ。

 

 付き添いの京博職員とともにエントランスへ出て来た。親子連れ、入館者がワアッ~と取り囲む。赤ちゃん、子どもさん見つけると、そばへ寄って、写真撮り。2015年、尾形光琳らの琳派400年で生まれて、今年で9年目。腰を振ったり、座ったり、短いのに片足上げたり…仕草がすっかり板についている。ゾロゾロ…とみなさん引き連れ庭園へ出た。噴水をグルリ回って、ロダンの考える人像へ。みなさんトラりんと写真、とらにゃ、とらにゃ?。

 

 ※ トラりん。尾形光琳の墨絵、竹虎図からイメージ。2016年夏の全国博物館ゆるキャラ人気投票で群を抜いて第一位。

 

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2024年2月27日 (火)

どうして、佐藤兄弟、鉄道の父、十三重塔?

Img_6517_20240222070901 Img_6519_20240222070901 Img_6532_20240222071701 Img_6521_20240222071701 Img_6523_20240222071701 Img_6520_20240222071801 Img_6525_20240222071801 歩きには、出会いがある。そうは知られてない歴史の人たちのお墓、石碑、史跡。調べてどうして、ここに~と思う不思議さ。京都市東山区の馬町は、自宅からバスを降り歩き始めの拠点。そこに源義経に仕え、守った佐藤嗣信・忠信兄弟の石碑が建っている。何でだろう。

 

 石碑の傍から路地へ入って10㍍。二人のお墓があった。その向かい、日本の鉄道の父・佐藤政養(まさやす)親子供養碑がある。また、なんでかな~である。説明板と、佐藤政養その人の写真。奥州・山形生まれ、勝海舟門下に入り、測量など学び海軍の一番弟子に。維新後、政府の鉄道官、新橋―横浜間のレールを敷いた。同じ佐藤姓、その先祖が佐藤兄弟だという。

 

 佐藤兄弟は源平盛衰記に登場。兄の嗣信は屋島の戦いで義経の身代わりで死去。弟の忠信は頼朝に追われる義経をかばい、吉野で自決する。歌舞伎吉野千本桜の戯曲にある。二人の墓がなぜ、ここにかは?不明だが、かつて二つの十三重の塔があり、それが今は、南西500㍍の京博で、屋外展示になっている。佐藤政養は、没する前年、先祖を思い、ここに土地を買い、父を供養、政養が没すると、奥さんが碑など整備した。どうしてここに~謎解きの断片がある。

 

 ※ 佐藤嗣信・忠信兄弟。義経が奥州へ来て、平家追討に旅立つ降り、藤原秀衡の命で、義経の家人になった。平安・鎌倉時代の人。 ※ 佐藤政養(1821-1877)長崎海軍伝習所で坂本龍馬などの兄弟子。 

 

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2024年2月26日 (月)

餅の持ち上げ、各紙の見出し

Img_6967 Img_6969_20240225073701 Img_6972 Img_7301 Img_7340 Img_7339_20240225074301 Img_7300 各新聞はどんな見出しを付けたろう。4年ぶり開催の世界遺産・京都醍醐寺の「餅上げ力奉納」。国の平和、健康など願って、巨大な紅白二段重ねの餅を持ち上げ、その力を仏様に捧げる。1100年続く伝統行事だ。どれだけ持ち続けられるか競い、それが新聞の記事になる。

 

 巨大な鏡餅、PR兼ねて、京都駅ビルのホテル・アバンティ2階フロアに展示されていた。新聞に載っていて、歩きの流れで事前に見に行っていた。競う紅白餅は、男子150㌔、女子90㌔。展示は、下が大きな白、上が赤で台座ごと。大きさから女子用のようだった。蕎麦のつるき餅提供と出ていた。五大さんの一つ、剣をもった不動明王ポスター、慶祝ノボリも一緒に見た。

 

 「餅上げ力奉納」はコロナの間は、持ち上げるだけだったが、今回から参加者がタイムを競う元に戻して、4年ぶり開催という。現場の醍醐寺までは行かなかったが、翌日の新聞各紙でその記事、その写真、その見出しを比べた。朝日は「もち 上がれ~」、読売は「モチこたえる」毎日は「全力で もち あげよ!」。3紙の見出し、もちろん?洒落ている。京都は正攻法「餅上げ4年ぶり競争」だ。それぞれ、頭を捻っての見出し付け。まあ、もちつもたれつか?。

 

 ※ 京都醍醐寺、国宝金堂前の「餅上げ力奉納」は2月23日にあり、男子150㌔は大阪の派遣社員(41)5分53秒、女子90㌔は京都の会社員(34)が8分32秒で優勝した。

 

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2024年2月25日 (日)

「イッタラ」展

Img_7255_20240224072901 Img_7261_20240224073701 Img_7259_20240224073301 Img_7265_20240224073301 Img_7266_20240224073301 Img_7268 Img_7269 Img_7270_20240224073401 Img_7272_20240224073601 北欧・フィンランドのガラス工芸「イッタラ」展へ、行った。京都伊勢丹7階美術館で開催、大阪の知人から、行ったら?とチケットが一枚届いていた。洒落好きとしては「イッタラ」と冠がつく展覧会、見逃せない。会場へ、行ったら?、ガラス作品の数々がまぶしい。

 

 どうして「イッタラ」の冠なのか。フィンランドの首都ヘルシンキの南部にイッタラ村があり、そこのガラス工場から世界が注目する作品が生まれ出たからだという。1881年の始まりから140年を記念した展覧会を再構成、日本国内で初の巡回展で、副題は「フィンランド・ガラスのきらめき」。展示は450点、様ざまなそのデザインに思わず見とれる。

 

 行く前の日の朝刊、主催の京都新聞に見どころ紹介記事が出ていた。色とりどりの鳥のオブジェが印象的だという。「イッタラ」もだが、「色とりどりの鳥」も、洒落っぽい。展示会場の最後で鳥が出た。このコーナー、写真撮りが可という。鳥作品は29点。ライチョウ、カイツブリ、コガモ、ハト、ジジュウガラ…、まさにとりどり。会場で出会った知人は~私もトリです~と「服部」さん。まるで忍者ハットリさん。これも「イッタラ」へ、行ったから~だった?。

 

 ※ 展覧会は3月29日まで開催。

 

 

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村上隆もののけ京都展、驚きの事前鑑賞

Img_7076_20240221072301 Img_7073_20240221072301 Img_7071 Img_7083 Img_7074_20240221072301 Img_7079 Img_7081_20240221072501 Img_7082 なんだ!これは!と思う作品…、まだ展示会場に入っていないのにびっくりする。京都市京セラ美術館で開催中の「村上隆もののけ京都」展。広い中央ホールに赤と青の巨大な阿吽像、壁面いっぱいに桜絵、庭には金色のお花のキャラクター…、まあ、度肝を抜かれる。

 

 アニメや漫画のコラボレーション作品で国際的に名の通った現代美術家・村上隆さん。国内では東京以外では8年ぶりの大規模個展。京都市美90周年に合わせて開催という。節分の日に始まり、これから桜の季節、梅雨、暑い夏すぎ、秋の入り口、9月までのロングラン。入場代2200円は、ちょっとためらい、まあ、そのうち、そのうちで、無料の前回り鑑賞。

 

 こん棒を持ち、災害もたらす邪気を踏みつける阿吽の像が高さ4㍍。右に青鬼、左に赤鬼、後ろから筋骨隆々。京都平安京の羅生門、金剛像イメージという。その背景の壁面は、顔のあるサクラ絵、ニコニコして溢れんばかり。動物園側の池泉式庭園、ふじ棚の前は、金色の巨大オブジェ。「金色の夏の空のお花畑」だという。ぶらり行ったおり、クレーン使って取り付け中だった。まるで万博、太陽の塔のような輝き。これで無料、有料どんなんナンダ!。

 

 ※ 村上隆(1962~)東京生まれ。東京藝大大学院日本画科卒。米国など世界各地で個展開催、評価が高い。今回の展示は洛中洛外図、風神雷神などをモチーフにした新作など160点。

 

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2024年2月24日 (土)

「アランチーノ」

Img_7236 Img_7232 Img_7148_20240223074301 Img_7110 Img_7147 Img_7132 Img_7136 Img_7139_20240223074601 Img_7140_20240223074601 Img_7235 Img_7234_20240223074801 長い格子塀の上に横文字で「arancino」と綴ってある。英語でもフランス語でもないイタリア語の「アランチーノ」。正面入り口に白い暖簾がかかり、「史蹟一之舩入」の木札も。高瀬川の始まり、今も国の史蹟で残る船着き場が見えるイタリア料理のお店である。

 

 元長州藩邸、京都ホテルオオクラの北側だ。豪商・角倉了以が鴨川の水で開削、二条から伏見へ10㌔、木屋町通り沿いの高瀬川。史蹟らしく酒樽を積んだ舟が復元してある。美術館などある岡崎公園帰り、よく歩いている。創作中華のお店の西隣りが「アランチーノ」。ハワイのイタリア料理ではベストレストランの実績あるという。好奇心の虫わいて、入った。

 

 宮沢賢治は注文の多いレストランだが、テーブルに座って、何を注文してよいか。ぶ厚いメニュー表は「プランツォ」の伊語。AとBとスペシャル、Aより高いBの始まりは、小さな盛り合わせ。テーブル担当が増田明美さん(陸上解説)級、詳しすぎる説明?。~今日入荷した愛媛のヨコワです、北海道の馬糞ウニ・パスタです、金時色の人参です~。メインは和牛のヒレ、聞かずとも、なんと柔らかい。素材に凝って、凝っての「アランチーノ」。アラッ!こんなところにアランドロンと覚えよう。

 

 ※ 「アランチーノ」はオレンジの意味。ハワイなど外国に店、国内では大阪豊中と京都。京都は開店して3年目。

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2024年2月23日 (金)

動物園、辰年のアニマル園長選挙

Img_6668_20240219071001 Img_6663_20240219071001 Img_6661 Img_6671_20240219071001 Img_6658 Img_6659 Img_6675 公示か、告示か、どっちか、ややこしいけど、京都市動物園の第9代アニマル園長選挙が始まっている。主催の動物園は、毎年、その年の干支にちなんだ動物たちを推薦、立候補させているが、今年の干支は想像上の辰。どんな動物が出て、戦っているのか、見に行った。

 

 辰は十二支で5番目、龍、竜とも言いあらわす。去年は4番目のウサギの卯、来年の6番目はヘビの巳だけど、辰は架空。園内の動物で、どれをイメージするか~と気にしたら~である。立候補のポスターは6頭。カメさん、ワニさん、トカゲさん、ヤモリさん、顔が怖い鳥のエミューさんなど。ウロコや爪や牙などあって、だいたいが爬虫類系のみなさんが選ばれていた。

 

 カメはリクガメとホウシャガメの2頭だけど、種類がちがうので、かめへん?らしい。立候補のポスター、トカゲは「ハル」など園が名付けた名前で出ており、立候補の弁も。ハルの場合、去年の卯年、8代目アニマル園長に当選したウサギウマのロバの名前も「ハル」だったので「ハルの次は、やっぱりハル!」とキャッチ。園入り口のロバ・ハルの看板「ここで、写真撮らハル」。その隣、辰年記念看板は「ここにたつと、笑顔が引きたつ」。ダジャレがうまい、座布団二つ!。

 

 ※ 園内の投票箱がある。投票は3月3日まで、開票は3月24日。

 

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2024年2月22日 (木)

「222」-猫の日記念の猫絵本

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 その絵本タイトルが面白い。「とおくのしんせきより、ちかくのねこ」。身近さが一番か。「ねこの5ふんご」。どんな5分後か、ニャンか気になる。「なまえのないねこ」。そりゃあ、野良猫だろう。「くろねこ、しろねこ」。黒猫は宅急便屋さんだけど、白猫のニャニ屋さんかなあ。「♪~ねこふんじゃった~♪」。ピアノ初心者さん、なんど踏むんや、痛いニャン??。

 

 猫さん、絵本になりやすいのか、まだまだある。「ほんやのねこ」。この店もそうや。「おにゃんこタクシー」「ねこのおふろやさん」「ねこのラーメンやさん」「うどんねこ」~商いに向いているのだろうか。「ひげが長すぎるねこ」。そんなんでヒゲしたらあかん。「ねこぜを助けるねこ」。ええねこや。人気漫画でドラえもん。どこでもドアがいいなあ。「100万回生きた猫」もいるそうだ。猫の気持を知って~のねこ検定、今年でニャンと7回目、ニャンだ。

 

 

 

 

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2024年2月21日 (水)

見ごろのソシンロウバイ

Img_6983_20240220074201 Img_6985_20240220074201 Img_7007_20240220074301 Img_7008 Img_7010_20240220074301 Img_7009 Img_7012 Img_7016 国産のH3ロケット打ち上げ成功と京都新聞1面トップに載り、その同じ1面下で、府立植物園のソシンロウバイが見ごろと写真が出た。その翌日、見に出かけた。平日の月曜、雨模様。入園者はポツリ、ポツリ。まるで広い植物園、一人で独占したようで得した気になる。

 

 場所は新聞には載っていないが、すぐわかった。梅林ではなく、北西側の四季彩の丘出て、盆栽展示すぎ、夾竹桃、子福桜の東側だ。そう行かない方には、場所探しは簡単ではなくても、年に何度も~のお得意さん。ああ、あそこか!とピンと来た。花弁の真ん中が紫色のロウバイとちがい、ソシンロウバイは芯まで黄色く、漢字で「素心蝋梅」。全体が真っ黄という。

 

 60品種、150本植栽という梅林、紅白の梅が咲いているのを見て、ソシンロウバイの現場へ直行した。新聞の見出しは「春の息吹、黄色く甘く」。咲いている、咲いている。高さ3㍍余り、樹木全体が黄色い。犬やないけど、近づいてクンクン…。甘い香り、匂うような、匂わないような。記事には「黒くなった昨年の実と、新しい花が一緒に見られるのが特徴」と出ていたが、黒いのも見えて、なるほど、なるほどだ。植物園知識、一つまた増えた。

 

 ※ ロウバイは中国原産。日本には江戸時代から。ウメはバラ科、ロウバイはロウバイ科、全くちがう。ロウバイは花が透明で蝋燭のようなので、そういう。

 

 

 

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2024年2月20日 (火)

学芸員おすすめは「この1点」

Img_6684 Img_6689  これぞ、姿、形の美しい黒栗毛の名馬だ。戦いに出れば、速くて強く、無敗伝説の神馬だという。京都市京セラ美術館冬期コレクション展、菊池契月が描いた屏風絵の馬「紫騮(しりゅう)」である。数多い展示作品の中、学芸員おすすめは「この1点」だという。

 

 コレクション展示室入って、最初の作品だ。手にした出品リストA4の4ページの裏面。森光彦学芸員がこの1点について写真付きで詳しく解説している。特別だ。馬は、源頼朝が所蔵していて、家来の佐々木高綱に与え、戦場で連戦連勝。宇治川の戦いなど、その活躍ぶり「源平盛衰記」にも載っているという。題名の「紫騮」とは、馬の種類、黒栗毛のことだそうだ。

 

 森学芸員おすすめの1点、屏風絵の前に立った。前足を踏ん張り、胸をそらし、顔をあげて前を見ている。黒毛の身体全体がつやつや。立派な体格、見るからに強そう。思わず、見惚れる。竹内栖鳳と並んで、弟子が多く、京都画壇をけん引していた菊池契月、63歳、円熟期の作品という。森学芸員は「馬と目があうと、こちらも思わず背筋が伸びそうな気がする」と、この絵にぞっこんだ。確かに、今にも動き出しそうな名馬、何度みても、上手い!?。

 

 ※ 菊池契月(1879-1955)長野から京都へ来て、菊池芳文に弟子入り。栖鳳とともに明治から昭和へ、京都画壇で活躍した。 ※ 冬季コレクション展は2月25日まで。

 

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2024年2月19日 (月)

司馬遼が来た店、今は水谷豊

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 庭木のある路地の奥、燈篭の前が入り口、白いのれんが掛かっている。ちょっとした奥座敷のような。七条通り側に本日の定食が書き込んである。ロースとんかつ、冷やっこ、香の物、お吸い物、ご飯。これで800円。夜の会席料理は特別だろうが、昼はリーズナブルである。カウンター席あり、テーブルの座敷あり、賑わっている。家族経営のよう。

 

 とんかつ、柔らかい。お吸い物、ええ出汁…ご飯がすすむ。板場は息子の3代目に任せ、客席回りの2代目ご主人に話を聞いた。司馬さんは古いお客さんと言う。産経新聞京都支局の時の客らしい。長編連載「街道を行く」のどこかの号で、この店を書いていて、読んだお客さんからよく聞くので、その号がわかれば~と宿題をもらった。今は俳優の水谷豊さん。よく来てもらって~と、一緒のスマホ写真を見せ「ほれ、これ!」。よい相棒になっている。

 

 

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2024年2月18日 (日)

見つけは、崩れたソテツの花

Img_6649_20240214083301 Img_6650_20240214083601 Img_6653_20240214083601Img_6651_20240214083701 Img_6676 大きな葉の真ん中深く、花のような、実のような~、なんだろう。日々歩きの発見というのは大げさだとして、ちょっとした見つけ、だ。長いこと生きてきて、知らないこと多いが、これもその一つ。色々と調べて、咲いてだいぶ月日がたったメスのソテツの花のようだ。

 

 京都市動物園の東入り口、売店の向かい側だ。地下鉄蹴上、南禅寺、琵琶湖疎水館と歩いて、市美側へ動物園の通り抜けがクセになって、その、ソテツの見つけは、何となくだった。府立植物園はことし開園100年だか、動物園は昨年が120年で、記念のノボリは園内そのままになっている。植物園のソテツは意識して見ても、動物園では、見過ごしている。

 

 背丈は1㍍少し、常緑の葉が鳥の羽根のよう。植物園の会館前のは、冬場は丸ごと菰をかぶせてもらっているが、動物園は、気にされていない。そのままだ。ソテツの開花は10年に一度で珍しいのにニュースにもなっていない。開花したのは6月ごろらしく、だいぶ形が崩れているけど、モジャモジャがかえって、見応えがある。オッス!とギターの田端義男は♪~赤い蘇鉄の実も熟れるころ~♪と「島育ち」を歌ったが、「動物園育ち」、どう歌うのか。

 

 

 

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2024年2月17日 (土)

芸大生作品「穴があったら」

Img_6470 Img_6472 Img_6487_20240213071501 Img_6496_20240213071301 Img_6593_20240213071001 Img_6592 Img_6582_20240213070901 Img_6581 Img_6590 Img_6614 Img_6618_20240213071101 Img_6604Img_6601 Img_6603 Img_6628 これが、若さの発想というのか。いや、感性かな。完成した作品に加え、そのタイトル、キャプションがまあ、ユニークだし、洒落気があるような。古木を磨いて立てて、真ん中あたりをへこませて、作品名「穴があったら」。作者はその作品がよほど恥ずかしかったのか。

 

 京都市立芸大の卒業記念作品展。洛西から京都駅の隣に移転して4か月、その学舎で初の開催だ。人気のラーメン店、いつも長い列が出来ているJR高架のすぐ東、塩小路通り。出歩きコース、ぶらり見に行って、鑑賞の始まりは芸大通り。そこで木彫の展示。台車に椅子を乗せて、ときどき二人がかりで動かして「運ばれる座標」。深く意味を求めないのがアート。

 

 学舎2階あたりから四角な布が下がっている。7,8㍍。そのタイトル「ただ見えているだけ」。これ中井賞を受賞という。見えているだけでいいのだ。油絵、日本画はD棟。7階まで行って、屋外展望がいい。南側にJR走り、東側は山々。アート心が沸きそう。作品いっぱい、頭がこんがらがる。「最期の晩さん」はカレーうどん、中トロ、餃子。最期でなくても~。陶芸は黒い手。腕から中が見えて、タイトル「手のうち」。洒落がよく効いている。

 

 ※ 作品展は2月7日から11日までだった。

 

 

 

 

 

 

 

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2024年2月16日 (金)

逃げる2月~写真は残る

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 3日の出歩き、吉田神社へ行っている。参道から本殿、さらに元三宮へ。食べ物の露店写真、いっぱい撮っている。輪になった鮎の炭火焼き、北海道のワカサギ天ぷら、肉巻きおにぎり棒、トルネードポテト…色々あって、名物玉コン1串200円と大貝のつぼやき700円を立ち食いしている。どて焼き、ダンドリーチキン、かす汁…そうは食べられない。

 

 帰りは裏道。中華そば屋さんが晦日蕎麦。気になったが、写真だけ撮る。恋文売りの須賀神社は、洒落て須賀太餅も。聖護院は護摩炊きの山伏さん集合。灯籠の中に獅子飾り、珍しい。八つ橋の老舗・西尾は餅つき、ぜんざいのふるまい。店内にご先祖の教え十訓。~親切を売り、満足を買う~。熊野神社で福豆500円、スーパーで巻き寿司は東北東で丸かぶりポスターなど写真撮る。古書店主・出久根達郎さんエッセイ。「本は残るが、人は消える」。写真は残る。

 

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2024年2月15日 (木)

地名表示は今も「滋賀会館前」

Img_6308 Img_6309 Img_6311_20240211072901 Img_6307 Img_6306_20240211072801 地名表示、ここは「京町3丁目、滋賀会館前」と出ている。滋賀県庁前、旧東海道との交差点。びわ湖など周辺地図も載っている。そこに登場の「滋賀会館」はいま、NHK大津放送局に変わっているが、地名表示は当時のままだ。その「滋賀会館」が、なんとも懐かしい。

 

 JR大津駅降りて、県庁わき通って、毎朝8時半には入っていた。老朽化、耐震せず、平成25年(2013)に取り壊しになるまで、県内文化施設の管理業務で6年は通った。結婚式場、図書館、加藤登紀子らが舞台に出た大ホール、シネマの中ホール、ご近所さん集う喫茶店。地下は食堂街、雨の日は県庁へ通り抜け、無気味さで映画のロケにも。

 

 昭和29年(2013)に完成して、ながく県自慢の複合施設だった。湖岸通りにあったNHKが用地買収、引っ越して2年になる。地名表示は「滋賀会館前」でなく「NHK前」が正しいのだが、たまに山科から大津へ行ったおり、会館名がそのままになっていると、なんか安心する。看板は大津市が設置。旧東海道とは~の案内あり、三井寺―石山寺の巡礼道とも書かれている。訂正するなら「元」を加え、いつまでも「滋賀会館」であって欲しい。いついつまでも~。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024年2月14日 (水)

糸から布へ「ファイバーアート」

Img_6239_20240210082101Img_6246_20240210081901 Img_6197_20240210081301 Img_6206Img_6202_20240210081301 Img_6209_20240210081401 Img_6211_20240210081401  Img_6229 Img_6231 Img_6232_20240210081501 Img_6245 一本一本の糸は繋がって、平面から立体になって、空間にも飛び出して、その意図は、アートだ!という。いつもの、気まぐれウオーク。平安神宮大鳥居、ガラス越しに見る京近美4階フロアでくつろぎ、その4階のコレクション展鑑賞は、糸から布の、あれこれである。

 

 展示は「糸の構成」といい、「ファイバーアート」だという。作家が化粧し、その作品人物になる森村泰昌さん作品など見て、昨年から続く開館60周年記念展のひとつ「小林正和とその時代」に関連した展示。白いだけ、大きいだけのカーテンが下っている。色が重なりあった布地は、テキスタイルアートか。フワフワした塊りがボコボコと積みあがっているのもある。

 

 「なんやろなあ」~よくわからない。どれも、糸を始まりとするアート作品という。1960年代、この領域では日本のパイオニア、故小林正和さんと、外国人作家を含むその時代の仲間の作品。「ファイバーアート」は、わかりやすく言えば、繊維の芸術。折り紙みたいなの、色ハンカチを継ぎ合わせた案山子のようなの、織機から無造作に糸を垂らしたの。風呂敷、房、ベッド…。どれもこれも、ユニークな作品をみて、平安の時代へ遡って、いとどをかしき??。

 

 ※ 小林正和とその時代展は3月10日まで。 ※ 小林正和(1944-2004)京都市立芸大卒。川島織物在職。

 

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2024年2月13日 (火)

お寺さん例祭、3点セットのふるまい

Img_6330_20240209073501 Img_6331 Img_6343 Img_6344_20240209073701 Img_6345_20240209073701 Img_6346 Img_6347_20240209073701 Img_6379_20240209073801 Img_6386 Img_6398_20240209074101 お寺の例祭などのふるまい、お善哉など多いが、ここのお寺さんは、酒かす汁、たこ焼き、ホットドッグである。この豪華なふるまい、お賽銭少々で昼が助かる。そのたこ焼きがまた、名付けて「多幸焼」というから、幸せいっぱい、胸いっぱい…。誠にありがたい3点セット。

 

 家康さん側室・阿茶の局創建の上徳寺の例祭。国道1号の五条通りから富小路を少し下ったところで、子授かりに縁起のいいお世継ぎ地蔵を祀る。毎年2月8日は、お参りすれば、子授かりに加え、安産、長寿、財運など福が10種、無限の功徳があるという。昼からは聖護院から修験道の山伏さん来て護摩炊き。通りがかりの門前看板で知り、手を合わせ昼食に入った。

 

 そうは広くない境内、まず参道で、たこ焼き。いや「多幸焼」。法被の学生さん、コロコロ転がす。床几で5個頂戴して、次はホットドッグ。これも床几でほおばって、喉が渇いて、境内奥の酒かす汁。大鍋からお椀に一杯、アツアツ、いつも一人でフーフー?して、昼どきの幸せ、ナミアミダブツ。お賽銭で御礼して、今度はホラ来た!と、ほら吹きの山伏さん。弓矢、ヤッ!と射って護摩炊き見学。これも、歩きの功徳、ありがたや、ありがたや~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024年2月12日 (月)

光源氏の別荘「河原院」

Img_6275_20240208073501 Img_6277_20240208073501 Img_6280_20240208073601 Img_6278_20240208073501 Img_6283 Img_6284 Img_6293 京都に、奥州は陸奥「塩竃」の町名がある。牛若・弁慶像が立つ五条大橋から西へ、国道1号の河原町高倉の歩道橋。下から見上げて、そこに「塩竃」の地名表示、なんでかナ?だ。これ、はるか1千年前、光源氏の別荘「河原院」に由来するようだ。平安時代の初期という。

 

 紫式部の源氏物語、主人公・光源氏のモデルは、左大臣源融と言われる。空海らと並ぶ平安の三筆、嵯峨天皇の皇子。その別荘跡が今の渉成園(枳殻邸、東本願寺所有)をふくむ「河原院」という。陸奥好きだった源融の別荘庭園。奥州・塩竃を模し、池に難波から海水を運び、塩焼きを再現したとか。その広大さ、東西は鴨川から柳馬場、南北は五条から六条あたりと。

 

 司馬遼「街道を行く」(33)白河・会津のみちを読んでいて、源融、渉成園、河原院が出て来た。坂上田村麻呂が奥州へ行って戻って以来、都人は陸奥ブーム~と書いている。源融は宇治・平等院を造り、さらに「河原院」だったという。ふだんの出歩き、その場所を知っている。本持参して現場確認へ。高瀬川五条下がり、老木のそば「源融・河原院跡」の駒札、国道1号で「塩竃町」、さらに「名勝・渉成園」…。今日の歩きは、1千年前を思って~だった。

 

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2024年2月11日 (日)

「たこ吸い」

Img_5808 Img_5812_20240207071301 Img_5811_20240207071401 Img_5816_20240207071701 Img_5813_20240207071401 Img_5814_20240207071801 Img_5817_20240207071401 Img_5818 気になって、気になって…、何がそう気になるかって、赤札メニューに出ている「たこ吸い」。持ち帰りなし、その場で座ってどうぞ!と。「たこ吸い」どんなんやろう。からだも温まるというし、降雪予報が出ていた寒い日、その「たこ吸い」だけを目当てに出かけた。

 

 市バスで河原町今出川から行くも良し、京阪で出町柳駅から高野川、加茂川を渡っていくもよし、出町枡形商店街。その真ん中あたりのたこ焼き専門店。その店名もおかしく「タコとケンタロウパート2」。顔出し看板、たこTシャツ、たこライブ、節分には、この店発祥というたこ焼き巻き寿司…。タコメニューも様ざま、店前に立つだけでなんか面白い。

 

 「たこ吸い」は一杯500円。店内は黒いシャツ、忍者スタイルのオネエサン。店前に簡易ベンチ二つ。待つ間、たこ焼きメニュー見たら、たこ九条、たこ咖厘、たこ和尚…、これまた、どんなん?と、気になるけど、今日は「たこ吸い」一筋。忍者ネエサン、はい、どうぞ!。お椀の中、お吸いもんにたこ焼き4つ、とろろ昆布と一緒に浮かんでいる。味、どうのこうのでなく、これが気になっていた「たこ吸い」。納得、知っトク「たこ吸い」。

 

 

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2024年2月10日 (土)

「ミズヤシ日本初開花」

Img_6050 Img_6088Img_6110 Img_6095_20240206064801 Img_6101 Img_6098_20240206064901 Img_6097_20240206064801   クネクネ曲がる観覧温室へ入って、10㍍ほど行って、これだ、これだ。世界でも珍しく、日本で初めてというミズヤシの花だ。京都府立植物園の開館100周年を祝うが如く、いま、咲いている。クリーム色、花というより、ススキの穂のように伸びている。これ、これだ!。

 

  京都新聞にも出ていたらしいが、見逃していた。夕方のNHK京都ローカルのTVでそれを知った。植物園ツウとしては行かねばならぬ~と行った。朝から雨降りっぱなしの平日。入園者の姿はまるで見えない。一日100人ほどか、これも開園100記念?。北山口のワイルドガーデン、麦わら少女像前の葉牡丹が「100」を象って、見応えがある。さすが植物園!。

 

 水の中に根を張って伸びるミズヤシ。遠くアフリカ南東部の島、マダガスカル原産。植物園は京大から15㌢ほどで譲り受け、大事に育てて、今は水中からの幹が80㌢、高さ6㍍。真ん中で膨らみ、とっくり見て、トックリみたい?。観覧温室4500種の中では地味な存在だが、植物園へ来て24年目、嬉しい、嬉しい~まさかの開花だという。ヤシに看板、赤い↑で示し、京都新聞記事も貼り、「ミズヤシ日本初開花」。植物園開館100年、おめでとう!。

 

 ※ 植物園によると、花は1月20日に咲き、2月中は咲き続けると。

 

 

 

 

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2024年2月 9日 (金)

水墨画、双竜の迫力…

Img_5974_20240205074901 Img_6010 Img_6016_20240205074901 Img_6018_20240205074901 Img_5994 Img_5996 Img_5998_20240205075301 Img_6025 なんという迫力だろう。水中から沸きあがって、雲間に彷徨って、2頭の龍が唸りあっている。高さは2㍍、その長さは端から端へ、なんと12㍍。右から、左からと見歩いて、長い尾っぽが絡みついてくる気がした。その迫力見たさ、怖いもの見たさ、二度会場へ行った。

 

 京都高島屋6階画廊、日本画家・中野嘉之さんの水墨画展。ぶらりと何となく足を運んでの出会いだった。中野さん、京都市出身、多摩美術大学名誉教授、昨年10月に77歳で逝去という。加山又造画伯らに師事、花鳥画で名を成し、水墨画に転じ、第一人者だった~と知った。画廊中央、今にも動き出しそうな水墨画は「双水竜図」。中野さんの代表作という。

 

 展覧会テーマは「潑墨(はつぼく)のそれぞれ」。水墨画は、筆に、紙に、墨に、その水にまでこだわって、どう表現できるか~という。展示作品20点。見えない白い風を描き、波の音まで描く。絵の前に立つと、たしかに風と音を感じるような。何とすごい画家さんだろう。京都市のどこ出身か、嵐電駅ある白梅町、生家は畳屋さん。京都市美術館の日展、東山魁夷作品に見惚れ、日本画を志したと。その出会い、いま、竜になって浮かび上がっている。

 

 ※ 中野嘉之(1946-2023)京都市生まれ。多摩美術大教授、新制作協会、創画会で活躍。2005年、芸術選賞文部科学大臣賞。 ※ 京都高島屋、中野水墨画展は2月5日で終わり、横浜、名古屋の高島屋へ巡回。

 

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2024年2月 8日 (木)

あの世とこの世「六道の辻」

Img_5721_20240203072201 Img_5720Img_5648_20240208070101 Img_5737 Img_6265 Img_5740 Img_5717_20240203072001 Img_5722_20240203072901 Img_5724_20240203072001Img_5732_20240203072601Img_5733   どう言う訳か、この頃、歩き行くあの道が妙に馴染んできた。あの世とこの世の分かれ道だという「六道の辻」だ。年のせいだろうか、ときどき、ひょいとあの世の方へ一歩、踏み出している。ぶら歩きコースの一つ、驕れる平家の~六波羅探題があった六原界わいである。

 

 バス停五条坂降りて、西北へ建仁寺境内を通り抜ける道筋。お盆に精霊の迎え鐘で賑わう六道珍皇寺あたり。昭和の初めまで、市内を上京と下京に分けた松原通り。東側が葬送の地・鳥辺野、そこが生死の分岐点の道だという。口から「南・無・阿・弥・陀・仏」と息を吐き、食うや食わずの聖、空也上人像の六波羅蜜寺、安いスーパー・ハッピー六原などもある。

 

 町名は髑髏みたいな轆轤町。京名物という幽霊飴も売っている。真言宗・西福寺は六道の辻の石碑、額などがかかる。別れ道はここか~と思うのは、やはり建仁寺の塔頭でもある六道珍皇寺の門前あたり。門が赤くて、目印になるゴツゴツした石碑が立つ。寺の中、閻魔さん、そばに仕える小野篁の像、あの世に通じる井戸など、役者は揃っている。近くの書店、六道の辻ウオーク本が人気だという。この世からあの世の道へ、見境がつかなくなってきた。

 

 ※ 六道とは、地獄、飢餓、畜生、人間、修羅、天上で、生前の行い裁く冥界の道。
 

 

 

 

 

 

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2024年2月 7日 (水)

祇園名物、江戸焼きウナギ

Img_5710_20240202064801 Img_5690_20240202065001 Img_5695_20240202065001 Img_5694_20240202064901 Img_5696_20240202065301 Img_5698 Img_5703_20240202064901 Img_5704_20240202064901 こんがりと、ジュワッと、ええ色している。丼の蓋を開けて、見た途端につばが出そうになる。肝吸いからか、ウナギからか。丸ごと丼を覆う大きなウナギ。どこから箸を入れようかと思う。端?真ん中。う~んと思案して、ええとこはあとからや。まずは、端から少し~。

 

 祇園名物となった「う桶や・う」。一力茶屋ある花見小路のもう一つ西、やはり石畳で、そこを南へ行って、おおかた建仁寺の北あたり。桶にウナギの暖簾が下がって、予約の席は2階。畳部屋、座布団に座って、ウナギ丼は特上の松。値段?そらあ、う、う、う~。そうは、来れないので、盆と正月、ウ巻き、うざくも。出て来たのは、背中開きの江戸焼き。

 

 背びれ、尾びれは除いて、串に刺し、備長炭で白焼きにし、井戸水で洗い、蒸してから焼いて秘伝のタレ。そんなに手間?タレが知る。江戸焼きは腹切りいかんと、関西とちがって背開きという。まあ、講釈はええ、味はどや!と聞かれて、まあ柔らかい。それに、あっさりして、淡白。うまいかって、そりゃあ、愛知か、鹿児島か、宮崎か、浜松か~の高級ウナギ。箸置きデザインも「う」、団扇もウナギの「う」…みんなうもうて、長うて、う、う、うの~う?。

 

 ※ う桶で注文は3人前以上。 ※ やげんぼりグループ、四条・花遊小路の江戸川も系列。

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2024年2月 6日 (火)

東大路通り、歩きの発見

Img_5666 Img_5665_20240201073401 Img_5673 Img_5651_20240201072901 Img_5664 Img_5659_20240201073001 Img_5668_20240201073401 Img_5672 ネット時代というけれど、歩いてこれはナンダ!、それはナンヤ?と直接目にしての発見。それはそれで面白い。どこを歩くか、その日の気分、足の勝手だけど、なんか見つかる。この間は京都の東大路通り。五条坂から祇園までの東側歩道20分ほど、まあ、色々とあった。

 

 これはナンヤ?のその1。老舗・饅頭屋さんの貼り紙は「厄除け・法螺貝餅」。どんな餅?と、もしもし、もちもち?と聞くと~。味噌あん、ごぼうなどで、修験道の山伏さんが吹く法螺貝に似せてつくり、節分2月3日だけの予約、もう完売と。ナニ?のその2は、民宿「無限の息」。名前は思い思いにしても、ハアハア、スースー、切れない息も苦しいのでは?。

 

 バス停で4つ。道筋に清水寺、八坂の塔、高台寺…、外国人観光客が多い。熱燗は「HOT SAKE」。ほっとけん?。着物は1000円~京都で一番安い。路地の前、なんやかんや着込んだ女性人形。「VINTEGE KIMONO」。お弁当販売は昼でも「遊食亭」?。鶏屋がつくったラーメン、注意してみて「TORICHU」。豆腐丼、親子丼1500円。抹茶アイス付きとはいえ、その値段?ちょっと待ちや?。歩きの発見、SNSに負けへんで~。

 

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2024年2月 5日 (月)

「小さい春」

Img_5790_20240204070901 Img_5795_20240204071001 Img_5796_20240204071001 Img_5800_20240204071101 Img_5798_20240204071101 Img_6032_20240204160201  咲いている、咲いている。小さくポツリと咲いている。茶けた低木、細い枝が群れるように伸び出して、中を覗きこんで、白い花が一つ、二つ……。小さな花は5弁、1㌢もない。「よ~く見てね」と、そっと開いている。春の始まり。「小さな春」が来ているようだ。

 

 寒くても立春。出歩いて、陽ざしが増したような。秋、あんなに紅葉するとは~と初めて知ったユキヤナギ。バラ科のシモツケ属。樹高2㍍の落葉低木。ソメイヨシノが咲く同じころ、白いヤナギのように咲く。今はどうだろうと、群生した場所を知っているので、見に行った。京阪出町柳駅を降りて、高野川の河合橋を渡り、加茂川の出町橋東詰めの河原だ。

 

 葉っぱが枯れ落ちて、茶色が目だっている。長さは10㍍ある。階段を降りて、まじかで見ると、細い枝が縦横、群れるように広がっている。さらによく見ると、枝に蕾がいっぱい芽吹いている。さらに、さらにで、花だ。これからどれだけ咲くのか、その一番咲き、ひょこっと顔を出している。蝋梅が香り、白梅と紅梅が開花し、土筆、ぜんまい、ふきのとう…どれも春の先がけだけど、ユキヤナギの「小さい春」もお忘れなく~と可憐に咲き出ていた。

 

 

 

 

 

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2024年2月 4日 (日)

ハト(鳩)スタジアム

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 彦根に本社があるスーパー、平和堂のネーミングライツ。スタジオ正面、鳩2羽のマークが掛かっている。その正面に立って、右に国宝彦根城。いま、世界文化遺産目指し運動を展開中だ。左に雪をいただいた伊吹山。標高1377㍍、岐阜県との県境で、麓は関ヶ原。県内で一番高く、薬草の宝庫。そこへ立つだけで、歴史と自然を感じて、スタジアム内へ入った。

 

 行ったのは1月末、大雪が降った翌々日の朝。アンツーカー、なんつーか、まだ雪が残っている。色は琵琶湖ブルー。フィールドは人口芝の緑、それに雪解け始まった白。その彩りが朝日に映える。松原内湖の埋め立て地で、軟弱地盤は高い工事費で不安一掃という。スタンド1万5千人収容。陸連第1種公認。日本人で初めて100㍍9秒台は桐生祥秀選手(日本生命)は、ここ彦根出身だ。目の前、ゴールラインが見えた。来秋、どんな記録が出るのか。晴れ舞台が待ち遠しい。

 

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2024年2月 3日 (土)

大老井伊直弼の銅像と対面

Img_5412 Img_5372 Img_5389 Img_5391 Img_5397 Img_5399 Img_5400 Img_5407_20240130074201 Img_5409 ここだ!、これだ!会いたかった大老、井伊直弼の銅像だ。国宝彦根城を真上に見上げるよう、高い台座の上、正装して、立っている。金亀児童公園の中だ。等身大、全身が青錆びている。立ってどれくらいなのだろう。日米修好通商条約、開国、桜田門外の変…、その人だ。

 

 何度も彦根へ行っているのに対面はまだだった。JR駅前、家康の四天王で初代彦根藩主・井伊直政の騎馬像からだ。市役所、護国神社、お濠沿いのいろは松…。銅像の場所、駅の観光案内所で地図をもらった。途中、直弼の歌碑と狩野永岳が描いた画像、さらに15歳から15年間、茶道、歌道などで文化度を高めた埋木舎(うもれぎのや)の門塀も見た。

 

 外濠を超え、重文馬屋前から内濠の間の道を行き、屋形船乗り場、玄宮園前に公園。駅から15分歩いてだった。もう160年以上前、桜田門外で暗殺された3月3日も春雪。何かの縁があったか、行った日も2日前に大雪、銅像回りは白かった。琉球王朝の流れをくむ孫嫁、歌人・井伊文子さんの句碑。~一身に責負ひまして、立ちましし、大老ありてこそ開港なりぬ~。公園で親子の雪だるまづくり。第1回大河ドラマ「花の生涯」の記念石碑も見た。対面へ、長い道のりだった。

 

 ※ 井伊直弼(1815-1860)。11代藩主直中の14男で生まれ、16代藩主。幕末の安政5年、徳川家大老に就任。開国、近代化へ舵を切るも、登城中、桜田門外で暗殺される。46歳。銅像は明治時代、元彦根藩士らが立てた。

 

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2024年2月 2日 (金)

赤い糸コンの「ひこね丼」

Img_5467_20240129065101 Img_5473_20240129065201 Img_5468_20240129065101 Img_5470_20240129065101 Img_5471_20240129065201 いや、これはいい。滋賀名物の一つ、赤こんを糸こんにして、お客さんと赤い糸だという。彦根へ行って、ご当地B級グルメ「ひこね丼」。赤は、戦国・井伊家の赤揃いにも絡めて、アイデアもアイデア、グッドアイデアである。赤の他人でなく、お客様と縁結びの赤という。

 

 たかが丼、されど丼~ドドンのドンである。「丼」の漢字も、よく考えると井伊家に井桁マークとも共通して、その昔から赤いで結ばれいたと、言えなくもない。来年秋、滋賀県で国体改め国スポ・身スポ開催、その開閉会式の主会場が彦根城近くに新しく完成しているので、見に行って帰り。昼になって駅前の店で、ひこにゃんのノボリ旗があがって「ひこね丼」。
 
 彦根市が2011年の市政75周年のおり、食文化の町おこしで考えた。お店それぞれが独自の「ひこね丼」をつくり、その店にノボリ旗を提供して、市内のグルメマップに掲載という。入ったのは、駅西口から1分の八千代さん。創業100年の老舗。1100円で出て来た「ひこね丼」。赤コンの糸コンに白い糸コンも。大きい牛スジ、半熟玉子と大葉いり丼。その説明、赤い糸コンは、店とお客さんの縁結び。丼から引っ張り出した糸コン、妙にいとおしい。

 

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2024年2月 1日 (木)

七曲がり、表札は「田原総一朗」

Th_20240128071501 Img_5483 Img_5484 Img_5489_20240128070701 Img_5490 Img_5492 Img_5493_20240128070801 Img_5511   江戸時代から変わらない町並み、何度目の角を曲がったあたりだったか。格子と白壁、古そうな二階建て民家、何気なく玄関の表札をみたら~である。名前が「田原総一朗」。ひょっとして、あの「朝まで生テレビ」のコーディネーター、田原さんのお宅?~と勘が働いた。

 

 JR琵琶湖線で彦根へ行ってだ。来秋、国体から名称が国スポと変わって、開閉会式、陸上競技がある新しい会場が彦根城近くに完成。そこを見て、その流れで足を伸ばして、伝統工芸、彦根仏壇のお店が並ぶ「七曲がり」の町へ。駅前の観光案内所でパンフをもらい、近江鉄道で2駅160円、彦根口で降りて、真っすぐ行って、角また角と曲がり、歩き続けた。

 

 道路わき、2日前の雪が積み上げられている。町並みに人はいない。「七曲りは仏壇街」の立て札。江戸中期までは武具製造の塗師、指物師が転職した結果という。表札「田原総一朗」の町名は元岡町。田原さんは名門、彦根東高校から早稲田へ行って、ジャーナリストの道へ。今は東京でお住まいだろうが、ここが生家のようだ。へそ曲がりでない仏壇の七曲がり。田原さん、年に何度かお戻りか~と表札を見あげた。これも出会いの一つかな。

 

 ※ 田原総一朗(1934~)滋賀県彦根出身。ジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。著書多数。 

 

 

 

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