ホテルは長州藩邸跡
見上げて「Since1888」だ。1888は明治21年、その年がホテルオオクラ京都の前進、京都ホテル(京都常磐館)の創業元年という。136年前。東京に朝日、大阪に毎日が創刊、磐梯山が千年ぶり爆発、牧野富太郎さんが植物誌第1号を発刊した年である。
ホテルの高さは京都市内で一番の60㍍。京都仏教会との高さ論争などあり、高さ制限いっぱい。長州藩の屋敷跡だ。ホテル南、車が入る御池側に石碑が建つ。幕末、蛤御門の変で、薩摩・会津に敗れ、屋敷を燃やして、山口へ逃げ帰った~の記述もある。正面は西の河原町側、京都市役所の向かい。明治維新を成就した長州藩士・桂小五郎、木戸孝允の銅像がある。
右手に刀を持ち、どっしり座っている。日本の夜明けを見ているよう。実物そのままなのかどうか、男前だ。従業員出入りの北側、ホテル創業者の前田又吉像と日本の初代総理大臣・伊藤博文の胸像が並んでいる。前田氏は兵庫・有馬の温泉旅館で成功、伊藤博文は兵庫県知事で知り合い、京都にもホテルを~と懇請され、京都で創業したのが1888年、明治21年だという。銘板、そんな謂れが詳しい。東は木屋町、高瀬川。暇なホテル周辺ぶら歩きにも学びあり。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- たこ焼きうどん登場(2025.04.24)
- JR京都駅壁面にJRさんの写真(2025.04.23)
- 八百屋さんの書き込みが面白い!(2025.04.22)
コメント