池田遥邨、関東大震災をスケッチする
上野駅へ行って、駅舎なくなっている。新宿も、神田も、愛宕下も、吉原も、横浜も、何もない。一面が焼け野原、何もない。死者10万余り、被災家屋21万棟…100年前の関東大震災。ひとりの画家が1か月かけて歩き抜いて、その惨状をスケッチ、今に残している。
山頭火シリーズなど名が高く文化勲章受賞、日本画家・池田遥邨氏だ。いま、京都近美4階で、そのスケッチ156枚が前期後期で公開されている。特集展示「池田遥邨大正12年9月関東大震災」の全貌。震災発生から20日後、岡山の同郷、洋画家・鹿子木孟朗氏に誘われて~という。鉛筆で紙に淡彩に、現場で見た光景をありのまま描き、400枚もという。
コレクション展の鑑賞へ行って、ぐうぜん、この企画展を知った。岡山倉敷から京都へ出てきて、関東大震災は遥邨さん28歳のときという。このときスケッチをもとに翌年「災禍の跡」を描いているが「これほど一生懸命だったことは後にも先にもなかった」と後年、思い出を話している。その絵は帝展で落選になったが、倉敷市美術館が所蔵、近美も複製展示していた。震災現場を様々に取材したこと、帝展落選したこと、それが後の遥邨大成の道という。
※ 池田遥邨震災スケッチ展は10月1日まで。スケッチ400枚のうち、250枚は倉敷市、残りは息子の池田道夫氏は京近美に寄贈。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「たこ焼きうどん」登場(2025.04.24)
- JR京都駅壁面にJRさんの写真(2025.04.23)
- 八百屋さんの書き込みが面白い!(2025.04.22)
コメント