« 雑草の名は「ビンボウカズラ」 | トップページ | 植物園100周年のロゴマーク選び »

2023年9月 5日 (火)

池田遥邨、関東大震災をスケッチする

Img_1603_20230902081501 Img_1617 Img_1611 Img_1616 Img_1638 Img_1631 Img_1627_20230902081701 Img_1610_20230902081601 Img_1607_20230902082001 上野駅へ行って、駅舎なくなっている。新宿も、神田も、愛宕下も、吉原も、横浜も、何もない。一面が焼け野原、何もない。死者10万余り、被災家屋21万棟…100年前の関東大震災。ひとりの画家が1か月かけて歩き抜いて、その惨状をスケッチ、今に残している。

 

 山頭火シリーズなど名が高く文化勲章受賞、日本画家・池田遥邨氏だ。いま、京都近美4階で、そのスケッチ156枚が前期後期で公開されている。特集展示「池田遥邨大正12年9月関東大震災」の全貌。震災発生から20日後、岡山の同郷、洋画家・鹿子木孟朗氏に誘われて~という。鉛筆で紙に淡彩に、現場で見た光景をありのまま描き、400枚もという。

 

 コレクション展の鑑賞へ行って、ぐうぜん、この企画展を知った。岡山倉敷から京都へ出てきて、関東大震災は遥邨さん28歳のときという。このときスケッチをもとに翌年「災禍の跡」を描いているが「これほど一生懸命だったことは後にも先にもなかった」と後年、思い出を話している。その絵は帝展で落選になったが、倉敷市美術館が所蔵、近美も複製展示していた。震災現場を様々に取材したこと、帝展落選したこと、それが後の遥邨大成の道という。

 

 ※ 池田遥邨震災スケッチ展は10月1日まで。スケッチ400枚のうち、250枚は倉敷市、残りは息子の池田道夫氏は京近美に寄贈。

 

 

|

« 雑草の名は「ビンボウカズラ」 | トップページ | 植物園100周年のロゴマーク選び »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 雑草の名は「ビンボウカズラ」 | トップページ | 植物園100周年のロゴマーク選び »