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2023年7月24日 (月)

見える範囲、みな大津城跡

Img_8879_20230721072801 Img_8881 Img_8190_20230721072401 Img_8189 Img_8188 Img_8885 Img_8886_20230721072901Img_8878  Img_8897_20230721072901 Img_8901 Img_8902_20230721073401 Img_8903_20230721073401   京阪京津線で山科から浜大津へ。駅のESで上がって、2階の改札。高架の歩道橋、北に琵琶湖が広がる。真ん前に琵琶湖汽船大津港、西に大津市の複合ビル・明日都。遠望すれば東に近江富士、西に比叡山。下は江若バスのターミナル。このあたり一帯、そのむかし、大津城だった。

 

 天下を制した秀吉が坂本城を廃して築いた。明確ではないが、天正14年(1581)ころ。天下分け目の関ヶ原の戦い、4代目城主・京極高次が家康の東軍に味方して、西軍1万5千を迎えた。長い間、籠城して、その進軍を立ち止まらせ、家康は関ヶ原に勝った要因の一つと功を認めた城である。その大津城、どんなお城だったか、規模、姿がよくわからない。

 

 天守閣は、世界遺産を目指す彦根城へ移されたことは知られている。石垣などは膳所城へ~たが、その膳所城も、その前の坂本城も今はない。みんな、湖に突き出た水城、残っていればと思う。大津城の存在は10年余り。駅に隣接するスカイプラザ浜大津6階にお城の想定模型がある。天守は高さ24㍍。湖岸側に「大津城跡」と記した碑。二の丸、三の丸、中堀、外堀などの位置を示す縄張り図も。見える範囲はみんな大津城、それはそれは大きな城だった。

 

 

 

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