大津市「緑が丘球場」
戦前、全国中学野球京津大会の決勝があった、その球場は、電車の臨時停留所が出来、その観客は2万人も、だったという。大津市と京都市の境、旧東海道わきの「緑が丘球場」である。京都に西京極球場完成まで、昭和2年から5年間、京津大会開催の歴史を持つ。
大津市だけど地域的には京都市みたいな大津市藤尾。びわ湖毎日マラソン出発・決勝だった皇子山競技場が前にある大津市役所へは逢坂山のむこう。大津市藤尾支所町づくり協議会が発行する会報・藤尾歴史散歩に、この球場のことが写真付きで載っていた。球場が出来て、朝日新聞滋賀版は「新緑がしたたり、涼風が吹く理想の球場」と記していたという。
その球場はどのあたりだろうと会報を見て探しに行った。山科から京阪バス、藤尾・小金塚行き、最初の停留所が緑が丘。会報記載の電車臨時停留所があった四ノ宮と追分の間あたり、今は住宅地。どこかな、どこかなと歩いて、テニスコートがある藤尾運動広場へ出た。藤尾支所の西側で、表示も、面影もないが、この場所が球場だったようだ。戦時色強くなって、芋畑転用で球場は姿を消したというが、その歴史は会報写真の中「今は昔」で、存在していた。
※ 緑が丘球場掲載の会報・藤尾歴史散歩は2022・10月と11月。第16回京津決勝の場内行進写真。平安中20―2膳所中の記載。 ※ 夏の高校野球地方大会は第1回~37回は「京津大会」、38回から54回は「京滋大会」、その後、福滋大会経て、60回から1県1校出場に、
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