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2023年1月20日 (金)

豊臣秀次、水争い裁きの像

Img_6099_20230117082801 Img_6082 Img_6092 Img_6089 Img_6090 Img_6094 Img_6095_20230117082701 Img_6102 Img_5886 豊臣秀次の像が近江八幡市に二つ、その一つを見に行った。日野川に架かる桐原新橋の東詰め。扇子持つ秀次像は、正座する3人の庄屋さんと向かいあっていた。旱魃で隣り合う村の水洗い、八幡城主だった秀次が現場を視察して、話し合い解決の道筋をつけた像だという。

 

 朝から小雨、JR琵琶湖線篠原駅で降りて行った。駅は、野洲と近江八幡の間。八幡公園にある銅像は前から知っているが、こちらの像はスマホ検索で初めて。駅北口からスマホのグーグル案内。住宅街出て、綿向山源流の日野川堤防をずいぶん歩き、やっと桐原新橋。平成10年完成という。この橋を西詰から渡りきって対面だった。日展彫刻家・竹谷郁夫さん製作という。

 

 「秀次公 水争い裁きの像」の由来説明、庄屋像側にあった。雨の中、腰をかがめて読んだ。築城、八幡掘り、楽市楽座など近江八幡は、秀次公開祖の町~で始まる長い文章。秀次の治世は短いが、善政で領民に慕われ、天正14年(1586)の旱魃、村人流血の騒動も、それぞれの話をよく聞き、独断せず、現場点検の上、和解させたという。その裁きに庄屋さん~しょうやなあ?~と納得の像は、新橋完成記念。そのさばき方は現代にも通じ、名君・秀次ここにあり~という。

 

  ※ 秀次は秀吉の姉の子で甥。秀吉の養子、関白になったが、秀吉に秀頼が生まれ、謀反の罪で自害した。近江八幡市では、秀次を町の開祖として今も顕彰、NPO法人などが活動している。

 

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コメント

まさしく「秀次裁き」ですね。10数年前、3泊4日で湖東を巡った折、八幡公園の秀次像に対面。秀次の善政に触れたことを思い出します。
後継ぎみ恵まれなかった秀吉の養子になり、関白までになったなったものの、秀頼誕生で高野山に幽閉。自害させら、家族40人余とともに鴨川3条河原に首がさらされた悲劇の名君でもー
桐原新橋のたもとに向かい合って建つ秀次像と庄屋像、ぜひこの目で触れて見たいものです。

投稿: s.hidaka | 2023年1月20日 (金) 07時02分

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