蒲生氏郷、望郷の像
故郷を思って、今まさに、筆を持ち、一句したためんとしている。戦国大名・蒲生氏郷、望郷の像である。秀吉の命で東北・会津から朝鮮攻めの九州・肥後へ。中山道、近江の武佐まで来て、生まれ育ち、町づくりした日野の城下は、そこなのに~と、その思いを詠んだ。
~思いきや 人のゆくえぞ 定めなき わがふる里を よそに見んとは~。この像の写真を撮りにJR近江八幡駅から近江バスで行った。湖東、近江八幡と日野と八日市を走る日八線。日野駅も超えて50番目の停留所、日野高校前で降り、雲雀野ひろばの中である。鎧兜、武骨な氏郷像。階段ある小さい丘、高い台座の上で、故郷の綿向(わたむき)山を眺めていた。
人質の岐阜城で信長に才を認められ、信長の娘、冬姫を妻に。日野城下で近江商人を育て、本能寺の変で秀吉につき、伊勢松坂城主に。秀吉小田原攻めのあと、会津若松城主93万石の大名になって40歳で没した。その波乱に富む人生、作家童門冬二著「蒲生氏郷」で読んだ。「ペンネームがドーモンで、どーもすみません」と結ぶ童門講演、何度か聞いている。はるばる行って見た日野町のシンボル像、故郷へ寄れない氏郷のせつなさが溢れていた。
※ 初代氏郷像は大正8年に出来たが、戦争で金属供出し、2代目の現在の像は昭和63年に出来た。滋賀県醒井出身、山口栄太郎作。
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