~麒麟がくる~西教寺の今
麒麟が来て、あれから3年、明智光秀ゆかりの寺の今は、どうだろう。大河ドラマは「鎌倉殿の13人」から「どうする家康」になった年明け、湖西・坂本の西教寺を訪ねた。日吉大社から東へ東へ、きつい上り坂、琵琶湖を見ながら、休み休みして着いた。
光秀の坂本城からの移築という総門前にノボリ。「ようこそ坂本へ、明智光秀ゆかりの地・西教寺」。明智家の桔梗紋、大河の名残を示している。聖徳太子創建、叡山修行の真盛上人中興の念仏道場という。信長の叡山焼き討ちで、巻き添えで全焼も、坂本城主になった光秀が再興に力を注ぎ、明智家菩提寺。毎年6月14日に光秀忌が営まれ、光秀縁者が多く集う。
塔頭が並ぶ参道の階段を上がり、大本坊へ。大河「麒麟がくる」ポスターが懐かしい。根本道場示す「戒称二門」の軸隣、本能寺へ向かう決意の光秀ポスター。「時はいま、あめが下しる五月哉」を思う。知人紹介、光秀公・煕子夫人の位牌所へ。彫刻家・故富樫実氏製作の木像を見て、手を合わせた。光秀公表情が穏やかだった。本堂前に明智一族のお墓。妻煕子を詠んだ芭蕉句碑「月さびよ明智が妻の咄せむ」。麒麟がまた来たか!と、境内を巡った。
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