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2023年1月 5日 (木)

この武将騎馬像はだれか?

Img_5135 Img_5148 Img_5154 Img_5158 Img_5165 Img_5167 Img_5175 この武将騎馬像、だれだかおわかりだろうか。見てわかれば、かなりの戦国ツウ。騎馬武将は、近江源氏・六角定頼である。それでも、それ誰?という向きもだろうが、信長が安土へ来るまで、近江守護として、足利幕府を陰になり日向になり支えた英傑、戦国大名である。

 

 実は、こう紹介しているが、知らなかった。JR安土駅前の信長像写真を撮りに行って、それ以前、鎌倉から400年、代々、近江の守護だった佐々木六角氏の流れ、誰か銅像はないのか、駅ナカの観光案内所へ聞きに行って、知った。六角氏が城主だった観音寺城跡のふもと、きぬがさ山トンネルの入り口に定頼像があるという。日を置いて行っての、対面だった。

 

 きぬがさ山は、漢字で「繖山」と書く。JR能登川駅から八日市行きバス、五個荘の三方よしプラザで降りた。道沿い、表示看板の、きぬがさ街道を10分歩き、聞いていたとおりトンネル前だった。石垣台座、駿馬の手綱を引いて、いざ出陣を思わす騎馬像。来た甲斐あり~の格好良さだった。長さ1㌔のトンネル抜けて県立安土考古博物館。去年春、開館30年記念「六角氏だってすごかった」展を開いている。安土と言えば、信長、信長だけど、近江の六角を象徴する騎馬像、ここにあり~と見た。

 

 ※ 六角定頼(1495-1552)。台座説明は、戦乱の時代、「流れ公方」と言われた第10代足利義稙の近侍。第12代足利義晴を観音寺山西、桑実寺に迎え仮幕府を置くなど、戦国大名として活躍した。定頼の息子の時代に信長が安土へ来るまで、六角家が長く近江の守護だった。

 

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