伊勢松坂、会津若松は、近江日野から~
会津若松も、伊勢松坂も、戦国武将・蒲生氏郷が城づくりとともに、その地名を名付けた。氏郷が生まれ育った近江日野へ行って、その地名由来になった若松の森跡を見た。馬見岡綿向神社の参道沿い。境内を覆っていた松は江戸時代に枯れたというが、名残りの松があった。
町の中心から歩いて1㌔だった。氏郷は信長の岐阜城で人質になる13歳まで、若松の森で遊んだという。秀吉の時代に16万石大名として、伊勢へ移って新しく城と町を作っての地名「松坂」は、縁起の良いここの「松」と、秀吉大坂城の「坂」から名付けたという。商いに力を入れた氏郷は、城下町に日野商人も呼びよせ、松坂にはいまも日野の地名がある。
北条氏、小田原攻めのあと、会津で92万石の大大名になって、黒川城へ移ったおり、城の名前を「若松城」に変えた。故郷・日野、若松への思いからという。神社境内、神の使いというイノシシを見て、参拝して、帰りの道筋、蒲生家の菩提寺、信楽院(しんぎょういん)へ寄った。文武両道、40歳の若さ、京都で没した氏郷の命日は2月8日。新しくなった本堂で、氏郷429回忌法要開催と案内が出ていた。松坂、会津、日野…いまも氏郷は生きている。
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