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2023年1月

2023年1月31日 (火)

パソコンに残った一月の写真

Img_6223 Img_6073 Img_5991_20230128073801 Img_6841 Img_6805 Img_6844 Img_6216 Img_5747 Img_5730_20230128073401 Img_5691Img_5680_20230128073401 三味線のバチを叩く外国人青年がいる。京都御苑南側の石垣に腰掛けて、ペペンペンペンと鳴らしている。どこからきて、どうして三味線なんだろう。~ボオッ、ボオッ~、ホラ貝吹きながら京都市内を托鉢行脚の山伏さん一行、どこの山でどんな修行を積んで来たのか。

 

 卯年が始まって、今年も元日から歩き続けている。名刺の肩書は「歩くブログ記者」。これはと思う発見があると写真撮って、ブログにしているけど、書ききれず、写真だけがパソコンに残っているのがある。湖東・日野、綿向神社に千両松。日野商人が山賊に奪われないよう小判を松の盆栽の鉢底に隠し持ち帰れたのは神の加護と、神社境内に植えた松という。

 

 大雪一夜あけて晴れ間の円山公園しだれ桜。垣根の残雪と青空の白い雲が対になっている。あっちでこっちで雪だるま、出来ばえ比較が面白い。女子駅伝復路の中学生区間、タスキ渡し前のアップ競演は激しく、平安神宮前の成人式典、晴れ着の競演は眩しい。京近美の新聞広げ見る堂本印象作品の女性、細かすぎる解説で人気の増田明美さん、なぜかそっくり。その他、儀兵衛のおこげご飯で長い列、京博庭園のメタセコイヤの美など、いつかブログ俎上にあげたい。

 

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2023年1月30日 (月)

五山送り火「大」の雪

Img_6885Img_6835Img_6846 Img_6960 起きて、朝がまだ寒い。スマホ表示の地元気温、見ると今朝もマイナス。京都市内、あの大雪以来、冷えて冷えて、毎日、マイナスが続いている。昼の出歩き、晴れ間が出て、気温は5度、6度…と上がって、家々の屋根から雪がとけるかどうか。いえいえ??まだ白い。

 

 足元、気にして、ひたむきに下向きに歩く。足が長くても、滑らぬように歩幅は小さく歩く。スルっと滑るシャーベット道はスルーする。毎日の出歩き写真撮り。金閣、銀閣の雪景色は初雪でニュースになるけど、こうも毎日だと~である。八坂神社、知恩院、平安神宮、豊国神社などは、昼の日差し次第で、雪があったり、消えていたりで、いつもの鴨川べりへ。

 

 浅瀬では薄氷が~と京都新聞の記事になっていたが、長い鴨川、どの辺りか、わからない。遊歩道歩き、下流から上流へ、雪をかぶった東山連峰が見える。標高848㍍比叡山が白い。そうだ、五山の送り火、如意が岳の「大」の雪は?と、丸太町橋から北大路橋まで、右岸を行った。8月16日、精霊送りで赤く燃える「大」の斜面が白い三角形になっている。火床の雪が解けたのか。「大」の字が薄っすら見える。斜面から浮き出た「大」写真、どうだい!。

 

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2023年1月29日 (日)

アリス展

Img_6523_20230126074901 Img_6533 Img_6534 Img_6551 Img_6549 Img_6548 Img_6546 Img_6556 Img_6527 Img_6532_20230126075301 どんなことがアリスか~と、行ったら~である。流した涙が池になる。一本の木に扉がある。猫がエへラエヘラと笑う。トランプが襲ってくる。大阪天王寺、あべのハルカス美術館の「ALICE―アリス」展。会場を巡って、まさかっ、えっ!そんなことアリス?。

 

 頂戴したチケットあって、谷六の落語講座の前、見に行った。イギリスの児童小説「不思議の国のアリス」の原作本など約300点の展示。その世界を創造たくましく描いた作家はルイス・キャロルさん。知人の娘がブツブツ言いながら通りすぎるウサギを追いかけて行って、穴にはまったところから話が展開する。日本の江戸時代、1600年前の物語である。

 

 アニメ、演劇など今も世界中でという。日本では明治時代に入りブーム化という。今回の展覧会を翻訳監修した高山宏さんは「好奇心は心を癒す。気持ちが塞いだとき、好奇心に助けられる」と、朝日新聞特集で述べている。その好奇心で、東京から巡回の展覧会、会場を見て回った。副題は「へんてこりん、へんてこりんな世界」。トランプのクイーンが喋る。ウサギらとお茶会がある。一粒の薬で、背が伸び縮みする。超現実的な、そんなことアリス?が面白い。

 

 ※ 展覧会作品は英国ヴィクトリア&アルバート博物館の所蔵で、3且5日まで。

 

 

 

 

 

 

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2023年1月28日 (土)

情報も、言葉も、進化する

Img_6742_20230125075201 Img_6694 Img_6779 Img_6758_20230125075201 Img_6784 Img_6520_20230125075101 Img_6783 Img_6776 Img_6781 Img_6759 Img_6785_20230125075601 サムギョプサル店の看板「包まぬ豚は、だだの豚」。そうキャッチされた豚さん、とん走するしかない。長年の店を閉じた書店シャッターに「週休7日・年中全休」。ブックエンドのお知らせが洒落ている。情報の伝達、ああも言い、こうも言い、言葉の進化はとまらない。

 

 ヒマな出歩きの日々、同じ歩くならと、言葉を拾って歩く。映画のポスター「もう歩けない男」。それは辛い。~それでも彼は歩み出した~。なんか、ホットでドッグする。進学塾キャッチ「なんで、私が東大に?」。トーザイ、トーザイ。そら、頭がいいからやん。JR駅貼りポスター「路地ぶらならまち」。~冬の奈良へおいでよ~。帰るときは、さようなら。

 

 「あしたのパン」。今日のパンはないの?。あしたのジョー、元気にしてるかな。JR西日本「1億ポイント山分けキャンペーン」。だれと山分け。なだ万「特別懐石 30、000円から」。その、から、財布のからが怖い。東本願寺アニメ「しんらんさま」。~いきてるってなあに~。なんやろなあ。「世界初 京都が生んだあんかけスタミナカレー」。世界初のセーカイが気になる。ポスター「インボイス制度って何?」。そのボイス、もっと大きく。

 

 

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2023年1月27日 (金)

リベンジ、元禄寿司

Img_6502_20230124073901 Img_6515_20230124074301 Img_6505_20230124073901 Img_6507 Img_6509 Img_6508_20230124074001 Img_6513 Img_6514_20230124074301 大阪梅田へ行っての昼、何を食べるか、リベンジを思いついた。去年暮れ、初めて入った阪急東通り商店街の「廻る寿司元祖元禄」。寿司は回っても、頭回らず、支払いオーバーだった。今度も同じように食べて見て、しっかり皿数を確認して、納得の支払いで店を出たい。

 

 知人が落語の裏話など話す講座が大阪谷六で再開という。阪急で行くのにバス降りた京都南座前、公演看板は「喜劇・老後の資金がありません」。その看板を見て、なんか「廻る寿司元禄」の出来事を思い出し、そうや、昼はあそこへ~だった。正しくは魚の赤だしなど1000円なのに2000円も払った。すんだこと、数え違いの皿、今さら?だけど、行った。

 

 昼に早く、偶然、前回と同じ、1番席。煮穴子、イワシ、出汁巻きと魚の赤出汁。ここまで前と同じ。追加で、店自慢のフグと、値段が気になって、イクラ?。142円皿3枚と171円皿2枚と赤出汁。おあいそ!と言って板前さんが来て、皿数をさらっと数えて、どうぞレジへ~。流れは同じ。女性レジの前、いくらやろう。トラウマ、まさか2千円?では~とコールを待って「ハイ936円です」。前回の反省、確認の大事さ、おさらい?が効いた。

 

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2023年1月26日 (木)

~麒麟がくる~西教寺の今

Img_6275 Img_6281 Img_6302 Img_6304 Img_6303 Img_6311_20230122083901 Img_6324 Img_6329_20230122084301 Img_6330_20230122084201 Img_6339 麒麟が来て、あれから3年、明智光秀ゆかりの寺の今は、どうだろう。大河ドラマは「鎌倉殿の13人」から「どうする家康」になった年明け、湖西・坂本の西教寺を訪ねた。日吉大社から東へ東へ、きつい上り坂、琵琶湖を見ながら、休み休みして着いた。

 

 光秀の坂本城からの移築という総門前にノボリ。「ようこそ坂本へ、明智光秀ゆかりの地・西教寺」。明智家の桔梗紋、大河の名残を示している。聖徳太子創建、叡山修行の真盛上人中興の念仏道場という。信長の叡山焼き討ちで、巻き添えで全焼も、坂本城主になった光秀が再興に力を注ぎ、明智家菩提寺。毎年6月14日に光秀忌が営まれ、光秀縁者が多く集う。

 

 塔頭が並ぶ参道の階段を上がり、大本坊へ。大河「麒麟がくる」ポスターが懐かしい。根本道場示す「戒称二門」の軸隣、本能寺へ向かう決意の光秀ポスター。「時はいま、あめが下しる五月哉」を思う。知人紹介、光秀公・煕子夫人の位牌所へ。彫刻家・故富樫実氏製作の木像を見て、手を合わせた。光秀公表情が穏やかだった。本堂前に明智一族のお墓。妻煕子を詠んだ芭蕉句碑「月さびよ明智が妻の咄せむ」。麒麟がまた来たか!と、境内を巡った。

 

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2023年1月25日 (水)

坂本5丁目は神仏習合

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 年明け寒く、人気はない。日吉大社朱の鳥居前、卯年ウサギ二匹の絵馬。雄琴にある芸術大学・成安造形大の学生さん、地域貢献の作品という。鳥居の左手、比叡山延暦寺の石柱が立つ。ここ5丁目は延暦寺表参道への入り口で、本坂という。逆さまに読めば坂本。灯籠のある階段の先は山道。近くに比叡山中・高校、長さも景色も日本一というケーブルがある。

 

 「坂本」ー、その名も同じ坂本竜馬との関わり。坂本に龍馬の縁者、江戸と京都行き来したおり、親戚訪問の手紙あるとか。やや登り口に六角堂。この地で生誕の伝教太師・最澄は童子の成長願った自作のお地蔵さん祀っている。その地蔵、西教寺開祖の真盛上人生まれて姿が消え、入寂して、再び姿を現したという。比良八講荒れじまいの風が吹き、春は全国3千社総本山・日吉山王祭り。ALWAYSは3丁目の夕日、大津坂本5丁目は、神と仏が混じりあう。

 

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2023年1月24日 (火)

京都御苑の梅が咲いている

Img_6646_20230123082601 Img_6636 Img_6639 Img_6643 Img_6647 Img_6640_20230123084301 Img_6656_20230123082901 Img_6660Img_6663_20230123084101 Img_6665 Img_6672 Img_6670 Img_6678  馥郁と香り放って、開いているかな。いや、大寒すんだとこで寒中だし、まだかな~と思いつつ、早咲きの梅を京都御苑へ見に行った。御苑北の今出川門から入って、時計と反対回り。烏丸通り側の乾門、昔の井戸・縣井、宮内庁事務所、駐車場も抜けて、桃林の南、梅林へ来た。

 

 御苑の梅は200本、うち梅林には180本も植わる。開くのは、だいたい節分すんで立春からだし、すごい寒波が近いという。まだだろうなあと来たら~である。なんと、紅いの、白いの~咲いている。まだ少ないけど、こっちで1本、向こうで1本。向かい側、旧西園寺邸跡では、赤と白の山茶花も目立つ。出水の小川では、梅の先駆け、黄色いロウバイがいい匂いを出している。

 

 梅便りのニュースはないのに、冬日和に誘われてか、人も多い。菅原道真が流された太宰府で詠んだ句は「東風吹かば匂いおこせよ梅の花~」。あるじ忘れず、番外の春である。もう少し南、御苑内の宗像神社の北側は早咲きで有名。行って見ると、ロウバイが満開。隣りあう紅白の梅も、ともに7分咲き。神社境内では、ラッパ水仙に赤い藪椿、南天の実、山茶花…。檜皮葺の摂社屋根に藪椿が落ち、屋根上で猫がにゃんと寛いでいる。思わぬ春、そこはかとなく~である。

 

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2023年1月23日 (月)

「古代そば」

Img_6344 Img_6234_20230120075901 Img_6235 Img_6246 Img_6236Img_6232_20230120082301 そばはそばでも「古代そば」だという。それを、どう言わばか?で、湯葉そば。フワッと黄色く薄く、湯葉が鉢一面に広がっている。これに、下ろし生姜と刻みネギと定番の蒲鉾1枚。麺はふつうの細目、出汁は薄味である。なんで古代か、それは誇大に拡大解釈するが、よさそう。

 

 湖西の坂本、日吉そばである。比叡山ふもと、最澄さんが生誕、生源寺の真ん前。人気は鶴喜さんだけど、ここは並ばず、ゆっくりできる。京阪石坂線比叡山坂本駅、浜大津で乗り換え山科から330円。ずいぶん乗って、安い気がする。日吉神社から西教寺へ行くのに昼だしと入った。看板と暖簾は、坂本名物、本家日吉そば。入るのは、4、5年ぶりだった。

 

 店内は三和土、スタンド扇風機が見える。寒のうちから春へ、やがて来る夏、準備がいい。お客さんは夫婦連れ一組、空いている。4人掛けテーブルのメニュー表。冷たいそばならざる、温かいそばなら、きつね、月見、山菜、かけと、古代である。丼物なく、ごはんだけ。近江米で220円。どの蕎麦屋さんにも、なさそうな古代という名のそば!、どんなんかなあ~と、そばに出て来て、湯葉そば。古代ローマ、古代エジプト思い、スルスル、ツルツル?。

 

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2023年1月22日 (日)

長浜へ行けば、秀吉さん

Img_6151_20230119081701 Img_6160 Img_6161 Img_6165 Img_6166 Img_6170 Img_6178 Img_6186 Img_6193 Img_6194 Img_6199 湖北、長浜へ行けば、さすがに太閤さん、太閤さん、秀吉さん、秀吉さん…である。近江の戦国武将像テーマの写真撮り、県内を回り、長浜へ来た。JR米原駅で琵琶湖線から北陸線へ、坂田、田村の次、新快速で山科から1時間。秀吉が城を造り、町を開いた長浜である。

 

 駅改札出て2階、観光案内所の長浜まち歩きMAPは秀吉イラスト。賑わいの黒壁ガラス館、日本最古の長浜駅舎…碁盤の目で歩きやすいと地図は記す。秀吉像の最初、駅表のロータリー、秀吉とまだ佐吉だった三成との出逢いの像。ご存知、三献の茶のシーンである。長浜へ行くたび、何度も出逢っている。駅西、琵琶湖側へ回って、長浜城跡、豊公園である。

 

 湖岸道路を渡ると、秀吉出世、瓢箪印の大きな壁面モニュメンが新しい。その瓢箪穴から長浜城歴史博物館を入れて写真撮りが面白い。天主閣があった小高い丘に琵琶湖を見渡たす衣冠装束の太閤秀吉立像。下から、後ろから、斜めから、なんども眺めた。琵琶湖岸の太閤井戸の碑を見て、帰りの道筋。道路に彫刻の瓢箪、今浜から長浜へ町の名が変わった由来の石碑、秀吉と縁深い山内一豊・千代ふたりのモニュメント彫刻像…、どこを歩いても長浜は、秀吉さん、太閤さん…。

 

 

 

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2023年1月21日 (土)

藤堂高虎の騎馬像

Img_6131_20230118073901 Img_6121 Img_6109_20230118073501 Img_6112 Img_6120 Img_6123 Img_6122 Img_6135 近江の戦国武将のひとり、藤堂高虎は湖東の甲良町生まれ。ふるさと在士の公園に格好いい騎馬像が立つ。浅井長政から秀吉、さらには家康へと仕え、乱世を生き抜いた。伊勢津城主32万石の大名、津城、宇和島城、今治城など城づくりの名手、190㌢の巨体含め名が高い。

 

 騎馬像を見にJR琵琶湖線に乗り、河瀬駅で降りた。能登川と彦根の間、新快速は停まらない。甲良町へは湖国バスだが、土日の昼間は走っていない。甲良へ、こうら?どうする~である。歩くか、TAXか、次の予定もあり、駅前の乗客待ちTAXで行った。10分1500円。バサラの佐々木道誉、大工の甲良宗廣とともに高虎は、甲良の誇る3英傑である。

 

 地元の自販機、前面と両横に3人のイラストが登場する。平成に入って、津市の協力を得て出来たという親水公園の中、凛々しい高虎の騎馬像である。馬上、右手を指す方向は、紫藤が有名な、藤堂家の守護神・八幡神社だという。高虎が徳川幕府の大坂城再建で、運び入れ予定の加茂町の11㌧の大石がなぜか運ばれず、残念石として置かれていた。帰り、TAXなく、再び、こうらどうする。歩くしかない。静かな村里抜け、近江鉄道尼子駅まで40分、こうら、こうら?と歩いた。

 

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2023年1月20日 (金)

豊臣秀次、水争い裁きの像

Img_6099_20230117082801 Img_6082 Img_6092 Img_6089 Img_6090 Img_6094 Img_6095_20230117082701 Img_6102 Img_5886 豊臣秀次の像が近江八幡市に二つ、その一つを見に行った。日野川に架かる桐原新橋の東詰め。扇子持つ秀次像は、正座する3人の庄屋さんと向かいあっていた。旱魃で隣り合う村の水洗い、八幡城主だった秀次が現場を視察して、話し合い解決の道筋をつけた像だという。

 

 朝から小雨、JR琵琶湖線篠原駅で降りて行った。駅は、野洲と近江八幡の間。八幡公園にある銅像は前から知っているが、こちらの像はスマホ検索で初めて。駅北口からスマホのグーグル案内。住宅街出て、綿向山源流の日野川堤防をずいぶん歩き、やっと桐原新橋。平成10年完成という。この橋を西詰から渡りきって対面だった。日展彫刻家・竹谷郁夫さん製作という。

 

 「秀次公 水争い裁きの像」の由来説明、庄屋像側にあった。雨の中、腰をかがめて読んだ。築城、八幡掘り、楽市楽座など近江八幡は、秀次公開祖の町~で始まる長い文章。秀次の治世は短いが、善政で領民に慕われ、天正14年(1586)の旱魃、村人流血の騒動も、それぞれの話をよく聞き、独断せず、現場点検の上、和解させたという。その裁きに庄屋さん~しょうやなあ?~と納得の像は、新橋完成記念。そのさばき方は現代にも通じ、名君・秀次ここにあり~という。

 

  ※ 秀次は秀吉の姉の子で甥。秀吉の養子、関白になったが、秀吉に秀頼が生まれ、謀反の罪で自害した。近江八幡市では、秀次を町の開祖として今も顕彰、NPO法人などが活動している。

 

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2023年1月19日 (木)

伊勢松坂、会津若松は、近江日野から~

Img_5973 Img_5974_20230116074001 Img_5975 Img_5978 Img_5986 Img_6018 Img_6020 Img_6017 Img_6023_20230116074701 会津若松も、伊勢松坂も、戦国武将・蒲生氏郷が城づくりとともに、その地名を名付けた。氏郷が生まれ育った近江日野へ行って、その地名由来になった若松の森跡を見た。馬見岡綿向神社の参道沿い。境内を覆っていた松は江戸時代に枯れたというが、名残りの松があった。

 

 町の中心から歩いて1㌔だった。氏郷は信長の岐阜城で人質になる13歳まで、若松の森で遊んだという。秀吉の時代に16万石大名として、伊勢へ移って新しく城と町を作っての地名「松坂」は、縁起の良いここの「松」と、秀吉大坂城の「坂」から名付けたという。商いに力を入れた氏郷は、城下町に日野商人も呼びよせ、松坂にはいまも日野の地名がある。

 

 北条氏、小田原攻めのあと、会津で92万石の大大名になって、黒川城へ移ったおり、城の名前を「若松城」に変えた。故郷・日野、若松への思いからという。神社境内、神の使いというイノシシを見て、参拝して、帰りの道筋、蒲生家の菩提寺、信楽院(しんぎょういん)へ寄った。文武両道、40歳の若さ、京都で没した氏郷の命日は2月8日。新しくなった本堂で、氏郷429回忌法要開催と案内が出ていた。松坂、会津、日野…いまも氏郷は生きている。

 

 

 

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2023年1月18日 (水)

湖東・日野の町を歩く

Img_6041 Img_5946 Img_5945 Img_5939_20230115084301 Img_5933_20230115084001 Img_5959 Img_6029_20230115084501 Img_5957 Img_5928 Img_5962 Img_6031 Img_5967  古い町並みをブラリすれば~である。伝統野菜、日野菜がある。日野曳山祭り800年の山車庫がある。三方よしの暖簾が出て、むかしの薬屋さんが日野観光協会になっている。日野商人が売り歩いた日野椀もある。町の中心、日野ギンザ商店街をブラリ、ブラリ歩いた。

 

 滋賀県19市町のひとつ、日野町。人口は年ごとに減って2万人。かつて空港誘致計画もあった琵琶湖のずっと東である。鈴鹿山系、標高1110㍍の綿向山が見える。その標高から「11月10日」は綿向山登山DAY。町の誇りは、蒲生氏郷と近江日野商人。日野高校前、氏郷街道の蒲生氏郷像を見てから歩きだし、町じゅうが「日野、日野」している。

 

 昼すんで、パンでも~と入った食品雑貨の小川屋さん。海産商で始まり200年、夫婦経営で御主人は6代目の小川清一郎さん。ギンザ商店街の理事長。店内は、おでん、鮒ずし、鯖なれずし、日野菜漬、ちらし寿司、モロコ煮、あられ菓子…、地元が匂う。むかし36店舗のギンザ商店街、いまは7店舗、ギンザの過疎化が続く~と小川さん。店出てまたブラリ、ブラリ。静かな昔ながら町並み、ほっこりする町家の佇まい。持続可能、サステナブルを願って歩き続けた。

 

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2023年1月17日 (火)

蒲生氏郷、望郷の像

Img_5907 Img_5914 Img_5922Img_5921_20230114074801Img_5911Img_5912_20230114074201  Img_5915 Img_5908 Img_6080 故郷を思って、今まさに、筆を持ち、一句したためんとしている。戦国大名・蒲生氏郷、望郷の像である。秀吉の命で東北・会津から朝鮮攻めの九州・肥後へ。中山道、近江の武佐まで来て、生まれ育ち、町づくりした日野の城下は、そこなのに~と、その思いを詠んだ。

 

 ~思いきや 人のゆくえぞ 定めなき わがふる里を よそに見んとは~。この像の写真を撮りにJR近江八幡駅から近江バスで行った。湖東、近江八幡と日野と八日市を走る日八線。日野駅も超えて50番目の停留所、日野高校前で降り、雲雀野ひろばの中である。鎧兜、武骨な氏郷像。階段ある小さい丘、高い台座の上で、故郷の綿向(わたむき)山を眺めていた。

 

 人質の岐阜城で信長に才を認められ、信長の娘、冬姫を妻に。日野城下で近江商人を育て、本能寺の変で秀吉につき、伊勢松坂城主に。秀吉小田原攻めのあと、会津若松城主93万石の大名になって40歳で没した。その波乱に富む人生、作家童門冬二著「蒲生氏郷」で読んだ。「ペンネームがドーモンで、どーもすみません」と結ぶ童門講演、何度か聞いている。はるばる行って見た日野町のシンボル像、故郷へ寄れない氏郷のせつなさが溢れていた。

 

 ※ 初代氏郷像は大正8年に出来たが、戦争で金属供出し、2代目の現在の像は昭和63年に出来た。滋賀県醒井出身、山口栄太郎作。

 

 

 

 

 

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2023年1月16日 (月)

「むべなるかな、むべなるかな」

Img_5887 Img_5891 Img_5892 Img_5896 Img_5889 Img_5897 Img_5899 天智天皇は赤い実が長寿の秘訣と知って「宜(むべ)なるかな、宜(むべ)なるかな」と感心したので、赤い実は「郁子(むべ)」になった~と言われる。天皇が、いまの近江八幡、奥島山へ狩りに行って、8人の子を持つ長寿、老夫婦に出会って話を聞いての伝承である。

 

 JR近江八幡駅南口のロータリー、地元の緑少年団が植樹した「むべ」の棚がある。アケビ科のツル性常緑低木。夏に白い花、秋に赤い実。葉は苗で3枚から5枚、育つと7枚になり、753で縁起が良いと。戦国武将・蒲生氏郷の出身地、日野町へ行くのに1時間1本のバス待ち。周辺歩き回り、むべ由来の掲示板読み~むべなるかな、なるほどなあ~だった。

 

 むべ棚は高さ3㍍、長さは7㍍。両側から弦が棚を這って伸びている。真ん中、県文化賞の彫刻家・深田允夫さんのモニュメン「むべなるかな大地の恵み」。鉄兜の上、垂直のステンレスが空に煌めいている。天智天皇が不老不死の老夫婦と出会った奥島は、西の湖からの山中、国民休暇村近く、いまもむべが自生している。平均寿命、厚労省データで滋賀は全国トップ。男子82・73歳、女性88・26歳。不老のむべの実ありて、滋賀は、むべなるかな、むべなるかな~か。

 

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2023年1月15日 (日)

「満足」と名がつくお稲荷さん

Img_5762 Img_5763 Img_5757 Img_5758 Img_5765_20230112073401 Img_5768 Img_5756 Img_5767 Img_5750 Img_5761 明治神宮、平安神宮、宮崎神宮など、神社の名前は、地名や歴史に関係するが、「満足」の二文字がつく満足稲荷神社とは、これ如何に~である。何でかナ?というと、あの秀吉さん、出世を祈願したら、ようきいて、「満足じゃ、満足じゃ」と命名したからだという。

 

 京都東山通り仁王門下ル、バス停前の神社。ほんまかいな、そうかいな~だが、秀吉さん命名と言えば、「湯たくさん茶くれん寺」というのもある。千本今出川西のお寺。秀吉さんが北野神社の茶会へ行くおり、このお寺で茶を所望したら、なぜかお湯だけで、茶が出なかったからという。この、二つの社寺、雑学エッセイ本「京都の不思議」によく出てくる。

 

 元気な一日歩きに満足、久々で境内へ入った。本殿前に火焚串の束。秀吉さん肖り、満足したことあれば奉納を~という。賽銭代わり100円。歩けることに満足している。名前を書いた。ヤクルトは三冠王で村神さん。神社境内に岩神さん。霊ある岩をさすって、頭なでると、頭がよくなり、痛いところは治るという。朝、少し腹痛。なんどもさすった。キツネとウサギの絵馬。「満足」文字入りキツネ面。境内2、3分でぐるり、満足じゃ、満足じゃ。

 

 ※ 秀吉は伏見稲荷で出世その他祈願、その効果あって、伏見稲荷守護で満足稲荷を建てた。その後、江戸になって徳川綱吉が現在に移築したという。祭神は伏見稲荷と同じ、衣食住を守る倉稲魂(うがのみたま)大神など。

 

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2023年1月14日 (土)

串カツだるまが京都に来た

Img_5552 Img_5535 Img_5538 Img_5553_20230109072301Img_5546Img_5544 Img_5550 Img_5545 Img_5548 串カツと言えば~である。そりゃ、大阪は新世界。その新世界、数ある串カツ屋の中で言えば~である。そりゃあ、元祖串カツ・だるま。ソース2度漬け禁止、キャベツ食べ放題の始まり。店は年々、新世界から道頓堀、法善寺など大阪全域に広がり、ついに京都にも出て来た。

 

 京都駅地下商店街・ポルタ。去年夏、飲食エリアのリニューアルで、黒い四角な中華帽のおっちゃんが登場した。顔看板、いかつい。胸に串カツ二本もって、まあ、入りいなあ!。新世界、梅田店では入っいるけど、京都へ来たからには~で、年明け初めて行った。串コースは、新世界で11本、ポルタで10本、道頓堀で9本。どれにも名物の土手焼きが一品でつく。

 

 カウンター角っこのひとり席、9本の道頓堀を選んだ。先にキャベツ来て、日本でもパリパリ。土手焼きも来た。そのすじでない、すじがいい。壁絵は八坂神社、送り火の京都バージョン。広い店内を見回しているうち、揚げたて9本、カンカンで来た。ソースは備え付けのチューブ。揃ったところで、デジカメ撮り。さて、何からか。えびか、うずらか、つくねか…、一本また一本、次は何、次は何…と、串選びで四苦八苦?。

 

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2023年1月13日 (金)

ぶらり、京近美コレクション展

Img_5744 Img_5743 Img_5742 Img_5709_20230110071301 Img_5707_20230110072101 Img_5711_20230110071701 Img_5713 Img_5717 Img_5719_20230110071701 Img_5732 Img_5721_20230110071901 Img_5736 Img_5734 Img_5738 Img_5715_20230110073101 Img_5723_20230110073201 文化勲章受賞画家の作品が一つ、二つ、三つ…と並ぶ。第一回の竹内栖鳳はガアガアと子ども家鴨描き、女性初受賞の上村松園は美人が虹を見ている。風景から仏画、抽象画などの多彩な堂本印象は、新聞を広げた女性を描く。京都国立近代美術館のコレクション展である。

 

 日々ぶらり、どこへ行くか。地下鉄東山駅降りて、白川沿いから平安神宮方面へ出れば、疎水側に京近美。昭和38年(1963)開館から60年になる。所蔵作品は購入、寄贈、ジャンルも様々だが、その核は日本画だという。年4度の展示替えコレクション展、70歳以上の運転免許証あれば、いつでも入れる。作品は大体というか、殆ど写真撮影可である。

 

 コレクション展、館側は60周年を意識している。京都画壇をけん引した浅井忠、田村宗立、幸野楳嶺、池田遥邨、土田麦僊、木島桜谷らの逸材の作品を出す。ぶらり行ったのは、令和4年度の4回目後期展示。国画会の秦テルヲは吉原の遊女、その素顔に迫力がある。女流画家・梶原緋佐子は、櫛を持って鏡を見る老姑、年を感じている。山桜に群れるカラス、鬼の地獄の休日…、作品見て、作家名見て、写真撮って、ぶら歩きコレクション展鑑賞である。

 

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2023年1月12日 (木)

えびっさんにクロマグロ

Img_5790_20230111074301 Img_5789_20230111074301Img_5798 Img_5783 Img_5785_20230111074201 Img_5786_20230111074201Img_5796_20230111074301 Img_5792_20230111074601 Img_5782  本殿の御神殿前にド~ンとである。巨大なクロマグロ、白い敷布と笹の上に飾ってある。恵比須神社のえびっさん、年に一度、十日えびす祭り。どこで水揚げされたか、マグロは、つやつやして、黒光り、200㌔はありそう。商売繁盛を願って、水産協会の奉納という。

 

 鴨川歩き、左岸を北上して、五条大橋から松原橋へ来て、近くの「えびっさん」を思い出した。1月10日、今は110番の日でもあるが、十日えびすの日である。建仁2年に栄西さん開祖、建仁寺の鎮護で、同じ年に出来た京都恵比須神社。大和大路側、建仁寺の西南にある。宵えびす、本えびす、残りえびすと続き、神社前は屋台が並び、歩行者天国になる。

 

 鯛焼き、たこ焼き、焼きそば…、屋台前から鳥居をくぐった。二番目の鳥居、福熊手が扁額、賽銭を投げれば、入れば福あり!だが、参拝者が次々だと危ないので、白布をかぶせてある。境内、赤い笠の販売。「人気大也」で、飾ると客多くという。宝船、福鯛、米俵、小判など縁起モノを全部の福笹は、2万5千円という。人並の中、賽銭を投げ入れたが、祭りの後、神殿飾りのマグロ、赤身は、トロは~どうなるのか。えびすさん、ホクホクだろうか。

 

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2023年1月11日 (水)

アオサギ2羽との出会い

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 冬、寒くてもの鴨川歩き。弁財天の六波羅蜜寺、七福神の賑わい見て松原橋から河原の遊歩道へ降りた。下流側にユリカモメが羽根を休めている。何となく写真撮りたくなって、一、二枚デジカメにおさめ、四条大橋側の上流を歩いてだった。いつもは川の中、浅瀬にいるアオサギが川べりの遊歩道にいる。何度も歩くコースだけど、こんな出会いは初めてである。

 

 近づいて、どうする家康。いや、大河ではない。どうするアオサギ。気配を感じたか、頭の冠羽をなびかせたアオサギ、抜き足、差し足でそろり動いた。こちらは速足、長足で追い抜いたとたん、対岸へパッと飛び立った。一瞬のデジカメ撮り。羽根をワの字の低空飛行が写った。今度は、その前方30㍍、小さいアオサギ。こっちは動かない。回り込んで、デジカメ構えたら、急に舞い上がった。慌てて撮った。飛行、揃った3本の足が二つ。写真、どうなった!。

 

 

 

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2023年1月10日 (火)

開園99年目、年始の植物園へ

Img_5560_20230107074101 Img_5561 Img_5574_20230107074101 Img_5571 Img_5578 Img_5582 Img_5591 Img_5589_20230107074401 Img_5587 Img_5588_20230107074401 Img_5598 Img_5615 Img_5583 卯年のことし、なんど行くことになるのか。寒の入りの日、年始挨拶兼ね、いつもの北山門から入った。京都府立植物園は、大正13年(1924)開園99年目という。ワイルドガーデン、麦わら少女像前の花壇は、ハボタンが「祝99」とかたどりして植わっていた。

 

 冬の植物園、花々しくはない。入り口配布、毎月の「スタッフ一押し見頃の植物」は、書き込みが少ない。ツバキ園、早咲き品種と出ていて、行った。侘助、有楽など250種のうち、白い花弁の雪中花などポツリ、ポツリ。暮れからの赤いサザンカがまだ目立つ。ヤブツバキ、ユキツバキとは~の解説板がいい。小林幸子が歌う♪~花は越後の雪椿~♪、まだ早そう。

 

 四季彩の丘に春の七草。~水菜は鍋に欠かせない。すぐき菜は漬物の大ベテラン。壬生菜は葉がスプーンのよう。聖護院カブは千枚漬け~など、解説がコラムぽい。~桜島ダイコンはギネス級もあり、おデブ。黒長ダイコンは、外は黒くても中は真っ白で、闇討ち~。植物園学芸員に洒落っ気がある。植物園会館前は、ソテツ。藁で丸ごと包帯されて、冬の植物園名物。葉が枯れ落ちたメタセイコイヤ、垂直の姿勢がいい。冬は冬で植物園、ことしもブラボー!。

 

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2023年1月 9日 (月)

彦根はちゃんぽん、ちゃんぽん…

Img_5222 Img_5223 Img_5241 Img_5224 Img_5229 Img_5237_20230103101701 Img_5234 Img_5235 Img_5240_20230103101801 Img_5253 JR彦根駅2階の改札出ると、人気のひこにゃんが出迎える。赤いカブト、愛嬌たっぷり、ゆるキャラブームの火付け役。毎年、年賀状どっさり来る。改札から、西へ行けば、石田三成の佐和山城跡、東ならば、井伊家35万石の彦根城。NHK大河は、さて、どうする家康?。

 

 どうする~というより、どうして彦根へ。駅前東側ロータリー、家康四天王のひとり、彦根初代藩主・井伊直政の騎馬像写真撮りで行って、近江ちゃんぽん。駅前に昭和38年発祥店がある。黄金だしと野菜たっぷり、京都、大阪などチェーン店が増えている。かまぼこ、キクラゲ、もやし、キャベツ、ネギなど具が多い。出汁に酢を入れると、まろやかさが増す。

 

 店名は「ちゃんぽん亭」。彦根銀座の「麺類をかべ」を引き継ぐ。暖簾は井伊家赤揃いの赤。自販機に創業者山本一さんの似顔絵イラスト。~あっさり、深み、優しく、滋味~とPR。客層、幅広く混じって、ちゃんぽん。メニューも、黄金だしラーメンも加わり、さらにちゃんぽん。駅前、ひこね丼、三成めし…と店もちゃんぽん。2025年、滋賀で44年ぶり国スポ、身スポ大会。キャッチは「わたSHIGA輝く」と、文字もちゃんぽんしている。

 

 

 

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2023年1月 8日 (日)

駅ビルの冬、空と雲と

Img_5470 Img_5471 Img_5473 Img_5474 Img_5485 Img_5486_20230106073001 Img_5487 Img_5488_20230106073001 Img_5496 Img_5503_20230106073101 秋晴れに対し、冬晴れ、冬日和という。冷たくても、空気がよく澄み、日の光が明るい。青い空に浮かぶ雲は低い。うね雲、いて雲、すじ雲…、子規は冬の雲は鉛の如し~と名付けた。晴れた日の京都駅ビル、雑踏の正面から4階へ上がって、空に雲、雲に空と見た。

 

 一日に何十万人もの乗降客、正月は観光客で倍加する京都駅。その同じビルなのに正面西から大階段のある4階へ上がると、イベントがあると賑わうが、何もないと、人がいない。ゆっくり、ぼんやりしに、南ひろばへよく行く。学びよし、食事よしの木机、寝転べる人口絨毯の芝生まである。今年初めて、伊勢丹美術展帰りに行って、冬の空と雲を眺め歩いた。

 

 京都駅ビルを設計した原廣司氏は「駅は、人びとが<空>を見出す場面を待つ」と言っている。南ひろばからの冬空、寒さで透明度を増し、雲の白さが際立つ。雲の下、新幹線が行き来する。東山三十六峰・伏見稲荷の上、雲が三段重ねに浮いている。デジカメで雲のズーム撮り、つかめそうに見える。ガラス面に反射した京都タワーは、ツータワーになる。空中経路、彫刻モニュメント、案内表示などの借景の空と雲が似合う。見歩いて、寒さも、世の中も忘れている。

 

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2023年1月 7日 (土)

聖徳太子の馬が石に~

Img_5209 Img_5210 Img_5211 Img_5188 Img_5184 Img_5189 Img_5194 Img_5208_20230104075301 Img_5207 Img_5197 Img_5182 Img_5217 Img_5187 Img_5186 この山に霊ありて~、聖徳太子が乗っていた馬が石になったという。あれから1400年経って、今もなお、石になった馬が池に浮かんでいる~という。そう駒札に書かれていて、その池を覗きこんだら~である。石になった馬の背中、そう思うと確かにストーン?と見える。

 

 東近江市五個荘町、石馬寺(いしばじ)へ行って~である。日出ずる国~の聖徳太子が建立して、その云われから「馬の寺」という。聖徳太子が摂政していた推古2年、西暦で594の出来事である。鎮護国家、仏教興隆の場所を求めていた太子が、近江のこのあたりで霊を感じ、山に登って、降りて来たら、松に繋いでいた馬が石に化し、それで寺を建てたという。

 

 近江には、聖徳太子の伝承が多い。昨年、亡くなって1400年、東近江市など2市2町は太子ロゴなどつくり、巡回朱印コースを選定、PRした。石馬寺もその一つ。繖(きぬがさ)山トンネルの六角定頼像の写真取材に行って、能登川駅へ歩き帰りの寄り道だった。歩く人はいない。柿が熟して下がっている。廃車が岩石に乗っている。フラミンゴ仕立ての庭があって、太子のノボリが立って、石馬寺…。池の中、石化した太子馬、たいしたもんだと見た。

 

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2023年1月 6日 (金)

社寺仏閣、正月の飾り幕は~

20230102_124930 20230102_140208 20230102_125646 Img_5386_20230105080101 Img_5394 Img_5395 Img_5415_20230105080101 Img_5419 Img_9232 Img_9234_20230105083401  ぶらり、ぶらり、正月もぶらり、ぶらり。松の内のぶらりは、テーマ歩きも面白いと、社寺仏閣の正月飾り幕を見て歩いた。社寺の入り口の門に大きな幕、神紋、寺紋はそれぞれの文様デザインである。様の「もん」が重なりあって、句なし?に、めでたい。

 

 一休禅師に「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」の句がある。冥界への入り口、六道の辻の六道珍皇寺からぶらり歩いた。閻魔さん像の寺、正月はめでたくもなし~なのか、飾り幕はない。冥界の寺域を少し覗いて、建仁寺から八坂神社、知恩院、東山通から寺の多い新洞地区、さらに寺町通りの本能寺、革堂、下御霊神社と、この世を渡り歩いた。

 

 幕紋デザインは、瓜紋、菊紋、楓紋、亀甲紋、桐紋、桔梗紋…など様々。番外で相撲茶屋、紫幕に天下泰平紋も。歩き見て、この紋、ナニモン?と思うと、悶々?とする。幕が出ていないお寺で「山主往生」の新しい木札。めでたくもあり、めでたくもなしか。昨秋、知恩院山門に徳川家の葵紋のジャンボ幕が出ていて写真撮りしたが、松の内は?と確認に行ったが、見上げる華頂山の扁額に日の丸と五色慶祝幕だけだった。「門前の写真撮り、習わぬ紋を知り」。

 

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2023年1月 5日 (木)

この武将騎馬像はだれか?

Img_5135 Img_5148 Img_5154 Img_5158 Img_5165 Img_5167 Img_5175 この武将騎馬像、だれだかおわかりだろうか。見てわかれば、かなりの戦国ツウ。騎馬武将は、近江源氏・六角定頼である。それでも、それ誰?という向きもだろうが、信長が安土へ来るまで、近江守護として、足利幕府を陰になり日向になり支えた英傑、戦国大名である。

 

 実は、こう紹介しているが、知らなかった。JR安土駅前の信長像写真を撮りに行って、それ以前、鎌倉から400年、代々、近江の守護だった佐々木六角氏の流れ、誰か銅像はないのか、駅ナカの観光案内所へ聞きに行って、知った。六角氏が城主だった観音寺城跡のふもと、きぬがさ山トンネルの入り口に定頼像があるという。日を置いて行っての、対面だった。

 

 きぬがさ山は、漢字で「繖山」と書く。JR能登川駅から八日市行きバス、五個荘の三方よしプラザで降りた。道沿い、表示看板の、きぬがさ街道を10分歩き、聞いていたとおりトンネル前だった。石垣台座、駿馬の手綱を引いて、いざ出陣を思わす騎馬像。来た甲斐あり~の格好良さだった。長さ1㌔のトンネル抜けて県立安土考古博物館。去年春、開館30年記念「六角氏だってすごかった」展を開いている。安土と言えば、信長、信長だけど、近江の六角を象徴する騎馬像、ここにあり~と見た。

 

 ※ 六角定頼(1495-1552)。台座説明は、戦乱の時代、「流れ公方」と言われた第10代足利義稙の近侍。第12代足利義晴を観音寺山西、桑実寺に迎え仮幕府を置くなど、戦国大名として活躍した。定頼の息子の時代に信長が安土へ来るまで、六角家が長く近江の守護だった。

 

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2023年1月 4日 (水)

巨大絵画展は「ありがとう地球」

Img_4528 Img_4527 Img_4473 Img_4472 Img_4470 Img_4468 Img_4462 Img_4456 Img_4453   絵画展ポスターの中、描いている画家が小さい。高さ2・4㍍、自然を描く油彩画は、とてつもなく長い。インドの森から始まり、西はギリシャから東は中国へまで3年間で長さ100㍍。日本では、富士山、乗鞍岳など四季を10年かけて描き続けて、170㍍である。

 

 合わせて全長270㍍。重さ4㌧。登録すればギネス太鼓判。自ら「太陽の画家」という三谷裕資さん(76)の巨大絵画展。テーマは「ありがとう地球」。昨年12月、京都岡崎のみやこめっせ地階であり、見に行った。入り口、三谷さんがようこそ!と写真で出迎え、会場へ入った。絵から雲が動き、霧がわき出ている。壮大、長大。ええっと思う絵また絵。

 

 壁に朝日新聞の切り抜き記事。展示費用1700万円かけた自費展という。三谷さん、三重・伊勢生まれ、兵庫・三田在住。太陽、富士山を題材にした絵で個展重ね、制作費を稼いだ。絵は独学、行動美術協会にも所属、表現に行き詰まり、人間とは何か~とインドへ放浪して、一本の巨大樹木から自然を知り、地球を知り…という。地球と人間は同じ生命と描いて足掛け30年という。270㍍見て歩き30分。入場無料の度量の大きさ、頭が下がる。

 

 ※ 巨大絵画展は初開催、昨年12月25日で終了。

 

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2023年1月 3日 (火)

初詣、国宝の唐門を通って~。

Img_5362 Img_3845 Img_5367_20230102165301 Img_5379 Img_5370_20230102165301 Img_5374 Img_5375 Img_5380_20230102165401 Img_5382_20230102165901 卯年の初詣、参拝はどこがいいだろう。縁結びの平安神宮か、厄除けの八坂神社か、商売繁盛の伏見稲荷か、世界遺産の下鴨神社か、上賀茂神社か。さて、どこかナと迷って、歩きコースにある豊国神社。正月3が日は国宝の唐門が特別開いて、本殿まで進めるのがいい。

 

 豊臣秀吉を祀っている。地元では「ほうこくさん」。出世開運、千成瓢箪に五三の桐の紋で縁起がいい。伏見城にあった唐門、二条城、南禅寺金地院から明治になって移ってきた。西本願寺、大徳寺と並ぶ桃山の3大唐門。刻まれた鶴は左甚五郎作だという。一年に一度、門が開き、玉砂利を踏み、本殿真ん前で、2礼2拍1礼…知る人ぞ知る~の初詣神社である。

 

 初歩き、元日の昼に行った。いつもどおり馬町バス停で降り、西へ徒歩5分。大仏殿跡公園へ入って、神社の裏側を拝み、方広寺を通り抜けて、脇から表の参道へ。大明神の秀吉坐像は変わらず。唐門前、今年のジャンボ絵馬とハリボテの太閤さん。絵馬は黒ウサギ、北斎の波裏と桐紋。ハリボテは兜と扇子で、ようこそ!。扇子のセンス?若さと面白さがある。お参りは二列並び、混んでない。国宝の唐門を通過して、歩きついでの初詣、穴場感がある。

 

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2023年1月 2日 (月)

元日の新聞各紙を見て~

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 元日を飾る1面ニュースはどうか。京都新聞は世界の任天堂が、創業地近くの暴力団本部跡地を買収、芸術家の創作拠点に~出ている。ぶら歩きコース、目についた。他紙、気になるニュースはない。元日から重い企画が多い。産経は今年が創刊90年。産経記者だった司馬遼太郎は生誕100年と知る。広告はトヨタ。派手派手、カロリー高く、トヨタさまさま。

 

 出版社も苦しいのか、元日広告が減っている。「本がすべてじゃあないと書いてある本」と自虐的に述べて「本って、やっぱり深い」。そう思う。スポーツは、大谷、大谷、また大谷。紙面が明るくなる。TV番組で「近江商人、走る」。滋賀勤務が長く、気になる。初笑いは彼岸から寅さん。飲んで、飲んで~吉田類の酒場放浪記。今年も飲み道楽~とは、幸せ人生。見出しに「道は百も千も万もある」「理性に立ち返る」。新聞の明日のことかなあ~。

 

 ※ 日本新聞協会のデータによると、一般紙の部数は現在、2800万部。5年前から1000万部減、毎年200万部ずつ減少。このままだと、15年後には消滅の危機と。

 

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2023年1月 1日 (日)

ウサギ、ウサギ神社

Img_5270_20221231081501 Img_5271 Img_5272 Img_5277_20221231081901 Img_5274_20221231081801Img_5289 Img_5279 Img_5283 Img_5284 Img_5286_20221231082001 Img_5287 Img_5288 お月さん見て跳ねて、亀さんに油断して、耳よりな話に耳傾けて、後ろ足で脱兎のごとくかけて…、ウサギの新年が始まった。正しい漢字は「兎」、俗字は「兔」、干支は「卯」、英語ならラビットである。寅から引き継いで、どんな卯年になるのか、ウサギの神社へ行った。

 

 全国に数多いウサギの神社。宮崎・日南では太平洋に突き出た鵜戸神社もその一つ。知人案内で7、8年前に行って、本殿裏の洞窟にウサギがいた。撫で撫ですれば、病気平癒効果と聞いて、撫でて撫でて、元気な今がある。京都のウサギ神社で、人気一番は、東天王・岡崎神社。鳴くよウグイスの794年、桓武天皇の平安京創建年、東北から王城守護で出来た。

 

 祭神は神代の子、三女五男の八柱で、厄除けに加え、子宝安産。かつて、このあたり、野ウサギ生息地。暮れから初詣ノボリの境内、はや参拝の列。犬に代わる狛ウサギ、金運呼ぶ招きウサギ、提灯ウサギ、占い籤のウサギ陶器は奉納台に並び、手水舎では立って月を仰ぐ黒御影のウサギ。新たに撫でウサギ。回りはウサギ絵馬飾り。よくまあ~と思うほどの、ウナギ尽くし。いや、ウサギ尽くし。穏やか、温和、得意はジャンプ。♪~ウサギ追いしかの山~♪、今はどの山?。

 

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