三条大橋、修復工事が始まる
足利の室町時代に橋がかかって600年、行って戻って、また行って、どれだけの人々が渡っただろう。東海道、東の日本橋に対する西の三条大橋。日本代表する歴史の橋。傷みが激しく、工費4億円の修復が始まっている。どんな具合か、橋の端から端へ歩いた。
橋の修復、ふるさと納税でお金を集めた京都市のHPに詳しい。「あなたの寄付が未来への架け橋」。ちょっとこそばいが、キャッチは効いている。架橋の歴史、古文書をひも解いて応永30年(1423)の記述あり~という。以来、洪水など幾度も姿形を変え、天正18年(1590)秀吉造営がいまの橋という。日本初の石柱、木製高欄、銅製の擬宝珠…。
新選組池田屋切込みで擬宝珠に刀傷、東海道中膝栗毛の弥次郎兵衛と喜多八ゴール、上野不忍池へ駅伝スタート…橋の歴史は数々。四条大橋から鴨川左岸の遊歩道を北へ歩くと、下流側に工事の覆いが見える。石柱の橋下をくぐって、上を見ると、上流側はまだ朽ちた欄干のままだ。工事側の特設歩道で渡ると、鞍馬山のヒノキ伐採、乾燥など木製高蘭への経過写真が出ている。修復完成は再来年の令和6年3月。歴史の橋、どんな渡り初めになるのだろう。
※ 修復木製の橋は濃い赤茶色。擬宝珠は工事中保存、完成してそのまま付け替える。木製橋梁は少ないなど、京都市HPに詳細が載っている。
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コメント
三条大橋の改修工事が始まったのですね。痛みがひどいことは聞いていました。京都1000年の様々な歴史のひとコマ、ひとコマを見てきた有名橋ですから気になっていました。
新選組の刀傷、弥次喜多道中、駅伝の起点、すぐ近くに池田屋があり、棕櫚(しゅろ)のほうきで有名な7代続く内藤商店も。送っていただいた棕櫚のほうきはまだ降ろさずに飾っています。
さらに、三条大橋はその鴨川の河原が平安以来江戸末期まで歴史上のさまざまな人物の処刑、さらし首の現場になってきたことに衝撃を受けます。
なかでも、秀頼誕生後、秀吉から高野山に幽閉、自害させられた弟秀次とその妻や子供たち、付き添いの女官など36人が三条河原で処刑、さらし首になった場所でもあることに驚きます。
三条大橋のたもとに秀次らを弔うため創建された瑞泉寺に首塚があり、手を合わせたことがあります
投稿: s.hidaka | 2022年12月18日 (日) 12時30分