朝刊太郎はいま!
昭和の時代、歌手山田太郎は♪~ぼくのアダナを知ってるかい。朝刊太郎と言うんだぜ~♪と、新聞少年を歌った。令和になった今、新聞を配達する少年はどうなんだろう。みかけない。京都円山公園の中、半袖、半ズボン、新聞束を抱えた像が建つ。働く少年の像という。
雨の降る日、祇園でバスを降りた。雨にも負けず~一日一万歩の歩き、八坂神社境内通らず、北側から円山公園へ入り、白い山茶花が咲くあたり、少年像は雨に濡れていた。中学生時代、朝に夕に新聞配達していた思い出がある。懐かしくもあり、台座の像を見上げた。インクの臭いする新聞、一部抜き取り、二つ折りにする時、指でピュッと音をさせて、配った。
昭和30年代、新聞の戸別配達は少年が担っていた。新聞協会によると、当時の配達従事者は25万人で少年が多く、中学生1クラスで生徒3割が配達していたという。新聞はTV、ネットなどが台頭、部数は激減している。新聞販売店も減り、統合が進む。塾、受験、少子高齢…、新聞配達はバイクの高齢者が担っている。もう一度、雨の中、配達少年の像を見上げた。♪~雨や嵐にゃ慣れたけど、やっぱり夜明けは眠たいなあ~♪。そう、眠たかった。
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コメント
新聞配達経験者ですか‼。陸上競技、一日一万歩、健脚は当時からの積み重ねなんですね。
投稿: ナカジマ | 2022年11月28日 (月) 10時07分