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2022年11月

2022年11月30日 (水)

東寺の弘法さん

Img_2592_20221127083701Img_2597Img_2599Img_2600Img_2604_20221127083801Img_2606_20221127084601Img_2658 Img_2636Img_2645Img_2648 Img_2649Img_2622_20221127084501Img_2672Img_2651Img_2630 Img_2633Img_2674Img_2677Img_2682 東寺の弘法さん。広い境内、露店を見て歩いて、あっちこっちでっち?。毎月21日は弘法太師の誕生日、決まって市が出る。どんな店と、ちょいと覗いて、ちょいと食べて、ちょいと写真を撮って、拝みも忘れず、行って戻って、半日は過ごせる。以下、弘法さん点描!。

 

 京都駅八条口から東寺道をまっすぐ西へ行って、東門から入る。高さ55㍍、五重塔はどこからでも見える。植木市、赤い実のピラカンサ鉢植えなどずらり。仏壇お供え高野槙。気になる食の屋台は、広島焼、焼きそば、パン、串焼き、たこ焼き、人気の鯖寿司、青空に玉こん幟みて、たい焼き一つ。お腹に餡いっぱい、頭からあーんして、立ち食い200円。

 

 徳島の鳴門から生わかめ。和牛日本一・宮崎から肉巻き。南門まで来て、弘法太師さん像。拝んで大志を抱け。足元の写真撮りは脚下照顧。骨董市にNHK朝ドラ、舞い上がれに出た長崎五島のバラモン凧とは、機を見るに敏なり。複製画は熊谷守一で猫。棟方志功で鷲。大津絵も出ている。境内、白とピンクの山茶花。タワシ、靴下、帽子…来年の干支置物は卯。帰り、洛南高校の北門からの参道。おはぎと新鮮野菜と大判焼き…最後まで、何でもあった。

 

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2022年11月29日 (火)

ぶらり、紅葉狩り

Img_2928 Img_2932_20221126070401 Img_2940 Img_2939 Img_2942 Img_2735_20221126070401 Img_2620 Img_2570 Img_2554 Img_2502_20221126071201 Img_2495 Img_2490 Img_2466 Img_3167 Img_3158  近場の歩き得というのだろうか。毎日、ちょいと歩き出かけて、ぶらり紅葉狩り。カエデ3千本の永観堂、モミジ谷の東福寺、人の波と紅葉が重なる清水寺…いまが見頃の京都の社寺仏閣、晴れる日、曇りの日、小雨の日と見て回って、こんな写真、そんな写真と撮った。

 

 石川五右衛門が絶景かな、絶景かな~と言ったという南禅寺三門。下から見上げても、紅葉がおおって、絶景かな、絶景かな。緑の芭蕉の向こうに薄赤い紅葉、これ幽玄かな。境内出て、湯豆腐の奥丹からW杯サッカー・鎌田選手の母校、東山高校通って、見返り美人像の永観堂。可愛いお地蔵さんに紅葉の葉が頭に舞い落ちている。境内はどこを見ても染まっている。

 

 泉涌寺から東福寺へ歩いて15分余り。境内前の通天橋、谷底から燃える紅葉写真は、こうよ!と撮る人が多い。今年の漢字一字は何?と気になる清水寺。子安塔の裏門から入る。コロナを忘れた人の波が溢れる。警戒、距離とって歩き、錦秋グラテーション撮り。最澄さん、天台門跡の毘沙門堂。赤い幟と紅葉コラボがいい。空海さん、真言宗の東寺。大きな太師像と銀杏の黄色が似合う。京都御苑よし、知恩院よし、建仁寺よし、寺院は紅葉が近藤真彦?マッチする。

 

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2022年11月28日 (月)

朝刊太郎はいま!

Img_2203 Img_2202 Img_2201 Img_2200 Img_2199 Img_2198 Img_2197 Img_2196 昭和の時代、歌手山田太郎は♪~ぼくのアダナを知ってるかい。朝刊太郎と言うんだぜ~♪と、新聞少年を歌った。令和になった今、新聞を配達する少年はどうなんだろう。みかけない。京都円山公園の中、半袖、半ズボン、新聞束を抱えた像が建つ。働く少年の像という。

 

 雨の降る日、祇園でバスを降りた。雨にも負けず~一日一万歩の歩き、八坂神社境内通らず、北側から円山公園へ入り、白い山茶花が咲くあたり、少年像は雨に濡れていた。中学生時代、朝に夕に新聞配達していた思い出がある。懐かしくもあり、台座の像を見上げた。インクの臭いする新聞、一部抜き取り、二つ折りにする時、指でピュッと音をさせて、配った。

 

 昭和30年代、新聞の戸別配達は少年が担っていた。新聞協会によると、当時の配達従事者は25万人で少年が多く、中学生1クラスで生徒3割が配達していたという。新聞はTV、ネットなどが台頭、部数は激減している。新聞販売店も減り、統合が進む。塾、受験、少子高齢…、新聞配達はバイクの高齢者が担っている。もう一度、雨の中、配達少年の像を見上げた。♪~雨や嵐にゃ慣れたけど、やっぱり夜明けは眠たいなあ~♪。そう、眠たかった。

 

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2022年11月27日 (日)

入ってなるほど、食べて合点

Img_2714 Img_2713 Img_2711 Img_2318 Img_2321 Img_2322_20221124072201 Img_2323_20221124072201 Img_2326_20221124072501 Img_2329_20221124072501 Img_2332 美肌にいい棗(なつめ)だ。滋養強壮に効く竜眼だ。糖尿病に枸杞(クコ)、下痢と便秘で蓮の実もある。かぶら、鶏肉、人参、里芋、湯葉、干椎茸…ぜんぶで10品目も入った今月の蒸しスープ。手が込んでいる。スープの一汁一汁がしみ、身体の芯がほてりだした。

 

 入って見て、なるほどだった。中華料理の私房菜「すみよし」。私房菜は中国語でプライベートキッチンを意味する。五条坂に近い東山馬町の交差点南西に店がある。馬町バス停降りて歩き始め、店前を通って、いつも「本日は満席」の札が掛かっている。ランチにディナー、ふかひれ姿煮もある中華のコース料理。歩くたび、入ってみたいの思いが高まっていた。

 

 予約の電話入れて、席が空いていた。珍しい中華のカウンター席。シェフは兵庫県出身、料理学校からウエスティン都ホテルの中華で10年の住吉直人さん(52)。和を取り込んだ独自の四川ふう創作中華を目指し7年目。サライの京都特集にも載った。ランチのCコース、出る、出る。紅葉と銀杏の葉をあしらう粋な前菜、スープ、点心、揚げ、メーンはご飯付きエビチリ、デザート、菓子。出るたび写真撮り、食べてよしよし、満席の合点がいった。

 

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2022年11月26日 (土)

こども絵画展「私の夢、こんな仕事」

Img_2434 Img_2431 Img_2426 Img_2432_20221123080201 Img_2424 Img_2421_20221123080101 Img_2417 Img_2413 Img_2412 Img_2408 Img_2398_20221123075001 Img_2396 Img_2395 Img_2435 日本列島描いて、低気圧の前線に傘マーク。今日は雨かな。大陸には高気圧も張り出している。明日は晴れかな。説明する女性のお天気キャスター、上手に描けているなあ。スケボーの選手、ケーキ屋さん、火を消す消防士さん、水族館の飼育員…、どの絵もうまいねえ。

 

 京都市役所地下の商店街、ゼスト御池の寺町ひろば。京都モーニングロータリークラブ主催こども絵画コンクールの第1回、作品テーマは「私の夢、こんなお仕事してみたい」。京都市内の小学生が描いた絵のパネル展示、いつものぶら歩きで出会って、一枚一枚に見惚れた。サッカー、野球などスポーツ選手に風船やさん、画家、ユーチューバー、宇宙士…。

 

 「昆虫学者になって、南アメリカへ行く」という絵は小学3年の女の子。切り株に座って、虫眼鏡でなんかみている。森の中、蝶も蟻さんの行列も描いている。「夢は合気道の先生」は絵に迫力あるなあ。眼、手さばき…エイ!の気合が聞こえる。「マンガ家になりたい」は三日月の口元、四角い眼鏡、赤いベレー帽が決まっている。「子どもの笑顔を守る、それが私の仕事」は先生志望かな。どの絵にも、夢が一杯、たくさん見せてくれてありがとう。

 

  ※ 絵画展は11月20日で終了。

 

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2022年11月25日 (金)

謎多く、恋多く~「伊勢物語」

Img_2095 Img_2097 Img_2100 Img_2098 昔、男ありけり~で始まる伊勢物語。その昔とはいつか。その男とは誰か。なぜ伊勢物語なのか。大阪中之島の香雪美術館で開催の特別展「伊勢物語」へ行った。チラシは烏帽子かぶる衣冠装束姿の輪郭だけ描いて、男は誰かわからない。副題は「謎多き恋多き最古の歌物語」。

 

 伊勢物語は、教科書にも登場、入試にも出る。和歌とエッセイ、125段の短編で綴る歌物語。平安時代、源氏物語と双璧の古典文学という。文中名乗ってないが、男は六歌仙のひとり、在原業平らしい。現代訳含め、読んだことはなく、招待券一枚があっての鑑賞。香雪美術館所蔵、最古と言われる色紙絵17枚と写本中心、絵になる謎の男についての展示だった。

 

 短編エッセイの各段、決まって~昔、男ありけり。文中の男、読み進めて業平さんでしかない。元服から隠棲まで、遊び人でモテたこと、色恋沙汰が多かったこと、真偽取り混ぜて、本人ならでは~の出来事を綴っている。なぜ伊勢物語か、これは69段の記述。伊勢神宮での天皇の使者・斎宮との密会の告白からではという。平安時代は一夫多妻の通い婚、歌が巧みで、しかも男前、源氏物語の光源氏モデル説もある業平さん、通った女性は3千人とか。やはり謎と恋が多い。

 

 ※ 展覧会は11月27日まで。 ※ 会場前展示看板、芥川の段は俵屋宗達の筆。

 

 

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2022年11月24日 (木)

この不思議、なんでやねん。

Img_2165 Img_2164 Img_2162_20221121073901 Img_2159 Img_2152_20221121073901 Img_2151 Img_2150 Img_2149_20221121074001 Img_2148 Img_2147 Img_2145 Img_2144 なんで、なんで、なんで?どうしてや?、そう不思議がって、観察することから科学は始まるという。大阪中之島の市立科学館の入り口、不思議が多い。線が同じ長さなのに違って見える。歩くと飛べない鳥・エミューが絵で追いかけてくる。けったいや、なんでやねん。

 

 文化ゾーン・中之島、国立国際美術館と大阪市立科学館は向かいあう。赤い彫刻、清水九兵衛さんの作品もある。晩秋の小春日和、美術館前のベンチに座って、ぼんやり科学館前を見ていた。通り行く人が首をかしげて、立ち止まって、不思議そうに通り過ぎていく。幾つも絵が並んでいるのは見えていたが、気になって真ん前まで行って、その不思議発見だった。

 

 絵なった砂漠の中にエミューくん、豪州の国鳥という。5㍍ほど離れて絵を見ながら左右に歩くとエミューがこっち向いて見える。3Dイリューション、目の錯覚の応用らしい。豪州科学館の寄贈という。線を色々と引いて描いて、比べて見せて「傾いて見える。」「長さが同じでも違って見える。」確かにそう見える。箱型の家が並ぶ町の絵も動く。どれもイリューション現象か。錯覚、幻覚、知覚、トリック、マジック…、科学の不思議に際限はないようだ。

 

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2022年11月23日 (水)

サステナブルな昆虫食

Img_2117 Img_2118 Img_2120 Img_2127 Img_2121 Img_2123_20221120074301 Img_2125 Img_2126 Img_2129 Img_2130 コオロギバーガーという。コオロギコーヒーにコオロギ煎餅という。コオロギ餃子にコオロギピラフもある。秋の夜長、キリキリキリと鳴く体長10㌢のコオロギくん、持続可能なサステナブルな昆虫食材の一つとして、このところ、脚光というか、名前が出てきている。

 

 大阪中之島フェスティバルタワーへ行って~である。讃岐うどんと煮穴子セットを食べて、タワー地下をぶらりして、タワー完成10周年記念行事、サステナブル・イベントのトークショーの案内がでていた。講演は清水和輝さんこと、昆Tuberかずきさん。昆虫食とSDGsの話とコオロギ食の実演販売という。講演は翌日だったが、会場内へ入ってみた。

 

 ~なぜ、いま「昆虫食」が注目されるか~など、写真付き説明の掲示板が並んでいた。世界の人口はいま80億、やがて100億。昆虫食は、食料危機、地球温暖化が背景にあるという。掲示板見て回って、国内では、蜂、イナゴ、ザザムシ、国外ではセミ、アリも食材という。アリに、ありまあ?と驚いていられない。昆Tuberかずきさん在籍の近大はいま、コオロギ養殖計画中という。マグロ養殖で名を挙げた近大、今度は虫、無視はできない。

 

 ※ コオロギの蛋白質量は、鶏、牛などの3倍。身は柔らかく、淡白という。

 

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2022年11月22日 (火)

選択は煮穴子丼セット

Img_2116 Img_2105Img_2104 Img_2108Img_2111 Img_2110  隣り合ったどちらの店にも煮穴子メニューがある。寿司の握りにするか、うどん付き丼セットにするか~、ちょっと迷ったが、足は煮穴子丼セットへ向いた。握りも捨てがたいが、こちらはもう何度か入っている。同じ煮穴子だし、食べ比べもあるし、初めてに興味がいった。

 

 大阪中之島フェスティバルタワー地下の飲食街。招待券で香雪美術館の伊勢物語展へ行っての昼。展覧会は昔男ありけり~の在原業平。その恋の遍歴、昔女ありけり~と見てからだった。オフィスビルの飲食街、休みの多い土曜だからか空いている。魚河岸日本一の立ち食い寿司と居酒屋も兼ねる定食セットの「千万喜」(ちまき)のどちらも、外から覗いても客がいない。

 

 「千万喜」さん、入り口で煮穴子セット注文すると、まず素うどんが乗ったトレーが出た。トレー持って、天ぷらコーナーを横切って、料金980円先払いすると、丼はテーブルへ直接、持参すると言う。広い店内、客一人。煮穴子と書いた札と素うどんだけのトレー、どこか寂しそうだが、ゆっくりはできる。そう待たず、蓋付きの丼が来た。あたふた?と蓋開けて、煮穴子は厚めの2切れ。刻み海苔、ネギ、紅生姜…、焼き穴子より好きな煮穴子、うん、まあ、選択はこれで正解か。

 

 

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2022年11月21日 (月)

ラッパの花

Img_2018Img_2013Img_2014Img_2015Img_2025Img_2031_20221119074901Img_2035Img_2038Img_2141Img_2135 Img_2169Img_2172Img_2174 ラッパの花が咲いている。黄色く、幾つも幾つも、下向きにぶら下がっている。JR大阪駅中央正面口の花壇。ラッパの花、ナス科のエンジェル・トランペットという。どんな音が鳴るのだろう。パンカパーン?、歩き始めの音か。歩きは、前を向いて、上を向いて歩こう。

 

 初代大阪駅は明治7年に出来た。煙モクモク、陸蒸気が大阪―神戸を走って、梅田ステーションを訛って「梅田すてんしょん」と人気があったとか。駅前から西南へ、桜橋交差点の手前路上に日英中韓の4か国語の銅板捲り「大阪駅ものがたり」。その歴史と写真が出ていた。都会のオアシス・駅前花壇は、ダリア、コスモス、ノケイトに目立つラッパの花だった。

 

 大阪に来ると、地下街より、地上を歩く。駅の中央コンコース南側、大阪駅初代の頃からの「旅立ちの鐘」。待ち人いかに~の場所である。大阪は2025万博開催絡み、高層ビルの建設が相次ぐ。ここも、あそこもと、上を向いて九ちゃん歩きになる。四ツ橋筋から中之島、堂島川から田蓑橋へきて、看板はトランペットの「レッド&ブルーストリート」。JAZZ奏者・手島祥一さん命名という。ラッパに始まる歩きの一日、終わりもパンパカパーン!。

 

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2022年11月20日 (日)

旧毎日新聞大阪本社の玄関

Img_2052 Img_2046 Img_2047_20221118082301Img_2050Img_2051Img_0008_20221118083101Img_2179Img_2178_20221118082801  この石造りの門、ナニッと、後ろへ回って、わかった。台座に写真付きの説明。大正11年創建の旧毎日新聞大阪本社玄関の一部という。本社が西梅田に移り、跡地に18階建て高層ビルが出来たが、大正時代の貴重な建築物であり、モニュメントとして復元・展示という。

 

 明治9年創刊、大阪日報を前身とする大阪毎日新聞、いわゆる「大毎」。社名、社屋など変遷して、大正から昭和へ70年間、ここがニュースの発信拠点だった。JR大阪駅から西南へ、北新地の入り口、堂島一丁目、四ツ塚筋である。遺構は重厚な石造り。小型版の凱旋門ふう。跡地ビルは堂島アバンザ。2、3階にジュンク堂書店入り、憩いの広場もある。

 

 この毎日新聞移転を巡り、元毎日記者で知人の吉原勇さんが、当時の経過を著書にしている。タイトルは「特命転勤~毎日新聞を救え」。経済記者から経営企画室へ特命転勤の吉原さん、新社屋の用地を確保して、跡地売却が仕事だった。著書は国有地売却絡みの複雑な人間模様を赤裸々に~だった。このブログ、2007年9月30日「特命転勤の驚き」で紹介している。中之島美術館帰り、西梅田の毎日新聞へも行って、特命転勤への感慨を深めた。

 

  ※ 吉原勇さん、多摩在住。毎日新聞から下野新聞東京支社長、作新学院など。現在84歳。

 

 

 

 

 

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2022年11月19日 (土)

蒸気機関車の写真展

Img_2066 Img_2067_20221117073301 Img_2063 Img_2062 Img_2061 Img_2064 Img_2060_20221117073001 Img_2068 Img_2055 Img_2057  黒い煙と白い煙が渦巻いて、ボオッ、ボオッ~とうなっている。動く、動く、さあ動くぞ。煙が響く。ボオッ、ボオッ……、ボオッとしていたら、チコちゃんに叱られる?。この一枚も、その一枚も、写真が動いている。シュッシュッ…、煙をいっぱい吐いて走りだした。

 

 大阪中之島フェスティバルタワー1階、キャノンギャラリー。ホール4階の香雪美術館へ行くおり、先ずここで、写真企画展を見る。この間は、鉄道150年記念、蒸気機関車展。東京・亀戸駅近くに住み、子どもの頃からSLと友達になった鉄道カメラマン、持田昭俊さん(63)の作品が並んでいた。もう見られなくなったSLたちの写真が格好よく、見惚れた。

 

 ひまわり畑を行く。雪原を突き抜ける。鉄橋を渡る。海のそばを走る。どの写真もアングルがいい。一枚みてまた一枚。立ち止まる時間が長くなる。人気のデゴイチ・D51、走る貴婦人・C57…、東北の磐梯、新潟の村上、北海道の根室…。SLとその景色がいい。写真テーマは「響煙・Kyoen」。持田さんが2001年に開催の写真展から鉄道150年記念でいま再びという。猛煙の中の夕陽の輝き、被災地で励ましの汽笛一声…SLが写真に生きている。

 

 ※ SL写真展は11月13日で終了。

 

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2022年11月18日 (金)

壁面アイビーアート

Img_2254 Img_1643 Img_1644 Img_1645 Img_1642 Img_1640_20221114072901 秋色になったツタ(蔦)が壁にへばりついて、野外アートしている。赤と緑が混じりあって抽象画の大作ふう。ツタに勢いがある。これぞ自然の力。泉鏡花作の婦女系図、お蔦と主税の湯島天神か。ペギー葉山の学生時代、ツタの絡まる教会か。だれに伝えるツタだろう。

 

 京都市山科区、地下鉄東西線東野駅の駅舎壁面である。駅舎ビルは3階建て、地下鉄駅なのに中がどうなっているか、わからないが、壁面は広い。歩き帰りに乗るバス、後部座席に座って、車窓からいいなあ~と見ていた。日差しがあるとき、くもっているとき、見え方が変わる。秋深まって、ツタ色の赤さが増す。出歩きの行きがけ、現場へ写真撮りに行った。

 

 ツタは、ブドウ科ツタ属のツル性の落葉で、まあ草の一種。英語ではアイビー。壁面に伸びる甲子園のツタ、岡山の倉敷アイビースクエアなど思い出す。ツルとツタ、言い方か、似ているが、漢字で「蔓」のツルは、長く伸びる茎。朝顔しかり、ブーゲンビリアしかり。ツタもツルになって伸びる。現場で見上げた壁面、ツタツタして、ツルツルして、混然として、そこに秋色を取り込んでいる。日々変化する壁面アイビーアート。この良さ、写真で伝わったかな。

 

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2022年11月17日 (木)

「御寺」の泉涌寺へ

Img_1964 Img_2004 Img_2005 Img_1969_20221116082201 Img_1973_20221116082201 Img_1974 Img_1985 Img_1992 Img_1987 Img_1989 Img_1991_20221116082801  真言宗泉涌寺派の総本山泉涌寺は「御寺」だ。「お寺」と読まず「み寺」。歴代天皇ゆかり、皇室の菩提寺だからだ。いま、秋の京都非公開文化財特別公開中。天皇の位牌などある霊明殿へも特別に入れるという。自宅山科から市内への裏道を上り下りして、歩いて、拝観に行った。

 

 裏道、滑石街道という。忠臣蔵、山科隠棲の内蔵助が遊郭へ通った道とも言われる。東山三十六峰・京都一周トレールも横切り、足が長いので30分ほど、わりに近い。西国霊場15番・今熊野観音からすぐ。「御寺」と表札のかかる大門は、境内で一番高い所。特別公開拝観料千円とは別に入山料5百円。最初は大門からすぐ重文・楊貴妃観音像。べっぴんかな?と見る。

 

 いや、拝む。1200年代、南宋からの木造という。謂れいろいろも、美しい。見とれず拝む。大門から下って、仏殿、舎利殿、一番奥に本坊がある。隣に皇室ゆかりの御座所、霊明殿である。学生さんのバイト説明。御座所は、皇室の皆さんお参り控室。写真撮影OKの庭園が秋に映える。渡り廊下から滅多に入れない霊明殿へ。明治天皇ら御尊像、御位牌が内陣に奥深い。瓦、門、飾りは菊また菊…、聞くことなく見て十六菊花紋、皇室を象徴していた。

 

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2022年11月16日 (水)

秋、小さな赤い実

Img_1824Img_1827Img_1830_20221113080401Img_1828Img_1694Img_1695Img_1699Img_1696Img_1938Img_1939 成っている、成っている。赤い実がいっぱい成っている。これはバラ科のピラカンサだ。こっちは、サネカズラだ。小さな粒々、艶々して、たわわにに下がっている。何点あってもナンテン、これもよく似ている。秋の出歩き、赤い実を見つけると、写真を撮っている。

 

 豪商、角倉了以が開削した高瀬川、七条通り北側にピラカンサ。赤い実の成り方が凄い。凄すぎて、枝もしな垂れ、川底を覗いている。明治中期に渡来というピラカンサは、盆栽に起用されて人気がある園芸品種だけど、高瀬川のここで育つのは、実の成りようの多さ、チャンピオンだろう。毎年、歩き通るたびに見惚れて、ついデジカメ向けてしまう。

 

 サネカズラは植物園の四季彩の丘。いま、棚の下のベンチの前、つるの木に下がって、赤く熟している。園側の説明が面白い。~別名で美男葛(ビナンカズラ)と言い、若い茎から採取の粘液は男性整髪料。今で言うなら「イケメンカズラ?!」~。常緑のつる木で、マツブサ科。花言葉は「また会いましょう」。ピラカンサは「燃ゆる想い」。この二つ、なんか意味深のような。最後にどこにもあるナンテン。これは、難を転じて、めでたし、めでたし。

 

 

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2022年11月15日 (火)

神社参拝、その作法

Img_2009_20221112181601 Img_1527_20221112080201Img_2011 Img_1848_20221112075501 Img_1851 Img_1876_20221112075601 Img_1917 Img_1919 Img_1925 Img_1921 それ、ちゃう、ちゃう。拝み方の順番が違う。あっまた、ちゃうちゃうバンビ―。神社へ行って、最初に賽銭でなく、鈴を鳴らし、音で自らを清め、それからお賽銭入れて、2礼2拍1礼。お賽銭の投げ入れが一番ではない。まずは鈴鳴らし。あっ、またや、ちゃうちゃう。

 

 神の国・宮崎で2泊3日、お参りの作法など学び、京都に戻って、祇園の八坂神社である。拝殿前の本殿、後ろからお参りの皆さんを見ていて、違う違う。宮崎駅前の観光案内所のパンフは、ときめく神もうで「キキタビ」。古事記の記と、日本書紀の紀の旅を合わせて「キキタビ」。さすが神の国だなあと感心して、最後のページを開いて神社参拝作法だった。

 

 神域に入り、鳥居で一礼、参道の真ん中を避ける。真ん中は神様の道なので、左右どちらかを行く。手水舎は杓で手と口を清めて~と順序が詳しい。日々出歩き、八坂神社へ行って、さらに足をのばし平安神宮、改めて参拝した。八坂神社の参道は屋台道、平安神宮の鳥居は高さ24㍍、どう一礼するか。長い参道はバス、車。応天門前はガラクタ市。手水舎は自動センサーの水。お賽銭、2礼2拍1礼変わらずも、神域の多様化、参拝作法に戸惑いあり?。

 

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2022年11月14日 (月)

松園さん、松篁さん、淳之さん~親子三代文化勲章

Img_1908 Img_1910 Img_1911 Img_1912_20221111083501 Img_1900 Img_1901_20221111083401Img_1944Img_1945 Oip  美人画の上村松園さんは「花かざり」。桜の花の下、艶やかな芸妓さんが5人。結った髷に花びらが落ちるのを避ける傘も描く。明治40年代の作品。息子の松篁さんは花鳥画。昭和58年の作品は「孔雀」。緑の翅の美しさ、画面からあふれんばかりに描く。

 

 松園さんと松篁さんの作品が、いま、京都近美の今年度コレクション展で展示されている。今年の文化勲章4人のひとりは、日本画の上村淳之さん(89)。日本初の女性受賞・松園さん、同じく文化勲章の松篁さんに続いて、親子三代の受賞である。淳之さんの作品、京近美の向かい、京都市美で開催の創画会展で展示中では~と、京近美から歩き渡って、見に行った。

 

 淳之さん、祖母・松園さんが晩年に過ごした奈良・平城で、60種700羽の鳥たちを飼育している。父・松篁さんと同じ花鳥画。理事長をしている創画会は、日展を離れての会派で、昭和23年に松篁さんらが立ち上げた創造美術の流れを組む。改組して第49回展。松柏美術館所蔵の淳之さん作品、池の中にたたずむ鳥2羽「春宵」の出展示。暮れ行く静けさを描く。日々歩き効果、親子三代文化勲章受賞記念のトリプル鑑賞だった。

 

 ※ 上村松園(1875-1949)上村松篁(1902-2001)上村淳之さん(1933-)。いずれも京都生まれ。 ※ 創画会展は11月13日で終了。 ※ 松園さん、松篁の写真は「美術記者の京都」(橋本喜三著)から転写。淳之さんはネットから。

 

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2022年11月13日 (日)

植物園の「もみじ」

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 植物の葉が変わるのを赤色なら「紅葉」、黄色なら「黄葉」、褐色なら「褐葉」という。紅葉、黄葉はわかるが、褐葉は初めて知った。光合成のクロロフィル、赤い色素のアントシアニン…、葉の色変化について記述が詳しい。配布の縦長4つ折を広げると、園内の紅葉散策マップが出ている。背の高いメタセコイヤ、葉の丸いカツラ、これは枯れ葉ぽい褐葉だ。

 

 梅林過ぎて、池回りへ来て、イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジだ。紅葉はまだ早そう。一日最低気温が8度以下、さらに5~6度で一気に色づくという。モミジ3種類は葉の切れ込みで識別できるという。園内、紅葉散策マップを見て、樹木の葉の色ぐあいを点検しながら、写真を撮って歩いた。サルスベリ、ヌマスギ、ハゼ、マンサク、フウ、イチョウ、ランシンボク、シラキ…、それぞれが、紅く、黄色く、茶色く、それぞれに葉を染め、秋をもみづしていた。

 

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2022年11月12日 (土)

西九州新幹線・かもめで諫早へ

Img_1235Img_1250Img_1251Img_1255Img_1254Img_1378Img_1377Img_1374Img_1261Img_1260 Img_1373Img_1376  開業から1か月半、そう満席ではない。指定席より自由席が空いている。6両編成の車体は赤と白、先頭は尖がって目かある。格好いい。佐賀の武雄温泉から長崎の嬉野温泉、新大村、諫早、長崎の4つの駅を走り抜ける。各駅停車、時速は260㌔。西九州新幹線「私はかもめ!」。

 

 長崎の島原鉄道乗り継ぎ、諫早駅へ行くのに乗った。博多駅から長崎本線、特急リレーかもめ。九州新幹線駅がある新鹿島、佐賀駅などに停まり、博多から1時間20分、武雄温泉駅で、向かいホームで乗り換え。まさにお迎えのリレーかもめ。自由席を探し、車体の写真も撮って、乗り移りが忙しい。入った車内の座席は黄色。新しいかもめがまた走りだした。

 

 終点の長崎まで国内新幹線で一番短い66㌔。嬉野温泉駅、新大村駅に停まって、目的の諫早、いさはや?早い。新しい駅は立体、広い。接続の島原鉄道に乗るまで、もう来ないかも?と構内ぶらりぶらり。改札前はスタバ。店内の壁面、山の絵がいい。乗車待ちか、客も多い。お祝いの地酒樽。これで足る?。菊飾りはかもめデザイン。ノボリは赤い開通元年。観光案内、白木峰高原は20万本のコスモスという。人口減の続いた諫早の町に、かもめが飛んで来た。

 

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2022年11月11日 (金)

博多の夜は玄海にぎり

Img_1198 Img_1213 Img_1199 Img_1204 Img_1202 Img_1205 Img_1208_20221108081901 Img_1211 Img_1215 博多へ来れば~、そりゃあ、ラーメン。いやいや、昼なら兎も角、夜は魚だ、寿司だ、握りだ。回る寿司でもいいけど、どこかないかと、駅周辺をさまよい歩いて、店選びの第六感が働いた。店前看板「おすすめ!玄海にぎりの松8貫」。決めた!決めた!ここに決めた。

 

 なんとも雑踏、人が多い。博多駅の乗降客、はかった?ことはないけど、九州で一番、一日30万以上らしい。宿泊ホテル、探し抜いて見つけ、チェックインして、すぐ夜の町へ出た。屋台、中洲もだけど、近くの駅前へまた出て、博多口から筑紫口へ回り、吉野家など入る飲食店街の奥に「すし割烹かじ」。中州に本店がある出店、玄界灘の魚がネタのようだ。

 

 満席が一つ空いて、二人席に一人座った。決めていた玄海にぎり8貫。大トロ、中トロ、赤身の本まぐろ。とらふぐに穴子、いいねえ。うに、いくら、玉子に茶わん蒸しと赤だし。これで2640円とは、安いねえ。カウンター越しに板さん、黙々と握り続けている。どの握りもうまい。追加はイカの活け造り。舌に吸い付きそう。もう一品、あるかな?と聞いて、ずっと前から食べたかったイワシの刺身。スッと出て、さすがは博多、玄界灘に限界はない?。

 

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2022年11月10日 (木)

有明海のムツゴロウ

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 長崎県諫早市、干拓資料館へ行った。ローカル線・島原鉄道で海の見える駅・大三東へ行った帰り、干拓の里駅を知って、駅名にいつもの好奇心。せっかく、ここまで来たからには~だった。諫早干拓、農業か、海苔栽培か、門の開閉めぐり法廷での是非が続いている。ムツゴロウの目玉イラストの駅から平野を1㌔歩き木造資料館、干拓の歴史がそこにあった。

 

 干拓は埋め立てではない。潮の干満、地形など泥質堆積による干潟に基づく。資料館は昭和62年、木造建築のモデル施設で広い。見学はひとり。江戸からの干拓、干潟を学び、ムツゴロウと出会った。泥質の巣穴から周囲を伺うように出て来たムツゴロウをどう捕るかの模型。長い竹竿に釣り糸、かぎ針で一瞬、ひっかける。「有明海のむつかけ漁」という。模型スイッチ押すと、ムツゴロウが穴からひょいと登場。時間忘れ、何度もスイッチ押した。

 

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2022年11月 9日 (水)

海の見える駅「大三東」

Img_1265Img_1292 Img_1284Img_1298Img_1287_20221106081301Img_1289Img_1279Img_1273 Img_1280Img_1278_20221106081101Img_1277 Img_1281 海だ。海、海、海…もう一つ海だ。晴れて、青い海は空と一つになっている。その海は有明海。ずっと向こうの対岸は熊本の阿蘇という。長崎のローカル線・島原鉄道で、日本一海に近い駅「大三東(おおみさき)」へ来た。下り線のホームへ降り、足元から海を眺めた。

 

 無人駅。ホームに柵はない。目の前が海だ。海、海、海…。乗って来た電車は黄色の車体。ホームに黄色いハンカチがぶら下っている。ローカル線集客対策、SNSで人気が急増、全国から若い客層が増えているという。宮崎帰り、博多で1泊して、海と黄色いハンカチ見たさに来た。始発の諫早駅から1時間1本、乗り放題切符で、ゴトゴト、17番目の駅だった。

 

 大三東の「東」は、お隣の大分県国東と同じように「さき」と読む。第12代景行天皇が九州・豊後半島を訪ね「国の東の先」と言ったからとか。大三東も島原半島の東。行ったのは土曜。車内は観光客、地元の人混ざり合う。車内は明治時代、新橋と横浜走った日本最初の機関車を譲り受けたという歴史の書き込み。ワンマン運転席の横で、田畑を突っ切る沿線風景を眺め、海が見える大三東駅へ。黄色いハンカチは風になびいて、幸せを呼んでいた。

 

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2022年11月 8日 (火)

宮崎・大淀川、鹿児島・桜島、博多・中洲

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 旅へ出て、起き抜けの町歩きは何処へ行ってもで、習慣になっている。宮崎2泊、最初はJR駅前へ行った。駅舎ビルは午前5時、自動ドアが開くと知った。2日目が高千穂通りだった。もう少し、もう少しと、歩き続け、かつて知人が勤務の宮崎日日新聞はここか知って、大淀川。太平洋へ流れる川は広く大きい。国道になった長い橋を渡り切って、折り返した。

 

 もう一泊は、宮崎から鹿児島へ出て、新幹線で博多へ。九州東岸を走る日豊線、車窓から桜島が見えた。特急自由席、考えず左の座席に座って、得したような。博多の朝も暗いうちホテル出て歩いた。境内大きそうな住吉神社。全国2129社の最初と看板を見た。那珂川まで行って、川沿いを歩いて、繁華街・中洲へ出た。夜、さんざめきの余韻、ラーメン屋さんなど徹夜営業…、看板は博多弁「どこへ行くと」。街路プランターは「一人一花」…朝歩きは、旅の思い出を二倍にする。

 

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2022年11月 7日 (月)

うなぎ料理の「入船」

Img_1139 Img_1137_20221104080001 Img_1140 Img_1142 Img_1171 Img_1159 Img_1167 Img_1168 噂どおりというか、評判どおりというか、店前はお客で溢れている。入って食べて、皮が香ばしい。実がふんわり。ほっぺがゆるむ。これぞ、蒲焼き。大豆をすり潰した呉汁、肝吸いに代わって鰻にあう。ピークに県内外から年間25万人もの客という。さもありなん~である。

 

 鰻の宮崎、旨さで愛知、鹿児島に並び、静岡を抜く。古墳日本一の西都市、人気のうなぎ料理店「入船」。宮崎市内から車で40分、古墳を見たあと、知人の案内で行った。予約済みの2階は座敷。大きなトレー、お椀に白ご飯、重箱の鰻は、身が太く、2段6切れ。白い呉汁、大豆の粒々感がある。野菜を敷いた鰻の白焼き、串さしの肝、漬物…それは、もうたっぷり。

 

 お店は明治27年創業、店主の横山邦夫さん(75)は3代目。出版会社勤めから25年前に店を継いで、九州各地で味を学び、食材の吟味を重ねた。ヤクルト球団が13年前、ここにキャンプインしてから,選手、マスコミで賑わい出したという。玄関入った壁は、宮崎出身の柔道家、五輪金の井上康生、ピアニスト・坂本龍一ら著名人の来店写真で埋まる。ご飯に甘辛のタレ、蒲焼き2度、3度…満足感が溢れる。この店、日向弁で「みんな知っちょるね?」。

 

 

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2022年11月 6日 (日)

西都原古墳へ行く

Img_1071 Img_1077 Img_1072 Img_1079_20221103074601 Img_1074 Img_1081 Img_1083 Img_1085 Img_1090_20221103074801 Img_1135_20221103074801 一面、咲き乱れるコスコスの中だ。小さな丘、ポコンと丸く盛り上がっている。これ、これ、これが円墳だ。宮崎県の真ん中、西都市にある特別史跡西都原古墳群へ来た。円墳、前方後円墳、方墳…その古墳の多さは日本最大級という。公開中の円墳、入り込んで石室を見た。

 

 西都原―、原を「ばる」と読み「さいとばる」。隣接の新富町には、航空自衛隊の新田原基地あり、「にゅたばる」と読む。宮崎市内から知人マイカー。国道から県道・ひむか神話街道を走る。時おり、日米合同演習か、新田原からジェットの轟音。車からにゅと顔を出す。古墳群は東西2・6㌔。南北4・2㌔、確認古墳は391基。入ったのは「鬼の窟」古墳。

 

 知人は母親の実家あり、子どもの頃、よく遊んだ場所だという。宮崎交通のバス停もある。立派な県立考古博物館、無料で入れる。11月には古墳祭り。一帯、春は桜と菜の花、夏は向日葵、秋にコスモスが咲く。茶畑、大根畑、マンゴー栽培も。古墳番号205は「鬼の窟」と名がつく円墳。南九州最大級の横穴式石室。入り口少し頭下げるていどで中はうんと広い。6世紀末、首長級の古墳では~と。広がる青い空、コスモス…古代ロマンの古墳に興奮?。

 

 ※ 「「鬼の窟」の古墳名は、コノハナサクヤヒメに恋した鬼がひと晩のうちに岩屋を作ったという伝説から。

 

 

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2022年11月 5日 (土)

南国・宮崎、あの木この木

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 ホテルの朝、起き抜けにJR宮崎駅前へ出歩いた。ロータリーが広い。南九州、宮崎の夜明けは遅い。真っ暗な中、フェニックスがまぶしいライトを浴びている。病害虫に強く不死鳥だという。てっぺんのフサフサが羨ましい。バス停前はクスノキ材のベンチ。背もたれがないが、どっしりしている。駅前改修で伐採したクスノキの活用、持続可能なSDGsだという。

 

 宮崎神宮鳥居前、みやざき巨樹100選のラクウショウ。幹回り4㍍以上。古墳の西都市、南方神社には、高さ42㍍、樹齢は推定1000年のクスノキ。サファリパークだったハイビスカスゴルフ場。ソテツ、八朔、実の成った柿の木、パンパスグラス…、ボールの行方も、樹木も気になる。台風よく通る宮崎。のっぽのワシントンヤシは大丈夫なのか。知人によると、倒木情報はないという。弾力性ありと。そんなこんなの樹木たち、出会いが忘れられない。

 

 ※ ワシントンヤシの学名はワシントンニアパーム。知人によると、宮崎市街地の国道だけで840本植えられ、県民のシンボルツリー。昭和39年から植えられ、大きくなりすぎ、いま植え替え作業中と。

 

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2022年11月 4日 (金)

旅の朝は、バイキングの顔づくり

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 これ、宿泊したアートホテル宮崎スカイタワーの朝食バイキング。ヘルシー意識なら野菜などのデリサラダ、せいろ蒸しもある。もも焼き、さつま揚げ、メヒカリ南蛮…、まあ、なんやかんやある。もうずっと続いている朝の顔づくり。あっちからこっちから少し、少し…。眼はせいろ蒸しの人参、鼻はブロッコリー、口は筑前煮、毛髪は海藻…、これでどうかな。

 

 自宅でもそうだけど、出来たら食べる前にデジカメ撮り。宮崎の、このホテルで2泊して、博多でも1泊して、顔づくりはクセになっている。宮崎2日目、眼はプチトマト、耳はレンコン、眉毛はきんぴら牛蒡。博多は駅前スマイルホテル。ここでは焼売が目、ソーセージが鼻、博多名物の明太子は口。スパゲティどうするか、長い髪に起用した。出来栄え眺め、海藻の鼻ひげも効いている。旅の朝はバイキング顔。具材多く、やめられない、とめられない。

 

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2022年11月 3日 (木)

神の国・宮崎が屋上から見えた!

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 アミュ、英語AMUで楽しい。プラザ・PLAZAをつけた複合施設。JR九州が福岡、鹿児島と九州各県のJR駅前で展開、宮崎にも2年前に出来た。うみ館、やま館、駅構内にひむかきらめき市場。東京勤務時代仲間の3年ぶり集い、地元幹事の紹介で懇親会前の夕暮れ、ひとりで行った。蜜柑ポストが可愛い。青い広場からプラザへ入って、上へ上へ~。

 

 階段、右へ左へ…庭木ある「アミュにわ」の9階で「アミュそらまであと一息」の励まし表示。膝ガク、もうひと踏ん張り、ついに着いた。景気、景色…の前に鳥居が立つ。くぐった先は交通神社。神武天皇を祀る宮崎神宮から分詞して、交通安全、旅人安全など諸祈願という。さすが宮崎、2礼2拍1礼、「アミュそら」屋上ぐるり、海が見える、山が見える。国文祭開催記念の壁面アート、フェニックス・不死鳥が見える。はるばる遠くへきたもんだ。

 

 

 

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2022年11月 2日 (水)

平和の塔、再びの対面

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 何度目かの宮崎だが、15年以上前にもHSさん案内、そのおり見た塔のスケールが忘れられず、もう一度と2度目の訪問。建設に1年半、延べ6万6千人、今の金額で10億円かけ、神武天皇即位2600年記念で昭和15年に完成した。正面に天下は一つの家を意味する「八紘一宇」の4文字を刻み、戦争へ突き進む時代背景のなか~だった。当時、HSさんお母さんも動員されたと聞いた。

 

 写真は、見上げて、見上げて撮った。石塔をぐるり回って、後ろに「紀元二千六百年」の刻み。四隅の銅像は武人、商工人、農耕人、漁人。パンフ説明で、信楽焼の像と知った。かつて滋賀勤務、身近さ感じる。正面へ100㍍、手を叩くと塔が壁になって「ピーン」と反響した。戦後、GHQ命令で「八紘一宇」と武人像が撤去になったが、観光目的でその後に復活したという。戦前は拾円紙幣デザイン、戦後は東京五輪聖火リレー起点…、市内を見守り80年余、秋空に平和のシンボルは高く高く~だった。

 

 ※ 塔の設計は日本サッカー協会のシンボル、八咫烏をデザインした彫刻家、日名子実三さん。 ※ 正面の青銅門の中、秋に一年一度公開、神話などの石こうレリーフ8枚ある。春にはライトアップ。 ※ 福岡にも、むかし球場あった平和台あり。

 

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2022年11月 1日 (火)

誰だ、誰だ!アンディ・ウオーホル

Img_0572Img_052620221021_15094720221021_14581320221021_14552920221021_14572820221021_150316Img_0560_20221024071401Img_0561_20221024071101 誰だ、誰だ!。ポップ・アートの旗手、アンディ・ウオーホルが描いた「花」の画像前、デジカメ持って写っているのは誰だ。「花」だけが見たいのに誰だ。京都市京セラ美術館のウオーホール回顧展、入場前に展覧会ミラー仕掛け。写っているのは誰か、ようミラー?。

 

 いま、京都はモンロー、モンローしている。京都駅前の街宣車、町中の掲示板ポスターは、日本初公開の「三つのマリリン」。ウオーホルは、マリリン突然の死後、ピンクに塗った顔を描いている。名声、栄光、美、そして自殺…3つの顔は同じようでも、左端に陰りがあるようという。ウオーホールは京都へ2度。全国巡回しない京都だけの展覧会、見に行った。

 

 入場前、ミラーの仕掛けとマイクスタンド。「金とは何か」と喋ると、ウオーホールは~金は金、苦楽別に使うときは同じだ~と言う。現代アートの始まり、ウオーホルのポップ・アートは、大量消費、大量生産へのアンチテーゼ。展示、初公開100点はじめ、銀の風船など200点が出ている。毛沢東、パンダ、缶、プレスリー、ケネディ夫人、バイクも一緒の最後の晩餐…。京都の白川を歩く男性写真は誰だ、誰だ!それがウオーホルだ。

 

 ※ 展覧会は来年2月12日まで。 ※ アンディ・ウオーホル(1928-1987)米国ピッツバーグ出身。ニューヨークで商業デザイナーから多彩なアーティストに。版画、シルクスクリーンなど。ピッツバーグにウオーホル美術館。

 

 

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