刀傷は池田屋事件?。
そうか、これねえ、そうかなあ、う~ん、そうなんや。三条大橋の欄干擬宝珠についている刀傷跡は、池田屋事件の斬りあい跡という。地元の商店街が「そうではないかと言われています」と案内板を出している。行くも帰るも出歩いて渡るたび、傷跡をつい、見てしまう。
元治元年(1864)旧暦6月5日、祇園祭宵々山の夜だった。三条大橋から西へ150㍍、旅籠池田屋で長州藩士ら20人が倒幕の密議中、情報を知った新選組・近藤勇隊長ら10人が急襲した。今から156年前である。暇な出歩き、この間、デジカメ持参で現場検証してみた。刀傷らしき跡は、三条大橋西詰から二つ目の擬宝珠、北側と南側の二カ所である。
どちらも傷跡は背の高さ。南側は擦ったような木の葉もようの中に二筋。比叡山が見える北側は傷跡が鋭い。厚みある銅製の擬宝珠。専門家は刀でないと、これだけの傷跡はつかないという。池田屋事件来、三条大橋で事件はない。池田屋からの距離、追いつ追われつなら、この辺りまでは当然とも…。だとすれば、本物の刀傷。あとは近藤勇愛用、虎徹の刀傷か、それとも沖田総司か、長州藩士か~である。近づいて、歴史の深い傷跡、しっかり触った。
※ 池田屋跡はいま、東映太秦映画村協力の看板がある居酒屋、史蹟碑もある。 ※ 地元商店街は毎年、事件のあった7月15日、敵も味方も国を思った人たちと祭壇を設け、供養している。 ※ 三条小橋は秀吉時代以来で欄干が朽ちており、京都市は工費4億円で2年後に全面改修する。歴史の擬宝珠はそのまま残すという。
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