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2021年9月

2021年9月30日 (木)

園児が描くかぞくの似顔絵

Img_0947 Img_0931_20210928084201 Img_0930_20210928084201 Img_0932 Img_0929Img_0949 Img_0937 Img_0945 Img_0946 Img_0928_20210928084001 父さん、母さん…、いや、いまはパパ、ママかな。兄ちゃんは、好きなカブトムシと一緒やねえ。弟も妹もいるねえ。じいちゃん、ばあちゃん、おおばあば、もう100歳かな。クレヨンで画用紙にいっぱい、家族のお絵描き作品。いいね、上手や~、みんな花丸や。

 

 お絵描きパネルがあったのは、京都市役所の地下街商店街、ゼスト御池の「御幸町ひろば」って言うのかな。雨降りは、万歩計の歩数稼ぎ、傘なしで歩けるのでよく行くよ。東の「河原町ひろば」から一番西の「御幸町ひろば」まで300㍍はあるかな。そこを用もないのに行ったり来たり…、そこで敬老の日記念かぞく似顔絵展、みんなのお絵描きと出会ったんだ。

 

 京都市内の37保育園から保育園別にパネル、お絵描き作品は180点近くあって、パネル展示は迷路みたいやったけど、見てたら顔がほころんだよ。ラブラブのパパママはよく描けてたね。髪の毛を色分けして、ママに赤い花、真ん中にハートマーク…うまい、拍手!。こっちは母さんの絵、笑ってて、優しそう。大好きなんだね。草みたい頭の毛、じいじかな。枯れ行く草原、仕方ないんだよ。楽しいお絵き、たくさん、見せてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

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2021年9月29日 (水)

花の名は「ムラサキシキブ」

Img_0857 Img_1063 Img_1062 Img_1061  Img_0858 Img_0859 Img_0853 この小さな紫の粒々、何の花の実だろう。花かんざしの如く、ぶどうの如く…、つる状の枝に一杯ぶら下がっている。草の丈は3㍍ほどあろうか。何かな~と、草むらを覗き込むと、花名を記した札があった。「ムラサキシキブ」。由来は、紫式部、さもありなん~と見た。

 

 京都美術工芸大学の植え込み。鴨川の正面橋を渡らず、川端通り南へ曲がって、すぐである。ぶら歩きコースのひとつ。大学正門に通じる植え込み、季節の花木が植わり、名前も出て、よく学ばせてもらう。冬でも紅葉の「ノムラカエデ」、栃木・下野に由来「シモツケ」など知って、二、三日前の歩きで「ムラサキシキブ」である。シソ科の落葉低木だという。

 

 そこまでわかれば、さらに~とスマホの検索である。学名の命名は、草花なら植物博士、牧野富太郎さん!と思ったが、ウイキペディアでは、なぜかスエーデンの植物学者、カール・ツンベルクという。6月ころ、ピンクの花を咲かせ、秋に青い実が熟して、紫色になるという。花言葉は、「聡明」「気品」「愛され上手」…紫式部さん意識かな。嵯峨野の竹の小径、野宮神社近くの正覺寺参道が名所だという。知らなかった。秋、そのうち、行って見るのも一興か。

 

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2021年9月28日 (火)

日本画家・小早川秋声って?

Img_0919 Img_0920 Img_0921 Img_0922 Img_0923_20210926171401 Img_0924_20210926171401 Img_0927_20210926171701 Img_0515 Img_0517 Img_0516 知られていないというより、忘れられた日本画家だという。画家の名は、僧籍を持つ小早川秋声。鳥取で生まれ、神戸で育ち、絵は京都で学んだ。画家として、中国、欧米各国を回り、日露戦争から太平洋戦争へ、長く従軍画家だった。「小早川秋声」―、ご存知だろうか。

 

 京都文化博物館で、初の大規模回顧展があった。長らく、封印されていた戦死兵士を描いた作品「國之楯」が、反戦かどうか、脚光を浴び、小早川秋声を再び世に出す展覧会だった。会期末、どんな画家なのだろう~と見に行った。4階から3階へ、個人コレクション中心に大正から昭和へ、秋声の生涯を綴る4章構成の110点。描く視点、絵の巧さに見惚れた。

 

 小早川秋声を身近に~の試みか、会場に漫画の配布があった。折り畳み4頁の19コマ、わかりやすい。父は東本願寺事務局長、9歳で僧籍、おやつ代わりに絵を描く半紙。世界各国を旅し、秘境の地へも。帝展で活躍、絶頂期に戦争本格化、従軍画家の道という。「戦争は惨の惨たるもの之あり候」と。戦後、内臓病み画壇から去り、静かに逝ったという。享年88歳。するめといわし、達磨、虫の音、長崎へ航く、雪舟…多彩な描きよう忘れられない。

 

 ※ 京文博展は9月26日で終わり、10月から東京ステーションギャラリー、来年は鳥取と巡回する。 ※ 小早川秋声(1885-1974)

 

 

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2021年9月27日 (月)

2021ヒガンバナ写真

Img_0395_20210925101201 Img_0768 Img_0769 Img_0770 Img_0811_20210925101301 Img_0823 Img_0825_20210925101801 Img_0833 Img_0837 Img_0877  彼岸の頃、決まって顔を出すヒガンバナ。だれも世話しないのに咲く。田んぼの畔、山の道、川べりの道、地の道…、いつも同じところに、にゅっと出る。コロナ禍の秋でも、変わりはない。出歩いて、見かけて、ついデジカメ撮りして…、2021ヒガンバナである。

 

 長崎物語は♪~赤い咲なら曼珠沙華、オランダ屋敷に花が咲く~♪と歌い出す。ヒガンバナはどこから来たのだろう。スマホ検索すると、中国揚子江が原産地。仏教伝来のころ、日本へ渡来という。中国では吉兆花という。ヒガンバナ科の多年草。「葉見ず花見ず」の花とか。花が咲く時、葉はなく、葉ある時は、花なし~という。確かに、けったいでは~ある。

 

 今秋、最初に見たのは五花街の一つ・宮川町近くの公園。白と赤が隣り合う紅白咲き。鴨川五条大橋の遊歩道上。曇り空バックに咲く。晴れた空ならと、見上げて撮った。庭園鑑賞の京博東庭。高句麗像の向こうに人知れず。寂しくないかい?。七条通りから高瀬川沿いへ。黄色いのが水の流れに映える。稲刈り畔、草むらの中…気ままが好きそう。お彼岸すんで、最後に西本願寺の銀杏回りへ。~遅かったのね。また来年~と、枯れ始めて咲いていた。

 

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2021年9月26日 (日)

蚕の社の「三柱鳥居」

Img_0658 Img_0659 Img_0667_20210924092501 Img_0669 Img_0674 Img_0675 Img_0676 Img_0678_20210924092801 Img_0683 Img_0685 Img_0686 どうして3本なんだろう。柱が3本組み合って「三柱鳥居」。ふつう鳥居と言えば2本だけど、なぜか柱が3本である。どこからでも拝め、正三角形。三柱の真ん中に組石があり、宇宙の神(太陽神)を祀っているという。摩訶不思議、まあ、けったいな鳥居である。

 

 地下鉄東西線終点の太秦天神川駅から嵐電に乗り換えて、ひと駅の「蚕ノ社」で降り、歩き5分。地元の人は「蚕の社」と言うより、木島神社で「このしまさん」と呼ぶ。正式には「木島坐天照魂神社」で「このしまにいますあまてるみたまじんじゃ」と読む。地元の氏神さん。朝鮮から渡来して、養蚕、機織の技術を伝え、地域に広めた秦氏の遺構だという。

 

 この神社に「三柱鳥居」があるのは知っていて、前から秦氏の遺構を見に行こう、行こう?~だった。嵐山帰り、地下鉄乗り換え前に初めて行った。駅前の一の鳥居を超え、住宅街を北へ、小さな森の中である。「蚕」文字が消えかけた神社碑から参道を奥へ、本殿左に見たかった「三柱鳥居」だった。糺の池は下鴨神社へ移り、今は枯れているが元糺の池の中。竹垣で近づけないが、三つの柱と榊の立った組石、これが宇宙神なのかと、むちゅう?で見た。

 

 ※ この木島神社について、京都検定の出題者・丘眞奈美著「京都魔界巡礼」(PHP文庫)または京都新聞1面ミニコラム「渡りくる人びと」執筆・井上満郎氏の著述書に詳しい。9月23,24日付け朝刊に部分紹介あり。

 

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2021年9月25日 (土)

萩の花咲く梨木神社

Img_0755Img_0750Img_0741Img_0729_20210925072801Img_0736Img_0735Img_0724Img_0723Img_0732  秋、秋、秋…その秋に草冠をつけて、萩(ハギ)である。細い茎が伸び、先っぽに紅紫や白い小花を咲かす。お彼岸に供えるおはぎ、小豆の粒がハギの花に似ているから、そう言うという。萩は秋の七草、いまが旬。京都御苑の東側、萩の宮とも言う梨木神社へ見に行った。

 

 平安のそのむかし、お花見と言えば、桜ではなく、春は梅、秋は萩だったという。万葉集で最も多く歌われたのは萩、120首を超えるそうだ。境内にマンション建設、景観論争の末に建った梨木神社。かつて立命館大の始まり、広小路学舎があった河原町から西へすぐ。石の鳥居の後ろに2階建て高級マンション、その横から北側に行き、萩また萩だった。

 

 社務所、拝殿、本殿へ、参道の両側に群れる如く咲き乱れる萩は500株もという。地元小学校卒、ノーベル賞の湯川秀樹博士の句碑がある。「千年の昔の園も かくやありなし 木の下かげに 乱れ咲く萩」。1回5ℓ100円の名水・染井もある。ハート型で愛の木というカツラのご神木もある。9月には萩まつり、萩の句会の皆さんが詠んだ短冊がそこかしこの萩にぶら下がる。その一句。「生かされて八十路の坂の萩白し」~、我が思いに似たり。

 

 ※ 梨木神社は明治18年(1885)創建、王政復興、尊王攘夷の公卿、三条実萬、実美親子を祀る。 ※ 立命館大学広小路は今、府立医大図書館に。

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2021年9月24日 (金)

応挙のトラ、蕭白のトラ……

Img_0554 Img_0556 Img_0572 Img_0574_20210922083501 Img_0605 Img_0579Img_0598 Img_0582 Img_0584 Img_0588_20210922083601 NHK日曜美術館にトラが出た。番組最後の15分、各地の展覧会を紹介するアートシーン、トラが2頭出て、シーン?となった。京都の嵯峨嵐山文華館「京のファンタジスタ」で展示中の円山応挙と曽我蕭白が描いたトラである。TVみたその眼で、足を嵐山に伸ばした。

 

 コロナ緊急事態宣言中なのに多い。助さん格さん黄門さん、映画村のヘッドマークある嵐電で行って、嵐山は駅から人また人である。貸し出しの青いボート、たくさん漕ぎに出ている。数えなくてもいいのに数えるとボートは50隻、ぼおっ?と見た。川べり、高級料亭の吉兆は素通りして、この人出、どうなっトラあ?と思いつつ、入館料900円のトラさんである。

 

 TVで見た軸絵のトラさんは2頭だったが、展示にはまだ3頭いて、計5頭も出た。応挙のトラさん、前足揃えて可愛い。蕭白のトラさん、横向いてニンマリ大胆。この2頭はTVで拝見済み。あと3頭は応挙のお弟子さん、長澤芦雪さんらのトラ。芦雪トラは、赤い舌だして毛づくろいしている。中国大陸にいても日本にいなかったトラ、江戸時代の絵師の皆さんどうして描いたか。長崎からの虎の敷物とネコを重ね合わせて~という。ニャンとなあ?。

 

 ※ 展覧会は近くの福田美術館と共同開催。若冲とその時代の画家の絵を展示。10月10日まで。

 

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2021年9月23日 (木)

アオサギ、納涼床の餌付けショー

Img_0548 Img_0549 Img_0545 Img_0543 Img_0767_20210923065901 いる、いる…、いつもは我慢のごとく、じっと立ったままで、1羽か、2羽なのに、随分いる。ぶら歩き、よくお目にかかるアオサギの皆さん。数えて、5羽、7羽、いや、もっと10羽はいそうだ。なんでなんで~と見たら、上から投げられる小魚欲しさに集合である。

 

 秋のシルバーウイーク、京都市役所前から帰りの鴨川歩き。御池大橋から河川敷遊歩道へ降り、三条大橋、四条大橋、団栗橋超え、松原橋へ近づいたあたりだった。鴨川に沿って流れる人口水路・みそそぎ川にアオサギの群れ。真上に鴨川夏の風物詩・納涼床があって「KAWA・CAFE」。ティータイムのお客さんが沢山、フランス人シェフか、餌箱を持っている。

 

 そうか、しょうか?。納涼床を使った店の、客集め、アオサギ集めの餌付けショー。餌箱の中、ワカサギかな、小イワシかな。シェフさん、アオサギが空中キャッチするよう高く投げている。大きな羽根広げた1羽がパクっと長い嘴でくわえた。お客さん、デジカメ撮って、拍手…。捕獲失敗の小魚は、みそそぎ川に落ち、下で待つアオサギの争奪戦、羽根バタバタと騒がしい。河川敷歩きでアオサギ・納涼床のショータイムの出会い、良かった、ゆかった?。

 

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2021年9月22日 (水)

京舞妓5人、ポスター登場

Img_9826 Img_9827 Img_9803 Img_9805_20210920091301 Img_9808 Img_9810 Img_9813 だらりの帯、花かんざしの舞妓さんは言う。「わたしたち、まだヒヨコどす」。京都五花街で、踊りに三味線、稽古また稽古中の舞妓さん5人。今年開局70周年のKBS京都のアンバサダー、京都駅構内に通じる地下の通路にポスターで「よろしうに」と登場している。

 

 なんか、声が聞こえるようで、足がとまった。ウインドウのポスター、一枚また一枚、手持ちのデジカメで、ガラス越しに写真を撮った。あのイトマン事件を乗り越え、出直し再生で頑張るKBS京都70周年。キャッチフレーズは「夢は叶う!」。100年を超えて一人前と言われる京都、70年ではまだまだ~と、舞妓さん起用して、謙虚で粋なPRである。

 

 地下通路の五人の舞妓さんポスター、花が咲くが如く~。晩年、秀吉の奥さん・ねねが暮らした東山の高台寺が撮影舞台という。竹林を背にした五人お揃いと一人一人。先斗町は青森の市琴さん、上七軒は長崎の勝貴さん、宮川町は東京のとしえりさん、祇園東は鹿児島の叶久さん、祇園甲部は大阪の真矢さん。みなさん、京都へ来て、2年目か3年目という。「頑張る人が花咲かすように応援しとおす」との言葉、なんとも嬉しい。舞妓さんも頑張りや。
 

 

 

 

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2021年9月21日 (火)

店名は「(THIS IS)SHIZEN」

 Img_0463_20210919091001 Img_0464 Img_0474_20210919091101 Img_0466_20210919091001 Img_0467 Img_0471 Img_0475_20210919091101 Img_0476 Img_0477 どう言ったら~といいのか、どう紹介したらいいのか~である。店名は「(THIS IS)SHIZEN」だという。訳すなら「私にとっての自然」か。英和混合ミックスである。なんか妙だけど、客の興味は誘う。さて、その店がどこにあって、どんな店か~。

 

 古くて新しいビル「新風館」。外装は大正15年か昭和元年か~の1926年、京都中央電話局のレンガ壁である。内装は東京五輪の新国立競技場を設計した隈研吾さんがデザイン監修という。地下鉄烏丸御池駅からすぐ、地下2階、7階建ての新ビル。庭は空まで吹き抜けて、通路は通り抜け。4年かけ改修、コロナ禍の昨年6月にマスク必修で開館した。

 

 「(THIS IS)SHIZEN」店は、そこの烏丸通り側1階。店前に立って、???もう一つ?である。立て看板はどちらが裏か表か、一方は「パフェ、ダンゴ、イナリ」。もう一方は「苔玉、植木鉢、アート」。店内を覗き込むと、植物園みたい観葉植物が溢れる。入って見ると、天井へ届くサボテンアート、カウンター席に立ち食い席、屋久島の苔玉あり、白いヒガンバナあり、酒瓶あり、いなり寿司あり、みたらし団子あり…、ジッスイズ・アイドント・ノー?。

 

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2021年9月20日 (月)

故富樫実さん「空にかける階段」

Img_0433 Img_0343 Img_0349_20210918093501 Img_0342 Img_0345 Img_0344_20210918093201 Img_0347_20210918093401 Img_0348_20210918093501   天空に向かい、作家自身が一歩また一歩、ゆっくり、ゆっくり…だろうか。3年前の令和元年、彫刻家・富樫実さんは卒寿の88歳で逝った。京都市美術館の疎水側前庭に高く立つ野外彫刻「空にかける階段’88-Ⅱ」は、富樫さんの「空に~」シリーズの代表作である。

 

 高さは11㍍、寄りそうような2本、花崗岩の作品。ゆったりした曲線、天に真っすぐ伸びるごとく。晴れた空、曇りの空、雨の空…どんな空でも見上げて立つ。京都市が昭和63年(1988)買い上げたが、市美リニューアルのおり、倒壊を恐れて、10個に分断、撤去保存の方針が出たが、反対運動がおこり、存続することに。富樫さん、病院での朗報だったという。

 

 「空」とは何かー、富樫さんは生前、ふるさとの山形県庄内、鶴岡ケーブルTVに語っている。「空」という漢字は「からっぽ、むなしい、そら…」など意味し、東洋、日本だけのもので、外国語では訳せない。私たち日本人はそういう所に生きている~と話す。パソコンの検索で聴いた。図書館、市美、近美、平安神宮…ぶらり歩きの岡崎へ行って、見上げる「空にかける階段」。ベレー帽が似合う富樫さん、天空への階段、もうどこまで昇ったろう。

 

 ※ 富樫実(1931-2019)山形県鶴岡市出身。京都市美卒。京都府文化賞、鶴岡市名誉市民、成安造形大名誉教授。

 

 

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2021年9月19日 (日)

大阪・枚方にレンガホール開館

Img_0213_20210917091701 Img_0166 Img_0167 Img_0181 Img_0178_20210917091301 Img_0196 Img_0200 Img_0197 Img_0179 Img_0202 それはもう、煉瓦、レンガ、煉瓦している。総工費125億円、3年がかりで完成した枚方総合文化芸術センターである。大と中のホール、エントランス、床のほかは、薄茶色のレンガ、通路は穴の空いた鼠色レンガも。音響効果意識、日本初のレンガホールだという。

 

 開館記念、枚方市芸術祭兼ねて、知人演出の朗読劇の案内があり、行った。ひらかたパークの一つ手前、京阪電車枚方市駅から5分。元クラボウ枚方工場跡地という。ホールは隣り合う関西医大が5年260万円で命名権、関西医大ホールという。東海道延長、伏見、淀、枚方、守口の4宿の一つ、枚方宿。歴史のまちの、本格的な複合文化ホールの誕生である。

 

 菊人形のひらかたパークは遠い昔、行った思い出はあるが、京阪枚方市駅下車は初めてだった。レンガホール開館…、内覧会の記事か、京都新聞に小さく載っていたので、印象にあった。入って、確かに~ホールの内壁も外壁もレンガ。大阪フィルの記念講演、レンガの音響ははね返る如く~と評判よしと聞いたが、レンガどれだけ使用か、担当課に電話確認した。枚数?、調べて返事します~と。10万枚?50万枚?、ナンマイダア?返事はまだこない。

 

 ※ 枚方総合芸術文化センター5階建て地下1階。大ホール3層構造1500席、小ホール325席、ほかに美術ホール、別館なども。本格開館は10月から。 ※ 規模は小さいが東京日野市のホールもレンガホールと銘打つ。

 

 

 

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2021年9月18日 (土)

あなごの「韋駄天」

Img_0226 Img_0227 Img_0237_20210916084601 Img_0242 Img_0243 Img_0244 Img_0246 Img_0247 Img_0248_20210916084801Img_0251 行ける時に行っとかねば~と行った。好きな穴子、その中でも蒸し穴子、どんなんかなあ~と行った。あなご専門店「あなご屋・韋駄天」。神戸の阪急王子公園から5分、水道筋商店街の裏通りである。この夏、神戸行くこと3度4度5度…、お店は下見までしておいた。

 

 店の名前がいい。お釈迦さんに遺骨を持ち逃げした男を走って捕まえた韋駄天。東京五輪前年の大河ドラマ、金栗四三の韋駄天である。親子経営の佐藤俊男店長は「料理の手も早く~の思い重ねて名付けた」と。何度かいった海鮮丼、そうめん定食の魚河岸のすし・えびすがある水道筋店から近い。王子公園近くに住まいの叔母が天寿を全う、もうそうは来れない。

 

 いそいそ、韋駄天走りで行って、入った。ビル1階、テーブル、カウンターあって、調理場が広い。開いたメニュー、穴子また穴子。造り三種盛り、焼き物、揚げ物、寿司、一品、鍋…捲っても捲ってもア・ナ・ゴ。昼限定10食のランチ、最初から決めていた蒸し穴子丼御膳1650円。穴子マリネ、吸い物、香の物付き。夜のコース5千円からと。蒸し穴丼が出たあ。どうや、フワトロや。よし、よし。来た甲斐あり。今年のベストオブANAGO!。

 

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2021年9月17日 (金)

神戸の二宮神社へ行く

Img_0267 Img_0272 Img_0271 Img_0269 Img_0276_20210915082201 Img_0280 Img_0281 神戸の二宮神社へ行くと、神戸には一宮から八宮まで神社があるのがわかる~と言う。そう、神戸の垂水に暮らす知人のSUさんに聞いた。青森に八戸のほか一戸、二戸、三戸はある~と聞いて、へえ!と思ったが、神戸も三宮の三宮神社だけでないんやと、二宮神社へ行った。

 

 叔母の戸籍取得で六甲道の灘区役所へ行った帰り。スマホのグーグル検索、JR三宮と灘駅の間のようだ。得意の歩きで行こうかなと思ったが、やや疲れ気味。灘駅からTX、900円で着いた。二宮神社がそのまま町名、所在地は二宮町だった。前に訪ねた神戸大丸前の三宮神社より境内広い。本殿に参拝して、SUさんの言う一宮から八宮はどこかな?と探した。

 

 参道わき、樹齢700年と印されたケヤキのご神木前、あった。「湊神戸守護神厄除け八社」とあり、一宮から順に所在地、祀っている神様の名前が出ていた。神戸で一番格の高い生田神社を大神とすれば、その回りの神様を祀っている末社、それが八つらしい。一、二、三、四の神社はご近所、五と七は山側、西側の六と八は合祀で、実質は七社という。そう知られてないが、八社詣でとか八社ウオークとかもあるそうな。車でお参りは、発車オーライ!。

 

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2021年9月16日 (木)

久しぶり、東洋亭ハンバーグ

Img_9971 Img_9972 Img_9973 Img_9974 Img_9981_20210914084001 Img_9983 Img_9986 Img_9992 どの店にも並びの椅子、客は番号を呼ばれるまで待っている。お医者さん、お役所でもそうだが、ここは洋食の東洋亭である。「京乃百年洋食」と看板を出すが、創業は明治30年(1897)なので、もう百年を超えている。京都で5店舗、どの店も椅子あり、客あり…。

 

 久しく行ってない。北山通りにある植物園前、本店へ待ち覚悟で行った。東洋亭と言えば~で、アルミホイルで包んだ鉄板、熱々のハンバーグステーキ、あれが食べたい。地下鉄は北山駅停車前、~植物園、コンサートホール、キャピタル東洋亭がございます~と車内アナする。キャピタルは、頭文字、首都、資本などで、ここのキャピタルは本店を意味している。

 

 創業時は河原町も昭和41年に本店を移した。今、北山通りは若者人気だが、当時は田園風景だったという。トマトサラダが出た。夏は北海道平取産、冬は九州八代産。何を頼んでも、最初に出るので、トマどう?。冷製コーンポタージュのスープすんで、銀色のホイル被ったハンバーグが来た。これ、これ、これやがな。ナイフで破り、ジュジュ…熱い。ホクホクのポテト、仕上げはコーヒーと創業以来の百年プリン。それ、コース料理?オブコース!。

 

 

 

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2021年9月15日 (水)

パリ描いた荻須高徳生誕120年展

Img_0142 Img_0151 Img_0134_20210913084301 Img_0140 Img_0136_20210913084601   パリのその描きよう、日本生まれのパリ人という。シラク大統領は「フランス人らしい日本人」と言った。パリに住んで50年、裏通り、店舗などさりげないパリを描いた洋画家・荻須高徳の生誕120年展を見た。「私のパリ、パリの私」の回想が載った図録も買った。

 

 京都伊勢丹7階、JR西日本と共同出資ゆえ「駅」という名の美術館、京都駅に隣りあう。開館から20年以上、企画展が変わるたび、よく行っている。高須さん、パリのアトリエ、キャンパスに向かっていて亡くなった。85歳。フランスのレジオン・ドヌレ勲章受章、日本の文化勲章受賞…、名誉と高い評価を得ても「作品に完成はない」と描き続けていた。

 

 展示作品70点余り。「金のかたつむり」はパリ庶民のレストラン。絵には、荻須回想もあり、このに絵には~最初にエスカルゴ1ダース注文する~と。「パイプを加えた自画像」。パリ最初の個展のあと、30歳頃の肖像。煙の輪が一つ、二つ、ふわり、ふわり。「広告の壁」。街角の乱雑さ、なぜか引き付ける。荻須の回想。「不器用でも素朴な物が好き。こくがある。出来なくて、苦しんだり、考えたり、それが楽しい」。裏通り、荻須のパリである。

 

 ※ 展覧会は10月17日まで。 ※ 荻須高徳(1901-1986)愛知県出身、東京藝大卒、渡仏。パリ在住50年で、パリ市が主催して「回顧展」。

 

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2021年9月14日 (火)

野ざらしの梵鐘

Img_0102_20210912083801 Img_0103 Img_0112 Img_0113_20210912084101 Img_0106 Img_0108 Img_0107 Img_0101_20210912084201 どうしてなのか、ずうっと置き去り…、忘れられたような梵鐘がある。高さ1㍍20㌢ほど、直径にして5、60㌢か、地べたにドンと野ざらし、重さは2㌧か、3㌧か?トンとわからない。龍頭、天女像、蓮座、南無阿弥陀仏の銘文…、ちゃんとした青銅の梵鐘である。

 

 鴨川の七条大橋と松原橋の間、秀吉さん祀る豊国神社に通じる正面橋を東から西へ渡り切って~である。橋の西南詰め、コンクリート欄干の隣、ぶらり歩きの途次、いつも見ている。創業大正15年という京仏具「橋本菊商店」さんの店先なので、買い手を求める仏具なのだろうが、店のシャッターが下りても、雨が降っても、まるで捨ておかれたようである。

 

 お店に聞きに入るには、たいそうだし、写真だけ撮って、気になるので「梵鐘」と検索してスマホで調べた。中国、韓国にもあるが、この型は奈良時代から江戸へ続く和製らしい。梵鐘づくり、年々減っていても値段は300万からという。青銅、戦時中なら軍事品撤収だろうが、いまの時代は~である。押しても引いても、梃子でも動かず、盗られる心配なし~からか。どの寺院でいつ、つり下げられ、どんな鐘の音を響かすのか、その時が待たれる。

 

 

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2021年9月13日 (月)

描かれた明治、大正の日本の風景と風俗

Img_9737Img_9735Img_9733Img_9752Img_9754_20210911095901Img_9756Img_9758 Img_9762_20210911100401 Img_9771 Img_9783 Img_9789 Img_9790 Img_9791_20210911100501  平成から令和へ、昭和も遠くなり、ちょんまげが消えた明治の44年間、すっかり西洋化した大正の15年間、日本はどんな風景、風俗だったのだろう。平安神宮大鳥居前、京近美へぶらり行くと、今年度3回目のコレクション展は無料鑑賞日、明治・大正が甦っていた。

 

 企画展は「美しかりし明治への旅―発見された日本の風景」。ひとりのコレクターが英国など海外で見つけた当時の日本人画家が描いた当時の風景展。コレクション展はこの企画展に関連、所蔵作品を探し出して並べていた。浅井忠、吉田博、山元春挙、竹内栖鳳、大下藤次郎、北村今三、川西茜らがそれぞれの視点、思いのまま、興味のいくまま描いている。

 

 縁側の団らんは「陽だまり」、障子の破れが見えている。街道筋の「茶店」は床几一つだけ、十分だったのかな。円山公園の「夜桜」、篝火、舞妓さん、満開の枝垂れは初代か。「厨房の春」は竈と書くかまどが懐かしい。五条橋から見た比叡山、雪の清水寺舞台、灯籠が目立つ北野さん…、見れば見るほど遥かなり明治。版画で玉ころ。パチンコか。御堂筋、道頓堀、メリケン波止場、疎水、竜安寺石庭…、あの頃の日本が甦って、ニッポン!、チャチャチャ!。

 

 ※ コレクション展は11月7日まで。日本の風景の企画展は10月30日まで。

 

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2021年9月12日 (日)

菊酒、着せ綿、菊慈童、百歳雛…

Img_0039_20210910195501 Img_0040_20210910195401 Img_0021_20210910195601 Img_0022_20210910195601 Img_0027_20210910195601 Img_0033_20210910195601 Img_0038_20210910195301 Img_0031_20210910195701 Img_0032_20210910195301 Img_0041_20210910195301 黄色い菊の花を盃に浮かべて、一杯グイと飲み干せば、長生き出来るという。これを「菊酒」という。女性は菊の花の真綿を被せ、夜露で濡れた菊の香りの綿で身体を拭えば、美しくなるという。これは「着せ綿」という。古来、不老長寿の菊パワー、何事にも菊は効く?。

 

 京都市上京区役所1階ロビー、重陽の節句(9月9日)に合わせ、平安時代に宮中で行われた行事を紹介して展示中と、京都新聞市民版に記事が出た。9月9日前日の朝刊、見出しは「菊にまつわる習わし伝える」。記者が足で拾った町だね記事。傘寿、我が生誕記念、行った。京都御苑の北西、同大キャンパスある地下鉄今出川駅降り、西へ200㍍ほどである。

 

 陽数(奇数)の9が重なる重陽の節句は、長寿願って菊を飾るので「菊の節句」ともいう。そう広くないロビー、真綿被せた赤、黄、白の菊の鉢植え並んでいる。写真撮りの市民も多い。ともに白髪の~百歳雛(ももとせびな)、菊の霊水飲んで、700年も生きたという伝説の菊慈童(枕慈童)の軸も掛かっている。文化庁が補助金、展示支援というA4パンフもある。日本の百歳人口は去年初めて8万人突破した。めでたし重陽の節句、蝶よ花よ菊よ!。

 

 ※ 上京区役所の展示は9月10日まで。

 

 

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2021年9月11日 (土)

オオサンショウウオ、おおっ!

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 世界最大の両生類、カエルやイモリの仲間。魚ではない。肺で呼吸するの?。ハイ!。子どもはエラで息をする。エライ!。身長150㌢、体重30㌔、おおっ!大きい。眼?どこにあるかわからない。よく見ると、つぶらな瞳というか点二つ、昼間は暗がりで寝てばかり、退化しているらしい。色は、どう言わばいいか、まあ、岩場にいるとわからない岩色かな。

 

 くねっとした姿形が数字の「9」に似ていて、繁殖期が9月というので、京都水族館は9月9日を「オオサンショウウオの日」に申請、一般社団法人日本記念日協会に認められて、2018年からそうなっているという。京都の北、賀茂川の清流などにすむが、年々減って、絶滅危惧種ⅱ指定という。水族館にはいま20匹いて、保全と研究も。ポスターは生きた化石、骨の髄までオオサンショウウオ。快眠誘う「ねむリウム」配信など、おおっ!明治(大学)?。

 

 

 

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2021年9月10日 (金)

「銀座・銀之塔」ここに~。

Img_9627Img_9629Img_9631Img_9637Img_9636Img_9634Img_9647 アク取り、アク取り、煮込んで、煮込んで、手間ひまかけ、肉は箸で切れて、フニャフニャ…これぞ伝統の味だという。フランスはパリ、有名レストランのシェフ伝授の味だという。創業は昭和30年(1956)「銀座・銀之塔」。シチュー専門店のビーフシチューである。

 

 京都御苑の南側、碁盤目の通り名で、丸竹夷の竹屋町通り。むかし40年来勤務した職場の近く、昼勤務ではランチ通りの一つ。いまでも京都御苑へ行き、帰りにはぶら歩きしており、イートイン兼ねる精肉店「〇竹」の店前に来て、「銀座の銀之塔」の看板発見だった。週に3度しか開かないらしいが、看板見て、えっ!なんで?どうして、ここに~?である。

 

 東京は歌舞伎座近く本店、京都祇園・四条通りの暖簾分け店は知っていた。東京勤務時代にも京都でも、入ろうとして、入らずの過去がある。精肉店にカウンター席のイートイン、サービス中とは言え、ランチで1800円…。高目、どうするか、懐かしさ…、入った。土鍋にビーフ、人参、玉葱、芋…これに野菜サラダ、シチューといえばパンだけど、ランチはご飯だけ、漬物付け和風に徹している。和牛肉に和風だしスープ…和を以て貴し~の聖徳太子シチューである。たいしたものだ?。

 

 <参考> 店名「銀の塔」はパリ「トゥール・ダンシャン」の邦訳。この店で平井光子さんが修行して、銀座で開店。京都祇園店は、銀座店でバイト勤めから10年、間嶋美文さんが独立、40年営業もビル老朽化で去年5月閉店。その後、肉を卸していた「〇竹」さん主人に誘いで、移転開業という。竹屋町堺町西入ル。

 

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2021年9月 9日 (木)

9月9日は何の日?

Img_9872Img_9875Img_9855Img_9854Img_9968Img_0002_20210908191901Img_0007_20210908191901Img_9994 Img_9897 直木賞作家・澤田瞳子さんは、エッセイ集「京都はんなり暮し」で、9月9日は何の日?と問う。中国の暦で奇数は陽、その数が重なる3月3日、5月5日、7月7月、9月9日はめでたい節句。そのうち9月9日は「重陽の日」なのだが、あまり知られていないという。

 

 知人に「9月9日はな~んだ」とナゾナゾにして問いかけたら、返ってきた答えはバラバラだったと書く。算数の九九の日、ピーポーピーポーで救急の日、挙句にケンタッキーの日も出た。フライドチキンの創始者カーネルサンダーさん誕生日が9月9日からとか。おもちゃメーカーは自社製品PRで「チョロQの日」ともいう。多彩な答え、理解に苦しむ日?。

 

 古典ツウの澤田さんは、「九」は奥深い数字だと言う。9月9日、天武天皇が中国の歴法に倣って、宴を始めた日。平安時代に菊花酒で長寿を祝った日。菊の花に綿を被せ、夜露で香りが移った綿で朝に身体を拭く化粧水の始まりの日という。枕草子、雨月物語にも登場して9月9日は奥深いという。現代的にさらに点検すると、姿が9に似ていると京都水族館はサンショウウオの日、洒落て♪~クッククック、クッククック~♪は桜田淳子・青い鳥の日?。

 

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2021年9月 8日 (水)

鴨川で投網を見る

Img_9847 Img_9842 Img_9843 Img_9848_20210906083401 Img_9798 Img_9846   さあ、どうだろう。開くかな、どうかな、どうかな。投げたあ~。開け、ゴマ!。千夜一夜物語、岩を開ける盗賊の呪文ではない。川の中、水面にパッと投げて魚を獲る網打ちである。下辺に錘を付けた円錐形の投網。遠くへ、大きく開くかどうか、夏名残りのショーである。

 

 入道雲がまだ顔を見せる秋の始まり、鴨川べりを歩いていてだった。七条大橋から正面橋を超え、北へ行って、五条大橋が見える川の中。週に2度3度と歩くのに初めてみる投網打ちである。これは見ものと、左岸からデジカメ構えて眺めた。川の真ん中、膝まで使った野球帽の男性。腰に吉備団子、いや、ペットボトル。ズームアップして見ると、まだ若そうだ。

 

 網の一部を左肘にかけた。右手で網の束を腰の位置で手繰り寄せた。屈んで、川を見た。投げた、いや、打ったあ。投網は、投げることを打つという。網の大きさにもよるが、重さは5㌔ぐらい。丸く、うまく開くと直径4㍍にもなる。それには、陸上で練習を何度も重ねて~という。フリスビーのように打った一投、どうか。デジカメ撮り、その一瞬どうか。やったあ、開いたあ。とれたあ。魚やない。写真がとれたあ。二投も三投も、開いたあ、とれたあ!。

 

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2021年9月 7日 (火)

老い本の特設コーナー

Img_9693Img_9685Img_9686_20210905092401Img_9687Img_9688 Img_9690Img_9661Img_9868Img_9705 おいおい、本屋さん!、そんなに老い老いと本を並べて、売れますか。それにしても、生きるの、死ぬの、長生きするの~と、老いを書いた近著の出版、まあ、沢山である。「老いる意味」「老いの道楽」「老後の年表」「老いと別れ」…、オ~イ、どうしたいんやあ~。

 

 京都駅八条口の西側商店街・みやこみちの「ふたば書房」は、老い本の新刊コーナーを特設している。著者は、名前が通る。もう98歳の佐藤愛子さん「戦いやまず日が暮れて」は最後のエッセイという。最後?ホンマかな。書を美術にして、107歳で逝った篠田桃紅さん「これでおしまい」。自然体の生き方に共感、売れまくりという。福祉学者、88歳の樋口恵子さん「老いの福袋」は、<老~い、どん>と、ころばぬように書きだす。

 

 森村誠一さん、上野千鶴子さん、中村メイコさん、養老孟さん…、著者と本のタイトル見ると、どれも気になる。老いは、オーイ、オーイ~呼んでも待ってくれない。(公財)読書推進運動協議会は、敬老の日へ向けて、三つ折りパンフの「読書のすすめ」を書店に置く。「本を読むと若くなる」「頭の体操になる」「目に輝きが増す」と生涯読書の呼びかけ。下重曉子さんは「人生、散りぎわが面白い」。一冊どれか買って、おいおい?と読むかな。

 

 

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2021年9月 6日 (月)

東本願寺の別邸、デジカメ散策

Img_9227 Img_9250 Img_9256 Img_9261 Img_9263 Img_9268_20210904085901 Img_9270_20210904085801 Img_9274_20210904085801 Img_9275 Img_9277 Img_9276 名勝庭園の池、藻で水面が緑、緑している。もうそんなに~言えば、洒落になる。サルスベリの赤い花が緑の水面に映り、情緒がある。東本願寺の飛び地別邸、カラタチの枳殻邸ともいう渉成園。朝でも夕でもない晩夏の昼下がり。ブラリまたブラリ、デジカメ散策した。

 

 南側の下京年金事務所、手続き70分待ちの時間を利用して行った。妙な石垣積みを見て、京都の庭園では二条城に次ぐという広さ。敷地1万6千坪。洛北の詩仙堂を開いた石川丈山が作庭という。頼山陽が来て、庭園散歩して、ここも、ここも~と日記に十三景と風雅を綴り、紹介している。由緒ある灯篭、二階建て茶室、唐風の木橋、大小二つの池…などなど。

 

 デジカメ持っての庭園歩き、秋が来ても飽きない?。琵琶湖疎水を取り込む印月池の向こうに京都タワーは新借景。源氏物語の光源氏モデル、源融ゆかりの九重の宝塔てっぺんにアオサギくん、庭園に君臨するが如く。池畔のガマの穂は竹輪の如く。歌手で絵も上手なジュディオングが描いた回棹廊への景観は、藻の緑とサルスベリの赤でデジカメ一番スポット。藻は池改修工事で、琵琶湖疎水の水が回遊しないせいとか。今だけの景観、また佳しかな。

 

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2021年9月 5日 (日)

ネット裏の、寄らば大樹~

Img_9611 Img_9612 Img_9616 Img_9617_20210902095201 Img_9618 Img_9619 Img_9621 Img_9623 Img_9625 何年かかって、こんな木ぶりになったのだろう。幹がど~んとどっしり。ちょっとやそっとの台風がきても~のようだ。太い枝は自由きまま、好きに伸びている。クスノキ、イチョウ、ケヤキならわかる。ニレ科のムクノキか、エノキだろうか。どこから見ても見飽きない。

 

 広い苑内に樹木5万本という京都御苑の1本。行く夏、来る秋のぶら歩き、寺町通の寺町門から入った。毎秋、銀杏が鈴なりイチョウの大木を見て、富小路グラウンドへ来て、ネット裏の大樹である。常緑高木、樹高10㍍以上、葉は繁々している。幹の太さと枝ぶりに魅せられた。ぐるぐる回って、仰ぎ見て、何枚かグラウンドも入れてデジカメ撮りした。

 

 近くに博覧会跡の駒札が立っている。明治の東京遷都、寂しくなった京都が明治14年(1881)年来、ここで伝統産業振興兼ねて、開催した一帯という。令和の今からもう140年前である。ムクノキかエノキか、樹齢は100年以上とすれば博覧会の賑わい、知っていたかもと思うと感慨が増す。平日の昼下がり、グラウンドに歓声はない。得点板に記入もない。樹木回り、静寂である。寄らば大樹の陰、コロナ感染対策にはひとり歩きがいい。

 

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2021年9月 4日 (土)

究極のびっくり海鮮丼

Img_9489 Img_9498 Img_9497 Img_9501 やっぱり、気になるので、また行った。なかったら、なかったで~と、びっくり海鮮ありますか?。へい!カウンターさん、びっくり一丁!と、返事がかえって来た。あったあ、良かったあ~。早く来た甲斐、三度目の正直。売り切れ御免、究極のびっくり海鮮丼である。

 

 この夏の神戸通い、阪急王子公園駅東口を降りて、水道筋商店街へ。もう何度も歩いて200㍍ほど、5丁目の「魚河岸のすし・えびす」である。煮穴子、そーめんセットは頂戴しているが、1100円のびっくり海鮮丼は早い者勝ち、一日10食限定。行くのが遅く空振りが続いていたが、正午に30分早く入り、やっと新鮮ネタ20品目の丼とご対面である。

 

 赤だしに赤い丼の鉢が来た。噂のびっくり、ネタがはみ出ている。記念の写真を撮って、小鉢に山葵と醤油でスタンバイ。さて、どこから、何からである。真ん中は甘エビ、シラス、ウニとイクラ。そうや、時計回りで行こうと決めて、玉子、ハマチ、イカ、タコ、サーモン…、確かに20品目ある。好きな穴子は白焼き。ウナギ、ホタテ、とり貝、平目、ヨコア、カンパチ、マグロ、ブリと来て、タイでシメシメと〆て1100円。確かにびっくりである。

 

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2021年9月 3日 (金)

伊能忠敬地図から200年

 Img_9424 Img_9426 Img_9427 Img_9429 Img_9581 Img_9582 Img_9579_20210901085601 Img_9583 Img_9588 Img_9586 一歩また一歩の歩幅は69㌢だったという。歩幅から身長は高くも低くもなくだが、歩いた距離がすごい。芭蕉と同じく江戸・深川から歩き始め、蝦夷へ行き、東海道へ行き、中国、四国、九州と足掛け17年、歩きに歩いて日本地図完成させた人。伊能忠敬、その人である。

 

 神戸三宮から旧居留地を抜け、メリケンパークへ行く途中の神戸市立博物館で、伊能忠敬展開催だった。忠敬没後3年、文政4年(1821)に忠敬の孫らが江戸城大広間で、「大日本沿海輿地全図」を上呈披露して200年の記念展。教科書で知れた日本の偉人の足跡地図、閉幕会期まであと2日。国宝の肖像画も~という。入館1400円、この際と入った。

 

 展示会場、地図また地図である。摂津、山城、近江と印されて琵琶湖…の地図、今も昔もと身近さ感じる。測量に使った機材、弟子が描いた国宝・伊能忠敬の肖像図など見歩いた。忠敬は千葉佐原の酒屋業を隠居、55歳からこの道へという。天文学、測量学…ほぼ独自の学びという。どう測量したか、もっと知りたく京都に戻って河原町の丸善で書籍検索したら400件以上も。雑誌サライは7月号で200年の特集号、富士山地図などおサライした?。

 

 ※ 展覧会は8月29日で終了。 ※ 幕府上呈地図は皇居火災、伊能家の副本も関東大震災で焼失。幕府御用で、国内各藩測量の地図が大名家に多数残っている。出身地の千葉佐原に美術館、隠居後住まいした深川門前仲町の富岡八幡宮には平成18年、忠敬旅立ちの像が完成している。

 

 

 

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2021年9月 2日 (木)

夏の終わり……

Img_9435 Img_9444_20210831082801 Img_9559 Img_9552 Img_9551 Img_9543 Img_9538 Img_9443 Img_9439_20210831083001 Img_9460 Img_9463_20210831082601 Img_9462  夏の終わり、どんなだろう。海は?山は?と神戸のメリケンパークへ行き、残暑の凌ぎで京都御苑のベンチにも座った。8月の日めくりがあと2、3枚になった頃である。どちらも管理事務所のマイクが、30分ごとに新型コロナ感染予防で密着避けてと呼び掛けていた。

 

 雨また雨だった夏も、夏は夏である。コロナ禍の緊急事態宣言、さんざめきなく、湧き上がる入道雲が少なくとも~である。アメリカ桟橋がなまったメリケンパーク。震災20周年で「Be KOBE」のモニュメンが出来た。元気さ、誇り…、神戸であれ~という意味だそうだ。流正之さんの彫刻「海援隊」も移住への旅立ちの像も、夏の終わりの海を見ていた。

 

 シンボルは鼓型の赤いポートタワーとオリエンタルホテル、山側を見て、六甲の錨山にそう怒ってない入道雲が浮かぶ。かき氷旗で一服。イチゴ、レモン、メロンとあったが、ブルーハワイにした。1杯400円の夏の思い出。噴水ゾーン、子どもたちの水浴びの無邪気さ、夏の楽しさが残る。京都御苑ベンチ涼み。帽子、マスク外して本読み。日常が戻ったような。置き去りの自転車、赤いサルスベリ…。気だるさ、せつなさ…コロナの消えない夏が行く。

 

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2021年9月 1日 (水)

現代アート作品は「アメフラシ」

Img_9408 Img_9419 Img_9420Img_9418 Img_9423 Img_9416 でんでん虫みたいな角が出て、ぐにゃぐにゃのタコみたいで、赤紫色で~、これはナンダ?と見たら、現代アート作品「アメフラシ」だという。軟体の巻貝、漢字にすると「雨降らし」。雨また雨だった今年の夏、あまりに効果がありすぎた作品、いま、特別展示である。

 

 神戸のJR三ノ宮駅前、再開発中のターミナルビル跡地広場。六甲の自然の中、現代アート展示を楽しみながら歩く「六甲ミーツ・アート芸術散歩」。今年で12回目。駅前の「アメフラシ」は、PRを兼ねて、これまで出展から選んだ作品の一つで、六甲ガーデンテラスに昨年展示、灰野ゆうさんの作品である。これはナンダ?の特別展示は、あと二つあった。

 

 陶器のオブジェ、タイトルは「胸の土器土器」。2014年の準グランプリ作品という。作者は佐川好弘さんで、自己に内在するメッセージをそのまま言葉にして作品化したという。胸のうちのドキドキが「土器土器」…洒落も選考対象?。もう一点のナンダ?は、葭村太一さんの「錦鯉ヘッド」。楠の大木を掘り抜いた2019年の準グランプリ作品。いつも見下ろす錦鯉、見上げる視線で~と。近づくとエラ部分が穴あいている。恋に破れた鯉かな。

 

 ※ 「六甲ミーツ・アート芸術散歩」は9月11日から11月23日まで、六甲山の展望台など各施設で。神戸市、JR西日本など主催。有料。駅前の特別展示は無料で、8月25日から始まっている。

 

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