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2021年7月

2021年7月31日 (土)

写真展[MJ」

Img_7801_20210728085501 Img_7804_20210728085801 Img_7807_20210728085801 Img_7808_20210728085701 Img_7796_20210728085401 Img_7802 Img_7795_20210728085401 Img_7793_20210728085401 Img_7797 写真展は「MJ」という。それだけで、もうわかるのだろう。背番号「3」で長島、「1」で王みたいに~である。「M」はマイケル、「J」はジャクソン。世界の音楽史上、最も成功したアーティスト、故・マイケル・ジャクソン。いま、写真展、伊勢丹京都で開催中である。

 

 招待券あり、行くかどうか、迷っていた。元NHKアナ、エッセスト・山川静夫さん著「名手名言」で、マイケルのくだりが出てきた。TVで後楽園球場の日本公演の模様を放送していて見ていたという。超満員のファンは熱狂、髪を振り乱しマイケル熱演。すばらしいプロポーションン、しなやかで、しかもシャープな身のこなし、歯切れいいリズム感、さすがと。

 

 一緒に見ていた息子さんが解説。~黒人だけど、白くなる手術、顔は何度も整形外科手術~だと。中世的な顔、女形ふうに聞こえる声、色気ある腰の振り~などと書いている。伊勢丹京都7階、展覧会へ行った。マイケル50歳で没し、もう12年。かつてアルバム「スリラー」は全米チャート連続1位。今なお、マイケルファン多いという。ヒット曲流れる会場、公演シーン中心の写真100点余。山川エッセイ思い出し、マイケルのフェイス変遷を見た。

 

 ※ 写真展は9月5日まで。 ※ マイケル・ジャクソン(1958~2009)。米国インディアナ州の大家族のもとに誕生し、1969年、5人組兄弟グループ「ジャクソン5」の最年少リード・シンガーとしてデビュー、大ヒットを連発し、スーパースターに。

 

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2021年7月30日 (金)

光源氏を探せ!

Img_7765 Img_7767 Img_7772 Img_7770 Img_7769 Img_7774 Img_7775 Img_7782 この人の群れ、ウワサの貴公子・光源氏はどこだろう。源氏物語の第9帖「葵」に出てくる車争いの屏風絵。金箔字に祭りの列と牛車、女房、町人らが描かれている。屏風全体、人が多い。祭りの列を指揮する光源氏は馬上の人と言うか、どこにいるのか。さあ、光源氏を探そう。

 

 京都駅正面のTX乗り場の東、郵政のメルパルク京都フロア壁面である。高さ5㍍、横10㍍、車争図屏風の大きな複製。やまと絵師・土佐光茂作の6曲1双の右隻。本物は今年1月、京都市文化財保護課50周年記念、市歴史資料館で市指定文化財として特別公開、ぶら歩きの途中で見た。あれから冬、春すぎて夏、今回もまたぶら歩きの鑑賞である。

 

 英国の人気絵本、赤と白シャツのウォーリーを探せ!と同じ、壁面の前に立った。源氏の愛人、六条御息所と懐妊中の源氏の正妻、葵上の牛車が場所取りで争う場面は左隻。こちらの右隻は、賀茂社へ行く祭礼の列である。光源氏は大将に昇格したばかりの20歳。光輝く如くと、紫式部は光源氏か名付けた。描かれた馬上の公卿は多いが、顎ひげ、口ひげ…ではない。あっ、ここやここ。若い、色白、男前…。光源氏さん、見いつけた!。

 

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2021年7月29日 (木)

番場の忠太郎

Img_7352_20210726091101  Img_7268 Img_7276_20210726090501Img_7345 Img_7280 Img_7293 Img_7289 Img_7295_20210726090701Img_7300_20210729064101 Img_7298 Img_7337_20210726091001Img_7334 おっかさ~ん!。そっと両の瞼を閉じれば、ああ、おっかさ~ん!。旅から旅へ、探し求めたおっかさん。三波春夫、五木ひろしらが歌った「番場の忠太郎」の番場、中山道の番場宿へ行った。長谷川伸の戯曲・瞼の母の舞台を訪ね、訪ねて、おっかさ~ん!の旅である。

 

 夏、JR琵琶湖線の米原駅から歩いて行った。国道8号から21号へ、北陸道と分岐する名神米原ジャンクションまで。車がビュンビュン、暑くて、歩きにくく、きつかった。国道わき、なぜか生きたポンプ。ジャア~と頭から水をかぶった。また歩いて、イガグリの木に秋思い、ビッ栗?。国道と並行して、長い貨車。ゴトゴトというより、カシャカシャと走っている。

 

 トラック野郎人気の忠太郎食堂は消えて、更地になっている。そこから車も人もあわない中山道。杉林がつづき、合羽からげて三度笠気分。醒ヶ井と鳥居本の間、62番目の番場宿ゴール。ようこそ!の忠太郎イラスト、握り飯を頬張っている。コンビニ買いの炙りタラコ結び、おっかさんを思って忠太郎気分。長谷川伸さん来て、瞼の母の創作を考えた蓮華寺へ入って、彫刻の忠太郎像と対面。長旅、ご苦労さんでゴザンス。トニー谷ならサイザンス?。

 

 

 

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2021年7月28日 (水)

横尾忠則展ー学芸員危機一髪

Img_7585 Img_7602 Img_7592 Img_7600 Img_7605 Img_7608 Img_7610 Img_7628 Img_7639 Img_7642  超常現象のゆえか、あの世とこの世の彷徨いか~、どうしてこんな絵になるの?と思う。縦に斜めにに~どう見ても、尾忠則ワールドである。中国のレンタルパンダがいる神戸王子動物園前、兵庫県立の横尾忠則現代美術館、怖さ見たさに今夏もまた行った。

 

 阪急王子公園駅降りてすぐである。近くのおば宅へ訪問前か、してからか、一度はパンダも~と思いつつ行く。今の企画展は「学芸員危機一髪」。横尾作品モテモテ、所蔵作品が国内外へ貸し出し多く、学芸員の仕事がなく、過去の企画を回顧したり、作品を蔵出ししたり~という。看板、チラシになった作品は、横尾さんの親戚で魚屋の力松さんとタコである。

 

 横尾さんが子供のころ行くと、力松さんが「タコ食うか?」と言って、タコの足を切ったという。絵の題名は~大阪の親戚で魚屋の力松という人がいた。~~」と思い出そのままの長い題名。今まさに包丁でタコ刺す一瞬、タコも力松さんの首に巻き付く。学芸員同様、パニック&パニックである。展示は2階から3階へ、「君の物は僕の物、僕の物は僕の物」「謎が謎呼ぶ」など、わかる、わからない、わかる、わからない…と指折り、自問自答の鑑賞。横尾さん、異次元である。

 

 ※ 展覧会は8月22日まで。東京現代美術館で現在、大規模な横尾展開催中。

 

 

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2021年7月27日 (火)

ヒマワリ高さ世界記録は9㍍17

Img_7499 Img_7492_20210723083201 Img_7489_20210723082901 Img_7498 Img_7496 Img_7495 Img_7494 Img_7477 どれが一番、背が高いだろう。これかな、あれかな、いや、あっちかな。ギラリと光る太陽に挑み、高く高く伸びるヒマワリ。冬でも春でも秋でも行って、今は真夏の植物園である。ヒマワリの高さ世界記録は9㍍17㌢。それに近づくよう植物園は、頑張っているという。

 

 京都新聞の「植物園つうしん」にロシアヒマワリが載った。長い梅雨が明けて、すぐの頃で、囲みの記事を切り抜いておいた。ヒマワリは夏の花の代名詞でキク科の一年草。7月上旬から咲き始め、その中でひときわ大きく目立つのがロシアヒマワリ。頭花が直径40㌢、種子数3千個を超す巨大輪咲き。ロシアが飼料用に改良に改良を加えた園芸品種だという。

 

 観覧温室で、ショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻)の花が開いた~と話題になった時、ロシアヒマワリの記事を持って、見に行った。植物園会館の東、バラ園と大噴水の間である。行儀よくズラリ整列、背高ノッポのヒマワリ群。一つの並びが200本、それが4列あって、1本1本、高さを競っている。世界記録9㍍にはまだまだも、3㍍以上はある。頭花が重くなり、伸びを諦め、垂れているのも。東京五輪負けず、どれがどう伸びるか、注目したい。

 

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2021年7月26日 (月)

夏、入道雲

Img_7723 Img_7722 Img_7703_20210725085501 Img_7706Img_7208 Img_7728 Img_7756  Img_7747    夏だ!まだコロナだ!TVはオリンピックだ!と、今年の猛暑が続く。もうしょうがない~は、洒落だ。頭が変?暑すぎるからだ。気温35度突破、昼から警戒アラートやいうのにまた出歩き。日課だ!、癖だ!、困ったものだ!。空じゅう、町じゅう、入道雲ワクワクだ!。

 

 独りぶら歩きの先達、種田山頭火の一句。「もりもり盛り上がる雲へあゆむ」。京都の寺町三条上ル、浄土宗天性寺。月替わり7月の掲示板で見た。隣に同居の一句は「どうなるかよりどうするか」である。どうすることもアイキャンノットとは言っていられない。JR車内吊りは「晴れ、のち快晴。Okayama」。晴れの国・岡山へ~いらっしゃい広告である。

 

 岡山は、年じゅう晴れても、真夏日、猛暑日はないのかな。岡山の秋はマスカット、スカッとする。京都の暑さ、盆地ゆえか。漫才師ボンチ、どうしている?。頭?、やはり暑い。出歩きで見る入道雲、場所で時間で暑さで、表情を変える。高く、広く、大きく…、澄んだ青い空とお似合いだ。稲田の向こう、五条大橋の向こう、ずっと向こうの比叡山の向こう、京都タワーや東本願寺のむこう…、元気一杯、力強く、むこうところ敵なし!?。暑い!。

 

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2021年7月25日 (日)

高さ、臭さ~世界一の花

Img_7438_20210722090201 Img_7441 Img_7442Img_7436 Img_7452 Img_7454 「咲きます、咲きます」と朝刊に予告が載り、夕刊1面でそのとおり「咲きました」と写真が載った。京都府立植物園のショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻)である。高さ、臭さで世界一、ギネス認定の花という。京都新聞記者が植物園に寄り添い紙面でも花開かせた。

 

 朝日、毎日、NHK、関西テレビでも報道、どんな花か、どう臭うか~、花の咲いた観覧温室は600人も列が出来たという。開花期間は2、3日、臭いは開花時だけというが、植物園ツウとしては、行かねばならない。開花から3日目、どうかな?と行って、間に合った。赤紫のラッパ燭台の上、蝋燭、トウモロコシ、蒟蒻のような花…臭いは消えて咲いていた。

 

 原産地のインドネシア・スマトラ島でもそうは見られないという。分布地が限定という。植物園も1993年に栽培はじめ、球根が腐るなど試行錯誤、28年ぶりの嬉しい開花だった。観覧温室フロア、栽培年表、花の説明なども。蒟蒻の高さ2・3㍍、赤紫の燭台幅1・3㍍。花が開いたおり発熱38度、その時だけが猛烈に臭うという。どんな臭いか、銀杏のような、死臭のような~とか。開花は順調なら7年に一度。もう少し、早くならんかなあ。

 

 ※ サトイモ科。今回の開花は国内21例目。6月1日芽が出て、7月15日に花が伸び、よく16日の深夜2時半、赤紫の燭台が開花。関西では初。

 

 

 

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2021年7月24日 (土)

津軽から煮干しラーメン

Img_7506 Img_7507Img_7510 Img_7512 Img_7514 Img_7517 Img_7520 ちょっとご無沙汰している。ラーメンが恋しくなっている。出歩いて、そのうち、そのうち~もだいぶたつ。どこにするか、豚骨あり、鶏ガラあり、魚介あり…足は京都駅ビル10階、拉麺小路へ。コロナ禍で、随分と行っていないが出店は多く、ラーメンが選択できる。

 

 拉麵小路、駅ビル開業と同時で、もう20年以上。地元京都、博多、富山、徳島、札幌など8店舗が出店して、3,4年に一度は店が入れ替わる。久々、今はどうだろう~と伊勢丹側から行って、この6月から青森・津軽から煮干しの長尾中華そばが初出店という。札幌ラーメン店と交代のようだ。初モノへ興味は深々、即断即決で、自販機メニュー選択である。

 

 「ごくにぼ」の並み930円、定番のようだ。案内はカウンター1番席、隣りは何を注文する人ぞ?もコロナ仕切りがある。「ごくにぼ」後ろから出た。津軽海峡冬景色、津軽のふるさと…、煮干しのスープどうかな。絵入りで食べ方指南。まず香り、次に豚肉のスープ漬け、麺はスープと一緒にスルスル、胡椒もかけて味の変化を~という。スープはどろッとして、麺が見えない。アランドロン?。津軽の香り?クンクン…、♪~上野発の夜行列車~♪が懐かしい。

 

 

 

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2021年7月23日 (金)

「まいばら」か「まいはら」か。

Img_7229 Img_7257 Img_7264 Img_7266 Img_7352 交通の要衝・米原は、「まいはら」か、濁って「まいばら」か、それがややこしい。JRで北陸線、名神で北陸道との分岐点、知名度は高い。滋賀県の北東部、平成の合併で米原町、近江町、山東町、伊吹町が一つ、今は米原市である。「まいはら」「まいばら」どっちなんや。

 

 京都からJR琵琶湖線で行って、米原駅を降りた。中山道の番場宿、瞼の母・おっかさん!の忠太郎像を尋ねに行って下車して、ホームの駅名表示を確認した。平仮名で「まいばら」、英語で「MAIBARA」である。駅から番場へ、歩きの国道8号で、名神高速米原インターの道路標示は、英語表示「Maihara」。駅と名神の米原表示は、バラバラ?である。

 

 米原市役所はどうだろう。合併しても、議会は米原町、教育委員会は近江町と機能バラバラ?だったが、去年に新庁舎が米原駅東口に出来た。すぐ近くなので、3階の観光案内所まで聞きに行った。米原町役場では「まいはら」だったが、合併で「まいばら」になったという。担当女性が親切に「まいはら」から「まいばら」へ~という滋賀県立大・萩原和准教授の文献コピー提供、かつては「まいはら」も、今は「まいばら」へという。いや、ハラハラする。

 

 ※ 名神の「まいはら」読みも開通当時、米原役場に合わせて命名。米原の地名はかつてびわ湖の内湖で、葦が覆って、迷い原からとか。陸路から船旅へ米原湊の米原宿があり栄えたという。米原署、米原高校、「まいばら」。萩原文献は文理閣発行「歴史家の案内する滋賀」に掲載。米原町地区の町名読みは今も「まいはら」。

 

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2021年7月22日 (木)

伊吹山中学出身、五輪代表6人も

Img_7230 Img_7231 Img_7234_20210719101301 Img_7233 Img_7348 Img_7247 Img_7349 1人、2人どころでない。6人も~である。JR琵琶湖線の米原駅改札出て、目と足が同時にとまった。滋賀県で最高峰1377㍍の伊吹山麓の町の中学出身、男子4人、女子2人が、いよいよの東京五輪ホッケー出場という。南北自由通路正面にガンバレ応援幕。同じ中学から代表6人とは凄すぎる!。

 

 伊吹と言えば、昭和56年(1981)びわこ国体で、ホッケー会場となって以来、ホッケー、ホッケー…、ホッケーならオッケーの町?。「春照」で「すいじょう」読む地元スポーツ少年団、伊吹山中学、伊吹高校…、ホッケー日本一は何度も~である。伊吹ホッケー場は東京五輪会場と同じブルーの人工芝、滋賀県で初の命名権0SP(大坂の印刷会社)もつく。

 

 来年のワールドマスター関西、翌年のスポーツ少全国大会を開催する。東京五輪で男女代表が6人。猿、りす、猪のいる山あいの村の中学からである。男子の田中健太は立命大から和歌山県庁に勤め、一念発起、いまオランダのプロリーグに所属のストライカー。応援幕のコメントで「伊吹の韋駄天魅せます」。駅に隣接の米原市役所の庁舎、垂れ幕あり、ポスターあり。伊吹山中出身、東京大井の五輪会場で、おおいにガンバレ!?。

 

 ※ 東京五輪ホッケー競技は男女24チーム。日本が男子52年ぶり、女子は5年連続で出場する。予選2グループ戦経て、決勝トーナメント。

 

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2021年7月21日 (水)

琵琶湖疎水は緑色

Img_7069 Img_7072 Img_7072 Img_7074 Img_7077 Img_7079 Img_7080 Img_7149_20210717085301 いつもいつも川の色は緑である。はるか琵琶湖からの人口水路、琵琶湖疎水。週に一度はぶらり歩く京都の文化ゾーン、岡崎公園回り。ゆっくり静かに流れて、緑色。どうして、こうも緑の色なんだろう。

 

 疎水の緑色は春夏秋冬、鏡になる。夏はムクムク入道雲の白、春は桜のピンク、秋は楓の紅葉を映す。冬は何を映すのか?、心模様かな。地下鉄蹴上駅から動物園わき、東山駅から白川沿い、どう行くか、その時、その時である。平安神宮の応天門前への神宮道を歩いて、疎水にかかる慶流橋の欄干、大鳥居の朱色が、緑の川へ二重になって映り込む。つい、デジカメ向ける。

 

 大きく深い川、小さく浅い川、川は様々な色で流れる。太陽の照る日、曇る日でも異なる。静岡の天竜川は深い山からの樹木を映しこんで緑色だという。コロナ避けで歩く鴨川、色はついていない。疎水から分水の白川も浅いせいか、透き通っている。琵琶湖疎水は年じゅう、緑色なのはナゼなのか。琵琶湖のプランクトン、葉緑素が光の波長を水中で反射など理由も色々~という。京近美4階から眺めた疎水、夏は緑が濃い。お点前一服、深緑である。

 

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2021年7月20日 (火)

企画展はクロニクル?

Img_7082 Img_7160  Img_7158  Img_7154 Img_7133 Img_7117 Img_7105 Img_7103_20210715201301 Img_7089 いま、京近美で開催中の企画展「モダンクラフト・クロニクル」のクロニクルって、何だろう。英語だけにないにしても、ことに横文字に弱い。パソコンで調べると、「年代記」「編年史」と出た。歴史的な出来事、年代を追って~という。それならと、鑑賞に入った。

 

 企画展は前回の東京五輪の前年1963年に開館した京近美が、それ以来、収集し、寄贈された近代工芸作品の展示。英語でモダンクラフト、これはまあ、アイシー。これまで京近美は工芸の企画展を数多く開催、その流れを第1章世界と出会うから第7章手わざの行方まで、これも、あれもと並べていた。企画展の看板は展示作品が小さく、たくさん、たくさん~である。

 

 シニア証明で無料鑑賞の1階と4階で見た。陶器の「唇のある靴」、米国人作家の作品、面白い。見ながらクツクツ、クスクス?。「アメリカン・ビューティー・ローズ」も陶器作品。赤い薔薇とピンクの乳房、確かにビューティー。作家名はパッティ・ワラシナとある。割らしなや?。微細精巧は明治の日本人、安藤緑山ら。象牙の柿、茄子、見るからに熟している。洋画の浅井忠、琳派の神坂雪佳のデザイン皿も。鑑賞はクロニクル!過ぎし時代とともに~、クロニクルである。

 

 ※ 展覧会は8月22日まで。

 

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2021年7月19日 (月)

一生に一度の花開く

Img_7193_20210715210001 Img_7183 Img_7184_20210715210101 Img_7185 Img_7195 Img_7202 5年、10年…もっと、15年、20年に一度の開花という。それも茎が急にスルスル伸びて3㍍、てっぺんで黄色い花が開く。赤ちゃん抱いて、高い高いバア~、いや、こんにちは!。アガベといい、リュウゼツランともいうメキシコ原産、のっぽが自慢の花である。

 

 朝、何気なし新聞を開くと出ていた。朝日は「高―く花咲く」の見出し。ネットで調べると毎日は「数十年に一度の晴れ姿」である。どこかなと、さらに調べて、京都市中京区三条柳馬場北西かど、旧日本生命京都三条ビル。今はホテルになっていて、2019年の開業に合わせ植樹した花だという。週に一度は歩く三条通り、新聞見たその日に行った。

 

 記事にホテルの広報担当の談話が載っている。植樹した時、すでに樹齢20年近く、花が咲くとは知らずだったという。今年4月に急に茎が伸び、7月初めに幾つも咲き出し、驚いていると。YMCA、イノダコーヒーの傍、新聞掲載のせいか、見に来て写真撮る人が多い。レンズは縦にして長さ、花はズームにしてアップ。漢字で「竜舌蘭」と書くリュウゼツラン、一生に一度だけ咲いて、衰弱して枯れていく。晴れ姿は今、今だけやでえ~と咲いていた。

 

 ※ 写真撮りは7月14日午後

 

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2021年7月18日 (日)

小さな旅の出会い

Img_6744   Img_6746  Img_6747_20210715204101  Img_6715  Img_6716 Img_6718 Img_6813 Img_6817 Img_6818 Img_6981  小さな旅して思わぬ生き物との出会い。デジカメ撮りした証拠の現場写真を添えて、一つ二つ三つ、もう一つおまけで四つである。静岡県の浜松市で田んぼのピンクタニシとムササビの森、掛川市へ移って新幹線通路のツバメ2羽と美術館前の後ろ脚で立つ馬の四つ…。

 ピンクタニシは井伊家の菩提寺・龍潭寺近くの田んぼで見た。外来種のジャンボタニシの卵塊。伸び始めた稲穂、側溝などにへばりついて、筋子みたい。警戒色というショッキングピンク。無気味な稲の害虫である。水に捨てれば駆除できるという。井伊家の氏神・渭伊神社の裏山は、ムササビの森。昼は樹木の穴に住み、夜はグライダー見たいに飛び回るという。

 

 これは、引佐町役場が看板紹介。ムササビの飛び方を図解してムササビの家模型も。いつか、懐中電灯ムササビツアどうかな。掛川新幹線駅の夜はツバメさん。北側通路、居酒屋・魚民を照らすライトの上に2羽。ちょっと飛んではまた戻って、動きが早い。この速さ、佐々木小次郎、切れた?。掛川市に工場がある資生堂のアートハウス。玄関にイタリアの彫刻家・ファッツィーニの後ろ脚で立つ馬、いななきヒヒ~ン。以上、旅の出会い、たびたび?。

 

 

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2021年7月17日 (土)

新幹線掛川駅回りの樹々

Img_6835 Img_6837  Img_6845  Img_6846 Img_6849  Img_6853  Img_6876 Img_6880 Img_6898   Img_6919    神事に使うオガタマノキ、早春には白い花が咲く。ホウキを逆さにしたようなケヤキ、高級建材になる。背の高いニレ、夏は木陰がいい。ああ~高校三年生。2年ぶり4回目の静岡・掛川。いつも朝、宿泊ホテル出て、新幹線駅前ぶらり、樹木の木札を見ての学びである。

 

 人口11万の掛川は東海道の真ん中、宿場町。昭和63年に町を南北に分断する新幹線駅が出来た。駅の北と南に記念の彫刻モニュメン。掛川藩の藩校は「教養館」。武士も商人、農民ともに学び、「教養」という言葉が日本で初めてが生まれた街という。市のコンセプトは協働。二宮金次郎の報徳思想もこの町からだし、市民再建・掛川城も掛川深煎り茶もある。

 

 朝ぶらの駅まわり、樹木が多い。市が緑の街づくり、グリーンバンク事業推進という。樹木1本1本、監察札の如く、命名札が巻きつく。ロウソクになるナンキンハゼ、葉をもむと独特の香りはクスノキ、秋は黄金色のキンモクセイ…、ちょっとした解説あって、樹木を見て回る楽しさがある。ポピュラーなサクラはソメイヨシノ、枝や幹にトゲあるニセアカシヤ、明石家さんまの偽物?。枝も葉も毛がないシラカシ、辛くても仕方がない。自然体でいい。

 

 ※ モニュメントは南側に「合体」、掛川城がある北側は「玄」。彫刻家ジュン・スズキさんの作品である。陰陽一体を意味するという。

 

 

 

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2021年7月16日 (金)

井伊家の始まり、井伊谷へ行く

Img_6689_20210713103201Img_6700_20210713103201Img_6703Img_6734Img_6742Img_6763Img_6769Img_6771Img_6777 ずっと井桁の「井の国」という。大河ドラマ、おんな城主だった「直虎の里」だともいう。浜松市と言っても、新幹線駅から遠く、浜名湖の北奥である。知人マイカーで行って、千年続く井伊家始まりの井戸、氏神、菩提寺、城跡などの井伊谷は、ここでいいのや?と見た。

 

 光秀の麒麟、金栗・田畑の五輪、直虎はその前だった。大河、今は渋沢栄一さん。彦根藩井伊家の元々、井伊谷をTVで見て、どんなところか、行きたかった。浜松鰻のあと、知人がナビで、ここや、あこや~と探して、最初は井伊谷城跡だった。登り口で杖借りて上がった。城跡に直虎らの顔出し看板、城下見下ろすパノラマ展望台、大河あっての公園化だった。

 

 井伊家菩提寺は臨済宗妙心寺派の禅寺・龍潭寺。二代目和尚が直虎を支えた南渓師で、井伊家40代の系図、位牌がある。2020は東京五輪、1010は井伊家元祖共保が生まれ年。寺の近くの田んぼ、何度も大河で見た井戸。お寺の拝観500円。徳川家四天王、井伊家再興の23代彦根城主直政の赤揃いの鎧、開国の偉業は36代直弼と持ち上げるアナウンス、長浜の小堀遠州作の石庭…、さすが井伊家ご縁の井伊谷、なにもかも◎で、いいのや!。

 

 

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2021年7月15日 (木)

浜松の「天白磐座遺蹟」

Img_6730 Img_6722  Img_6728  Img_6719  Img_6727_20210712081801 Img_6720 Img_6725  Img_6721   杉と檜の老木が林立、鬱蒼としている。昼なお薄暗い。あたり一帯、巨石がゴツゴツして、見上げるように群在している。厳かにしめ縄が繋がっている。ひょっとして、ここは、日本書記の神話に登場する「天岩戸」だろうか。天照大御神がお隠れではないか。

 

 合併で浜松市になった静岡県引佐郡引佐町の「天白磐座遺蹟」。地名から「てんぱく」と読む神が宿す岩、磐座(いわくら)。大阪の知人Uさんが、読売新聞の夕刊連載「日本書記を訪ねて」神話編を読んで、ぜひ一緒に~とマイカー案内だった。東名高速三ケ日IC降りて、ナビを頼りに探し抜いて、彦根の井伊さん氏神・渭伊神社の裏山境内にあった。

 

 渭伊神社、古すぎて由緒も創立もわからない。宮司さんもいない。地元風土記で、ここが井伊家の初代が生まれた土地、井伊谷だから井伊家氏神という。まあ、そういうことは、いいのや?と洒落て、巨岩群である。本殿からすぐの薬師山、高さ40㍍、まあ小高い丘。巨石は大きいのは高さ7㍍、長さは10㍍。平成元年発掘調査で、古墳時代の勾玉など祭祀道具が出土して、神との関わり深いという。巨石群40㍍四方、出るのは鬼か、蛇か~と歩いて、まむし注意と出た。

 

 ※ 平成4年3月、静岡県史蹟に指定。

 

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2021年7月14日 (水)

メダカ屋と居酒屋と

Img_6782 Img_6786 Img_6789 Img_6798 Img_6802 Img_6803_20210711094701 Img_6806 Img_6809 クルクル、クルクル…脳の思考回路、どう回すべきか。「呑楽炉」と書く居酒屋さん。戦時中の人気漫画「のらくろ」と読む?。地元のんだくれ客が集う?。店内カウンターにはガラス鉢にいろんなメダカが並ぶ。販売中という。「メダカの学校」兼ねて「メダカの居酒屋」?。

 

 お店は、良妻賢母あってこその殿、山内一豊がいた静岡・掛川城すぐそば。宿泊ホテルお勧めの店と幹事のUさんが引率、あっち、こっちと探し歩いて、やっと見つけた「呑楽炉」の「のらくろ」。「呑」は呑む空間、「楽」は楽しく、「炉」は炉端という。料理は遠州灘の海の恵み、最高の料理を味わう大人だけの「OTONA STYLE」。どこか隠れ家ぽい。

 

 緊急事態もまん延防止もない静岡、マスクで入店してもお酒に制限はない。品書きの書体、味がある。聞くと自己流の居酒屋流ですと。うまい!、刺身の盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせも、うまい!。さすがホテル推奨店。カウンターのメダカ鉢、オロチ、楊貴妃、青蝶…の名前がつく。店長は元々、メダカすくい屋さん。お店近くにビオトープ飼育、1回千円のメダカすくい。昼はメダカ、夜は♪~そっと覗いて見てごらん~♪、居酒屋さん!。

 

 

 

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2021年7月13日 (火)

浜松へ行って「うな重」

Img_6684  Img_6683 Img_6681  Img_6670   Img_6678_20210710103301  Img_6679_20210710103301  Img_6680_20210710103501   さあ、期待、期待…、どんなんかな。黒漆の重箱の蓋は御所車ふうデザインの絵柄、ワクワク感が高まる。両手でそおっと蓋を開けた。ワオッ!幅広、肉厚、こんがり…、これこれ、これやがな。ちょいと山椒振って、味はどや。おおっ!、柔らかい、ええがな、ええがな。

 

 豪雨の名神、東名高速を走って、奥浜名湖の浜松市三ケ日である。雨上がりのインター降りて、運転のUさんが下調べ案内のうなぎ店はお休み。それならと元へ戻って、和食も兼ねる鰻の徳山さん。営業中の看板、やっている、やっている~と入った。蒲焼きか、櫃まむしか、うな重か、うな丼か。ぶ厚い写真入りメニュー点検、一緒の仲間揃って、うな重!3800円。

 

 重箱の端から端まで鰻。下のご飯見えない。長さ15㌢、幅7、8㌢はある。厚さどうだろう?2㌢あるかな。ジューシーな身、かぶりつつ肝吸い。腹切り嫌って、背中を開いて、蒸して焼く関東さばきの鰻。おひざ元の浜名湖は近年、鰻が小さいので、お隣の三河一色産という。浜松と言えば、餃子もあるけど、やはり鰻。外国でなく国産、養殖でなく天然。天然ならパーマ、ゴルフでアーノルドパーマ?。うまさが際立つ伝統の逸品、ここにあり。

 

 

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2021年7月12日 (月)

小磯良平「斉唱」のナゼ

Img_6537 Img_6552 Img_6551  Img_6544 Img_6546  Img_6548 Img_6549 Img_6547   楽譜を持つ黒い制服の女学生9人、よく似ている。同一人物だろうか。何を歌っているのだろう。どうしてみんな素足なのか。日本を代表する洋画家・小磯良平が太平洋戦争直前に描いた「斉唱」である。小磯評判の一枚、何で?何で?と、絵の前でじっくりと見た。

 兵庫県立美術館コレクション展、2階の小磯良平記念室である。東京美術学校(東京藝大)在学中に異例の帝展特選、首席で大学を卒業した小磯は神戸生まれ。人物画を得意とし、戦前戦後と活躍、文化勲章も受賞している。兵庫県美は500点を所蔵、そのうち20点をいつも展示している。「斉唱」はその一つ。円熟期の38歳の時の作品、鑑賞2度目である。

 

 絵の不思議さ、NHK日曜美術館、民放・美の巨人など何度も紹介されている。「斉唱」のタイトル、戦争前で「国家斉唱」の暗示では。同じ顔は軍部の国家統率への反発か。素足は大地をしっかり踏みしめてでは~などなど、解釈さまざまである。歌う神戸松陰女子学院の生徒さんが向く方向はバラバラ、あっち向いてホイ?。歌声は讃美歌か、鎮魂のレクイエムか。撮影可、表情、素足をアップしても謎は解けない。小磯さん、どうだったんですか。

 

 ※ 小磯良平(1903-1988)神戸名誉市民。

 

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2021年7月11日 (日)

「新しい夏、こんにちは!」

Img_6376 Img_6386 Img_6381 Img_6383_20210704115101 Img_6384 Img_6388_20210704115101 Img_6391_20210704115301 Img_6393 Img_6392  夏、サマー、夏、サマー…、呼びかけは、Hello! New Summer。略して、こんにちは!新しい夏である。「ニッポンの夏が、きらめく。ニッポンの夏に、ときめく」とキャッチする。ウインドーは~こんな時こそ、元気を出そう~と見せて、呼びかけている。

 

 何時もながらまあ、大きい。縦も横も5㍍はあるだろうか。阪急百貨店うめだ本店のウインドー。京都河原町から阪急梅田駅の改札出て、阪神電車へ乗り換えまでの広いコンコースである。月イチで模様替え、梅田へ出るおりの楽しみの一つ。今は夏のファッションがテーマ。独学でデザイナー、10年で世界的に名を挙げた千葉出身の小泉智貴さん企画である。

 

 小泉さんご本人の写真が出ている。紺の半袖シャツ、頭の上から白い花がにゅっ~と二つ、新芽のよう。「毎日の気分を少しでもあげて貰えればと制作しました」とコメントする。ウインドーは夏のファッションがテーマ。色彩鮮やかで大胆である。色とりどり和傘、水が出る曲芸、カキツバタ、夏祭りの提灯、狐のお面の横被り、涼呼ぶ滝の流れ…、一つまた一つ、ウインドー前に立って、デジカメ向けた。コロナのないニッポンの夏、それがサマー(様)になる?。
 

 

 

 

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2021年7月10日 (土)

古今東西「香りの器」展

Img_6294 Img_6297  Img_6298 Img_6299  Img_6300  Img_6301_20210705084801  Img_6292   クンクン、クンクン…、香りの歴史は紀元前3千年に遡るという。トウザイ!トウザイ!…古今東西、世界の「香りの器展」という。主催京都新聞の特集は「香りの歴史は器の歴史でもある」と紹介する。展覧会開催の伊勢丹京都、どんな香りだったのだろう?と器を見に行った。

 

 去年創業100年、東京に本社がある香りメーカー「高砂香料工業」のコレクションという。これも新聞特集で知ったが、創業者は甲斐荘楠香さん。この間、京近美4階で見た7人の花魁を描いた日本画家・甲斐荘楠音さんの実兄という。一家は楠木正成の末裔、兄は楠香で「ただか」、弟は楠音で「たたおと」。そうかと感心して、兄が蒐集の香りの器展である。

 

 第1章で異国の香り、第2章で日本の香り。陶器、ガラスなど、色んな形の小さな香水瓶が並んでいる。ガラス越し、世界から集めに集めた香水瓶、陳列はその一部200点という。古代オリエントがある。色絵のマイセンがある。ガラスのボヘミアンもある。現代のエミール・ガレ、ルネ・ラリックもある。中国から伝わり、独自の香り文化が発展した日本、蒔絵、七宝の香道具が数々ある。形も模様も色も様々、香りの器は君主もクンクン、はるかなり!。

 

 ※ 展覧会は7月4日で終わった。

 

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2021年7月 9日 (金)

見たままシマトネリコ

Img_6558 Img_6556 Img_6557 Img_6402 Img_6401 Img_6400 Img_6321 Img_6322 今の今、町歩きで、気になる木がある。樹木全体が白っぽく、もじゃもじゃして、ナニって思う。あなたの名前は何ですか~と問うと、シマトネリコという。漢字で「島十練子」と書き、別名はタイワンシオジ。モクセイ科トネリコ属、見たままに紹介しよう。

 

 樹木は高いのは10㍍、丸くて真っすぐ、姿勢正しい。低いのでも5、6㍍。近づいて写真を撮りながら観察すると、白い小さな小さな花が葉先から4つに分かれている。なんか、カエルさんの足みたい。それがまあ、いっぱい、いっぱいだから、遠くから目立つわけだ。開花期が5月から6月、まあ7月の初めまで。次は短冊のような実になるという。

 

 だれにも頼まれない出歩き業務だけど、この白いもじゃもじゃくん、どんなもんじゃ!と花を咲かせているようなので、見ると写真を撮っている。7月初め、屋上に振り返る?のカエルオブジェがいる兵庫県立美術館へ行ったおり、東側通路で咲いていたのが、なんか格好良かった。京都五条木屋町の公園には、汚れているけど自己紹介の案内札があった。亜熱帯原産、南の島の「シマ」という。見納め近し、シマなおり?お早めにどうぞ。

 

 ※ シマトネリコと似ている落葉樹のトネリコもあるが、まったく種類は異なる。

 

 

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2021年7月 8日 (木)

「嵐電」

Img_6033 Img_6034 Img_6039 Img_6038 Img_6049  Img_6032 Img_6221 Img_6214 「嵐電」は、庶民的でいて、どこか気取っていて、古風でもある。餃子の王将発祥の四条大宮から京都観光一番人気の嵐山へ行く京福電鉄の「嵐電」である。普段は気にしないボディは、赤みがかった雅な「京紫」。運賃はどこからどう乗っても230円、ワンマンである。

 

 地下鉄で山科から終点の天神川へ、嵐電へ乗り換えは車を気にして横断する路面駅。駅ホームの時計文字盤は、洋数字、漢数字でなく、中国伝来の大字になっている。壱、弐、参から肆(4)伍(5)陸(6)漆(7)捌(8)玖(9)と来て拾と右回りに並ぶ。古風である。駅名、地元はわかっても、蚕ノ社、帷子ノ辻、車折神社…難解である。

 

 まだある。広沢の池など駅付近紹介の写真パネル。崩し文字で「嵐電界隈館」と出ている。どう読むか、界隈は「かいわい」と知っても、館は「やかた」か「かん」か、音と訓が重なりあい、ややこしい。北野線は、鎌倉と京都、路面仲間で姉妹提携の江ノ電のボディ。開業111年、創業111年のペコちゃん不二家とも仲良く、ラッピング電車も走る。車内狭く、買い物客と観光客がコロナ気にして混ざりあう。映画「嵐電」にもなって、気取っている。

 

 

 

 

 

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2021年7月 7日 (水)

嵯峨野、竹林の小径と野宮神社

Img_6165Img_6164_20210703093601Img_6195 Img_6194Img_6191Img_6187Img_6181Img_6180_20210703093701Img_6176Img_6189  若さゾーンというか、青春レーンというか、そこには、戻りたくても戻れない世界がある。嵐山の嵯峨野、竹林の小径と野宮神社へ行って~である。観光ピーク時ほどにないにしても、休日は若さが戻ってきている。歩きの青春18切符…少しヤングインした。

 

 小倉山へ登って、嵐電嵐山駅へ戻る道すじ、竹林の小径へ。コロナ禍でなかったおりは、人を避けられない「密の道」。なので、観光人力車には専用レーンまである。密集した青一色の竹林は、写真スポット。着物の女性が和傘で佇んでいる。竹林のインスタ映え、仲間のカメラマンがいいぞ、いいぞ!。通りがかって、デジカメご相伴撮り、1枚、2枚…、若いっていいなあ。

 

 竹林超えて、野宮神社。野々宮でなくても「ののみや」と読む。伊勢へ天皇名代で参拝の未婚の皇女が身を清める神社。源氏物語の賢木の巻に記述がある。青々した苔のじゅうたん、触ると願い事が成就の亀さん…、境内は若い女性が多い。進学、恋愛、子授け・安産、財運…境内の末社は、キツネさん、弁天さん、大黒さん…。人気の100円の宝くじ桜もある。くぬぎ造りの黒い鳥居と夏越し祓いをくぐって、パーンパーン。ちょっとは若くなったかな。

 

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2021年7月 6日 (火)

ぶら歩き、ひょうたんぶらり

Img_6567_20210705105601 Img_6568Img_6566_20210706065501 Img_6286 Img_6561 Img_6571 Img_6575 Img_6578_20210705110601 Img_6585 Img_6586 ぶらり、ぶらり…ヒマ歩きのぶら歩き、思わぬ発見一つ、二つ、三つ。秀吉が大仏を造った東山の方広寺境内で、栽培中のひょうたんが棚から幾つもぶらり、ぶらり。連戦連勝、秀吉の千成瓢箪ご縁、名付けて「東山ひょうたん」だという。これ、ぶらり発見その1である。

 

 発見その2は、こちら京大仏の道標。京都駅八条口行き山科の京阪バス大石神社停留所前である。大石内蔵助が閑居の岩屋寺こちらの表示は知っていたが、よく見ると、右へ三十三間堂・京大仏の表示も。いつ頃の道標か、今はない京大仏の存在、改めてである。よく歩き行く方広寺の大仏跡公園では、早咲きのヒマワリが1輪、2輪、3輪…。これ、発見その3。

 

 秀吉祀る「ほうこくさん」の豊国神社では、絵馬のひょうたん。国宝唐門前、右と左でぶら下がって、鈴なりの千成瓢箪。案内所前では土産のひょうたんグッズ。方広寺と同じように「東山ひょうたん」も境内どこかで植わっているとか。発見の最後は、神社正面通りの耳塚公園のタチアオイ。梅雨の始まりで咲き出し、今は支え棒の竹の先を超えた。走り高跳び日本記録、2㍍35。てっぺんまで伸びて梅雨の終わり。もうそろそろかな。以上、秀吉ご縁のぶら歩き発見である。

 

 

 

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2021年7月 5日 (月)

鴨つけめんは、ヘイ!「鴨門」

Img_6370 Img_6351 Img_6357 Img_6350 Img_6354 Img_6356 Img_6362 Img_6364 鴨つけめんそばで、お店が「鴨門」という。お客さん、ヘイ、カモン!のようで、洒落っ気がある。客席テーブルにコロナ仕切りがあって、丸い椅子が5つ。皆さん、背中と足を見せて、座っている。ここは!いいのでは~の食カン働いて、並んで、待って~やっと座った。

 

 京都から阪急に乗り、神戸へ行くのに阪神電車に乗り換え、その前に新梅田食道街で、昼ごしらえである。キャッチは大阪で一番カンパイが似合う街という。食のお・も・て・な・しともいう。戦前からあってもなぜか「新」がつき「食堂街」でなく「食道街」というのが、こだわりか。コロナ禍でどうか~とガード下のお店、あっちこっちでっち?と探し歩いて見つけた。

 

 どこも昼前でガランガランなのに、鴨門に客あり。狭い店内、黒いバンダナの大将一人、頑張っている。おすすめは、小麦の香りを感じる麺、全粒粉(ぜんりゅうふん)という。小麦の配合、常識破り100%、ビタミンEは4.2倍という。待っている間、店内覗きこんで、これに決めた。空いた右端に座って、即オーダー。麺の匂いクンクン、出汁につけてウマウマ、鴨肉も柔らかくシコシコ、味わい良し!。これなら、皆さんにもヘイ、カモン!。

 

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2021年7月 4日 (日)

百人一首の山、小倉山

Img_6156_20210702091801 Img_6151 Img_6158 Img_6161 Img_6072 Img_6148 Img_6144 Img_6145 Img_6150 応挙の絶筆、重文屏風になった保津川が真下に見える。渓流に棹さし亀岡の馬堀から下って来た屋形船も。眺望は、さらに登って東に比叡山、南には渡月橋である。標高260㍍、嵐山の小倉山。麓の庵で、藤原定家が選んで「小倉」と名づく百人一人一首の山へ上がった。

 

 かつて時雨殿、いまは名称が変わり嵯峨嵐山文華館。カルタなど百人一首に関わる逸品を多く常設している。招待券あって行って、コロナでまだ休館である。せっかく来たからにはと、亀山公園から小倉山へだった。亀山公園、色んな石に掘り込んだ歌碑が散在している。小倉百人一首文芸苑・野外展示施設の案内看板あり、1首また1首と読み歩いた。

 

 ~ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なき 花の散るらむ~。百人一首32番、古今集に載った紀友紀の句。こんなに良い日和りなのに桜の花はどうして慌ただしく散ったのか~の句意。お隣は31番、坂上是則の~朝ぼらけ…~である。辺り一帯、49の歌碑があるという。道すがら句読みの小倉山登山である。嵐山からのハイクコース、女性一人も多い。野生ザル注意の看板はサルと目を合わせないように~と。遠く眺望ならばサルは去るらん?。

 

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2021年7月 3日 (土)

嵐山、角倉了以の銅像

Img_6106 Img_6119 Img_6120_20210701090901 Img_6122 Img_6124 Img_6125 Img_6126 どう決まったのか、京都三大銅像の筆頭だという。嵐山・亀山公園の角倉了以像である。大堰川、高瀬川など江戸、治水事業の先覚者。円山公園の坂本龍馬・中岡慎太郎像、三条京阪の高山彦九郎像と合わせ三大銅像、そのトップという。一度はどうぞ?~と、初めて見た。

 

 よくもまあと、毎日毎日、出歩いて、京都市内で銅像はよく目にする。坂本さんも、高山さんもだけど、南座前で歌舞伎の阿国、蹴上の疎水で田辺朔郎、三条小橋で弥二さん喜多さん、本能寺で日蓮さん…思い出しても沢山見ている。角倉さんは、高瀬川沿いの木屋町二条の居宅跡や功績を記す駒札は何度もだけど、ご本人像とは、恥ずかしながら初対面だった。

 

 嵐山・亀山公園、周恩来の雨中嵐山石碑見て、案内看板の通り、坂道を上がって~だった。ゴツゴツした巨岩台座、これで開削!と右手に鍬を持つ等身大、着物姿の像である。決意を示すごとく口元噛みしめ、眼はカアッと一点を見つめ、広い額は幾本も皺が寄っている。徳川治世、家康の政策参謀として静岡駿河に招かれ、天竜川の河川改修などにも貢献という。朱印船の安南貿易で得た富、私財を投げ打ってという。今更ながら恐れ入りました。

 

 ※ 角倉 了以(1554―1614)京都の豪商。

 

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2021年7月 2日 (金)

屋形船はリカちゃん船頭

Img_6074 Img_6075 Img_6077 Img_6083 Img_6089 Img_6094 Img_6096 Img_6098 Img_6100 Img_6102 リモコン遠隔操作の威力、凄い、凄い、ドスコイ?~である。小さな、小さな模型の屋形船、川の中ほどへ行って戻って、スイスイ~。酸いも甘いもかぎ分けて?動く。もう一つ、オランダのタグボートも待機している。趣味が高じて~手作りラジコン船、いや、お見事!。

 

 ぶらり、京都の観光名所・嵐山。渡月橋から北へ、保津川下りの嵐山遊船船着き場あたり。桂から来たラジコンおじさん、バイクで運んできた小さな船を交互に川に浮かべて動かす。付近を歩く人は見る人に、オオッ~である。船はホームセンターのベニヤ板などで製作、見れば見るほど精緻な出来ばえ。大手の電機メーカーを退職10年、今はラジコン人生という。

 

 屋形船が川岸を離れた。茶髪のリカちゃん船頭、エッチラコと川にさした棹が動いている。乗船のリカちゃん友達が振った手も動いている。コロナマスクもしている。距離100㍍はという。速さ10ノット?、そこまではアイドントノット?。写真で製作したオランダのタグボート、オランダ人観光客が見て、びっくり、感激だったと。自宅に手作りラジコン船は10隻以上。夏には琵琶湖にもと。作って、動かして、見せて~素晴らしきラジコン余生に幸あれ!。

 

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2021年7月 1日 (木)

遊女七人の妖艶

 Img_6239 Img_6240 Img_6241 Img_6242 Img_6243_20210629094401 Img_6244 Img_6246 Img_6247 なんと、これはっ~。いや、妖艶も妖艶…、揃いも揃って、妖艶。だれを?、どこを?、どう?見たらいいのか。七人の侍、荒野の七人ではなく、七人の遊女である。江戸吉原の高級遊女、花魁か、それとも芸事全般、京都の島原大夫か。屏風の中の七人、怪しげである。

 

 今年度2回目、京都近美所蔵のコレクション展である。シニア証明あれば、無料で入れて、展示作品の写真もだいたい撮れる。入り口の4階フロアは広く、高さ24㍍の平安神宮大鳥居が真ん前に見える。座れてゆっくり、観光の裏名所。入って、買い上げか、寄贈か、コレクション作品はたっぷり。その一つに七人の遊女、甲斐庄楠音の作品である。

 

 作家名は「かいのしょう・ただおと」と読む。大正時代の日本画家、昭和30年代には映画の風俗時代考証もという。京都生まれ、楠木正成の末裔ともいい、生涯単身とか。六曲一双の作品は横に3・7㍍、クネクネ曲がっている。正面、右斜め、左からと移動して見た。高さ1・8㍍。まあ、等身大の美女揃い。右のお二人、あちきの煙管は1㍍でありんす~と長い。回し読みは旦那の恋文?、これも長い。ロングロングであろう!と洒落て、またくるわ(廓)?。

 

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