横井小楠暗殺の現場確認
知っている、知っている。あのあたりはよく歩いて通る場所、確か石碑が確か建っていたはず~と、本を読み終わって、確認に行った。京都御苑の南東、寺町丸太町下ル。幕末の偉才・横井小楠暗殺の現場である。今から150年前、明治2年正月1月5日の事件である。
暗殺のくだり、越前藩の賢公・松平春嶽の生涯を綴った葉室麟著の歴史小説「天翔ける(あまかける)」に出ていた。攘夷か開国か、揺れる幕末、熊本藩の横井小楠は請われて春嶽の政治顧問になり、公武合体など献策していた。才認められ、王政復古の維新政府にも仕えていたが、翌年が東京遷都の年、旧尊攘派の石見の郷士ら6人に襲われ、60歳で没した。
「激務で長く病床にあった小楠が久しぶりに太政官に出仕した。京都御所から駕籠で帰途について、寺町通りを進み、丸太町を過ぎたところで、ざざっと足音をたてて駆け寄ってきた男たちがいた」。まさにその現場である。昭和7年7月、京都市教育会建立の石碑があった。丸太町から10㍍南の寺町通東側の歩道。「横井小楠殉節地」。小楠は号、楠木正行を崇拝して~という。それで小楠、しょうなんだあ。石碑一つ、説明の駒札がないのが寂しい。
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