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2021年3月

2021年3月31日 (水)

動物の「昨日今日明日」

Img_9751 Img_9754 Img_9759_20210329091701 Img_9761 Img_9762 Img_9758_20210329091701 Img_9785Img_9784 Img_9792 Img_9791 Img_9794 Img_9801 Img_9805 サクラ満開の雨の日曜、ぶらりと動物園へ行った。Z00の看板、ズーと発音して、動物園の象を象徴するような。洒落心、ワクワクする。マレーシアから来た象の美都、ズーといて、今年50歳だという。檻の向こう、仲間5頭とお尻だけを見せている。ぞうしたのかな。

 

 日曜でサクラ満開なのに、雨降りのせい、さんざめきがない。蹴上側入り口近く、令和元年記念のサクラ植樹。石碑は「心は永遠に桜いろ」の一句。猿ヶ島てっぺんのニホンザル、桜をバックに俺が大将と高みの花見。頭頂部が赤マークの丹頂ツルは、行ったり、来たりだけして、動きは単調。大河が終わった麒麟がくるのキリン、赤ちゃん誕生と新聞に出ていた。

 

 キリン親子見に入り口近く塀の高い園舎へ。いた、いた…隅っこに座ったまま。足も首もロングロングでアロウの両親の3の一かな。園資料室2階、剥製の部屋にも行った。ゴリラ、ワニ、ワシに夭逝の子バカ。誕生時、日本初と話題だった。小馬鹿にできない。園を出て、市美外側、古材で現代アートの「未知の生物たち」屋外展示。フリッペ、ケロリン、ソンザウルスなどという。雨に濡れる疎水沿いのサクラ見て、動物たちの「昨日今日明日」だった。

 

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2021年3月30日 (火)

ホテル回りに長州藩あり

Img_9728 Img_9161 Img_9153_20210328205401 Img_9152_20210328205301 Img_9156 Img_9155 Img_9159 京都ホテルオオークラ、ぐるり東西南北を一周すると、長州の人々が出て来る。尊王攘夷も見えて来る。どうぞ!銅像を!と、西側には桂小五郎像、北側は伊藤博文像、細い路地の東側は久坂玄瑞の写真、南側は長州藩邸跡の石碑が立つ。ちょっとした歴史の探訪ができる。

 

 ホテルにしても、丸ごと歴史がある。京都市役所の西、河原町通り挟んで高さ60㍍、南の京都駅と並んで高さは市内一番。常盤ホテルと言われた時代から130年余り経つ。大津事件のロシア・ニコライ皇太子が泊まり、高さの環境問題、京都市と対立した京都仏教界が社寺拝観停止など、大揺れに揺れた時代があった。このホテル、幕末の長州藩邸がすっぽり入る。

 

 文武両道の桂小五郎、維新政府の参議・木戸孝允。右手に刀、若々しい。近代日本の礎をつくったと説明板がある。総理大臣4度、千円札の伊藤博文は親しかったホテル創業の前田又吉氏と並ぶ。波乱の生涯、25歳で自刃の久坂玄瑞は写真、鉢巻き。藩邸内にあった稲荷社に仲間を呼び集めた~という。御池通りに藩邸跡石碑。藩邸は南北は70㍍、東西54㍍。禁門の変に敗れ、藩邸に火をつけ退却、市内はドント焼きの火の海に。どう判定すべきか?。

 

 

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2021年3月29日 (月)

イカ焼き、いかが~。

Img_9712 Img_9713 Img_9715 Img_9719 Img_9714 Img_9720 Img_9725 Img_9729 イカ、いかがですか~と言われ、手にした爪楊枝の小さなイカ、口にして、いかにも、いかにも…である。いかほどですか~と聞くと、いろり焼きは600円からと言う。衝動買い、いかんと思いつ~買った。まあ、閑話休題。まあブログの箸休め、洒落のイカ焼きいかが!?。

 地下鉄京都市役所前の改札出て、大阪京橋の「いかやきやまげん」が移動販売中。店並びのラインナップは、味付けイカのいろり焼き、ソースと醤油の山芋生地のイカ焼き、油で揚げない焼きあられ。店内にいかつい?大阪のお兄ちゃんと気さくな大阪のお姉ちゃん。イカと来れば、いかようにも駄洒落が思いつきそう。頭のトレーニングいかに~と店の前に立った。

 

 イカ焼き、昭和30年ころから大阪名物のソウルフードという。子どものおやつ、大人のお酒のつまみにいかがと勧める。どんな味?と聞くと、玉子と山芋でモチモチ、プリプリの食感という。醤油味とソース味など4種類。やみつきの味、あっさりの味、魅惑の味、人気の味と、次から次へ味がでる。一枚300円、大人で2、3枚とか。さて、イカ洒落。イカサマ、怒り、イカロス、胃拡張…、どれも遺憾ともしがたい。ああ、しんど、ああ、いかん!。

 

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2021年3月28日 (日)

方広寺は今「京の冬の旅」公開

Img_9593 Img_9602 Img_9618_20210326095101 Img_9622 Img_9603 Img_9596_20210326094901 Img_9605 Img_9604 Img_9606 Img_9607_20210326095101 Img_9609_20210326095101Img_9615 サクラ咲く春なのにまだ「第55回京の冬の旅」である。社寺の非公開文化財の特別公開、コロナで会期延長という。よく通り抜けする京都東山の方広寺も、その一つ。秀吉、大仏、「国家安康」「君臣豊楽」の鐘楼、大坂冬の陣…、歩きの流れ、ついでに気軽に拝観した。

 京博の北側歩いて、大仏殿跡公園から鐘楼が見える。鐘楼は屋外、年中公開も今回は冬の旅でポスターに。拝観代700円。鐘楼前に特設小屋、朱印記帳にクリアファイル販売中。市観光協会から派遣の年輩ボランティアさんの案内がある。本堂入り、左手3歩で、本尊の盧舎那仏坐像、焼けた大仏の10分の1という。屋内せまく、ほんとに本堂?。本尊は木造、江戸期の作と聞いた。

 

 通り抜けのおり、本尊はガラス越しに見ている。お賽銭は可、撮影禁止。最澄作の大黒天像、左甚五郎作の龍彫刻は、……と伝わるの「伝」が付く。非公開のデデンが伝?。鐘楼の鐘の内側、ボランティアさんがペンライトあて、淀君の顔が~と言う。豊臣家滅亡、淀君の恨み鐘の由縁です~と。どう見ても???だけど、これもまあ、非公開の特別公開。鐘楼の天井は伏見城化粧部屋移築、これは仰げば尊し公開。方広寺は非公開と公開の後悔がせめぎあう。

 

 ※ 方広寺の冬の旅は4月11日まで延長。

 

 

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2021年3月27日 (土)

「芭蕉翁絵詞伝」初公開

Img_9527_20210325101501 Img_9544 Img_9579 Img_9550 Img_9570 Img_9573_20210325101901 Img_9571 Img_9543_20210325101601 Img_9541 Img_9537_20210325101501  俳聖・芭蕉の生涯を描き綴り、全3巻、長さは40㍍だという。芭蕉が眠る大津市、義仲寺の寺宝「芭蕉翁絵詞伝」。絵詞は「えことば」と読む。大津市歴史博物館開館30年記念展、門外不出の初公開である。伊賀、深川、近江、奥の細道・松島と見た。

 初代館長だった成安造形大元学長、木村至宏氏に~素晴らしい企画展ですよ~と聞いて、飛んで行った。自宅山科から京阪石坂線、大津市役所前駅で降り、歴博へ30分。入館350円、写真OK、絵詞伝の資料は無料。鑑賞者に心優しい展覧会である。展示の絵巻、芭蕉追って33場面を絵解きして描いてあった。

 

 「さまざまの事思ひだす桜かな」と詠む吉野山の絵、俳号由来の芭蕉が植わった深川の草庵、奥の細道で宮城の松島、山形の月山、秋田の象潟あり…と絵巻の旅は長く続く。絵詞伝は、芭蕉顕彰の文人僧・蝶夢が11年かけて調べて伝記にし、芭蕉99回目の命日に完成、義仲寺へ奉納した。絵は宮廷絵師、狩野正栄。洒落て一句。「目をさらに場面場面の芭蕉かな」。才能あるやなしや。

 

 ※ 松尾芭蕉((1644~94) ※ 蝶夢(ちょうむ、1732~96) ※ 展覧会は4月11日まで。 ※ 絵詞伝は義仲寺が2年前、大津市歴博へ寄託。大津市の指定文化財。

 

 

 

 

 

 

 

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2021年3月26日 (金)

円山公園、知恩院、白川…桜歩き

Img_9439 Img_9444 Img_9447 Img_9449 Img_9461 Img_9463 Img_9485 Img_9489_20210324092601 Img_9491 Img_9507 Img_9514 Img_9517  桜を慈しみ、守り育てる人を「桜守」という。全国桜名所、「桜守」は多くだろうけど、その代表、一番似合うのは京都嵯峨の佐野藤右衛門さん。今は92歳の16代目。史上最速の開花宣言から1週間すぎ、満開の頃と、桜歩きに出て、先ずは円山公園の枝垂れ桜である。

 

 円山公園の枝垂れ桜は、昭和24年に佐野藤右衛門が育てた「一重白彼岸枝垂れ桜」。横山大観が名作「夜桜」で描いた桜の2代目という。別名「祇園枝垂れ」。ひと頃、鴉が芽を食べ、元気がなかったが、網被せなどで保護、今またフワフワしてきた。公園奥の坂本龍馬像手前も株分けの品種、目がピンクになるほど枝垂れ、写真撮りの花嫁と美を競っていた。

 

 公園の北は知恩院さん。山門越しのソメイヨシノがいい。白川へ出て、柳の緑と淡紅色の桜。三条の高瀬川、銀座から移植の柳と桜を見て、京都市役所前へ。東南、掲示板の所で、16代目佐野藤右衛門さんの祇園枝垂れ。円山公園の孫桜という。植植え30年、枝は細いが、優雅に枝垂れている。奥に「桜守・佐野藤右衛門」の木札。四条河原町東北かど、ピンク色濃い桜が目立つ。どういう品種か、次々と通り行く人々と一緒にコロナ忘れて咲いていた。

 

 ※ 佐野藤右衛門さんは京都市右京区嵯峨野に「植藤」庭園、全国の桜200種を育てている。

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2021年3月25日 (木)

ミステリー作家中山七里さん

Oip_20210323094501 Oip-1 Oip-3 Img_9367 さすがミステリー作家~と言うべきか、話は普通ではない。どこかミステリー。単行本10年で60冊、連載は同時進行で10本、執筆は月間で原稿500枚以上。小説家10年、いま人気の中山七里さんである。どうしてそう書けるのか?「基本、寝ていません」と話す。

 

 NHKラジオ深夜便、午前4時からの明日へのことば。トイレへ行って目が覚めて、聴きながら寝ようと耳を傾けて、えっ!えっ!と、中山さんの話に頭も目も冴えた。作家デビューは48歳の時、「さよならドビュッシー」が第8回このミステリーがすごい大賞を受賞してから~という。28年間のサラリーマン生活、今年59歳の遅咲き作家、話もすごい!?。

 

 最初の名刺は「文章芸人」、今は肩書なし。ペンネームの中山七里はふるさと岐阜県飛騨の渓谷名。橋幸夫も歌謡曲「中山七里」を歌っている。睡眠3日間でまあ6時間、時にパソコン上で寝落ちする。病気は皆無。岬洋介、御子柴礼司、犬養隼人…主役の名前に苦労、出てくれば、ストーリーがすべて浮かぶ。原稿用紙が映像。自分が書きたいものは書かず、出版社の求めるものを書く。ゆっくりしたいと思えば、終わり。スピリッツは「立ち止まらない」。その凄さも、ミステリー?。

 

 ※ 中山七里、本名?。1961年、岐阜県生まれ。花園大卒。園児のときから本を読む。島田荘司サイン会に行って、初めてパソコン買って、書き始める。昨年、2020年、デビュー10周年記念、新作単行本12か月連続刊行。 ※ ラジオ深夜便、中山さんの明日へのことばは3月18日放送。

 

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2021年3月24日 (水)

「天バラ」って?

Img_9333 Img_9334 Img_9317 Img_9321 Img_9322 Img_9324 Img_9329 A7f026f9d3fc420c8d63f5f6269065cae1534734 Img_9330 「天バラ」って?なんかいなあ~と、メニュー見て、面白半分、興味半分、日替わりそば定食から急遽、注文を切り替えた。「天バラ」-、塩をふりかけ、かき揚げ海鮮をバラして食べる丼という。「天バラ」の食べ方①から⑥の指南書がある。さて、どうかな、どうかな。

 

 笑いのカルチャーセンター4か月ぶり再開で、大阪の谷六まで行った。まだ時間が早く、長堀通りを歩いて、蕎麦と天ぷら「みくりや」である。店長の名前が政治学者と同じ、御厨さんで「みくりや」。一日じゅう定食食べれる食堂~の黄色い提灯、どこか面白そう。当たるも八卦当たらぬも八卦、いつもの勘をたよりの飛び込み、~はじめまして~と入った。

 

 長いカウンター席、奥の奥へ座って、7、8分で、「天バラ」のかき揚げが来た。待つ間、指南書を読んである。徳島産の藻塩2杯振りかけた。サイコロ状の海老と烏賊の天ぷら、ご飯ごと突きまくった。無心で突付けと指示が出ていた。ひたすら突いて、投げ入れるように口に入れた。海老も烏賊もぷりぷり、いかにもうまい。ご飯が半分になった。アサリ出汁を注いで、茶づけ。一気のかけこみ。手打ちミニそばも美味い。「天バラ」注文、勘は当たり。

 

 

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2021年3月23日 (火)

「直木賞」の直木三十五

 Img_9257 Img_9259 Img_9267 Img_9274  Img_9281 Img_9286  Img_9298 Img_9301_20210322092801 Img_9302 芥川賞の芥川龍之介に対し、直木賞の直木三十五?て~と思う。薩摩藩のお家騒動「南国太平記」など時代小説を多く書いた作家だけど、そう知られていない。出生地の大阪の谷町六丁目に記念館と文学碑があり、前にも案内してもらったこと思い出し、久々に行って見た。

 

 地下鉄谷町線の谷六2番出口から出た。1人前7個入り290円、これは安い!と思うタコ焼き屋さんが角にある空堀商店街から歩き7分足らず。記念館は生家があった桃園公園の隣である。コンクリート塀に~芸術は短く、貧乏は長く~と本人写真。1階のカフェから2階へ、壁に第1回の川口松太郎から井伏鱒二など歴代直木賞作家の作品など並んでいる。

 

 入館500円。直木が寝転んで書いていたという畳部屋再現、義経、尊氏、正成…ら著作の時代小説が並ぶ。本名は植村宗一。「植」を二つに分解して直木、自分の年齢に合わせ、年ごとに三十一、三十二、三十三…三十四を飛ばし、三十五で、43歳で亡くなるまでずっと三十五で年とらずとか。病気に借金、破天荒な人生だったらしい。記念館から3分、榎大明神わきに文学碑。作家で世に出た南国太平記「きっと なせる」の文字が浮かんでいた。

 

 ※ 直木三十五、明治24年(1891)大阪市南区内安堂寺町生まれ。早稲田中退、代表作「南国太平記」で流行作家に。43歳で没した翌年、友人の菊池寛が新人登竜門の「芥川賞」と並んで、大衆文学発掘の「直木賞」を創設した。

 

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2021年3月22日 (月)

源平しだれ桃

 Img_8890 Img_8895 Img_8897 Img_8893 Img_8892 Img_8894 どうして、こう咲くのだろう。細い枝がクネクネして、1本の枝から赤いのと白い色の花が交互に咲いている。一つの花に赤白が混じったのもある。ハナモモ(花桃)の一種で、三色咲き「源平しだれ桃」というらしいが、見事というか、けったいというか、まあ、見惚れた。

 

 例によって、出歩きの発見である。建仁寺境内から鴨川の団栗橋を渡り、高瀬川から車が通れない細い路地を行って~である。天保年間創業の老舗、京つけものの村上重本店の店前。一度は通り過ぎ、鉢植えの妙な花が気になり、戻った。苔の生えた、そう大きくない鉢から高さにして1㍍少し、S字に伸びた幹から枝が広がり、赤と白の花が競うよう。これは、珍しい。

 

 枝に名札がぶら下り、屈んで見ると「源平しだれ桃」と記してあった。暖簾は〇に十、看板は千枚漬け、軒先に杉玉もある。わざわざ、店前に出した鉢植え、天塩にかけた店の自慢のよう。源平桃は、江戸時代にハナモモの品種改良で生まれたという。名前の由来は白旗の源氏と赤旗の平家に由来する。一本の枝にみる紅白勢力争い、赤勝て、白勝て!運動会のようでもあり、源平壇ノ浦の戦いの如くである。店前の咲きよう、千枚漬け同様、白優勢かな。

 

 ※ 咲き分け桃とも呼ばれ、何重もの花びらが重なるのが特徴。中国などの中央アジアが原産で、バラ科サクラ属。見ごろは桜満開の4月ころ。

 

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2021年3月21日 (日)

作品は「ピンクオブピンク」

Img_9138 Img_9137_20210319094101 Img_9139 Img_9122 Img_9124_20210319094301 Img_9125_20210319094001 Img_9128 Img_9133_20210319094101 Img_9131_20210319094001 Img_9113 どこからどう見てもピンクピンクしている。京セラ京都市美術館の西側、三角に突き出たガラス面である。スプレーを一面に吹き付けたようなアクリルピンク。現代アート作品、地上を照らす陽光ピンクだという。遠くから目立って、何や、何や、何だろう~と見に行った。

 

 京都市生まれ、パリ在住、湊茉莉さんの作品「はるかなるながれ、ちそうたどりて」。漢字にして「遥かなる流れ、地層たどりて」。考古学資料の地層から古代の水に流れをイメージしたインスタレーション作品という。市美正面の地階から展示室へ行くと、白い透きとった布が川の如く広がり、布に発掘土器が描かれている。上からのピンク、古代からの陽差しという。

 

 会場は市美がリニューアルで新設のスペース。作家、美術館、鑑賞者を三角形で結ぶ意味で「ザ・トライアングル」と名づけ、地元京都出身の新進作家の作品を展示する。鮮やかな色彩を用い、壁面など使って作品制作する湊さんは3人目。展示の布回りを一周して、またピンクのガラス面へ。平安神宮大鳥居の朱色との対比、場所を移動して見るピンク模様の変化…、季節は春や春!。見た目も心も、浮き立って「ピンクオブピンク」である。

 

 ※ 湊さん、1981年生まれ、2006年京都市芸大日本画卒、3年前に東京銀座で桂離宮をテーマに初個展。渡仏後は、異文化へ興味、多様な文化のリサーチを続ける。 ※ 湊作品展示は6月13日まで。

 

 

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2021年3月20日 (土)

昔も今も「京大仏餅」

Img_8124 Img_8461 Img_8126 Img_8483 Img_8473 Img_8123 Img_8487 Img_8475 小判型のお餅、コシ餡が入っている。ペッタン、ペッタン…石臼と杵、昔どおり職人がついているという。京都東山、方広寺に大仏さんがあった頃からの名物「大仏餅」。慶応元年創業の京菓子「甘春堂」。通りがかって、古い店やなあと、まあ~入って、まあ~ひとつである。

 

 ぶらり出歩いて、京博北側の大仏殿跡公園から方広寺と豊国神社の境内を抜けた。お店はまっすぐ東へ、鴨川の正面橋前にあった。創業は鳥羽伏見の戦い前、もう100年以上の老舗、店主はいま六代目。看板と暖簾に風格がある。名物餅の焼き印は「京大仏」。江戸後期の「都名所図会」に~味よく、煮てもとけず、あぶると香ばしい~と載っていたという。いや、なんとも古い。

 

 方広寺の京大仏は4度建ち、すべて歴史の中へ消えている。秀吉、秀頼が造り、地震と火災、4代目も昭和48年に燃えた。最後の木造大仏像の写真が豊国神社近くの「甘春堂」東店に展示と、本店で聞いて、見に行った。お顔、どこか、もちっとして見える。南総里見八犬伝の滝沢馬琴も京へ旅して「江戸の羽二重餅に似て、味ひ甚だ佳なり」と紹介している。「都名所図会」絵の袋入り餅は5個、一つ220円。さて、どんな味だろう。うん、うん、美味さのほど、もちろん、オブコース!?。

 

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2021年3月19日 (金)

くえを食え!キャンペーン

Img_8844 Img_8969 Img_8974 Img_8977 Img_8973 Img_8981 Img_8984 Img_8995 絶品で高級やという。天然で幻やという。今だけの旬ともいう。まだあった。極みで熟成やとも。まあ言えば、客をキャッチするオールスターフレーズ。「くら寿司」店前に立つ「天然くえ」と「熟成中トロ」のノボリ、来て!来て!と、春呼ぶ風に揺れている。

 

 自宅の山科を出て、歩数稼ぎで国道1号を歩いて~だった。思考がどこか洒落ぽくなっているせいか、「熟成中とろ」と「天然くえ」のノボリを見て、~中トロを食え!食え!~と思ってしまう。次の日、洒落の実体験?昼を兼ね入った。くら寿司のCMは北大路欣也さん。今、NHK大河~こんばんは、徳川家康です~と出る。こちらは、こんにちは!。

 

 着席も支払いもセルフ。カウンターひとり席は38番。子ども向けびっくらポン!の下にタッチパネルがある。九州で漁獲の天然くえ、握りあり、塩炙りあり、天ぷらあり、みんな1貫200円の特別価額という。春先の期間限定。来たからには、みんな食え!食え!。脂乗りの良い中トロ1貫100円も、くえが食えと言う。タッチパネル押すと、くえはオーダーレーンで来て、席前にピタリ停まる。さあ、くえ、くえ、今だけ、今だけ!。

 

 ※ くら寿司がノボリでPRするくえ・中トロフェアは3月18日まで。

 

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2021年3月18日 (木)

春、枝垂れ柳たずねて~

Img_9055 Img_9053 Img_9045_20210317095601 Img_9040 Img_9151Img_8934 Img_9148  Img_9017 Img_8945 Img_8944  柳は、風あれば、風吹くままに~である。右に吹けば右に、左なら左に、紐のように、ひ弱そうに、流れて枝垂れる。彼岸入り、桜あり、柳あり。桜はピンク、ピンクして、柳はミドリ、ミドリする。柳は春のすだれ。ぶら歩き、コロナ禍も柳に風と、柳ある所を訪ねた。

 

 ちょっと待って、柳の下にカエルやない。ドジョウでもない。柳の上に雀がいる。2羽、3羽…いやもっといる。4羽、5羽…細枝にチャンとチュンと、とまっている。鴨川の丸太町橋あたり、柳に雀もまた一興かな。前にススメ!?で三条大橋に駅伝発祥の碑。もう100年以上前、上野不忍池へ、ヒイヒイ走り出した碑の傍の柳、年輪重ねて、よく垂れている。

 

 高瀬川、三条小橋上がって、♪~昔恋しい銀座の柳~♪。東京行進曲・銀座の柳が里帰り。そばの京都市説明板は、銀座の柳は京都伏見からで、六角堂の柳が親元などと出ている。足を聖徳太子創建、烏丸六角の六角堂へ伸ばすと、おみくじ結びの柳が、生き方示す如く、細く長く~と垂れている。柳ロケなら情緒たっぷり白川。三条から両サイド200㍍の柳並木が続く。花嫁は成婚記念、女学生は卒業記念、柳のバックがいいね、いいね!と撮っていた。

 

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2021年3月17日 (水)

「淡海節」は滋賀の民謡

Img_8577 Img_8586 Img_8588 Img_8578 Img_8579 Img_8591 Img_8575 「淡海節」って、ご存知だろうか。美空ひばりも三橋美智也も唄った滋賀の民謡である。三味線に合わせ♪~船を曳き揚げ 漁師は帰る 後に残るのは艪と櫂 波の音 ヨイショコショ 浜の松風~♪と唄う。一世を風靡した民謡、ご当地・滋賀県の皆さん知って、いますかあ~。

 

 JR湖西線堅田駅ロータリー南西に志賀廼家淡海の顕彰碑がある。江州音頭を自慢の喉で唄い、明治から昭和へ劇団を創って全国を回った喜劇王。浮御堂ある、この堅田で生まれた。「淡海節」は巡業中の京都舞鶴の海岸を散歩中、漁船が戻ってきた光景見て、故郷の琵琶湖を思い創作した。民謡の世界では、今も唄い継がれている。

 

 顕彰碑、知人の写真展帰りに見つけた。高さ1・5㍍、建仁寺管長の揮ごう。堅田の地元、淡海節保存会などが建てたという。当時の淡海劇団は今のNHK朝ドラ・おちょやん登場の家庭劇草分け、曾我廼家五郎らと人気を二分した。碑には藤山寛美、松竹新喜劇の名も。74歳没、遺句は「ああおかし ただ笑わしの五十年 淡海節が残りゃあ せめても」。淡海さんの淡海節、忘れてません。

 

 ※ (1883-1956)滋賀県本堅田生まれ。本名は田辺耕治。江州音頭で頭角、劇団結成全国巡回、喜劇役者で松竹専属、名を成す。巡業の鹿児島で没す。 ※ 保存会など主催の淡海節全国大会、89年以来毎年、滋賀で開催。

 

 

 

 

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2021年3月16日 (火)

タイトルは「近よってはいけない」

Img_9008_20210316064401 Img_8899 Img_9014 Img_9031 Img_9030  Img_8903 Img_8905 202103050074u01thumb  赤い線、イナズマみたい、迫力あるなあ~と傍へ寄って、タイトルをみると「近よってはいけない」。えっ!絵やのに~、と思う。その隣は「誰も振り向かない」。その次は「もっと離れて」「行ってしまった」「誰だろう」…、作品も、年齢も、タイトルも、気になる展覧会である。

 

 京都高島屋で開催の洋画家・野見山暁治さん100歳記念展。作品は、色も線も、大胆にして奔放、自由自在である。展示60点、横が2㍍の大作もある。文化勲章作家、昨年暮れに100歳も現役。ご本人は「コロナで死にたくはない。まだまだ描きたいものがある」という。作品、見れば見るほど味がある。知人からのチケット届き、3度も会場へ足を運んだ。

 

 作品は年齢とともに力強さ、スピード感が増しているという。文章も著作のアトリエ日記がベストセラーの野見山さん、作品タイトルが短いエッセイのよう。「賑やかすぎる」「夜がすぎても夜」「部屋へ入ってきた雲」「黙っていよう」「あとは空」「誰にも言うな」…、どうして、そんなタイトルか。「タイトルはなくてもいいけど、無いとややこしいし、まあ識別」という。赤い色は唇か、100歳で描いた作品は「本当は言えない」。人生の深さを感じる。

 

 ※ 高島屋展は15日で終わった。

 

 

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2021年3月15日 (月)

ロボット「エキボ」登場

Img_8609 Img_8628 Img_8626 Img_8613  Img_8624 Img_8614 Img_8615 行き先、乗り換え、ロッカーは何処?などと聞くと、いやな顔せず、素直にハイハイと答えてくれるロボット登場という。世相ニュースを書く朝日新聞朝刊の社会面「青鉛筆」に載ったので、ホンマかいな、そうかいな、どんなんかいな~と、出歩きついでに見に行った。

 

 京阪電車の祇園四条駅コンコースに設置の「ekibo(エキボ)」くんである。四条通りを歩いて、尾上右近、中村橋之助らの看板が上がる3月花形歌舞伎開催中の南座東側から地下駅へ降りた。閉鎖中の観光案内所前、いた、いた。宇宙服姿、背は1㍍少しと低い。首をあっち向いてホイ、こっち向いてホイ…通行人に呼びかけるように振っている。

 

 行ったからには聞かねばならない。所定の足型位置に立って、八坂神社は?と聞いた。顔をこっちに向けて、「6番出口から出て東へ進んで下さい」と答えて、画面を兼ねる顔に地図を出した。高島屋は?コンビニは?駅周辺のことは、てきぱき答える。マスク越しの質問、聞き取りにくいと「もう一度おねがいします」。英語、中国語もできるという。いや、賢い。京阪電車はコロナ禍と駅員負担減、春まで実証実験中という。今度はナニ聞こうかな!。

 

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2021年3月14日 (日)

御苑は春本番へ前哨戦

Img_8769 Img_8779 Img_8766 Img_8770 Img_8784 Img_8791 Img_8797 Img_8813 Img_8817 Img_8814  咲いている、咲いている。ぶらり入った京都御苑、ヤマザクラか。手に触れる枝にも、仰ぎ見る枝にも、清楚に白い花が開いている。樹高5㍍はある古木の桜。有栖川邸跡あたりの芝地。もう7分咲きかな、明日にも満開になりそう。春本番の前哨戦、小雨の御所を独り歩いた。

 

 神社も経営難、低いマンションが境内に建つ梨の木神社近くの清和院門から入った。和風迎賓館の南側、バッタが原にコブシが見えた。白い花はよく似たハクモクレンより、小さい。細い枝に五線譜の音符のよう。今年は春が早そう。名物桜、枝垂れる近衛邸の糸桜開花も、来週すぐという。京都の開花宣言、二条城の標本木・ソメイヨシノ開花予想も彼岸頃という。

 

 砂利道、皇宮警察の消防車が走っている。ゆっくり、ゆっくり…花見の下見出動か。暇なのが一番。松に雨、緑が瑞々しい。鷹司邸跡の西、竹囲いで大正天皇即位記念の黒木の梅が満開。濃い紅色、花輪が大きい。平安京・桓武天皇由緒の宗像神社には薮ツバキ、ハクモクレンが咲く。拾翠亭の借景、藤棚は改修中、九条邸の池は池さらい。長靴の若い作業員が網持って、鯉を手づかみ中。大きいの小さいの…一尾また一尾。所詮は池の鯉、九条邸に苦情はない?。

 

 

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2021年3月13日 (土)

雁皮紙の花写真展

Img_8535 Img_8571 Img_8567 Img_8569 Img_8559 Img_8564 Img_8550 Img_8551 Img_8539 Img_8546 Img_8547 Img_8554 蝶が細い管を伸ばして蜜を吸っている。いまそこにいるように見える。池に二重写しのカキツバタ、群生するヒマワリ、桜にメジロ、湖岸に咲くヒガンバナの向こうに竹生島…、雁皮紙を印画紙に特別仕立てあげ、撮った花々をプリントした写真展、美しさが倍加している。

 

 JR湖西線堅田駅を降り、歩いて15分の大津市北部地域文化センター。湖岸へ行けば、堅田浮御堂である。滋賀県文学会会長、フォトエッセイス、岡本光夫さん(70)の写真展、案内があって行った。展示の花写真50点に加え、和紙の楮(こうぞ)、紙幣になる三マタ、そして「紙の王様」と言う雁皮が比較展示してあり、雁皮の印画紙は試行錯誤の成果という。

 

 岡本さん、雁皮紙作品の魅力を1点1点、説明する。「離れて見て下さい」「近づいて下さい」。そのとおりにすると、和紙の風合い、穏やかさか、立体感が出て、風景や花々を現場で直接、目にしているように見える。「雁皮紙ならではです」と岡本さん。紙質も強く、国宝の平家納経、信貴山縁起絵巻の補修紙にも使用されているという。スイレン、アサガオ、大賀ハス、アジサイ…どの花も生き生きとして、「雁皮さん、ありがとう」と、咲いていた。

 

 ※ 近江雁皮は大津市上田上桐生で自生、紙工房成子哲郎さんがすき方に工夫に工夫を重ね印画紙にした。自生少なく、印画紙制作は一年40枚程度という。 ※ 展覧会「近江雁皮紙~花の彩り~」は3月11日で終わった。

 

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2021年3月12日 (金)

「肉まぶし」

Img_8510Img_8678  Img_8509Img_8505 Img_8501 Img_8502 Img_8503 Img_8679 Img_8498    昼ランチの新しいメニューの一つ「肉まぶし」という。名古屋名物、うなぎ蒲焼きのひつまぶしの肉版。お櫃に細切り肉がボタン鍋の猪肉の如く乗っている。お茶椀によそい、薬味も入れ、ブブづけもして、1杯、2杯、3杯…、食文化の多様化、肉は肉でも何とも心憎い。

 

 ワインもハイボールもあり、安そうだし、一度は~と思っていた肉バル酒場「銀次郎」である。京都駅がすぐ、七条東洞院西南かど。外からよく見える2面ガラス。開店以来、何度も~の立ち飲み屋「いなせや」さんが月曜休みのおり、~昼ランチ始めました~のノボリにも誘われ、初めて入った。入り口の2人掛け丸テーブルに1人座って「肉まぶし」である。

 

 大きなガラス、内側から外もよく見える。曇り空、肉まぶしで、まぶしくはない。道路の向こうに駐車場、新しいホテルが並んでいる。外国人客目当て、コロナ禍の営業はどうだろう。トレーにお櫃、お茶椀、出汁入り急須、薬味が出てきた。一緒、一緒、名古屋のひつまぶしと同じ。鰻なら4千円はするのに980円、ええのかなあ。肉が近江牛だと2300円だけど、昼ランチやし、これで十分。ご飯にタレしみて、肉もたっぷり。初の肉まぶし、安うて「うみゃあ!」。

 

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2021年3月11日 (木)

駅名の長さは日本で第2位

Img_8532    Img_8512  Img_8515 Img_8517 Img_8519 Img_8521 Img_8522 387c6_1717_234d31c8_c73a36ec いや、長い。鼻でも自慢の足でもない。駅名が~である。京都嵐電北野線「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」駅。京都新聞夕刊の社会面で富山の市電駅に抜かれ~日本一長い駅名9か月で陥落~と、記事になったが、まだ2位は2位、現場の駅へ長い足を伸ばした。

 

 全国展開、餃子の王将1号店がある四条大宮から嵐電に乗った。まず、読めない、書けない帷子ノ辻駅で北野線に乗り換え、新駅の太秦撮影所前、常盤、鳴滝から、竜安寺、妙心寺の次である。切符買わず駅へ入り、どれだけ乗っても、ワンマン運転の220円。駅名録音~つぎは、とうじいんりつめいかんだいがくきぬがさきゃんぱすまえ、です~と長く言う。

 

 文字数17、音読数26。今年1月、これをネーミングライツ絡みで駅名変更した富山市電駅が文字数25、音読数32で抜いた。「トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)」。もう7、8年前か、雪舟展開催していた県立水墨美術館近くの駅、降りた思い出がある。立山連峰望む神通川の傍だった。駅名長さ日本第2位の「等持院~~」駅を降りた。終点の白梅町へ行く電車見送り、駅名看板を見た。言うに書くに、2位でもロングロングある。

 

 ※ 京都新聞記事は今年2月25日付け。 ※ 帷子ノ辻は「かたびらのつじ」と読む。 ※ 富山市電駅名は昨年12月末まで「富山トヨペット本社前」。嵐電の等持院駅は立命館大学と地域連携して、駅名変更していた。

 

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2021年3月10日 (水)

マンサク、アセビ、ボケ、ハクモクレン…

Img_8397 Img_8401 Img_8404 Img_8434 Img_8636 Img_8437  Img_8637 Img_8639 黄色い花の名は、春の始まり「まず咲く」から「マンサク」という。漢字は「満作」、稲の豊年に通じる「豊年万作」の「マンサク」。春の先がけ「馬酔木」も咲く。どう読む、漢字テストでよく出る。答え「アセビ」。馬が食べると、酔ってフラフラする木だからという。

 

 24節気の啓蟄すんで、春を誘う草花が咲きだした。平安神宮そばの図書館へ、養老孟司さんの「バカの壁」返却に行っての帰り。瓢箪がぶら下るカフェ「瑞庵」店前の庭木、「マンサク」「アセビ」だった。まだ寒いのに、しんどいのに、一日に8千から1万歩のバカ歩きは、養老さん効果?どこへもようろうとせず、鴨川べりへ出て、五条大橋まで歩き続けた。

 

 柳が糸のようにしだれて青い芽を吹き出し、風に揺れている。ユキヤナギも白い雪をかぶるように名前とおり花芽をつけている。朱色の小さい花、ええっと、何だっけ。アレ、ホレ、ハレ…、そうや「ボケ」やがな。ダレが?花が!。漢字で書いて「木瓜」。覚えといてや。五条大橋北西の公園に「ハクモクレン」の木が3本。銀色の棘の皮を脱いで、白いタマゴのよう。♪~コブシ咲くもう春なのにあなたはこない~♪の、あのコブシより早く咲いている。

 

 ※ 歩きは3月7日。今は花の開花進む。

 

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2021年3月 9日 (火)

野見山、梅棹、石本、生誕100歳展相次ぐ

Img_8294 Img_8226 Img_8296 Img_8326 Img_7934 Img_7958 Img_7985 Img_7990 Img_8324 Img_8325_20210307092001Sensei41 その世界で、その名を知られる三人は、おない年だった。大正9年、西暦1920年生まれの生誕100年。洋画家の野見山暁治さん、民族学者の梅棹忠夫さん、日本画家の石本正さんである。いま、現役の野見山さん、黄泉の梅棹さん、石本さんの生誕100年展が相次ぐ。

 

 日本の国勢調査、大正9年に始まった。100年後のいま、人口は2倍の1億2千万人、寿命も40歳代から80歳代へ。スペイン風邪が収束の頃、三人誕生である。野見山100歳展、京都高島屋で開催中。作品は大胆で、のびやか。ご本人も会場に顔を見せ、絵を描くことが生きること、コロナに殺されてたまるか~と話す。飄々として、まだまだを思わす。

 

 京都の西陣生まれ、京大卒の梅棹生誕100年展は京大総合博物館。会場に未開のモンゴルなど世界を巡った地球地図。~なんにもしらないことはよいこと~の言葉がある。調査、思考、分析だという。京都市芸大卒、京都で制作活動の石本正さんは、ふるさとの島根県立美術館で生誕100年回顧展。知人から4月開催のチラシが届いた。裸婦の舞妓さんなどが出る。「絵をかくよろこび」~の著書がある。それぞれの生誕100年展、今の今である。

 

 ※ 野見山暁治、福岡県飯塚生まれ、文化勲章受章。高島屋展は3月15日まで。 ※ 梅棹忠夫、没年90歳、文化勲章受章。京大博物館展は3月14日まで。 ※ 石本正、島根県浜田市三隅生まれ、没年95歳。地元に石正美術館がある。島根県立美術館展は4月2日から5月24日まで。

 

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2021年3月 8日 (月)

出歩き発見のシーンを撮る

Img_8199 Img_8249 Img_8245 Img_8212 Img_8218 Img_8246 Img_8211 Img_8224 Img_8225 映画、小説の場面、場面がシーンなら、ぶら歩きで見る光景、風景もシーンである。コロナ禍、緊急事態宣言の解除に延長、世の中はまだシーンとしている。日常再びを思い、春待つ弥生3月。日課の如く、町ナカ出歩きで見つけたシーン、デジカメで撮って、記録した。

 

 気温15度、陽光きらめく日、光の春と若者の春に出会った。祇園、四条花見小路の一力茶屋の紅ガラ塀で、袴姿の卒業女学生が後ろ姿の写真撮り。鴨川の堤では、男の子が腹ばいになっている。ローアングルの彼女撮り。寺町商店街の真ん中、若者男性の輪、元気がある。どのシーンも若さの明日、いいね。まだコロナ、注意しいや~はアーケードの下に出ていた。

 

 見上げた新京極の垂れ幕、裏表でコロナ書きシーン。「ぶぶ漬け食べんと早よ帰りや」「鴨川堤の距離間隔、あれが大事、得意やろ」。京都の日常、コロナ注意にピッタリ。裏の幕は感染予防と新生活の呼びかけ。寺町のお寺さん掲示板。空也寺は「与うるは受くるより幸せなり」。絵師・若沖ご縁の宝蔵寺は「苦も楽も心一つの置きどころ」。思わず足が止まる掲示シーン、これぞ啓示なり。どこのお寺か。「帰ったら手洗いうがいお念仏」。座布団一枚!。

 

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2021年3月 7日 (日)

蹴上の噴水

Img_7826Img_7836 Img_7843_20210304094601 Img_7855 Img_7861_20210304094701 Img_7851 Img_7865_20210304094901 Img_7864 Img_7863 Img_7862_20210304095201   朝も昼も晩も、シュシュ~シュシュ、高く高く、水を噴き上げている。年がら年じゅう、しばしも休まず、槌音でなく水音が続く。はるばる琵琶湖から来た水。トンネルを幾つも超え、35㌔もの水路をたどって、やってきた。動物園前、琵琶湖疎水記念館前の噴水である。

 

 山科駅で乗った地下鉄、蹴上駅で降りた。改札を出て、足はどこへ行くのか、その日まかせである。南禅寺、無鄰菴、動物園、平安神宮…悩んだ足は琵琶湖疎水100周年で出来た琵琶湖疎水記念館だった。明治23年(1890)に完成、131年の疎水の歴史が甦る。入場無料、久々に入り、発電、舟運、工業…京都人にとり琵琶湖の水の恩恵、改めてである。

 

 噴水は、インクライン舟溜まり。舟を台車に乗せて、太いワイヤロープでケーブルカーの如く動かしていたドラム工場へ行き、真ん前から見た。どこから見るより一番近い。高さ10㍍、噴水の穴は七つかな、八つかな。噴水、図解入り説明が出ている。電力は一切なしだという。琵琶湖疎水を管に通し、小さい穴から水の圧力でギュギュッと押し出す。水鉄砲と同じだという。春夏秋冬、休みなしの噴き上げ100年以上、ギネス登録が待っている。

 

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2021年3月 6日 (土)

ソール・ライター

Pdk Wjk Gfm Img_8006Img_8007Img_7511Img_7510_20210303100601 Img_8008 Img_8186 Img_8017_20210303094101  Img_8189 雨粒のガラスに黒い人影、黄色い車も走っているようだ。薄紅色の傘の向こう、水びたしの道路だろうか。一瞬きったシャッターは絵筆、写真が絵画になっている。ニューヨーク5番街、住む町の日常をさりげなく撮り続けた写真家、その人の名はソール・ライターという。

 

 展覧会名は「永遠のソール・ライター」。加えて~ニューヨークが生んだ伝説の写真家~と、副題をつける。2017年、東京渋谷で初めて展覧会開催、7万人の人を集めた。写真集は16刷を超えた。去年、同じ渋谷でアンコール開催して、コロナ禍でニューヨークに戻れず、京都伊勢丹へ巡回開催している。コロナチャンス、世界で評判の作品を見に行った。

 

 画家から写真家へ、ファッション写真で名を成すも、注文されるのを嫌がり、53歳でスタジオを閉じた。姿を消し30年、83歳で写真集が出て、再び脚光を浴び、没後の今も尚である。若い鑑賞者が多い。独自のアングル、カラー写真のパイオニアと言われる作品が並ぶ。ライターは「見るものすべて写真、人間の背中は正面より多くを語る」という。ソールは韓国でなく、ライターは作家でない。永遠の写真家、それが、ソール・ライターである。

 

 ※ ソール・ライター(1923-2013)米ピッツバーグ生まれ、23歳からニューヨークで暮らす。ライター財団設立、8万点余の写真整理中。京都伊勢丹展は3月28日まで。 ※ ライターの半生を描く映画「急がない人生で見つけた13のこと」。京都シネマで11日まで上映。

 

 

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2021年3月 5日 (金)

ぼたん鍋

Img_8144 Img_8152 Img_8142 Img_8146 Img_8147 Img_8154 Img_8157 Img_8160 陶器の狸が入り口の庭にいる。玄関開けると、剥製の立派な雄鹿が出迎えた。暖かい部屋へ入って、主役の猪肉である。「シシ肉」といい「ぼたん鍋」という。肉厚の赤みと白い脂み、大皿の盛り付けが牡丹の花が開くよう。滋賀県甲賀信楽の入り口、茶所・朝宮の山里である。

 

 牛肉も豚肉がなかった昔、肉と言えば、猪肉だった。仏教伝来でご法度になったが、それ以前、日本書記、古事記に食したという記述がある。発祥地は丹波篠山と言われるが、甲賀の信楽も狸、朝宮茶だけではなかった。大津の知人に誘われて、瀬田川の令和大橋超え、信楽川沿いに進み30分、甲賀警察朝宮駐在所を見下ろし、創業50年のぼたん鍋屋さんだった。

 

 赤味噌仕立て、野菜の具たっぷり。猪肉は、高タンパク・低カロリー・低脂肪で、体重にもヘルシー。お腹が膨らんた頃、ぼたん鍋はジビエか否か~同級2人の論争に。ぼたん鍋は日本古来の料理、ジビエは仏語の野生鳥獣の食肉。~同じや、違う~互いに譲らず、そのうち、肉は鍋から食べ消えた。猪肉は貧血予防、免疫効果もあり、江戸の俳人・蕪村は「静々に五徳にすえにけり薬食」と詠んだ。掛け算はシシ16、花札は猪鹿蝶と出た。

 

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2021年3月 4日 (木)

展覧会は「新聞人のまなざし」

Th_20210301093901 220pxueno_seiichiImg_7786 Img_7793_20210301094201 Img_7785 Blog210218_09 Img_7795 展覧会のタイトルが「新聞人のまなざし」という。横文字は「TheNewsman‘sEye」。ぶら歩きでよく通りがかる三十三間堂前、京博の展覧会である。「雛まつりと人形展」と同時開催。政治、経済、社会、文化…、どんな眼差しの新聞人か、鑑賞に入った。

 

 上野理一さん、号は有竹。朝日新聞創業の一人、村山家とで朝日株を4割持つ上野家の祖。息子の精一氏は村山龍平氏の次の社長。新聞人は新聞人でも、中国と日本の美術品を収集する経営の新聞人だった。理一さん所蔵の国宝「山越阿弥陀図(やまごしあみだず)」を精一氏が国に売却、その原資で美術研究の財団をつくり50周年、事務局が京博にあるという。

 

 記者、印刷、販売、広告、事業、そして今、苦境の経営と、新聞人さまざまである。展示会場は2階、国宝4件、重文7件など、貴重な日中の書画展示が並ぶ。京博所蔵、チラシの「山越阿弥陀図」。阿弥陀さまが山のかなたで死者を迎える姿を描いているという。国宝、じっくり見た。書聖・王義之の冊子。書き出しに「十七」の二文字で「十七日先書」という。書聖の筆跡、これがしょうか~と見た。経営新聞人の眼差し、稀代のコレクションにあり。

 

 ※ 展覧会は3月7日まで。

 

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2021年3月 3日 (水)

高槻市の安満遺跡公園

Img_7693 Img_7701 Img_7721 Img_7703 Img_7712Img_7724 Img_7714 Img_7720 Img_7719  Img_7746  地名、地元では知られていても、初めてだと読めない。摂津の国、高槻市にある安満遺跡公園の「安満」。「あんまん」「あんみつ」かな~と、確認すると「あま」。英語表示で「ama site park」、国史跡指定の遺跡である。あまり知られていないと、甘くは見てはいけない。

 

 京都から高槻へ、駅の直前、高架の阪急車窓から見える。並んで走るJRとの間、巨大な遺跡公園が広がる。甲子園球場5倍の22㌶。10年かけ整備、2年前に部分開園して、この3月27日に遺跡を含め、完全オープンする。大阪へ行くおり、車窓から目に入りずっと、どんな遺跡公園だろう~だった。高槻市で知人画家のグループ展帰り、ぶら歩きで行った。

 

 阪急の駅から東へ8分、JRからだと10分。所在は高槻市八丁畷、読みは「はっちょうなわて」。知らない地名知ると、賢くなった気がする。ひとりで咳払い、ゴホンでないエッヘン。昭和3年、京大農場づくりで発見の弥生時代の遺跡。環濠まわり竪穴式住居、外に稲作水田、さらに墓地…800年間「安満ムラ」があった。公園内歩いて、ステージ、遊び場、レストランなど広い、広い。発掘調査は50回、今なお続き、土器が出てドキドキ?という。

 

 

 

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2021年3月 2日 (火)

京町家、生活道具の蔵出し初公開

Img_7475 Img_7800_20210228110701  Img_7480 Img_7486_20210228105901Img_7492 Img_7491_20210302071801 Img_7489 Img_7801 Img_7488 Img_7803 Img_7804 Img_7806 Img_7807   江戸から明治にかけてか、京町家の蔵から生活道具が出た。青錆びた土瓶、煙草盆、徳利、糸巻、大皿、五つ玉算盤に棹秤り、どれほどあるか、はかり知れない。五段飾りの雛人形、お琴もある。京都市芸大の学生さんが企画した「田中家七条町家ものがたり」を覗いて見た。

 

 田中家は、平安時代の仏師・定朝らがいた七条仏所跡に建って、200年以上の町家。玄関の庭に京都市が建てた「七条仏所跡」の駒札がある。京博から京都駅へのぶら歩き、鴨川、高瀬川渡り、七条高倉の南西角、信号待ちのおり、2階建ての町家、白い山茶花の咲く庭を見ていた。京都市美がこの辺りへ移転、環境デザイン専攻学生のテーマ演習企画という。

 

 今の当主は田中尭さん。無料入場、表戸開けて入った。三和土があり<多奈可>の暖簾。江戸時代は畳屋さんか「文化」の文字ある箱書き。火鉢番の学生さんが案内と説明。机に紐で結んだ古い銅貨、銅銭、現金化はどうか?。階段上がって2階に田中さん。「学生さんに頼まれ、忘れていた蔵出しです」と。大きな蔵が2階から見える。二つ部屋、生活道具が並びきれないほど。あれもこれもの蔵出し…目移りクラクラ。

 

 ※ 田中家は東本願寺御影堂建て替えのおり、資材置き場になり、お礼で材木が寄贈。高瀬川工事の角倉了以が在宅したのでは~と田中さん。 ※ 展示は2月28日で終わった。

 

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2021年3月 1日 (月)

最後のびわ湖毎日マラソン

Img_8021 Img_8027 Img_8046 Img_8052Img_8064 Img_8065 Img_8069 Img_8081 Img_8077 Img_8079  風が吹いている。静かに誇らしそうに吹いている。比叡山から、琵琶湖から、よくやった、よく走った~と吹いている。今回で幕閉じ、伝統の第76回びわ湖毎日マラソン。大津市の皇子山競技場、最後の最後に日本新が出た。余韻に浸りに2時間後に行った競技場、まだ「新記録の風」は吹き続けていた。

 

 朝9時、NHKTVの中継。スタート前、ヘリで皇子山競技場が大写しになった。アベベ、ショーター、瀬古、宗兄弟らがびわ湖岸を走り、ゴールした競技場である。記録が出ないといわれ、今回で大阪マラソンと統合、最後だという。三日月滋賀県知事が号砲、レースが始まった。瀬田の唐橋を超え、南郷洗堰回って、気温よし、風よし、びわ湖よし…近江商人は三方よし。

 

 復路、先頭集団の快ピッチが続き、伏兵の富士通・鈴木健吾選手が36㌔で抜け出て、さらにスピードあげ、2時間4分56秒でテープを切った。4分台、歴史的な日本新。ゴールする選手、ゴールする選手…自己新が続き、2時間10分以内は42人も~である。どんな風が吹いたのか。京阪京津線で自宅の山科から浜大津で乗り換え、石坂線の大津市役所駅で降り、真ん前の皇子山競技場へ。大会撤収中、選手はいない。風さん、大会はまだまだ~と吹いていた。

 

 ※ 第76回大会は2月28日、競技ランナー370人余が参加。気温7度、東北東の風1・2㍍、曇り。優勝の鈴木選手は愛媛・宇和島東高校から神奈川大3年、箱根駅伝2区区間賞。

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