「鴨川の橋の名前と歴史を答えなさい?」
何年も続く人気の京都検定で、鴨川に架かる橋の写真を幾つか載せて「この橋の名前と橋の歴史を書きなさい」って、問題を出したらどうだろう。そんなことを考えながら、冬の晴れた日、鴨川左岸の遊歩道を歩き、出て来る橋を端から端へ?、順番にデジカメ撮りした。
暮れに高校駅伝、年明けに女子駅伝のランナーが走り抜ける丸太町橋。頼山陽が橋の西北側に庵を構え、そこから見る景色を「山紫水明処」と名付けた。橋の由来は、材木の売買をする通りで、明治期には丸太の橋がかかっていた。今は河川改修で土嚢が積みあがる。橋のたもとに京都市歴史資料館の写真コピー看板。そう書けば、記述式第1級、ピンポン!。
国道1号の五条大橋から堤へ降りて、1日目は下流へ上鳥羽大橋、2日目は上流へ北大路橋まで、JR、近鉄の陸橋含め、橋の数は20本以上だった。かつては市電だけが通った葵橋、ふるさと納税などで改修中の三条大橋、後ろの正面だあ~れ!で京大仏さんだった正面橋、読むのもが難しい団栗(どんぐり)橋に地下鉄駅ある水鶏(くいな)橋、明治以来で現役最古の七条大橋…、それぞれに橋形と橋の歴史がある。上の写真を見て、いざ解答!。
※ 鴨川は昭和9年(1935)の室戸台風で、五条大橋などが流され、祇園一帯が泥水化、昭和10年から20年に大改修され、今の形態になった。
最近のコメント