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2020年10月

2020年10月31日 (土)

光秀ゆかり、ドドンと明智太鼓

Img_0089 Img_0091 Img_0156Img_0098_20201031065401 Img_0103Img_0105 Img_0107 Img_0111 Img_0117 Img_0157   顔真っ赤、赤鬼のような閻魔さん。国宝「六道絵」の一つという。ドドン…ドンと大きな陣太鼓。明智太鼓という。重文の十一面観音。そう拝観できないという。開館30周年を記念する大津市歴史博物館の「聖衆来迎寺と盛安寺―光秀ゆかりの社寺」展へ行った。

 

 歴博は企画展、地元作家の絵画展など何度も行っている。京阪石坂線、昔は別所駅、今は大津市役所前駅。びわ湖毎日マラソンの皇子山競技場の向かい、市役所、警察学校超えて行く。穴生の石積み、お城のような階段上がって博物館。大津絵、近江八景など常設。真下に大津商グラウンド、向こうに琵琶湖。西にグリーンの競艇場、対岸は三上山が△に見える。

 

 開館30年記念展、歴博も力が入る。♪~おいらはドラマー~♪の、大河ドラマ・麒麟がくる。時代に嵐を呼んだ光秀を絡めている。チラシは日本語、英語、中国語、韓国語の4か国づくり、語学勉強?。「六道絵」は全幅公開、閻魔庁図、地獄図、飢餓道図…がこれでもか、これでもか…と並ぶ。怖い、恐ろしい。十一面観音像は、写真撮影ができる。鑑賞者サービス、これはやさしい。フロアでは「六道絵」がコピーで再展示。解説付き、生き方問い直し。もう遅い?。

 

 ※ 聖衆来迎寺の表門は坂本城の城門を移築。信長叡山焼き討ち前、情報あって、仏像など運びだし、国宝・重文多く、「近江の正倉院」と言われる。盛安寺は光秀位牌、光秀陣太鼓があり「明智寺」とも言われる。平安時代、十一面観音立像が重文。井上靖の小説「星と祭り」でも知られる。 ※ 歴博記念展は11月23日まで。

 

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2020年10月30日 (金)

琵琶湖カラ―車両、カウンダウン

Img_9985 Img_9997 Img_0001_20201029114601 Img_0010_20201029114601 Img_0063 Img_0066  Img_0081 琵琶湖の水面と同じパステルカラー車両があと少しで姿を消すという。京阪電車大津線はこの4年間で、本線と同じ濃い緑の車両に順次切り替わっている。~見納めが近づいている~と、世相の出来事を載せる朝日新聞社会面「青鉛筆」で知って、デジカメで撮り鉄に出かけた。

 

 JRと地下鉄とバスと隣りあう京阪山科駅、JRターミナル側へ踏切がある。ガンガンガン、踏切が下りた。京都側へ上りが来た。デジカメ構えた。何色?ああ、切り替わりの濃い緑か。ガンガンガン、今度は琵琶湖側の下りがホームから来た。これこれ、水色、水色…白に黄色のラインも入っている。4両編成のいい色、遮断機の前を通って、琵琶湖へ行った。

 

 京阪電車は濃い緑色が電鉄カラー。大津線800系、石山・坂本の700系も車体をすべて塗り替え、来年度には全線統一になる。京都市地下鉄に御陵駅で乗り入れの大津線は、この11月11日で切り替え完了、水色カラー登場は前日までという。あと10日余り、今もう濃い緑色がほとんど、水色は4本に1本に減っている。次の水色車両を待つこと30分、40分…本屋行ったり、琵琶湖疎水へ歩いたり、ホームへあがったり…、水色車両よ、さようなら。

 

 ※ 京阪電車は11月8日、大津線四宮駅車庫で、新旧車両の撮影会開催する。限定50人、5千円。

 

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2020年10月29日 (木)

信長の造った二条城

Img_9608 Img_9609 Img_9610 Img_9611 Img_9612 Img_9616 Img_9617 Img_9618 Img_9918 灯台下暗し~と言うのか、知らなかった。昔からよく行く京都御苑の中、信長が築城した旧二条城があったという。NHK大河・麒麟がくる第28話「新しい幕府」。次回予告あとの番組紀行で、旧二条城跡を示す御苑の石塁が映った。これは不明、行かねば~と見つけに行った。

 

 いまの二条城は世界遺産の国宝。家康が造り、慶喜が大政奉還、徳川幕府栄華盛衰のお城。国宝二の丸御殿、観光客が多い。地下鉄の二条城駅もある。固定観念、二条城と言えば、ここと思ってしまう。大河の番組紀行見るまでは、永禄12年(1569)に信長上洛、室町幕府15代将軍・足利義昭のために造った二条城があったとは…だった。

 

 スマホで旧二条城と検索、地下鉄丸太町駅から御苑内へ入った。西南側、門のない椹木口の近く、わかりにくいが、TVで映った現場があった。ステンレス板の説明もあった。洛中の社寺など築材集め、70日間の突貫作業で三重天主のお城を造りあげたという。ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが目撃、記録していた。この現場から西北、平安女学院のある室町下立売通かど、「此之付近・旧二条城跡」の石碑もあった。ここも何度も、何度も…通っていた。

 

 ※ 信長築城の二条城は395㎡、平安女学院は丸ごと。西は2年後、文化庁になる旧府警本部、府庁などある。二条城は現存の家康築城ほか、信長二度、秀吉も一度造って、合わせて4度の歴史を持つ。 ※ NHK大河麒麟28話は10月18日放送。

 

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2020年10月28日 (水)

猫またネコ

Img_9757 Img_9758 Img_9759 Img_9768 Img_9769 Img_9771 Img_9903 Img_9905 Img_9908 Img_9912   犬猫と読む。裏表、右左とも読む。なぜか猫犬とも、表裏、左右とも読まない。その順番、なんでかな?、言い慣れなのだろうか。そんなこと思い、猫人気にあやかってか、京の台所・錦市場に新規進出の和猫雑貨「猫まっしぐら」店を覗いた。猫またネコ、ニャンニャンしている。

 

 ペットランキング、ずっと犬が猫に勝っていたが、このところの高齢社会、一人暮らしで、猫が逆転しているという。猫、散歩に連れ出さずにすむ。食事代、犬ほどガツガツせず安い。古今東西、あのクルンとした尾っぽ、幸せを呼ぶという。猫人気の経済効果、関西大・宮本名誉教授によれば、アベノミクスを上回る「ネコノミクス」は2兆3千万という。ニャンとなあ。

 

 「猫まっしぐら」店、一日目標8千歩のぶら歩きで知った。四条通りの柳馬場から北へ一本、錦通りの角っこ。店の白壁に松、蔵に猫が寝そべる。インスタ映えする。千両猫がズラリ、ばんざい猫にカップ猫、マスク猫もいる。新企画のグッズ猫、次から次で70種という。和猫ばかり。三毛猫ホームズがいる。黒猫タンゴがいる。丹後でダンゴ?。ドラ猫?いない。店は箸屋さんと同居、端に置けない?。多すぎて、♪~ネコふんじゃった、ネコふんじゃった~♪。

 

 ※ 「猫まっしぐら」の本社は東京・千駄ヶ谷のTheIchi(座市)。箸や万作、北斎グラフィックなど伝統工芸と現代デザイン融合の商品を出す。「猫~」は京都・二年坂、東京・浅草など全国5店舗。

 

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2020年10月27日 (火)

駒札数、日本一

 Img_9580 Img_6796 Img_6842 Img_7034 Img_7045 Img_7215 Img_9168  Img_7272 Img_7371 将棋の駒を象った故か。社寺、名所旧蹟を説明する駒札には、よく一手、二手先の出来事が書かれている。例えば、龍馬、慎太郎暗殺の旧近江屋跡。<ここで龍馬30歳、慎太郎32歳で命絶えた1か月後、大政奉還の号令が下った>。歴史の皮肉を感じさす記述である。

 

 歴史文化観光都市・京都市は<ここは……>で始まる駒札が日本一多いという。市によると、この5年間で250カ所増やし、いま市内全体で750カ所。歴史を甦らす現場、どう表現するか。ひょこりひょうたん島、吉里吉里人の井上ひさしは「難しいことを優しく、優しいことを深く、深いことは面白く…」と書く。駒札に、その時代、その人物をどう解きほぐすか~である。

 

 本能寺、三条大橋、新京極、与謝野蕪村宅、泉涌寺、藤原俊成宅…、日々の出歩き、ついつい駒札の記述に目がいく。四条通りの円山応挙旧宅。<門人千人、呉春と京都画壇を2分。国宝・保津川図描いて63歳で没した>。JR山科駅近く旧東海道。<近くにあった奴茶屋、平成21年に惜しくも廃業>。京都御苑内の土御門邸跡。<藤原道長が、この世をば我が世と思ふ…>と詠んだ屋敷跡。そうか、そうか…と学ぶ。先読みの一手、困ったら駒札?。

 

 

 

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2020年10月26日 (月)

ポテル、寿寿、551……

Img_9176_20201025094101 Img_9513 Img_9596 Img_9152 Img_9142 Img_9391 Img_9629 店名、ポスター、商品名…、これは!と思うフレーズがある。長くても足がとまる。目も丸くなってとまる。デジカメも向けてしまう。意表つく言葉あり、謎かけあり、新語あり…。閑やだしの素の日々、出歩きで見つけたフレーズ、一つ二つ、いや、三つ四つ紹介しよう。

 

 「ホテルじゃありませんポテルです」。京都駅構内、JR西日本のポスター。梅小路に銭湯×ゲーム×カフェの新しいポテルが出来たと。新語でポテル。何か恥ずかしくて、顔までほてる。「焼肉寿寿」。京都駅南・八条口あたりのお店。鉄板でジュジュ…、めでたさを上手さに変えて巧い。「551」。豚まんは午後一番、オーライ、ホーライどこでも長い列あり。

 

 「ヘタな標札屋」。京都新京極、ヘタや、ヘタやと看板が増えている。ホンマはうまいちゃうと思わす。逆も真なり。「すずなり」。裏通りのカフェ、がらんとして、逆にならず?。「きゅうきゅう」。JR琵琶湖線石山駅近くの魚料理の居酒屋さん。野球のきゅう、病院救急のきゅう…とオーナーは店名説明。「9999」。サッポロビールの酎ハイ、フォーティナイン。大阪天王寺の一軒め酒場で登場。9杯飲んでも、苦にならない。殿もくるしうない。ダジャレが過ぎると、苦しい。

 

 

 

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2020年10月25日 (日)

立ち姿5・4㍍のお釈迦さん

Img_9639 Img_9560   Img_9556 Img_9552 Img_9547 Img_9543 Img_9542 Img_9538 Img_9537  なるほど、首筋に寝首を搔かれたあとがある。即位争い、刺客に狙われた後水尾天皇の身代わりという。なるほど、指の爪がすごく長い。衆生を一人でも多く救うためだという。宇宙服のような防火シート。大きくて運び出せないので丸ごと被せるという。なるほどなあ~。

 

 京都東山・真言宗泉涌寺の塔頭、戒光寺の釈迦如来立像である。鎌倉時代、運慶・湛慶父子が合作で造った。極彩色、寄木、国の重文。立ち姿は5・4㍍、蓮の台座から火焔の光背まで10㍍、ビル3階の高さという。この秋、京都非公開文化財の特別公開中。特別協力の朝日新聞が紙面1頁の半分以上を使って、お釈迦さんを縦長の写真で掲載、見に行った。
 
 京博、智積院のある東山七条から南へバス停で二つ、泉涌寺道で降りた。だいぶ坂道を上って、皇室ゆかり「御寺」の冠がある山門すぎ、すぐ左側の塔頭である。開基からあと2年で800年の古刹。お寺は八条大宮から一条戻り橋、さらに三条河原町と移り、350年前にここへ~という。応仁の乱で焼けてもお釈迦さんだけは難を逃れ続けたてきたという。「この釈迦立像は高さ、世界一です」などと説明を聞き、アゴを伸ばして、見上げて、また、なるほどなあ~。

 

  ※ 戒光院特別公開は11月1日まで。拝観1000円。

 

 

 

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2020年10月24日 (土)

大阪谷町筋に「義士の寺」

  Img_9489   Img_9475 Img_9476  Img_9477 Img_9479    Img_9480 大阪天王寺、谷町筋に「義士の寺」がある。禅宗の吉祥寺。刃傷松の廊下でお家断絶した播州赤穂・浅野家の菩提所という。塀が義士討ち入り装束の山形ダンダラ模様。赤い表門が開いている。そっと境内へ入った。内匠頭と義士のお墓、内蔵助石像、討ち入り石工を見た。

 

 聖徳太子創建の四天王寺を出て、谷町筋を夕陽丘から9丁目まで歩いて~だった。最初はダンダラ模様見て、新選組かと思ったが、表札は「義士の寺」。~時は元禄14年、ベンベン…~で始まる忠臣蔵である。お寺のある町名は六万体町、どこか謂れありそうな。内蔵助祀る大石神社、隠棲の岩間寺は自宅の京都山科にある。どうして、大阪天王寺に義士寺、なんだろう。

 

 境内に説明板があった。お寺の開基は寛永7年(1630)、11代住職が播州赤穂から着任、浅野家とご縁が出来た。山号は高輪泉岳寺と同じ「万松山」。参勤交代で、内匠頭が寄り、討ち入り後は、寺坂吉右衛門が遺髪、遺爪を託したという。日曜の境内はひっそり、一人見て回った。芝生側に平成14年(2002)討ち入り300年記念の絵巻の石工彫刻。エイヤー、47士の戦いぶり見ごたえがある。毘沙門天を本尊、仇討ちの意志が石に伝わっていた。

 

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2020年10月23日 (金)

「1軒め酒場」

Img_9387 Img_9388   Img_9403 Img_9401 Img_9397 Img_9399  Img_9398 Img_9392  Img_9389  本日おすすめの店前看板は、好きな穴子天やし、スマホの充電もしておきたいし、店名も面白そうやし…と入った。大阪は天王寺、谷町筋にある「一軒め酒場」。店名の一軒目の目が、平仮名で「め」。赤地の白抜き。客を誘う一軒目の「め」、よく目立つ。

 

 昼から呑める全国ネットのお店だが、京都にはない。スマホ検索すると、居酒屋の草分けの一つ、養老乃瀧グループ。東京中心に86店舗、大阪では難波、心斎橋など8店舗ある。~ひとりです~と、声かけて入ると、女性店員さん出て来て「手の消毒と検温お願いします」。事前チェック、コロナ対策が徹底している。検温パス、隣と一席空いたカウンターへ。

 

 まず穴子天と頼むと「売り切れました」。仕方がない。壁貼りメニューのチキン南蛮とハイボールにして、柱下の差し込み充電。店舗は入り口から奥へ奥へ、細長い。日曜の昼過ぎ、店員さんはまだ2人。TVは辛坊治郎さん、チキン南蛮が遅くても、ここは辛抱?。一人でもジロウ?。充電も時間かかる。もう一品、野菜対策で山盛りもやし。好奇心兼ねて入った2軒め?なしの1軒め酒場、充電完了のレジは1001円也。1円玉の旅がらす?。

 

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2020年10月22日 (木)

聖徳太子の四天王寺へ行く

Img_9473Img_9471 Img_9415  Img_9417 Img_9419  Img_9421 Img_9433  Img_9440 Img_9451 Img_9452  飛鳥時代に聖徳太師が創建の大阪・四天王寺へ行った。仏教など仏法が始まった官寺、2年後太師没年1400年迎える。秋晴れ、空も心も澄んでいる。地下鉄上がった参道、飛び出し注意看板、お好み看板は太師イラスト、参拝土産は太師餅…、さすが、たいしたもんだ。

 

 お札と言えば、かつては聖徳太師。千円、5千円、1万円…紙幣登場数は一番という。太師さんの古紙幣、生誕1400年記念?、値上がり中とか。推古天皇のおり、20歳で摂政。憲法17条、冠位12階の制、遣隋使に遣唐使。全国回って、法隆寺はじめ、社寺建立多く、教えは「和を以て貴しとなす」。平和国家、文化国家…、今を以て尚、仰げば尊しである。

 

 周辺、夕陽丘の地名。春分、秋分の日の夕暮れ、西門の石鳥居は極楽浄土に輝くからという。中門、五重塔、金堂、講堂と一直線に並ぶ伽藍は、中国に倣う最古の四天王寺方式。戦火と災害による再建は、昨日今日…飛鳥から8度という。高さ31㍍、朱色の五重塔の向こうにあべのハルカスが見える。赤の阿像、青の吽像の仁王さん、奈良大仏についで大きい。境内に太子没年1400年の寄付者名簿、5百万一口、百万一口…、お札はこれから、これから~。

 

 

 

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2020年10月21日 (水)

町はずれの青空ギャラリー

Img_9193Img_9202Img_9205 Img_9217 Img_9216  Img_9212 Img_9210 Img_9204 Img_9215_20201020085001 Img_9218 大阪弁で、奇妙、変、不思議なことを「けったいな」と言う。滋賀の湖東、東近江市の八日市の町外れ、田んぼ広がる十字路。令和おじさんから総理になった菅さん、両陛下ら皇室の皆さんの似顔絵看板、ロボット、彫像の錦鯉…、なんでここに?、何かけったいな?。

 

 合併前の旧湖東町へ、近江鉄道八日市駅前からの「ちょっこっとバス」は出た所、昼間なので、次は2時間後という。愛知川を渡って北東方向、歩いて1時間半と聞いて、それならと歩いた。大凧と緑のサイクリングコース、中高一貫の滋賀学園が見えてきたあたり、ちょっこっとバスの通る道である。入場無料の青空ギャラリー、けったいさに見惚れ、道草した。

 

 皇室の皆さんの似顔絵、近くに皇室ゆかりの建部日吉神社があるからか。お伊勢参りの御代参街道もある。看板に「猛打の滋賀学園、快進撃―建部まち協」と掲示がある。作品は地元の皆さんだろうか。動かないロボット、風で眼だけがクルクル回る。厚ガラスの池の中、大きな錦鯉二尾は泳がない。似顔絵、うまい。安倍首相夫妻、中曽根さんには逝く!の注釈、大リーグのイチローさんもいる。けったい、面白い、けったい、面白い…もう歩かないと。

 

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2020年10月20日 (火)

野洲の炭火焼き「いのや」

Img_9309 Img_9311 Img_9310 Img_9314 Img_9313 Img_9318 炭火焼き居酒屋「いのや」の井上さん、笑うと細い眼がまた細くなって「一」になる。大津のスタンド林屋から独立、野洲で新規開店して1年経った。東近江市の湖東帰り、細くなる眼を見に行った。10月8日、39歳になった所という。眼はなんども「一」になった。

 

 JR野洲駅、びわ湖側改札から東へ歩いて5分。電車車庫があって、野洲どまりの電車が多い。住友財閥の伊庭貞剛、広瀬宰平は野洲市の中主出身。ずっと、むかしは平家物語の白拍子・祇王がいて、芭蕉の師・北村季吟がいた。いまは、フォークの西川貴教が人気。人口は5万、野洲川が流れ、標高432㍍の近江富士がそこに見える。しゃれて、おいでやす!。

 

 行ったのは開店したとき以来。深い帽子、顔いっぱいのマスクで、わざと「井上たかよしさん、おられますか」と入った。井上さん、不審そうに「わたしですが…」。帽子、マスク取ると、眼が「一」になった。コロナで1か月以上、休んだけど、元気だという。炭火焼き、蛤と浅利よくでるという。関サバの炭火焼きにした。商標「いの屋」の屋は、スタンド林屋の屋、メニューの書きようも林屋に似ている。林屋で4年半、「どうしても似てしまいます」。

 

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2020年10月19日 (月)

ボルペン画は独自独創の10年

Img_9133 Img_9134 Img_9137 Img_9132 Img_9131 Img_9126 Img_9125 Img_9123 カンカンの中、ボールペンが1本1本、山のように重なっている。黒いインクがぜんぶ出て、ガラが白い。何本あるだろう。50本、100本、いや、200本。独自独創のボールペン画で10年。「これ、私の足跡、宝物です」と展示作品に合わせカンカン説明があった。

 

 京都駅の公共地下道、ストリートギャラリー。烏丸通りの七条通り下とむかしの警察署まであたり。通路両側の壁面に縦1㍍、横1・5㍍のガラスケースが20以上はある。東本願寺西南かどから入り、地下鉄、JR改札超え、八条口へ、よく通る。これまで大津絵や園児などの作品が並んでいたが、コロナのせいか、しばらく間が空いていて、久々の展示だった。

 

 展示のテーマ掲示はない。どこが主催なのかわからない。美術の秋、コロナの秋…人それぞれ、思い思いの出展?。歩きながら書、水彩、篆刻など見て、一番南側に魚屋さん営む上田繁留さん(68)の作品。ボールペンが織りなす書と画の融合「想思創画の世界」という。ボールペンの黒インク使いきって、南無阿弥陀仏、タトゥーの女、春夏秋冬…そのとき浮かび出た心象風景が作品になっている。発想楽しく、見ごたえ十分。鐘は三つ、カンカンカン!

 

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2020年10月18日 (日)

甲子園初勝利の「野球小僧」

Img_9301 Img_9302_20201017210501 Img_9306 Img_9303 Img_9293 Img_9291 Img_9188 Img_9180  戦後の昭和20年代後半、灰田勝彦は♪~野球小僧に逢ったかい~♪と歌い出した。男らしくて純情で燃えるような…オオ・マイボーイである。滋賀の湖東、近江鉄道八日市駅前、炭火焼き鳥店で「野球小僧」に逢った。滋賀県勢夏の甲子園初勝利、近江高校外野手だった。

 

 あの日、不思議と野球に縁があった。JR近江八幡駅で近江鉄道へ乗り換え、駅ホームで西武の主軸・森捕手の等身大タテカン。近江鉄道は西武鉄道の関連会社、PRである。東近江市に合併の旧湖東町では、昭和56年滋賀国体で空手競技初開催の湖東体育館を取材して、ぶら歩きで湖東スタジアムも見た。帰りの八日市駅前が「野球小僧」、飛び込みで入店した。

 

 焼き鳥店は脱サラ?店主の疋出久清さん。昭和56年、夏の第63回甲子園で、山形の鶴商学園と互いに県勢初の1勝掛けて戦い、勝ったという。青春の思い出、39年前という。この町の八日市高校は昭和28年、第35回、滋賀県勢で初めて甲子園へ出ている。近江高校初出場は滋賀国体の開催年、縁が重なる。近江八幡行き電車が出るまでの20分足らず、ハイボール、つくね、せせり…。疋田さん、がっちり明るく、話弾み、昔も今も店も野球小僧!。

 

 

 

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2020年10月17日 (土)

建築現場の写真展

Img_6739 Img_6737 Img_6736 Img_6741 Img_6740 Img_6742 Img_6744 Img_6746 Img_6735 現場には何かがある。事件と事故、現場がある。確認は欠かせない。撮影の現場…監督が目を凝らす。そこロケ?と言われかねない。歴史の何が甦るのか、文化財発掘の現場、ドキドキする。ビル建築現場の写真展、京都駅ビル7階東ひろばに展示してあり、現場へ見に行った。

 

 京都国際写真祭のひとつ、ファン・スンミンさん(53)の作品「足場と人が奏でるメロディ」である。作家のスンミンさんは台湾生まれ、漢字で「黄勝鳴」と書く。教員暦30年で、街頭スナップの一瞬一瞬を撮る写真家になり、ここ数年、建築現場に魅せられている。作業の現場と働く人々が尊いという。あっち、こっち、建築現場を回って撮ったモノクロ写真、どれもこれも高かった。

 

 展示の現場は、駅ビル東側からEVで上がって、駅ピアノ、駅ビル模型のレゴブロックの間だった。木枠でギャラリー特設してある。真ん前は高い京都タワー、風通しはよい。展示期間中、台風が接近、木枠ギャラリー残し、いっとき作品は避難したという。展示作品、写真の現場からメロディが聞こえるよう。足場は舞台、作業員はタレント、鉄筋、鉄骨は弦、枠組みは五線譜という。空中サーカスのような建築現場、尊い命がある。一瞬の写真がある。

 

 ※ 写真展は10月18日で終了。 ※ スンミンさんの建築現場写真は、2019フランス産業写真展で展示。

 

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2020年10月16日 (金)

秋の空と植物園

Img_9022 Img_9035 Img_9041 Img_9049 Img_9058 Img_9062 Img_9065_20201015092201 Img_9071 Img_9081 Img_9082 Img_9088 Img_9092 Img_9101 秋、天気図の主役は移動性高気圧だという。空は晴れて、ブルーに透き通っている。白い雲、広がったり、縮んだりしている。秋の移動性高気圧、東西幅は2500㌔と広い。清秋、秋高気爽。天気は3、4日ごと変化、きまぐれともいう。いまのうちと植物園へ行った。

 

 京都府立植物園、2年後に開園100年を迎える。園南側の正門付近にカフェ、資料室、築30年の観覧温室改修などと新聞に出ていた。入るのは、正門でなく、いつも地下鉄駅の北山口。入園者が圧倒的に多い。100年目で北山門が正門になるかもしれない。毎度のコロナ検温、消毒液だけど、緩んできた気もする。北山門で空を見上げた。青い、広い、高い。

 

 デジカメ撮りテーマは、秋の空と植物園。秋にしては気温が高い。28度台、太陽がカアっと照っている。それでも、湿度低く、爽やか。真っすぐのメタソコイヤ、大きな葉のカンナ、カイズカイブキ、ススキ、異名でチャイナタウンの赤いケイトウ。♪~上を向いて歩こう~♪、秋の日のひとりぼっち歩き。番外でスイレン、赤とんぼ、ヘリコプター。浮かぶ雲、見上げるたびに変化する。富士山雲、ゴジラ雲、渡哲也の浮浪雲…、秋の空はあきない。

 

 

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2020年10月15日 (木)

白い提灯と赤い提灯

Img_8708 Img_8710 Img_8728 Img_8716 Img_8722 Img_8711 Img_8718 Img_8734 Img_8733 Img_8719     赤い提灯はスタンド林屋、白い提灯はいざかっぱである。たそがれて、JR大津駅北口、びわ湖側の改札を出ると、勝手に足が行く。平和堂フレンドマート前を通って1分ちょっと。赤い提灯と白い提灯の間は50㍍。コロナの緊急事態宣言が出る前以来、半年ぶりだった。

 年上は林屋の林さん、41歳。大津で初の立ち飲み居酒屋開店して10年経つ。スタンド席の奥、座る席も出来て、店舗は広くなった。既婚。年下のいざかっぱ板倉くん、36歳。人どおり少ない大津市松本1丁目に5年前にビニールドアの居酒屋開店、1年半前に庭まである店舗に越してきた。未婚。赤と白、隣り合う居酒屋提灯、どこか、めでたい。仲もよい。

 

 白から赤へ、梯子した。ともにコロナで3週間休業したという。再開、二人のアゴマスクに変わりない。林さん、おすすめメニューで~今日はこれこれ~とベーコンと松茸の和風パスタを売り込む。「丹波松茸です」。」小鼻がピクリ動いた。変わりない。かっぱの旬メニューは秋鮭ちゃんちゃん焼き。どこの鮭?「オホーツク海です」。流氷と勘違い。林さんと年輪の差が出た。新メニュー、近江牛かっぱで写真撮り。顔全体にマスクを掛け直した。かっぱマスク!。

 

 

 

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2020年10月14日 (水)

満喫コース

Img_7491 Img_7490 Img_7494 Img_7497 Img_7501 Img_7504 Img_7505 Img_7510 Img_7512 お腹いっぱいで満腹、思い通りで満足。この二つあって満喫か。明治30年創業、大津の「近江牛かね吉」へ行って満喫コース。お通しでタタキ、ステーキでヘレとサーロイン、鍋はしゃぶしゃぶとすき焼き…。近江牛!もちろんのオブコース、もう?これ以上は~である。

 

 埋め立てで琵琶湖が小さくなった湖岸通り、県で一つのデパートが閉鎖になった西武百貨店の斜め前。近江八幡には、カタカタで「カネ吉」、こちらはひらがなで「かね吉」。ややこしいが、元は同じの暖簾分け、独自経営という。部屋は個室の料亭ふう。滋賀の方言、鍋料理のすき焼き「じゅんじゅん」の看板。玄関上がり、ほっぺが落ちる女性像が出迎えた。

 

 庭は花が散った萩が見える。部屋の衝立は~君待つと…~で始まる額田王の句。ずっと昔、職場の忘年会以来である。久々の大津、知人と入って、コロナで消費が減っているという近江牛の満喫コースだった。ちょっと値段はったが、思い切ってフルコース。もう、出るわ、出るわ…、ごはん、香の物、仕上げはしゃぶしゃぶにうどん、すき焼きのじゅんじゅんにもうどん…、お腹いっぱいでもう満腹、思い通りでもう満足、これぞもう十分の満喫コース!。

 

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2020年10月13日 (火)

変わり行く建都大津

Img_8652 Img_8654  Img_8661Img_8676 Img_8663 Img_8666 Img_8668 Img_8673 Img_8675 Img_8701   十年ひと昔というが、そうではない。この1、2年か、まあ、いいとこ5年、町の景観が変わった。滋賀の建都・大津の県庁周辺である。昔あった建物が幾つも更地になって消えた。代わって、ビルが一つ、二つ、三つと建つ。昔みた景観、どこへ行ったのか、いまはない。

 

 JR山科駅からトンネルひとつ、ひと駅4分の府県越えで、大津駅へ着いた。台風14号で雨の日、傘さして県庁回りを歩いた。勤め先2度、おおかた20年、勝手知った町である。駅至近に分譲マンション2つ。3千万、5千万…値段もビルも高い。法務局、国税局、自衛隊…国の合同庁舎も出来た。武徳館、県庁別館は更地の駐車場。左右対称が同じの県庁だけ変わらない。

 

 地下道で県庁と繋がっていた滋賀会館はない。湖岸からNHKが越してきた。滋賀会館前にあった朝ドラ・エールの古関裕而作曲、県民の歌の石碑は県庁側へ。3階建ての新NHK、開局を待っている。京都新聞の滋賀ビルも新しくなった。滋賀県警は湖岸に移り、防災センター。天孫神社の狸は不老不変。旧東海道、なべ焼き定食の「味は栄え」は看板おろしている。もう一度食べたかった。湖岸へ出た。さざ波の琵琶湖、煙る比良比叡、変わりはなかった。

 

 

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2020年10月12日 (月)

トルファンの石窟壁画再現

 Img_7452_20201010212801  Img_7416 Img_7429  Img_7449 Img_7433_20201010212701 Img_7435 Img_7438_20201010212701 Img_7439 Img_7440_20201010212801 Img_7445    「ベゼクリク」とは、ウイグル語で、「絵になるところ」「美しく飾られたところ」という。新彊ウイグル自治区トルファンの石窟が「ベゼクリク」。西本願寺向かいの龍谷ミュージアムにデジタル再現した石窟の展示室がある。初めて撮影可の掲示、デジカメと一緒に入った。

 

 石窟は、特集展示「西七条のえんま堂」へ行って~3階の常設コーナー。龍谷大デジタル研究室とNHKが共同で復元した。開館以来の展示、これまでは入って体感だけだったが、写真も撮れるようになった。石窟の幅2㍍、高さ3㍍、L字型20㍍ほどの通り抜け。右も左も天井も極彩色、眩しい。1000年前に描かれたシルクロード最高傑作の仏教壁画という。

 

 壁画は、仏になって、一切衆生を救うことを誓う「誓願図」だという。ブッダ?、釈尊?、ウイグル人?、わからないまま、デジカメ撮りしながら見て歩いた。男性髭、なんじゃもじゃ。履物、紐は親指と小指。頭はターバン、アーバン。ふくよかなは女性、お母さん…。お盆の巾着袋は捧げ物、砂金かな。あの世も、この世も〇〇次第?。馬、耳が長い。ラクダではない。砂漠はラクダが、楽だけどなあ?。見よう様々、壁画の石窟、退屈することはない。

 

 ※ 新彊ウイグル自治区は中国西北部は、面積66万平米、人口2600万人、ウイグル人ほか50の少数民族が住む。首府はウルムチ。今年、自治区になって65周年。シルクロードの中枢。

 

 

 

 

 

 

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2020年10月11日 (日)

巨石類は「京の大仏つぁん」

Img_6484  Img_6483 Img_6482 Img_6487 Img_6503Img_6474 Img_6463  Img_6477_20201010180601 Img_6490Img_6489 Img_6498 行っても、行っても巨石がある。大きなのは、高さ3㍍、幅は3・5㍍。そんな巨石が幾つも幾つも…、200㍍は続く。天正14年(1586年)豊臣秀吉築造の大仏殿石垣。大仏殿跡緑地、現存する大坂の陣の引き金・方広寺梵鐘を通り、この石垣群、国の史跡である。

 

 地元の人は親しみを込め「京の大仏つぁん」と言ったらしい。見上げる高さは18㍍の坐像、奈良の東大寺大仏より大きかった。秀吉絶頂期、関白就任で発願、築造して大地震あり、火事あり…秀吉も逝去して子秀頼が慶長17年(1612)に再建した。大坂の陣で豊臣家消滅も、寛政10年(1798)の落雷で炎上まで186年間も「京の大仏つぁん」だった。

 

 大仏殿は南北260㍍、東西210㍍。いま、秀吉を神にした豊国神社と京都国立博物館になっている。巨大な石垣類は南側に並び、北の端に京都史蹟会が昭和4年に建てた小さな石碑が巨石の前にある。南側には大仏殿の仁王門があって、その前は地名がいまもある正面通り。童謡♪~うしろの正面、どなた~♪で大仏さん。南門は京博の平成知新館。入り口に発掘調査で石類続々の結果報告が出ている。出歩きは歴史の発見、石の上に××年?。

 

 ※ 方広寺の名は、東大寺の法会、方広会からという。

 

 

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2020年10月10日 (土)

木食上人再建の安祥院

Img_7233 Img_7241 Img_7265 Img_7264 Img_7266  Img_7251 Img_7249 Img_7247 Img_7254 Img_7262 Img_7253 歴史も人物も現場に行けば行くほど、知識が増す。江戸中期、木食修行で大阿闍梨になった京都の養阿上人のことである。鴨川・七条大橋西の松明稲荷で寄贈の井戸と手水、平安高校北で草庵跡の石碑を見た。日を置き、上人が再建したという五条坂の安祥院へ行った。

 

 五条坂、自宅からわりに近い。日々の出歩きで清水寺の裏門から境内を抜けた。東京もやっとのGOTOトラベル、清水寺の観光客は戻ったか、舞台下石垣にヒガンバナはどうか。GOTOの効果はもう少し、ヒガンバナはまだ咲いていた。仁王門から出て五条坂へ、養阿上人の安祥院はどこか。周辺の観光案内に出ていない。スマホのグーグル調べでわかった。茶わん坂の入り口、昼間から赤い提灯が下がっていた。

 

 浄土宗知恩院派の木食寺。木食正禅養阿上人、入場の霊地~と表示がある。赤い提灯は、日限(ひぎり)地蔵菩薩。一定の日限を切って祈れば願いが叶うという。くぐり戸から境内へ入った。本堂の扁額「安祥院」、古くなっていて、あんじょう、読めない。むかし養阿さん道普請の山科・日の岡の車石がある。山桜の古木もある。洛陽6阿弥陀巡り、養阿上人自彫りの阿弥陀像、2千年前からの卍の正しい意味も知った。歴史の現場、知識、が積み重なる。

 

 ※ 木食上人養阿(1687-1713) ※ 安祥寺、もと京都の久世大薮にあったが、江戸中期の享保年間、五条坂に移転・再建。 ※ 境内に尊攘派・梅田雲浜のお墓がある。

 

 

 

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2020年10月 9日 (金)

人知れず~の花

Img_6906 Img_6905   Img_6531 Img_6527 Img_6274 花びらは5㌢ほど、濃い橙から黄色のふちどり。黄色にはサクラのような切り込みが入っている。真ん中は茶色の芯は雄しべ、雌しべ、花弁は八つ。ひょろり伸びる茎の上に丸い蕾、ぼんぼりみたい。地面から幾つも幾つも出ている。河原に気になる咲きよう。何という名の野草だろう。

 

 鴨川、十条通りの陶化橋から下流へ100㍍ほど、河原へ降りる土手のところだった。少し離れて2株、残暑から初秋へ、10月のかかりまで、おおかた9月じゅう咲いていた。鴨川の出歩き、いつも見て、デジカメ撮りしていた。風が強いと、花びらは恥ずかしそう揺れた。パソコンに保存した写真、確認したら9月に3度、10月に1度の計4度も撮っている。

 

 河原歩き、ピンクのフヨウ、赤いヒガンバナ、白いタマスダレはよく見たが、これはそこにしか咲いていなかった。花の名前調べ、書棚の野草図鑑に出ていない。ネット検索、1度ならず2度3度…、わからない。秋分の日のころ、植物園へ行って、似たような花を撮ったのを思い出して、見直した。これや~と思ったが、花びらが少し違う。10月の2度目行ったとき、根っこから丸ごと消えていた。人知れずの咲く可憐な野草、名前がわからないままもいい。

 

 <注> その後の調べで、この花はキク科のガイラルディアとわかった。

 

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2020年10月 8日 (木)

鴨川の鉄橋

Img_7308 Img_7318_20201007081401  Img_7324 Img_7338Img_6579 Img_6565   Img_7343 Img_7345 Img_7348 Img_7349 ガタン、ゴトンと音がする。オトン、オトンと聞こえなくもない。列車は鉄橋を渡るときリズムよく音を響かす。貨物列車はガッタン、ゴットンとゆっくり。新快速はゴトン、ゴトンとせわしい。JR京都駅が近い鴨川橋梁の鉄橋、河原から見上げて、鉄ちゃんになった。

 出歩きの選択、自宅から京阪バスで何処へ行くか。山科駅か、四条河原町か、西本願寺か、京都駅八条口か~である。秋に入って、東山三十六峰の稲荷山をくぐる八条口行き、トンネル超えた鴨川の十条相深町で降りるのが増えている。鴨川散歩、下流で近鉄奈良線、上流でJR奈良線、新幹線、東海道琵琶湖線、湖西線の鉄橋まで歩き、電車を待ってデジカメをズームで構える。

 

 京都タワーが見える上流の鴨川鉄橋の一番南側は奈良線。△▽囲いの昔の鉄橋、やまと大路快速が丸ごと撮れる。ガタン、ガタンと行く。次は新幹線。コンクリート囲い高い。車両は上しか見えない。京都駅至近の減速、スロースロー、クイッククイックと行く。ガタンとは聞こえない。一番北側は在来線。橋梁真下から線路を見た。上り線に下り線…支える橋げたが太い。安心、感心、納得…。電車は今日もガタン、ゴトン、オトンと鉄橋を渡る。

 

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2020年10月 7日 (水)

龍馬暗殺現場と回転寿司

Img_7211 Img_7210 Img_7208 Img_7194_20201006123901 Img_7200 Img_7199 Img_7205_20201007071301 Img_7179    Img_7185 Img_7183 ピッピッ、ピッピッ…、出て来る、出て来る。にぎりの定番で1、2、3…、今だけの期間限定メニューで1、2、3…、北海道ネタ、お祭り価額…、醤油ラーメン、特製プリン、なんとコーヒーの持ち帰りまで出てきた。進化する回る寿司のタッチパネルの画面である。

 

 京都の河原町通り、蛸薬師下がって、かっぱ寿司。坂本龍馬33歳、中岡慎太郎30歳で暗殺された土佐藩出入りの醤油商「近江屋」跡である。店前、慶応3年(1867)の出来事を書いた京都市の駒札と石碑、龍馬と慎太郎の写真がある。今から遡ること153年前、そこに回転寿司かっぱが10年ほど前に開店。歴史の不思議を感じつつ、たまに一服で入る。

 

 ピッとして、まずハイボール1杯。続いて、ピッとして、鰻の蒲焼きと白焼き食べ比べ、さらにピッとして、お祭り価額100円で喉ぐろ。サクラマス、そんなこと言わしナ?で有名な酢〆いわしなどの北海道ネタもあったが、食べすぎを警戒して、100円の中とろと煮あなごでピッピッ2回。平日の昼日なか、お店は空いている。スマホ見ながら40分ほどゆっくりして、テーブル札32番の料金は税込み957円。これもまあ、龍馬の願った新しい時代か。

 

 

 

 

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2020年10月 6日 (火)

明治も昭和も遠く~の写真展

Img_6882 Img_6874 Img_6872  Img_6864 Img_6866   Img_6861  Img_6859  Img_6858 Img_6885 Img_6886  明治に生まれ、昭和の代に名を馳せた俳人中村草田男は「降る雪や明治は遠くなりにけり」と昭和6年に詠んだ。いま、平成からコロナ禍の令和である。明治も大正も昭和も、さらにさらに~遠くなった。いまとむかし、その変わりようを比較して見せるパネル展があった。

 

 京都市の課題だった駅南側開発で二転三転した八条口側にあるイオン京都4階。フードコート、回転寿司・魚河岸のあるフロアで「京都の移り変わりパネル展示」。朝日新聞京都版で知り、最終日に行った。昭和30年、40年代、何もなかった駅南側、令和になってコロナで思惑外れも、高いホテルが10以上は建つ。見えていた東寺の五重塔、見えない。

 

 衝立パネル写真、上はセピアの昔、下は近撮の今である。新京極は地道、映画館は「瞼の母」上映。日本初の鉄筋橋・四条大橋近く地上に京阪特急。渡月橋そば桟敷に芸妓さん。平安神宮大鳥居はコンクリートむき出し。駅伝の始まり、三条大橋はいま欄干が虫食いで改修計画中。燃えた初代京都駅、いまは4代目で東西400㍍。駅前の昔はチンチン電車、デパートは丸物、いまは京都タワーとヨドバシ…。芭蕉、今なら「様々のこと思い出す写真かな」。

 

 ※ 芭蕉に「さまさまのこと思い出す桜かな」に一句がある。 ※ パネル展示は9月27日に終了

 

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2020年10月 5日 (月)

秋晴れの鴨川下流を行く

Img_7090 Img_7091 Img_7095 Img_7100 Img_7112 Img_7117 Img_7125 Img_7130 Img_7132 Img_7145  秋晴れ、鴨川左岸の下流を行った。十条通りの陶化橋から鳥羽大橋へ…、三条、四条の賑わいはない。歩きはひとり。友達は、空、雲、風、川、水鳥、草花、樹木…。お天気博士・倉嶋厚氏は「季節が空を渡っている」と言う。ゆっくり、ぶらり、鴨川下流の秋を歩いた。

 

 旧暦8月15日、中秋の名月の出る日の昼下がり。朝の気温は16度も寒暖差大きく、歩き始めて、27、8度か。にじみ出た汗、背中を押すような追い風で消える。「暑さ」あって「涼しさ」を思う。空はブルー。どうして青くなるのか。また、お天気博士の弁。~七色の太陽光線うち、青色系短い波長が四方八方に散乱、その光が目に入ってくるから~という。

 

 河原歩き、くいな橋へ。近くに地下鉄の駅、漢字は「水鶏」。足も指も長い渡り鳥、沖縄のヤンバルクイナと友達?。振り返ると、標高848㍍の比叡山。大比叡と四明岳の二峰に雲の帽子が大きい。低い。オレンジの近鉄特急が鉄橋を渡る。工場の煙突、流れる雲が煙のよう。水鳥が5羽、掛け算で30。デジカメズーム、5羽にプラスして鵜がいた。マンボウー。10月の彼岸花が咲く。遅くなってゴメンね!。ススキが揺れた。見えない風が見えた。

 

 

 

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2020年10月 4日 (日)

木食上人・養阿

Img_6724 Img_6730 Img_6726 Img_6731 Img_6853  Img_6846 Img_6849 Img_6852  Img_6850 木食僧とは、木の実を食べて修行のお坊さん。「もくじきさん」と呼ぶ。五穀を抜いて、心を鍛える。甲子園の常連、龍谷大平安高正門前、細い路地を北へ「木食上人」の碑がある。ずっと昔、ここにあった「梅香庵」に住み、庶民のために尽くした高僧だけど、あまり知られていない。

 

 華道、茶道の家元制度始まった江戸中期の宝暦年間。西暦で1750年代頃である。丹波保津村、今の亀岡生まれ、武家の村上茂八郎は、泉湧寺で得度、高野山に籠って、木の実だけの木食修行、大阿闍梨の称号を得た。全国を游行して京都に戻り、東海道の難所・日の岡峠を改修、五条坂に安祥院再建、真如堂に阿弥陀さん安置…、困る人あれば~で、世の中に貢献した。

 

 木食僧になって、僧名を「養阿」と名乗っている。この養阿が寄贈という井戸と手水が残る小さなお稲荷さんが鴨川の七条大橋西にある。伏見稲荷の境外末社・松明殿稲荷で、去年改修、朱塗り目立つ。出歩きで、時おり参拝のおり、木食・養阿上人と、平安高校北側に供養碑があるのを知った。市民しんぶんの下京区民だよりのコピー、「民衆救済の高層」の見出し。手水寄贈は宝暦2年夏という。今から270年前、木食さん遺構、人知れずの威光あり。

 

 ※ 民芸運動の祖・柳宗悦が全国各地を回って蒐集した鉈彫り仏像は、江戸後期にでた木食さん、五行明満の作品。全国遊行の木食さんは応其、義高、以容など民衆とともにの僧が多い。

 

 

 

 

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2020年10月 3日 (土)

キスリングって?

 Img_7013  Img_7014 Img_7016 Img_7015 Img_7017 Img_7038 Img_7039  Img_7040 Img_7041 モイズ・キスリングって、どんな画家だろう。ポーランドの古都クラクフからフランスに来て、エコール・ド・パリの旗手になったという。京都伊勢丹で12年ぶり日本での展覧会、見に行った。セザンヌ、ピカソ、マチス、モディリアーニ、藤田嗣治…らと仲間だった。

 

 エコール・ド・パリ。1920年ころ、各地から画家志望の若者が芸術の都・パリへ来た。キスリングは19歳できて、モンマルトルの丘で暮らした。憧れのセザンヌに教えを請い、ピカソ、ドラン、ブラックらとお互いに学びあった。キュービズム、フォーリズム…、抽象、前衛、立体、遠近…、あらゆる画法に挑み、最後にキスリング独自の作風に到達したという。

 

 マスクと検温、名前書いて会場に入った。作品50点、セザンヌ思わす静物、ピカソに似た抽象、モディリアーニのアーモンド眼の肖像、藤田嗣治の裸婦…、どこか絵仲間の作品と似ているような。展覧会ポスター、キスリング得意の肖像画は、20歳で女優デヴューの知人の娘さん。展示会場後半で見た。バックはアンリ・ルソーの密林、手に純白の白い百合、ワンピース柄は伊勢丹の紙袋?、金髪、瞳はアーモンド…、キスリングを知って、見惚れた。

 

 ※ キスリング(1891-1953)。ユダヤ人でフランス国籍取得。1923年個展で評価受ける。ナチスから死刑宣告受け、米国へ。戻って63歳で死去。 ※ 伊勢丹展は10月25日まで。

 

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2020年10月 2日 (金)

赤い花なら~曼珠沙華

 Img_6932 Img_6960Img_7136 Img_7129 Img_6968 Img_6977 Img_6982 Img_6983 Img_7044   戦前、昭和の初めころ、♪~赤い花なら曼珠沙華~♪と、二葉百合子も、渡辺はま子も長崎物語で歌い始めた。曼珠沙華、秋彼岸のころ咲くヒガンバナである。阿蘭陀屋敷に雨、ジャガタラお春が、ドラ音で出て行く船に涙を流した。燃えるような赤い花に異国情緒がある。

 毎年、出かけては写真を撮っている。清水寺の舞台下石垣、湖西の琵琶湖畔、西本願寺大銀杏回り、哲学の道……、残暑がおさまって彼岸入りすると、ニョッキと出て来る。ひょろ長い茎に雄しべ6つ、雌しべ1つ、放物線みないに反り返って咲く。中国原産の多年草。今年は植物園で白い曼珠沙華を見たが、赤いのを見たく、鴨川の河原から東本願寺を歩いた。

 

 いつもより遅いのに咲いていた。赤い髭をエヘン!と伸ばして咲いていた。お彼岸もだいぶ過ぎて、月替わりが近い秋晴れ。猛暑が長かったせいか、今年は咲きだしが遅れたようだ。京都駅が近い鴨川の河原、一本咲き、群れ咲き。東本願寺は北側の土塀沿い、等間隔に並んで親鸞さんに頭を下げるよう。季節には季節の赤い花がある。カーネーション、バラ…、秋はやはりヒガンバナ。美空ひばりは戦後、♪~ああ切なきは女の恋の曼珠沙華~♪と歌った。

 

 

 

 

 

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2020年10月 1日 (木)

日本画になった十二支の動物たちと猫

Img_6044 Img_6046 Img_6075 Img_6073 Img_6071 Img_6069 Img_6067 Img_6065 Img_6062 Img_6060 Img_6058 Img_6054 Img_6052 Img_6050  Img_6093  Img_6097 干支になった動物たちが日本画で順番に展示されている。子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支。始まりのネズミからイノシシへ、鼠牛虎兎龍蛇馬羊猿鶏犬猪の順序である。龍は円山応挙、兎は長沢芦雪、馬は橋本関雪、猿は森祖仙…。干支外れの猫は番外、2階の畳部屋にいる。

 

 嵐山の福田美術館から屋形舟が浮かぶ大堰川沿い、百人一首の小倉山ふもと、嵯峨嵐山文華館へ行った。いまの企画展は「いきものがたり」。この文華館、任天堂オーナー、故山内氏が10億寄付して藤原定家忍ぶ時雨亭だったが、2018年に改修した。常設の百人一首展と企画展があり、アイフルオーナーの福田美術館と連携、鑑賞共通券で観客を導いている。

 

 行ったのは時雨亭時代、もう10年以上も経つ。今年の干支はネズミ。絵は七福神の大黒さんと一緒、めでたいはずなのにコロナまん延。ペスト流行の再来、ベストでない。来年は牛。コロナ、モウ?こりごり。干支の動物たち、1階でみんな撮り、2階の畳部屋へ。カルタ会場にもなる。展示は干支外れの猫。神様が順番決める日時を忘れ、ネズミに聞いて嘘をつかれたと。ネズミを追いかけるのはその恨みという。嘘はいけない、コロナもいけない。

 

 ※ 展覧会は10月11日まで。

 

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