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2020年8月

2020年8月31日 (月)

夫婦鳩と雀の砂遊び

Img_5126 Img_5129 Img_5141 Img_5146 Img_5147 Img_5150 Img_5152 Img_5169 あれは、暑い昼下がりの出来事だった。よく知られていてはいても、そうは見られない夫婦鳩のラブシーンと雀の砂浴び遊び。夫婦鳩は、武者小路実篤の「仲良きことは美しき哉」の如くであり、雀は砂風呂に入る如くである。偶然、一部始終を目撃、デジカメに撮った。

 

 出歩いて、文庫本を読むのに風の通る木陰のベンチかいい。少々暑くても、入道雲あり、樹木の緑あり、自然と同居できる。京都の岡崎公園。平安神宮追手門と大鳥居の真ん中、ロームシアター京都への芝地、枝垂れ桜も植わって広い。石のベンチがあって、噴水式の水飲み場もある。鳩夫婦と雀の目撃は、ベンチの本読みにひと息、ぼおっとしているときだった。

 

 すぐ隣の水飲み場、夫婦鳩らしい2羽が来た。噴水のところで寄り添い、嘴を重なり合わせている。首回りが小さいメスだろうか、目を閉じてうっとりしている。距離1㍍、目の前である。目を反らしたら雀。2㍍ほど前、芝地でない砂地に埋ずくまり、羽を何回となく、バタバタさせている。羽の寄生虫を振り払う習性だが、遊んでいるように見える。夫婦鳩は場所を変えて、また…である。もう一度、実篤。「君は君、我は我なり、されど仲良き」。

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2020年8月30日 (日)

ラーメン屋さんの勝負どころ

Img_5014 Img_5016 Img_5017 Img_5021 Img_5020 Img_5023 Img_5028 Img_5029 ラーメン屋さんの勝負どころは何か。スープか、麺か、具か…それとも愛嬌か、スピードか、値段か。この5月30日、大安の日、コロナに立ち向かう如く開店した「開運ラーメン・よろこび大社」は、これらに多様なメニュー、イラスト看板と絵馬も加えて、勝負に出た。

 

 京都岡崎、ロームシアター京都から疎水を超えてすぐ、バス通りの東山二条から東へ100㍍。市美、京近美、図書館、平安神宮…の歩き流れ。店前~おかんが…、それで決まりや~の漫才・ミルクボーイのイラスト立看を見続けて、久々のラーメン懐かしくもあり、入った。店前、絵馬飾りもある。テーブル4つ、カウンター、自動販売機、まあ、拉麺屋さん。

 

 自販機前、ヨロコビ付きのメニュー選び迷う。辛い赤富士、塩でアサリはあっさり、醤油で豚は濃く…と点検して、送り火イメージ・まぜそば五山に。トッピング10種からキムチ、もやしなお5種選んで、待った。イラスト上手に描く女店員さん、感じがいい。卵の黄身をてっぺんにした五山が来た。トッピング皿、具が多い。仕上げに~とご飯も出た。汁なしとは、知るよしもなく?、混ぜて、混ぜて…、味の変化がヨロコビ、店の勝負どころだった。
 

 

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2020年8月29日 (土)

神戸の水道橋筋商店街を行く

  Img_4548    Img_4549 Img_4551 Img_4554 Img_4561 Img_4577 Img_4573 Img_4576 Img_4578 歩いても、歩いても…、商店街が続く。アーケードが切れて、まだアーケードが出て来て、縦にも横にも延びている。大阪の天神橋筋商店街は、1丁目から7丁目まで直線で2・6㌔は日本一というが、ここもずいぶんと長い。阪急王子公園駅近くの水道橋筋商店街である。

 

 神戸おば宅訪問、手土産に何かと~、歩き始めた。王子動物園とのレンタル契約が切れ、中国へ帰るパンダの「ありがとうタンタン」の垂れ幕が下る。大正時代、西宮から神戸まで水道管敷設のおり、上の道にお店が出来て「水道橋筋商店街」と名前がついたという。蒸し料理専門店の穴子丼、630円か。入ろかな、待て待て…、目的は、おばさん土産購入。

 

 愛知三河の一色鰻。これも、みるだけ、みるだけ。たこ焼き、力餅、かき氷、冷凍餃子…何でもある。一番の賑わいは食品スーパー。秋刀魚1尾120円。去年の冷凍かな。鯖の切り身100円。パンダの日のノボリ、いやパンの日。ややこしい。豆腐屋さんは立ち飲みゴマ豆乳が1杯120円。ゴマのパワーは不老長寿と。ゴマで誤魔化しはいかん。おば土産は、いちじく、かぼちゃと小芋の炊いたん、山菜おこわ、それに南高梅…なんこ?買ったかな。

 

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2020年8月28日 (金)

神戸市役所2号館の巨大壁画

Img_4668 Img_4670 Img_4672 Img_4680 Img_4683 Img_4687 Img_4689 いつからこうなったのか、神戸市役所2号館が壁画、壁画している。南側も北側も、その隣、花時計があった冷却塔も~である。神戸の夏の空と青い海、人あり、花あり…、壁面いっぱいに描かれている。ビル回り、あっちにこっちに~巨大な壁面アートの出現に驚いた。

 

 JR三宮駅降りて、フラワー道路から神戸市役所1号館24階、展望フロアへ行って、海みて、山みて、コーヒー飲んで、再び三宮駅への帰り。行くときも1号館わきを歩いているのに気づかず…。年に2、3度のおば訪問で、三宮へは必ず行って、今年の2月にはなかったはずなのに~、この巨大壁画である。なんでかな、どうしてかな~と、調べたらだった。

 

 ネットの神戸新聞電子版にも、サンTVのユーチューブにも出ていた。あの阪神淡路大震災、市役所2号館は6階以上を撤去して使っていたが、老朽化が激しく、この10月末に解体、建て替え、それまでの思い出壁画という。寄金800件570万円、作家8人で6作品。縦8㍍、横30㍍の壁画は、クレーン車に乘って描きあげたという。7月から始め8月半ばで完成。壁画の命と鑑賞は解体までの2か月、震災の記憶とともに三宮行くたび見といてや。

 

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2020年8月27日 (木)

ビールは「CORONA・EXTRO」

Img_4525 Img_4528 Img_4531 Img_4534 Img_4751 Img_4759 Img_4763 Img_4529 コロナ―、社名や商品名に罪はない。新型のウイルスがいけない。憎いし、怖い。ワクチンはまだか。早く収束しないかと思う。ビールのコロナ・エキストラ。夏の今だけ、1本500円という。氷水につけて、よくひやしてある。商品名が悪いわけではない。どうしよう。

 

 もうナンド行ったか、サンドどころではない。京都タワーサンドの地下1階フードコート。JR、地下鉄通路から入って、奥の奥のテーブルによく座る。真ん前の鳥料理のリンクから500円ハイボール1杯。持ち歩き文庫本で一服する。人目につかず、落ち着く。盆過ぎ行って、城山三郎著「大義の末」開いて、隣に横文字のCORONA・EXTROに気づいた。

 

 元もと、横文字に弱い。隣はメキシコ料理の店で、タコスがメーン。メキシコ生まれのコロナ・エキストラビールの箱の山積み。店の前へ回った。どんな味か、警戒し、思案し、買った。瓶ごと1本、ラッパ飲みするという。スダチみたいなライムが櫛状に差し込んである。席に戻り、点検また点検して、飲んだ。アルコール分4・5%、すっ~として飲みやすい。こまめにラッパ飲み、二度、三度、四度…、商品名に罪はない。地ビールの、大義がある。

 

 

 

 

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2020年8月26日 (水)

バサラ大名・佐々木道誉

Img_4390   Img_4380 Img_4379  Img_4361  Img_4343  Img_4345  Img_4351  Img_4356 Img_4358 Img_4212   漢字で婆娑羅の「バサラ」とは、どういう意味だろう。鎌倉から南北朝へ、足利尊氏を支えた近江の武将・佐々木道誉の冠「バサラ大名」の婆裟羅である。佐々木道誉の著書がある史家・林家辰三郎氏は「身分不相応に派手で遠慮のない振る舞いをする」と意味づけている。
 

 道誉は関ヶ原に近い湖北の柏原出身だが、藤堂高虎、甲良豊後守宗廣が生まれた甲良町の勝楽寺に拠点を置き、40歳から没年の78歳まで暮らし、高虎、宗廣とともに甲良三大偉人と言われる。かれこれ750年前、道誉が東福寺から雲海和尚を招いて創建した、その勝楽寺へ行った。湖国バスの正楽寺口で降り、名神高速ガード下から15分、誰にも会わずだった。

 

 道筋、佐々木源氏の4つ目紋のある石碑に婆娑羅通り。道順に間違いない。閉まっていたが、甲良町役場近くでバサラ豆腐の看板も見た。三門は4脚、当時からという。記念館覗くと道誉の木像、隙間から撮った。偶然、鉄板覆いの本堂から人が…。現住職で、雲海和尚から25代目とわかる。住職マイカー、道の駅の観光案内所まで同乗、後部座席から質問。一人暮らし、檀家25軒の寺経営、重文の道誉肖像画は京博寄託などを聞く。同乗と話に感謝して、バサラでサラバ??。

 

 ※ 佐々木道誉(1296-1373)。佐々木源氏系譜で六角に対し、京極高辻に居を構えて京極道誉ともいう。尊氏支え、近江北部など守護、領地も多く。紅葉枝折に端を発す妙法院事件はバサラ大名の象徴。記念館の木像は醒ヶ井の彫刻家作。京博寄託の肖像画は60歳、偉人ポスターはその模写。

 

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2020年8月25日 (火)

夏の終わりの入道雲を撮る

Img_4951 Img_4952 Img_4956 Img_4967 Img_4969 Img_5007 Img_5010 Img_5036 Img_5041 Img_5044 コロナの夏の入道雲、そろそろ見納めだろうか。暑さひと区切りという二十四節気・処暑も過ぎ、秋台風の走りか、8号も来ている。坊主頭の如く、その名も入道雲。今年の夏はコロナに負けるナ!と湧き出た。夏の終わり、月火水木…雄姿モクモク?と写真撮りに出た。

 

 正岡子規は随筆「雲」の中で、「春雲は絮(わた)の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如く…」と記す。幸田露伴も島崎藤村も雲を書いている。黙々と?。入道雲は、積雲が発達して積乱雲である。日差しが、強ければ強いほど、より白く、より高くなる。急に雨もザザっと降らす。地方、地方で、坂東太郎、丹波太郎、四国三郎とも呼ばれる。

 

 写真撮り、山科盆地の中の自宅を出てバス停前の田んぼ、稲穂が頭を垂れ始め、空高く~である。琵琶湖側の山にも湧き出る。地下鉄東山駅から京近美の4階フロア。市美の向こう、さらに南禅寺の向こう、東山三十六峰である。ここは右に左にベストショット。京都タワーとはツーショット。まだまだ元気でも、どこかに秋の気配も。気象台40年勤務、NHKTVのお天気博士だった故倉嶋厚さんは、その著で「雲に詩が流れ、歌が聞こえる。雲は友達」と書く。

 

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2020年8月24日 (月)

甲良豊後守宗廣、知ってますか。

Img_4236 Img_4235 Img_4234 Img_4414  Img_4395_20200820095001 Img_4392 Img_4242_20200820095301 Img_4221  甲良豊後守宗廣って、ご存知だろうか。世界遺産・日光東照宮を造替えした大工の大棟梁である。生まれが滋賀県犬上郡、戦国武将・藤堂高虎と同じ甲良町。亀の甲羅、六角形にラを町章とする甲良町は、高虎と町にご縁のバサラ大名・佐々木道誉とで三大偉人と呼ぶ。

 

 宗廣の像が甲良町役場にあると知って行った。甲良町は人口7千人切る。お隣の豊郷町に次ぎ、県内19市町のうち、2番目に小さい。犬上川の扇状穀倉地帯、畑また畑、空が広い。マンホールは亀と藤堂高虎の藤。歩いて歩いて、役場の敷地内、脇差しにさし金の宗廣像、やっと出会った。大津のスタンド林屋、久しぶりに行ったおり店長の口癖は、こうら、こうら!。

 

 京都の吉田神社大元宮造営の見事さから、幕府に豊後守に任じられた。社寺造りは祖父からの建仁寺流。境内をよく歩く建仁寺は開祖栄西が、中国へ渡ったおり、大工さんも一緒で、建築を学び戻ってきた。日光東照宮で、存在を不動にした宗廣を中心に東京中心に13代まで続く甲良大工は、その流れである。増上寺三門、江戸城天守、寛永寺…、社寺建築はここも、ここもと数え切れない。大工の大棟梁、プレジデントは、甲良生まれなり。こうら、こうら!。

 

 ※ 甲良豊後守宗廣(1574-1646)。日光東照宮造営替のあと63歳で引退、地元に戻り、四十九院唯念寺で自像彫る。滋賀では油日神社、尼子甲良神社、湖東三山の百済寺など。晩年、百済寺再建で500両寄贈。出生地の法養寺に記念館がる。清水建設は宗廣大工箱を所蔵する。

 

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2020年8月23日 (日)

岡崎公園、御苑、東寺の気温38度

Img_4777  Img_4787 Img_4775 Img_4800 Img_4839  Img_4845 Img_4852 Img_4874  Img_4925 Img_4887    熱い、猛暑。もうしょうがない。コロナ感染、一日最高38人が出た京都、その日は気温まで最高38・8度。コロナと同時進行で38度台の猛暑日が続く。それでも出歩いて、岡崎公園、京都御苑、東寺へ。猛暑38度の景観、見て、感じて、道筋で洒落て…、熱かった。

 

 岡崎公園、太陽が真上から照り、樹木がいい影に。写真、写真…と撮った。高さ24㍍、平安神宮の大鳥居の影はどうか、太すぎて写真にならない。我が身体の影も。足?もう少し長いはずなのに…、太陽が真上すぎる。京都御苑行く道筋、寺町通りにお茶の老舗・一保堂通って、2歩でも3歩でも一保堂。碁は3手でも4手でも碁。頭が熱い。ぼおっとしている。

 

 御苑のグラウンド、土だけが熱い。ベンチにセミの脱け殻集めた。セミダブル?。セミ鳴きの喧騒とグラウンドの静寂…気分は詩的。句は浮かばす入道雲が浮かぶ。京阪山科駅踏切、琵琶湖へ行く電車、水色の車体が涼しい。京都駅のバスターミナルはミストが優しい。ああ無情でない霧状がいい。五重塔の東寺。樹高20㍍の不二サクラ、猛暑除けすだれ。不動明王堂では護摩供養。護摩木燃え熱いのに祈る僧侶。これぞ、心頭滅却すれば、火もまた涼し。

 

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2020年8月22日 (土)

滋賀の、甲良の、戦国武将・藤堂高虎

   Img_4163   Img_4196Img_4166_20200822065201 Img_4192_20200818113501 Img_4190_20200818113501 Img_4198Img_4194 Img_4199 Img_4202  戦国武将で築城の名手、津城32万石の大名になった藤堂高虎は、滋賀県は彦根に近い甲良町で生まれた。昨秋、甲良中の体育館特設舞台で、創作の高虎能が演じられたが、甲良出身とはあまりしられていない。出生地に高虎騎馬像があり、もっと知りたくて、また行った。

 

 高虎は安土桃山にここで生まれ、江戸寛永、75歳で没するまで、エピソードは数知れない。幼くして192㌢、100㌔もの巨漢。浅井、秀吉、家康など8人に仕えた。宇和島、今治、高石垣の伊賀上野と津城を造り、二条、大坂、江戸などを修築した。外様ながら関が原、大坂の陣で先陣をつとめ、家康の臨終枕辺にいて、徳川の後を託された…等々である。

 

 出生地は旧の犬上郡藤堂村で、今は在士。2代秀忠が高虎という武士中の武士が存在した町と、地名を変えさせたという。ライオンズ命名から70年、西武ご縁の近江鉄道尼子駅でおり、役場へ向かって歩いて10分、途中が在士である。高虎ご先祖、石清水八幡宮から分祀の八幡神社、株分けの藤棚がある。高虎公園に右手で神社をさす高虎騎馬像、大坂城再築で運びこまれずの残念石など、暮れると、滋賀の、甲良の、高虎に脚光を~と村人らが灯すライト輝く。

 

 

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2020年8月21日 (金)

JR河瀬駅の「無事カエル」

Img_4338 Img_4329 Img_4326 Img_4330 Img_4323_20200815080001 Img_4341 Img_4334_20200815080201 Img_4324 Img_4339 いるかな、いるかな~と12年ぶりに駅を降りて、いる、いる、増えている。駅西口にもだが、東口側と2階ホームの通路にもいる。JR琵琶湖線の河瀬駅、交通安全のお守りカエル。背中に子カエルをたくさん乗せ「みなさんお 出迎カエル 無事カエル」の石像である。

 

 河瀬は新快速の停まる能登川と彦根の間の駅である。西口は古墳のある荒神山の向こうに琵琶湖、東口は戦国武将で城づくりの名手・藤堂高虎が生まれた甲良町。一日平均、乗り降りする客は3千人という。ホーム通路に「彦根城を世界遺産に~」のポスター、赤カブトのひこにゃんが「にゃんといい町」と洒落ている。荒神山古墳、発掘データの掲示もある。

 

 職場の知人絡みの葬儀で行って以来だった。あの時、西口のカエル像石碑が「みなさんおで「を」でないのが、が気になっていた。今回は甲良町取材で、東口から出る1時間1本の湖国バス乗るのに発車まで30分以上、カエルの点検だった。西口は前のまま「お」だったが、東口のカエルは「みなさんを」に正しくなっている。通路ケースの陶器カエルは無事カエルだけで「お」も「を」もないが、西では「お」東では「を」。Oh-0!明治へカエル。

 

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2020年8月20日 (木)

切っても切っても「大」~どうだい!

 Img_4733 Img_4735 Img_4737 Img_4740_20200819084201 Img_4742 Img_4766_20200819084301 Img_4768 切っても切っても、「大」の文字が出てくる。なめてもなめても金太郎飴の如くである。今夏の五山の送り火、コロナ拡大で「大」は点だけしか灯らずだったが、京かまぼこ・茨木屋さんの板かまぼこは、今年も「大」の文字が~どうだい、どうだい~と浮かびあがった。

 

 茨木屋さんはちょんまげの町人がまだいた明治2年の創業、老舗中の老舗。寺町三条上ル、よく行く画廊ヒルゲートの真向かいに古い店を新しくして構える。五山送り火前日、8月15日に通りがかって、切って「大」が見える板かまぼこが店前に見本で出ていた。1本540円、期間限定という。その時は通り過ぎたが、点の部分点灯の送り火すんで、また行った。

 

 しっかり「大」が見たい。切って「大」文字は、どうだい?、同志社大学は同大?と、意味不明で洒落てもみたい。店内入り、1040円で500円お釣り、一つ買った。いつ頃から?10年来、夏だけという。白い壁に「光寶満家」の額。上村松園の師、鈴木松年の筆で、繁盛して円満に~の意味だそうだが、反対から「家満寶光」で「かまぼこ」と洒落読みが出来るという。扁額「蒲鉾」も明治の書家。先祖代々霊送る「大文字」、京蒲鉾とともに!。

 

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2020年8月19日 (水)

お結びとお握り

Img_4421 Img_4422 Img_2626 Img_3923 Img_2973 Img_3924  Img_2671 物知りコラムニスト、嵐山光三郎は近著「ごはん通」の中で、お結びとお握りの違いを書く。お結びは両手で心をこめて、芯、つまり具を入れて、自然神と人を結ぶからそう言うのであって、お握り、握り飯という言い方は江戸時代からの俗称で、あまり感心しないという。

 

 むすびは、神結びからきた言葉、中に霊魂が入っていると解説する。これに対し、にぎりは江戸時代から流行の握り寿司のように、片手で軽くふわっと握るのが「にぎり」。本来「むすび」とは、別の用語だと述べている。おむすびのうまいのは、炊き立てご飯の塩むすび。贅沢でふくよかな味と紹介する。そのうまさは、一にも二にも米の品質によるとも書く。

 

 本を読んで、スーパー、コンビニと回った。どの店も1、2、3とシールを剥す三角おにぎり。具の人気は嵐山本では、塩鮭、梅干し、タラコがベスト3だが、一つにツナ、明太、鮭、昆布の4種の具入り発見。グーグー眠れそう。俵型の握りで、嵐山さん推奨の塩もあり、値段は100円割れ。やっと見つけたおむすびは、竹の皮包み入り。股旅道中、たびたび弁当に。調べ結果、時代は三角おにぎりが主流、霊魂おむすびは少なく、遠く…。嵐山さん、以上ご報告します。

 

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2020年8月18日 (火)

お盆の迎え鐘と送り鐘

 Img_4463Img_4454 Img_4462 Img_4457 Img_4464 Img_4465 Img_4480 Img_4504 Img_4498   Img_4502 Img_4506 この猛暑続きでも、収まらないコロナでも、お盆はお盆である。先祖の霊を思って、六道珍皇寺の迎え鐘から矢田地蔵寺の送り鐘へ、手を合わせに行った。お盆のさなか、一日で歩きの迎え鐘と送り鐘である。人の少ない裏道、影の多い日除け道、よくよく知っている。

 

 六道珍皇寺は五条坂から斜めの細道を行く。バス走る東大路は避けて、斜めまっすぐ突き当りが六道の辻である。あの世とこの世を分けるところ、境内に閻魔さんと小野篁がいて、朱色の鐘つき堂である。コロナ消毒して、綱を引くと、ゴーンと鳴る。あの世、10万億土へ響く鐘という。変装、日本脱出のゴーンさん、お迎えが聞こえたかな。次は送り鐘である。

 

 ギャラリー、古書店多い寺町三条上ル。交番と昔の食堂に挟まれた矢田地蔵である。境内あるのかないのか、即本堂である。迎え鐘の綱、今年はコロナ上げ。ロウソク1本、お線香3本合わせて100円で灯し、本堂内、2㍍のお地蔵さんに頭を下げ、心をこめて先祖お送りである。迎えて送って歩いた道筋。コロナ二負けるなイラスト、鴨川のアオサギ水浴び、送り火の「大」が出る期間限定かまぼこ…。来夏は、暑くても、コロナのないお盆がいい。

 

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2020年8月17日 (月)

猛暑、鴨川で鳥の水浴びショー

  Img_4471  Img_4476 Img_4477 Img_4481 Img_4483 Img_4489 Img_4490 Img_4493 Img_4494 Img_4497 この暑さ、アオサギが川につかっている。褐色の羽根、少し小さいのでゴイサギかもしれない。デジカメをズームにしているが、距離があるので、見定めがつかない。川の流れ、気持ちよさそう。アッ!もぐった。羽根をバタつかせた。水浴びだ。幾つも波紋が広がった。

 

 気温39度、身体に危険な暑さという予報が出ていた。毎年暑い京都、慣れているとはいえきつい。目に汗がしみる。それでも、出歩き癖、止まらない。お盆、六道珍皇寺の迎え鐘から建仁寺抜け、三条寺町・矢田寺の送り鐘への歩き。鴨川左岸、四条大橋から三条大橋近くまで来たとき、中洲あたりに目をやって、アオサギかゴイサギかの水浴びショーだった。

 

 鴨のは見たことがある。アオサギもゴイサギもいつもは川岸にじっとして、餌を狙っている。浅瀬にしても、川の中のどっぷりつかり、見たことはない。入道雲が川に映っている。午後2時近く、38度は超えているかな。鳥も暑いんや。水浴びは熱中症対策かもしれない。中洲にシラサギもいる。鴨川遊歩道、枝垂れサクラの木陰である。暑い歩き休みを兼ねて、デジカメを向け続けた。水浴びショーは1度ならず2度、3度…この暑さ、ショーがない?。

 

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2020年8月16日 (日)

五条児童公園のサンゴジュ

Img_4116  Img_4120 Img_4112_20200813091501 Img_4118 Img_4113 Img_4104 白く咲いて、赤く実がなって、黒く塾す~という。梅雨から夏、そして秋へ、色合いが白、赤、黒と変化する。高さ20㍍にもなる常緑高木、サンゴジュ(珊瑚樹)である。いまは真夏、その樹木の名前のとおり、光沢あふれるサンゴのような赤い実を鈴なりにつけている。

 

 鴨川が見下ろす五条児童公園。高瀬川に沿う木屋町通り、五条大橋西北、扇発祥の記念碑がある北側100㍍。もう少し詳しく言うと、歩きの途中で、よくお世話になる公衆トイレの北側である。帰り道とは外れるので、今まで気づかなかかったが、七条から五条へ高瀬川両岸に繁る樹木調べで、この木を知って、この公園でもだった。木に気になる赤い実である。

 

 公園の中、ブランコ、すべり台に加え、むかしの五十大橋の橋げた石柱、遺品のようにある。ザクロ、ハクモクレン、スズカケ、フジ…公園樹も多く、サンゴジュは2本。樹木にピンクの、ちょっと汚れた説明板が掛かっていた。ガマズミ科、樹木はまっすぐ、株立ち。関東から沖縄にかけて分布、水分の多い葉や枝は、火をつけても泡をふくばかりで燃えにくく、防火樹の役割も担うという。実のサンゴ鑑賞、燃えずアワワ…、二刀流なり。

 

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2020年8月15日 (土)

どうなる、どうする地蔵盆

Img_4303   Img_4304_20200812081001 Img_4307 Img_4306 Img_4305 Img_4060 Img_4059_20200812081301 Img_4038  Img_4033 福引あり、おやつ配りあり、数珠回しありの京の「地蔵盆」。今年はやるの、やらないの、どうする、どうする~である。止むえず中止、密避けて実施…コロナ判断は各町内会それぞれか。子どもを守り、町衆とともにの~夏の終わりの年中行事「地蔵盆」、どんなだろう。

 

 京都市歴史資料館は、いま「京の地蔵盆」展を開催している。フロア、卍幕の祭壇をつくり、地蔵堂からお地蔵さんを移し、祀ってある。祭壇前のござ、数珠回しの数珠も広げている。天井に延命地蔵菩薩の赤と白の提灯を吊るす。代々地蔵盆覚書、最近の地蔵盆写真の展示、入り口には準備からお寺さんのお参りまでのビデオも。その歴史は~の紹介もある。

 

 釈迦入滅から阿弥陀さん誕生まで56億7千万年、無仏の時代の地蔵信仰、庶民のそばのお地蔵さん。いつ頃から地蔵盆は始まったのか、文献で確認できるのは、江戸の17世紀以降という。現在も京都市内で1万体以上。明治の最初、廃仏毀釈で禁止の時代を乗り越えて復活、地蔵縁日の8月24日頃の土日、町内独自、それぞれの地蔵盆が続く。お地蔵さんに前掛け新調、お顔は頬紅などお化粧もする。今年はウイズコロナ、どんな地蔵盆になるのか。

 

 ※ 地蔵盆は京都中心に滋賀、奈良、大阪、福井でもあるが、全国的ではない。 ※ 京都市はコロナ対策の地蔵盆、どうすれば実施できるか、壬生寺の数珠回しなどネット配信している。 ※ 京都市歴史資料館の展示は9月24日まで。

 

 

 

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2020年8月14日 (金)

2020夏を行く

Img_4237Img_4067Img_3886Img_4100Img_4086Img_4074Img_3986_20200811094201Img_3980Img_3978Img_3729Img_3950Img_4017 夏、夏、夏…、33度、35度、37度と猛暑の夏が来て、控えめに出歩いて、今年の夏を見た。アユ釣り、虫取り…いつもの夏がある。三密避けるコロナの夏がある。氷また氷…熱中症対策の夏がある。モクモクわく雲に夏がある。以下はお盆連休の2020夏、点描。

 

 西本願寺の門前町界隈、毎夏「おりんde風鈴まつり」で風鈴をつるし、涼を呼ぶ。今年のポスターはコロナニマケナイ。すだれ壁の龍谷ミュージアムに足跡。今を生きる人の足跡、即席で作り、離れて離れて。三条寺町、甘党店はかき氷テークアウトの看板。どうして持ち帰るか、その謎の方が解けない。「アイス、冷えてます」の看板、冷えてないアイスって???。

 

 月替わり、天性寺の伝道告知。「みんなに会える夏」。帰省していいのか、どうか、迷うけどなあ。山科の音羽病院フロア。1枚100円のマスク自販機登場。地下鉄市役所駅ゼストのカフェは各種氷、めっちゃ暑いと、めっちゃ抹茶がいい。氷で冷やした白玉ぜんざい、見ているだけ爽やか。触って、頭も冷やしたい。南座隣、にしん蕎麦の松葉は梅一つ乗せてハモソーメン。これぞアーメン。寺町京極のお茶さんの看板は、ヒマワリ絵で「お疲れサマー」。

 

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2020年8月13日 (木)

京都御苑のベンチで~

Img_4051 Img_4052 Img_4056_20200810081101 Img_4063_20200810081101 Img_3567 Img_4066 Img_3566 Img_3569  木のベンチに座って、文庫本を開いて、頭にポコン!である。ベチャッ!なら鳥の糞、憤慨するところだが、小さな木の実である。見あげたら一杯成っている。よく見たら、足元のベンチ回りも沢山落ちている。団栗より大きく、梅より小さい。手に持って、何の実だろう。

 

 京都御苑の堺町御門から入って、左側に並んでいる木製ベンチの一つ。毎年なら建礼門前を出発した葵祭、時代祭の華やか列が丸太町通りへ出て行く所である。今年はコロナで中止。ずっと遡れば、文久3年(1864)公武合体派の会津・薩摩がここを封じ、尊王攘夷派の公卿と長州を追いやった歴史の門。知人と近くの画廊で会うのに時間調整で入って、このベンチだった。

 

 サクランボではないし、ヤマモモでもない。ベンチの後ろ、樹木は密集している。食べられるのだろうか。見上げた樹木、セミの抜け殻一つ。ナニゼミだろう。異変か、今はアブラゼミが激減して、クマゼミが増え、この世の夏?らしい。なんの実か。ミーン、ミーン…よう見~んか?と鳴いているような。樹木と実の写真撮って、細長い葉を一枚持ち帰って、樹木図鑑で樹皮、葉形と丁寧に調べた。掲載255種…ない。夏休み、図書館調べの宿題になった。

 

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2020年8月12日 (水)

寺町京極の「てらぼん」

Img_4012 Img_4011 Img_4008 Img_4009 Img_3976 Img_3975 Img_3973 Img_3972 ぼくは「てらぼん」という。寺町京極をイメージするゆるキャラ坊主。今から430年も前、秀吉が京都じゅうのお寺をここに集めて「寺町」とした当時から住んでいて、推定年齢は、なんとなんと430歳だという。賑わう商店街の中、出会うと幸運が訪れるらしい。

 

 京都の中心繁華街、新京極と並んで南北に通じる。四条通りから北へ、三条まで行くと、ここが江戸から京へ、東海道五十三次のゴール。角に寺町の歴史を記す案内板。高級すき焼き「三嶋亭」、女優山本富士子の居宅跡、夜の店始まり「サンボア」…、ハサミが動くカニ道楽…。秀吉町づくり以来、お寺は減ったが、町は今に続き、ずっと「てらぼん」である。

 

 てらぼんのちょんまげ、寺町の象徴「て」に結ってある。赤いちゃんちゃんこと草履。430歳でも老けず、背も伸びず、2等身。やんちゃ坊主で、座敷わらしという。商店街の店店にてらぼんの顔と頭の幕がある。幸運呼ぶてらぼんはどこか、蛸薬師にいた。アーケードから吊り下がって北を向く後ろ姿。「御所におしりはむけられまへん」という。そう言えば、江戸の勤王志士・高山彦九郎像も三条大橋から座して御所拝礼。てらぼん、わきまえている。

 

 

 

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2020年8月11日 (火)

高瀬川

Img_3435 Img_3352 Img_3450 Img_3473 Img_3427Img_3463 Img_3418 Img_3448 Img_3339 Img_3374 Img_3428_20200808110301 川幅にして5,6㍍だろうか。水深浅い川の両側、ずっと樹木が繁っている。エノキ、アオキリ、タラヨウ、アラカシ…、樹木には一本一本、名札が記してある。ミカン、カキ、ビワ、アンズ、カリンの果樹もある。どれだけ樹木の種類があるのか、点検しながら歩いた。

 

 歴史の人口水路、京都の高瀬川である。天正14年(1586)、豪商・角倉了以が秀吉の命で、京大仏殿(方広寺)造営の巨石を運ぶのに伏見から開削したのが始まり。船底が浅く平らで、舟のヘリが高いので高背(瀬)舟と言い、それが川の名になった。安楽死を問いかけた小説高瀬舟で森鴎外は「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である」と書き出す。

 

 今の高瀬川、歩いたのは五条と七条の間である。下がって、上って、往復で2㌔、樹木見ながら両側を歩いた。光源氏のモデル・源融邸がある。五条楽園・遊郭跡もある。御大典記念の植樹石碑、看板こそ美しく~の汚れた「川を美しく」の啓発看板、世界の任天堂はカルタ発祥の地でもあり、仲間だったカルタ屋さんがまだある。榎橋、正面橋、昭和橋…、日本で最初、明治2年の小学校。昔、木材屋多く木屋町。種々の樹木と歴史が混在する遺風な川がそこにあった。

 

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2020年8月10日 (月)

送り火はウインドウの中

Img_3655 Img_3656 Img_3657 Img_3658 Img_3659_20200807095901 ウインドウの中、京の五山送り火の絵が5枚掛かっている。8月16日のご精霊送り、今年はコロナで火床を大幅に減らし、点の部分だけ灯し、文字は浮かばない。ご先祖さま送る宗教行事だけ、観光ショーは止めるという。今年はショーがないな?と、ウインドウを見た。

 

 絵は京都市出身、東京芸大卒の日本画家・戸倉英雄さんの作品。1枚1枚の絵は、ウインドウの中、盆地の京都そのままに配置してある。午後8時、真っ先に灯る東山の右大文字から北山の妙と法、船形、金閣寺の裏山近くの左大文字と鳥居型へ、時計反対回り。画廊が多くて、週に一度は歩く京都寺町三条上ル、額縁の老舗「ヤマモト」のウインドウ展示である。

 

 戸倉さん、祗園祭りの頃、山鉾をテーマに「黄金航路の宵」をシリーズ出展している。山鉾巡行の御池通りのギャラリーと、この額縁屋さんで展示、今年は6度目だったが、コロナ禍の中止、代替えでか、五山の送り火展示。デジカメ、ウインドウのガラスにに密接、大から順に撮った。右の大は出町柳、左の大は円町、妙法は松が崎、船型は上賀茂、鳥居型は広沢池から~と、描きぶり写真のよう。今年の送り火、大の字は灯らず、台無し。座布団3枚!!。

 

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2020年8月 9日 (日)

フェルメール展、肩車鑑賞…つながる場所

 Img_3288 Img_3285 Img_3281 Img_3284 Img_3286 Img_3287 Img_3289 Img_3290 何をどう意図した作品なんだろう。人気の展覧会を特集した新聞がある。特集に子どもを肩車、フェルメール作品を見入る写真が載っている。作品はこの写真をカラーコピー、フェルメールの絵を複製して、額にいれてある。作品名は「毎日新聞 2000年4月30日」。

 

 京近美今年度2回目のコレクション展、現代アート作家・福田美蘭さんの作品である。コロナ禍さなか、美術展、音楽会が次々と中心になった。京近美はSNSだけでなく美術館、劇場などでナマの文化を鑑賞する意味を「つながる場所」として問いかけ、この作品をそのひとつとして展示した。展覧会は20年前、大阪市美開催、初公開のフェルメール展である。

 

 福田美蘭さん東京藝大美術科卒、26歳の若さで安井賞受賞して話題になった。トリックアートで名を馳せた故福田繁雄さんの一人娘。作品は親子譲り、奇抜さに人気がある。この展示作品、京近美が2011年に購入している。年4回のコレクション展、必ずのように行く。梅雨明け、コロナ解除明け…、20年前の新聞とともに、時代を感じつつ、作品をまじかに見た。青いターバンの少女、真珠の耳飾り、親子の肩車鑑賞…あの時が今もつながっている。

 

 ※ 福田美蘭(ふくだみらん)東京都世田谷区出身、1963年生まれ。

 

 

 

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2020年8月 8日 (土)

上村松園の「夕べ」

Img_2778  Img_3896 Img_2774 Img_3892 E4af6808de484e579e8d85969389b08cportrait 少し開いた簾の向こう、女性がうつむき加減に佇む。緑の簾、青い着物。帯は芭蕉、裾は萩。島田髷の簪は楓、手に持つ団扇は満月が描いてある。夏の終わりだろうか。女性視点で描く美人画の第一人者、上村松園の「夕べ」。松園60歳、円熟期の作品だという。

 

 京都伊勢丹で開催の水野美術館コレクション「美しNIPPON」。大観、玉堂、春草、加山又造ら日本画作品が並ぶ。展示の最後に展覧会チラシになった、松園作品である。縦長の八頭身美人、ハッとする。女性の内面を見て「一点の卑俗なところなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ私の念願」と語った松園さん。まさに~と見惚れて見続けた。

 

 明治の松園さん、京都市生まれ。京都御苑南側、丸太町通り間之町下ルに当時の居宅が今もある。親子で文化勲章の松篁さんも暮らしていて、会社が近くだったので、日のよく当たる2階、あそこが画室だったかな~と前をよく通った。序の舞、蛍、牡丹雪…、松園さんどれだけ美人画を描いたのだろう。戦時中以外は、髷を結い、着物姿で通し、喜多川歌麿の美人絵など研究を重ねた。「美は細に宿る」の松園独自の美人画、朝でなく「夕べ」に知った?。

 

 ※ 上村松園(1875-1949) ※ 展覧会は8月2日で終了。 ※ 水野美術館は長野市、きのこ会社のオーナーが日本画所蔵。 ※ 上村松園作品「夕べ」は山種美術館所蔵。 ※ 松園さん画室写真はネットから。

 

 

 

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2020年8月 7日 (金)

A1マグロ

Img_3735 Img_3744 Img_3746 Img_3747 Img_3751_20200802115801 Img_3755 Img_3763 Img_3760 Img_3764_20200802120001  「熟成A1マグロ」の幟が立っていない。いまは「感動のくらランチ500円」「うどんと寿司セット390円」などの幟。新しもの好きの性格、店内にはあるのだろうか。白黒の蔵もようの回転すし「くら寿司」、白黒つけようと開店の午前11時、一人階段を上がった。

 

 京都山科の国道1号沿いの「くら寿司」である。もう少し東へ行けば、ライバル店「スシロー」もある。どちらも店前はよく歩き通り、入店はスシローが多いが、今はAIマグロが気になる。CM登場は父が市川歌右衛門、親子で時代劇俳優の北大路欣也さん。京都市北区、紫竹小学校出身、自宅が北大路通り、その名が付く。剣術指南は無添流、CM裁きはうまい。

 

 一番客、店に入ってから暖簾があがった。コロナ対応、カウンターは39番と40番の一人占め。気になるA1マグロ、店員さんに聞いた。7月中の発売だったという。まぐろ職人の目利きを利用、A1の「ツナスコープ」で海外仕入れのまぐろをそう呼ぶらしい。いまは独自技術の「熟成まぐろ」が売りという。期間切れ、仕方がない。来たからには~で、熟成マグロから入り、穴子、サーモン、鯖、鰯の5皿。税込み880円。A1、A1…A1マグロ恋しや、また今度!。

 

 

 

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2020年8月 6日 (木)

夏が来れば~ヒマワリ

Img_3779 Img_3777 Img_3877 Img_3871 Img_3870 Img_3867 Img_3863 Img_3861 Img_3854 Img_3833 Img_3823 Img_3811 ♪~夏が来~れば、思い出す~♪…は、はるかな尾瀬だけど、夏がよく似合う花と言えば、ゴッホも描いたヒマワリが一番かな。漢字で書けば「向日葵」だし、英語なら「sannfurawa」と綴ってサンフラワー。麦わら帽被り、太陽サンサンの植物園へ行った。

 

梅雨の最中、神戸三宮のフラワーロードで、ヒマワリ案内の看板を見た。草丈で高性種、中性種、矮性種の高さがあり、花色は黄色にオレンジ、茶、黒、赤まで、八重にも一重にも咲き、60種以上という。植物園の案内は、種の配列はフィボナッチ数列の代表例と。フィボナッチ数列?、調べると、3、5、8、13、21…前二つの数字を和した並びようとか。

 

ヒマワリの種、規則正しくらせん状、フィボナッチになっているらしい。植物園案内、高度化も、園内ヒマワリ散策は単純がいい。麦わら帽の少女像の回り、ムーランルージュ色、夏焼けぴったり。観覧温室前、高い高いバア~。薔薇園の東は、各種ヒマワリの競演。真上に太陽ギラリ、向日葵の名あっても、眩しすぎる。顔は下向き。大きな花輪の真ん中にカマキリ飛来。食用?なんでかな。まあ、園内のあっちでも、こっちでもヒマワリ、夏が来た!。

 

 

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2020年8月 5日 (水)

扇の始まり、ここにあり

Img_3490_20200801082001 Img_3489 Img_3488 Img_3483 Img_3484 Img_3481Img_3653  扇(おうぎ)は、漢語で扇子。始まりは、中国かと思うが、平安時代の京都だという。ご存知だったろうか。書棚の新明解国語辞典を引くと、携帯の折り畳み団扇(うちわ)~と出た。折り畳めない団扇に対し、開いて畳んで、茶席や舞踊にも使う。扇子の図柄、センスがいる。

 

 その京都の発祥の地、どこか。中央分離帯に牛若丸と弁慶の像がある国道1号、五条大橋の西北詰めあたり。よく刈り込んだ笹の植え込みの中、扇型の石碑と駒札が立つ。昭和35年(1960)に設置、もう何代前か、当時の高山義三市長名の御影石の由来書き込みもある。源平一の谷の戦い、17歳で熊谷直実に討ち取られた平敦盛の室(夫人)に関わりがあるという。

 

 敦盛亡くなり、蓮華院という尼になり、一遍上人の時宗御影堂の寺僧らと扇づくりを始めた場所という。それがきっかけで、ここに扇工が集まり、扇の名産地として栄え、海外でも有名にと。町名は今も御影堂町。京都の隠れ遺跡、京都検定2級問題で過去2回出題という。出歩き、歩数計カウント稼ぎで遠回り、よく通る。高瀬川の木屋町側に牛若ひろばが、五条大橋の鴨川から北西へ比叡山が望める。伝統工芸品・京扇子の始まり、ここにあり。

 

 

 

 

 

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2020年8月 4日 (火)

冷やしパン始めました~

Img_3614 Img_3611_20200731112701 Img_3617 Img_3616 入り口のガラス戸に「冷」一字の案内で、~冷やしパン始めました~という。暑い夏、コロナの夏、頭も身体も冷やして、冷静さ失わないことは大事。パンも冷やす時代が来た~のかと、気になっていた。長かった梅雨が明けて、それでは一度~と入ってみた。

 

 京都では進々堂と並ぶ老舗パン屋「志津屋」さん。戦後間なし、昭和23年(1948)河原町に創業という。名物はハム入り京カルネとビーフカツサンド。京都市内の駅ナカなど店が増えている。初の冷やしパン、どう冷やすのか~と入店したのはJR山科駅ロータリー、スターバックス隣の隣の店。JRの時間合わせ、コーヒー一服などで、ときに行っている。

 

 普通のパン、チンして温めてもらうことはある。冷やしパンはどうするのか。注文口で聞くと、パン棚の2階に冷やしてあるという。どこどこと行くと、ペンギンマークの棚、たっぷりクリームパンとレモンクリームパンの2種類がそうだという。トレイに持参して、冷やしてもらうのでなく、棚の温度が下げてあるという。レモンマークのパン選んで、ホットコーヒーも注文。冷たいのか、そうでないのか、物事の見極めは、頭冷やすことが一番である。

 

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2020年8月 3日 (月)

切り株アート茸

Img_3499 Img_3503  Img_3505  Img_3512  Img_3513 Img_3515 Img_3516 Img_3509 梅雨茸だろうか。緑色がある。橙色のも、黄色もある。切り株の根元にへばりついて、ニュニュと出ている。小さな半円形、扇状に群れて、密になっている。コロナ、怖くないのかな。苔みたいだけど茸、コケにはできない。美術領域のインスタレーション、アート茸だ。

 

 出歩いて、よく通り抜けする建仁寺境内である。天井に小泉画伯描く双竜がいる法堂の向かい、開祖栄西禅師が中国から持ち帰った茶園の北側あたり。祇園の花見小路へ出ようと歩いていて、このアート茸に気がついた。樹齢どれくらいの切り株だろうか。もう何年か前の台風で倒れ、切られたのか。根本の半径5、60㌢はある。楠か、榎か、大木だったようだ。

 

 同じような切り株は2本。こっちからあっち、あっちからこっちへ。アートのビューポイントを探して、根元を回って、デジカメ向けた。アート茸を見つけたのは7月の後半、いつもなら熱暑の夏になっているのにずっと梅雨だった。この茸たち、朽ちた樹木とじめじめした天候が好きなのだろう。きな粉を撒いたような黄色いの、ピアノの鍵盤の、その中のような、光琳が描く松絵の琳派作品のような…、いろんなのがあって、今年の作品レベルは高いようだった。

 

 

 

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2020年8月 2日 (日)

祇園祭、今年の八坂神社

Img_3079   Img_3081 Img_3527 Img_3528 Img_3551 Img_3059 Img_3050 Img_3055 Img_3066_20200730111301 Img_3068   コロナと梅雨、今年の祇園祭の八坂神社はどうだったろう。祭の間、ぶら歩きで2度入った。神輿3基、居続けの公開。四条通りに面す西門に「祈 疫病退散 がんばろう日本」の幟。本殿鈴音は自動でチャランチャランと鳴る。ちゃらんぽらんでない。みんなコロナ対策。

 

 本殿前、舞殿にあった神輿3基の説明を読み、境内南側の神輿庫へ行った。中御座の屋根は鳳凰、祭神・スサノオノミコトを移すという。三若会が担ぐ。デジカメで鳳凰に向け、ホーオーと撮る。東御座の屋根は宝冠、こちらはスサノオノミコトの奥さん。担ぎは四若会。西御座の屋根は鳳凰。京の台所・錦組が担ぐ。3基で一番重い2トン、トンと知らず?。

 神社の神紋は二つ。巴紋と胡瓜を輪切りにしたような紋。神社に関わる皆さんは祭りの間、恐れ多いと胡瓜は悶々?として食べない。境内の幔幕など、二つの紋は随所にある。西門下の漢検ビル、祇園祭の山鉾、舞妓さん写真あり、胡瓜封じかのクイズも。7月1日の吉符入りに始まった1か月に及ぶ祭り。今年は宵山、山鉾巡行、神幸祭、還幸祭…みななかった。1千年も続いてきての異例づくめ。来年は元に戻って、コロナ一掃、いつもの夏祭りを願う。

 

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2020年8月 1日 (土)

鰻は京都のウ、うまいもんのウ~

Img_3610 Img_3092 Img_3093 Img_3522 Img_3089 Img_3086 Img_3088 Img_3085 Img_3096 Img_3097  ウは「京都」のウで、うまいもん探す旅という。京都新聞地域版、京都の「きょうと」に絡めた企画記事。京都の「ウ」で、うまいもんの「ウ」なら鰻ではないか。土用の丑に暑気払いに鰻。京都のうまい鰻屋は何処かな~と、ネット検索したら、う桶やの「う」と出た。

 所在は、四条花見小路下ルの「祇をん」という。歩きアクセスで、阪急河原町から8分、京阪祗園四条から5分。ミシュラン獲得の店で、京都ではそうない江戸焼きの蒲焼。名物の鰻の桶は人間国宝づくりという。コロナのいま、出前あり、持ち帰りあり~という。食べログ3・77、評価が高い。うまい鰻の「ウ」を探す旅、持ち帰りを予約して取りに行った。

 

 グーグルマップ見て、有名な「一力」あたりから歩きだした。わかるようでややこしい。石畳を5、60㍍ほど南へ行って、西へ折れて、路地の中だった。看板の「う」が長い。祗園情緒たっぷりの格子戸を開けた。木箱入り蒲焼き。~おおきにどす~と待っていた。蒲焼きはフワフワ、柔らかい。白焼き蒸しから熊野の炭火で焼き、秘伝のタレ。ご飯はタレが染みて米粒が立っている。だし巻き味が優しい。鰻のウ、うまいもんのウ、ウウッとなった。

 

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