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2020年6月

2020年6月30日 (火)

梅雨入りの植物園

Img_1398 Img_1391 Img_1364 Img_1423 Img_1403 Img_1413_20200630064201 Img_1400 Img_1416 Img_1384 Img_1380 Img_1362 Img_1434 Img_1425  Img_1456 Img_1458 葉っぱが半分、白くなって「ハンゲショウ」という。夏至から11日目、24節気を増やして72候の半夏生。半分化粧して、半化粧とわかりやすい。淡紅色の雄しべは、いい香りも、葉は夜に閉じて睡眠するので「ネムノキ」と名が付く。花木の命名由来にはわけがある。

 

 コロナ明けで行った京都府立植物園、今回は梅雨入りで行った。北山入り口、新企画の「今週の、探して!」。園内地図に番号打って、この花はどこにありますか~という。ちょとした目安、いい試み。時計に似た「パッシフロラ」は、十字架のキリストに見たて「受難の花」とも言うらしい。「アーティチョーク」は和名で朝鮮薊。品種改良が進んだ結果という。

 

 ~探して~のパンフには、解説がある。削れないカンナ、縦から横から見てもハス…、洒落は載っていない。洒落ずに「ノウゼンカズラ」は、花が落下しても色があせないという。落ちた花、ローアングルで撮ってみた。確かに色落ちしていない。探さない番外は、ヒノキとエノキ。♪~この木なんの木~♪で、コノキは何と、名札を下げている。傘より大きい葉はカシヤツデ、雨降っても心配ない。アンズ、実がマンズマンズ…、今日も明日も植物園!。

 

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2020年6月29日 (月)

「雨庭(あめにわ)」

Img_1338 Img_1333  Img_1339_20200626081901 Img_1341_20200626081701  Img_1343 Img_1347  Img_1349  Img_1350_20200626081801 広い交差点の角々に庭園がある。「なに言ってえ~んだい」と洒落てみたくなるが、ちゃ~んと砂石を敷きつめてあり、庭石と庭木がある。枯山水でなく、池泉式でもないが、庭園は庭園、日本庭園である。これ、「雨庭(あめにわ)」と言う。調べて、まだ広辞苑に載っていない。

 

 京都市街地、四条堀川の交差点である。南北の通りは3車線。北に二条城、南に西本願寺、中央分離帯はケヤキが植わる。東西の通りは2車線。西に王将1号店と嵐電始発駅ある四条大宮、東は四条烏丸、阪急が地下を走る。雨庭は、交差点の北西角と南東角、対角にある。出歩きで気づき、立ち見鑑賞した。雨水を直接、下水道に流さず、貯めこんで緑地活用という。

 

 竹が植わった北西角は、今年3月に完成した。見逃したが、京都新聞市民版に載ったようだ。京都市が雨季の洪水、夏季のヒートアイランド対策兼ねて、緑化修景で、ここだけで1800万円かけ、市内に広げる方針という。南東角は2か所、3年前に出来ていて、雨庭の図解看板もある。庭石のひとつ、今は産出がない貴船石、ほかは山石という。この雨水活用、米国メリーランド州など外国にはあるが、日本では四条堀川が始まりの地、何事も最初はグー?。

 

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2020年6月28日 (日)

奇・妙・珍…「折々の写真」

Img_1022 Img_0465 Img_0468 Img_0589 Img_0578 Img_0907 Img_0908 Img_0961 Img_0849 Img_1006 Img_0098_20200625090701 Img_0633  Img_0752 気にして奇なり、妙にして珍なり…、出歩くと、その時その時の出会いがある。朝日新聞1面、哲学者鷲田清一氏の「折々のことば」は名物コラムだが、梅雨入り6月、コロナコロナの世の中を出歩いたデジカメの撮り貯め。以下は、奇・妙・珍…「折々の写真」である。

 

 百年に一度、竹に花が咲いた。コロナ回避から3か月ぶり定期懇親会。竹の子産地、京都洛西から参加の一人が持参。竹の笹に花、サッサと見てと。いや、奇なり、珍なり。来た、来た~と釣り竿がしなって、大きな鯉が来た。夷川の疎水たまり場。通りがかって、釣り上がったその瞬間を見た。花菖蒲を見に行った勧修寺、触るな!と触って!の表示、さてどうする。

 

 触るなは漆の木、触って感触はさざれ石。病院の支払いの列、ネットならラクダ!と駱駝イラスト。堂本印象展ポスターも砂漠に駱駝、奇遇なり。休業入りした三月堂書店の定休日お知らせ、月火水木金土日。ずっと定休、洒落ている。ベンチ隣に雀くん、距離置いてや。画廊に掛かった絵一枚、男女の距離2㍍キープ。平安神宮の池の岩にアオサギ、世の中見渡すように。純白の6花弁の花は、喋らないクチナシ。寺町三条、天性寺の伝導板は「たまには心も雨やどり」。

 

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2020年6月27日 (土)

御苑の木製ベンチ

Img_1261 Img_1263 Img_0934 Img_0936 Img_1270 Img_0925 Img_0922 Img_1266 Img_1275 Img_0933 ひょっとして、ここは、別天地だろうか。別世界と言ってもいい。古びた木製ベンチに背筋をひっつけ、仰向けになる。両足と両手を思い切り伸ばす。縮んでいた節々の骨が音を立てるよう…気持ちがいい。目を閉じて無想、目を開けて空と雲…ここにコロナの世界はない。

 

 寺町御門から入った京都御苑の中である。御門のすぐ北東50㍍ほどの所に京都府立鴨沂高校。日本で最初の公立女学校「女紅場」が前進、校門は公家屋敷からという。女優の森光子、山本富士子が出て、男優で田宮二郎、歌手では沢田研二という。御所の中散策、皆さん一度ならず二度三度だったろう。背もたれのないベンチ、ひとり独占の仰向けがいい。

 

 筑地塀の向こう、北へ行けば、京都迎賓館がある。南は富小路グラウンド、明治の初め京都博覧会があった。かつての職場が近くソフトボール社内職場大会、捕手していて右手小指の突き指骨折、今も曲がっている。これも、小指の思い出?。幾つかあるベンチの一つ、コロナ自粛明けの出歩き、もう二度お世話になっている。仰向け、モミの木の上、雲がよく動き、よく形を変える。生きている実感。密は、集も着も接もない。マイディスタンスがある。

 

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2020年6月26日 (金)

秀吉祀る豊国神社

Img_1094 Img_1077 Img_0503 Img_1080 Img_1076 Img_1074 Img_1075 Img_0509  Img_0508 Img_1093 Img_0511 夕方の民放テレビ、歩いてよく行く秀吉さん祀る豊国神社が出た。作家でコメンテーター・若一光司さんが現場案内して、~ここの唐門は国宝です~などと紹介している。この間もコロナ明けで行ったし、唐門は知っている。もっとほかにも知っている~と、また行った。

 

 京都の東山七条、三十三間堂と京博の北側。毎月8、18、28の8の日は、参道におもしろ市、骨董品が並ぶ。近所の人は「とよくに」でなく「ホウコクさん」と呼ぶ。すぐ北に大坂冬の陣、「国家安康」「君臣豊楽」の方広寺大仏殿の梵鐘がある。南には朝鮮侵攻の遺訓、耳塚(鼻塚)と公園。京を見下ろす東山三十六峰、阿弥陀が峰の頂きには秀吉の墓がある。

 

 ホウコクさん、国宝の唐門。左甚五郎の彫った鶴、飛んで行くからと目がない。ちょっと来いと鯉も。阪神大震災で蔵入りの秀吉像も令和で再登場している。63歳、伏見城で没した秀吉は神になり、神号が大明神という。同じく神になった家康は大権現。位階はともに正一位である。国宝唐門は伏見城から二条城、南禅寺金地院から明治時代の豊国神社再建で、今ここに~である。テレビでは、宝物館には秀吉の歯も~展示とか。今度、ハハ~ンと見よう。

 

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2020年6月25日 (木)

讃岐うどん8玉チャレンジ

Img_0494  Img_0492 Img_0487_20200616130901  Img_0483   Img_0975  Img_0482 早食い、大食いは、ニュースになる。イベントになる。地元名物になる。ギネスになる。店のPRになる。わんこ蕎麦は出雲、いつもある。ラーメンの1分間32杯記録、今年1月35杯に伸びた。ご近所の讃岐うどん、香の川製麺は、毎夜毎夜、大食いチャレンジ席が出来る。

 

 コロナ自粛のおり、近くを歩いて昼過ぎに入って、その席に座って知った。昼は一般席を兼ねていて、看板が出ていた。先着2人、釜あげか、ざるか、8玉、天ぷら13個、イナリ2個、量にして3㌔、25分で完食すれば、2千円のお代はいらないという。蕎麦か、うどん1玉で減量チャレンジの身、だれが挑んで、成果はどうなのか、その時から気になっていた。

 

 入り口に8玉のざるがある。顔が丸ごと入る。チャレンジ成功者の記録。今年3月3日、NMさんが23分54秒で完食という。うどん県、香川出身の客だろうか。高松の知人が「うどんは噛むんとちゃう。喉に通して味わうや」の弁、思い出した。天ぷらまで食べて、仕上げはイナリで、狐コーン…、常人とは思えない。パソコンのユーチューブで調べてみた。4玉でギブアップと8玉完食のケースを見た。世の中に健啖家あれど、腹は8分目がいい。8玉チャレンジ、これはスルーしたい。

 

 

 

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2020年6月24日 (水)

青年技師・田辺朔郎

    Img_0402 Img_0400 Img_0409  Img_0397_20200621093701Img_1149 Img_0421  Img_0470 Img_0463_20200621093901  いや…、改めて、若い。高い台座の上、右手に琵琶湖疎水の設計図を持つ青年技師・田辺朔郎の等身大銅像、その年齢21歳である。長いマント、蝶ネクタイ、髪は七三分け、どこかまだ童顔を残す。明治の初めに京都に近代産業の礎をつくった、その人、この若さである。

 

 銅像は、大津から長いトンネルを越えて琵琶湖疎水のゴール、京都の蹴上にある。地下鉄東西線蹴上駅を降り、動物園、南禅寺方面の改札を出て、三条通りからねじりマンポをくぐって、インクライン(傾斜鉄道)沿いを上がった公園の中である。日本初の水力発電、市電、舟運、水道…、琵琶湖の水が京都に届いて今年130年、その功績のほど語りつくせない。

 

 コロナ禍の近場出歩き、自粛と解除、曇りの日と晴れた日、二度行った。その時の三代目京都府知事、北垣国道の銅像も夷川浄水場まで見に行った。北垣あって、田辺である。田辺あって、工事その他、関わった人々である。完成は外国人の手を借りず、オールジャパンという。琵琶湖から京都へ水を引くこと清盛も秀吉も考え、明治になって田辺が卒業論文で設計図を書き上げ、起工から6年で完成である。今月19日、文化庁は日本遺産に認定した。

 

 ※ 田辺朔郎(1861-1944)東京生まれ、工部大学(のち東大)卒。東大、京大教授。北垣国道は義父。北海道鉄道敷設にも貢献。 ※ 琵琶湖疎水は明治23年(1896)完成。のち鴨川分水、暗渠の第二疎水も。

 

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2020年6月23日 (火)

予感、鴨川歩き

 Img_1189 Img_1196  Img_1177  Img_1178 Img_1183   Img_1202 Img_1198 Img_1197  予感というのか、何か起こるような、そんな気がしていた。夏至と部分日食の重なり、徳川家光の時代以来372年ぶり。コロナ自粛の県境超え解除初の週末、人出が多い。ヌートリア、雨中の鵜ショーを見た鴨川、二度あることは三度ある。何があるのか、鴨川を歩いた。

 

 梅雨の晴れ間、そう暑くはない。一日一度の出歩き、何処を歩くか、決めてはいない。目標8千歩達成すればよい。コロナ2派警戒も兼ね、密にならない鴨川へ。七条大橋を降り、左岸を北へ。自宅出たおり、阪神が近本ソロで巨人リード。途中、歩きスマホで野球速報点検、えっ!1-7。期待のボーア、今日も満塁で凡退。ああ~、開幕3連敗は20年ぶり。

 

 五条大橋、松原橋、団栗橋、四条大橋…歩いて歩いて、何も起こらない。平凡な散策、それはそれでと三条大橋下まで来て~だった。白鷺が2羽、コサギとダイサギ、アオサギも舞い降りて川岸に来た。3羽、ソーシャルディスタンスの揃い踏み。上空は鳶が2羽、3羽、カラスも多い。デジカメ、上に下に向けていたら、鳶が急降下して、川岸一服の若い学生仲間のパンか、おにぎりを失敬した。一瞬の早業、鳶に油揚げ実証…やはり、何かが起こった。

 

 
 

 

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2020年6月22日 (月)

町中の紫陽花を撮る

Img_0940 Img_0944 Img_0966 Img_0950 Img_0964 Img_0948 Img_0991 Img_1009 Img_1014  Img_1058 沖縄の梅雨が明けて、近畿に梅雨入り宣言が出た頃から紫陽花にデジカメを向けた。額アジサイに西洋アジサイ…、薄い白あ、淡い青あり、赤紫色あり。京都市内の出歩き、歩道花壇に手まりのように、星のように、球状に咲いていて、いいな、いいな~とずいぶん撮った。

 

 額アジサイは日本の原種で、シーボルトが持ち帰って、西洋アジサイになって、種類が増えに増え、いまや世界で2千種という。それが日本にも逆輸入して、梅雨のこの時期、色の変化が楽しめる。土壌PHで色は酸性なら青系、アルカリなら赤系が咲く。コーヒーは砂糖かミルク加え酸性、ブラックはアルカリ。酸性に反対か賛成か、二世も三世も判断は難しい。

 

 紫陽花で名句を検索すると、子規の句が苦も無く出てきた。~紫陽花やきのうの誠けふの嘘~。人の心模様、紫陽花の七変化で表している。パソコンの中の紫陽花写真、30枚以上ある。河原町丸太町から北側、寺町二条から北側、御池通りの北側と南側、色合いも球状も変わり、大きいの小さいの~と写している。烏丸六角に池坊会館の創作生け花は、紫陽花テーマで祈りの花。そこで我一句。~紫陽花はことしのコロナつゆ知らず~。もう一つ?いや、もう二つかな。

 

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2020年6月21日 (日)

鵜の雨中ショー

Kawau   Img_1114 Img_1110    Img_1107 Img_1106  Img_1103 Img_1100 雨降る川の中、鵜が2羽いる。サンバなら、カラカスマンボ、ウー!である。夜来の激しい雨があって、川の流れは濁って激しい。目に入った黒い2羽の鵜、白浪立つ濁流に飲み込まれることなく、鵜飼の鵜のごとく、潜水また潜水である。雨中の鵜、うっとりと見た。

 

 気温は20度少し、梅雨寒(つゆざむ)というらしい。都道府県をまたぐ移動自粛が解禁になった日だった。ずっと寂しかった京都駅はどうかな~と日々の出歩き、京博、三十三間堂から七条通りを西へ、七条大橋へ来て、鴨川の鵜だった。梅雨入り前、五条大橋ではビーバーみたいなヌートリア(沼鼠)を見たが、今度は鵜、元気な川鵜、魚取り潜水の鵜である。

 

 橋の下、南側欄干から見た。堰の段差、川の流れが白濁している。鵜2羽、夫婦か兄弟か友達か、ひっついたり、離れたりして、潜っている。頭から突っ込んで、10秒、20秒、30秒…折り畳み傘とデジカメ持ち、目を凝らしていると、まったく異なる所でポコンと浮上する。鮎か、鯉か、オイカワか…、口ばしに魚をくわえている場面も。デジカメのズーム届かず、写真は黒い点だけ写っていないが、観客ひとり、鵜の雨中ショーだった。

 

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2020年6月20日 (土)

ナツツバキ(夏椿)は今咲く

Img_0994 Img_0996 Img_1001 Img_1002 Img_1003 Img_0939 Img_1004 Img_1045 朝、白く清らかに咲き、夜、花ごとポトリと落ちる。それで「一日花」と言われるナツツバキ(夏椿)、別名でシャラノキ(沙羅の木)である。花言葉は「はかなく美しい」という。5枚の花はうすく、ふんわりしている。梅雨から夏にかけて開き、つい、見とれてしまう。

 

 京都御所を出て、丸太町通りから寺町通りの西北かど、骨董屋さんの店先で見た。樹高5㍍ほど。緑濃い葉の中で、白く咲き、まん丸な蕾もつけている。歩道のイチョウと向かい合って、道路には昨日咲いた花が掃かれないまま何個も落ちている。この辺り、よく歩くのに初めての出会いだった。ツバキ科の落葉樹。ツバキに似て夏に咲くのでナツツバキという。

 

 翌日の京都新聞朝刊1面に妙心寺の塔頭東林院庭、ナツツバキの写真が載った。梅雨で緑色濃くなった苔と花の白さ、紙面に涼感を呼ぶ。記事の書き出し、平家物語の沙羅双樹(ナツツバキ)の花が~とあったが、これは混同しやすく、記者さんも一杯食わされたかな。ナツツバキは沙羅の木とは言うが、お釈迦さん病床にあったインドの沙羅双樹とは異なる。寺町丸太町東側は幕末の儒学者、横井小南暗殺現場の碑も。人生の切なさ、はかなさを思う。

 

 ※ 京都新聞は6月16日付け。 ※ 沙羅双樹は国内、西日本では滋賀県草津市水生植物園に1本ある。 ※ ナツツバキは福島、新潟以西、九州、四国、社寺などに多い。

 

 

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2020年6月19日 (金)

高速道路の始まりは名神の山科

Img_0640Img_0649 Img_0641  Img_0642 Img_0643 Img_0648_20200616084601 Img_0652 伸びて、伸びて…、日本の高速道路は、いまや、網の目のごとくである。名神、東名、東北、山陽、九州、四国、道央…新名神、新東名…、国内の延長距離数は2500㌔以上に及ぶ。その始まりはいつ、どこか、ご存知だろうか。その現場を立ち、遠い記憶を新たにした。

 

 始まりは名神高速道路の、京都の、山科である。今のJR山科駅でなく国鉄時代、ずっとむかし明治時代にあった山科駅の場所と重なる。初代道路公団総裁、岸道三氏が昭和33年(1958)10月、ここで鍬入れして、東京五輪前年の昭和38年(1963)7月16日、尼崎―栗東間71・7㌔で開通している。「日本で最初の高速道路」の看板があがる。

 

 花菖蒲を見に自宅から勧修寺へ行って、帰りにぶら歩きしての出会いだった。名神高速下り線側の側道、起工の地、旧山科駅の石碑がある。当時の写真や経緯を書いた看板がある。起工50年、開通45年を記念して平成20年(2008)に出来た。本物の起工の地の碑は、この上の中央分離帯にあり、ここは複製という。見あげた高速道路、JHと名神の案内板が見える。地下鉄小野駅から徒歩6分、小野校の真ん前。我が町・山科自慢の一つかな。

 

 

 

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2020年6月18日 (木)

学問のするめ~おすすめ

Img_0867 Img_0871 Img_0868Img_0854 Img_0852 Img_0855_20200615090601 Img_0864Img_0863   Img_0881 売り子さんがスルメ一本出して、どうですか~と、試食をすすめてきた。地下鉄京都市役所駅の駅ナカ、出歩き帰り。お店は週替わり、福岡から出店の「学問のするめ」である。「学問のすすめ」で福沢諭吉、学問の神様で大宰府天満宮…、さあ、どうするめえ~。

 

 するめは、受験生のそばで、学問のするめ。輪切りのいか「オクトパス)」は、机の上に置くとパス(合格)で縁起がいい。商標は梅の花にイカのイラスト。いかにもいかにも~である。ダジャレ効果、TVにも紹介されたという。イカの流れ、出歩きで見つけた洒落っぽい店、ほかにも以下に紹介するめえか?。まずは、東山二条東側に新規開店した開運ラーメン「ヨロコビ大社」。

 

 店前に<喜>マークの絵馬飾り。立看は漫才大賞ミルクボーイの似顔絵~オカンが食べたなるラーメンがある言うんよ…それヨロコビ大社の塩ラーメンで決まりよ~。旨い貝ラーメンもある。そうかい?。寺町御池上ル、鍋、モツで「三度目の正直」。こんどこそは~で、SNS投稿は1分10円飲み放題。八条口アバンティ地下「揚げバル」はコロナ休業明け再開記念、567(コロナ)円1時間飲み放題。ともに、これ以上は、まけられないコロナ値段?。

 

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2020年6月17日 (水)

京近美、期限切れ会期延長展

Img_0830 Img_0803 Img_0835 Img_0808  Img_0812 Img_0821 Img_0815 Img_0817 ポスター、チラシの会期の表示はもう終了しているのに開催している。京近美の企画展「チェコ・デザイン100年の旅」。コロナで臨時休館が続いて、解除になってときは会期をすぎていたけど異例の会期延長である。期限切れ招待券、いいのかナ~と持って見てきた。

 

 全国巡回の展覧会である。去年4月、愛知県岡崎を皮切りに富山県立、東京・世田谷と回って、最後の京近美は今年3月6日から5月10日までだった。チェコ国立プラハ工芸美術館所蔵の250点。ボヘミアングラス、ミュシャ絵などポスター、それに多機能椅子、書籍装丁、掃除機、玩具など世界をリードしたチェコの工芸作品、100年の足跡紹介である。

 

 会期の延長は5月26日から7月5日まで。京近美はコロナ自粛明け、国公立美術・博物館では一番早い開館という。地下鉄東山駅通路から近美の疎水前…、悪魔の小箱、耐熱ガラスのティセット、左手デザイン看板、通るたび目に入っていた。作品はプラハから日本に来て、もう軽く1年を超えている。日本もコロナ、チェコもコロナ…帰るに帰れないのだろうか。検温、マスク、距離おいて、声出さず…見た。作品の1点1点、そろそろ帰りたそうだった。

 

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2020年6月16日 (火)

ビワの実、白い花から半年

Img_9677 Img_9676  Img_0052_20200613094001 Img_0146 Img_0327_20200613094401   Img_0302  こっぽり、ほんわか…、三つも四つも五つも実がなっている。濃い緑の大きな葉から隠れ出るよう、一口大、黄橙の色である。この実も、葉も、そう言われば楽器の琵琶の形をしている。中国原産、なぜかバラ科の常緑高木という。たわわに実がなるビワの木、今が食べごろである。

 

 灯台下暗し~と言うのだろうか。去年12月、NHKラジオのいきものがかりで、ビワの白い花が冬に咲き、実を6月につける~と聞き、花を探しに行った。京阪バスで伏見まで乗り、鴨長明が方丈記を書いた日野の山奥まで行って見つからず、帰りに果樹園のご主人に出会い見せてもらった。小さい5弁の花、アンズの香りがしていた。そのビワ、近所にあった。

 

 コロナ自粛で遠出せず、近所中心の出歩き。自宅出て、大石道から国道1号、新幹線高架下だった。民家の壁にそって2本、高さ5、6㍍。いつも乗っている京阪バスがそこを通っている。あの冬に見たビワの花、大寒、立春、啓蟄…半年すぎた今、実になっている。桃栗3年柿年ビワは早くて13年という。実も葉も薬効多いという。癌によく長寿によく、加えてウイルス性疾病にもよい…という。コロナにもか。いま、果物屋さん1パック10個入り販売中。

 

 ※ 小さな白い花の写真は去年12月に日野果樹園で。 ※ ビワは平均気温12度以上の温暖地で栽培。北限は千葉。生産量は①長崎②千葉③香川の順。

 

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2020年6月15日 (月)

「ガラスの茶室」前でカルガモショー

Img_0697 Img_0693  Img_0718 Img_0724 Img_0726  Img_0734 Img_0737 頭からドボンと潜って、浮上して派手にバシャバシャ…、今度はシンクロみたいに水面から立ち上がって、羽根を広げてブルブルブル…。京都市京セラ美術館の池泉式回遊日本庭園の中、カルガモ夫妻だろうか。梅雨入りのショー?。しょうとはつゆ知らずに見惚れた。

 

 コロナで延期また延期だった命名権、京セラ50億円の京都市美がやっとリニューアル開館した。こけら落とし企画は写真家、現代アート作家…の杉本博司さんの「瑠璃の浄土」などである。予約に人数の制限…、まだ入っていないが、この間、美術館の外側を回って、むかしからある東側庭園で~だった。東山借景、琵琶湖の水…7代目小川治兵衛の作庭である。

 

 池の真ん中、杉本さんがベネチア・ビエンナーレなどで出展した「ガラスの茶室(聞鳥庵)」の展示、無料公開という。ルーブルのガラスのピラミッドみたいで、茶室名の聞鳥庵はモンドリアンと読んで、抽象画をイメージさせる。どんな茶席になるのか、池の端から鑑賞していて、池に何度も波紋広がって、カルガモのバシャバシャ、ブルブルブル…である。派手なショーすんで夫婦して一服か、ガラスの茶室に上がって、お点前のほどどうぞ?。

 

 

 

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2020年6月14日 (日)

時の記念日100年の天智天皇稜

Img_0683 Img_0665 Img_0669 Img_0670  Img_0679 Img_0674 Img_0673 Img_0672 今年は6月10日が「時の記念日」になって100年目だった。天智天皇の水時計・漏刻故事に因んで、大正9年(1920)6月10日、生活改善同盟が~時間を守ろう~と制定した。その日、京都山科の天智天皇稜参道に日時計があり、100年のトキを感じに行った。

 

 どうして6月10日が「時の記念日」になったのか。朝日新聞、3日前のジュニアページ、~もっと教えて!のドラえもんに詳しかった。西暦671年、天智天皇が細孔から漏れる水量で時間をはかった~という日本書紀記述の日を今の太陽暦に直して、6月10日にしたという。百人一首の大津・近江神宮は天智天皇を祀り、毎年時計奉納など儀式がある。

 

 天智天皇の山科稜は、地下鉄御陵駅の深い改札を上がって、旧東海道、今の三条通り沿い。京都薬大、御陵交番、陵が丘公園、JRの高架も見える。石造の日時計は京都時計組合寄贈で、高さ1・7㍍。「天恩無窮」の篆額字がある。~天の恩ある日は永遠に~という。左上に6、下に12、右上に18…左回りで日の出から日の入りを示す。100年記念なのに誰もいない。何もない。時はいま、コロナまたコロナ…、♪~時の流れに身を任せ~♪(テレサテン)は、辛い。

 

 

 

 

 

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2020年6月13日 (土)

花菖蒲、平安神宮と蹴上と勧修寺で

 Img_0066 Img_0088 Img_0079 Img_0081 Img_0071  Img_0439 Img_0446 Img_0584 Img_0612 Img_0608 いずれ菖蒲か杜若~は、美しく、似ていてややこしい。手元の新明解国語辞典で「花菖蒲」を引いた。~大型で葉の真ん中に縦筋がある。多年草、池、紫色、品種多い~と出た。平安神宮、蹴上、勧修寺で今が旬と花開く。咲き様、丁か半か、しょうぶ、しょうぶ!と見た。

 

 平安神宮は巫女さん受付で600円。入り口に「花菖蒲咲き初む」とある。初む~の表現、古風さにしびれて、西神苑へ行く。白虎池中心、青、青紫、青と咲く。200種、2000株という。初夏になると、しょうか、しょうか~と池辺に咲く。西神苑から中・東神苑へ順路看板は、→で外国人に「THIS WAY」。この道はいつか来た道…、白秋のような。

 

 蹴上のインクライン(傾斜鉄道)のレール辿って、動物園が見える疎水だまり。白い花菖蒲。向こうは噴水、真上は宮瀬富之さん制作の疎水モニュメント・巨大な輝き。山科の勧修寺は名勝庭園氷室池。入園代は400円。樹齢750年のハイビャクシンの中、水戸黄門さん寄進の灯篭。説明は~黄門さん、京都へ来ると、ここを見て通ろう~。お寺のフェイクニュース、だいぶゆるい。半夏生、蓮、紫陽花とともに花菖蒲、今が勝負の時と咲いていた。

 

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2020年6月12日 (金)

新選組、洛中最後の屯所

Img_0562 Img_0531 Img_0546 Img_0549 Img_0540Img_0799  Img_0200 Img_0199    新選組、最後の屯所はどこか?謎が解けた。JR京都駅から西へ5分、いまのリーガロイヤルホテルで既に「誠」の碑がある。京都新聞朝刊一面トップ、独自ダネで報じた。史家が西本願寺古文書で~新選組に700両で土地、屋敷を用立てた~などの記述を突き止めた。

 

 京阪バスで西本願寺までよく乗る。終点の聞法会館から出歩いて、境内北側に重文の太鼓楼、新選組ゆかりがある。新選組が壬生の八木邸から移った2番目の屯所、大きな駒札が立つ。ここから池田屋事件、蛤御門の変などで、次第に隊士が増え、三度目の屯所が「不動堂村」と言われていた。その場所が史家にもしかと?特定できず、ここや、あこや~と論争が続いていた。

 

 土方歳三の生涯を綴る司馬遼太郎の「燃えよ剣」では、「醒ヶ井七条堀川のあたり、不動堂村とも言われる」とあったが、それ以上はなかった。京都駅前から西へ、塩小路通西洞院の西南角に「この付近~」の石碑、さらに西の不動村明王院に「まもろしの屯所」提灯、そして、リーガロイヤルホテルが新聞に載った場所という。堀川通塩小路西南。ホテル敷地の石碑に近藤勇の一句。西本願寺の古文書は大名屋敷並みに新築、提供した~など詳細に記述している。幕末から150年余、古文書は新選組屯所の「誠」ここにあり~と裏づけた。

 

 

 ※ 京都新聞記事は6月8日つけ朝刊。古文書記述発見は東京都日野市、新選組ふるさと歴史館の元館長。慶応3年(1867)6月から鳥羽伏見戦いまで半年間だけの新選組屯所。

 

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2020年6月11日 (木)

宮崎酒場の宮崎メニュー

Img_0228 Img_0232 Img_0229 Img_0223 Img_0212 Img_0304   Img_0305 Img_0312 Img_0314 Img_0308 安いかな、とは思っていたが、安すぎる。ハイボール1杯と鶏皮ポン酢で540円。レジ支払いのおり、思わず「悪いな」と声が出そうになったが、客は客だしと思い直し、代わりに「また来るよ」。コロナで臨時休業から再開の京都駅ポルタ内「宮崎酒場えびす」である。

 

 何しろハイボール1杯が90円、メガで180円という。あてだって、ピリ辛こんにゃくなど380円と安い。勝手に値段がついて出てくるお通しはない。開店当初の2年ほど前に1、2度行って以来、ご無沙汰だったが、コロナ明けの出歩き、ちょっとだけよ~と入って、この値段である。コロナで客減少対策か、大きな看板出し、新しく昼定食も始めている。

 

 「また来るよ」と言った手前、一日置いて行った。豚汁付きの宮崎流みそかつ定食1200円。味付け豚肉、揚げないカツが宮崎流という。宮崎の知人から送ってもらい、旨さのほどは知っている。みそダレあるも、味にみそはつけない。店内に高千穂峡のポスター…、知人のマイカー案内、あの時の懐かしさが甦る。メニューは鶏、牛などA級、B級など…宮崎、宮崎している。今度はハイボール2杯と宮崎牛のテールスープか、天ぷらの飫肥(おび)天かな。

 

 ※ 宮崎市は人口比で飲食店が日本一の多さ。市中心の橘通り、通称「ニシタチ」は1500店近くあり、このコロナで150店近く廃業の情報あり。

 

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2020年6月10日 (水)

三条大橋のいま

Img_0273 Img_0272 Img_0276 Img_0277    Img_0284  Img_0136 Img_9825 東海道は東の日本橋に対する西の起点、京の三条大橋、だいぶ痛み出している。木の欄干、所々で朽ちてきて、穴があきだしており、京都市は、応募したふるさと納税1億円など使い、今年度から改修の工事設計に入るという。現場の三条大橋、橋の端から見に行った。

 三条大橋と言えば~である。東北角に100年前、駅伝発祥の地を示すメモリアル碑。向かいは寛永の三奇人・大村益次郎の皇居遥拝像。橋を渡れば、南側に弥二さん喜多さん、東海道膝栗毛ゴール像。先斗町歌舞練場もある。西北側には池田屋跡、擬宝珠に新選組襲撃事件の刀傷が残る。秀吉が天正18年(1590)それまでの橋を日本で最初の石柱橋にした。

 

 今の橋は、昭和25年(1950)からで、長さ74㍍、幅15.5㍍。それから70年、部分手直しして40年。京近美今年度第1回のコレクション展、日本画家近藤浩一路が描いた三条大橋が展示中である。制作は大正12年(1923)。秀吉時代の橋で、はるか東山の社寺も見える。京都駅東の地下通路では、ふるさと納税募集のスケッチ橋も見た。どう朽ちているか、行きつ戻りつ見て、確かに木の欄干もずいぶん穴が開いている。アナア?~。

 

 

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2020年6月 9日 (火)

テークアウト時代が来た

Img_0256 Img_0258 Img_0261 Img_0268-1 Img_0271 Img_0285 Img_0287 Img_0293  Img_0295 Img_0316  自宅近辺から町ナカへ出て、店前に~お持ち帰りでき ます~のノボリが増えている。「イートイン」でない「テークアウト」である。この「テークアウト」、コロナ禍の食の変化で、今年の流行語大賞の可能性も出てきた。町歩きで撮った写真、いちど持ち帰って考えた。

 

 総務省は消費が急激に冷え込んでいるという。2人以上世帯で、この4月は前年同月比11%減、7か月連続マイナスという。ホームステイ、すごもり、テレワーク…、外食の飲食業界が影響を受けている。密室・密着・密接がすべて、あの狭さが魅力だった居酒屋「庶民」は、低空(テイク)アウト?。ピザのデリバリー、中華丼の出前などが人気上昇では…。

 

 京都河原町三条などで、持ち帰り、テークアウトの様々を見た。丸亀製麺はうどんの打ち立て持ち帰り。来来亭はテークアウトラーメン。和食の「えん」はだし茶漬け。回る寿司むさしは握りたて一皿から。がんこは、店前で呼び込む。ドトールコーヒーは全品持ち帰りできますと言い、びっくりドンキーはテークアウトのバリエーション増えました。日本食糧新聞、飲食業界の活路はテークアウトにあり~と書く。時代はアウト、セーフ…よよいのよい?。

 

 

 

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2020年6月 8日 (月)

郵便ポスト、ホーム上で100年

Img_0250 Img_9778 Img_9772 Img_9771 Img_9768 Img_9766 Img_9774 Img_9773 当たり前のようで、珍しくもないと思うのに極めて珍しいことなのだという。JR京都駅ホーム、2・3番線と4・5番線にある郵便ポストである。ホーム上、現役の赤いポストは今では日本列島どこにもなく、ここ京都駅だけ、それも100年間もあり続けているという。

 

 京都から山科で停まって大津まで9分、よく乗る2・3番線ホームである。東側地下改札から上がって、時に立ち食いそばかうどんの麺屋立ち食べする。郵便ポストってあったけなあ~と、今年2月20日付け京都新聞夕刊1面に載った「駅ホーム、ポツンとポスト」の記事を取り置いていた。コロナ自粛解除明け、久しぶり大津へ行ったおり、ポストあるなあ~と見た。

 

 記事の前、去年の11月、TVのクイズ番組でも紹介され、ツイッターでも話題になったという。旧国鉄時代の大正9年(1920)、駅構内に京都駅郵便室が開設され、列車輸送の名残とか。当時は全国の主要駅でもあったが、順次撤去されたのに京都駅は利用客もあって、現役を続けているという。米原行き新快速が来るまで、そうだったのかと、色んな角度からポストを撮った。ポストの所在地と集配時間、表示されている。100歳時代のシンボル、いまここに。

 

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2020年6月 7日 (日)

コロナ明け植物園

Img_9920_20200604092701 Img_9932 Img_9931 Img_9940 Img_9949 Img_9996 Img_9974 Img_9883 Img_9887 Img_9946 Img_9892 Img_9960 ちょっとウキウキ気分かな。コロナ開園2週間目の晴れた日曜午後、入り口はどこか華やいでいる。少し、雑々もしている。係りの人が距離をとって下さいという。ソーシャルディスタンス。検温感知器・サーモスタットへタッチ。36・2度で関門通過して園内へ入った。

 

 1か月半ぶりの京都府立植物園である。マスクして手に消毒して、通いなれた園内を回った。閉園中、京都新聞の<植物園つうしん>に載っていた「ムラサキ」の野草を探しに行った。額田王が近江の蒲生野で「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き~」と詠んだ紫野の「ムラサキ」、京都市北区紫野の「ムラサキ」でもある。いま、園内生態の森で咲いているという。

 

 園の配慮で表示看板が出ていた。根が紫色で染料や薬草になるという。痔によく効くらしい。額田王は知っていたかな。絶滅危惧種の小さい小さい白い花。マクロ撮り、1枚やっとアップになった。蓮池回りの緑が目に染みる。青モミジと蓮池、この日撮ったデジカメ写真でベストかな。名前がわかる黄色い花、勲章菊、花菱草、金糸梅も咲いている。四季彩の丘、緑濃い大木と空…ゴッホはどう描くかなあ。花の皆さん、コロナ気にせずお待たせ!と咲いていた。

 

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2020年6月 6日 (土)

「スタンド林屋」と「いざかっぱ」

Img_9779  Img_9785 Img_9797 Img_9790Img_9799 Img_9805 Img_9804 やあっ!こちらの顔を見て、アゴマスクの林さんが手を挙げた。イケメン?と、言われるスタンド林屋の林さん、元気そうだ。表のドアは開けっ放し、カウンターに消毒液。その少し先は同業の「いざかっぱ」。店長は若い板倉くん。やはり元気そう。馴染みの居酒屋2軒、久々に回った。

 

 長いトンネル一つの県境越え。JRで京都の山科から滋賀の大津へ4分で着く。乗って半分以上は逢坂山のトンネル。コロナ自粛、滋賀が先に解除、京都もやっと。自宅テレワーク1か月という大阪勤め、大津在住の知人に誘われ、1か月半ぶりに行った。林屋は今年3月に開店10周年記念、かっぱはビニール店から転居して1年目。居酒屋は競合も店主同士は仲が良い。

 

 大津勤め時代以来、どちらも創業のときから三日に一度だったかなあ。コロナ禍、休業から再開、どうかな~と気になっていた。開店5時、先に林屋から入った。おすすめメニューの造り欄~当面控えています。この状況下、ご来店ありがとうございます~。気持ちが伝わる。早めのはしご、かっぱへ。おすすめメニュー~近江牛の肉餃子、少し大きめのサイズです~。PRがさりげない。提灯は赤が林屋、白がかっぱ…、赤も白も、コロナを越えて頑張れ!。

 

 ※ 両店はJR大津駅びわ湖側改札でて、右の県庁側へ1分。

 

 

 

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2020年6月 5日 (金)

南画「村の老天使」

Img_0017_20200602085101 Img_0027_20200602085101 Img_0022_20200602085101 Img_0023_20200602085101 Img_0024_20200602085101 「エイサ、ホイサ」と、声出して駆けているのだろうか。縦長画面の真ん中、郵便配達屋さんをど~んと大きく描いている。「郵便だぞ」「手紙やぞ」…、画面から声が聞こえてきそうだ。南画家・水越松南の作品「村の老天使」である。画面の中で、絵が動いている。

 

 コロナ休館の京近美がやっと開いた。企画展「チェコ・デザイン100年の旅」は会期延長になり、同時開催の近美2020年第1回コレクション展もそのままだった。水越作品は、同じ京都美工出身の山口八九子生誕130年記念展と関連して、橋本関雪、富田渓仙らの作品とともに並んでいた。構図、色彩、題材…、大胆さ、異色さに惹きつけられた。

 

 明治から昭和初めにかけての郵便配達の服装だろうか。紺色の法被、竹の子笠、股引、脚絆をつけて、草履を履いてエッサ、エッサと田舎の道~である。写真撮影はよいので、全体を撮り、部分、部分をアップした。だいぶお年寄りか。笠の布がなびいている。笠、鞄に〒マークがある。遠くで村人が待っている。日本南画院が出来て4年、昭和2年(1927)水越さん39歳の制作という。今はマスク姿でバイク配達の郵便屋さん、アベノマスクはまだかなあ。

 

 ※ 水越松南(1888-1985)神戸市生まれ。京都美工卒、後期印象派に影響を受ける。独自の発想で南画を描く。ジャンコクトー、アンドレマルローなどに称賛受ける。 ※ 「村の老天使」は縦160、横97・5。

 

 

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2020年6月 4日 (木)

黄色い花いっぱい

Img_9983 Img_0046_20200604071801 Img_9909Img_9904 Img_9937Img_9248  Img_9247 Img_9978 Img_0032_20200601092101 Img_9243 Img_9245 Img_9278 ピュッと雄しべが金糸のように長い。黄色い5枚の花弁は梅のよう。だから花の名は「金糸梅(キンシバイ)」だと知った。春と夏の境目、梅雨にも咲くという。花壇のある京都御池通り、アジサイより少し早く、黄色いっぱいに開き出した。いまが旬、見ごろである。

 

どうしたわけか、今年ほど黄色い花に魅せられたことはない。幸せの黄色いハンカチ、黄色い財布…。コロナ禍のせいか。黄色いに願って、祈った。黄色の花の鉢は西側に置くと縁起がいい。花色では白色についで2番目。春に咲くこと多い。コロナコロナになって、春先からの近場歩き、黄色い花を見つけて写真撮って、なんの花と調べて、次第に知識が増えた。

 

近所の歩道、わからなかった花は、宮崎の知人に勲章菊(ガザニア)と教えがあった。山科川沿い、群れて咲くのは、ウサギギクかと思ったが、どうやら鳥の金鶏の方に似て、金鶏菊と言うらしい。密咲き?、注意しているのに、歩くたびに広がっている。紋の花菱に似る花菱草も見た。花弁4つ、晴れてないと開かないらしい。花色は黄色というより、だいたい橙色?かな。歩いて歩いて見た黄色い花、どれだけあるのか。黄信号には注意が必要である。

 

※ 写真は撮ったままに掲載。

 

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2020年6月 3日 (水)

バル、プチ、揚げ、テークアウト…

Img_0016_20200531091801  Img_0014_20200531092001  Img_0013_20200531091901 Img_0012_20200531091901 Img_0010_20200531092001 Img_0006_20200531092001 Img_0001_20200531092001 揚げバルで、プチ飲みで、カフェもある。いまは、期間限定TAKEAWAYの強化企画。お持ち帰りの緊急速報は、アジフライ、豚キムチ、おにぎり…。店内は次亜塩素酸水で空間除菌中。加えてスタッフ募集中。コロナとの共存、飲食店は和と洋のこん然一体になりし。

 

 JRと京阪の山科駅から京阪の踏切わたって10秒の「揚げバル」。この1年ほどの間にワイン専門店から変わった。地下は系列の山科酒場。真ん前が京阪バスのターミナルで出歩き帰り、バス待ちが出来る。30分1本勝負、場合により61分3本勝負。コロナが解除宣言になって初めてプチ寄りのプチ飲み。大のハイボールとお通しと串カツ3本で700円。

 

 バルとは食事なら何でも~のイタリア語、プチとはちょっとだけよ~のフランス語、TAKEAWAYは英語。揚げはご存知の日本語、フライになって挙句の果て、四苦八苦して63の串になる。ソースの二度づけどころか一度づけもかなわず、上からタラタラ垂らし、どこまで染みこむか。串はシクシク、悲しい。キャベツは一枚一枚、パリパリしてフランス。元気に歩こう会、必修はアルコール消毒…。バルもプチも洒落も混ざって、コロナとともに。
 

 

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2020年6月 2日 (火)

影を撮る

Img_9693 Img_9689 Img_9694 Img_9697 Img_9700   Img_9842_20200530092301 Img_9811 Img_9471 Img_9434 光の影という。頭のハゲでない。漢字で影と禿だけど、発音すると、カゲとハゲでよく似ているので断った。梅雨入り前のこの季節、真夏みたいな日もあるけど、まあ、歩くのに気持ちよい。歩道、筑地塀などに映る太陽の影が優しい。芸術的にも見える。

 

 影はどうして出来るのだろう。ハゲは頭皮が薄く、遺伝的とも言うが、影は光を遮る物体があるからという。色は黒い。光の強さの加減か、淡い黒、濃い黒もあるような気がする。太陽が真上なら短く、斜めなら長く~かな。「レンブラント・ライト」は、斜め上からライトをあて、ポートレート部分に影をつくる技。レンブラントの自画像、その影を見たことがある。

 

 出歩いて見た影、デジカメで撮った。建仁寺の石畳と筑地塀は、樹木の影が幻想的に映る。コロナ解除明け開館の京都近美。野外彫刻の石の蒲団に木の葉の影、アートの魅力が増えている。山科川堤防では一本のクスノキ、木の大きさのまま一服休憩の日影をつくる。足元で長い足が伸びる。長さ、影はウソつかない?。山科の国道1号と並行する新幹線の高架わき歩道、光と影のコントラストを描く。♪~まぼろしの影を慕いて雨に日に~♪、歩きにはげもう?。

 

 

 

 

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2020年6月 1日 (月)

三密堂書店、おにぎり「米都」、喫茶「御多福珈琲」……

Img_9727 Img_9728 Img_9712 Img_9716 Img_9729 Img_9733 Img_9739 Img_9735 Img_9747 古くて、新しくて、新しくて、古いストリートと言える…ような。京都四条通りから南へ行く寺町通りである。むかしは電器屋さん集中、東京の秋葉原みたいだったけど、いまは色んな店があって、その新旧混在ぶりが、どこかナウい。コロナ解除明け、二度三度と歩いた。

 

 今どきと言えば、良いのかどうか。古書店の「三密堂書店」。密は密でも、身(からだ)・口(くち)・意(こころ)の三業の三密で、密教・真言宗の教え。大正初め創業の店主が智積院大僧正から俳名して100年以上。いまは3代目、仏教書に文庫本を加え、ネット販売も展開している。店に銅板の「三密」の看板かかげ、コロナ共存時代の先陣を切っている。

 

 フジイ大丸向かい老舗の喫茶専門店は「御多福珈琲」。おにぎり専門の新店は「米都」。まいどおおきに。浄土宗空也寺は「欲張らないで生きると楽になる」と伝言板で諭す。「オコノミヤキ」とカタカナ店、ジュウジュウ~と炎の絵看板。仏具屋さんは、なぜか店前に大きな数珠を幾つもぶら下げる。輪の数珠つなぎ、ワ~すごい。家庭教師塾は朝ドラのような「エール竹内」。がんばれ!。ブランド古着、古本梁山泊…、古く新しい店の妙、このストリートにあり。

 

 ※ 四条通りから南の寺町通りは、西へ西へ寄って五条通りの手前で河原町通りと合流する。

 

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