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2020年5月

2020年5月31日 (日)

南禅寺金地院、小堀遠州の茶室と庭

Img_9319  Img_9302_20200528094401 Img_9303 Img_9305    Img_9311 Img_9310    Img_9307 Img_9317_20200528094701 小堀遠州の生涯を綴った葉室麟著の歴史小説「弧篷(こほう)のひと」を読んで、南禅寺の金地院へ行った。遠州は近江生まれで茶人、作庭家、大名。家康の政治外交顧問、以心崇伝が再興の金地院茶室「八窓席」と方丈庭園「鶴亀の庭」を設計、そのくだりが本に出ていた。

 京都市地下鉄蹴上駅で降り、「ねじりまんぽ」と名が付く琵琶湖疎水・インクライン下のトンネルをくぐって、2,3分である。これまでから何度となく前は通っている。一度拝観した気がするが、記憶にもう遠い。本を読んで、久々に現場学習のつもりで行ったが、コロナは解除なのにまだ「暫く拝観中止」の貼り紙が出ていた。仕方なく案内板を立ち読みした。

 

 遠州作庭の庭は特別名勝、遠州設計の茶室は重文である。本の記述思い出した。「八窓席」の茶室は二方向に窓6つ、あと二つは亭主と客の心の窓と書かれていた。方丈前の庭は、白砂が広がる枯山水。躑躅の小山があって、右の大きな石組みが鶴、左側の石組と柏槙の木が亀。手前の平たい石は家康祀る境内の東照宮を遥拝する石と出ていた。金地院北隣の研修道場、入り口に「忍の一字」の書。何事も成し遂げる元なり~と。コロナ明け拝観までは「忍」。

 

 ※ 小堀遠州、本名は小堀 政一。近江の坂田郡生まれ。安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍。備中松山城主も。茶は千利休、古田織部の流れ。遠江守、遠州流の祖。大徳寺に孤篷庵がある。作庭は二条城など数多い。

 

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2020年5月30日 (土)

鴨川にヌートリア

Img_9569 Img_9572 Img_9577 Img_9579 Img_9583 Img_9646 Img_9649 Img_9654 Img_9647 なんや、なんや、なんやろう。♪~京の五条の橋の上~♪の牛若丸と弁慶でなくて、橋の下、鴨川の中である。スイスイ泳いで、川べりで一服の小さな動物。通りがかった橋の上、皆さん覗きこんで、ビーバーかな、カワウソかな、カピバラかな…なにや、なにやである。

 

 そう大きくはない。体長で5、60㌢くらい。デジカメでズームアップ、ネズミみたいなひげがある。右足と左足で、身体をカイカイしている。でっぷり、小太り、一見するに可愛い。鴨川にビーバー現る!ならニュースやなあ~と、ネットで調べたらヌーと出てきた。ヌートリア、南アメリカ原産の侵略的外来種という。京都府から餌やりご法度のおふれがでている。

 

 なんでも戦前、軍部がフランスから防寒皮向けに輸入したらしい。戦後に野生化、なぜか鴨川に多く生息しているという。田畑荒らし、堤防に穴など~罪状がでている。多産、爆発的に増えるので、府は時に駆除しているらしい。そうだったのかと、雨の日また確認に行った。橋の下、覗いたが、いたのは鴨夫婦。どこへ行ったのか、気になった。橋近くの公園に句碑。~あすも来て見んと思えば家づとに手折りもおしき山ざくら花~(太田垣連月)心境が近い。

 

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2020年5月29日 (金)

解除後の清水寺、八坂神社…

Img_9535 Img_9534  Img_9529  Img_9484  Img_9488 Img_9496 Img_9505  Img_9515  Img_9523 Img_9542 Img_9546 Img_9558 賽銭箱がチャリンと鳴っても、鳴り鈴の綱は引き上げられている。ジャランとは鳴らない。境内はガランとしている。疫病退散祈願で始まった日本三大祭の祇園祭、今年は巡行がない。屋台は一軒も出ていない。参拝はマスクして~と、お願いする祗園さん、京都八坂神社である。

 

 コロナ自粛が解除になった最初の日曜だった。清水寺の裏門から三年坂、高台寺、円山公園、八坂神社と歩いて見た。水が絶えたことはない清水寺・音羽の滝、三筋に流れ落ち続けても酌を伸ばす手がない。水より人が絶えている。舞台石垣、小さな野草が健気に咲く。参道の土産物屋さん、まだシャッター多い。食べ歩きのモチ、一つ100円、歩く人がいない。

 

 円山公園へ、高台寺下の道筋に無人販売の恋占い。恋より、客来い。八坂さんの境内、茅の輪くぐり。左へ右へ、もう一度、左へ、3回回ってワンでなく「疫病守護」という。境内末社の大国主命社。大きな袋の大黒さんと丸裸にならずのウサギさん。お互いマスク姿で労りあう。四条通りへ出て花見小路、舞妓さんなし、人なし、迷子になりようがない。京都に生まれてこの方、初めてである。観光京都、異常の写真は以上…、いつまで続くのか。

 

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2020年5月28日 (木)

鳥たちとの出会い

Img_9377 Img_9381 Img_9390 Img_9392  Img_9399 Img_9418 Img_9436  Img_9442 Img_9455 出会い、こうも重なるものか。コロナ解除の出歩き。ヒトでなく、飛び出てきた鳥たちと~である。重くないカルガモ、ワシやワシやの鷲、もう見慣れてハッとしない鳩、涙が少しの雀、セキレイ、アオサギ、ムクドリ…、またや、またや、ふたまた、みまた…と出会った。

 

 その日の朝のNHKマイあさラジオ。バードカービング作家の鈴木さんが繁殖期に入った鳥たちの子育てについて話していた。オスかメスか、よくわからない燕や雀は、夫婦でともに育て、羽根の色の違う鴨、雉は、色の地味なメスが子育て専科、派手なオスは気ままという。ちなみに燕は、尾の長い方がオス。雀の見極めは難しいが、胸に黒い斑点がオスらしい。

 

 歩いたのは、地元の山科川。よく整備された右岸堤防、伏見の六地蔵まで1時間ほど。鳥との最初の出会いはカルガモ2羽。川へ行くまでの田んぼ。次が空を飛ぶ鷲か鳶か。飛行中のシャッター切り1枚だけ。セキレイ、足が短いのに歩きが早い。雀はよう動き、鳩は群れる。アオサギは川の中で不動。道路上でミミズをくわえているのはキビタキかな。まあ鳥は鳥。土手の草刈りあとに椋鳥も登場。これで8種、ハッシュドビーフ?。とりとめもない?。

 

 ※ 山科川は醍醐山の源流から出て宇治川まで15㌔。淀川水系の一級河川。 

 

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2020年5月27日 (水)

花山神社、花山稲荷、大石稲荷

Img_9135 Img_9137 Img_9139 Img_9144 Img_9145 Img_9159 Img_9151 Img_9153 Img_9170 Img_9173 行って見て知って、知って調べて、また知って~。コロナ禍、地元山科の近場散策で知った「花山神社」である。むかしは西山稲荷、いまは花山稲荷、それに討ち入り内蔵助、必勝祈願の大石稲荷とも。平安時代に名刀「小狐丸」も誕生、謂れには事欠かない古い神社である。

 

 祭神は宇迦之御魂大神などで、延喜3年(903)醍醐天皇の勅願というから1100年以上経つ。花山は花山天皇の命名。宇迦之「うかの」は食べ物の意味で、五穀豊穣の神様、稲荷はお米の稲成り。全国3万社の祖、伏見稲荷神社は商売の神様で有名だが、元はお米の神様。江戸時代に商いが盛んになって変化したと。ここの祭神が伏見稲荷の母方の親戚とかで花山神社に稲荷が加わったらしい。

 

 なんで大石稲荷か、行ってわかった。内蔵助が山科で隠棲中、お参りに来て鳥居を5両で寄贈、大きな石に座って断食、同志に石の上で血判させたからと。この石、大石良雄公の石碑の傍ににあった。討ち入りへ、意志かたそうな2㍍ほどの大石である。寄贈したという鳥居は、境内に鳥居多く、尋ねる人も見えず、わからずだったが、あることはあるらしい。三条小鍛治宗近作の名刀「小狐丸」の土が古墳になって、金物屋さん参拝の稲荷塚もある。行って知って「学び稲荷」なり。

 

 ※ 花山神社は京都市山科区西野欠ノ上町65番地

 

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2020年5月26日 (火)

街角の花

 Img_9371 Img_9188 Img_9181 Img_9176 Img_9066 Img_9045 Img_9008 Img_8776 Img_8743 Img_8723 Img_8659 Img_8564  Img_8476 Img_8462 花には花の命がある。華やかに、人知れず…、花の咲きよう、散りよう、それぞれである。植木鉢、田んぼの畔、草むらで…、コロナ解除までの2か月余り、足のままに近場を歩いて、草花を見つけては、写真を撮った。育てられる花、野のままの花…、人の生き方とも重なる。

 

 どう咲こうが、花には愛しさがある。ポツンと一つ、寂しそうなのもいい。寄り添っているのもいい。小さく目立たない花もいい。デジカメ撮りした花、パソコンに移しておいた。いつどこで撮ったか、晩春から初夏へ、100枚近くある。何という花か、花色でひける山野草図鑑を手元に置いた。わかる、わからない、わかる、わからない…、花占い、色々でる。

 

 赤・紅色系、これはアザミやなあ。こっちはアズマギクかな。田植えしていない荒れ地でお年寄りが「手入れできずです」と寂しそうだった。紫・青色系、これはシャガ、前から釈迦しゃんりんと覚えている。黄色系のタンポポ色は、種類も酒類と同じで見極めが難しい。星形の花はルコンソウか。白色と赤色、可愛いい。白と黄色のノジギク、コントラストがいいなあ。花の作品が多い故葉室麟は晩年の著作「嵯峨野花譜」で~花は人を生かす~と書く。

 

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2020年5月25日 (月)

芭蕉の幻住庵へ行く

    Img_8775 Img_8760Img_8761Img_8762  Img_8769 Img_8764 Img_8774 Img_8772 Img_8771 芭蕉の幻住庵、茅(かや)葺の屋根が葦(よし)葺になっている。それは、ヨシとして、幻住庵記の署名、芭蕉は象形文字の「艸」を記している。なぜかな。草庵の「艸」か、自らの隠密・忍者を暗号化する「くさ」か。庵のそばになぜかキリシタン灯篭も。なんでかナ~である。

 

 「奥の細道」行から戻った芭蕉は、近江門人の世話で、この幻住庵で晩年の4か月過ごしている。瀬田の夕照、石山秋月…近江八景が浮かび出る国府の高台である。芭蕉が京都から小関越えで大津入りした時に詠んだ「山路きて何やらゆかしすみれ草」の句碑を見に幻住庵へ行ってである。コロナで休庵だったのに地元の幻住庵研究家と出会い、なぞ解きの特別案内だった。

 

 庵の再建は平成3年、国のふるさと創生事業で大津市。芭蕉が3曲200歩と書いた庵までの道筋整備など2億5千万円という。庵は3度改修。「先ずたのむ椎の木あり夏木立」と詠んだ椎の木にしめ縄、石碑あり。銅板10㍍、全文紹介の幻住庵記の「芭蕉艸」の艸は、幕府隠密を草庵にかけている。キリシタン灯篭は、門人に教徒の証し。芭蕉自炊の「とくとくの清水」、隣の近津尾神社に菊16花弁瓦、鶏狛犬…などの解説、まぼろしの「幻」がうつつの「現」に。

 

 ※ 幻住庵は門人の伯父が住んでいて、そう名付けていた。芭蕉は元禄3年(1690)3月から7月まで、47歳の時に住む。

 

 

 

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2020年5月24日 (日)

名物「ひね鶏の炭火焼き」

Img_9134 Img_9126  Img_9121 Img_9124  Img_9120   Img_8818  Img_8797 Img_8793 噛めば噛むほど、しがめばしがむほど~である。硬いことは硬いけど、味がじわじわ染み出てきて、うまい!。卵をもう産まなくなったメスの親鶏。「廃鶏」と言われ「ひね鶏」と言われ、炭火焼きになって、売り上げ一番、鶏肉店名物になって、もうひと花咲かせている。

 

 土曜、日曜と祝日になると、鶏肉店前に青いテントが立つ。国道1号、新幹線が平行して走る京都山科川田前畑町、創業60年という鶏肉専門店「鳥忠」さん。テントから上がる煙は「ひね鶏」の炭火焼きである。カープファンか、赤い帽子のおじさん、カンカンからひね鶏のもも肉を網に移して、表、裏、裏、表と返して、焼きまくっている。一日4㌔という。

 

 コロナ禍の近場出歩き、何回となくそばを通って、買った。ワンパック500円。店内は鶏肉とりどり。フライドチキン、ロールチキン…きちんとチキンと並んで「鳥忠名物ひね鶏炭火焼き」である。ブロイラーと言われる若鳥は生後60日、ひね鶏はその8倍の500日も生きてきた。卵を産まなくなって、栄養価すべてが身に行き渡っているという。それで、噛めば噛むほど~なのである。ここで蕪村の一句。~春の海ひねもすのたりのたりかな~。

 

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2020年5月23日 (土)

町中のバラ写真展

Img_8925 Img_8971 Img_8972 Img_9010 Img_9039 Img_9048 Img_9060 Img_9069 Img_9073  Img_9200 初夏のいま、コロナ禍のいま、バラが咲いている。庭に垣根に塀越しに咲いている。赤く、白く、ピンクにオレンジに咲いている。♪~バラが咲いた、バラが咲いた、真っ赤なバラが~♪。一日一度の近場歩き、バラを見つけてはデジカメ撮り。まあ、パソコンで見る町中のバラ写真展。

 

 バラの漢字は薔薇、難しい。覚え方は「佐渡(サ土)の人々口々に、サー微笑みに中一本」という。薔は、草冠のサに土、隣に人々、その下に口々…、薇は、草冠のサにほほ笑みの微の中に横棒一つ…、サアわかったかな。バラはトゲがあっても、八重に一重に美しく、香り立って、花の女王。歴史も古く、オールドローズからモダンローズへ、世界で25,000種という。

 

 マイク真木は寂しかった僕の庭に小さな赤い心のバラが咲いたと歌い、加藤登紀子は女優に恋した貧しい画家が町じゅう、100万本のバラを買い集め、広場を埋めて女優に見せたと歌う。バラは英語でローズ。大リーグのピート・ローズはヒットをバラバラに打ちまくった。話もバラバラ?。出歩きのバラ撮り、パソコン点検すると、10カ所ほどでざっと30枚。その中からお気に入り選んで町中のバラ写真展。さあ~、バラエティーに富んだかどうか。

 

※ 写真撮りは5月10日以降、京都山科の新大石道、旧三条通などの民家などで。

 

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2020年5月22日 (金)

「とり…になる京の水」ステッカー

Img_9020 Img_9023Img_9014 Img_9016 Img_9015       洒落にしても、駄じゃれにしても、ほどほどのホトトギスがいい。小噺はオチが決まっているのがいい。~隣に塀の囲いが出来たんだってねえ。へえ、かっこいい~と言うのは駄じゃれか、オチか。「一枚でも煎餅、一つでも饅頭」は、どうか。落ちつく先はどこだろう。

 

京都市地下鉄、醍醐駅から山科駅まで乗って~である。おうちにいようよ~のコロナ禍、車内はがらんとしている。しゃ~ない。指詰め注意→のあるドアあたり、京都市上下水道局のステッカー広告。座席から「とりになる京の水」と見える。鴨川の床、鴨の親子が描いてある。「京の水」は今日も明日も~で、元は琵琶湖の水。それが「とり」になるとは??。

 

どうして~と座席立って、密接しに行ったら~。「とりこになる京の水」だった。わざととりをとりに象形化、とりこの「こ」は小さくしてある。鴨の親子が水道水を並んで飲むシーン。みんなに呼びかけは「カモーン」。先頭の鴨が「おいしいよ」と飲んで、「しかも安全」の但し書き。しかもの「かも」に黒点つけて目立たさせている。見とれて、うっとり。もうカモカモ・エブリデー~である。京の水広告ステッカー、見ずにはおけず、とりこにさせる。

 

 

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2020年5月21日 (木)

コロナの、いましか散歩で~

Img_8702 Img_8917 Img_9087 Img_8963 Img_8962 Img_9011 Img_8968 ♪~きみしかないんだよ~♪は、卵の黄身ではない。♪~おれしかないんだぜ~♪で、オレオレ詐欺はいけない。♪~いまはコロナしかなんだよ~♪と、仕方なく諦めて、近所中心の日々出歩き。これしか、いましか、それしか~と撮ったショット、ちょっとお見せしよう。

 

 この店しかの、いましか~は、大津市の長等商店街、鮮魚店「タニムメ」名物のマスコット人形、秀吉さん。マスクして~がんばれニッポン、コロナに負けるな~。京都市内では、烏丸御池西北にある讃岐うどん屋さん。店前に「うどん地蔵」のマスコット。お椀にお箸、口にマスクしてどうツルリ?、頭のツルリで南無阿弥陀仏?。続いて、鹿でない鳥のいましかシーン。

 

 雨にも、コロナにも~の宮沢賢治で、傘さして歩き、山科の自宅近くの田んぼ。アオサギ1羽と白サギ2羽の3羽アングル。いましか撮れない3役揃いぶみ、ズームショット。同じ山科で晴れた日の公園近くの川。ムツゴロウさんが綺麗好きでオシャレだと言うカラス。水浴び、一度ならず二度三度。京都御苑でも撮って以来のバシャバシャ。黒い羽根は、白うならずクロウ?するね。バイク屋さん、アパートの前…髭ずらの人形、♪~ここしかなんだよ~♪。

 

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2020年5月20日 (水)

光秀終焉の地「明智薮」

Img_8979 Img_8983 Img_8984 Img_8985 Img_8986 Img_8990 Img_8998 Img_9000 Img_9102 Img_9103 Img_9104 大河ドラマ・麒麟がくる~の明智光秀が討たれた終焉の地は、薮の中だという。現在の住所で、京都市伏見区小栗栖小阪町、日蓮宗本経寺の所有地。遠そうだけど、スマホのグーグルマップで調べると、自宅の山科からバスで醍醐まで行って、そこから歩いて15分、近い。

 

 自宅散歩の延長線上、行く気になった。グーグルマップの示す通り、醍醐バス停から山科川の元三橋へ、小栗栖団地を抜け、右へ左へ画面見ながら歩いて、出た。藪から棒でなく、「明智薮」と表示のある石碑が出た。~天正10年(1582)山崎の合戦で秀吉に敗れ、坂本城へ帰るおり~などと、書き込まれている。いつ、だれがと思う「明智薮」命名である。

 

 石碑の先30㍍が竹薮。「ここで討たれた」の駒札。竹やりで刺された瞬間を描く大山崎歴史資料館提供のコピー絵。光秀の居城がある福知山市などからノボリ旗が建つ。光秀の怨念で赤い竹笹が生えた~など伝説の多い藪は、道路開発で切り開かれ、薮が消え始めている。光秀討ちは落ち武者狩りの農民か、信長に仕えた小栗栖の飯田一党か、光秀の没年齢も55歳か、67歳か、生誕地とともに諸説ある。なぜ本能寺かを含め、光秀は「薮の中」が多い。

 

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2020年5月19日 (火)

いま「みどり」がうれしい

 Img_8590 Img_8605 Img_8614 Img_8730 Img_8768 Img_8852_20200516085201 Img_8956 Img_8965 Img_9027 Img_9044 今年の「みどり」、何時もの年以上にその色が嬉しい。人気がグ~ンと高い。コロナ禍の大阪モデル。感染具合が低いと、通天閣と太陽の塔が「みどり色」になる。赤はアカン、黄色は家でイエロー、緑は新幹線グリーン車、ええでえ。風薫る5月、みどりの風は爽やかに吹く。

 

 ウイキペディア引くと、緑(みどり)は、寒色のひとつ、青と黄色の中間色で、光の三原色と出ている。5月に入ると初夏。つい、しょうか、しょうか。千葉市に緑区、名古屋市にも神奈川・相模原市にも緑区。GWのみどりの日、みどりの羽根、グリーンジャンボ…まだまだ。緑の黒髪、グリーンピース、グリーンアスパラ…。出歩いて、コロナの頃でも、今は新緑の頃…。

 

 気晴らし散歩、今は近場が多いとはいえ、樹々の緑を見ると、デジカメ向ける。山科疎水、歌の中山・清閑寺、芭蕉の幻住庵、西国三十三番外札所の元慶寺…、若芽、新芽の緑が日に日に色濃くなる。晴れた日、樫の木か、楠木か、青い空に向けてシャッター切る。青のブルー、緑のグリーン、その違いがわかる。青信号、青モミジ…、青だけど本当は緑色。曇っても、雨降っても緑は緑、銭湯にもみどり湯…、出歩いての緑色、あっちにこっちで撮った。よりどりみどり?。

 

 

 

 

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2020年5月18日 (月)

「歌の中山」清閑寺

Img_8841_20200515091501 Img_8867 Img_8861 Img_8860 Img_8853  Img_8849 Img_8848 Img_8844 Img_8842 「歌の中山」―、何処にあって、どんな由緒があるか、ご存知だろうか。今年で16回目の京都検定、出題済みかな。出てないとすれば、そろそろでは~。ちょうとした難問かな。国道1号の東山隧道の入り口、バス停なら清閑寺山ノ内町、東山三十六峰のひとつ。

 

 東へ行って京都から滋賀へ府県境、西へ行って京都市の山科区から東山区へ。コロナ禍で苦境続く一日、区境を越えた。自宅の山科区から30分、坂道行って歩行者トンネルを抜けた。後白河上皇時代の六条天皇、清盛時代の高倉天皇の御陵があって、右が清閑寺、左が清水寺である。「歌の中山」は、真言宗清閑寺の山号であり、清水寺の音羽の滝まで500㍍ほどの小径でもある。

 

 千頁に及ぶ京都大事典の「う」の項、由緒が載っている。「むかし清閑寺に住む僧が門外を歩く美女に俗念を起こし…」とある。俗念とは、これ如何に?とさらに読むと「僧がわざと清水寺への道を聞くと、女は~見るにだに 迷ふ心の はかなくて まことの道の いかで知るべき~と答え、僧を逆に諭す如く姿を消した」と。これが歌の中山の由緒で、僧の俗念が清閑寺の寺伝に~という。コロナで閉門中の清閑寺まで行って、門前の階段に座り、俗念とは?と考えた。

 

 ※ 清閑寺には小督の局出家、西郷・月照など密談茶室など京都検定に出そうな歴史の出来事多そう。

 

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2020年5月17日 (日)

「私はガザニアです」

 Img_8878 Img_8879 Img_8881 Img_8883 Img_8886 Img_8887 Img_8888 調べても、調べても~で、勝手に植物博士の牧野富太郎気分になって「わかんないタンポポ」と命名した野草、名前が分かった。タンポポの仲間ではなく、同じキク科でも「ガザニア」。太陽が当たるとキラキラ輝き、別名は「勲章菊」。コロナ禍、胸のつかえ、一つとれた。

 

 友あり遠方より来たる~。「わかんないタンポポ」の情報が届いた。真っ先に秋田のNさん。道路わきで地を這うように咲くジシバリ(地縛り)でないか~と。手持ちの山野草図鑑を開くと似ている。これや!と思って、自宅近くで撮った「わかんないタンポポ」と仔細に比べ見た。花弁は一緒も葉がちょっと違う。今度は九州・宮崎のHさんからメールが来た。

 

 根本の葉から見て「ガザニア」では~と。「わが家の石垣に1㍍に渡ってクリーム色の花をつけています。開花期は4月から10月、花の色は様々です」と。手持ちの図鑑に載ってない。ネットで検索したら、ピッタシカンカン。日光が当たると花開き、夕方から夜、曇りの日は閉じる~と出ている。これこれ、これやがな。自宅から50㍍、再確認しに見に行った。「わかんないタンポポ」さん、~私、ガザニアなんです~と黄色い勲章の花をつけ、晴れ晴れと咲いていた。

 

 

 

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2020年5月16日 (土)

宮本むなしの「玉子丼」

Img_8902 Img_8906  Img_8750  Img_8907 Img_8909 Img_8908 どこか、なぜかむなしい。黄身と白身、トロトロの玉子丼なのに…。親の鶏肉が不在のせいか、牛か豚の他人肉と一緒でないせいか、それとも店で一番安い400円メニューのせいか…、このむなしさは何なんだろう。入ったお店は、定食チェーン「めしや宮本むなし」。

 

 「湖国と文化」原稿締め切り迫り、芭蕉の幻住庵へ不要不急でないお出かけ取材だった。JR石山駅前でバス待ち、テークアウトでない店はここだけ。500円硬貨の貯金も意識、自販機で千円札入れてお釣り、そこまではぴったりだったが、出てきた玉子丼と味噌汁に罪はないとしても~である。昼どきなのに店内はガラ~ンとして客の姿見えず、孤独感が増す。

 

 店を出て、店の看板見直して「宮本むなし」。このむなしさ、やむなしか。どうして、この店名か。創業者の子どもさん、宮本武蔵と言えなかったからとか。大阪に本社、関西、東海に70店舗という。HPに「安いと言われるより美味しいと言われたい」と載る。定食ご飯のおかわり自由である。玉子丼は安くても究極の一押しメニューと。あの時のメニュー選び、正解だったとしても、まだむなしさは消えていない。今度は600円の親子丼にしよう。

 

 ※ 行ったのは、滋賀県の緊急事態宣言延長が解除になる前。写真は石山店の玉子丼と京都の御池小川店の看板など。

 

 

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2020年5月15日 (金)

デジカメ撮りの鳥~愛鳥週間に寄せて

Img_8636 Img_5908 Img_6075 Img_7679 今年の愛鳥週間はコロナ禍で、「閑古鳥」がやけに多い~という。蝶よ花よ~と、可愛がられる蝶ではない。バードの鳥である。ちょうか、そうか!と、孤独な一人歩き、何度か鳥と出会って、写真を撮っていたのを思い出した。どんな鳥だったか、パソコンを開いた。

 

 全身が黒っぽいけど、カラスではない。翼も足も短め。渓流のガードレールにとまった瞬間、ズーム撮りした鳥である。京都から大津へ、藤尾奥町の小関越えを歩いてだった。ネットでサントリーの鳥類図鑑調べて、カワガラスらしい。デジカメ撮り、あんただれや~と言うように写っている。撮った野鳥はまだある~。クリック、クリックして飛ばすに出てきた。

 

 平安神宮の庭園、西苑から東苑へ、細い道を歩いて~だった。目の前にひょいと登場したお腹が水仙のような橙色の小鳥。よく見かける早足歩きのセキレイではない。そうは見かけない珍鳥。撮り?損なわないよう一瞬撮り。これも調べに調べて、キビタキらしい。山科川沿いでは、ダイサギ、岡崎の白川では頭に冠羽根が伸びるコサギも撮っている。サギの仲間は多い。アオサギ、チュウサギ、ゴイサギ…、今は甘言のコロナサギ…だまされないように。

 

 ※ 愛鳥週間は5月16日まで。むかしは4月10日がバードデーだったが、いまは5月10日から1週間のバードウイークに。

 

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2020年5月14日 (木)

オンドリのカフェ「再會」

Img_8042  Img_8040  Img_8037 Img_7856 Img_7848 Img_7855 Img_7849 Img_7845 Img_7841_20200511092501 Img_7840  Img_7836 ツタが絡まっていてねえ。屋根はレンガの洋館で。庭は四季の花、木には巣箱だよ。店内に入るとだねえ。暖炉にステンドガラスの窓、壁の額はレンブラント、それと、よく見れえ~とミレーだったかなあ。テラスに石窯、テーブルは木造り。看板と煙突、青い空にオンドリがいるんだよなあ。

 

 カフェレストラン「再會」と言うんだ。「再会」でもよさそうなのに、こだわりがあるのか、難しい「會」を使っていてねえ。そうかい、そうかい~と洒落てしまえば、おしまいだけどねえ。京都山科の内蔵助を祀る大石神社近く、阪神高速の稲荷山トンネル出た所、昔からポツンとあるんだ。キャンディーズの春一番がヒットした1976年創業、もう44年になるんだなあ。

 

 自宅から歩いて10分ほどでねえ。出来た頃は本一冊持って、たまには~だった。もう20年はご無沙汰してたかなあ、コロナの近場散歩でこの間、入ったんだ。雰囲気を味わうか、料理を味わうか~で、テラスで550円コーヒー。一応、メニュー開いて、食べたつもりで写真だけ撮ったんだ。女子ウケするスイーツ、美しくて甘そう。タルト、スコーン、シフォン…、日曜限定のミルフィーユ…。年中無休、駐車場も2か所あるけど、今はコロナで、持ち帰りOKだって…。

 

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2020年5月13日 (水)

シルバー川柳は笑いのタネ

Img_8713 Img_8712 Img_8711 Img_8710 Img_8709 Img_8708 Img_8707 Img_8706 Img_8705 Img_8704 明日があるような、ないような…高齢社会の一句が、笑いを誘う。ナミダも誘う。「マイナンバー ナンマイダーと聞き違え」「振り返り犬が気遣う散歩道」「若作りしても話題はみな昭和」…このおかしみ、自虐的としても、どの句にも、新型コロナを忘れる旧型がある。

 

 大津市菱屋町の商店街に「まちなか交流館―ゆうゆうかん」。和菓子教室、ミニ演奏会など市民が集う。今はこのコロナで休館しているが、窓ガラスに貼りつけたシルバー川柳優秀作「笑いのタネ」コーナーは、立ち読み可の公開が続く。CM売り出し中のしじみ習慣、通りがかって、しみじみと、笑った。「メイドカフェ?冥土もカフェがあるんかと」。

 

 何時だったか、前にも紹介したが、高齢者増のせいか、苦も無く句も増えている。2枚のガラスに1枚の紙5句で28枚、計140句も並ぶ。伸びして、屈んで、四苦八苦?の句読み。「延命は不要と書いて医者通い」―これ、お笑い大賞かな。「万歩計半分以上は探し物」は実感ある。「忘れ物口で唱えて取りに行く」「歩こう会アルコール会と聞き違え」―、哀歓がありすぎて、寂しいなあ。「無宗教今はすべてが神頼み」-コロナ一掃も神頼みかなあ。

 ※ 掲載シルバー川柳は公益財団法人全国有料老人ホーム協会の応募入選作品から。

 

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2020年5月12日 (火)

親しみ沸くネギ坊主

Img_8434 Img_8437 Img_8438 Img_8486 Img_8488_20200509094601 Img_8781Img_8782  Img_8777 Img_8180   いつころから、気になりだしたのか。白い花を先っぽに咲かせた「ネギ坊主」。外出自粛、近場歩きが増えだしたコロナのころかなあ。人を避け、脇道へ入り、畑の中で見つけては写真を撮った。最初はそうでもなかったが、あの白髭、あの丸さ…、親近感が次第に増している。

 

 ネギは漢字で「葱」と書く。パソコン時代、手書き減って、いざ書くとなると、むつかしい。関東で下仁田の白葱、関西は苦情のない九条の葉葱…、成長して坊主になっても、もみてする茶坊主ではない。神社の宮司を支える禰宜でもない。土の中、根木からのねきで、遠くにいても近くにいても、ねきにいる。分類はユリ科の多年草、花言葉は愛嬌、微笑み…。

 

 葱坊主、あれやこれやと調べて~である。花になる前、先を切り、天ぷらにして食べられるという。ほっておくと、種になるという。小さい花序の輪、千個あるものも…という。輪、わあ!すごい。あの坊主姿、橋の欄干の擬宝珠だともいう。575の季語は、葱のままなら冬、坊主になると春という。推奨の句二つ。「何事もなき顔をして葱坊主」(露木茂子)「人間に退屈しおり葱坊主」(松崎鉄之介)。当方も駄作の1句。「葱坊主コロナ丸めて花団子」。

 

 

 

 

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2020年5月11日 (月)

新幹線を撮りに行く

Img_8513 Img_8515 Img_8533 Img_8537 Img_8540 Img_8516 Img_8523 Img_8557 Img_8544 新幹線は速い。ピャツ~と行ってしまう。その一瞬、どう写るか。自宅から10分余り、デジカメ持って東海道新幹線を撮りに行った。京都駅から5㌔ほど、東山トンネル出てすぐ、京大の花山天文台が見える。清水焼団地の入り口、新幹線は国道1号と並行して走っている。

 

 ホンマ、新幹線は速い。時速230㌔は出ている。来た、来た、シャッター、シャッター、1回、2回…あああ、行ってしもうた。花山こ線人道橋から金網越しである。1時間に5、6本だったのにコロナで乗客減、ずいぶん本数が減っている。時刻表はない。いつ来るかわからない。油断はできない。金網に「危険25000V電線」の表示、アッチッチ、怖い。

 

 新幹線の「こだま」は特に速い。見えて、来たと思ったら、行ってしまう。もうちょっとゆっくりしてえなあ~と思うけど、コロナ対策と同じ、スピードが勝負?。0型から始まった16両編成の車両、いまは流線形のN700系、格好いい。鉄ちゃんが追いかけるのがわかる。この場所は、新幹線撮り、ちょっとした穴場。人道橋のもう一つ向こうに撤去予定の古いこ線橋、平行する国道1号側からもいいアングル。速い速い新幹線、どう写ったかな。

 

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2020年5月10日 (日)

わからないタンポポ!

Img_8254 Img_8257 Img_8260 Img_8327 Img_8273 Img_8268 Img_8263 Img_8558 タンポポかな、違うかな。いややっぱりタンポポかな、どうだろう。花を支える総苞外片が反っていれば外来種の西洋タンポポだけど、下から覗いて、そうでない。在来種のタンポポとすれば、関西タンポポ、アカネタンポポ、いや、どこか違うなあ。だったら、わからないタンポポ!。

 

 コロナ気晴らしのご近所ウオーク。内蔵助ゆかりの大石道ともう一つの新大石道である。自宅を出て50㍍、ガードレールに沿って、プラタナスが植わり、幹回りに黄色く、群れて咲いている。野生かどうか、プランター植えではない。車道を挟んで両側の歩道わき、合わせて10か所ほど。朝開き、夕方閉じ、雲っていると、気分がよくないのか、閉じている。

 

 黄色が目立ち、咲いていれば、すぐわかる。タンポポはキク科タンポポ属。古くから愛される身近な草花である。2週間咲いて、綿毛になって、飛んでいく。花言葉は、真実の愛、別離という。書棚の「山野草の名前がわかる事典」を開いた。撮った写真と比べて、どこか一致しない。タンポポでないかもと、ページを繰った。アズマギクに似ているけど、秋咲きだしなあ。黄色のブタナ、ノゲシとも違う。やっぱり、わからないタンポポ!にしておこう。

 

 ※ 写真撮りは5月GWの頃

 

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2020年5月 9日 (土)

どう読む「新日吉神宮」

Img_6975 Img_7003 Img_7002 Img_7001 Img_6976 Img_7000 Img_6997 Img_6996 Img_6995 Img_6981 京都の東山七条から坂道を東へ行くと、京都女子学園に隣り合い「新日吉神宮」がある。読み方、おわかりだろうか。新は「いま」、日吉は「ひえ」、「いまひえじんぐう」と読む。後白河上皇の創建から850年もなのに「新」とは、これまたどうしてだろう。

 

 コロナの感染、「3密」避けて~と言われ始めたコロナの頃だった。歩き癖、山科から滑り石街道を越え、30分ほど歩いて「新日吉神宮」だった。もう少し西へ行くと東山七条、真言宗の智積院、天台宗の妙法院がある。隣の京都女子学園は浄土真宗系の宗門立の学校。神仏習合ここにあり~のような地域である。神宮の境内はまるで人の気配はない。探索した。

 

 なんで「新」か、わかった。後白河上皇が大津坂本の日吉大社を勧進したからという。「勧進」、つまり、同じ神社を新しく創建だった。日吉大社は、比叡のふもとで「ひえ」の日枝、京都御所の鬼門で、神の使いの猿がいる。ここの本殿前にも阿吽の猿2匹。金網の中に御幣の猿、美鈴の猿がいた。境内ぶらり、大国主命で商い繁盛の大黒さん、秀吉・木下藤吉郎に肖る樹下社、道真の飛梅天満宮など神々が様サマに。コロナの今、祓え給え、清め給え、守り給え~と願った。

 

 ※ 新日吉神宮、永暦元年(1160年)創建。応仁の乱などで焼け、江戸時代に再建。元は後白河上皇の法住寺内にあった。神社庁に属さない独立寺院。

 

 

 

 

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2020年5月 8日 (金)

久々、たこ焼き「あほや」

Img_8352 Img_8362Img_8357 Img_8354 Img_8364 Img_8366 Img_8488_20200505081301  Photo_20200505081401 しくじっても「あほやなあ」なら、どこか優しさがある。「バカモン」と一喝されると手厳しい。漢字も「阿保」は柔らかく「馬鹿」は固い。「あほ」と「バカ」の聞こえよう、関西と関東で違うと言う。聞こえの優しい「あほや」が、大阪のたこ焼き店名になって久しい。

 

 コロナでは遠くへは行けない。自宅を出て、ぶら歩き目標8千歩の日々。行き先はその日その日で、あの日は京都山科へ進出の大阪の「あほや」たこ焼き店を思い出した。もう10年以上前か。大津からの勤め帰り、JR山科駅から三条通り超え、歩いて外環状線の西友前の店へよく行った。店前に丸椅子が並び、地面につくような「あほや」の赤い提灯が目だった。

 

 いまはコロナやし、開店どうかなあ~と行ったら、やっていた。お客さん少ないのに、あほや!。長いこと歩いて行く方も、あほや!。若いバイト店員さん2人。持ち帰り、しょうゆ味とソースマヨ味、6個380円で2舟買った。確か、10年以上前に写真を撮って、記事にしている。戻ってパソコン開いた。「たこ焼きはあほや」で検索、出てきた。ウン?350円でタコ焼き7個?。いまは380円で6個か。消費税増に諸物価の高騰…、あほやなかった。

 

 ※ 「あほや」は大阪箕面に本社。大阪中心に関東圏にも出て、べったら焼きとたこ焼きで70店舗ある。京都は山科東野など2店。店名由来も「あほやなあ」からとか。 ※ 下の段、右端2枚の写真は12年前、京都進出して5か月後撮影。

 

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2020年5月 7日 (木)

カラスの鳴き声

Img_6455 Img_7766 Img_7769 Img_7885  Img_8027 Img_8412 カラスはなぜ鳴くのだろう。コロナ感染で亡くなった志村けんさんは「勝手でしょ!」とギャグにして、大うけしたが、真相はどうだろう。日曜夕方、民放TVの「真相バンキシャ」ならどう調べるだろう。あの童謡どおり、ヤマに七つの子がいるから~可愛い、可愛い~と鳴くのだろうか。

 

 古書店で買ったムツゴロウこと畑正憲さんが書いた「われら動物みな兄弟」にカラスが出てきた。畑さん、日本エッセイクラブ賞受賞(1968年)の著書。文章が柔らかい。面白い。カラスの恋の季節は春だ指摘して「あのガアッという悪声が、アオーと得もいわれぬつやをおびてくると、夫婦ができる。」と書く。アオ―のお相手、どんなカア子ちゃんだろう。

 

 その畑さん、カラス分析は様々に~だった。なんでも食べる悪食の長、図々しくて賢い、水浴び好きでオシャレ、巣作りは色んな素材をする~などなど。京都新聞夕刊1面にカラスの繁殖シーズン、針金を集め電柱に巣を作り、停電の原因にと。北海道、ムツゴロウさんの動物王国では、馬のタテガミを抜いて、巣作りしているとも。「真相バンキシャ」の向こうをはって、デジカメ持って、近所を歩いた。ごみ箱に、道路上に、電柱にいて、みんな「カラスの勝手でしょ!」だった。

 

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2020年5月 6日 (水)

ツツジ咲く

 Img_8381 Img_8379 Img_8377  Img_8371 Img_8196 Img_8197  Img_8328 Img_8365 いま、赤紫、ピンク、白のツツジが咲く。庭で、垣根で、密閉ではないけど、ひっ付き合って、密着、密接の「2密」で咲いている。ツツジ科ツツジ属。漢字は足ヘンの「躑躅」。花なのに草冠でない。このヘンは変?。意味は、行って止まる意の漢名「てきちょく」。羊が葉を食して卒倒したからとか。

 

 「羊躑躅」とも書き、美しいものには毒あり~、漢字の由来、語源のひとつ。コロナで近場散歩、咲き方の密着、密接はアカンのに~と思うけど、パッと咲いていると、心が癒される。ついデジカメ向けたくなる。NHKらじるらじる土曜の朝は、生き物ものがたり植物編。これは、変でない編?、千葉県中央博物館の尾崎煙男さんが、町のツツジについて、面白く喋っていた。

 

 ツツジは世界で千種、国内でもヤマツツジ、三つ葉ツツジなど40種。いま、出歩いてよく見るのは人工的な植栽のツツジという。特徴を言うと、花が大きく、横向きのラッパ型。長い糸のような雄しべは10本、雌しべは1本。花は5枚でその1枚に斑点模様あり、その下にアゲハ蝶が好きな蜜が密集しているという。へんも色々、みつも色々である。このラジオ聴いて、ツツジの写真撮り。ラッパ型は?、長い雄しべは?斑点は?と密着・密接した。

 

 ※ NHKラジオは5月2日朝。 <参考> ツツジとサツキの違い。ツツジは4月後半から咲き、葉も花も大きい。季語は春。サツキは5月下旬から7月、葉も花も小さく、木枝も低い。季語は夏。

 

 

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2020年5月 5日 (火)

風に泳ぐ鯉のぼり

 Img_8321 Img_8318 Img_8315 Img_8307_20200502095901 Img_8291 Img_8286_20200502095801 ヒュー、ヒュー、風が吹いて来た。回転球が回り、矢車がカタカタ鳴りだした。さあ、泳ごう。みんなで揃って泳ごう。コロナのウイルスなんか、ぶっ飛ばして、風の吹くまま流されて泳ごう。風薫る5月、端午の節句と言えば、鯉のぼり。屋根より高く、ス~イ、ス~イ。

 

 京都山科区西野山、仏具団地の一角、菅原人形の店前。川沿いにお客さん呼び込みの鯉のぼり。目標8千歩の出歩きで見つけ、鯉泳ぎの写真撮り。暇?まあシマヤだしの素。高さ10㍍、青瓦のお店2階より高い。黒いのはお父さん、赤いのはお母さん、小さいのは子どもたち、みんなで5匹。吹き流しはない。みんなで泳いだり、休んだり、風まかせである。

 

 唱歌は二つ。♪~屋根より高い~♪は平仮名で「こいのぼり」。♪~甍(いらか)の波と雲の波~♪は、漢字入りの「鯉のぼり」である。起源は諸説。鯉の色で、青は木、赤は火、黄は土、白は金、黒は水…5色で万物示す中国の陰陽五行説。鯉の登竜門、男の子立身出世願う説。子ども成長へ、疫病祓い説など。写真撮り、風よ吹け、吹けで、泳ぎの一瞬が難しい。5月5日子どもの日。「どの子にも涼しく風の吹く日かな」(飯田龍太)であってほしい。

 

 ※ 「こいのぼり」は、昭和6年(1931)オウマ、チュウリップでおなじみの近藤宮子さん作詞。作曲不明。「鯉のぼり」は大正2年(1913)弘田龍太郎作曲、作詞不明。

 

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2020年5月 4日 (月)

蓮如さんの山科本願寺

Img_8127 Img_8130 Img_8074 Img_8084 Img_8076 Img_8108 Img_8114 Img_8118 Img_8122 Img_8113 表通り行き、脇道、裏道へ入り、また表通りへ戻って、ぶらり、ぶらり…。コロナ禍、近場の気晴らしウオークで発見が重なった。浄土真宗第8代法主・蓮如さん創建の「山科本願寺」である。東西1・5㌔、南北1㌔という一大城郭寺院…そのスケールにジイーン?ときた。

 

 京都山科西野の国道1号、トヨタカローラ販売の駐車場わき。「この付近山科本願寺跡」の石碑がある。国道に平行して新幹線が走っている。西野の少し東、山科川を超えて、地下鉄駅と外環状線が通る東野。逢坂山を超えれば大津である。このあたり一帯、鎌倉時代の50年余り、応仁の乱で荒廃した町中に代わって、本願所中心に寺内町、寺外町の宗教都市だった。

 

 石碑から南、京阪バス「おちり池」停留所付近は、本願寺南西かど土塁という。新興住宅地、池が沢山多く、その一つが落ちたらあかん「おちり池」とか。本願寺遺構発掘の調査結果立て看が出ていた。土塁の壕、深さは4㍍も~と。国道1号超えて北東へ、山科中央公園に土塁遺構が残っているという。その遺構を見に行こうと移行した。歩いて、お東さんとお西さんの別院(御坊)あり、蓮如像あり、両派共通の蓮如さん御廟所あり…、真宗中興の祖は蓮如さん!と、移行して威光のほどを知った。

 

 ※ 蓮如上人(1415-1499)親鸞上人の教えを北陸、和泉などで布教、60代で山科に本願寺創建、浄土真宗を再興した。85歳で逝去。山科本願寺は蓮如、実如、証如と続いたが、法華宗との争いで、六角氏に攻められ、焼け落ちた。

 

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2020年5月 3日 (日)

「時忘舎」という名のカフェ

Img_7482 Img_7483 Img_7484 Img_7486_20200430090501 Img_7487 Img_7488 Img_7491 Img_7493 Img_7495 コロナの時をひととき忘れる「時忘舎」という名のカフェがある。ときにザ・ミュージック、文化サロンも兼ねる。横文字で「JIBOU」と綴る。アップルパイもチョコのアイスラテもある。「3密」避けて、柳が枝垂れ、花が咲き、ハープが匂うテラス、陽光が照らす

 

 そんなとこ、どこさ?かと言うと、せんばさ。京近美、市美、平安神宮へ行く裏道、白川沿いにある。大正時代に疎水の水で水車がクルクル回っていた竹中精麦所跡。地下鉄東山駅を降り、南座横にある祇園饅頭の工場がある路地から入って、庭師の植治旧宅、並河七宝美術館へ行かずに、白川を北へ行って5分ほど、お稲荷さんと1本橋が見える。去年春、竹中精麦所跡がよみがえった。

 

 忘却とは~忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ~。岸恵子、佐田啓二…「君の名は」忘れていない。あのとき、ラジオで銭湯が空っぽになった。いま、コロナでお店の空っぽが増えている。白川沿いの道、裏道だったのに情緒があって表道になってきた。あの手すりのない1本橋、去年の一時期「桜小橋」と命名されていたけど、元は製氷会社がオガクズを運ぶ「もっこ橋」だったという。コロナのときを忘れる「時忘舎」…、一度は、ボオッとしに入って見たい。

 

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2020年5月 2日 (土)

のどぐろ入りおにぎり

 Img_8131Img_8183  Img_8211 Img_8134 Img_8151-1 Img_8154 Img_8184 ない。ないなあ。ここにもない。コロナ封じのマスクではない。ウクレレ漫談・牧伸二は「ボイーンがないんやでえ~」だけど、ないのは、ローソン売り出し中の「のどぐろたれ焼」。あっ!、あった。この店、あった。おにぎりになった高級魚・のどぐろ、どんなんかな、うまいかな。

 

 のどぐろと言えば、ススメ科のアカムツ。石川、富山、鳥取、島根の日本海沖、喉元が黒くて、刺身よし、焼いてよし、煮てよし~の白身魚、脂がよう乗っている。島根の浜田市では「市の魚」だそうな。今はちょっとご無沙汰、京都木屋町二条東の魚料理「よこちょう」で、一度ならず二度三度である。その、のどぐろがローソン海の極旨シリーズで、おにぎりに入った。

 

 ツナマヨだと100円だけど、これはさすがに一つ215円。海の極旨シリーズ、びんちょうまぐろと並んで売り出し中である。遠出避け、近所歩き。ローソンのノボリで知って、入っては、ない、ない。こうなったらと、ローソン歩きを続け、4軒目で発見だった。おにぎりのしゃりは、粒立ちふっくらの金しゃり。三角の上からガブリエルして?腹黒、鼻黒ではない喉黒、どこどこ、どんな味。喉元過ぎて、これこれ、おひさしぶり。今度は「よこちょう」で!。あるかな。

 

 

 

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2020年5月 1日 (金)

「琵琶湖疎水」を学ぶ

Img_7327 Img_7328 Img_7329 Img_7336 Img_7342 Img_7344 Img_7350 Img_7356 Img_7362 Img_8159 ジャア~と、当たり前のように出てくるのは琵琶湖の水。炊事、洗濯、コロナに不可欠の手洗い水…、京都市民には命の水である。じゃあ、その水は?と学ぶ企画展が京都駅ビルギャラリーであった。テーマは「琵琶湖疎水」。始まりは明治の時代、130年前に遡った。

 

 緊急事態宣言出て、京都伊勢丹の閉店を知った前日だった。伊勢丹7階の企画展は?と行って、中止を知って、伊勢丹前の駅ビルギャラリー。月替わりの企画が「琵琶湖疎水」だった。マンガとビデオで歴史を学び、レゴブロックの模型は蹴上のインクライン(傾斜軌道)。第1疎水19㌔、第2疎水7㌔。長等山、小関越え…府県境トンネル掘って、また掘って…。

 

 どれぐらい見続けたか。20分、いや30分は見た。構想、工法は弱冠22歳、東大卒業の工学技師・田辺朔郎さん、知事は長州の北垣国道さん、12年後の第2疎水の市長は薩摩の西郷菊次郎さん…。工費の一部は遷都お詫び金10万円、延べ400万人の工夫…。日本初の竪抗工法、外国人技師頼らず日本人だけで完成…などなど。まだある。水力発電で日本最初の京都市電、南禅寺の通路閣、哲学の道の水は鴨川と反対に流れる不思議…。先人と琵琶湖に感謝し、じゃあ~、このへんで。

 

 ※ 企画展は4月29日で終わる。 

 

 

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