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2020年4月

2020年4月30日 (木)

言葉は生きている

Img_7406 Img_7469 Img_8019 Img_7776  Img_7704 Img_7195  Img_6936 Img_6807 Img_6431 「本日臨時休業させて頂きます」の貼り紙に添え書きで~かんにんどすゑ~。京都の町家カフェ。どすゑ~が、優しおす。「日本の未来のために今は休みます」は、お酒の美術館の臨時休業。WE好き!(ウイスキー)が効いている。これはコロナ禍始まった頃、町中で見た言葉である。

 

 言葉はいつの時代にも生きている。二、三日前の京都新聞朝刊一面コラム凡語。~辛抱という棒には花が咲く。「辛」に横棒一本加えて「幸」~。落語家桂小金治さんのネタだそうだが、辛抱また辛抱の今、明日がある。朝日新聞朝刊一面では、鷲田清一さんの連載「折々のことば」もある。書棚の整理で昭和32年発行、桑原武夫氏編の「一日一言」が出てきた。

 

 茶色がかった「一日一言」のページ捲ると、元日は山部赤人~田子の浦打ち出でてみれば~で、写真は北斎の富士。以下、毎日毎日、李白あり、芭蕉あり、ルソーあり…365日365人の名言が並ぶ。岩波新書発行、値段は130円。いまも生きている言葉の数々…なんと重くて安いことか。現実に戻って、老舗うなぎ屋さんの店先。~コロナに負けるな~の言葉を添えて、鰻のまむし弁当が特別価額でなんと3千円という。ウナ電、至急モトム?。

 

 ※ 上の写真は京都、大津の町中で撮った。

 

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2020年4月29日 (水)

征夷大将軍、坂上田村麻呂の墓

 Img_8090 Img_8091 Img_8069_20200426090301 Img_8062_20200426090301 Img_8058_20200426090401 Img_8059 Img_8067 Img_8066 京都の山科に、あの坂上田村麻呂の墓がある。田村麻呂は平安前期の武将、征夷大将軍。桓武、平等、嵯峨天皇に仕え、東北・蝦夷(えみし)平定など武勲数々、清水寺創建でも名を残す。刀剣を持ち、鎧姿で、立ったまま、京を守るため、御所の東を向き葬られているという。

 

 どうして手に入れたのか、書棚に山科の歴史紹介の「ふるさとまんが」がある。1992年、地元ライオンズクラブ発行、160頁。天智天皇、親鸞、蓮如、大石内蔵助、日野冨子…山科ゆかりの人物紹介、坂上田村麻呂も~である。嵯峨天皇の命で造られたお墓は、新十条通りから行って、縄文時代の中臣遺跡がある栗栖野、勧修小学校のすぐそばである。

 

 コロナ禍のいま、散歩は近場にしている。清水焼団地近くの自宅から静かな道を選んでお墓へは10分ほど、晴れた日に行った。坂上田村麻呂公園の中、短い参道を進んで10㍍四方の石囲い、こんもりした円墳だった。明治28年の平安建都1100年のおり、お墓が再整備されたという。そのときから100年以上である。誰が供えたか、ワンカップ大関などがある。巨体だったという田村麻呂、墓の中でずっと立ち続けているのだろうか~、ふるさとの歴史発見である。

 

 ※ 坂上田村麻呂(758-811)、再三の東北遠征、征夷大将軍の肩書2度。岩手の水沢、盛岡に城を築く。蝦夷(えみし)阿弖流為の逸話を示す石碑、清水寺境内にある。全国に田村伝説多く、東北など田村神社は300を超す。能楽に「田村」。お墓も東山の将軍塚、西野山古墳などにもと。

 

 

 

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2020年4月28日 (火)

梅にメジロ~がホント

Photo_20200425090502 Photo_20200425090602 Photo_20200425090601 Photo_20200425090501 Photo_20200425090606 Photo_20200425090605 Photo_20200425090604 Photo_20200425090603 つり合いのとれたこと、ことわざで「梅にウグイス(鴬)」と言い、現に花札でもそういう絵があるけど、あれは本当はウグイスでなく「梅にメジロ(目白)」が正しいのだそうだ。朝の布団の中、NHKラジオのマイあさだよりを聴いて、へえ~そうだったのか!だった。

 

 マイあさだよりは、全国各地の季節の出来事を地元の人が話すコーナー。あの朝は滋賀県湖北から野鳥の会会長、清水幸男さん(69)登場だった。いま、湖北も冬鳥と夏鳥の端境期と言い、目の回りが白いので「目白」というメジロのことを話し出した。雀より小さく、梅など花の蜜が好きで、黄緑色で、よく見かけるけど、ウグイスとよく間違えられると。

 

 ウグイスは警戒心が強く、薮の中にいて、そう姿は見せず、色は茶色ぽい。メジロと同じ里山にいて、ホ~と吸い、ホケキョ~と息を吐くさえずりが良く知られて混同される。青豆きな粉の「ウグイス餅」も色からすれば、本当は「メジロ餅」と笑わす。目白押しの語源は、群れて枝に押すな押すなと止まるメジロの習性からとか。鳴き方、むかしの人は~長兵衛、忠兵衛…長忠兵衛~と聞いたとか。今なら~コロナいらん、コロナいらん!~と聞こえそう。

 

※ 清水さんのメジロ話、4月23日のマイあさだよりから。写真の左メジロ、右ウグイスはネットから転載。

 

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2020年4月27日 (月)

マネの最高傑作、三浦教授が語る

Img_8009 Img_8011 Img_7981 Img_7977 Img_7965 Img_7964 Img_7961 Img_7975 Img_7940 「西洋美術史でマネを30年研究してきました~と言うと、たいがいモネですか?と聞かれます。いえ、マネです~と答えますが、それでも最近はマネの評価が高くなってきました」と、マネで修士論文の東大教授、三浦篤さん(63)は、マネか、モネか~で話し出した。

 

 NHKのらじる☆らじる聴き逃し。印象派作品を集めた「コート―ルド美術館(ロンドン)展」が東京都美で開催のおり、三浦教授は20年ぶり来日というマネの「フォリー・ベルジュールのバーはなぜ傑作なのか」~と題して会場で講演した。スマホでその時の再録を聴いて、三浦教授、どんな方かと思っていたら、NHK日曜美術館の作品紹介でもゲスト出演だった。

 

 コロナ禍の自宅滞在で、三浦教授をビデオ見て、ラジオにも耳を傾けた。マネ最晩年の51歳、パリ9区・ミュージックホールの中を描いた作品という。絵は1㍍ほどなのにバーメイドの存在で大きく見える。娼婦?、その表情はぼんやりして曖昧。背景の鏡に客席の観客、シルクハットの男性、空中ブランコの足…、不可解さが多い。英仏などで10回見ている三浦教授は「見るたびに新しい発見がある。簡潔、簡明、見た記憶を育てる写生画だ」という。尽きない話しぶり、マネできない。

 

 ※ 三浦教授、西洋美術で最高10点中、5点でも入る作品という。 ※ コート―ルド美術館展は東京、名古屋から現在、神戸市博で6月21日まで開催もコロナ拡大で現在、休館中。

 

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2020年4月26日 (日)

ハテ、サテ、ハタ…350円の牛丼

Img_7888 Img_7889_20200423082401 Img_7891 Img_7892 Img_7893 Img_7898 Img_7899 昼どき、サテどうしよう。税込み350円の牛丼、ハテ?どんなんだろう。入って入って~のノボリ旗、ハタハタしている。サテ、ハテ、ハタ~である。出歩きの足がピタと止まって入った。京都山科の国道1号沿い、ドライブスルーもある牛丼チエーンの「すき家」である。

 

 図書館で借りた畑正憲さんのムツゴロウ本三冊、返却日が来た。外出自粛でも不要不急とは言えない。借りたものは返さねばならない。自宅から地下鉄駅へ得意の歩き。回転「くら寿司」の500円ランチのノボリ、ちょっと気持ちが揺れたけど、通り過ぎて、赤い丼マークの「すき家」。ズラズラと立ち並ぶ350円、350円、350円…のノボリ、安さに負けた。

 

 いまはコロナ禍、3密は避けねばならない。サテ、どこに座るか、端の壁際テーブルへ。隣に客はいない。2㍍は空いている。ここならいい。小声で牛丼とオーダー、並みですね~聞かれ、350円のんと返した。1分ちょっと、待たずに出て来た。350円は早い。並みでも肉はしっかり乗っている。ご飯の出汁も染みている。生姜、自力で二度乗せても、350円。働く人の昼めし、混んできた。コロナ禍、距離取りや。ここ好きか、すき家ねん!?。

 

 

 

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2020年4月25日 (土)

山科川の桜は残った!

Img_7869_20200422084201 Img_7867 Img_7830 Img_7821 Img_7822 Img_7828 Img_7820 Img_7876 Img_7877  もうフワフワ、色は淡くて、ピンクで、それはもうフワフワ…、楊貴妃ってこんなんかなあ。花弁、八重どころやない。20枚、30枚と重なり合って、フワフワの極致。もう終わったと思っていたのに、残った、残った、里ザクラが、ハッケヨ~イ残った!と残っていた。

 

 自宅を出て、10分ほどの山科川沿い。コロナ禍対策、気晴らし散歩、近場歩きである。山科川は、醍醐山を出て、四宮川、安祥寺川と合流して、宇治川へ流れる全長15㌔の一級河川。葛飾北斎の引っ越し93回には及ばないにしても、志賀直哉は23回で京都は4回、そのうち1回は山科川沿い。ここで山科の記憶など山科シリーズ短編3作、住居跡に記念碑がある。

 

 あまりのフワフワ桜、残っているうちに~と2日続けて歩いた。大阪造幣局のサクラの通り抜けは中止だが、ここは人気もなく、どうぞ、どうぞである。山科区役所が近い新十条通りから川沿い、北東の山科中学あたりまで1㌔ほど。ソメイヨシノは散って、200種以上という里ザクラ。ここのは関山かな、一葉かな、それとも普賢象かな。何時、植えられたか10本はある。黄色のもっこうバラ、赤い椿と競い合うように残った、残った!と咲いていた。

 

 ※ 写真は4月20、21日の午後。

 

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2020年4月24日 (金)

大石神社は内蔵助スター揃い

Img_7638 Img_7652_20200421090801 Img_7786 Img_7787 Img_7790 Img_7789 Img_7791 Img_7788 Img_7792 Img_7798 Img_7656 Img_7659 山鹿流の陣太鼓は大河内伝次郎。討ち入りで主君の仇、吉良上野介見つけ、オヨヨ、オヨヨの伝次郎節かな。嵐山の竹林を抜けた名庭園・大河内山荘は伝次郎の別荘。オヨヨ、オヨヨの趣味人なり。こっちの内蔵助はだれ?。山村聰かな。そうや、そうや。華麗なる一族の万表大介や。

 

 忠臣蔵・大石内蔵助を祀る京都山科の大石神社の宝物館の中である。神社は昭和10年、義挙を顕彰して出来た。近くに1年3か月住んだ閑居跡がある。内蔵助が仇討ち成就で通った不動明王本尊の岩屋寺は隣。社長射殺未解決事件の餃子の王将本社も近いと言えば近い。遊郭、伏見の橦木町通い、滑り石街道で内蔵助腰掛け石を見てから、日を置いて行った。

 

 自宅からバス停で2つ。本殿前の宝物館は無料公開、誰もいない。コロナ3密対策か、表のドアは思い切り開いている。スタスタ入って、内蔵助スターの数々である。片岡千恵蔵、長谷川一夫、萬屋錦之助、里見浩太朗、松方弘樹…思い出のスターが懐かしい。無添くら寿司の北大路欣也も父親・市川右太衛門の隣。宝物館の蔵の中は暗い。クラクラする?。閑居跡へも行って、戻って、本殿で2礼2拍1礼。コロナ一掃、大願成就の義挙を願った。

 

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2020年4月23日 (木)

鴨川に咲く野草(下)

  Img_7543_20200419130301 Img_7537 Img_7601Img_7246 Img_7607Img_7582 Img_7591 Img_7236 Img_7292   何だろう、何だろう~と調べる。わからないとイライラする。わかると、ヨシヨシ、一丁あがり~である。京都市南区、十条の陶化橋から七条橋へ、鴨川の堤を歩いて写真撮りした野草の数々。手元の山野草図鑑とネットの検索で調べて、あなたのお名前なんですか?。

 

 朝日新聞の天声人語士も書いていた。屋内の活動は逆風、運動はウオーキング。毎日歩くと、道端の野草が顔なじみになってくると。ヒナゲシ、ハルジオン、オオイヌノフグリ…と花の名前も出ていた。調べたのかな。鴨川ウオーク、今が旬なのか、堤に河原に野草が多い。見つける、写真を撮る、調べる…、コロナ禍の孤独な楽しみ。♪~寂しくないかい~♪、ないない?。

 

 名前がわかった野草。まずはヘラオオバコ。土筆みたいで、首回りのマフラーは雄しべ。次はカタバミ。黄色くてよく目立つ。仲間多いとか。天声人語士が書いていたハルジオン。淡いピンク、可愛い。小さい蝶みたいに群れて咲いていたのは、カラスノエントカさん。どこでもよく見かえける。護岸ブロックから、これは珍しい紫の花、調べてもわからない。植物学博士・牧野富太郎氏はなんと名づけたのか。まあ、知るも知らぬも♪~花は、花は、花は咲く~♪。

 

 ※ 写真掲載は順不同。

 

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2020年4月22日 (水)

鴨川に咲く野草(上)

Img_7534 Img_7533 Img_7562 Img_7542 Img_7598 Img_7553 Img_7584 Img_7550 Img_7552 鴨川の河原に花が咲いている。コロナ戦線が広がる今も、♪~花は、花は…花は咲く~♪。東日本大震災で生まれた応援歌、野草の花が優しく、静かに、励ますように咲く。毎月行く京都府立植物園、花は咲いても今は休園中。鴨川の堤を歩き、河原へ降りて、花を見た。

 

 京都駅八条口へ行く京阪バス、十条相深町バス停で降りた。山科、自宅近くの清水焼団地で乗り、大石神社から稲荷山トンネルを越え、最初の停留所。バスは客ひとり。密集も密接も密着もない。鴨川の陶化橋まで行って、左岸から七条まで北上する。右に比叡山、左に京都タワーが見える。コロナ忘れて春うらら。野草を見つけ、写真を撮って、これは何だろう。

 

 橙色の花、ポピーかな。1本、2本、3本…群れて風に揺れている。野草のナガミヒナゲシ(長実雛罌粟)というらしい。石ころの河原、黄色の花はアブラナ(油菜)。ひょろひょろ、背が高い。タンポポも咲く。西洋タンポポか、大和タンポポか、どっちかな。花を支える総苞片が反り返っていれば西洋、閉じていれば大和。屈んで覗いて、これも西洋、それも西洋…、和を以て貴し~は何処へ。これは何か?わからないのも花。♪~花は、花は、花は咲く~♪。

 

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2020年4月21日 (火)

内蔵助の腰掛け石の今

Img_7639 Img_7449 Img_7450 Img_7453 Img_7452 Img_7451 Photo_20200418092701 確かこのあたり?やっぱり、これ、この石や。そう大石やないけど、赤穂義士、大石内蔵助(良雄)の腰掛け石に違いない。もう10年以上前か、あの時は「大石内蔵助・一服石」の木札があったけど、風雪で朽ちたのか、木札はない。苔がいっぱいだけど、これ、これ、この石や。

 

 美空ひばりなら♪~これ、これ、石の地蔵さん~♪と問いかけるところだが、石の格好、場所もこの辺…これに違いない。御家の再興成らず仇討ち決意して、親戚のある京都山科へ隠棲、閑居生活1年3か月。たびたび、閑居から伏見の遊里・撞木町へ、峠越えで通った道のり。ここらでちょっと一服!と腰掛けた石だという。そこは滑り石街道の中腹である。

 

 山科から京都へ抜ける間道。今は大石神社建つ内蔵助閑居址から伏見へも今熊野へも4㌔ほどか。仮名手本忠臣蔵は、内蔵助は祇園一力通いとなっているが、本当は伏見橦木町、花魁がいた。滑り石街道の地名も、真偽不明だが、内蔵助が雪道で足を滑らせたからという。自宅が大石神社近く、コロナ人避け歩き、久しぶりに峠越え、内蔵助一服石を思い出して発見だった。戻ってパソコン点検、14年前に撮った写真が出てきた。長い年月、ストーンと腑に落ちた。

 

 

 

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2020年4月20日 (月)

美術館、開けゴマ!?

Img_7465 Img_7466 Img_7506 Img_7503 Img_7509 Img_7501 Img_7500 Img_7498 Img_7169 そのうち開くかなあ、まだまだかなあ。開催しても開催しない展覧会が気になる。京博の聖地をたずねて展、京都市京セラのオープニング展、京文博の祇園祭展、京近美のチェコデザイン展…、コロナ禍で閉まってしまった。千夜一夜物語で「開けゴマ!」と会場を回った。

 

 いよいよ!と開幕目前だった。コロナ禍でも庭園を無料開放していた京博。観音信仰、西国三十三所草創1300年記念の特別展は開幕3日前の延期に。千手観音、如意輪観音、十一面観音…、和歌山、奈良、大阪、兵庫、滋賀、京都、岐阜…旅して1000㌔の観音さんが館内に来ている。館入り口前、観音像の看板。密室ゆえか、「開催延期」の赤紙がペタリ付いた。

 

 50億円で「京セラ」冠の京都市美。満を持し3年かけてリニューアルオープン「京都の美術―250の夢」展、内覧会だけでストップ。奇才の画家、曾我蕭白の仙人画看板、宙に浮いている。大鳥居を挟んで向かいの京近美は、チェコデザイン100年の旅展。看板に「残念だね、臨時休館だって」のイラストデザインを追加した。京文博の祇園祭展は始まって途中から閉室。疫病退散、町衆の情熱は何処へ。アリババ呪文で「コロナ去れ、開けゴマ!」。

 

 ※ 各展覧会、5月6日まで延期、公開未定などの表示あり。京近美のチェコ展は「ニコニコ美術館」でユーチューブ公開。龍谷ミュージアム「ブッダの弟子」展、堂本印象美術館「椿」展なども開幕せず、延期している。

 

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2020年4月19日 (日)

雨降る建仁寺境内

Img_7376 Img_7377 Img_7381 Img_7383 Img_7385 Img_7388 Img_7390 Img_7398 Img_7401 Img_7402 Img_7403 Img_7404_20200416084401 雨の降る日の境内、観光客のいない境内…、ただ静寂である。邪念、雨がじゃあねえ~と心を洗う。コロナも、もうココロらで?反省してくれれば…。春から初夏へ、季節の端境期。椿落ち、桜の花が散り、樹々に新芽が出て、シャクナゲ、ボタンの蕾が開き始めた。

 

 ここは臨済宗建仁寺派本山の境内。佇まいが妙に落ち着く。東山通から北西の四条河原町へ、早めにバスを降りて、意識的に通り抜ける。場外馬券、祇園歌舞練場…都心なのに喧騒はない。この境内だけが浮き世から取り残されたよう。建仁寺は「東山」と号す。「ひがしやま」と読まず「とうざん」。中国から茶を持ち帰った栄西(ようさい)禅師の創建である。

 

 八坂通りから入る。甘茶が咲く塔頭・霊源院から専門道場の石畳を歩く。修行僧の清掃行き届き、葉っぱ一枚落ちていない。石仏わきにシャクナゲ。静かな境内、茶祖栄西の石碑と茶畑、青モミジが瑞々しい。季節のバトンタッチか、八重の紅枝垂れ桜も。赤い椿がひとつ苔庭に落ちている。天井に双龍の法堂回りに牡丹。大木のクスノキに新芽、黄色くなってきた。勅使門の扁額、降る雨が写る。コロナ忘れる禅のココロ、雨の境内にある。アーメン?、違った。カツ!。

 

 ※ 写真は4月12日、雨降る日。

 

 

 

 

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2020年4月18日 (土)

餃子は免疫力アップ

Img_7422 Img_7424 Img_7435 Img_7426 Img_7429 Img_7432 Img_7433_20200415085801  Img_7438_20200415085901 Img_7440_20200415085801 免疫力アップには餃子が一番だという。元祖餃子舗「珉珉」山科店前、マジック書きの貼り紙がそう出ていた。コロナ感性拡大のこの時期、わが免疫力が気になる。貼り紙見てから2日後、雨の日に昼食を兼ねて行った。メニュー見て、餃子定食イーガー(ひとつ)である。

 

 暫く行っていない。旧東海道、旧三条通りから少し北側、JR、京阪の山科駅前から1、2分。散髪屋さん、松屋、山科酒場、すし屋さん、三条通り南側には餃子のライバル、王将もある。久々だけど、前に何度も入っている。店の内と外、店員さんの顔、変わっていない。創業50年?。1階カウンター席、ひとり座った。国の緊急事態宣言から客は減ったという。

 

 貼り紙は免疫力を高める餃子、ビタミンACEだという。小皿に醤油3分、酢7分、ラー油少々の指南どおりで待った。はい!どうぞ、いつもカウンター越しに出て来る。定食は焼き餃子2人前、玉子スープ、蟹玉甘酢、ご飯。餃子、やはり旨いなあ。ご飯がすすむ。免疫力食材は、一にニンニク、二にキャベツ、三に大豆、セロリ、玉ねぎという。ニンニク多い珉珉の餃子、コロナ免疫に効くという。み~ん、み~ん…蝉の鳴く頃までには収束願いたい。

 

 ※ 珉珉は昭和28年1月、大阪千日前から始まる。今は大阪、京都、東京で直営店、それとチェーン店を展開する。王将は昭和40年代に京都四条大宮で創業、焼き餃子では珉珉が元祖という。 ※ 餃子定食900円。焼き餃子1ん前300円。

 

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2020年4月17日 (金)

安らぎ…「3密」のない場所

Img_7166 Img_7164 Img_6848 Img_6847 Img_6842 Img_6839 Img_6837_20200414093401 Img_6832 Img_6829 Img_6814 コロナの今、ココロ休まるトコロがある。世界遺産、お西さんこと、浄土真宗本願寺である。外出自粛の今、そうは行けないが、週に一度は行く。広い境内を歩く。親鸞聖人の御影堂へ上がる。案内所を兼ねるお茶所へ入る。見えないものが見える~そんなトコロである。

 

 お西さん、いま行事が止まっている。一日4回のお坊さん境内案内も、お茶所の日曜法話もない。受け付けにお坊さんもいない。御影堂門前、消毒液で手をシュシュして、一礼して入る。樹齢400年の大銀杏。もう何度も見ているのにゴツゴツした太い幹、風雪に耐えた動かざる勁(つよ)さ感じる。コロナもいまは我慢の時~と、教え諭しているような。

 

 お茶所のポスター。一家6人が空を眺め「明日会いに行こう」。イラスト絵にコロナの消えた明日がある。青色青光、黄色黄光が集まり虹になる~の標語。光の重なりに明るい明日があるという。瓦11万5千枚、畳441枚、世界最大級の木造建築という御影堂へ上がった。広い境内、青い空と雲が見える、京都タワーも見える。廊下はろうか?、ずずっと黒光りしている。階段下、坊さんの草履ひとつ、伽藍はガラ~ン。「3密」のない世界…、安らぎがある。

 

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2020年4月16日 (木)

抜けるような青い空

Img_7065_20200413092601 Img_7059 Img_7080 Img_7248 Img_7254 Img_7029 Img_7028 Img_7018 Img_6941 Img_6885 Img_6821 Img_7467 空が青い。雲が一つもない。深い。こういうのを抜けるような青い空というのか。京博の無料開放の庭園へ、ロダンの考える像に会いに行った日、そんな空だった。桜も満開の頃、コロナ禍も収束が見えない。あの前後、空はずっと「限りなく透明に近いブルー」だった。

 

 パソコンで「抜けるような青い空」と検索した。「限りなく~ブルー」は村上龍のデヴュー作だが、同じ村上、ノルウエーの森の村上春樹の小説用例で「僕は午前八時半に目を覚ました。前日と同じように雲ひとつない上天気だった。まるで昨日のつづきみたいだな、と僕は思った。夜のあいだ、一時中断していた人生のつづきがまた始まったのだ」と出てきた。

 

 これこれ、考える像の日と相前後した3日間、この村上春樹表現と同じ気分だった。3密を避けての散策、パソコンにデジカメで撮った青い空の写真がある。マウスをクリック、どんな写真か、マウスで申すと、まあ、よく撮っている。雲がないと寂しいと言っている空、太陽がでて眩しいと樹木で遮っている空、桜と松と一緒に映っている空、京都タワーが突き刺さっている空、湖と青さを比べあっている空…。寝て起きて、人生のつづきの青い空にコロナは写っていない。

 

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2020年4月15日 (水)

「京の今日」のサクラ案内

Img_6628 Img_6630 Img_7223 Img_7299 Img_7300 Img_7305 Img_7309 Img_7310 Img_7314_20200412083801 Img_7317 今年のサクラ、終わったなあ。そやなあ、遅咲きの御室のサクラも散ってしもうたし…。お寺の伝教板にも「咲いて散ってまた咲く準備」と。また来年やなあ。今年はコロナで花見宴会は自粛やったけど、サクラは一生懸命、よう咲いていたなあ。それで、どこのサクラが良かった!。

 

 パッと明るうて、フワフワして…サクラはどこで見てもええもんや。どこが特別に~ということはないけど、人気のない小雨の京都御所、あそこは良かった。それと、京都駅八条口アバンティの「今日の京~のサクラ」もかなあ。ええっ?複合商業施設のアバンティで桜?。いや、ホンマの桜やないけど、地下のレストラン街で、京の桜名所15か所の見所案内やっていたんや。

 

 どう良かったん。例えば円山公園、桜は名物の枝垂れなど園内650本など写真と地図のミニ解説。開花状況は「京の今日」と洒落て、つぼみ、咲き始め、3分~7分咲き、満開、散り始め、終わりと6段階で書き込み。グーグル案内のQRコードもあった。まずは至れり尽くせり、きめ細かい。1階ではビデオで踊る舞妓さん登場して縁側で撮影コーナーも。コロナで来る人少なそうだったけど、いい企画やったなあ。コロナに懲りず~来年もやってや!。

 

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2020年4月14日 (火)

「ヘルスリテラシー」

Img_7233 Img_7231 Img_7230 Img_7228 Img_7227 Img_7215 Img_7200 Img_7198 Img_7196 コロナは何時になったら見ざる、聞かざる、言わざる~の三猿になるのだろう。サクラの花は散り行くのにコロナは行かない。日常、どう感染を防ぐのか、ネット、新聞、テレビ、雑誌…情報がわんさと出る。どれがホンマか、見極める能力「ヘルスリテラシー」を鍛えたい。

 

 ラインでコロナ情報が2件届いた。一つは米国TV動画。どうかな?と見た。NYの医師が手で目、鼻、口ノータッチ、ベリーベリーと。もう一つ。ウイーンのCovid19(新型肝炎)研究、肺炎対策の解熱剤はノーシン〇、バファリンは×。感染予防には、熱い液体、うがい、シャワー、野菜と果物は◎、喫煙は×と。発信は実名か、情報はいつ、連絡先は~と確認したい。

 

 NHKコロナ特番は、デマに注意で、治療薬で確立したものはない。長時間パソコン検索は逆にストレスたまる。基本の基本は、手洗いして、外出しても密集、密着、密接の三密避ける。これが一番という。地下鉄エスカレーター、手すり持って~だけど、今は持たない方がいい。電車のつり革も。まあ、自宅で本読み。外へ出るなら人目を避けトコトコ…。朝日新聞の政治漫画、安倍首相とコロナ鬼の腕相撲…負けたら、あかん、がんばれ!。

 

 ※ リテラシー、英国の学者から。各メディア始め、何が本当か知る能力をいう。新聞ならどう作られているか~など。 ※ 掲載の写真は4月9日のNHKと朝日新聞から転写、転載。

 

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2020年4月13日 (月)

光秀の坂本城本丸址へ行く

Img_6877 Img_6880 Img_6881 Img_6883 Img_6896 Img_6903 Img_6906 Img_6910 Img_6914 琵琶湖岸、光秀が築城した坂本城本丸址に立った。対岸、右に大津プリンスホテル、真ん中に近江富士、左に信長・安土城の山が見える。大河ドラマ・麒麟がくる~で出来た説明版、坂本城の歴史が詳しい。湖中に沈み石垣が見えない初の遺構公開、行こう!と足を運んだ。

 

 本丸址は電子部品会社になっており、会社の計らいで、休みの土日祝日に限って、駐車場わきから湖岸へ行けるという。NHK報道で知った。湖西の国道161号の大津市阪本3丁目、坂本城址公園から北へ200㍍という。JR大津駅前から江若バスに乗った。道路に光秀家紋、桔梗の紫色の旗が多い。光秀ゆかりの地へようこそ!ここへ、クッククック?。

 

 バス乗車20分。マスコミ報道から2度目の日曜、天気よし、サクラよし~なのに、コロナが見学者の行く手を遮っている。本丸址立ちはひとり。宣教師フロイスが安土城につぐスケールと記述した水城は、大と小、二つの天守があり、湖水を城内に引き込んでいたという。亀山城、周山城、福知山城へとつながる光秀最初の城、廃城まで15年、大津城、膳所城と並ぶ水城としろう?。城跡碑と光秀像の公園にも行き、コロナ去り、麒麟がくる~平和な世を願った。

 

 ※ 坂本城は元亀2年(1571)信長の比叡・山門焼き討ちの後、明智光秀(1528-82)が築城した。遺構はほとんど残っていない。比叡山の監視と湖上輸送の重要港として役割を担った。 ※ 季刊誌「湖国と文化」2020年1月号、光秀を特集している。
※ 坂本城本丸址、4月5日に行く。

 

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2020年4月12日 (日)

ゴマすって、ヒレカツ

 Img_7090 Img_7112 Img_7111 Img_7109_20200409085401 Img_7103_20200409085401 Img_7102 Img_7100 Img_7099 Img_7110 Img_7093 誰に~ということなく、ゴマがすりたくなった。久々、名代とんかつの「かつくら」へ行って、ロースでなく、ヒレを頼んだ。これまでどおり、すり鉢とゴマすり棒とゴマが真っ先に出てきた。ゴリゴリ、ゴリゴリ、すって、すって、すりまくった。誤魔化しは効かない?。

 

 牛でも豚でも、ロースは脂身が多く、ヒレは少なく、カロリーも低い。ロースか、ヒレか、ろうするか、お好み次第という。ヘレか、ヒレか~もある。東京など関東はヒレなのに大阪など関西はヘレというが、京都は関西なのになぜか、ヒレという。東京は出来ない、大阪は出来へん、京都は出来ひん…、毎週日曜朝のMBSTV、コトノハ図鑑でその違いを番組にしていた。

 

 行ったお店は新京極のすぐ東の三条本店。昭和5年(1930)英国紅茶リプトン日本店が始まり、創始者は福永兵蔵さん。業種拡大、紅茶に串にランチにとんかつ…株式会社「フクナガ」は東京に進出している。創業リプトンに隣り合うかつくらは路地奥。ヘレ表示でないヒレ80㌘1380円。ゴマすりきって、お代わり自由のキャベツ、味噌汁、十六穀米と一緒にヒレ5切れが出てきた。2切れ食べたところでキャベツ山盛りお代わり、これでコロナにも勝つ?。
 

 

 

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2020年4月11日 (土)

地下鉄壁面アートは「湯」

Img_6685 Img_6684Img_6679 Img_6683 Img_6681 Img_6680 Img_6760 Img_6682 レッスンの始まりは、アイマイミー、ユーユアユー…、わたしとあなたである。ユーは英語でYou、漢字だと「湯」。地下鉄東山駅の通路壁面が、いま、アート絵の「湯」になっている。コロナ禍でも新年度、湯の中でナイスツミート、いい出会いを!と描かれている。

 

 京都芸術系大学による恒例の駅ナカアートプロジェクトである。ここ東山駅の担当は、4月から校名変更で「京都芸術大学」になった前の京都造形芸術大学。伝統の「京都市芸術大学」が紛らわしいと提訴、いま裁判中。そうゆうことは別にして学生のアートはアートで、こうゆう「湯」アートは目をひく。京都新聞も~タイル壁面に着想、感性光る~と記事にした。

 

 東山駅改札を出て、右側の長い通路である。コロナ禍で近美、市美などが休館、乗降客は少なく、よく見通せる。学生さん、両側の壁面タイルを銭湯に見たてた。通路北側は京都らしく金閣寺、京都タワー、大の送り火、サクラを描く。南側は水と湯の蛇口、シャワー、洗剤、広告入り鏡、洗面器…である。銭湯アートは長さ・47㍍、高さ1・7㍍。ドキドキして、ちょっと不安な新学期、始まりは、アイマイミー、ユーユアユー、そうゆう「湯」から。

 

 ※ アート展示は5月末まで。

 

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2020年4月10日 (金)

知恩院御影堂の大改修終えて…

 Img_6703 Img_6708 Img_6709 Img_6710 Img_6713 Img_6716 Img_6718 Img_6724 Img_6728 Img_6729 現場に来て、今更ながらにそのスケールを感じる。近づいて、見あげて、なるほど「大殿」と言われるとおりである。浄土宗総本山知恩院の中心、法然上人の木像を置く御影堂。高さ28㍍、間口45㍍、奥行35㍍…、11年かけての大改修をおえた。でっかい国宝である。

 

 サクラを見る出歩き、地下鉄東西線東山駅降りた。平安神宮と反対、枝垂れ柳の白川沿いを歩き、南門から知恩院へ行った。大きさ日本一の国宝三門、急な大階段避けて、隣のゆるい女坂、坂村真民の「念ずれば花開く」の句碑を通り過ぎて、広い境内へ出た。御影堂は落慶法要を知らす緑、青、赤、白、黄色の五色幕と創建・徳川家三つ葉葵の幕が掛かっていた。

 

 2011年、法然上人ん800年大遠忌で始まった大改修。大屋根の葺き替えは、瓦の枚数は8万5千枚、重さ580㌧という。大きさ感じに周りを歩いた。正面東側の軒裏に左甚五郎「忘れ傘はこの上」の木札表示、黙殺できない。骨だけという謎の傘、見あげたが…謎のままだった。今はコロナ禍、4月中旬からの落慶法要の儀式は中止、延期と出ている。キュッキュッの鴬張り、忍び返しの廊下歩きは、また今度ころうナ。コロナは洒落も苦しい?。

 

 ※ 知恩院での写真は4月2日。

 

 

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2020年4月 9日 (木)

ロダンの「考える人」は今~

Img_7065 Img_7066 Img_7068 Img_7070 Img_7071 Img_7072 Img_7073 Img_7078 Img_7069 パリの彫刻家・ロダンがつくった「考える人」は、今、何を考えているのだろうか。コロナ感染拡大、国の緊急事態宣言が出た日、京都国立博物館へ会いに行った。空は抜けるような青空が広がっている。噴水が上がる丸池の前、「考える人」はいつもの定位置に座っていた。

 

 高い台座の上、右手の甲を顎に、腕は左手と一緒に左足の膝に乗せている。ちょっと複雑なポーズ。手も足も大きく、裸身の筋肉は隆々である。力強い像だが、思惟する姿は深い。像は青銅の緑青で出て、錆びが浮き、白く汚れている。年がら年じゅう、ここで考え続けていて、その風雪を感じる。何を考えているのか、博物館は鑑賞者の自由な想像力で良い~と言う。

 

 行った日、庭園に限って、無料開放だった。西国三十三所草創1300年の特別展「聖地」開催予告が出ているが、コロナ感染でどうなるのか。「考える人」は、そのことも心配しているかもしれない。像に近づき、下から顔を覗きこんだ。周りをまわった。ベンチに腰かけ、離れて見た。コロナ感染、原型像のある本国・フランスはじめ世界じゅう、いつ終息するか、わからない。像はいつにも増して苦悶しているようだ。寂しそうな背中がそれを語っていた。

 

 ※ 京博の庭園無料公開は今日9日でいったん終了。

 

 

 

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2020年4月 8日 (水)

「天野屋利兵衛は男でござる」

Img_6227 Img_6226 Img_6222 Img_6223 Img_6224 町ぶら発見、出歩き学習というのだろうか。京都四条通りの一つ南、綾小路通り。烏丸から東へ行って突き当たった寺町通のお寺門前に「天野屋利兵衛は男でござる」と彫りこまれた御影石の碑がある。お寺に赤穂浪士を支えた商人、天野屋利兵衛の墓があるという。

 

 お寺は浄土宗鎮西派の聖光寺。鎌倉時代、慶派の仏師・康慶の住居あった場所で、筑前から来た聖光坊こと弁長が比叡山で修行を積み、法然上人に帰依した。帰郷に際して康慶に造仏を依頼したことが縁で、康慶がこの場所に弁長の真影を安置してお寺にしたのが起源という。お寺は消失、再建、住職も代わり、天野屋利兵衛とは江戸時代にご縁が出来たらしい。

 

 「天野屋利兵衛は男でござる」は、仮名手本忠臣蔵で登場する。大石内蔵助に惚れ込んだ大阪商人・利兵衛が討ち入り浪士の武具、装束など金銭面で支援、奉行所に問い詰められるも本懐まで明かさず、男を挙げたという。映画、演歌、講談、浪曲…とモテた。お寺とは、どういうご縁か、内蔵助の母、大石熊さんの墓もあり、昭和になって、鞍馬天狗の嵐山寛十郎の墓もあるという。鎮西、聖光坊弁長、康慶、利兵衛、熊、嵐寛…、みなさん、ご縁でござる。

 

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2020年4月 7日 (火)

今年のサクラ

Img_6864 Img_6802 Img_6790 Img_6757 Img_6698 Img_6693 Img_6642 Img_6636 Img_6629 Img_6496 歩いて見て、歩いて見て、どれだけ見ただろう。コロナ禍のこの春、この1週間、鴨川、高瀬川、醍醐寺、京都御苑、平安神宮…、咲き始め、7分、満開、散り始め…、街かどを含めて、沢山のサクラと出あった。雨の日、曇りの日、晴れの日、いつもの場所で咲いていた。

 

 白樺派の作家、武者小路実篤はこう綴っている。「人見るもよし、見ざるもよし、我は咲くなり」。花は人、場所で左右されず、どんな時でも精一杯咲いて、人の心をなごませてくれる~と。コロナ禍の今年、サクラになんの変化もなかった。毎年と同じように花を開かせた。春に詩人坂村真民は「念ずれば花開く」世阿弥は「花心(はなごころ」の言葉を残す。

 

 密集、密接、密閉避けて、ひとり歩いた。サクラ見るたび、デジカメ向けた。この1週間、ずっと撮って、パソコンに写真がたまった。デスク上、マウスをクリックすると、思い出のサクラが出て来る。三条大橋たもとで弥二さん喜多さん像とサクラ、川端康成、谷崎潤一郎が小説に書いた平安神宮の八重紅枝垂れ、京都御所紫宸殿の左近のサクラ、秀忠の知恩院三門、秀吉の醍醐寺、子供がブランコに乗る公園のサクラ…、コロナのない来年、またよろしく。

 

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2020年4月 6日 (月)

「弘法大師独鈷水」の道

Img_6493 Img_6489 Img_6473 Img_6476 Img_6477 Img_6479 Img_6480 Img_6481 Img_6482 Img_6486 Img_6487 それは、不思議、不思議…である。弘法さんが独鈷(どっこ)という密教の仏具で、地面をつつくと、湧きた水が出て来る。それを「弘法大師独鈷水」というそうな。この独鈷水、どっこ?にもあるわけではない。♪~ひみつ、ひみつのアッコちゃん~♪が知っている。

 

 自宅からの京阪バス、乗れば20分ちょっとの醍醐寺へ、咲き始めと満開と二度行ったおりである。旧奈良街道、小町伝説と梅の随心院バス停で早めに降り、醍醐上の山町あたりで、高さに1・5㍍の石碑が「弘法大師独鈷水」だった。是より北は山科御坊、南は上醍醐、西は日野薬師の表示、むかし旅人の道標を兼ねていたようだ。石碑のわきから細い山道、竹林の道が続いている。

 

 独鈷水はどっこ?、行って見た。ずっと竹やぶ、何が出るか?、棒でなく墓が出た。墓石が乱れている。無縁墓地?手を合わせて、さらに上った。小さな社。「弘法」と記した石碑…ここから湧き水のよう。ヒノキの古木にしめ縄、社に正月飾り、バケツと酌もある。隣は朽ちた鳥居、西山大神の扁額。祭神不詳である。さらに上がって、頂上に老人ホーム「同和園」。養老院で始まり、来年は100周年という。独鈷水探し、世の中の移り変わり思う。今はコロナ。

 

 ※ 高僧の独鈷水は全国各地にある。醍醐の「弘法大師独鈷水」石碑は大正2年(1913)に建てられている。独鈷は煩悩を打ち砕く^などの意味がある。

 

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2020年4月 5日 (日)

撮影OKになったお地蔵さん

Img_6353 Img_6355 Img_6371 Img_6383 Img_6404  Img_6410 Img_6414 Img_6415 Img_6416 いつ、お許しが出たのか、「撮影OK」の表示が出ている。久々に行った大津市歴史博物館、1階フロア奥に展示の地蔵菩薩坐像である。ずっと「撮影禁止」だったのにどうしてかな~と思いつつ、まずは手を合わせ、それではと、近づいて、離れて、ありがたく撮った。

 

 開館から20年以上の大津歴博、年に3回ある企画展、いまは「江戸時代の琵琶湖水運」。常設展はNHK大河「麒麟がくる」を意識して「明智光秀と江戸時代の大津」を特集展示している。瀬田のホテルで会議のあった日、コロナ自粛ムード中も開催と知って、雨の中を行った。展示室、鑑賞者がいない。人に接触することはない。コロナ安心、鑑賞お勧めできる。

 

 ゆっくり、ゆっくり、琵琶湖の水運展と光秀展みた。水運の地図、光秀の太鼓…展示はところどころで撮影OKと出ている。参考にデジカメ撮りして、1階フロア降り、撮影禁止からOKになった地蔵菩薩坐像である。「重文」ではないが、平安後期の作風ある像という。京都山科へ抜ける小関越え入り口にあった園城寺地蔵堂のお地蔵さん。高さ1㍍35、座った地蔵では大津で最大という。穏やかな表情、見れば見るほどコロナ忘れて、ココロ休まる。

 

 ※ 企画展「江戸時代の琵琶湖水運」は4月12日まで。

 

 

 

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2020年4月 4日 (土)

自販機のいろいろ

Img_6529 Img_6530 Img_6610 Img_6612 Img_6585 Img_6553  Img_6615 Img_6616 Img_6620 今の、この世の中、何処でどんな自販機に出会うか、また楽しからずや~である。コロナ感染禍の時代、人と無接触販売は存在感が高い。IT、AIの先駆け、始まりは50年前の切手からというが、今や、茶、コーヒーだけでない。何でもある自販機、その色々について。

 

 京都山科の国道1号、地下鉄東西線の東野駅近くの広い駐車場入り口。人気のポツンと一軒家ではないけど、ポツンと自販機が一本立ち。「だし道楽」の表示、焼き穴子昆布入りペットボトル出汁という。何事も、出だしは大事だし、だしは味の素もだけど、自販機売りとは~である。7、8分に薄めてだけど、玉子かけご飯ならそのまま、そのまま~という。

 

 ネットで調べると、東京では有楽町にバナナ、1房390円、1本130円のそんなバカな?といえないバナナ自販機があるという。電気代だけ24時間営業、人件費なしの魅力はコンビニに勝つ。京都地下鉄烏丸御池では、パンの志津屋がパパンがパン!と自販機売りを始めた。重たくないカルネ、何事にもカツサンド…という。ぜ~んぶ100円自販機、京都ハンナリーズ支援自販機、省エネ自販機…。所変われば品あり、自販機あり~の、対コロナ時代である。

 

 

 

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2020年4月 3日 (金)

「京都山科コーヒー」

Img_6558 Img_6557 Img_6550 Img_6546 Img_6544 Img_6539 Img_6538 Img_6535 Img_6533 Img_6532 暖簾はあってもドアはない。店内の床几は緋毛氈でなく緑カーペット、赤い大きな和傘がさし掛けてある。フロアそのものが店、柱と柱に仕切りはない。店名は「東山茶庵」。緑の暖簾に~めっちゃ、抹茶~のキャッチ。新しいタイプのカフェという。洒落っ気、めっちゃ面白い。

 

 京都市地下鉄東西線、市役所前駅の改札出て、ゼスト御池の中である。イベント広場の前、宝くじ売り場と隣り合う。地上へのエスカレーターも近い。河原町、御池、寺町…ぶら歩きで良く通る。「SA-AN」と横文字つきの「東山茶庵」、前から知っている。おうすの抹茶、抹茶ソフトが売りだけど、最近か、「京都山科コーヒー」が新しくメニューに加わった。

 

 山科の住人としては気になる。山科本願寺、山科茄子…山梨でない山科ブランド数々あれど、「山科コーヒー」とは~である。1杯400円。入って、座って、注文して、聞いた。山科のコーヒー豆?ではなく、パプアニューギニア仕入れ。じゃあ、なんでと聞くと、店の本社が山科の御陵にあるからと。本社は炭屋に始まり、フィットネス、デイサービスなど事業が多角化、このカフェもという。「めっちゃ、抹茶」から「山科コーヒー」へ、メニューも仕切りはない。

 

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2020年4月 2日 (木)

今年も地下鉄で駅ナカアート

Img_6250 Img_6464 Img_6459 Img_6248 Img_6245 Img_6244 Img_6242 Img_6239 Img_6237 Img_6235 Img_6461 Img_6462 地下鉄駅の柱が駅ナカで、マッタケ、マッタケしている。マッタケの柱は何本か?、ちょっと待ったケ?こっちも、あれも、それも…、みんなで5本、マッタケがアートしている。大きいの、小さいの、カサが開いたの…、駅ナカ柱はもう秋、コロナは見えない、いない。

 

 京都市の地下鉄、烏丸五条駅。京都駅から国際会館行きに乗ると二つ目である。出歩いて、五条通りからバスに乗るおり、一日の歩き目標確保で、早めに降りて歩くおり、この駅を利用する。この間は傘なし歩きで急な雨、あわてて地下駅へ入って、マッタケとの出会いだった。マッタケだけでない。壁面にハス、メダカ、リス、階段に猫に雀、革靴にハイヒール…。

 

 この時期、京都の芸術系大学による駅ナカアートプロジェクト、今年9回目という。烏丸五条駅は毎年、京都女子大学が担当する。生活造形学科の江口俶子ゼミ11人。今回は足元から見る小さな世界がテーマ。改札の中は自然班、外は街中班がアンダーな視点で見た日常でない世界を描いたという。壁面にテーマ趣旨と描いた学生さんの名前が出ていた。知香、妙依、梨奈、沙羅、佳穂…らの皆さん。お絵かきアートの駅ナカ表現、ナカナカでした!。

 

 ※ 駅ナカアートプロジェクトは京都市と京都の芸術系12大学で開催。国際会館、東山駅など地下鉄11駅を12の大学が担当、アート作品を出す。5月31日まで2か月間展示。テーマはアートのあふれる駅。

 

 

 

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2020年4月 1日 (水)

京博・東の庭に茶室「堪庵」

Img_6135 Img_6134 Img_6132 Img_6131 Img_6129 Img_6124 Img_6122 Img_6117 Img_6114 Img_6113 京博、東の庭に数寄屋造りの茶室「堪庵」がある。コロナの今、常設展は休館だが、庭園だけは無料、フリー鑑賞できる。ぶら歩きコースの一つ。ロダン像とともにコロナの世の中考え、枝垂れサクラ咲く西の庭から明治古都館の東へ行って、公開中の「堪庵」を堪能した。

 

 西向きの入り口、玄関に「堪庵」の扁額、千利休の茶の心、わび・さびを感じる。外国人鑑賞者向け、英語表示で「Tan‘An」の案内。「堪」は音でカンともタンとも読むので、茶室名は「たんあん」とわかる。南禅寺の湯豆腐「順正」創設した古美術愛好家でもある上田堪一郎さんが昭和33年に寄贈という。「堪庵」は上田さんの堪一郎からの命名である。

 

 江戸時代、公家文化の伝統を受け継ぐ建物という。桂離宮と大徳寺真珠庵を感じさすそうだ。茶室は書院と隣り合っている。竹垣、竹の簀の子、格子窓、化粧天井、にじり口、風呂釜…。書院前の広縁に座った。白い砂利石は小川の流れ、赤い椿は侘助か、喫茶せずとも一服にはいい。好天、堪庵の庭を淡々と歩いた。今日庵、不審庵、官休庵…茶室に庵、饅頭も餡、ファッション雑誌にanan、都はるみはアンコ椿は恋の花?、そう思案しない方がいい。

 

 ※ 京博は4月11日から特別展「西国33か所・聖地をたずねて」を開催、それまで庭園無料鑑賞できる。

 

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