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2020年3月

2020年3月31日 (火)

コロナに負けず花は咲く

Img_6257 Img_6259 Img_6267 Img_6277 Img_6296 Img_6312 Img_6298 Img_6311 Img_6305 Img_6302 Img_6306 花が一番、輝いて見えるときがある。季節、天気、時間、場所…それがひとつになったときだろう。そんな瞬間に出会って、デジカメを向け、いい写真が撮れたとき、それが至福のトキか。サクラ開花の春3月、二度目の植物園。写真撮り、またトキドキしに出かけた。

 

 観覧温室は閉室、桜ライトアップは中止していても、園内は広くて、開放感がある。入園者と濃厚接触することはない。コロナ感染拡大、ひとりで出かけるのがいい。北山門入って、芽を吹きだした柳が目に飛び込む。サクラは黄色いサンシュや、白いコテマリ、ユキヤナギ、真っ赤なボケと隣り合っている。黄色のヤマブキと赤のミツバツツジとも近い。色の混ざり、どう撮るか。

 

 

 大きな木蓮、紫の花が空をおおう如く咲く。宮崎の知人は自宅に黄色の木蓮という。エリザベスという種類らしい。植物園にはなさそう。ピンク色の八重椿は「光源氏」という。花びらのフワフワ撮り、この日の一番ショットかな。葉が出てから咲くヤマザクラ、花びら一枚のピント合わせが難しい。新聞社で元写真部長の知人指南思い出し、何とか一枚撮れたかな。シャクナゲ、チューリップ、ハナナ…、園内で輝く花々、コロナを恐れず、~いま、撮って、撮って~と咲く。

 

 ※ 写真は3月26日、気温24度、初夏のような午後に。

 

 

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2020年3月30日 (月)

「anan」50周年展へ行く

Img_6168 Img_6167 Img_6142 Img_6151 Img_6160 Img_6164 Img_6153 Img_6157 Img_6158 Img_6162 小文字のスペルで「anan」―、滑るように発音して「アンアン」。饅頭の餡がいっぱいの「あんあん」ではないけど、「アンアン」「アンアン」…、何度でも発音したくなるボイスある。女性向けファッション雑誌名が「anan」。今年3月、創刊50周年を迎えた。

 

 知人から50周年記念展のチケットが届いた。会場は京都伊勢丹。雑誌はみたことないし、おとこ一人、行くか、行くまいか~迷ったけど、出歩きの流れ、この前の婦人画報100年展は入ったし、まあいいか~と行った。7階美術館のエントランスの壁面、ここに見どころがあった。大阪万博の1970年に創刊、それ以来のアンアン表紙がエンエンと並んでいる。

 

 女性とともに~の「アンアン」、10年ごと区切って、流行を追っている。1970年代はパリ、ロンドン~海外旅行の憧れ。80年代、90年代は個性とトレンドの時代、2000年代からはオーラ、韓流、モテキャラ、美肌・美脚-と続き、今は復活愛のススメという。パンダのロゴがろこ?かにある。表紙の見出し、写真にどきどきする。「好きな男、嫌いな男」「短髪、いまこそ髪を切ろう」…、髪は毛(もう)ナイ。「あ~ん、あ~ん」と泣きたくなる。「アンアン」。

 

 ※ 展覧会は4月5日まで。 ※ 「anan」は毎週水曜、マガジンハウス発行、現在21万部。集英社は「ノンーノ」発行して、ひところは「アンノン時代」と。

 

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2020年3月29日 (日)

京都駅ビル、ピアノの音がする

Img_5619 Img_5618 Img_5622 Img_5625 Img_5630 Img_5632 Img_5633 Img_5654 Img_5667_20200326093101 Img_5668 どこからかピアノの音がする。誰が弾いているのだろう。京都駅ビル10階、拉麺小路から空中径路を東へ行って~である。エスカレータ降りた7階の東広場、期間限定、誰でも弾ける「駅ピアノ」だった。…タタタタ…タタ、タ~ン…、誰のために?エリーゼのために。

 

 4代目の京都駅は長さ470㍍。大階段あり、イベントも多い西が「動」なら高さ49㍍、長さ147㍍の空中径路を渡って、人が少ない東は「静」である。駅ビル設計の原広志は「駅は離合集散の舞台」「境界はあると同時にない」という。動から静へ、どう感じるか?。グランドピアノ、エリーゼのためだけでない。みんなが交代で弾いている。自分のために弾いている。

 

 コロナ感染対策、今の駅ビルは西の「動」より東の「静」がいい。さりげない文化、駅ピアノだけでない。駅ビルのレゴブロック、地下からここへ移動してきている。和傘、手毬…フォトジニックコーナー。色んな鉢植えが並ぶ緑水歩廊…生物多様性の学びもある。教会のチャペル、京都タワー、真下に駅前ゼブラ交差点…、仰ぐ空とともに景観が広がる。谷底のような駅中央挟んで西側が見通せる。コロナを感じない駅の静寂…、ピアノの音がする。

 

 ※ 駅ピアノはデイアパソン、1978~1981年。まほろば芸術財団寄贈。昨年12月から今月31日まで。

 

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2020年3月28日 (土)

チャイ10円

Img_6051 Img_6049 Img_6048 Img_5951 Img_5950 Img_5814 Img_5811 Img_5810 もう何杯飲んだかなあ。店前で何となく立ち止まると、店内から小さなカップがどうぞ!と出て来る。1度ならず2度、3度、1度に2杯の時も。インドのキャラメルティー、チャイである。写真を撮って、飲むだけで、~チャイなら、チャイなら~モッ、モウし訳ない!。

 

 インド料理、京都寺町四条かどの「アショカ」で、最後にコーヒーでなく、チャイが出たのが始まり。毎日のようにシャレていると、頭の中がシャレ脳、オオ!ノーになっている。その時もチャイで、映画評論家・淀川長治さんの口癖だった「さいなら、さいなら」を思い出していた。二度目が同じ寺町蛸薬師あたり、紅茶専門店「チャイ10円」の看板だった。

 

 コロナも気になるけど、チャイ10円も気になる。店前の立てかけ看板、ビデオなど、チャイ、チャイしている。ついつい、足がとまると、カップであのチャイが出てくる。アイスチャイもある。1杯10円?、ティバッグで10円という。桜の花のティ、ちょっと待ちや?の抹茶ティもある。若いオーナーがネット販売で当てたお店らしい。「アショカ店」で、アア~しょか。「チャイ」でチャイなら。紅茶は、こちらで、こちゃ。洒落癖、こまっちゃう?。

 

 

 

 

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2020年3月27日 (金)

平安神宮神苑の色々マツ

Img_5903_20200324085201 Img_5911 Img_5918 Img_5922 Img_5924 Img_5928 Img_5932 Img_5945_20200328063701  Img_5940 Img_5946 クネクネ、クネクネして、ジグソーパズルみたいのや、枝がググっと曲がってアルファベットの「Z」や「Y」みたいのや…、どうしてそうなった?と見ていて面白いけど、何というマツだろう。名前がわかるまで♪~わたし待つは、いつまでも待つは~♪(歌・アミン)。

 

 7代目小川治兵衛作庭、平安神宮神苑の松である。神苑は広さ1万平方㍍、池泉式回遊庭園、国の名勝。重文答申、日本最古のチンチン電車展示の南苑へ見に行って、杜若の西苑、臥龍石の中苑、泰平閣と栖鳳池の東苑と巡った。紅枝垂れにも杜若にも早い。紅葉はまだ先…それなら今は?と、変なマツのカタチの妙に見惚れた。よくもまあ~と思う色々マツである。

 

 マツの種類、国内で8種類という。ちょっとマッタケのアカマツ、用がなくてもゴヨウマツ、とどのつまりのトドマツ、洒落には苦労のクロマツ…。神苑は100年以上、池泉式の水は琵琶湖疎水からひいている。色々マツ、よく育っている。塀越しニョキニョキマツ、水面すれすれマツ、二等辺三角形のツリーマツ、幹がよじれたひねくれマツ、梅にも桜にも青空と白い雲にも合う四季折々マツ…。なんでそうなったか、♪…わたし知るまで待つは~♪。

 

 

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2020年3月26日 (木)

新潟カツ丼は「タレカツ」

Img_6021 Img_6020 Img_6014 Img_6017 Img_6015 Img_6010 行こうと決めていた「新潟カツ丼」の店、行った。京都四条通りの一つ南、裏通りの綾小路通り、柳馬場東南かどである。店名は🐖マークの「タレカツ」京都本店。注文したのは、雑誌「大人の週末」三ツ星店、金メダル受賞メニューの「野菜ヒレカツ丼」千円である。

 

 車一台通れるだけの狭い道幅、綾小路通りは何となく気になるお店が多い。寺町に近い~京都にきつね丼があって良かった~の食堂「山の家」はもう行っている。今度は新潟カツ丼、なんで新潟?と気になっていた。お店は開店してまだ1年半というけど、裏通りに溶け込んでいる。L字型カウンターとテーブル、そう新しさは感じない。タレカツとは、玉子とじでない甘辛醤油ダレの味付けという。

 

 新潟は神戸、横浜などと開港5港の一つ。西洋料理が早くから盛んで、これもそうだという。福井はソースカツ丼が名物だが、新潟は醤油カツ丼、しょういう?B級グルメ。カツは和豚のモチブタ、お米は新潟米のコシイブキ。トンと野菜が山盛り乗った丼が板のトレーで来た。ヒレカツは薄いけど面積が広く、ジューシー。野菜はプチトマト、南京、ブロッコリー…、海藻味噌汁に白菜漬物、新潟米のご飯は醤油が薄めに染みている。三ツ星のカツ、誰に勝つ、タレにカツ??。

 

 ※ 新潟カツ丼「タレカツ」は東京千代田、池袋、高田馬場などに店あり、東京ほかでは京都が初めてという。

 

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2020年3月25日 (水)

信長菩提寺・大徳寺の総見院へ行く

Img_5714 Img_5676 Img_5677 Img_5681 Img_5694 Img_5696 Img_5698 Img_5699 Img_5701 Img_5703  大徳寺にある信長の菩提寺「総見院」は~世の中をすべて見通す~の信長法名から「総見院」だという。ふだん、重々しい拝観謝絶の札が門前に掛かる「総見院」へ初めて入った。年により公開もあるが、この冬は~NHK大河の麒麟がくる~で、後悔なきよう特別公開だった。

 

 本能寺の変で信長自害、天下布武のポスト信長へ、秀吉がお膳立して造ったお寺である。衣冠帯刀の信長像は、ヒノキの香木造りで、重要文化財。眼光が鋭く、威厳がある。運慶の流れ、慶派の仏師・康清作。秀吉は2体つくらせ、1体は1周忌のおり、見つからなかった信長遺骸代わりに棺にいれ火葬にした。いま、本堂にある1体は顔が黒いが、お寺火災のおり持ち出し、煤けたから…とか。

 

 境内、要所要所で学生ガイドさん、マニュアル説明が初々しい。茶室の説明聞いて、本堂北側へ行って、加藤清正が持ち帰った朝鮮石の掘り抜き井戸。学生さんが懐中電灯で底を照らす。深さは清水寺の舞台と同じ13㍍、今も現役という。覗いてずにはいられない。これ洒落、そこで拍手。庭に千利休譲り受けの椿、侘助は樹齢400年、日本最古という。墓所の奥に信長を真ん中に一族の墓碑が並ぶ。奥方の帰蝶さんもあり、貴重である?。

 

 ※ 今年の京の冬の旅、総見院公開は3月15日で終わる。

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2020年3月24日 (火)

冬眠明けのカメがいる

Img_5532 Img_5543 Img_5544 Img_5546_20200318085201 Img_5542 Img_5537_20200318085201 Img_5540 ポカポカ陽気、カメがいる。首をにゅっと出している。甲羅がドロで汚れている。冬眠から目覚めたところか。日向ぼっこ、甲羅に春を感じているうようだ。通りがかった卒業式帰り、袴の女性が覗き込んで「あっ、カメさんや」「あっ、動いた、本物や」。その驚きようが面白い。

 

 新型コロナで観光客が減っても、京都観光人気の清水寺。平日でも、ぞろぞろ人が流れている。素屋根の取れた本堂から音羽の滝を回って、朱色の三重塔を見あげる池の端、カメさんである。こらあ、大きいカメか、甲羅は50㌢ほどある。短い足、精一杯出して踏ん張るようにじっと池を見つめている。そんなに珍しいとも思わないけど、カメさん、カメさん…とえらくモテている。

 

 カメさんのこと、改めて調べると~。カメ目の爬虫(はちゅう)類で、形態は中生代から変化がない。背面と腹面に甲をもち、頭、尾を引っ込めて身を守り、歯はない。水・陸にすみ、イシガメ、ウミガメ、ゼニガメなど種類は多い。鶴は千年、亀は万年…長寿でおまんねん。ゆっくりマイペースで最後はウサギにも勝つ。甲羅に乗ると、鯛や平目の舞い踊り、あら、コウラ、コウラ~の浦島太郎。竜宮城戻って、玉手箱を明けたら、コロナコロナでこらあ要注意??。

 

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2020年3月23日 (月)

六道珍皇寺、コロナ一掃祈願の特別公開

Img_5957 Img_5958 Img_5959 Img_5972 Img_5970_20200323064101 Img_5975_20200323064101 Img_5969 Img_5967 Img_5980 Img_5981 Img_5984 そうは開かない六道珍皇寺・薬師堂の鉄扉が開いた。彼岸3連休、新型コロナを追い払うご本尊、秘仏の薬師如来の特別公開である。摩訶不思議、あの小野篁が地獄の沙汰の閻魔さんに仕え、夜ごと通った井戸が境内庭にある六道珍皇寺、無料公開と知って行ってみた。

 

 東大路通り、五条坂から一つ北のバス停、清水道で降りて、清水寺とは反対の道を3分ほど。清盛の六波羅蜜寺、栄西の建仁寺に近い。むかしは送葬の地、鳥辺野入り口。門前に「六道の辻」の石碑。地獄、餓鬼、畜生…因果応報の分かれ道という。境内入って、右手が薬師堂。薬師像の前、~オン・コロコロ…~梵字。コロナ退散をお薬師さんが祈っているような。

 

 薬師如来は重文、写真撮影はダメでコロナ対策、離れ撮り。北隣は閻魔堂に閻魔さん。ふだんは飲酒運転コラッのポスター、いまはコロナ、コラッ~。境内西はお地蔵さんが一杯。真ん中は高さ2㍍の大石地蔵尊。弘法さん指南、左手の錫杖でトントンと叩き、疫病・コロナを追っ払う。あの世から亡者呼ぶ迎え鐘の引き綱、赤字の注意書き。触らぬ神にコロナ祟りなし。篁さんの通い井戸は格子窓から、こうして覗けば、あの世が見える。コロナミダブツ!?。

 

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2020年3月22日 (日)

チンチン電車が重文に

Img_5956 Img_5881 Img_5885 Img_5888  Img_5894 Img_5893 Img_5892 Img_5882 毎日毎日、新型コロナのニュースで一杯の新聞紙面に旧型というか、日本最古の路面電車の写真が載った。大阪―兵庫往来自粛が朝刊1面トップ記事だった京都新聞。写真は紙面左2段半扱い、見出しは~「京電車両」重文に~。平安神宮南苑にずっと展示の電車である。

 

 鳴くよ~の794年に平安京が誕生して千百年、それを記念して明治28年(1895)平安神宮ができた。同じ明治28年、京都駅と伏見の間に日本初の電車が走った。電車は市内全域に広がり、市民の足として活躍したが、昭和36年に北野線を最後に消えた。平安神宮は、北野線で最後まで走り続けた車両を譲り受け、同級生のよしみで記念展示していた。

 

 平安神宮のある岡崎へは市美、近美、図書館があり、よく行く。新聞に載った春分の日、コロナ回避、人混み回避の出歩き。広い庭園の拝観600円。そうだ京都へ行こう~のJR東海キャンペーンで始まった紅枝垂れコンサート、コロナの今年はどうなるのか。南苑の左端、スレート屋根の下、重文答申の電車を見た。車両番号は2番、運転台は吹きっさらし、濃緑の車体…とおい思い出が甦る。発車でチンチンと鳴って、チンチン電車、隠しや??。

 

 ※ 電車車両の重文指定は、東京江戸川博物館の東京地下鉄1001号、京都鉄道博物館のナデハ6141号についで3件目。平安神宮の京電は堺市の梅鉢鉄工場製、電動機は米国ゼネラルエレクトリック社製。

 

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2020年3月21日 (土)

清水寺本堂、檜皮葺の屋根再び

Img_5512 Img_5517 Img_5520 Img_5522 Img_5519 Img_5530 Img_5531  見えた、見えた…、新型コロナのウイルスは見えないが、新しい本堂の屋根が見えた。年間550万人が来る京都清水寺の本堂。全国から集めた檜皮10万枚で葺いた国宝、世界遺産の大屋根である。50年ぶり平成の大改修、素屋根が外れ、本堂の本当の屋根が見えた。

 

 新聞、テレビでニュースになって、写真、映像で見た。山科の自宅からバスの停留所で国道1号のトンネルを越え三つ目、清閑寺池田町で降りて、見に行った。高倉天皇、六条天皇の御陵から清水寺南門へ長足なら10分。京都一周トレイルコース、ちょっとした山道。南門わきに朱色の重文・子安塔。谷を越えて、向こうが本堂、隣の三重塔も京都市内も見える。

 

 京都新聞記事を読むと、檜皮で葺いた本堂の屋根は「照り起こり(むくり)」というらしい。確かに真ん中がふっくらしている。職人技の檜皮葺き、弧を描く曲線美が美しい。金色に光る破風の飾り金具は家光再建以来の復活という。写真撮って、音羽の滝へ降りた。コロナ感染、あんなにだった中国人観光客いない。着物女性、若い日本人が戻ってきている。舞台見あげると、屋根の下で手を振っている。~清水の舞台から飛び降りたら~…、いや~ね??。

 

 ※ 大改修は昭和42年(1967)年以来。本堂屋根改修は2017年からで、今年夏ごろから舞台柱の改修もあり、またシートで覆う。完全に改修が終わるのは来年3月の予定。

 

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2020年3月20日 (金)

街路樹の桜、ヨウコウ

Img_5772 Img_5788 Img_5792 Img_5794 Img_5793 Img_5795 Img_5797 Img_5799 Img_5801 外出自粛の世の中、コロナコロナしていても、町はサクラサクラしてきた。東京で観測史上最速で開花して、4月待たずのサクラだよりが全国各地から届く。京都は秀吉の醍醐の桜が咲き始めたという。京都御苑・近衛邸跡の糸桜、円山公園の枝垂れ、そろそろだろうか。

 

 人混み避ける出歩き、どこでどうサクラを見るか。道路も歩道も広い祇園祭り山鉾巡行の御池通の高倉北で、街路樹の桜を見た。ピンクが濃い、大きい花びら5つ。まるで造花のよう。1本木の桜、歩いていて、遠くから目立っている。花の下まで行って見あげた。青い空と絵のように似合う。木に名前と由来の札が掛かっていた。「ヨウコウ」、漢字で「陽光桜」。

 

 この桜にはドラマがあった。寒緋桜と天城吉野桜の交配という。新種として、世に出たのは1981年、もう40年前である。太平洋戦争のころ、愛媛県の先生だった高岡正明さんが、お国のために行ってこい~と戦争へ送り出した生徒たちが戦死。自省と供養から全国の桜200種集め、25年かけ、挿し木、接ぎ木でやっと育てあげた。苗木は戦地で散った生徒を思い、平和の使者として世界へ届けたという。春に咲くヨウコウ、若い命の尊い陽光だった。

 

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2020年3月19日 (木)

京都拉麺小路に札幌味噌ラーメンが来た

Img_5614 Img_5607  Img_5598 Img_5603 Img_5602 Img_5600 Img_5610 Img_5616 来た、来た~、湯気が上がって、熱そうや。まず、レンゲでスープ。いや、ちょっと待った。写真撮りからや。真ん中の白ネギ、仙人髭みたい。炙りチャーシュー、焦げている。生姜がちょい乗り。写真、もうええ、もうええ。ほな、もう一度、スープから。どうかな。

 

 うん、濃うない、あっさり。白味噌やな。これが、札幌本場の味噌ラーメン。メンマはどうや。シャキッとして上手い。メーンの麺は中太のちじれ。ツルリ、コシがある。札幌から、ようお越し?。お店は去年7月から京都駅ビルの拉麺小路へ仲間入りの新人。そや、もう一枚、記念写真。右手にデジカメ、左手に麺上げて…難しい。麺、上手に撮れず、ごめん?。

 

 店名は「綱取物語」。網の「あみ」でなく、綱の「つなものがたり」。網はネット、綱はロープ。札幌市内に2店舗ある味噌ラーメンの有名店だそうな。京都拉麺小路は、豚骨の博多、つけ麺の東京、それに大阪、福島、徳島、名古屋、地元・京都が競う。もう20年以上で、店の入れ替えが何年かに一度ある。北海道からは「すみれ」「白樺山荘」に続き、3店目。体重減効果出て、久々の拉麺小路。コロナで味噌つけず、がんばれ!札幌味噌ラーメン!。

 

 

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2020年3月18日 (水)

月読草はインスタレーション作品

Img_5480 Img_5481 Img_5466 Img_5479 Img_5472 Img_5473 Img_5476 Img_5475 ことし開館50年を迎えた京都府文芸会館の前庭に小さな和紙の花が植わっている。花は月読草(TSUKUYOMI)。昭和45年1月8日の開館からこの3月で603カ月、月読草はひと月1本、いま603本。開館50周年記念のインスタレーション作品という。

 

 文芸会館は府立医大の向かい、京都御苑中立売御門の東、むかしあった立命館大広小路学舎のすぐそばにある。演劇、文楽の舞台と1、2階にギャラリー、わりに行くこと多い。今年も何度か行っているのに、この月読草に気がついたのは、最近である。作者は山梨県在住の志村陽子さん。文芸会館50年の歴史に思いを重ね、前庭を生かして作品にしたという。

 

 インスタレーションとは?~と思う。70年代から欧米で始まった現代美術という。その場所、空間、環境に応じ、いろんな素材を使った作品だそうだ。映像のプロジェクションマッピングもその一つという。絵画、写真、彫刻など単体でみるアート作品でなく、その場所を意識して、感じて、考えて~とか。文芸会館50年の月読草は3色、白が中心だが、毎月8日は青色を植え、今年1月の50年記念目は赤色だったといいう。インスタ映え狙いかな?。

 

 ※ 京都府は文芸会館建て替え計画中。月読草、毎月8日の青花植えは今年10月、計610本で終了という。

 

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2020年3月17日 (火)

「戦国ワンダーランド」「信長を旅しよう」

Img_5176 Img_5239  Img_5254Img_5211_20200317064501 Img_5256 Img_5253Img_5248 Img_5244 Img_5223 Img_5224 ホーム降りて、はたと足が止まった。「戦国ワンダーランド」と「信長を旅しよう」のノボリ旗。強い風、ハタハタしている。信長が天下布武の居城を築いた安土の駅である。駅舎はお城を模した八角形、北口の壁面は去年12月、大手道から天主へ、信長の城が甦っている。

 

 久々、安土へ行って、ここもHNK大河・麒麟がくる~効果を意識している。駅舎と駅前のリニューアルが終わり、ロータリーは信長像と織田桜が戻ってきた。駅前の老舗・饅頭屋さん、丁稚羊かんは安土問答、最中はまけずの鍔である。飛び出し坊やのイラストは信長坊や。東へ行けば安土城跡だけど、反対へ行って、かつて港があった常浜方面へ足を向けた。

 

 滋賀のコロナ感染者は大津に1人、まずはコロナ安全県のよう。県の真ん中、北から中日新聞、南から京都新聞が共存する。駅から10分少しの十字路、近江戦国の道と安土街道の道路標示が出た。足元に葦が伸びる山本川の川べりに立った。見渡す限り、畑また畑、建物はない。東に標高199㍍の信長・安土山、隣に432㍍、佐々木六角氏の観音寺山(繖山)、振り返ると、283㍍、豊臣秀次の城・八幡山。戦国山城3か所の同時眺望、ここにあり。

 

 ※ 安土へは3月6日に行く。 ※ 滋賀のコロナ感染者は17日現在2人に。

 

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2020年3月16日 (月)

クスノキとムクドリはどこへ~

Img_5502 Img_5500 Img_2538 Img_2532 Img_2528  Img_2540_20200312112801  Img_2527 ニュースにならなかったニュースと言えばいいのだろうか。京都駅八条口東側にあったクスノキの大木が消えた。夕暮れ、どこからかムクドリの大群が戻って、駅周辺の空を旋回して、ねぐらにしていたクスノキである。1月にも2月にもあったが、この3月、もうない。

 

 多分というか、そうなんだろうという理由はわかる。クスノキ回り、くつろぎの丸い腰掛けがムクドリの大量の糞で汚されるからだ。夕暮れのムクドリの旋回、なんど見たか。千回?いや、そんなにはだけど、稲荷山トンネルから山科の大石神社へ行く京阪バス802号で帰るおり、月に何回か見ている。ブーメランのような旋回、迫力あって見ごたえはあった。

 

 ムクドリは旋回デモがすむと、高さ5,6㍍のクスノキなどに戻る。キーキー、キーキーとまるでを確認するように鳴く。一夜明けると、ふ~ん、こんなにと~と糞を落とす。近畿地建国道工事事務所が清掃に来ているのを見た。新幹線、レストラン街への入り口、バスロータリーの交差点前、観光客も多い。騒音、糞公害、止むをえなかったのだろう。仕方がないにしても…である。どこへ消えたクスノキ、ムクドリ…。あるものがなくなると寂しい。

 

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2020年3月15日 (日)

川魚店の歌手色紙

Img_5245 Img_5200 Img_5199 Img_5196 Img_5194 Img_5191 Img_5190 Img_5188 Img_5186 Img_5185 まあ、ある、ある~、並ぶ、並ぶ~。北島三郎、五木ひろし、石川さゆり、島津亜矢…、歌手のサイン入り色紙である。川魚販売「天保屋」さん。そう広くはない店内、ちゃんと数えてないけど、まあ、7、80枚はありそう。みんな演歌歌手、そんなに、ええんかい???。

 

 知人に誘われ、JRびわ湖線で安土へ行って~である。夕方からの会食まで時間があって、町ぶら歩き。駅を出て、かつて港があった常浜方面へ、安土街道を歩いて「川魚」の看板を見つけたのが始まり。店から出てきたご主人が~湖魚どうです~と言うので、店内へ入った。鮎の稚魚、甘煮で並んでいる。今が旬、沖島仕入れです~などと聞いて、店内見あげて色紙だった。

 

 ご主人は保智平光さん(70)で元県職員、びわ湖ホールに出向経験があるという。今も103歳で元気な母親のきぬさんが演歌好きで、追いかけて、追いかけて~に協力した結果だという。色紙にきぬさんへ~の文字。ご主人、色紙の一枚を指さして、これはレアなんですよ~と言う。見ると、一枚の色紙に森進一、森昌子のサイン。森森コンビ、短かった新婚時代を示している。鮎の稚魚から歌手色紙へ…思わぬ川魚店の出会い、これも一期一会なり。

 

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2020年3月14日 (土)

老舗の西洋菓子「村上開新堂」

Img_5495 Img_4301 Img_4304 Img_4303 Img_4302 Img_4287 Img_4291 Img_5492 うまいものなら~の鬼平犯科帳の池波正太郎は、知人と京都へ来て、ここここ!、ここのこれやこれ!と案内したという。ここは、京都市役所の北、寺町二条上ルの西洋菓子老舗「村上開新堂」、これは店の登録銘菓「好事福盧」(こうずふくろ)である。

 

 創業は明治40年(1907)9月、店の構えはクラシックな洋風。看板は右から読みの「村上~」で、老舗の証し。店内の額「開新堂」は、明治の三筆、日下部鳴鶴(めいかく)氏の揮ごうという。店主は4代目村上彰一さん。ガラスケースの中、池波正太郎がイチ押し、絶賛したという「好事福盧」がある。ロシアケーキ、缶入りクッキー、どれもここだけの銘菓である。

 

 お店周辺には、2歩でも3歩でも、「一保堂」(茶舗)、一月でも二月でも「三月堂」(書店)など老舗店が多い。「村上開新堂」は、店の奥に和風の洒落たカフェがあり、雑誌などに載り人気だという。新型コロナのこの時期、どうだろう。聞くと、今なら庭が見える一番席が空いているという。ここここ~と座って、コーヒーにプラスして、紀州みかんをくりぬいた寒天仕立ての「好事福盧」ひとつ。この色合い、このやさしい甘さ、池波正太郎のおすすめ、これやがな!。

 

 ※ 東京にも「村上開新堂」あり、経営は別らしい。 

 

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2020年3月13日 (金)

3月3日は三十三間堂の春桃会

 Img_5020 Img_5043 Img_5078 Img_5030 Img_5031 Img_5032 Img_5033 Img_5040_20200310095501 Img_5067 Img_5077 Img_5026 どこでだったか、出歩いて、ポスター見て知った。3月3日は京都三十三間堂の春桃会(もものほうえ)。縁起の良い陽の数字3が重なる桃の節句、本堂の柱の間が33ある三十三間堂、「3」のご縁で、当日無料開放という。春桃会、何時からか始まったのか、その当日行ってみた。

 

 京都国立博物館の真ん前、出歩きコースの一つである。新型コロナ、コロナで散々?苦悩する世の中、博物館は休館だが、三十三間堂はめでたい三色幕をめぐらして、吉例・春桃会は実施だという。コロナ対策で落語、和太鼓、出店はやめていたが、何時もは拝観代600円の本堂へ無料で入って、千手観音坐像、千体千手観音、風神雷神像、二十八部衆を見た。

 

 仏像の数々、みんな国宝である。新型コロナのせいか、拝観者少ない。仏像のお顔一体、一体…、いったいどうなっているか、ゆっくり拝顔できた。運慶、快慶、湛慶…鎌倉の仏師作…慶賀である。本堂出て境内へ、南北120の長い建物も国宝。漱石はここへ来て「日は永し、三十三間堂長し」と平凡な一句。院政の後白河上皇から750年余の歴史、これはロングロングであろう。境内にぬいぐるみのお坊さんも出て来て…、三日坊主ではありません?。

 

  ※ 三十三間堂は蓮華法王院の本堂。天台宗門寺院・妙法院の塔頭の一つ。

 

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2020年3月12日 (木)

植物園新発見

Img_5307 Img_5306 Img_5331 Img_5321 Img_5327 Img_5348 Img_5354 Img_5356 Img_5375 Img_5383 Img_5405 Img_5409 これだけ行っていても、何か発見がある。四季折々、一か月に二度か三度行って、もう何年になるだろう。10年、いや20年…、京都府立植物園である。ここは新型コロナ対策安全地帯と行ったこの間、クロッカス、枯れても落ちない葉、藁囲いの寒牡丹…と春の序曲を見た。

 

 愛の告白は求婚だけど、クロッカスは秋に球根して、早春のいま色とりどりに小さな花を開く。花言葉は「青春の喜び」、あるいは「切望」だという。北山門から入り、噴水を越えた西側、紫、白、縞模様などと咲いて、雄しべか、雌しべか、真ん中の黄色い芯が愛らしい。同居する可憐な白いドイツスズラン、紫に群れるショカッサイは~はじめまして~である。

 

 受験対策の葉は、ちょっとした森「生態園」の中だった。その木の名は「ヤマコウバシ」。晩秋に枯れても葉は新芽が出るまで枝から落ちない。受験生は押し葉にして合格を期すという。四季彩の丘へ回ると、寒牡丹の藁囲いが雪国みたいに並ぶ。流れ星、初日など10品種、寒さに弱いので、大事に大事~という。デジカメで藁の中ズーム、ワラワの姫ぎみ、蕾はまだ固そう。クリマスローズ、サンシュ、馬酔木…皆さん、こんにちは!、今年も宜しく。

 

 ※ 写真は3月7日に写す。

 

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2020年3月11日 (水)

本能寺の変、発掘の焼け瓦、壁土

Img_5089 Img_5090 Img_5091 Img_5094 Img_5104 Img_5108 Img_5112 Img_5102 Img_4645 Img_4552 展示ケースの中、「本能寺の変」が甦っている。焼け焦げた瓦片の数々、高熱で固まった壁土…どんなに激しく燃えたのか。展示の発掘出土品は、炎のすさまじさをそのままに物語っている。京都市考古資料館開館40周年記念「光秀と京~入京から本能寺の変~」である。

 

 天正10年(1582)6月2日明け方、今から438年前である。~敵は本能寺にあり~、HNKの大河ドラマ・麒麟がくるで、いま脚光浴びる光秀はその日、中国攻めを一転、主君・信長を急襲した。信長は寺に火を放ち自害、日本の歴史転換の「変」である。発掘調査は15年前の2007年。今回公開展示の皿、土器含め245点はその時以来、初めてという。

 

 いまの本能寺は京都市役所近くの御池寺町下ったところだが、「変」のあったむかしの本能寺は、西洞院六角あたり。市立堀川高校の東側で、ここが~と説明する碑がある。いま出土品展示の京都市考古資料館、かつての西陣織物会館。館の前に「西陣」と記した大きな石碑がある。中へ入ると、慈眼寺(京北)が所蔵する光秀像写真。像は彩色だったが、逆賊なので、黒く塗られたという。イラストはクロミツくん。洛中洛外図の中の本能寺、信長VS光秀肖像など、出土品とともに「変」を思い起こす歴史を見た。

 

 ※ 山科本願寺、本圀寺、妙覚寺などの発掘遺物、写真などの展示も。 ※ 展示会は6月21日まで。同じテーマで京都市歴史資料館でも文献中心の特別展開催、こちらは4月5日まで。

 

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2020年3月10日 (火)

御苑の被害樹木、伐採中

Img_4964 Img_4962 Img_4959 Img_4957 Img_4955 Img_4949 Img_4947 Img_4946 Img_4945 Img_4942 京都御苑に大きなクレーン車が入って来ている。チェーンソーが唸りをあげている。ウエーン、ウエーン…、樹木が泣いているように聞こえる。大木が横倒しなって、切り株が年輪を見せている。50年、100年…長いこと生きてきたのに…命が絶えた樹木、累々である。

 

 京都御苑は、東西700㍍、南北1300㍍、総面積は92㌶である。北に同志社大のある今出川御門、南に裁判所が近い堺町御門、東にマンション建てた梨木神社の中立売御門、西は明治維新へ銃撃の蛤御門、ぐるっと一周で4㌔ある。昼でも夜でも年じゅう開いている国民公園、どこからどう入るか、門で悶々とすることはない。新型コロナ、安全地帯である。

 

 ぶら歩き、よく行く。今は梅林、桃林が満開、もうすぐ京都で一番咲きの近衛邸跡の糸サクラがほころぶ。環境省管理の植物は500種、樹木は約5万本。マツ、ケヤキ、シイ、カシ…樹木は巨樹・巨木がオールスターで揃っている。そんな樹木の一部が随分、伐採されている。みんな日立CM気になる木。なぜ伐採?と事務所に聞くと、一昨年来の台風被害樹木の対策という。ウェーン、ウェーン…、ターザン映画のジョン・ウェーン。アアア、アッ~。

 

 

 

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2020年3月 9日 (月)

植物園にサクラ咲く春がきた!

Img_5296 Img_5297 Img_5301 Img_5359 Img_5389 Img_5394 Img_5396 Img_5398 Img_5401 Img_5403 Img_5412 なんと、もうサクラが咲いている。暖冬、勘違い、狂い咲き…、キャンディーズは「春一番」で~もうすぐ春ですね~と歌ったけど、京都府立植物園は色んなサクラが園内あちこちに咲いて、もう春が来ている。世の中、コロナ、コロナしていても、植物園に春がきた!。

 

 1月にも2月にも行って、3月初めての植物園である。新型コロナ感染が拡大も、広い植物園は人混み緩和のコロナ安全圏。好天の暖たか土曜、いつもどおり、北山門へ入ったら菜の花の黄色が目に入って、近づいて写真撮ると、その向こうがピンク。梅?と思って真下に行くと、木札名はオカメサクラだった。早咲きで3月下旬のはずが、もう満開になっている。

 

 園入り口で配布の3月6日付け、週間見頃情報を点検したけど、オカメサクラは載っていない。ちょっと早すぎたのね。植物園のサクラは200品種500本という。時計と反対回りで歩いて、所々で色んなサクラの開花を見た。今が旬の河津桜、沖縄では1月からの寒緋桜、去年10月から咲き続く十月桜、修善寺寒桜、椿寒桜、唐見桜、東海桜…メーンのソメイヨシノはまだでも、一輪二輪とほころびかけている。♪~ちょっと行ってみませんか~♪。

 

 ※ 写真は3月7日午後写す。

 

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2020年3月 8日 (日)

「京都にきつね丼があってよかった」

Img_5006Img_5293 Img_5007 Img_5015 Img_5008 Img_5012 Img_5013 Img_5009 Img_5014 鰻しゃぶしゃぶ、新潟カツ丼、京都焼き鳥製作所、肉とハイボール…時々ワイン~京都四条の裏通り、綾小路のぶら歩き。どの店もいいな、いいな、山本リンダの「こまちゃうナ」だけど、「京都にきつね丼があってよかった」とキャッチする「山の家」に入った。

 

 高島屋と藤井大丸の間、むかしは電気店の多かった寺町通りに近い。町名は綾小路御幸町東入ルの2階建て民家。西側の窓に西日除けスダレが3枚下がる。店舗前には麺類・丼物の赤提灯、どこか下町ぽい。京都市が社寺など京都を売り込むポスター「日本に、京都があってよかった」をひと捻り、「京都に、きつね丼があってよかった」の貼り紙を出す。

 

 昼どき、なじみ客で流行っている。ラックは京都新聞、週刊誌、店の奥にテレビ。食品衛生責任者は山下浩一さん、その山で「山の家」。創業から70年以上、家族経営のようだ。2人掛けに座って、お茶も水も出た。即、きつね丼!と注文すると、お姉さん「きーどんです」と調理場へ。きーどんの呼び名からして庶民。きーどん550円が来た。刻みの揚げがたっぷり、ご飯も山椒ぽく染みている。ネギ入り。お香が二つ、これがまた、うまい。「やっぱり、きつね丼にしてよかった」。

 

 

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2020年3月 7日 (土)

「明智風呂」に麒麟が来る~

Img_4112 Img_4145 Img_4139 Img_4140 Img_4132 Img_4129 Img_4142 Img_4131 Img_4117 どうして、その名が大河・麒麟がくる~の、光秀の「明智風呂」なんだろう。臨済宗総本山妙心寺、10万坪という広い境内、「明智風呂」は三門の東側にある。今年の第54回京の冬の旅で、光秀の位牌がある仏殿とともに公開中である。妙心寺と光秀の関わり、ナンデカナ?。

 

 光秀が城を造った亀岡、福知山へ行くJR山陰線、京都駅から乗って5つ目・花園駅を降り、歩いて5分。「一日一度は静かに坐って身体と呼吸と心を調えましょう」のお参り案内看板見て、境内へ。塔頭はなんと50以上、まあ、お寺タウン。大河ドラマ効果か、どこ、どこ?と探した「明智風呂」は、駒札が真っさら。唐破風屋根で、切妻造瓦葺で、重要文化財という。

 

 光秀の母方の叔父は、妙心寺塔頭・大嶺院の密宗(みっそう)和尚。本能寺で主君・信長を打った光秀は宿怨晴らし、自刃すべく、辞世の句したため、叔父の元へ来たが、諫められたという。山崎の合戦で討たれた5年後の天正5年(1587)、この和尚が光秀京都在勤中、吉田神社の浴室へよく通っていたのを知っていて、供養で建てたという。今でいう蒸し風呂、その名は明智サウナ。むかしは大勢の僧侶か来て、いまは麒麟で観光客が大勢来る?。

 

 ※ 浴室は井戸水でお湯わかし、蒸気にして、鐘をついて、開浴を合図した~とガイドさん。浴室内、光秀辞世の句「順逆不二の門 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来たって 一元に帰す」の書も。 

 

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2020年3月 6日 (金)

藍には地球を救う愛がある

Img_4053 Img_4054 Img_4055 Img_4056 Img_4058 Img_4059 Img_4062 Img_4063 Img_4064 Img_4065 この青には「青は藍より出でて藍より青し」~現代名工の藍がある。合わせて、殺菌、防虫、防腐の藍もあるという。富士山、孔雀、風神雷神、仏像…どの作品も藍色で染まっている。東寺の食堂で、いま開催中の「やすらぎの空間~藍友禅~橋詰清貫の世界」である。

 

 五重塔があって、金堂、講堂、食堂と並ぶ世界遺産の東寺。この並びで一番北側にある食堂は「じきどう」と読み、かつて足利尊氏、信長、秀吉が本陣を置いて、勝利している。本来は僧の生活の中の修行の場である。御本尊は十一面観音立像。今は納経所を兼ねる。この食堂入って、右側が橋詰清貫さんの藍友禅の個展で、毎年の春先、10年以上続いている。

 

 招待券あって「京の冬の旅」で東寺へ行ったおり、あっち見て、こっち見て、食堂だった。個展の橋詰さん、京友禅から始めて30年、藍染めを融合させて20年、独自の藍友禅技法で10年前に現代の名工に~という。ご本人不在も顔写真、厚生労働大臣の表彰状がある。藍友禅の作品の数々、鑑賞するほどに眼まで青くなる。原料の藍は天然。蓼科の蓼藍という一年草を使用、殺菌作用で身体にもエコ効果もあり、藍に愛があって、地球を救うという。

 

 ※ 橋詰清貫さん、宇治に藍染めの工房を持ち、東寺には藍染めの12天像を奉納したのがご縁という。今回の個展は4月12日まで。無料。

 

 

 

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2020年3月 5日 (木)

綾小路はウララ、ウララ~の裏通り

Img_4783 Img_4788 Img_4849 Img_4808 Img_4839 Img_4803   Img_4834 Img_4826 Img_4844    Img_4822 華やかな表通りに対し、裏通りには山本リンダの歌がある。♪~ウララ、ウララ、ウラ、ウラよ~♪。通りは狭くても、古風な、珍奇な、庶民的な、粋な…そんな、新旧多彩な店が裏通りには多い。右にキョロリ、左にキョロリして歩く京都の裏通り、綾小路通りである。

 

 「昔は乙女、いま太目」で、おばさんたちの心をつかんだ綾小路きみまろさんと同じ綾小路。京都の通り名では、~姉三六角蛸錦四綾仏高~、四条通りの一つ南側にある。出歩き帰り、烏丸通りから東へ入る。すぐ、「寝ゴザあります」の畳屋さんに始まり、「京都にきつね丼があってよかった」の食堂がある寺町通りまでおよそ1㌔、順不同の面白店が続く。

 

 明治23年創業の薬屋さん、2年半前に店閉じても、ウインドウにむかしの薬箱展示。特殊木版画刷り屋さんは現役。似顔絵も描く占い屋さんは時間制限なし。豪華カプセル安心お宿が開業して、店前に足湯カフェも。そのむかし、頭が猿、身体は虎の鵺(ぬえ)がいたという神明神社。狭い境内、由緒示す漫画に、新聞切り抜き。新潟カツどん、京都焼き鳥製作所、お肉とハイボール…時々ワイン、ナニ屋さんなのか提灯が「綾ふや」…、裏通りらしい。

 

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2020年3月 4日 (水)

店名は「アドリブ」

Img_4881 Img_4880 Img_4877 Img_4878 Img_4879 Img_4882 気になったら、立ち止まる。カンが働いたら、入ってみる。たいがい、いいカンしていて、NHKのど自慢なら鐘三つ…カンカンカン、おめでとうございます!。地下鉄烏丸今出川降りて、同志社大キャンパス北側を歩いて、昼の飛び込み店は「アドリブ」だった。

 

 北海道で外出自粛要請が出た最初の土曜である。京都はそこまでコロナ、コロナしていない。相国寺の塔頭・慈照院でお花屋さん30周年記念の「花手毬」展。案内あって、会場へ行く途中に気になったお店、帰りに入店した。定食メニューはその日、その日なので、店名が「アドリブ」という。店前の白板、その日のメニューがマジックで書き込まれていた。

 

 食堂というより、カフェぽい。カウンター席4つ、テーブル2つ…、むかしお姉さん、いまはおかあさんひとり。もう年季が入ったお店かな。白板書きの「きょうのごはん」…、期待どおり、トレーに乗って出てきた。カラスガレイ、かぼちゃ、ニラの豚マキ、山芋揚げ、胡瓜の酢の物、キャベツと揚げのおみおつけ、香の物…、ご飯いれたら8品目もある。これで800円。うまいね、安いね。歩きアドリブで入った店のアドリブ…、カン働きが効いた。

 

 

 

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2020年3月 3日 (火)

天保義民の足跡を行く

Img_3391 Img_3417 Img_3403 Img_3422 Img_3428 Img_3458 Img_3442 Img_3441 Img_3440 先人たちの、あの義挙あって、いまの、この町この村だという。JR草津線で町を知るぶら歩きの旅。新駅舎の甲南駅降り、町を見渡す高台の浄福寺へ行ったのが始まり。庄屋・田中安右衛門碑、別れの1本松跡、メモリアルパーク…「天保義民」の足跡を見て回った。

 

 近江の天保一揆、ご存じだろうか。世にいう天保改革、幕政の非情で不条理な検知に真っ向から抗議、3万とも4万もの農民が立ち上がった。この一揆で「検知10万日の日延べ」、つまり検知中止を勝ち取った農民レジスタンス運動である。しかし、定めは定め、指揮した多くの農民は幕府役人に捕えられ、拷問にかけられ、「江戸送り」になり、獄死している。

 

 静かな浄福寺境内、天保義民の呼称で田中安右衛門碑。甲南・深川村の庄屋、一揆の旗を振った。捕まって、唐丸駕籠で移送、地元農民と決別した一本松は、寺から10分ほど、顕彰碑と2代目の小さな松を見た。杣川が近くの矢川神社。参道近くに一揆の経過を絵解きで壁面に示したメモリアルパーク。~確固たる信念、悲壮な決意、民衆の義挙を永く~と町長名で建立趣旨の書き込み。辛く悲しく、誇りでもある町の歴史、今ここに~であった。足跡3か所、テンポ?よく歩いた。

 

 ※ 近江天保一揆は天保13年(1840)10月14日、矢川神社社頭に端を発し、郡内農民が当時、三上町(現野洲町)にあった藩役所へ抗議。 ※  天保義民碑は甲南町のほか野洲川の横田橋、御上神社などにもある。 ※ 江戸送りの一人、田中安右衛門はその途中、桑名で51歳で死去という。

 

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2020年3月 2日 (月)

インド料理は駄洒落の宝庫

Img_4338 Img_4334 Img_4340 Img_4328 Img_4321 Img_4325 Img_4324 Img_4316 Img_4323 インド料理というと、駄洒落の宝庫のような気がする。店名からして、笑ってないのにケララ、どこか色っぽいエローラ、ここは何処じゃのマハラジャ…、料理は何といっても、パンのナン。千切り食べのナン、窯のダンドリーで焼き、段取りよく出る。ナ~ンちゃって?。

 

 京都でインド料理の老舗と言えば、アショカ。阪急四条河原町駅改札出て、西北口上がって四条寺町の角、4階建てビルの3階にある。本格インド料理で創業40年という。こう書けば、ああしょうか?と思い出してもらえるかな。「ashoka」は古代インドの王様で、漢訳音字で「阿育王」。ぶら歩き、現場で駄洒落したくて、云十年ぶりかで、入ってみた。

 

 ランチとディナーの間、午後3時半、広い店内ガランとしている。メニュー、前菜でサモサ、チャート…ちゃんと出ている。サラダはカチュバル、肉料理はムルク…、どんな料理か、オーダー前にオタオタ?。ここは定番コースでザ・ランチ。せんべいみたいなチップ、香辛料効いたスープ、二等辺三角形のナンが何となく出て、スパイスたっぷり鶏入りカレー、サラダ、アイスクリーム、最後にミルクコーヒー味のチャイ…、洒落はこれでチャイなら?。

 

 

 

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2020年3月 1日 (日)

出歩き癖、人混み避けて…

Img_4750 Img_4752 Img_4759 Img_4758 Img_4773 Img_4772 Img_4762 Img_4766 Img_4770 まあ、スイている~てなもんやナイ三度笠である。乗って、1人か2人、多くて4、5人かなあ。運転手さんだけの時も。京阪バス308号系統、西本願寺・清水寺ライン。採算度外視、去年4月からずっと走っている。新型コロナのこの時期、ありがたいてなもんやナイ。

 

 昼から人混み回避、意識して出る。新型コロナ、世間でこれほど言われていても出歩き癖、足は急に止まらない?。自宅近くの川田・清水焼団地バス停から1時間2本、西本願寺行き終点まで乗る。大人230円、京都市敬老乗車証あれば無料。清水寺の五条坂を経由、15分で、西本願寺のお宿、聞法会館前へ。下車のおり、申し訳なさを加えて感謝の弁。「ありがとう」。

 

 聞法会館、まあホテル。信者でないけど入る。ここも、まあスイている。広いフロアはテーブル、ソファ多く、ラックに読売、京都新聞、宗教紙・中外日報、自動飲料のお茶、売店も。くつろぎに申し分ない。総会所の常例布教、自由に聴ける。若いお坊さん、実体験まじえて話す。騒音、除夜の鐘がつけない。檀家さん、仏壇に宝くじ置いて祈っている…。帰りは避けてはいけない「人の道」を避けて、静かな「裏の道」を歩く。これ、コロナご時世…、ナミアミダブツ。

 

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