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2019年12月 3日 (火)

鹿ケ谷事件、俊寛僧都の史跡碑

Img_9487 Img_9495 Img_9498 Img_9505 Img_9506 盛者必衰…奢る平家討伐を密議して発覚した鹿ケ谷事件、もう842年も前になる。鬼界島に流されて孤独死した首謀者の一人は俊寛僧都。平家物語にも謡曲の能にも登場する。「此の奥 僧俊寛旧跡」の小さな石碑を見つけ、あの僧はそうか、この奥か~と歩いた。

 

 鹿がしかと出たので「ししがだに」と読んで鹿ケ谷だったのだろう。夏、精霊を送る「大」が灯る如意が岳の麓が鹿ケ谷である。平安時代、俊寛らが密議した山荘があって、今も近くに料理旅館「鹿が谷山荘」。夏場は涼しく眺めがいい。15、6年前か、北海道新聞、十勝日報、釧路新聞、苫小牧民報の東京支社長4人が京都観光、わざわざ案内、しかと思い出す。

 

 秋の特別公開、尼門跡寺院の霊鑑寺を出て、ノートルダム中・高校あたりの辻、ここで「「此の奥~」の石碑だった。なんでも見たい~の好奇心、革靴で山道を行った。振り返って京都市内一望、鹿でなく猿に注意の看板、やる気が一番の矢留鬼不動、歴史的風土地域の杉木立…まだか、まだかと300㍍は上って、京都一周ロングトレイル案内とともに「俊寛旧跡の道」石碑が出た。密議山荘はまだ此の奥?元気でも盛者必衰…、ここで臆して?引き返した。

 

 ※ 鹿ケ谷事件は安元3年(1177)藤原成親ら白河院に近い人たちが俊寛の山荘で平家政権倒そうと会議を重ねたが、発覚して、島流しにあった。

 

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