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2019年12月

2019年12月31日 (火)

 歌舞伎十八番のひとつ「暫」

Img_1137 Img_1148 Img_1186 Img_1152 Img_1190 Img_1145 Img_1168_20191230090301 アイヤー、暫く~の「暫」と言えば…である。読みは「しばらく」、意味はお久しぶりね~もそうだけど、これは軽い。ここは歌舞伎の世界の「暫」。大太刀差し、両手を広げ、目をむいて、~待て、待てっ、待て!~と言うのがわからぬのか~と、花道から登場する「暫」である。

 

 この場面、この格好良さ、客席から「いよおっ、成田屋」の声が飛ぶ。~そんな役、なりたや?~でもある。初代から360年、市川家の歌舞伎十八番の演目の一つ。来年5月、十三代市川團十郎白猿を襲名する記念の市川海老蔵展。師走の京都高島屋であって、最終日に見に行った。海老蔵さん、見えを切る舞台が多く、そのせいか会場の写真撮りも大目だった。

 

 江戸の市川家の流れ、海老蔵さんのこれまでの舞台、團十郎襲名の覚悟などを問うインタビュー、長女麗无ちゃん、長男勧玄君との家族ビデオなど見所は多い。圧巻は海老蔵さんが演じる「暫」の舞台、衣装展示と体感コーナー。かつら、衣装、太刀で重さ63㌔、米俵で21個分という。米俵ひとつ持ち上げて、その重さのほどを感じて、アイヤー、暫く~、もうイイヤッ?。「暫」役の隈取り顔がCGのマジックミラーに写って、我が顔どうミラアー。

 

 ※ 襲名記念展は東京を皮切りに全国巡回、2020年は札幌から名古屋へ。京都展は26日終了。

 

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2019年12月30日 (月)

すき焼きの三嶋亭

Img_9993  Img_0009_20191227081301 Img_0015_20191227081401 Img_0016_20191227081601 Img_0017_20191227081501 Img_0021_20191227081501 Img_9994   平成から令和になった今年も、もう終わりやなあ。そやなあ、もう終わりやなあ。前から行きたい、行きたい~言うていた「すき焼きの三嶋亭」、もう行ったんかいなあ。もうもう~牛みたいに言うけど、実はな、もう行ったんや。どやった。そらあ、もう~うまかった。

 

 京都の寺町三条の角っこやなあ。そうや、足が動くカニ店の前や。向かいは女優の山本富士子の生家で、今も碑が立っている。明治6年創業、すき焼きの草分けやってなあ。そうや。今の店主は5代目、店は京都だけやって。昼に3階の畳部屋に上がったら、床の間に「舌鼓みうって合掌有難や」の軸、思わず手を合わせたなあ。仲居さん、みんなやってくれるんや。

 

 鍋に油引いてサトウ、秘伝の割り下で、霜降り肉や。それ、近江牛か。いや、その時のいい肉を市場で目利きやって。あの日は鹿児島の黒毛和牛。ジュッジュッとして、地鶏の玉子でな…、ああ、思い出しても、うまいがな。カブラ、堀川ごぼうの京野菜に糸コン、一粒一粒立っているご飯、漬け上がりぴったしの漬けもん、デザートもや。正月に来た川端康成さんが、味よしの意味で「義味迎年」の色紙があった。話はこれくらい、あとはもう写真で見てえなあ。

 

 

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2019年12月29日 (日)

掘り出し物か、我楽多か

Img_1102 Img_1111 Img_1094 Img_1095 Img_1098Img_1105 Img_1109 ちょっと待ってえなあ~、そんなん売ってええのんと、売っている。ええっ、そんなん売れるのかいなあと、売っている。そやから掘り出し物、我楽多、骨董品というんや。師走25日、京都北野の終い天神へ行って、露店に並んだ珍奇な品、懐かしい品、見るだけは見た。

 

 南座の顔見世の立て看板。「當る未年 吉例顔見世興行」。木札は古いけど、あの勘亭流の筆跡、鑑定しなくてもわかる。どこからどう仕入れたのか、見せるだけか、値札はない。「文化大革命」の看板。―造反有理、革命無罪、紅衛兵革命造反派―などの漢字が並ぶ。毛沢東時代、中国直輸入か?。♪~クッククック…どうしてここに~♪(歌・桜田淳子)である。

 

 「萬覺帳」って何だろう。物事全ての覚え書きか?遠敷郡中谷田村の山本傳兵衛の名がある。遠敷郡?、今の福井県小浜。原発記入あれば、高値間違いなし。アイロン不要の学生服のノボリ。まるまんは岡山、旭ツバメは青森、秋田で販売。おじいちゃん、青春の詰め襟が懐しい。宇部セメントの琺瑯看板、既にかたまっている?。「29625」はSL番号か、どこでシュッシュッ…。使い古した筆、とっくりとなぜか同居販売、とっくりと品定め?。

 

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2019年12月28日 (土)

命名権50億円京都市京セラ美術館

 Img_0532 Img_0533 Img_0930 Img_0556 Img_0548 Img_0540 Img_0531 Img_0560 Img_0557 命名権、京セラがドンと50億円の「京都市京セラ美術館」が出来た。京都市も50億円、総工費は100億円。どうリニューアルか、工事外壁が消えた市美回りを一周、向かいの京近美4階フロアへも行って、平安神宮大鳥居ごしに眺め、出来た!出来た!と見た。

 

 神宮通りの市美正面、1933年に昭和天皇即位記念で誕生の「京都美術館」の銘板は、錆びついているが、古さでは日本屈指の公立美術館の象徴、外せない。南側に50億円の京セラ美術館の新しい横長の看板。通りがかった女の子3人が記念写真、すでに次世代へ50億円効果がでている。地下から入れて、イベント出来る広いスロープは「京セラスロープ」というらしい。

 

 彫刻家富樫実さんの「空をかける階段」は撤去の危機を回避、疎水側に再び立った。東の動物園側向かい、新設の現代アート会場「東山キューブ」。階上から東山三十六峰、虎も象も麒麟も借景に。北西側には、ガラスモザイクのインスタレーション作品、プレ展示中。本館には、これ、これ~と鑑賞の新コレクションルーム。所蔵作品3千点を入れ替え展示する。新館長は建築設計した青木淳さんが異例の就任。リニューアルは京セラ様様、ケセラセラ!。
 
 ※ リニューアルオープンは来年3月21日。最初の企画は「京都の美術250年の夢」。江戸100年と明治維新後150年の円山応挙、竹内栖鳳らの作品を三部に渡って展示する。東山キューブは、杉本博司の「瑠璃の浄土」皮切りに現代作家の作品を展示する。

 

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2019年12月27日 (金)

孔雀は「イヤーン」と鳴く

Img_0379 Img_0381 Img_0383 Img_0384 Img_0377 Img_0386 00001272 Blog2014_10_161 聞いたことはないけど、ネット検索で孔雀のことを調べていたら、「イヤーン」「イヤーン」と鳴くそうな。ホンマかどうか、そんなに見たら「イヤーン」と鳴くのを一度は聞いてみたい。その孔雀、京近美のコレクション展へ行って、見事に大きく尾羽を広げた作品を見た。

 

 その一つ、文化勲章作家・上村松篁さんの作品。昭和58年の第10回創画会に出した大作で、京近美に寄贈という。身体の3倍近く広げた青い尾羽、目玉の模様が点々とついている。正面から斜めから眺めて、よくもこんなにリアルに~と思う。四条派の今尾景年さんは、老松孔雀の軸絵。呉服の千總所蔵は孔雀図刺繍屏風。この2点は国費で購入の作品だという。

 孔雀はキジ目キジ科クジャク属。インドの国鳥・インドクジャクは平地や開けた林にすみ、青みがかっている。全長2㍍の羽を広げるのはオスで、春から夏へかけてメスを誘い「イヤーン」「イヤーン」と鳴くそうな。これネット検索調べ。孔雀画と言えば、円山応挙。作品の一つ、信楽のミホミュージアムが所蔵している。これもネット調べ。本物の孔雀がホンマに羽を広げた写真は、京都市動物園。孔雀調べは、みんな網の中、ちょっと、いやーんね。

 

 ※ 上の写真は左から松篁、景年、千総、応挙、動物園。

 

 

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2019年12月26日 (木)

揚げたてコロッケに列

Img_0908 Img_0912 Img_0919Img_0913 Img_0917 Img_0911 Img_0910 どうしようかなあ~、並ぼうかな、止めとこうかな~、気持ち、足、お腹が一つになって、逡巡している。ワンチーム?、ちょっと違うけど、まあ、身体のワンチーム。一度は通り過ぎて、引き返したけど、列が長すぎる。やはり通りすぎたけど、待て待て、この際や~とまた戻った。

 

 長い列ができていたのは、精肉店「味のタテハラ」。お店は東寺に近い八条通り大宮東入ルで、毎月21日の縁日には、~弘法さんへ、ようこそ!~、コロッケでも串カツでも、揚げ物は一つ20円引きという。師走の終い弘法帰り、宮本武蔵が一時、身を隠した東寺塔頭・観智院の前を通って、新幹線の高架が見える八条通りへ出て、揚げたてコロッケだった。

 

 列の並びは、夫婦、親娘など10組以上。なかなか、前に進まないけど、腹は立てられない。店名が「味のタテハラ」?。ビニール張り、揚げている所が見えてきた。こねて、パン粉、フライ油でジュジュッ…、いっぺんに10個、20個…、おばさんフル回転。順番が来た。ビーフ一つ80円が60円、消費税加え64円。~お待たせしました~と、紙に包んで出た。アツアツ、ホグホグ、ウマウマ…、♪~今日もコロッケ、明日もコロッケ…これじゃ年がら年中コロッケ~♪!。

 

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2019年12月25日 (水)

日野の里…親鸞、鴨長明、日野冨子

Img_0355 Img_0349 Img_0356 Img_0357 Img_0359 Img_0345 Img_0342 Img_0340 Img_0308 Img_0301 日野の里、その歴史は尊く深く、深く遠く、遠く近い。親鸞さんが生まれ、鴨長明が庵を編み、応仁の乱の日野冨子一門が住んだ。京都市伏見区日野。今も歩けば、山あいの癒しがある。山科と宇治市の間、小町の隋真院、秀吉の醍醐寺、京都アニメの六地蔵にも近い。

 

 始まりは、前に書いたビワの白い花探し。六地蔵行き京阪バスの合場川駅で降り、住宅街抜け、川沿いから竹薮超え、鴨長明方丈石まで300㍍。そこに~行く河の流れは絶えずして~と日記を始めた一丈四方、メートル法で9㍍四方の庵があるという。杖を貸します~の案内は辞退、引き返して一期一会のビワの花と出会い、親鸞誕生院、国宝法界寺、日野家廟所だった。

 

 日野と言えば、新撰組土方歳三の東京都日野市、蒲生氏郷と近江商人の滋賀県日野町、鳥取県にも米子市近くに日野町など。尊く深く、遠く近く~ならば、ここの日野である。知られて知られず、知られず知られる。のんびり一人歩き、歴史を学ぶにいい。誕生院の親鸞童像、日野一族廟所、国宝釈迦如来坐像の法界寺で手を合わせ、心を世の中を見極める鴨長明にして里歩き。~…泡沫は且つ消え、且つ結びて…~、この一年もまた流れ、流れて、新年へあと何日!。

 

 

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2019年12月24日 (火)

東寺の終い弘法、しゃれ弘法

 Img_0806 Img_0816Img_0872Img_0829Img_0865 Img_0891 Img_0893 Img_0903 Img_0879 Img_0876 Img_0842 Img_0855 あるってなもんやない。まあ~ある。飾る、食べる、着る、見る…、生活、健康、娯楽、趣味…、いやまあ、何でもる。一日で二番目に日が短い冬至前日、東寺へ行った。師走21日の終い弘法。境内至る所、様々な店あり、品物を見て歩き、洒落て、洒落て…また洒落た。

 

 まずは食シリーズから。福岡から激辛、中辛の博多の明太子。ひと舟入り、どうはかった。塩鯖一匹500円、鯖寿司1本2200円…どうさばいた。滋賀名物はふなずし。子持ちの雌は6千円、雄は5百円。男女共同参画社会に逆らって…。踊りたこ焼き、まるごとイイダコが入っている。いいだろう。熨斗するめ、どうするめえ。スジを通して、おでんデンデン。

 

 着飾りでは、ミンクのマフラー。支払いペイペイ可でも、働きがまだぺいぺい。着物はどれでも1000円。京の着倒れでダンピング。置物では、令和2年の干支は、ええっと?ね。ネズミ年の子。信楽陶土の手びねり。ね(値)、いくら。番外編は交通忘れ物市。傘、手袋、マフラー、眼鏡、帽子…忘却は売却なり。健康シリーズでは、黒ニンニクに黒豆茶。便秘、血圧、耳鳴り目まい…何に効くかはブラック。冬至前日の東寺洒落、このあたりで終い弘法。

 

 

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2019年12月23日 (月)

岩本寺の天井絵

 Img_0799 Img_0802 Img_7761 Img_7763 Img_7758 Img_7760 Img_7757 Img_7762 Img_7764 朝日の「天声人語」執筆10年の辰濃和男さんが書いた「四国遍路」(岩波新書)を読んでいると、高知編で37番札所・岩本寺が出てきた。今年10月、愛媛STさんにマイカー案内してもらったお寺である。辰濃さんは「本堂の天井は実にたのしい」と紹介している。

 

 そや、そや、行った、行った~と思い出した。あの時、辰濃さんが書いている「たのしい天井」も、デジカメで写真を撮った。STさんが駐車場探しの間、先に階段上がり、仁王さんの山門をくぐり、本堂へ入って、天井見あげて、えっ!?思う絵が575枚だった。バラ、猫、虎、蝶、ヨット…、それに仏像にキリスト、艶めかしいマリリン・モンローの絵まであった。

 

 お寺が本堂新築のおり、プロアマ問わず、様々な人に描いてもらったという。辰濃さんは「この天井絵は<雑多のものを包み込む>お遍路の魂を具現する曼荼羅絵だといっていい」と書く。四国4泊5日の旅、ブログ20本書いたけど、この天井の曼荼羅絵紹介はまんだ?だった。雑多さを包み込む寛容さ、心の大きさ…管理、管理の世の中にはそれがない。あの時の岩本寺写真、パソコンから呼び出し、改めて、渾然一体の「雑」に真理あり!、なんちゃったって。

 

 ※ 岩本寺は真言宗智山派、藤井山五智院。JR四国土讃線窪川駅下車。

 

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2019年12月22日 (日)

決算、新説、洒落…それぞれの忠臣蔵

 Img_0651 Img_0667 Img_0608Img_0639 Img_0644 Img_0595 Img_0601 Img_0594 Img_0648 師走になると、~時は元禄15年…ベンベン~と三味の音が響いて、東京は泉岳寺、兵庫は赤穂、京都は山科で、ご注進!ご注進?!の忠臣蔵。内蔵助、お家再興成らず、討ち入り決断の隠れ里・山科。ここに住まいして、討ち入り日は感慨深く~イヨオッツ、ベンベン~。

 

 内蔵助を祀る大石神社、隣が隠棲地の岩屋寺。自宅から行くと、内蔵助が祇園一力通いの大石道を走るバスの停留所二つ。歩いて10分。途中にまだ解決しない社長射殺、餃子の王将の現場も。JR山科駅前には義士祭りの提灯が下がる。討ち入り装束、四十七士が歩く道筋は、道が下りでもノボリが立つ?。~殿、殿中でござる~で、出歩くと、電柱も多うござる?。

 

 令和初記念か、映画に新聞に忠臣蔵。討ち入り費用、9700万円の時代劇コメディ映画は「決算!忠臣蔵」。京都新聞の朝刊小説は、伊集院静作の「新説忠臣蔵」。討ち入り日の12月14日、久々に大石神社と岩屋寺へ。義士列出迎え屋台、討ち入り蕎麦、お手柄饅頭…。宝物館は内蔵助演じた片岡千恵蔵、長谷川一夫、大河内伝次郎らの映画ポスター、お懐かしい。特別開門の本堂に内蔵助木像。蔵は薄暗く、くらくら。洒落版!忠臣蔵、エイエイオー!。

 

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2019年12月21日 (土)

暖簾は「うまい出汁」

Img_0673 Img_0571 Img_0665 Img_0664 Img_0582 Img_0578 誰が考えたのか、なんと目立つ暖簾だろう。白地の布に墨痕鮮やか、骨太な筆跡で「うまい出汁」。ひさしから店前一杯、大きく垂れ下がっている。そんな暖簾をダシにした客寄せがうまい。プレバトの夏井いつき先生なら、「お見事!」「もちろん、直しはいりません」。

 

 立ち食いそば・うどんの「都そば」。小銭100円玉5、6枚握りしめて入って、肉でも玉子でもかき揚げでも大丈夫。きつねか、たぬきなら360円、おにぎり一つ120円プラスしても500円以内で大丈夫。そばで減量対策、たまにお邪魔しているが、最近はこの目立つ暖簾に引き寄せられる。京都の繁華街、四条通りの寺町から東へ入ってすぐ昔からある。

 

 店は四条通りの北側だけど、道路を挟んで南側からも、この暖簾は目を引く。この間、昼どきに二日続けて立った。看板にきつね・たぬきとあり、一日目はたぬきにした。たぬきあんかけのつもりだったが、油揚げにそば。では、きつねは~と二日目はきつねにしたら油揚げにうどん。なんか化かされたみたいで、おばさん店員に聞いた。~たぬきはそば、きつねはうどん、ややこしいですね~という。きつねとたぬき、関東、関西、京都で違う。ご注意あれ。

 

 ※ 雑学辞典によれば、関東でたぬきは天かす、関西ではそば、京都では短冊揚げ入りあんかけが一般的だが、これも諸説ありと。 ※ 都そばは大阪誠和食品が本社で、京阪神にチエーン店があり、この四条店も関西のたぬき。

 

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2019年12月20日 (金)

年内いっぱい、この道50年の豆腐屋さん

  Img_0364 Img_0362  Img_0361 Img_0367 Img_0363 知る人ぞ知る、こだわりの豆腐屋さんが年内いっぱいで店を閉じる。この道50年の「醍醐 水一豆腐」。滋賀県産大豆と伊豆大島ニガリにこだわり、海水と無添加、消泡剤無使用にこだわり、昔ながらに作ってきた。ふわっとした、あの絹ごし、カウントダウンに入った。

 

 ビワの木に咲く白い花を探しに行った日。京都市伏見区日野、親鸞さん誕生院から地下鉄石田駅近く歩いて「醍醐 水一豆腐」の看板、4年ぶりに入った。屋号の「水一」は、お名前の水口景一朗から。~久々、来ました~と、声をかけると、ご主人は店内の黒板を寂しそうに指さした。白墨で「今月で閉店致します。ありがとうございました」と。

 

 どうして?と、聞くと、「もう年でしてねえ。この仕事、息子に継げとも、よう言いませんしねえ」と。白いバンダナ、長ぐつ…、すこし腰が曲がったような、今年で70歳。入ったのは午後4時ごろ。水槽の中は絹ごし豆腐があと二つ。前と同じ一丁320円。柔らかいので、端っこ欠けている。手作り商品に対するこだわりか。「これでよければ、200円でいいです」と。そっと水槽へ手を入れ、慈しむようにすくった。最後の1丁、また客が来た。

 

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2019年12月19日 (木)

いまだけコーンスープ150円、

Img_0097_20191216080301 Img_0096_20191216080201 Img_0562 Img_0092 Img_0094 この冬、たかが150円ではない、されど150円である。ローソンの「コーンスープ」。粒々コーンが入っている。スープは隠し味か、トロッとしている。かき回して、紙カップ持ち歩いて~あつあつ、ふうふう~温まる。寒い今だけの150円、売り切れごめんだって~。

 

 出歩いて、足休め兼ねて、ぶらりと入るコンビニ。いちおう、店内をぐるっと回って、紙コップ受け取り自販機コーヒー100円。今、セブンイレブンは高級キリマンジェロ、青い贅沢とキャッチする。ファミリーマートは濃いも薄いも選べるラテ各種。濃いは、恋か、鯉か、ちょっと来いか、悩ましい。ローソンはコーヒーに、今だけコーン!とスープ150円。

 

 ケヤキ並木の街路樹が冬枯れてきた御池通。工事中でも業務中の京都市役所前から祇園祭り山鉾巡行の通り、烏丸通りへ向かう。セブン、ファミマは素通り、店前にコーンスープ看板のローソンで足が止まった。長い足?、まあ、そやけど、そんなことより絵看板がいい。お姫さんが目を細め、ふわっと夢みるような。女店員さん「熱いから気を付けて」と、直接出し。粒々も混ぜて、一人でもふうふう?して…。たかが150円、されど150円がいい。

 

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2019年12月18日 (水)

ねぎとろのこぼれ

Img_0263 Img_0251  Img_0257Img_0260 Img_0255 どれだけ、どうこぼすか、「ねぎとろこぼれ」が店の名物だという。店内ポスターは~なんと!1巻150円~。こぼれメニューは5種。ねぎとろに、たくわん、納豆、アボガド、玉ねぎ…、何もかも、そんなにもこぼして…大丈夫なのだろうか。まあ、定番で「ねぎとろこぼれ」を頼んだ。

 

 江戸前立ち喰い寿司「魚がし日本一」。東京都内にチエーン店多く、大阪へ初めて出て来て、中之島のフェスティバルホール地下に開店4年目という。ツインビルのウエスト4階、香雪美術館の「交流の軌跡」最終日、招待券鑑賞の帰り。実は展覧会より、ここへ来て、立ちたくて…。もう何度もで、注文も決まっている。江戸風でコハダ、漬けマグロ、穴子…。

 

 最初の注文、鰯と鯵1巻ずつも加え計8巻、板さんにカウンター前のすし板にそろえてもらい、写真撮り。ここの穴子、上もあるけど、2巻150円で十分うまい。追加で2巻、やはり…うまい。体重減少効果も出ていて、さらに~で「ねぎとろこぼれ」。これも2巻セットで出てきて、山が崩れるごとく、こぼれ方がひどい。板さんに「これ、こぼれすぎちゃうの」と言うと、~はい、サービスです~と。余り、おこぼれ頂戴の語源、ここに始まる?。

 

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2019年12月17日 (火)

冬の輝き…京都駅は癒し

Img_0463 Img_0455 Img_0454 Img_0469 Img_0482 Img_0479 Img_0478 Img_0476 Img_0474 令和になって初めての冬の夜、今年もよう輝いている。キラ、キラ…、ピカピカ…、吉良の上野介も、ピカのピカチュウもびっくりかな?。京都駅伊勢丹の絵本展ツペラツペラ見て、大階段へ出て、階段が色替わり、もよう替わり、真下の大きなツリーもLEDしている。

 

 ネット調べで「全国イルミネーションマップ」が出る。仙台の定禅寺通り、東京は丸の内、お台場、大阪は御堂筋、中之島、神戸はルミナリエなど、47都道府県みんなある。光のページェント、光のスペクタル、光のファンタジー…、LED球は80万、60万、30万…ありまる如く、そんなにもいいのか、発光ダイオード。エンマ大王、あかるすぎて怒らないかな。

 

 京都駅ビルから駅前へ出て、周辺企業協賛の「ときめきプロジェクト」。ツリーの電飾と京都タワー、音楽付き電子噴水もある。一日のニュース、京都新聞提供の電光掲示板も見える。大リーグ挑戦の筒香はレッズへ…つつがなく契約か?。再びネット調べで京都のイルミネーション人気ランキング。1位は86万球のローム、2位は城陽、3位は嵐山花灯路と出て、京都駅ビルは6位だった。まあ、今日一日の癒しの輝き、明日へ向かってキラリズム!。

 

 

 

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2019年12月16日 (月)

パンダ銭湯

Img_0435Img_0525 Img_0440_20191216080701 Img_0486 Img_0446   Img_0447 Img_0444  Img_0487 「tupera tupera」…、二人で制作して「ツペラ ツペラ」…。いやまあ、面白いっテナモンヤ三度笠。白くまのパンツ、鰐のワニーニ…、うん、うん…うんこしりとり、プーと出たおならしりとり。子供も大人も、みんな、変な、絵本な、世界へどうぞ!。

 

 ツペラさんは亀山達矢さんと中川敦子さんご夫婦で、ともに美大卒。2002年から絵本、雑貨などユニットで活動している。東京から京都に拠点を移して、今、京都伊勢丹で、ぼくとわたしとみんなの「tupera tupera」展。ジャバラ、真ん丸…の絵本、各賞受賞絵本など300点を見せる。発想のユニークさ、~面白いの、面白いの~笑っていけ!。

 

 展覧会、なんとなく行って、夢中に、宇宙になって見た。会場内、ここだけ写真撮影できる「パンダ銭湯」特設。パンダ以外は固くお断り、おとな500円、こども100円。竹林牛乳、サササイダー、ささのかほりリンス…、靴脱いで、ササっと湯舟へ。おとなのパンダ、こどものパンダ、みんな同じように目も身体もシロクロして、パンダパンダして、つかっている。~ああ、いい湯だな、ハハン。ここは伊勢丹、いい展覧会だな~、食べるのはパンダ?!。

 

 ※ 展覧会は12月25日まで。 ※ 亀山達矢(1976~)三重県生まれ、武蔵野美大卒。中川敦子(1978~)京都府生まれ、多摩美大卒。 ※ 「パンダ銭湯」など絵本の多くは11言語に翻訳、世界へ。

 

 

 

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2019年12月15日 (日)

東山三十六峰から出た「コールドムーン」

Img_0392 Img_0391 Img_0393 Img_0397 Img_0401 Img_0404 Img_0398 毎月、毎月の満月に名前があって、12月は寒月なので「コールドムーン」と言うそうな。その満月が東山三十六峰からそろり上がるのを京都国立近代美術館4階フロアで見た。太陽が西山に落ちかけ、たそがれた頃、東の空はまだ明るく、白い「コールドムーン」だった。

 

 応挙展開催、4階の近美所蔵作品の常設展だけを見に行って、フロアで一服していて、気がついた。平安神宮大鳥居の向こう、東山三十六峰をぼんやり眺めていて、山の端からぽっこり、お月さんが出かけている。今年12月の満月は12日で、その前日だったが、翌日の懇親会で、お腹が満月のNSさんが~今日は「コールドムーン」~と教えてくれて知った。

 

 お月さんと言えば、~月が出た出た~なら炭鉱節、~出た出た月が~なら童謡の月だけど、あの日見た出た出た月は、ぐうぜんのツキがあった?。月が出始めた東山三十六峰は比叡山の1番から数え20番の粟田山当たり。標高200㍍ほどかな。京近美フロアの大きな一面ガラスから、ゆっくり上っていく「コールドムーン」へ、デジカメを向け続けた。炭坑節なら煙突が高くお月さん煙たがるけど、ここは何もない。チャンがチャン、サノ、ヨイヨイ!。

 

 ※ 毎月の満月名、1月は狼のウルフムーン、2月は雪のスノームーン、3月は芋虫のワームムーン、4月は桃色のピンクムーン、5月は花のフラワームーン、6月は苺のストロベリームーンなど。 

 

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2019年12月14日 (土)

ビワの白い花は冬に咲く

Img_0327 Img_0325 Img_0323 Img_0321 ビワの木は寒いこの時期に白い花が開くという。NHKラジオ土曜朝、布団の中で「いきもの☆いろいろ」を聴いた。千葉県立中央博物館の尾崎煙雄さんが6月ごろに成る実を思いながら小さくて可憐な花を探して見ましょう~と話すので、その気なって歩きに出かけた。

 

 ビワの木、どこにあるのか。今やSNSの時代。自宅の山科近辺で~と検索すると、伏見区日野船尾あたりと出た。そこへどう行くか、今度はググールマップ。京阪バスで醍醐寺近くの合場川バス停で降りて歩きと指示が出た。その通り行って、白い花のビワの木はどこ、どこ?と山奥深く歩いて、方丈記を著した歌人鴨長明の草庵近くまで来たが見つからない。

 

 いくらSNSでもここまでか?と引き返す途中、長靴、畑仕事の男性に出会い、「あのう、この辺りでビワの木は?」と聞くと「あります。ご案内します」という。この男性、元宇治市役所勤めのTさん。親の代からの果樹園、軽トラックで一緒にそこへ。柚子、桃、花梨、梅、蜜柑とあって、「これです」と言われて見たビワの木。大きな長い葉の先に小さな5枚の白い花、近づくとアンニンの香りがする。一期一会の出会い。尾崎さん、見つけました~。

 

 ※ ラジオの尾崎さんによると、ビワの木は、林檎、桃などと同じバラ科で、常緑。古い時代に中国からはいり、九州、四国と本州は千葉県が南限。樹木は5㍍から10㍍。5、6月に橙色の実が成る。30㌢もある葉は堅く、ビワ茶、ビワの葉茶に。 追記 Tさんはビアの実でビワ酒。小瓶で頂戴、甘く身体が温まる。感謝。

 

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2019年12月13日 (金)

鎮魂の大日如来坐像

Img_0142  Img_0147 Img_0141 Img_0143 Img_0153 Img_0154 Img_0163 東日本大震災鎮魂、岩手県高田松原の流木で制作した大日如来坐像だという。来日のブータン国王夫妻ら11113人がひとノミ、ひと削り…、皆さんの心がこもる。観光客の流れが絶えない参道沿いに建つ清水寺の塔頭の一つ、真福寺大日堂に入り、手を合わせた。

 

 山科の自宅から久々に歩いて清水寺へ。国道1号、東山トンネルを抜け、歌の中山・清閑寺、高倉天皇御陵を超え、重文・子安の塔が建つ南門へ。足が長くても30分。改修中の舞台、三重塔、市内が一望できる。圧倒的に多い中国人観光客に混じり、国内の修学旅行生、名残りの紅葉、自撮り写真…、枯れない音羽の滝から参道へ出て、大日如来さんだった。

 

 行って、見て、手を合わせたのは初めだが、何度もニュースになったのだろう。日本伝統工芸大学の仏像彫刻専攻の学生らが岩手県の名勝高田松原へ行き、震災で流された木を集めてた。大日さんの骨格を作って、地元の小学生1500人にノミを入れてもらうなど、1万人のひとノミ、ひと削り運動を行い、金箔1500枚を重ね完成させた。今年の漢字一字で「令」を揮ごうした清水寺・森清範貫主は「一心合力」の4文字漢字を添えている。

 

 ※ 日本伝統工芸大学校は京都府園部市にあり、陶芸、木工、漆など11の専攻科がある。京都市烏丸三条上ルに日本伝統工芸館があり、作品展示している。

 

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2019年12月12日 (木)

円山応挙から~展

Img_8923 Img_8969 Img_8961 Img_8960 Img_8963 Img_0288 京近美で開催の「応挙から京都画壇へ」展、ホームページを開くと、襖絵が出て、クリックをするごとに、襖が少しずつ~始まり、始まり~と開い、展覧会の概要が出た。何事も工夫、興味をひく。概要は応挙・呉春から松園、栖鳳へ、近代画壇への導き…、展覧会へも行った。

 

 同じ行くならと、展覧会企画の学芸員ギャラリートークの日に行った。夜間鑑賞の土曜、先着50人限定。学芸員は若くダンディーな平井啓修さん、一緒に1階フロアから3階展示場へ。解説の始まり。「私を見ないで絵を見て下さい」。兵庫県香住の大乗寺、応挙始め弟子13人の襖絵165面。第1室は、お寺から運ばれた金箔地に墨で描いた松と孔雀である。

 

 平井さん、応挙最晩年65歳の襖絵と話す。「応挙寺」と言われる大乗寺だが、応挙は京都で描き、このお寺には一度も来ず、弟子に運ばせたと。それなのに…、墨絵なのに…孔雀は青く、松の幹は茶色く、葉は緑に見える…と平井さん。どこに、どこに~とよく見て、なるほどである。展示では、ライトの当て方に失敗、苦労したと。応挙は、この襖絵が西に庭に面した位置と、自然光も考えて、描いていたという。さすが応挙の墨絵、隅に置けない?。

 

 ※ 応挙から展は12月15日まで。 ※ 応挙の肖像画は弟子、鶴嶺の作、穏やかで上品な様子、一番よく似ているといわれる。 ※ 京近美1階フロア、大乗寺と客殿襖絵を立体ビデオで再現。

 

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2019年12月11日 (水)

赤い実の成るピラカンサ

Img_9974 Img_9976 Img_9978 Img_9981 Img_9979 冬場に入って、ナンテン、マンリョウ、センリョウなど赤い実のなる木は数々あれど、これほど、赤々ブツブツしているのは何だろう。京博、三十三間堂の七条通りを西へ、京都駅方面へ歩いて、木屋町高瀬川の橋そばである。毎冬、この赤粒塊の木が、気になっていた。

 

 正月飾り、縁起モノ、難を転じる~と洒落て何点!のナンテン(南天)は、歩いて、よく見かける。咳止め効果もあり、これといって難点はない。同じように赤い実をつけるセンリョウは葉先に出来、そのセンリョウより実が多いマンリョウは枝から垂れ下がる。これらは常緑低木で、背が高い高木ではクロガネモチ、ハナミズキなどが冬になり赤い実をつける。

 

 高瀬川沿いで、赤い実をつける木、立ち止まって、写真撮りながらよ~く見たら「ピラカンサ」の札がかかっている。図書館で「赤い実の成る木」で調べると、ピラカンサはバラ科トキワサンザシ属植物の総称。常緑の低木で、中国から来て、タチバナモドキというのもあり、枝や葉が見えないほど赤い実をつけるという。確かにどこからどう見ても、赤い実の粒々びっしり。向い側は黄色い柚子の実ブツブツ。赤さは止まらず、黄色はゆずらず?。

 

 

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2019年12月10日 (火)

新世界のたこ焼き

Img_9751 Img_9750 Img_9747 Img_9749 Img_9743 Img_9745 Img_9754 ピラミッド積みというのか、台座に1段、2段、3段…たこ焼きのモニュメンが道路に大きくはみ出ている。アカンのんちゃうと思うけど、まあ、カマヘン、カマヘン~と、この道一筋で店を構える大阪名物のたこ焼き屋さん。屋号は、大丸は大丸でも「味の大丸」。

 

 大阪は天王寺茶臼山、大阪市美正面から通天閣が見える。仏像展鑑賞して、昼に梅田で6個480円のミシュランたこ焼き食べて時間が経っている。お腹具合で足が向いた。市美の正面道路から階段を降りて、そこは新世界。たこ焼き、串カツ、お好み焼き…店の看板はハデハデしい。食い客の人出も多い。何度か来て、串カツは食べたが、たこ焼きはまだない。

 

 ピック突き刺したたこ焼きモニュメントの店前、6個330円の食券買った。値段が一つ55円。見あげた看板、タコは赤く大きく高いのに梅田店のたこ焼きより安い。「はーい、醤油味」と声がかかり、舟が出た。店前の3人掛けベンチでイートアウト。軽減税率適用か。若いペアが食べ終わり、代わって外国人男性が一人、舟を持って座った。どこの国?、顔立ちから欧米かなあ。そうや、お腹がデンと出ている。デンマーク!?。

 

 

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2019年12月 9日 (月)

「仏像 中国・日本」展

Img_9703 Img_9658 Img_9660 Img_9710 Img_9718 Img_9719 Img_9727 Img_9716 初秋から2カ月のロング開催とはいえ、大阪市美の「仏像 中国・日本」展、いつまでも、仏様ほっとけない。師走入りした会期の最終週、心穏やかに鑑賞に行った。1世紀・552年、ここに仏教伝来!と、教科書で覚えた日本史。中国からの仏様、日本でどうか~と見た。

 

 梅田で、所得隠し摘発のたこ焼き、天王寺で、ベルリンの壁のお寺と大坂の陣の茶臼山へ行って、大阪市美の仏像展である。大阪へ来たからには、何でも見てやろう~だったが、なんとなく、足も、目も、仏さまの鑑賞に大事な心も乱れている。気持ちを整理して会場へ入った。薄暗い部屋、仏様像は一体ごとガラスケース入り、前から後ろから360度で見える。

 

 中国南北朝時代から明・清時代まで千年をこえる仏像の移り変わり、関連する日本の仏像の展示である。石像、木造、銅像…、立像、坐像…、如来像、薬師像、観音像…、100点余りの仏様が次から次へ。会場内、仏様のフォト写真は撮れない。ほとほと困ったが、ポスターとフロアの仏像ビデオで、韋駄天像、釈迦誕生像など撮った。展示品、重文多く、解説も丁寧。国宝は出てへんと、ブツブツ?言ったらあかん。仏の心、今日も一日、感謝なり。

 

 ※ 展覧会は10月12日からで12月8日までだった。

 

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2019年12月 8日 (日)

大坂の陣、茶臼山

Img_9672 Img_9670Img_9674 Img_9673 Img_9689 Img_9688 Img_9680 Img_9682 Img_9681 大坂の陣の古戦場公園、茶臼山からあべのハルカスが見える。冬の陣は徳川家康、夏の陣は真田幸村の本陣だった茶臼山。戦また戦だった戦国時代、その最後の戦いから400年余り、高さ300㍍・日本一の高層ビルあべのハルカス見て、感慨はるかなり。

 

 大阪市中央美術館へはよく行くのに初めての茶臼山。美術館前を通りすぎ、二つの噴水が上がる池にかかる赤い橋を渡って公園だった。小高い山頂への階段登り口、花崗岩の大きな史跡碑がある。波型は群雄割拠、円形は天下泰平の世を表現という。初冬の木々の合い間、はるかにあべのハルカス。ベンチに座り、大坂冬の陣から夏の陣へ、思いがジーンときた。

 

 史跡碑は、大坂の陣400年記念で、近くの一心寺が企画制作、大阪市に寄贈した。公園の前にも一心寺の歴史散策案内所があり、徳川15500VS真田5500の戦いを描く大坂夏の陣図屏風を模写した陶板を見た。家康はここ、幸村はここ、焼失前の大坂城はこれと、見た。茶臼山頂上、葵と六文銭の碑。~幸村を英雄と言わすして誰を言う~の顕彰看板と「定めなき浮世にて候えば…」の名言集が並ぶ。先人たちの茶臼山、洒落では茶化せない。

 

 

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2019年12月 7日 (土)

西本願寺樹齢400年の大銀杏

  Img_9910 Img_9911 Img_9920    Img_9932Img_9935 Img_9942 Img_9946 Img_9948_20191207090901   Img_9950 このイチョウ、一押し、二押し…前から、斜めから、下から…どこからどう見ても、どう撮っても、絵になる、写真になる。樹齢400年、江戸は寛永13年(1630)からずうっとである。天明8年、元治元年の大火にも耐えて、今年もこんなに真っ黄色に色づいた。

 

 世界遺産・西本願寺、国宝・御影堂前の大銀杏、京都市天然記念物である。京阪バスの新路線、1時間に2本、自宅の山科清水焼団地から西本願寺へ行く。まあ、空いている。町ぶらのおり、ときどき乗る。後部座席で1人乗り多く、申し訳なくて降りるとき、運転手さんに「ありがとう」は忘れない。師走に入って初めて乗って、今が見ごろの西本願寺大銀杏だった。

 

 信徒さん、外国人観光客、修学旅行生…イチョウ前で一様にシャッターチャンス。同じようにイチョウ周囲を二度三度と回って撮った。御影堂門の南から修理中の国宝飛雲閣も遠望し、境内から龍谷大大宮学舎へも行ってほかのイチョウも。長足で七条通を東へ、10分の所を7分で東本願寺へ。門前の広場は黄色いのじゅうたん。西本願寺VS東本願寺も、親鸞さんは親鸞さん、知らん?顔はできない。京都タワー遠望、竹内栖鳳デザインのハス噴水、ここでもイチョウとともに。

 

 ※ 写真撮影は12月2日午後3時半~。

 

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2019年12月 6日 (金)

師走入りした植物園

Img_9802 Img_9812Img_9808Img_9819     Img_9804 Img_9884 Img_9869 Img_9880 Img_9873 Img_9866 Img_9863 Img_9856 Img_9842 Img_9835 平成から令和へ、今年も何度行っただろう~と、師走入りして、すぐ行った。地下鉄北山駅降りての京都府立植物園である。晩秋から初冬へ、北山門から入って冬花壇の葉ボタン、つばき園では菊が閉じてからの「菊冬至」が咲く。洒落るツバキ、友達になれそう。

 

 針葉樹林へ行った。いま、樹木図鑑を買ったりして、この木なんの木気になる木の学習をしている。赤い小さな実の成る木。これは、クロガネモチ。モチノキ科の常緑高木、樹皮はなめらか、葉は互生、公園樹に多い。樹木の葉には、互生、対生、束生とあり、葉の形見てハハ~ンと樹木がわかれば、いいけど、樹木は沢山。そうは簡単にはである。道のりは遠い。

 

 四季彩(いろどり)の丘は、ハス、ひょうたんなど、一年じゅう何か咲き、何か成る。今はコダチダリア、背が高くピンクが淡い。紅葉と枯れたハス、対比がいい。成り物は、鬼瓦のシシユズ。シシは獅子。晴れた冬の空に白い雲が出てきた。花が落ちたサルスベリ、ケヤキの大木、浮かぶ雲とのツーショット写真、一瞬でしかない。撮ってみて、画面をみて、このショット、ちょっといいなあ。癒しの植物園、今年もありがとう。来年もよろしく~。

 

 

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2019年12月 5日 (木)

あの「ベルリンの壁」ここに!

Img_9640 Img_9655 Img_9641 Img_9643 Img_9651 Img_9642 大阪天王寺公園近くのお寺の境内に「ベルリンの壁」がある。高さ3㍍の鉄筋コンクリート壁が二つ。大阪の元高校教諭で落語作家、SUさんの案内があり、JR天王寺駅からホテル街を抜け、どこどこ!と行って、ホンマにあった。お寺のシンボル、信者さんの持ち込みだという。

 

 お寺は「統国寺」、聖徳太子創建と伝わる。百済古念仏寺、黄檗宗寺院など変遷を経て、今は在日本朝鮮仏教徒協会傘下という。南北に分断された朝鮮民族の国家統一を願う。信者団体が奉納の「ベルリンの壁」もその思いがこもっている。行ってすぐ壁を触った。幅はそうないけど堅い。重々しい。ところどころ削られた跡、裏側には壁番号か「A7」の文字…世界の歴史を感じる。

  

 冷戦から一転、東西ドイツ統一で壊された壁。その一部分が、ここ大阪天王寺へ、どうして運ばれてきたのか、経緯はわからない。壁の下に石碑。「1961年8月東ドイツが建造、1989年11月ドイツ統一で崩壊、京都耳塚還国実行委員会―喜捨」と記してある。行った翌日、ベルリンの壁崩壊から30年だった。新聞、テレビの報道で知った。壁はさまざまにある。土の壁、心の壁、記録の壁、守りの壁、ゴルフ100の壁…、冷戦・ベルリンの壁…、壁はいつか破られる!。

 

 ※ 京都耳塚は、京博近く、豊国神社前にある。秀吉の朝鮮攻め、討ち取った兵士の耳を切り落として持ちかえった慰霊している。 

 

 

 

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2019年12月 4日 (水)

ニュースになった「はなだこ」のたこ焼き

Img_9633 Img_9636 Img_9626 Img_9632 Img_9625 Img_9622 朝からかな?やっぱり、今日も並んでいる。大阪は新梅田食堂街、たこ焼きの「はなだこ」。ミシュラン店の折り紙、安くてうまいビッググルマン効果。所得隠し1億4千万摘発なんのその~?のようである。テレビのニュースで何度も見て、どんな店やろう~と、行ってみた。

 

 阪急大阪梅田駅降りて、高架下へ2、3分。「大阪で一番カンパイが似合う街」の看板、小さな店がひしめきあっている。テレビで見た「はなだこ」は、どこかな、どこかな~と探し歩いて、あった。カウンター前、列が二重になっている。まずは並んだ。順番が来て6個480円を注文した。手書き「8」の待ち札、水入れ用の紙コップ、箸1膳もらって、また並ぶ。

 

 列並びの手際よい客の裁き、こういうことか。カウンター前2列目、前が空いて8番さん!のお呼びがかかって最前列へ。たこ焼き鉄板、縦10横4で一度に40個。女性店員さん、くるくる返している。「は~い、ソース味」とたこ焼き舟が来た。まず、ひと~つ。アツアツ、カリカリ…タコが出た。コリコリ…大きい。フガフガして、また、ひと~つ。紙コップの水も飲む。金毘羅ふねふねから、ひと~つ、また、ひと~つ。ミシュランはもう隠さない。

 

  ※ ビッググルマンは5千円以下で質の高い料理。 ※ 読売新聞コラムで、この店のたこ焼き一日売上げ推定100万円と。

 

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2019年12月 3日 (火)

鹿ケ谷事件、俊寛僧都の史跡碑

Img_9487 Img_9495 Img_9498 Img_9505 Img_9506 盛者必衰…奢る平家討伐を密議して発覚した鹿ケ谷事件、もう842年も前になる。鬼界島に流されて孤独死した首謀者の一人は俊寛僧都。平家物語にも謡曲の能にも登場する。「此の奥 僧俊寛旧跡」の小さな石碑を見つけ、あの僧はそうか、この奥か~と歩いた。

 

 鹿がしかと出たので「ししがだに」と読んで鹿ケ谷だったのだろう。夏、精霊を送る「大」が灯る如意が岳の麓が鹿ケ谷である。平安時代、俊寛らが密議した山荘があって、今も近くに料理旅館「鹿が谷山荘」。夏場は涼しく眺めがいい。15、6年前か、北海道新聞、十勝日報、釧路新聞、苫小牧民報の東京支社長4人が京都観光、わざわざ案内、しかと思い出す。

 

 秋の特別公開、尼門跡寺院の霊鑑寺を出て、ノートルダム中・高校あたりの辻、ここで「「此の奥~」の石碑だった。なんでも見たい~の好奇心、革靴で山道を行った。振り返って京都市内一望、鹿でなく猿に注意の看板、やる気が一番の矢留鬼不動、歴史的風土地域の杉木立…まだか、まだかと300㍍は上って、京都一周ロングトレイル案内とともに「俊寛旧跡の道」石碑が出た。密議山荘はまだ此の奥?元気でも盛者必衰…、ここで臆して?引き返した。

 

 ※ 鹿ケ谷事件は安元3年(1177)藤原成親ら白河院に近い人たちが俊寛の山荘で平家政権倒そうと会議を重ねたが、発覚して、島流しにあった。

 

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2019年12月 2日 (月)

樹齢350年のイロハモミジ

Img_9447 Img_9452 Img_9455 Img_9459 Img_9466 Img_9467  Img_9472_20191129082301 Img_9473 令和初の師走入り、散り際は潔くで、もう散ってしまっただろうか。「谷の御所」と言われる霊鑑寺のイロハモミジの大木。樹齢350年、樹高15㍍以上ある。秋恒例の特別拝観で行って、紅葉はこうよ!こうなの!と見たあの感動、今も記憶にも写真にも残る。

 

 東山三十六峰、如意ヶ嶽の大文字の山すそ。永観堂を過ぎて哲学の道へ入って、歩いて10分ほど、坂道を上がった皇室ゆかりの尼門跡寺院。臨済宗南禅寺派に属し、明治維新まで5人の皇女・皇孫が暮らしたという。特別公開は年に2度、春は椿、秋は紅葉。ご本尊は片膝立てた如意輪観音さん。霊鑑寺(れいかんじ)の霊は仏さま、その下に鑑(かがみ)である。

 

 特別拝観で行ったのは紅葉見どころの晩秋だった。順路札の→に従い、池泉回遊式の庭を見て、高台の本堂前で男性の年輩ガイドさんが話す。「書院は天皇家の建物移築、本堂は徳川家の寄進なので、幕は菊と葵の紋です。この上に京都で一番のモミジの木です」。また、ヨイショ、ヨイショと上がって、晩秋の陽光に輝く真っ赤な紅葉だった。出歩いて、今年の紅葉たくさん見てきたけど、これほどのスケールは初めて。霊鑑寺で、紅葉感動新たなり!。

 

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2019年12月 1日 (日)

堂本印象美術館に川端龍子がやって来た!展

Img_9393 Img_9386 Img_9387 Img_9522 Img_9519 Img_9555 Img_9520 堂本印象が建てた堂本印象美術館で、西の印象に対し、東の龍子と言われた川端龍子の展覧会があった。タイトルは「堂本印象美術館に川端龍子がやってくる」。同じ日本画家で、6歳先輩の龍子は~堂本くん、どうも、どうも~と、来たのかどうか、最終日に見に行った。

 

 衣笠山の麓、西に竜安寺、北に金閣寺…真ん前は立命館大学衣笠学舎、バス停がある。晩秋、赤茶けた箒のようなケヤキの大木を取り入れた印象美術館、もう何度も来ている。龍子も飛行機で来たかの如く、展覧会の看板は龍子が日華事変に従軍、自ら操縦席に座る偵察飛行。タイトル名といい、看板選びといい、企画考えた学芸員さん、この明解さが意表をつく。

 

 印象は帝展を抜け東丘社、龍子は院展をやめ青龍社を立ち上げ、ともに自立した。二人は戦中派、日本画でないような日本画に新境地を見出し、共通点が多い。京都へ来た龍子さん、竜安寺石庭、南禅寺の水呑み虎屏風などを描いた。10㍍以上の大作、長い、大きい、ダイナミック。二人は昭和25年の金閣寺炎上を描いている。地元の印象は焼け跡痛々しくスケッチで、元記者の龍子は燃える様子をジャーナリスト感覚で。印象美術館に龍子あり、印象づけた。

 

 ※ 川端龍子(1885-1966)堂本印象(1891-1966)ともに文化勲章受賞。 ※ 印象の金閣寺炎上のスケッチは京都市消防局の国宝防災ポスターに。金閣寺炎上はこの年7月、国鉄京都駅はこの年11月に炎上している。

 

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