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2019年11月

2019年11月30日 (土)

今年の紅葉、こうよ!

Img_9119 Img_9535    Img_9444 Img_9439 Img_9513 Img_9416 Img_9438 Img_9420 Img_9422_20191127084301 Img_9587 どこで撮った紅葉が一番赤かったかなあ。イチョウの黄葉ではどこかなあ。デジカメ撮りの写真、パソコン見返して、クリックまたクリック、たくさん撮っている。今年の秋、朝夕の寒暖の差が激しかったせいか、色づきがいい。紅葉と黄葉、こうよ、ああよ~と披露する。

 

 地元の山科図書館への道筋、西本願寺系の山科別院。ぶらり入った境内、本堂前のイチョウがまっ黄色に染まっている。樹高15㍍、本堂の大屋根を超す。ベンチで老夫婦が弁当広げている。本願寺中興、蓮如さんの教えか、ベンチに「あって、よかった、このいのち」「あせらず、くさらず、あきらめず」の言葉あり。境内は静か、こころ穏やか、洗心―安隠たれ。

 

 赤さ一番、岡崎のみやこメッセ前のイロハモミジが一本立ち。9代目か、清水六兵衛さんの現代アート陶芸の赤色と競って、対比の妙。紅葉の名所と言えば、見返り観音の永観堂。境内3千本は京都イチ、外からでも赤々している。色づき、ええ感どう?。禅宗の建仁寺、南禅寺、黄檗宗の洛西・浄住寺…、楓の古木多く、白壁に映える。民家の庭先にも紅葉、よう見んか?。三角ベースの児童公園、イチョウ打つか、撮るか?。晩秋から初冬へ、写真はいいショットが多い?。

 

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2019年11月29日 (金)

四方竹、水戸黄門、竹の寺、行雲流水、鈴虫寺

 Img_9302 Img_9305 Img_9310_20191126085701 Img_9308 Img_9311 Img_9314 Img_9317 Img_9343 Img_9364 Img_9367 人生とは、良いことも辛いことも、行雲流水である。雲や水の流れの如く…あるがままに、そのままに…これ、禅なる教えなり。日々、足の向くままに歩いて、あの日は黄檗寺院の参道で四方竹と亀甲竹を知り、一休さん生誕の竹の寺から、行雲流水を説く鈴虫寺へ~だった。

 

 歩きは秋の京都特別公開では初めて、紅葉の浄住寺拝観から。阪急桂駅乗り換え、嵐山線の上桂駅降り、洛西の山ぎわへ10分。天台宗から真言宗、今は黄檗宗のお寺。本堂へ続く石段の参道わきで、最初の→は四方竹。切ったら□で、このお寺中興の葉室家は□を4つ合わせ、家紋にしているという。高知の土佐料理で出た、あの珍しい四方竹、ここにも~である。

 

 石段さらに上がって、また→が薮から出た。亀甲竹。節がボコボコした孟宗竹の変種という。膨れ具合、亀の甲に似ている。この紋所目に入らぬか!と水戸黄門が杖にしたのが、この竹だという。山門を悶々?と出て、お隣は臨済宗寺院・地蔵院。境内は竹また竹で「竹の寺」。昼でもバンブー?。屏風から虎を出した一休さん生誕のお寺、由緒も一級?。そのまた隣が、地蔵信仰、虫の音を聞く鈴虫寺。石柱に虫の漢字が三つの鈴虫、行雲流水の悟り。無視できない?。

 

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2019年11月28日 (木)

京博の庭園、秋深しの樹木を見る

Img_9028 Img_9255 Img_9228 Img_9220 Img_9223 Img_9265 Img_9218 Img_9224Img_9252   Img_9213 秋深く、ロダンの考える人は、センチメンタルジャーニーだろうか。噴水前、赤茶けたケヤキの中、物思いに耽っている。京都国立博物館の広い庭園。石像など野外展示があり、西にも東にも行って、年輪重ねた様々な老木と出会って写真撮り。過行く時をトキドキ忘れて?~。

 

 軽く10万人超えて、京博今季一番の鑑賞者だった佐竹本三十六歌仙絵展。平成知新館の会場内の動に対し、庭園の鑑賞は少なく、静である。京博庭園は何度もだけど、秋の樹木を見て歩いたのは、初めてだった。佐竹本三十六歌仙絵の切断事件からは100年だが、京博開館は今年で122年…庭園の樹木はスタジイ、エノキ、センダン…大木が多く風格がある。

 

 西の庭園の樹木は木札があり、この木なんの木?一目瞭然。三角錐のメタセコイヤ、背が高く、格好いい。紅葉イロハモミジと緑でも黒松?の彩りツーショットは~今だけよ~。サルスベリ、黒い花実が秋空に点々。大木樹皮にセミ空。平成9年10月、開館100周年記念植樹は西宮権現平桜。東庭園は、木札なく、赤い実が何点もだけど南天でもなさそうだし、あの木なんの木、気になる木。赤レンガの研究棟に黄葉のイチョウ。いっちょう?撮った。

 

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2019年11月27日 (水)

中川牛の、ちょいしゃぶ

Img_9158 Img_9162  Img_9152 Img_9153 近江牛は近江牛でも、中川牛って知っている? そんなん知らんけど、いきなりまた何かいな! それ牛なんやけど、ウマウマなんや! なんや、また洒落かいな? まあ、洒落もやけど、ほんまウマかったんや!。 ようわからんけど、そのウマい話、聞いてみよかいな。

 

 米原の滋賀県展へ行って、あのあたりあまり、食べるもんないんで、JRで近江八幡まで戻って、ハンバーグと思って駅前、人気の「かね吉」行ったら1時間待ち。それで近くの和食「すいれん」へ回ったんや。昼定食で1、2度入ったことあったしな。 それが何で中川牛なんや? そやねん。ほんまは海鮮丼やったんやけど、メニューに「中川牛」とあって。

 

 店前の写真も「中川牛を育てて160年」の大きな写真あったし、どんなもんか、店長さんに聞いて、肉刺しのしゃぶしゃぶにしたんや。3回ほどチャプチャプ、肉は赤いままでエエちゅうんや。そのとおり口にしたら、歯ごたえあって、トロトロなんや。あのウマウマ感、忘れられんわ。店長さん「東近江・蒲生、中川畜産の牧場直接仕入れの近江牛」と自信満々なんや。あとでHP調べたら、身がギュッとなる育て方やった。牛、ギュッとやでえ?。

 

 ※ 中川畜産、現在の中川吉明社長は7代目。素牛は但馬牛の「田尻系」に拘る滋賀県内きっての老舗牧場。

 

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2019年11月26日 (火)

三十六歌仙絵の藤原仲文と小大君

Img_9183 Img_9051 Img_9178 Img_9042 Img_9188 Img_9050 この歌を詠んで、この表情である。表装、軸絵になった宮廷歌人の皆さん、哀愁、哀歓、哀憐、哀切…が漂う。京博の「佐竹本三十六歌仙絵」展。NHK日曜美術館を見て、哀愁の藤原仲文さんと、恋慕の小大君のお二人の歌と表情が、気になって、閉幕前にまた行った。

 

 冷泉天皇の皇太子時代から蔵人として仕えた藤原仲文さん、その歌は「有明の月の光を待つほどに我が夜のいたく更けにけるかな」。軸の中の絵は、束帯装束ながら右膝を立て、痛いのか、右手で撫でている。眠れないまま、夜明けの月を眺め、栄達せず、もう老いてしまった~と自分を歌っている。我が夜は我が世、いたくは痛く、ふけては老けて…心情そのままである。

 

 日曜美術館の解説で登場の文化功労章歌人、馬場あき子さんは「仲文さんの歌は声が聞こえてきますね、歌の声を。あの立膝、宮廷生活の年月感じ、切ないですね」。もうお一人は、展覧会の看板になった小大君。平安時代の歌人、読みは「こおおきみ」、生没年不詳という。歌は一夜過ごし、これでもう会えないのか~の思いを、何時までも架からない橋に例えている。その表情、看板絵アップにすればするほど、♪~ワタシ待つわ、いつまでも待つわ~♪。

 

 ※ 二人の歌人絵、現在、藤原仲文は北村美術館、小大君は大和文化館が所蔵している。 ※ 展覧会は24日で終了した。

 

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2019年11月25日 (月)

ウン万年前、日本にゾウはいた。

Img_8780 Img_8786 Img_8790 Img_8791 Img_8788 昔、昔、日本のある所に爺さん婆さんもだけど、実はゾウもいた。そう、ぞうっとすることではないという。静岡・浜名湖、島根・浜田沖の日本海で、化石が見つかり、滋賀県湖西の志賀町には「シガゾウ」というマンモス系の象も~と言うから、やっぱり、ぞうっとする。

 

 京大総合博物館1階展示室である。地下鉄東山駅降りて、東大路通りをぶらぶら、だいぶ歩いて「自然のドキドキ、歴史のワクワク、ちょっと異次元新名所」の長い垂れ幕をみた。なんとなく入って、自然史系展示室のテーマは化石から見た進化。ゾウは始め体も小さく、鼻も短かったけど、環境変化で♪~ぞうざん、ぞうさん、お鼻が長いのね~♪になったという。

 

 鎖国の時代、長崎から来たゾウは江戸への道中、京都では天皇も見たくて、従4位の冠位をつけて拝謁させた。そうなゾウだが、博物館資料によると、2000万年には日本にいた。400万年前にシンシュウゾウ、250万年前にアケボノゾウ、100万年前にシガゾウ…。京大・湯川秀樹の父、小川琢治教授は浜名湖でナウマンゾウの化石発見という。展示室では、日本海の海底から底引き網漁船が引き上げたナウマンゾウのキバ化石も見た。長さは2㍍、重さが50㌔。ぞうっとするほど、大きおまんねん?。

 

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2019年11月24日 (日)

夜のメロンパン屋さん

Img_9003 Img_8996 Img_8999 Img_9009 Img_9006 Img_9008 商いは、知恵と場所と商品の魅力かなあ。もう一つは、急なブームメント。今までそうでなかったのに、なんで?というブーム。台湾から来たあのタピオカがそうだけど、いま出歩いて、気になるのが「焼きたてメロンパン幸福堂」。京都四条通りの店前で、ウオッチした。

 

 場所はいい。新京極から少し東へ20㍍、河原町通りからでも西へ90㍍。朝に昼に夜に~のぶら歩き、京都では一、二番の多さ。加えてバス停の真ん前。ウオッチしたのは、大阪の名前が加わった阪急大阪梅田からの帰り。山科行き最終の京阪バスを待っていてだった。東隣の立ち食い「都そば」のシャッター降りた午後10時すぎ。メロンパン屋さん、まだ男性店員が頑張っている。

 

 パンは3種類。バニラ入り、抹茶入りは400円だけど、一つ200円のメロンパンが売れ筋のよう。消費税据え置き、コイン2つは買いやすい。看板も、パンも黄色い。高倉健の幸せの黄色いハンカチ?、だから店名は幸福堂。欧米の外国人、大勢でやって来た。その場で立ち食い、紙包み持ってホグホグ、目はグー。日本人客も持ち帰りか男性一人、女性一人…。夜が更けても客が来る。いつ店を閉じるのか、もっと見ていて、一つ買いたかったけど、バスが来た。

 

 

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2019年11月23日 (土)

佐竹本三十六歌仙絵、100年前の事件

Img_9015 Img_9018 Img_9059 Img_9062 Img_9058 Img_9065_20191121092201 Img_9067 Img_9023 Img_9072 Img_9064 こうも事件、事件と言われれば~である。それも切断事件、発生は100年前だという。京博で開催の「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」。絵巻切断の歴史を持つこの展覧を紹介するのに主催NHKは、番組スポットで、~日本美術史上最大の事件~と何度も何度も……。

 

 事件見たさ、そうも言われればで、ぶら歩きの道筋に行った。NHK日曜美術館でも展覧会紹介があり、本放送、再放送と二度見た。会期まであと一週間で10万人突破と新聞にも。秋田の元殿様、佐竹家が持っていた三十六人の歌仙絵2巻、そのままだと国宝は太鼓判、事件になって、切り離されて一枚一枚、所有者が一人一人になっても殆ど重要文化財という。

 

 国宝、平安の古書並ぶ会場3階から入り、事件現場の再現は2階だった。箱根駅伝1区と最終区、品川の御殿山にあった応挙館の芦雁襖絵前。当時時価35億円、切断された人麻呂、小野小町など歌仙絵の入っていた蒔絵の箱、抽選に使用した京都鷹が峯の竹のくじ棒が証拠品展示してあった。抽選購入呼びかけは日経新聞創始者で茶人・益田孝氏で、住友、野村など財界人が集まった。あの日、大正8年(1919)12月20日から100年、事件は甦った。

 

 ※ 展覧会は11月24日までで、歌人絵36人中、31人の展示。 ※ 写真の一部、NHK日曜美術館からデジカメ撮り転用。

 

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2019年11月22日 (金)

「アフロ大仏」ポスター写真に

Img_8955 Img_8932 Img_8916 Img_8951  Img_8631 Img_8633 Img_8627 Img_8935 とうとうと言うか、ついにと言うか、お墓の中の、あの石の仏さんがポスター写真になった。今年秋の京都特別公開、金戒光明寺のアフロヘアの髪型をした阿弥陀仏である。いつ頃からか、若い人の人気を集め「アフロ大仏」ともてはやされ、表舞台に出てきた。

 

 法然さんが比叡山を降り、43歳で初めて念仏道場を開いた浄土宗のお寺である。平安神宮の方向から言えば、西北へ10分余り。小高い山の中、通称「くろ谷さん」と言われ、その歴史は様々に流れてきた。幕末、会津藩主・松平容保が家臣1千人を率いて、ここへきて、京都守護職になった。幕末の動乱、新選組との関わり、佐幕派大名として、どうさばく?かだった。

 

 この金戒(こんかい)光明寺の特別公開、今回で何度目だろう。山門上がり、京都市内一望する。御影堂、大方丈へ行って、紅葉の庭園をみて拝観料は800円。これに加えて、三重塔参道の入り口で「アフロ大仏」である。正式には五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏。ブツブツのら髪は大仏さんの如くだが、これは修行また修行で、髪が伸びすぎた結果だいう。金戒光明寺は人気に便乗、境内に看板立て、ら髪意識の金平糖土産まで販売して、早う来んかい!?。

 

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2019年11月21日 (木)

秋の雲は生々流転

Img_8849 Img_8839 Img_8845  Img_8851 Img_8854 Img_8855 Img_8857 Img_8875 窓ガラスは大きな画面、色んな雲が通り過ぎて行く。右から左へ、ゆっくり、ゆっくり…スロービデオのような、ユーチューブのような…。ここは岡崎の京都近代美術館1階フロア奥の椅子。前は植え込み、疎水が流れ、仁王門通り、窓ガラスの上に主役の雲が登場する。

 

 秋の深まり、桜の葉が枯れて赤みを増している。東京藝大美術館から巡回「円山応挙から近代京都画壇へ」開催している。平安神宮大鳥居前の切符売り場、入場券買わずとも、ここまではフリーで入れる。ぶら歩き一服の椅子に座って、窓ガラスの雲。じっと見ていると、雲が静かに動いている。すじのよう、うろこのよう。変幻自在、生々流転…。

 

 窓ガラスはキャンパス。雲は抽象画を様々に描く。雲の流れ、間隔を開けてデジカメ撮り。ブルーな空、紅葉の葉を取り込み、雲は形を変える。一瞬一瞬、同じ絵はない。座った位置から一瞬のデジカメ撮影、二度とない鑑賞アイ。一服すんで、応挙展は見ず、外へ出た。お隣の図書館、高さ24㍍の大鳥居、ロームシアター京都の空にも晩秋の雲が広がっている。真上を右に左に眺めて、またデジカメ撮り…、この雲、あの雲、流れる雲である。雲はうん、人生どんな運があったか。うんと雲を見た。

 

 

 

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2019年11月20日 (水)

瀬戸内海、宇高航路で渡る

  Img_8377_20191117092601Img_8371_20191120064501 Img_8387     Img_8433 Img_8407 Img_8414   Img_8452 Img_8446 Img_8440 瀬戸内海を船で渡るのはいつ以来だろう。四国は香川の高松から本州は岡山玉野の宇野へ、四国フェリーの第一しょうど丸は、5千トン級岸壁を静かに完璧に離れた。汽笛もテープもドラも、見送りもない。四国一の高松タワー、さっきまで散策した港が遠くなって行く。

 

 一日が暮れて、夕闇が深みを増すデッキに上がった。かつて50便もあった宇高航路、瀬戸大橋高速料金の引き下げで、今は5便にまで減った。ニュースで、利用者減の収益悪化、12月15日で運行打ち切りと出た。鉄道連絡船時代から109年も続いた瀬戸内航路が消えてしまうという。学生時代、陸上の春合宿で、高知、松山、屋島へ渡った思い出が甦る。

 

 赤いガラスの灯台の灯りが点滅する。高速船が波を蹴散らして行く。瀬戸内芸術祭、女木島、小豆島などアートの島々が重なりあう。漁船一隻、遠くに浮かぶ。イカ漁?、いかがだったかな、良だったかな?。宇野港へ乗船は1時間、運賃は700円。船内は讃岐うどんコーナーもある。進行状況を示すシーナビもある。左舷、はるか遠くに瀬戸大橋。右舷、そこに直島が見えて宇野港に着岸した。降りる車、人は少ない。もう真っ暗、涙は見えない。

 

 

 

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2019年11月19日 (火)

高松港のダウンタウンブギウギバンド

Img_8325_20191116084801 Img_8291 Img_8324_20191119102301 Img_8344  Img_8334 Img_8375 Img_8323_20191116085101 Img_8348   Img_8292 Img_8320_20191116085801  四国のむかしの玄関口、高松港へ来て、気分はダウンタウンブギウギバンド。♪~一寸前なら憶えちゃいるが、一年前だとチトわからねえなあ~♪。宇崎竜童さん、格好いいねえ。髪の長い女だって、ここじゃ沢山いるからねえ。♪~アンタ、あの娘のなんなのさ!~♪

 

 ここは、高松だけど、港は港。♪~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~♪。そのヨーコ、半年前、やめた?、挨拶なしに~。大関歌手の増井山太郎は♪~そんな夕子に惚れました~♪。いや、夕子と違う、ヨーコ。話?ヨコにそれて、高松港のたそがれ。瀬戸内芸術祭効果、横浜のヨーコか、そんな夕子か…、スマホ一人歩きの女性が多い。海に落ちたらあかんよ。

 

 サンポート高松1階、ドコモでスマホ充電中、再開発の港を歩いた。5万トン級の岸壁、大型船の接岸はない。港の情緒、ドラが鳴らないと、どらいにも?。サンライステラス、夕日が照らす。世界初の赤いガラスの灯台突堤まで500㍍、とっても長い。ふ頭からフト見れば、向こうは源平合戦の屋島、こちらは小豆島。瀬戸内芸術祭記念の植樹はオリーブ、全国豊かな海づくり記念、陛下お歌の碑もある。♪~アンタ、四国にいつまでいるのサ~♪。

 

 

 

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2019年11月18日 (月)

現代アート作品は「種の船」

Img_8363 Img_8313 Img_8304 Img_8315 Img_8316 Img_8302 Img_8307Img_8310_20191118063001 あれは何だろう。超ビックな椰子の実かな?。遠くで見て、アート広場まで行って見ると、漂着種子の実をモチーフにした「種の船」という。台湾の作家さんが制作した現代アートで、タイトルは「国境を越えて・海」。島崎藤村作詞の椰子の実に似て、まあ、当たらずとも遠からず~である。

 

 今年で4回目の瀬戸内芸術祭。島には渡らず、旅の流れで松山から高松へ来て、港周辺を歩いていて、見つけた。港周辺は貨物跡地、海の埋め立てなど再開発したサンポート高松。JRホテル、芸術劇場、四国で一番の高さ50㍍のシンボルタワーがある。港は天守のない高松城・玉藻城だけだったのに、今や「瀬戸の都」として、装いが一新している。

 

 現代アート作品は長さ20㍍、高さ9㍍、ケヤキ、楠木、松の流木で制作、中にも入れる。2013年の瀬戸内芸術祭で、豊島(てしま)に出展して、評判を呼んだ。いったん台湾に戻ったが、2016年の芸術祭でここへ再び展示以来、常設という。船になった漂着種子は、豪州、東南アジアなどに分布するゴバンノアシ。♪~名も知らぬ遠き島より、流れよる椰子の実一つ…~♪。黒潮に乗って、ここは四国の高松、前にも後にも、アート?でよう来た。

 

 ※ 作品の作家はリン・シュンロン(林舜龍)さん。漂着するイメージだけでなく、農耕、五穀豊穣の台湾の小さな森も意味し、船の船首の子供は北極星を見つめ、宇宙の海へ旅立つ。

 

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2019年11月17日 (日)

さぬきうどんのジャー

Img_8282 Img_8283 Img_8288 Img_8284 Img_8287 Img_8286 Img_8289 何事も初めてだと、びっくりすることが多い。松山から高松まで来て、駅前のうどん屋さん。きつねうどん注文したら出汁が入っていない。どうすると聞くと、タンクの蛇口を捻って、セルフするのだと言う。タイガージャーでない出汁のジャー。これには、びっくりした。

 

 お店はさぬき手打ちうどんの「味庄」さん。松山で昼にじゃこ天うどん、食べそびれ、四国バスで2時間乗って、高松入り。どこかで昼―とバスを降りて、向かい側へ歩いて、飛び込んだお店である。もう午後3時近くだった。店に客はいない。真ん中に大きな共用テーブル一つ。店前ノボリは「名物うどん」、金板看板「セルフ・味庄」の文字は錆びついている。

 

 おばさんとおじさん、夫婦経営らしい。最初から注文はきつねと決めていたが、うどん玉一つの小は330円。板書きのメニュー見あげると、かけ小210円、トッピングの天ぷら100円、下足いか130円…みんな安い。どんなんか、湯ざめでなく湯だめうどんと言うのもある。うどんは、この道60年、おじさんの手打ちという。油揚げのきつねはおばさん手作り。朝5時開店、午後3時閉店。出汁がジャーと出たびっくりうどん、じゃあ食べよう。

 

 

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2019年11月16日 (土)

子規の生家跡に柿の木

Img_8272 Img_8268 Img_8271 Img_8265 Img_8267 そうか、子規は果物が好きで、特に柿が大好物だったのか。そう言えば、代表作「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」がそうだし、ほかに「奈良の宿御所柿くへば鹿が鳴く」「三千の俳句を閲(けみ)し柿二つ」がある。奈良で大好きな柿をくって、苦もなく、句にしている。

 

 知らない町のぶら歩き、一期一会の発見というのだろうか。朝、ホテルを出て松山城へ上がって、濠端からまた戻る道筋だった。美術館、図書館、NHKを抜け、路面電車が走る花園町通りで、正岡子規生誕の家跡に出会った。歩道沿い、植え込み囲いの中、俳句ポストとともに子規邸跡の石柱が立っていた。その隣に高さは1㍍と少し、柿の幼木が植わっている。

 

 子規が句に詠んだ奈良の御所柿だという。2017年が子規と「坊ちゃん」書いた友人・漱石の生誕150年。その記念で奈良県御所市から松山市に御所柿の幼木が贈られ、いま、子規生誕地で育てているという。子規の家は、竹の枯れ枝(オロ垣)を結い、垣の内にサンゴ樹が並んでいたらしい。松山から世界へ、そして未来へ~は子規・漱石150年のおりのキャッチフレーズ。桃栗三年柿八年…子規生家跡に御所柿実って、柿くえば~が待ち遠しい。

 

 ※ 正岡子規(1867-1902)愛媛県松山市生まれ。東京根岸で35歳没。「ホトトギス」を創刊、文章革新運動を推進、弟子に高浜虚子。 ※ 「柿くへば~」「~御所柿くえば」は明治28年、静養で松山に戻り、漱石の下宿に居候して、東京へ帰るおり、奈良に立ち寄って詠んだ句。

 

 

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2019年11月15日 (金)

秋晴れの松山城

Img_8216 Img_8223 Img_8230 Img_8228 Img_8239Img_8250 Img_8251 Img_8242 Img_8243 Img_8259 朝一番、正岡子規が「松山や秋より高き天主閣」と詠んだお城へ登った。初代城主・加藤嘉明の騎馬像が立つ東雲登城口、行き交うロープウェイを見上げて歩いた。標高231㍍の頂上へ、坂道20分余。真っ青な秋晴れ、空も高いが、子規詠みどおり、天守も高かった。

 

 司馬遼太郎も「坂の上の雲」第1巻で、松山城を書いている。~城下3万、釜を伏せたような赤松が覆う丘、高さ十丈の石垣、三層の天守、四国第一の城、風景優美~。ロープウェイの頂上広場に子規の句を綴った全国公募第1号の俳句ポスト、隣には松山出身の俳人銘板。子規、虚子、碧悟桐、草田男など…、いまTV人気のプレバド、夏井いつきはまだない。

 

 城案内ガイド半世紀余、85歳の男性は、夏井はまだまだ~と言う。「城下は一番町、格式が一番高い。ワシもここで生まれた。市長もワシには頭下げる」と、城を知るガイドは尽きない。賤ケ岳七本槍の加藤嘉明がこの城を造った。正式には「よしあきら」も、マスコットは、ら抜きの「よしあき」ちゃん。昔はコワイ、今はカワイ!。天守展望スポット広場で、撮影用看板に。お城の石垣は、積み重ねの妙、曲線の美…麓から天守へアートな驚きが続く。~松山やコスモス似合う秋の城~。モスコシ?かな。

 

 ※ 松山城は関ヶ原の戦いで東軍についた加藤嘉明が家康から伊予20万石大名に。1602年の石手川改修から始め、25年後に会津へ移封まで城造りを続けた。城は加藤、蒲生、松平、久松と4代続いた。大天守など重文21件。国内「現存12天守」の一つ。

 

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2019年11月14日 (木)

チンチロリンの「串カツ田中」

Img_8207 Img_8195 Img_8194 Img_8204 Img_8199 Img_8202 Img_8201 やる!と聞かれる前に気持ちはやる!になっている。奇数か、偶数か、ゾロ目か…両手の中のサイコロ二つ。では、南無!と壺に落とした。チンチロリン、いい音いい音…やめられない。どやっ!やったあ!。「3と3」…ゾロ目出たあ!、ハイ、ハイボール1杯ただあ~。

 

 愛媛の松山きっての繁華街、大街道。高知で2泊、四万十で1泊して、宿毛から宇和島通って、最後の宿・松山へ来た。夜の町ぶらで、ここは大阪伝統の味「串カツの田中」。先代の田中勇吉さんが始め、いまや東京の119店など、全国で300店舗近い串カツチェーンである。カウンター席でチンチロリン。京都八条口の居酒屋で鍛えたワザ?ここで実った。

 

 当てのキャベツに二度漬け禁止のソースが出た。あっさりして深みがあって、旨みと甘味…先代が串カツは「ソースが命」と作り上げたという。へえっ、ソースか?。瓶詰め販売もある。ハイボール無料だけで出るわけには~、串カツは何にするか。減量中やしなあ。バナナ、じゃが芋、ししとう、栗、豚。みんな衣をつけて、どれがどれか。衣とともに栗や豚や、ソースは一度や。串カツは「勝つ」に通じ、松山の夜はチンチロリンとともに深け行く。

 

 

 

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2019年11月13日 (水)

高知の思い出、写真で検証

 Img_8045 Img_8047 Img_8046 Img_8050 Img_8156 Img_8165 Img_8166 Img_8181 Img_8189 Img_8188 高知の足摺宇和海国定公園へ行って、デジカメ撮りした写真がある。黄色い花、細長い魚、舟宿のある漁港…。あれは、あそこは…パソコンから写真を呼び出し、あの日あの時を思い出し、何だったか~とネットなどで調べた。以下は、写真検証、旅の思い出「高知」である。

 

 足摺岬を出て海沿いの国道351号。石垣のある高台、黄色い花を見つけた。茎はひょろ長く、青い空へ真っすぐ伸びて、群れて咲いている。野生でもなさそう。助手席で見て、気になって停めてもらい、見に行った。山野草図鑑調べ、葉がウサギの耳のようで、ウサギギクとわかった。場所は小さな川に「イタチ川橋」。ウサギとイタチ、昔話にあったかなあ。

 

 奇岩の遊歩道行って足摺海底館。螺旋階段を海の底へ降り、直径60㌢の海底窓。どちらが頭か尾か、細身の魚が来た。けったいな魚と、一瞬で撮っておいた。ネット調べで、ヨウジウオの一種のような。とくに用事はなさそうだったが?…。海が地中海のような~という漁港、大月町柏島。調べると、2003年5月、映画「釣りバカ日誌」のロケ地。西田さん、三国さんのハマちゃん、スーさんも来ていた。夕方近く、島々を入れた写真、宇和海は限りなく煌めいていた。

 

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2019年11月12日 (火)

奇岩、妖岩、怪岩…竜串海岸

Img_8127 Img_8124 Img_8122 Img_8141 Img_8155 Img_8128 Img_8144 Img_8139_20191112070701 Img_8154   Img_8119 ガチガチ、ボコボコ、ツルツル…海岸というより怪岸、こわごわと歩くのだという。革靴ならソロリ、女性はヒールアウト、荒波もアウトという。奇岩オブジェ見て、足元見て、写真も撮って…。どうしてこうなったか?首を捻って、奇岩の道をそろり30分近く歩いた。

 

 足摺宇和海国立公園の一つ、竜串海岸。足摺岬から35㌔である。竜串は「りゅうぐし」でなく「たつぐし」と読む。太平洋・千尋岬の付け根8㌔。弘法太師が行き忘れた見残し海岸、皇室多く観賞の日本初の海底館など自然を生かした観光地である。竜串は、竜が海岸から横たわって串刺しになっているように見えるからとか。奇岩、妖岩、怪岩…大集合である。

 

 岩に名前がついている。お岩さん?それは四谷怪談。見え方というか、見方で岩が様々に見える。大竹小竹、鯨の昼寝、蛙の千匹連…。宮崎の知人案内で、青島の鬼の洗濯板も見たけど、あれもこれも、なんでそうなるのか。第三紀層(3000-6000万年前)の隆起した台地の砂岩が、風と波で洗われ続けた結果だという。砂岩(さがん)…、右岸ではない。悲しみよこんにちは~ではない。Jリーグ鳥栖でもない。この砂岩は奇岩アートと地質の博物館である。

 

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2019年11月11日 (月)

ジョン万次郎生誕の地

 Img_8069 Img_8058 Img_8062 Img_8064 Img_8070 Img_8074 Img_8077 Img_8078Img_8082 Img_8038 高潮から猟師の町を守る防潮堤に故郷の偉人、波乱の人生を綴る絵解き看板が並んでいる。太平洋の荒波が打ち寄せる防潮堤は、高く長い。高知県西南、土佐清水市中ノ浜。日本人初の国際人、「ジョン万」こと中浜万次郎は、この村で猟師の次男として生まれた。その村の生家を尋ねた。

 

 足摺岬で万次郎の銅像を見て、海岸線を車で20分走って、生家の町へ行った。~ようこそ、ジョン万次郎の生誕の地へ~の看板が目立つ。今、どれだけの人が住んでいるのだろう。人の気配を感じない静かな町である。小さな公民館に「現代日本の礎をつくったジョン万次郎を大河ドラマに」の横長の看板が掛かる。檜皮葺きの生家は、猟師の家が並ぶ細い路地の奥にあった。

 

 案内人不在の自由見学、戸を勝手に開けた。薄暗い部屋に竈、猟師網などが見える。地元商工会が平成22年に復元という。生家を示す石碑前、野良猫一匹、こちらを不思議そうに見つめている。アジサバ漁に出て遭難から始まった万次郎71年間の生涯、防潮堤に並んだ絵看板、1枚また1枚と見た。米捕鯨船救助、館長との出会い、米で英語の学び、母と11年ぶり再会、幕府通訳、開国橋渡し…、困難を味方に~のジョンマン・スピリットが見えた。

 

 ※ ジョン万次郎(1827―1898)。14歳初漁で遭難、無人島・鳥島で漂着、米捕鯨船に救助され、米国で英語、測量、捕鯨を学び、金鉱で得た資金で船を購入して帰国。教授、通訳として活躍、坂本龍馬、勝海舟に影響を与える。

 

 

 

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2019年11月10日 (日)

四万十ウナギ、手長エビ、アオサノリ、清水さば…

Img_7855 Img_7857_20191106110801 Img_7853 Img_7961 Img_7957 Img_7962 Img_7973 Img_7975 南国土佐の高知、四万十うなぎは食べた?。食べたことは食べた。かば丼で1500円。安いんちゃう。そやねん。道の駅「四万十大正」の養殖やった。天然ならそんな値段でないしなあ。そやけど、真下に最後の清流ちゅう四万十川が流れていて、それが天然やったあ。

 

 天然で鮎丼もあったけど、鰻と二つはきついし、メニュー写真撮りだけにした。四万十川やったら、テナガエビとかアオサノリもあるんちゃうん。それそれ、旧中村市の四万十市のホテルへ泊まって、近くの居酒屋さんであったんや。エビはええ色して、皮ごとパリッとして、天ぷらの海苔も、バリバリして…、口の中は何か、フランスにいるような気になって?。

 

 飲みもんは?よう聞いてくれた。柚子の「直七サワー」というのがあって、尋ねたら農家の直七さんで、店のブランドやって。一緒のSTさん、気にいって、お代わりで3杯やった。四万十ブロンドも多様化なんやねえ。土佐清水のゴマサバは?そやねん。鯖が好物なんで一番楽しみやったけど、刺身も、たたきも出会えなかったんや。その店でサバ姿寿司の焼き鯖2貫はうまった。土佐料理、ヨカばいヨカばいで八倍?。うまい!。

 

 

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2019年11月 9日 (土)

四国最南端・足摺岬

 Img_8012 Img_8017 Img_8016 Img_8018Img_8028_20191106081301 Img_8024  Img_8031  Img_8029Img_8030  Img_8027 来た!来た!~台風が来た。いや違う。足摺岬へ来た。四国の最南端、足摺岬へ来た。真ん前は太平洋、水平線がまあ~るく見える。地球は丸くて青い。海の色も青い。何しろ銀座やから、台風もよう来るけど、270度の展望、太平洋がずうっと、ずうっと見える。

 

 大きく広い土佐湾、高知県の東に室戸岬、西に足摺岬。マイカー案内のSTさんからどちらが良いか~と言われて、足摺岬を選んだ。土佐の小京都・四万十市で1泊して、赤鉄橋を南へ四万十川沿いを下った。応仁の乱避難で、ここへきた一條宮家が京都を懐かしんだ大文字送り火の山がある。毎年お盆の頃、点って500年余とか。道路沿いの「大文字」看板で知った。

 

 国道321号を走って、歩きお遍路を車窓から見て、鯖の土佐清水市へ、足摺岬だった。お遍路の最南端、38番・金剛福寺もある。遊歩道・椿トンネル抜け、高さ8㍍の白い灯台。一瞬、鳥が群舞、ちょっと撮れた。眼下に白い波、崖に砕ける。田宮虎彦の小説「足摺岬」は自殺志願の学生さん。跳んだらあかん。弘法太師が爪で「南無阿弥陀仏」と書いた石。祈りの場所へ行くのに亀さ~ん!と呼んだ亀もいる。四国最南端、台風は来なくていい。この景観だけがいい。

 

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2019年11月 8日 (金)

トンボ公園、赤鉄橋、一條神社…

Img_7886Img_7902   Img_7929 Img_7989 Img_7985 Img_7990 Img_8000 Img_8005 Img_7977 Img_7952 来たら来たで、町がわかる。シンボル、歴史、人物、食がわかる。自然は自然とわかる。ここは、土佐の小京都、旧中村市で、合併して高知県3番目の都市、人口およそ3万人の四万十市である。トンボ公園、赤鉄橋、幸徳秋水、一條神社…来てわかったので、紹介しよう。

 

 日本一のトンボ保護という「トンボ自然公園」。池あり、川あり。学遊館は「あきついお」。あきつ~はトンボの古語、いお~は魚の方言。館名学習で始まり、トンボ標本1000種。クイズはステーキの如く、いきなり出て、また、またまたと出た。目が回る。水族館はサカナまたサカナ。ナサカか、サカナか、サカサマか。まあ、見てよし、充実の「あきついお」。

 

 シンボルは四万十川に架かる赤鉄橋。全長500㍍、車道の両側に歩道、ホテル早起きの歩きで往復した。小学生の標語は「清らかな流れを守るぼく私」…四万十の明日は明るい。万朝報の記者で社会主義作家、大逆事件の幸徳秋水はこの町の生まれ、お墓が史跡。お参りして、往時の写真を見た。応仁の乱、小京都ご縁の一條神社、朝から神主さん太鼓どんどん。早起きにご利益あり。夜は「今夜も焼肉こんや亭」近くの味劇場「ちか」で、町とお近づき。

 

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2019年11月 7日 (木)

四万十川の「沈下橋」

Img_7872 Img_7862 Img_7868 Img_7869 Img_7861 Img_7865 そうろと、ゆっくり、ゆっくり…、前だけを向いて、ハンドルしっかり…。右も左も川が滔々と流れる。欄干はない。橋の幅は3・1㍍、向こう岸まで120㍍。もう一度言うけど欄干はない。落ちたらあかん。静かに、静かに…、渡ったあ、良かったあ、怖かったあ~。

 

 高知県津野町、標高1336㍍の不入山(いらずやま)を出て、蛇行しながら太平洋に流れる四万十川。この川に架かる「沈下橋」(ちんかばし)。洪水なっても沈んでいるだけ、流れない。三重、徳島、宮崎は「潜水橋」「もぐり橋」と言うが、高知では「沈下橋」。全長196㌔の本流に21、支流に26。今や、高知の観光スポット、四季折々の自然が楽しめる。

 

 愛媛ナンバー「2210」は、四万十川上流域にある長生(ながお)沈下橋を通った。運転はSTさん(7?)。免許は学生時代から。運転はウーウー息つきしながら丁寧。高知市内から助手席、安心できる。クルマはホンダの新車。道中、車ナンバーの意味は?と聞く。女房も乗るので、夫婦の誕生月と誕生日を重ね合わせたという。渡り切って、車から降りて、橋を歩いた。端ではない真ん中。最後の清流・四万十川、有休とらず、悠久に流れていた。

 

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2019年11月 6日 (水)

海洋堂ホビー館四万十

 Img_7768 Img_7788 Img_7796 Img_7781_20191103085501 Img_7777Img_7775 Img_7782 Img_7772 Img_7780 Img_7785 ホビーとは何か。まあ、スケートでないフィギュア、プラモデル…、お菓子や雑誌のおまけ…、ガチャガチャのカプセル玩具などかなあ。かっぱ館の親元、高知県四万十の海洋堂ホビー館で、作品を見た。ウルトラマンもティラノサウルスも造り、精密で精巧な仕上がり。

 

 三つ折りPRパンフレット。~世界的なフィギュアメーカー、海洋堂の歴史とコレクションを展示するミュージアム~と書き、見出しは「わざわざいこう!へんぴなミュージアム」。高知市内から車で2時間。大阪本社にいる社長の宮脇修館長も挨拶文で、月一度来て、遠い~を実感するという。だから、おもちゃはトイ(Toy)?。でも、♪~おもちゃのチャチャチャ~♪と歌う。

 

 こんな遠いところにどうして?、宮脇さんの父がこの四万十川がふるさと。館は廃校になった打井川小学校跡で、父の学び舎。何で社名が海洋堂?宮脇さんが海好きだから…、まあ、みんな訳あり。ここまで来て、世界的のフィギュア作品見て、この地域の素晴らしい自然を知ってほしいと。入館料800円、ガチャガチャ回し1回のおまけでF15戦闘機組み立てが出た。館内は常設のカタロニア船、恐竜、ジオラマ…、館外は山あり川ありの自然あり…。

 

 ※ 海洋堂は1964年、大阪府守口市で開業。ギャラリーは東京、大阪などにある。滋賀県長浜市の黒壁にミュージアム。国内で海洋堂博覧会。パリ、ニューヨークでも作品展示、恐竜模型は映画ジュラシックパークなどにも。古田製菓のおもけおもちゃでも人気。

 

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2019年11月 5日 (火)

河童また河童

Img_7800 Img_7808 Img_7839 Img_7827 Img_7817 Img_7816 Img_7843 Img_7810 Img_7842 Img_7841 それはもう河童、河童している。川ある所、水ある所に住む河童は、日本の伝統的、伝説的な妖怪。高知県南西、四万十川が流れる秘境の町にウヨウヨしている。かっぱえびせんどころではない。ヘイヘイ河童、ソレ河童…、ソレソレ河童、ヘイ河童である。

 

 「かっぱ館」ー、フィギュアの海洋堂がホビー館に次いで四万十川沿いに開館した。STさんのマイカー、高知市内から四国88か所、お遍路37番目の岩本寺へ寄ってから行った。JR四国予土線、無人の打井川駅を降りたとしても、まだ4㌔もある。ここは窪川など2町1村合併で四万十町、隣の旧中村市は四万十市。博識のSTさんによると、平成合併で「四万十」を名乗りあい、町と市の「四万十」が誕生したという。

 

 入館料500円。三つ折りパンフでかっぱ館も~ようこそ、辺鄙な所へ~と書く。だからこそ河童が居やすいのだろう。かっぱ館は檜皮葺き、回りは山と川…人の住み家はない。海洋堂がカッパの造形作品を全国応募すると、予想以上に作品が集まり、ミュージアムにしたという。絵のカッパ、彫刻のカッパ、陶器のカッパ…、「へのかっぱ?」もどこかにいそう。かっぱ神社にもお参りした。御本尊が右手を出して、指を丸めている。かっぱの精はなんでつく?お賽銭でつく?。

 

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2019年11月 4日 (月)

ちゃんばら貝、びっ栗まんじゅう…

 Img_7703Img_7706 Img_7712 Img_7718 Img_7720 Img_7719 Img_7749Img_7748Img_7707 Img_7875 Img_7876 地方には地方の珍品ありで、南国高知の土佐にもとっさり?。高知県宿毛市出身力士、豊ノ島が行く土佐料理「こうちや」は、こっちや!と地元YKさん案内で行って、その一つがちゃんばら貝。正式にはマガキガイ。触覚が刀の如く伸びて、チャンチャンバラバラと動く。

 

 塩ゆでしてある。高知の居酒屋では酒の肴に欠かせない。注文一つと思ったら、さすが土佐、とっさりでた。この洒落、さっき出た。爪楊枝で身を取り出して、一つまた一つ、かっぱえびせん、やめられない。トンゴロ唐揚げ、ウツボの唐揚げも出た。トンゴロはウロコが硬いトウゴロウイワシ。ウツボは頭がにゅっと出て、やはり塩ゆで…、味どーさ?の珍品。

 

 高知市の西南、四万十へ、愛媛のSTさん新車マイカーで行く。長い道のり、休憩で道の駅に立ち寄り二度三度。「こうちや」でも出た四方竹販売。近江なら三方よしだけど、土佐は四方よし。びっくりしたのは、びっ栗まんじゅう。渋皮煮一つ丸ごと入り。土佐食グランプリ準優勝という。一つ140円、甘さ抑え目の味は、くりしゆうない。近こう、近こう。この洒落、苦しい。土佐特産野菜で人気の「チャーテ」。瓜の一種、淡泊な味わいが売り?。

 

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2019年11月 3日 (日)

ちりめんじゃこ

 Img_7623 Img_7625 Img_7743 Img_7632 Img_7744 Img_7652 Img_7657 白くて小さな小魚。関東、静岡では「しらす」と言い、関西、高知では「ちりめんじゃこ」と言う。釜ゆでしたイワシの稚魚である。生なら「どろめ」と言う。高知へ行って、朝のバイキング、昼の丼、夜の一品メニューに出た。目があっても、好物なので、目がない?。

 

 最初の夜、懇親会すんで、もう少しと誘われて行った二次会。ホテル近く、清水サバの看板で入った居酒屋さん。あいにく、清水サバ入荷なく、代わりに「どろめ」のメニュー見つけて注文したのが、イワシ稚魚の出会い。小鉢入り酢漬け550円。透き通って、なまめかしく、生々しい。一緒の3人さん、「どろめ」で1杯また1杯…、次第に眼も「どろめ」。

 

 翌日の朝、土佐カントリークラブ。ラウンド前にゴルフ場で朝食。ご飯とともにちりめんじゃこが出た。醤油垂らすもよし、塩が効いているので、そのままもよし。昼はかけうどんとちりめん丼ぶり、表彰式兼ねて懇親会で、大皿にちりめんじゃこ。お隣さんの分も頂戴する。「ウエルカム高知」という名のホテル。2日目の朝のバイキング。土佐名物のちりめんじゃこが盛ってある。取り皿に2人前。うまい、これは、うまい…、何度もいわしないな?。

 

 ※ しらす、ちりめんじゃこは、カタクチイワシが主で、季節により、マイワシ、ウルメイワシも。釜茹でして天日干しする。乾燥具合で、柔らかいの、かたいのがある。

 

 

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2019年11月 2日 (土)

「リョーマの休日」

 Img_7727 Img_7726 Img_7573Img_7701 Img_7693 Img_7690 Img_7668 Img_7671 Img_7682 Img_7674 休日はヘップバーンのローマか、坂本竜馬の土佐か~、JR高知駅前の旅の広場の看板は「リョーマの休日」。駅階段モザイクは、地元の漫画家やなせたかしのアンパンマン、バイキンマン出迎え。広場の竜馬ら3体像は軽く、台風で移動。さすがに高知、コチコチでない。

 

 この洒落っぽさ、誰がコーチしたのだろう。高知駅から幾つ目か、南国市に「ごめん」駅がある。漢字で「後免」も、平仮名駅名にして、駅員さん「ごめ~ん」「ごめ~ん」とアナウンスする。関電さん、大臣失言も「ごめん」。一日乗降客1900人は高知駅に次いで多く、アンパンマン画家やなせさんの出身地。漫画家初の文化功労章、横山隆一さんも高知が故郷。

 

 高知駅前から歩いて15分、横山さんは赤い欄干はりまや橋で~坊さんかんざし買うを見た~の純信とお馬像を描く。日本初の木造アーケードが自慢のはりまや橋商店街は、看板で「がっかり名所でごっめちゃ」。お菓子は紀貫之が女性ふうに書いた「土佐日記」、これもおかし?。鳴子で~よっちょれよ、よっちょれよ~のよさこい情報館は、去年入館30万人超え。開館記念のおり、ペギー葉山さんがお祝い言葉を述べて、南国土佐をあとにした?。

 

 ※ 駅前旅広場の像3体は、武内半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎。台風襲来情報で、クレーンで持ち上げ、別に移動させるという。

 

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2019年11月 1日 (金)

土佐電、土佐巻き、土佐犬、土佐金、土佐カン

Img_7733 Img_7697 Img_7660 Img_7651 Img_7646 Img_7650 Img_7647 四国の高知へ行って、電車に乗るなら土佐電。JR駅前から200円で走っている。巻き寿司なら土佐巻き。カツオのたたき入り。ツーでなくワンと吠える闘犬は、土佐犬。顔を怖いが、飼い主には従順。天然記念物の金魚と言えば、土佐金。尾っぽの舞いは、バレリーナ…。

 

 まだ土佐モンあるかな。あるがが、あるがが…、土佐カンが、あるががや。いや、そうやった。1967年開場、高知きっての名門ゴルフコース・土佐カントリークラブ。太平洋が一望に見えるがや。東京勤務時代の全国の仲間が集まった5組19人のコンペ。前日は大雨だったのにラウンド始まって、晴れた。地元世話人のYKさんが「ピーカンになったがが…」。

 

 地声の大きさ、YKさんは地元で名高い。マイク?いらんがや。世界地声大会あれば、勝てる。悪人ではない。ギネス級。YKさんが言ったピーカン。映画撮影の言葉とか、タバコのピース缶とか、ピーとカンカン照りとか。足摺岬コースから室戸岬の灯台、太平洋の水平線、四国一の石鎚山も。次第に気温が上がり、暑いくらい土佐カン照り。どのホールか、さすが南国、黄色いハイビスカスも。スコアは?カツオの叩きの如く叩き、とさかにきたあ?。

 

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