国の史蹟、秀吉の「御土居」
国の史蹟「御土居」って、ご存知かなあ。本能寺の変から10年、天下を制した秀吉が首都・京都の町を造り変えた総仕上げの壁と言えばいいかな。北は上賀茂、南は東寺、西は北野天神、東は鴨川とぐるり一周。総延長22・5㌔。これが、所謂、「洛中洛外」の始まり。
いま、京都市考古資料館が創立40周年を記念して、東寺あたりから発掘の出土品477点を陳列、「御土居」とは~の発掘経過など展覧会を開いている。応仁の乱の西陣、堀川今出川を西へすぐバス停前である。夏休みの宿題か、近所のお母さんが子ども連れて勉強に来ていた雨の日、学びに行った。今も残る「御土居」跡は9か所、合わせても1㌔ほどという。
俵屋宗達がいた鷹峯、道真の北野天神さん、同僚が学んだ北野中学構内…、高さ4㍍の土塁と深さ2.3㍍の堀。土塁の塁はバスケット・八村塁の塁、野球で一塁から本塁へ…、これ類推?。「御土居」の役割は防御、治安、治水…。秀吉の威信で大名動員、わずか3か月で完成。入り口の「京の七口」は、時代とともに増えて、破壊と開発で消えて、今に至るという。堀跡から人形頭、百文銭…、「御土居」展示に420年前の秀吉の首都・京都を感じた。
※ 展覧会は11月24日まで。10月には「御土居」見て歩きの企画も。 ※ 「御土井」は天正19年(1591)3月に完成。 ※ 秀吉(1537-1598)
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