« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月

2018年11月30日 (金)

国画創作協会旗揚げから100年

Img_2167

Img_2161

Img_2158

Img_2163

Img_2169

なんと背の高い大きな女性だろう。どこの国?、オランダ人かなあ。着物姿、白いショールを羽織り、犬を連れ散歩している。初夏のころか、蝶々が飛び、草花が咲く。絵模様の日傘が小さく見える。うん、足元は靴?。クツクツ~と笑みこぼれる1曲2双の屏風絵である。

 

 作者は日本画家・粥川伸二さん、作品は西婦和装図、大正8年(1919)年の制作。「1918・11・1国画創作協会展開ク」と題した特集展示の京都近美コレクション展で見た。粥川さんは、100年前に土田麦僊らが個性の尊重、創作の自由、自然への愛をテーマに旗揚げした国画創作協会の若手作家だった。長崎テーマ、蘭画風作品多く、これもそうだった。

 

 コレクション展、寄託作品以外は写真撮影しても良い。国画創作協会は創立から10年、資金難で解散したが、展示場2室には当時、会員だった若手作家の作品が並んでいる。梶原緋沙子の「矢場」…、矢を持つ店番の女の子、おかっぱ頭はフサフサ。石川晴彦の「巡礼お鶴」…旅から旅でスヤスヤ、ハハ~ン、母の夢か。森紅疑の「母子像」…、我が子を抱く両手が優しい。ガラスケースに100年前の第1回展画集、絵は世代を超え、時代とともに~。

 

 京近美平成30年度第4回コレクション展は12月16日まで。没後50年藤田嗣治展と同時開催。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月29日 (木)

ローム・イルミネーションの輝き20年

Img_2294

Img_2255

Img_2254

Img_2278_2

Img_2289_2

Img_2285_2

Img_2279

Img_2286

Img_2257

Img_2282

ピカッ、ピカッ…、ピカチュウではない。キラッ、キラッ…、吉良上野介ではない。冗談はヨシコさんにして、世界の~、日本の~、京都の~電子部品メーカー、ローム恒例のイルミネーション。LED電球は86万個である。ピカピカと光って、キラキラと輝いている。

 

ロームは師走の全国高校駅伝、新春の全国女子駅伝の第1区と最終区になる西大路五条交差点からすぐ西側。晩秋からXマスまでの1か月、ローム周辺の道路が眩しく輝く。テレビ、新聞で報道があり、町ぶらの流れ、デジカメ持って久しぶりに行った。始まって、今年で20年目という。京都会館に50億円ポンと出して、もうロームシアターで定着している。

 

何せ売り上げ4千から5千億、純利益は4百から5百億円…、音楽など社会貢献事業へ、おくする?ことはない。国道1号の五条通りを跨ぐ歩道橋からシンボルツリーの輝きが見える。高さ10㍍、丸いヤマモモの木二つ。少しずつ、光り方を変えて光る。五条通りと交差する南北の佐井通り。メタセコイヤ20本、枝の先々まで金色、光が降ってくるような。公園の中は光のカクテル。LED光のデザインと音楽。幻想と幻惑と現実が光っている。

 

 ロームのイルミネーションは12月25日まで無休。点灯は16・45~22・00。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月28日 (水)

獅子の子渡しの庭、西賀茂の正伝寺

Img_2182

Img_2207

Img_2208

Img_2206

Img_2198

Img_2193

Img_2189

Img_2188

Img_2192

白砂の庭に刈りこんだサツキが7、5、3…。竜安寺の石庭、虎の子渡しに対し、獅子の子渡しをイメージしている。紅葉と比叡山を借景にした枯山水の庭園である。京都・西賀茂の正伝禅寺。京都市文化財保護財団主催、秋の文化財特別鑑賞で初めて行った。

 

市バス西賀茂行きバス、神光院前で降りて、スマホのググールマップが不慣れで、聞いて聞いて、10分以上は歩いた。お寺は五山の送り火の一つ、舟形を灯す山すそで、そう知られていない。鎌倉時代に中国僧が創建、応仁の乱で焼失、移築・再興など700年余の歴史を持つ。南禅寺派の禅寺、参道の石段は苔むして、静寂さが漂う。紅葉は見ごろだった。

 

本堂は重文、伏見城の遺構という。関ヶ原の戦い、伏見城で西軍の攻めを防いだ徳川家の家臣らが切腹した廊下跡が血天井に。襖絵は狩野山楽、中国杭州・西湖なをど描く。作庭は東福寺の庭で有名な重森三玲が作り直したという。デジカメ撮りして縁先に座った。英国ロック歌手、故デビッド・ボウイ、旅人よ~の国民歌手、谷村新司も、ここで庭を見つめ、自分と対話したという。わびとさび、色即是空…、心を鍛える庭・ガーデン、合点がいった?。


※ デビッド・ボウイは1979年、TVのCMソングで来日、この庭へ。谷村さんさんが大阪在住の姉とともに初めて来て、学生時代に何度も。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月27日 (火)

象マークのカレー屋さん

Img_2140

Img_2146

Img_2145

Img_2143

Img_2147

Img_2137

 象印と言えば、口をついて、魔法瓶!と出てきそうだけど、ちょっと待った。京都駅八条口のアバンティ―西側に「吉象カレー」が登場した。読みは<きっしょう>でなくて<よしぞう>、イラスト絵は象。鼻の先にスプーン、背中にカレーライス皿を乗せて、うまいぞう!。

 

 開店間もなくの頃か、町歩きで100円割引券をもらっていた。吉象カレー390円、豚カツカレー550円、温泉卵カレー490円、パクチーカレー650円。全体が安いのにまだ100円引き。アバンティ店内でなく、ビル西の道路側、平和の像の彫刻があるところ。食べて皿の底に象イラストが出たら無料券進呈という。吉象カレー、よしよし~と入った。

 

 コの字型のカウンター席。店内入り口に自販機選択、割引券忘れていたけど、まあ安い。豚カツ選択した。昼どき、15人の満席。100円プラスでご飯大、ルー増もある。コップに水、自分で入れて待って、出てきた。スプーンで一口、うん…、スパイシーがよく効いている。二口、三口…福伸漬けも。ピリ、ピリ…、水も一口…、カツは負けてカツ…、象の店でも豚のカツ、安くて、ピリピリ…いいねえ。いいぞ!いいぞう?、エレファント・カレー。

 

 店は中国上海で営業していたが、地下鉄工事で立ち退き、日本へ戻って9月から開店している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月26日 (月)

故郷・伊賀の芭蕉

Img_1957

Img_2065

Img_1936

Img_1951

Img_1943

Img_2041

Img_2045

Img_2042

 旅から旅の芭蕉は、故郷・伊賀へどれだけ戻り、どんな句を詠んだのだろう。伊賀鉄道始発の上野駅前ロータリー、4㍍もの台座の上に旅姿の芭蕉像が、世の中を見渡すように立っている。近くの顕彰碑には「旅人と我が名呼ばれし初しぐれ」の一句が書き込まれている。

 

 俳聖芭蕉の資料は多い。松尾家の次男で生まれ、藤堂藩に仕えながら句を学び、地元の上野神社に句集「貝おほひ」奉納した。江戸へ出て、句作を重ねて名を成し、「奥の細道」など旅へ出て、4度は帰郷している。「蓑虫の音を聞きにこよ草の庵」。門人・服部土芳が庵を開いたおり、芭蕉がお祝いに詠んだ句が、そのまま「蓑虫庵」として、今も現存している。

 

 生家跡には「ふるさとや臍の緒に泣く年の暮れ」の句碑がある。母親が亡くなり、戻って、母が大事にしていた自分の臍の緒を見て、詠んだという。上野城ある公園の中には、国の重文「俳聖殿」がある。芭蕉生誕300年記念、芭蕉の旅姿をイメージしている。八角形の檜皮葺き屋根は笠、額は顔、柱は杖…、奥には伊賀焼の芭蕉坐像がある。蓑虫庵には深川から移設と言われる古池塚。「古池や蛙飛び込む水の音」…、芭蕉は場所、場所で句を詠んだ。

 

 松尾芭蕉(1644-1694)三重県伊賀市生まれ。俳諧を和歌と並ぶ日本の芸術文化に高めた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月25日 (日)

上野城、伊賀肉、かたやき煎餅、養肝漬け

Img_2035

Img_1960

Img_1966

Img_1984

Img_1977

Img_1998

Img_1964

Img_1982

Img_2013

忍者と芭蕉の伊賀の町を歩いた。町の中心は地方によくある銀座通り。幅4車線、南北に伸びて、両側に粋なお店が並ぶ。俳聖・芭蕉の珈琲店、忍者・服部半蔵の銘酒、伊賀牛で伊賀肉のお店…、地銀は百五銀行、名物は養肝漬け、煎餅のかたやき…、三重県なので伊勢湾から志摩パールの店もある。

 

夏は歩行者天国の本町通り、銀座通りから入り東西に長い。築城の名人、藤堂高虎が家康の命で改修を手掛けた上野城が北に見える。別名は伊賀上野城、白鳳城、30㍍もの高い石垣は日本一という。石段上がって、城までもう少し、池の隣は今はもう土産物店になった案内役・SUさんの生家。池の鯉で、晩のおかずは鯉こく~との思い出話は濃い?。

 

地元知るSUさんの導きで、本町の和風イタリアン店へ。フレンチのコース料理、別料金で伊賀肉オーダー。スッとナイフが入り、柔らかい。牛なのにウマウマ?。松坂牛は伊賀牛の別名~とはSさん説。この旨さ、伊賀で如何にも?。煎餅のかたやきとは、刀の鍔叩いて~の硬さ、伊賀忍者の保存用携帯食の伝統あり。養肝漬けは白瓜の中を抜いて、生姜など詰め込んである。鉄砲に火薬つめる如くで、武士の肝試しだったとか。ようかんでも、甘くならない??。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月24日 (土)

忍者の町、伊賀…いかにも。

Img_2091

Img_2080

Img_1980

Img_2039

Img_2055

Img_1963

Img_2011

Img_2003

Img_2054

Img_2058

Img_2076

Img_2081

Img_2070

忍者の里、伊賀市は町じゅう、伊賀流忍者がアラッ?ドロンと出て、手裏剣シュシュである。町おこしは忍者トレイン、忍者マラソン、お土産のお酒は忍ジャエール、お菓子は忍者最中…。平成合併で伊賀、上野など人口9万人、忍者都市宣言、如何にも如何にも…である。

 

 故郷が伊賀市の創作落語作家、SUさんの案内で、町を歩いた。近鉄大和八木経由、開業100年の伊賀鉄道、始発の伊賀神戸駅へ。電車は銀河鉄道999の松本零士さんデザインの忍者ラッピング。先頭車両、目玉が二つ、忍者でどうじゃ!。伊賀市は三重県の北西部、北に近江の甲賀、西に京都と奈良である。伊賀鉄道は伊賀神戸から伊賀上野まで南北に走る。

 

 伊賀流忍者は「いが」と濁り、お隣の甲賀流は「こうか」と濁らない。司馬遼が宗教新聞「中外日報」に連載した直木賞「梟の城」は、忍者の世界を描く。老舗菓子屋さんは梟の城饅頭を出す。銀座商店街に、がんばれ!伊賀FC「くノ一」。地元のなでしこ女子サッカーチーム、今期1部に昇格。ワザは神出鬼没という。町歩きの観光客は忍者スタイル。商店の壁は忍者写真、一緒にどうぞ。忍者ショー、しょおっ?と見たら、世界発信のNINJA!。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月23日 (金)

没後50年藤田嗣治回顧展を見る

Img_2114

Img_2103

Img_2104

Img_2107

Img_2111

Img_2115

Img_2109

Img_2113

Img_2119

日仏を舞台に名を馳せた画家・藤田嗣治は代名詞が数多い。その一つは乳白色の肌の裸婦像。もう一つは、おかっぱ頭で丸眼鏡をかけ、ちょび髭の自画像である。拾い猫を飼った猫絵もニャンとも多い。80余年の生涯、半分は日本、半分は帰化したフランス…などである。

 

京都岡崎の京近美、没後50年が開催中である。~パリに愛された画家、フジタ、史上最大規模の大回顧展~という。お隣の府立図書館は会期中の1階で藤田本を揃えている。「藤田嗣治がわかれば絵画がわかる」は読んだ。NHK、朝日新聞が主催、会期半ばで5万人が鑑賞と朝日に載った。5万人のひとり、金曜午後8時までの夜間鑑賞のおり、見に行った。

 

 京都市地下鉄東山駅降り、改札通路に代表作の一つ「カフェにて」がある。ポスター、チラシにも使われている。戦争絵批判で、戦後ニューヨークにいながら、パリの日常的なカフェの光景を描いた作品。頬杖をつき、物思いにふける女性は、フランス望郷の藤田の投影と言われる。会場は、日本人・藤田嗣治からフランス人・レオナール・フジタへ。東京藝大卒業制作の自画像から藤田をフジタにした乳白色の肌の裸婦像へ、フラフラ?するほど見た。

 

 展覧会は12月16日まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月22日 (木)

古典とは、古典菊とは

Img_1871

Img_1874

Img_1873

Img_1876

Img_1877

Img_1881

Img_1880

Img_1886

Img_1885

Img_1887

Img_1888

古典とは~である。ウイキペディアによると、中国の四書五経に原点があり、孔子、孟子などと申して?おいて、ここで思い浮かぶのは、古典文学、古典芸能、古典主義…。今は古典の日もある。毎年11月1日で、2008年の源氏物語千年紀生まれ、これはまだ新しい。

 

 前触れが長くなったが、書きたいのは古典菊のこと。秋の京都府立植物園へ行って、大芝生の北側、スレート屋根の展示場に江戸菊、丁子菊、肥後菊、伊勢菊、嵯峨菊が解説付きで並んでいて、これが古典菊だった。鉢が八以上あり、咲き様、栽培の仕方、由来などが書いてある。5種類の古典菊、長さ20㍍、最初はさっと見て、もう一度戻って、じっくり見た。

 

 鑑賞の成果を披露しよう。江戸菊は満開のあとの咲き終わりが特徴、花の芯を包むように折れ曲がる。丁子菊は関西地方で栽培、欧州に渡り、切り花のアネモネ咲きになった。肥後菊は熊本・細川藩の殿さんが武家のたしなみとして栽培を命じた。三重・松阪の伊勢菊は縮れ方が、もじゃもじゃ。伊勢撫子、伊勢菖蒲と並び伊勢3珍種とか。京都嵯峨賀大覚寺中心の嵯峨菊は、茶筅の如く細く咲く。菊のことでわかないことは、植物園に聞くが一番!?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月21日 (水)

紅葉、皇帝ヒマワリ、マメザクラ、秋桜…

Img_1833

Img_1829

Img_1843

Img_1848

Img_1866

Img_1867

Img_1901

Img_1910

勝手知ったる京都の府立植物園、いつも通り地下鉄北山降りて行った。新聞には見ごろと出ていた紅葉、池の端はもう少し~だったが、雲間から一瞬、陽がパッと差した途端、木々の影で苔に幾つも筋が出来た。楓は青い葉の中で赤く燃えた。今年の紅葉はこうよ!?である。

 

 イロハモミジは曇り空を借り、下から撮ったら、赤さが増した。時計と逆回りに園内歩き四季の丘へ。園内巡回、これもいつも通りである。皇帝ダリアが淡くピンクに咲く。ヒマワリみたいなので皇帝ヒマワリと別名がつく5千円札の新渡戸稲造さんが外国から持ち帰ったニトベキクと隣りあって、高さを競っている。写真撮り、赤いカンナ入れて…どうかな。

 

 秋に咲く桜の場所も知っている。小さなマメザクラ。子福桜、四季桜、冬桜…11月でも咲く十月桜など、桜の花が各種揃うサクラ園である。粒々のピンクを全体撮りして、花一輪のマクロ撮り。なかなかピントが合わない。レンズアイが通じない。愛?は難しい。秋桜ならばコスモスである。大噴水西側にモシモシ、モスモス?の大花壇。どう撮るか~と構えて、曇り空から出た夕陽とともに~。噴水と夕日もアップ撮り。秋の植物園、見どころ多し!。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月20日 (火)

JR湖西線と安曇川の町

Img_1782

Img_1775

Img_1697

Img_1773

Img_1764

Img_1750

Img_1760

Img_1758

Img_1751

Img_1783

JR湖西線には、駅名にも車窓にも、旅情がある。山科から知人の写真個展で安曇川へ行った。安曇川駅もそうだが、和邇駅、蓬莱駅の駅名に渡来人を思う。高架線なので強い風が吹くとよく運休するけど、眺めは高架線からの車窓が良い。右に左に琵琶湖、比良連峰が出てくる。

 

 むかしの新米記者は、デスクから写真を一枚ポンと渡され、それで記事を書け~と言われたという。文章修行兼ねた「絵解き」である。新聞社の編集部門はかつて、カメラマンはカメラマン、記者は記者と分業だったが、今は記者も写真を撮り、カメラマンも記事を書いている。デジカメが普及したせいだが、安曇川へ行って、旅の絵解き写真をたびたび撮った?。

 

 行き帰りの車窓からデジカメ撮り。田畑と琵琶湖、家並みと琵琶湖、沖島と琵琶湖…、流れ行く風景は一瞬一瞬、ピントはあいにくく、シャッター抑えは蚊取り線香、金鳥る?。個展の安曇川の町歩き写真は、気づきの世界。暮れかけた空に鉄塔と飛行機の航跡、幾筋もの白い線がアート模様。現役でない郵便ポストと吊るし柿、赤の競演かな。晩秋のコスモスと田んぼ、農家の壁に這う蔦と山茶花…、パソコンに取り込んだ写真、どう絵解きするか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月19日 (月)

そんなに安くていいの?

Img_1820

Img_1806

Img_1808

Img_1809

Img_1811

Img_1807

Img_1818

Img_1819

 エッツ、ほんまに、そんな値段でいいのっ?。JR山科駅前の居酒屋「ももじろう」入り口のレジへ行って、支払い業務である。レジたたき、言われた値段は、あれだけ食べたのに1021円。あんまり安くて、エエッと思ったけど、計算は合っているという。それはそれは安かった。

 

 山科駅前界隈、年々、飲食店の変化が激しい。お好み焼き、焼き鳥、ワイン、昼飲みなど、出来ては消え、消えては出来て~だけど、出店15年近くの大衆酒場「ももじろう」はこのあたりでは、もう老舗格に。大津市内へ勤務しなくなり、1年半はご無沙汰だったけど、~お久しぶりです~と、声が大きい女性店員にいっそう大きな声を掛けられ、奥の立ち飲みコーナーへ進んだ。

 

 格安の立ち飲みコーナー、細長い店の突き当り。立ち席は4つが2つに、帽子を後ろにかぶる店長は転勤、若狭からの魚の直送はなくなっている。注文したあじフライ99円、ハイボール199円に変わりはない。新しいメニューは1貫50円の握り。赤まぐろ、鯖、タコの3貫で150円、これに99円なめこおろし、199円手づく出し巻きとかち割り赤ワイン。その合計が1021円である。いや、申し訳ない。どうも安くてすみません~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月18日 (日)

静かなり法然院

Img_1502

Img_1528

Img_1511

Img_1508

Img_1506

Img_1517

Img_1516

Img_1512

Img_1518

Img_1530

Img_1525

静寂が舞台になって、絵になり、文になり、写真になるお寺がある。浄土宗から離れ、単独寺院になった法然院。哲学の道わきの疎水から外れ、鹿ヶ谷の山すそへ行く法然上人ゆかりのお寺である。茅葺の山門をくぐり、そう広くはない境内、静かさがしみ込んでいる。

 

 楓の木々が、色好き始めたころ、久しぶりに行った。エッセイスト江國滋さんが人物紹介の「人間山脈」で、女優若尾文子さんを法然院で取材した文章がある。「けむるような紅葉に、女優の白いコートと白い頬がほんのり染まるようであった。法然院の秋は深く、人影はない。苔むした石段に立ちどまって<東京のもみじより紅いわね>……」と書き出している。

 

 人物を書く巧さに折り紙がつく江國さんだが、法然院の静かさと紅葉が女優若尾文子を浮き立たす。今月号の月間京都でも画家岩田重義さんが最終頁で法然院山門をスケッチしている。紅葉シーズン、週刊誌もカラー写真でよく取り上げる。閉門が近くなった夕方、観光客は外国の方も増えたが、目だって多くない。境内の散策は一人か、二人がよく似合う。お墓には谷崎潤一郎、福田平八郎…ら。拝観代は不要である。静かさ意識して写真を撮った。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月17日 (土)

~喜びの酒…松竹梅~

Img_1549

Img_1564

Img_1550

Img_1544

Img_1553

Img_1546

Img_1552

Img_1548

いやあ、懐かしい。♪~飲むこと即ち喜びさ…喜びのサ~ケ、松竹梅~♪。このポスター見ると、このCMソング思い出す。裕ちゃんと宇野重吉さん。和服姿、下駄履きの二人が庭石に座り、裕ちゃんがおちょこでグイッ…。~この酒、たまらん~、大スターの名演技である。

 

 京都の哲学の道から銀閣寺参道へ出て、橋本関雪記念館「白沙村荘」へ行った。東門の紅葉、芙蓉池の枯れ蓮を見て、大画室・在古楼で、このポスターに出会った。玄関右の軒下、額入りで立てかけてある。CMポスターの写真撮影、ここの庭だったのだ。宇野重吉さん、大きな庭石の上、胡坐かいている。真ん中にお盆と徳利。夏盛りか、百日紅の赤い花が写っている。

 

 広い庭は、詩書、古漢籍に通じた日本画家・橋本関雪が持仏堂、大画室なども建て、30年かけて造営した。広さ1万㎡。関雪が「画を描くことも、庭を造ることも一如不二」と、直接?言った理想郷の庭である。鬼籍入りして、もう随分になる裕ちゃん、歌手で俳優・寺尾聡の父、重吉さん、20年以上前、撮影でこの庭へ来ていた。男とは?子どもとは?女とは?酒とは?と禅問答の末、酒は喜びよ~と締めるTVCMも思いだす。喜びに酒、避けられない。

 

 CMは宝酒造(京都市内本社)制作。喜びの酒CMは渡哲也が引き継ぐ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月16日 (金)

山県有朋の別荘「無鄰菴」

Img_1467_2

Img_1463_2

Img_1464_2

Img_1466_2

Img_1471_2

Img_1476

Img_1481

Img_1468

Img_1483

庭の向こう、塀越しに東山三十六峰の一つが見える。角度から比叡山の隣あたりの山だろうか。庭を縫う小さな川は、琵琶湖疎水の取入れ。芝生に替わる苔は、いま50種という。母屋から眺める四季折々の景観、川音を聞き、庭石をたどる散策…、さすが名勝庭園と感じさす。

 

 明治の元勲、山県有朋が自ら考え、庭師・七代目小川治兵衛とともに作った別荘「無鄰菴」である。地下鉄東西線の蹴上駅を降り、南禅寺から動物園方向へ行って、料亭「瓢亭」の隣、表に名勝の石碑が立つ。「無鄰菴」は、隣近所に庵がない~の意味。山県は最初、故郷・長州につくり、次に鴨川そばの京都・木屋町二条に移し、ここが3代目の「無鄰菴」という。

 

 今は京都市が管理している。元老・山県、政友会総裁・伊藤博文、首相・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎がロシアとの開戦を協議した洋館がある。母屋、庭、藪之内流の茶室は通年公開だが、歴史に「無鄰菴会議」と言われる洋館はふだん非公開、この秋、特別公開になって、初めて入った。洋館2階、狩野派絵師の障壁画、格天井、テーブル、椅子…、写真撮影禁止だけど、114年前そのままである。非公開の公開で、日露戦争始まりへの歴史を見た。

 

 <追記> 山県有朋は柿が好きで無鄰菴の庭奥に1本、植わっていて、母屋の床の間には、成った柿が稲穂とともに飾ってあった。 ※ 無鄰菴は明治29年造営、昭和16年京都市譲渡、昭和26年国の名勝指定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月15日 (木)

近江商人発祥、五個荘を歩く

 

Img_1370

Img_1367

Img_1365

Img_1373

Img_1379

Img_1413

Img_1406

Img_1412

Img_1405

Img_1397

Img_1403

Img_1409

Img_1417

Img_1430

山の中、大黒さんのニコやかなお顔。お薬師さんは微笑。神社参道の灯篭は絵画の遠近法みたいに本殿へ向かって並ぶ。大きな石灯篭は積み重ねの妙がある。苔むした道と階段、鴨と鯉が泳ぐ清水…。歩いて撮った写真の一枚一枚、あの時の光景がパソコンで甦ってくる。

 

 東近江市五個荘、近江商人発祥の町である。季刊誌「湖国と文化」の連載<ぶらり近江はっけん伝>取材。西国32番札所、観音正寺がある繖(きぬがさ)山の山腹に「紅葉公園」。地元の近江商人が100年前、私財を投じて、自然を生かしてつくったという。町の中心、金堂から外れた川並にある。観光マップ見ながら歩いて、道筋での近江はっけん伝だった。

 

本堂前の松が見事な福応寺。伝言板はチョーク絵の象と鼠を測りにかけて「命の重さは変わらない」。観音正寺へ登山道わきの結神社は静寂。人は見ない。紅葉公園へ10分。イノシシ出没の看板、鳴り物携帯と~。小銭チャランで代用して、展望台。湖東平野と鈴鹿山脈、真下は新幹線。紅葉は早く、色づいた部分を撮る。降りて、麓の清い水を見て、石塚の中山道と国道8号が交わる地点に天秤棒の近江商人像あり…。あの日が写真とともに~である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月14日 (水)

龍馬写真の撮影現場は長崎

Img_0851

Img_0852

Img_1026

Img_1024

Img_1025

Img_1027

Img_1043

Img_1042

Img_1041

坂本龍馬の写真と言えば、右手を懐にブーツを履いて、羽織袴で、視線はるか、遠くへ~だろうか。撮影は文久2年(1866)頃、長崎の上野撮影局、今でいうスタジオ。 龍馬32歳、京都近江屋で暗殺される1年前という。この龍馬写真、もう何度も何度も目にしている。

 

 写真を名刺代わりに~という龍馬、残っている写真は6枚という。懐手の写真は龍馬空港の高知・桂浜の銅像もこれをイメージしている。今や回転寿司「かっぱ」の京都・近江屋跡にも石碑とともに~この写真がある。長崎3泊4日、初日の大村へ行って、懇親会場「お料理茶寮・きぶん」の大広間にも飾ってあった。縦長の額入り写真、龍馬の詠んだ歌が添えてある。

 

 「人の世に道は一つではない。道は百も千も万もある」。薩長同盟立役者の肩書付き。長崎滞在3日目、市電新大工町降り、龍馬の「亀山社中」跡へ。道筋の川の傍に龍馬写真の撮影現場・上野撮影局跡があった。当時のカメラ、龍馬写真にある肘掛台…、龍馬再現写真どうぞ~と。夫婦連れ、奥さんが龍馬スタイルの御主人写真撮り。龍馬写真から152年、新龍馬誕生?。亀山社中記念館、龍馬の羽織、ブーツ再現…、長崎は龍馬再びの日々でもあった。

 

 上野撮影局は上野彦馬がオランダ人らに写真技術を習い、長崎市浜町で1862年に開業、高杉晋作、オランダ人グラバーなど写真撮り。龍馬の写真はこの撮影局で、上野の弟子、土佐藩の井上俊三が撮影したらしい。上野彦馬は西南戦争の報道写真も。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月13日 (火)

獅子吠え、子女舞い、ペーロン覇者、眼鏡橋、龍馬

Img_0988

Img_0991

Img_1006

Img_1013

Img_1022

Img_1061

ウオッツ、ウオッツ~何度、吠えるのか?今年1月、新築開庁した長崎県庁前にある「獅子吠えの像」。牙をむいて、大きく口を開いて、百獣の王らしい彫刻である。長崎県出身、日本の彫刻の父、北村西望さんが百歳慶賀で寄贈という。吠えた回数は獅子、16回かな~。

 

 北村さん、明治17年生まれ、102歳まで生きた。長崎原爆の爆心地、高さ9㍍もの平和祈念の像は北村さんが制作した。文化勲章を受賞、長崎県名誉県民。長崎へ行って2日目、ホテル朝食前に長崎港を見にでかけ、港に県庁と獅子像だった。眼鏡橋近くの長崎市民会館前にも北村さん制作の像。歌あり、踊りあり、文化の複合施設、子女の舞姿の像という。

 

 旅すると、その町その町のメモリアル像に出会う。長崎駅前、市電乗り場への高架橋階段に「ペーロン覇者の像」。毎夏、長崎のペーロン競争思い出す。櫂を持つも舌はペロンと出ず?。眼鏡橋では、橋を完成させた中国江西省の黙子如定(もくしじょてい)の顕彰像。もう360年、黙して語らず?。亀山社中近く標高150㍍の風頭山で海を眺める龍馬像。「龍馬が行く」で、司馬遼は~長崎はわしの希望じゃ、やがて日本回天の足場になる~と語らせている。

 

 「ペーロン覇者の像」は田中久勝さん制作。眼鏡橋は黙子如定が寛永11年に完成させた。龍馬像は山崎和国さん制作。平成元年、龍馬像を建てる会が全国の有志に募金を呼び掛けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月12日 (月)

海の国立公園、九十九島を見た

Img_1222

Img_1215

Img_1214

Img_1223

Img_1224

Img_1213

Img_1226

 島また島…、遠くも近くも島また島…、大きくも小さくも島また島。ここは海の国立公園、長崎佐世保の九十九島である。あのトム・クルーズの米映画「ラストサムライ」冒頭シーン、ロケ地にもっとなった。誕生日が9月9日、縁を感じ、長崎へ来たからには~と見に行った。

 

 佐世保駅前の市営バス、一日乗車券500円で、九十九島動植物園前で降りて、石岳展望台まで歩いた。九十九島を見る八景の一つだけど、石岳は「ラストサムライ」撮影の絶景ポイント。トム・クルーズまた来る?しまった、しまった…島倉千代子?~と洒落て歩いて20分。見える、見える…島が見える。展望台360度、島また島を数えて、99以上ある。

 

 九十九は「たくさん」の意味、正式には佐世保港から北へ25㌔、平戸瀬戸まで連なる島々は208ある。島の密度では日本一という。マナヅル、ナベズルの北帰行も見える。♪~窓は夜露に濡れて~♪…小林旭も見たかな。秋晴れ、空の青と海の青が一つになって、島と島の間、クルーズ船が行く。また、トム・クルーズ。後ろの山は先が尖がった烏帽子岳…いい眺め。この春、九十九島は世界で美しい湾クラブ加盟、いや、素晴らしい。ワンダー!?。

 

 「世界で美しい湾クラブ」はフランスに本部があるNGO法人、世界26か国43の湾が加盟。日本では松島湾(宮城)富山湾(富山)駿河湾(静岡)伊根湾(京都・宮津)は既に入っている。 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月11日 (日)

食は旅の思い出

Img_1159

Img_1144

Img_1153

Img_1142

Img_1081

Img_1080

Img_1082

旅へ出ての食、3泊4日の長崎ではどうだったろう。朝昼晩、食前のデジカメ撮り、パソコンに取り込んだ写真で振り返ってみた。鯖の刺身、長崎うどん、鰯のハンバーガー、有頭海老の香草パン粉炒め、カレーライス…、長崎の食が甦る。以下は思い出のワン、ツー。

 

佐世保の夜は3日目、駅前のホテルを出た繁華街4ケ町。五島列島漁港直送の「さかな道場」。ここやここ!と入って、漁師小屋ふうのお店。お通しはコチの刺身。こちらへ来たら~なのかコチ。新鮮で◎。注文、そらあ、五島列島の鯖や。鯖の刺身、そうはない。寿司もある。穴子の一本揚げもある。座敷の広いテーブルにひとり、うまかったあ、良かったあ~。

 

帰りに五島列島の鯖?と確認したら~いいえ、五島近くの相浦漁港の養殖です~と。正直でいい。これも、思い出かな。長崎の昼、市内一の繁華街・浜町で路地奥の「すぎの」さん。~バランスのよい日替わり定食~の看板で入ったら~。鯖の天ぷら、キビナゴ南蛮漬け、ほうれん草胡麻和え、野菜サラダ、茎の吸い物、ご飯…、これぞ食のバランス、これで600円。店内狭くても家族的…。思案橋ラーメン休みのおかげ。行けるものならまた~である。旅の思い出は食にあり。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月10日 (土)

佐世保港で朝焼けを見た

Img_1169

Img_1175

Img_1178

Img_1180

Img_1181

Img_1184

Img_1189

何処から朝日は昇るのだろう。造船の街、軍港の街、ハンバーガーの街、潜伏キリシタン・世界遺産認定で観光の街…、長崎・佐世保へ初めて泊まって、その朝である。東経129度、北緯33度、海抜3・98㍍…、列島最西端駅の佐世保駅構内を通り抜けて、港へ出た。

 

 午前6時なのにまだ暗い。駅の北口入るおり、夜明け前の空に三日月が出ている。駅名と三日月、コラボ撮り。駅構内から港へ、信号のある道路を渡って1分。駅と港が隣りあっている。スタバの入る観光ビル、汽船乗り場、待合室…よく整備されている。船が入って来て、制服の高校生が降りて来た。平戸・津吉、相浦、五島、世界遺産の黒島など…航路がある。

 

 長崎へ来て、大村で1泊、長崎で1泊、佐世保で1泊である。大村で全国の仲間集う懇親会あり、元長崎新聞の知人から長崎は今、軍艦島と潜伏キリシタンの世界遺産2件認定で、ホテル一杯と聞いていた。佐世保は一人旅、直前のホテル予約は満室多く、やっと一室だった。港が明るくなってきた。朝日は見えないが、空が虹色に染まり出した。静かな港の海に赤い光が溶け込むよう。いい色、目に染みる。佐世保港、一期一会の朝焼け、早起きで見た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 9日 (金)

長崎からシーサイドライナーで佐世保に着いた~

Img_1099

Img_1167

Img_1112

Img_1121

Img_1111

Img_1117

Img_1128

Img_1136

Img_1140

Img_1199

Img_1201

♪~長崎から船に乗って…~♪でなくて、JRのシーサイドライナーに乗って、佐世保に着いた。ワンマン電車、止まって、止まって、2時間かかって、行った。駅で海側を確認して、左側座席に座った。どんな駅が?、海はどこから?…長崎駅午後4時始発、出発進行!。

 

ガタン、バタン…、2両編成だったかな。最初の駅は浦上、天主堂…、まだ長崎市内。朝から歩き回って2万歩、眠気が来る。うつら、うつら…で、次の駅は現川、うつつかわ。海はまだ見えない。刈り入れの田、山並み…、シーサイドはノーサイド?諫早、湾を開ける、開けない…まだ続く。大村、ボートレース発祥66年目、ナイター開設、売り上げ好調。

 

もう1時間は乗っている。諏訪、竹松、松原、千綿…、あっ!見えた、海や。世界が見える!それ、竜馬や。彼杵…どう読む。難しい。そのぎ…その気?で覚えんと。夕暮れが近い。JR再雇用の駅員さんがいる。海に夕陽が出たあ。眩しい!どこの海、それやあ、彼岸の西海。ハウステンボス駅…出来た頃、行ったなあ。大塔、日宇…終点・佐世保。日本最西端駅、ほでなく「ぼ」の、させぼ。佐世保バーガー、九十九島…、看板の出迎え。長崎から着いた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 8日 (木)

世界とつながった出島復元

Img_0874

Img_0881

Img_0907

Img_0901

Img_0949

Img_0918

Img_0915

Img_0934

Img_0896

Img_0967

Img_0971

江戸時代の長崎・出島の復元が進んでいる。鎖国日本、280年にわたり、世界と繋がった扇形、1500㎡の人口島である。長崎港へ流れる中島川にかかる表門が出来た。オランダ商館長・カピタンの部屋、料理部屋、砂糖倉庫も出来た。入園料510円、出島を学んだ。

 

 出島の歴史は寛永13年(1636)年に遡る。キリスト禁令で幕府が布教のポルトガル人を閉じ込めたのが始まり。その後、無人になったが、5年後に平戸のオランダ商館がここに移って来た。オランダが日本の大家さんに払う家賃は1年間で銅55貫、今のお金で1億円だったという。近くの丸山遊郭からは遊女も来た。8日間サイクルで滞在していたという。

 

ピーク時は48の部屋、復元は平成12年に始まって、3分の2は完成している。親元は文科省、県と市が管理。全体模型見て、復元のあの部屋、この部屋と見た。何しろ280年、建て物の塀も白壁、板、レンガと時代変遷、へえ~と思う。麻袋の砂糖はジャワ島から輸入の主力。砂糖はカステラに、遊女土産に…人気だったと。杉田玄白ら翻訳の蘭学事始め、シーボルトの植物採取標本と日本人妻の部屋…、窓口勉強、見学1時間、2時間…いつ出島?。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 7日 (水)

眼鏡橋と思案橋

Img_1017

Img_1011

Img_1015

Img_1008

Img_1076

Img_1074

Img_1075

Img_1077

Img_1079

長崎へ来て、橋と言えば眼鏡橋、歌で付け加えて、思案橋のブルースである。どこにあるかな?と、JR長崎駅前の観光案内所へ行った。据え置きの見開きワイド版の長崎MAP、ともに市電の停留所がある。案内所に電車一日乗車券。500円で買って、乗って、行った。

 

一日乗車券は三つ折り、観光案内地図も載っている。長崎市内なら電車の乗り降り、一人で何処でも行けそう。駅から二つ目、市民会館前で降りた。ドコモのスマホ教室で習ったGPSマップで歩いて、眼鏡橋である。修学旅行生、外国の観光客…多い。半円の輪二つ、アーチ型石橋が川面に映り、眼鏡の如く~である。橋の端々、眼鏡にかなうか、写真を撮った。

 

晴れていても長崎は雨だった、京都から来ても長崎の人…、長崎を綴る曲目は、1700曲あるとか。その一つ思案橋ブルース。電停降りて、橋はどこと思案して、探してみたら、もう暗渠、銅板の碑に「思案橋跡」。歓楽街、飲食店が多い。電車道の向こう、思案橋ラーメンの看板。長崎の思い出にラーメン、いいね、いいね~と渡れば、本日おやすみ。ウインドウメニュー覗くと、古くて皿うどん、ばくだんラーメン…、長崎はちゃんぽん?だった。

 

 眼鏡橋は中国江西省の僧、黙子如定が江戸時代に長崎へ来てつくる。橋の傍に像がある。川は長崎港へ流れる中島川、明治になって正式に眼鏡橋と命名。 ※ 思案橋は1948年に暗渠になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 6日 (火)

長崎の龍馬像と亀山社中跡とぶーつ像

Img_1035

Img_1033

Img_1049

Img_1036

Img_1040

Img_1045

Img_1059

Img_1062

Img_1066

Img_1064

よう歩いた、いや、よう上がった。一段また一段、ヒィ、フ~、ミィ…ハア~と上った。よか眺め一目千両、坂の街・長崎ではあるが、きつかぞもし。日本洗濯したく~の坂本竜馬の亀山社中跡と、海を眺める龍馬像を見たく、坂の龍馬通りをハア、ハア、ハア~と行った。

 

電車一日乗車券、長崎駅前から乗って、新大工町で降りた。亀山社中への案内看板、こちら、こちら~と出ている。近いかな~と思ったが、遠かった。川を渡り、山ぎわ、京都の伏見稲荷みたいな朱の鳥居が続く。一段また一段、まだかなもし~で、御影の休石がある。また上がって、両腕を組む龍馬の板絵案内、~人生は一歩一歩の積み重ねぞもし~と出ている。

 

どれくらい登ったかもし…、山にはりつく家並み、世界へ開く海が見えて、龍馬が日本で初めて履いたぶ~つ像へ。船のハンドルと大きなブーツ。いい眺め、ぶ~つ、ぶ~つ言えない。近くに龍馬の仲間たちの結社・亀山社中跡はあった。亀山焼の屋敷を借り、その名をつけたという。武器調達など薩摩と長州を結びつけた部屋を歩いた。部屋出て、またハア、ハア~登り、風頭山へ。標高150㍍、長崎の海から世界見る龍馬像、よかばい、よかばい~。


 ※ 坂本竜馬像は1989年、有志の基金で。制作は山崎和園さん。ぶ~つ像は亀山社中創設130周年記念。亀山社中跡は記念館になり、同志の陸奥宗光らの名簿額他、関連資料が展示されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 5日 (月)

タコ飯とたこ焼きの運命的出会い

Img_0797

Img_0795

Img_0793

Img_0799

Img_0800

Img_0801

Img_0806

えっ!タコ飯とたこ焼きが運命的に出会ったって!~。それで、どうなったって?ハイ!大阪名物の「元祖たこむす」になって、今も人気があるそうな。へえっ!凄い出会いやったんや。タコ足は8本、タコ飯とたこ焼きを合わすと16本、これがホンマの多幸だって?。

 

 ピーチ航空で関西空港から長崎へ搭乗前である。手続きすんで、正午過ぎの便、まだ随分時間がある。フロア内売店見て回って、昭和54年創業、柿の葉寿司の柿千さんで、「たこむす」との出会いだった。お隣は泉州の水なす漬け、ともに大阪名物。昼食どきも近い。飛行機は3年ぶり。そうはない出会い、運命的?キャッチにも惹かれ、たこむすを購入した。

 

 搭乗待ち、広いフロアで、箱を開いた。海苔巻きのタコ結び上にたこ焼きが顔を出している。男前?いや、たこ前?。開いた箱の内側に「多幸結」の文字、タコイラスト、説明の書き込み。読むと、これが面白い。笑いから始まり、最後は~大阪名物数々あれど、これがむすびの一番~。大相撲にかけて洒落ている。まず一つ、タコとたこの運命的出会いは如何なる味か?タコまたタコ、たこが多い。5つで702円、たこうない。多幸…、いい出会い。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 4日 (日)

はっとして、はとやの鯖煮

Img_0499

Img_0494

Img_0497

Img_0495

Img_0498

はっとして、店の看板見ると、はとや。いや、はっとせんでも、はとや。ときは午後2時半、隣は蕎麦のときわ。ときわで蕎麦か、はっとしたはとやか。昼食タイムはずいぶん、すぎている。さて、どちらにするか~。やはり「名物・鯖煮」の貼り紙にはっとしたはとやに。

 

 引き戸開けた店内はガラン。時代祭り見物、正午から2時間みて、この時間である。そら、客はいない。空腹か、好物か、勇まなくてもよいのに「鯖煮ください」。~それ、おかずですので、まず定食の汁物を選んで、ガラスケースからおかず2点取り出して下さい~と若い女将さん。定食メニュー、色々ある。味噌汁、豚汁、玉吸、粕汁…、きつねうどん定食も…。

 

 壁に貼り紙、はっとるなあ、さすが、はとや。その洒落、もう、ええちゅうのに。じゃあ、豚汁~と頼んでガラスケース、まず鯖煮、それと、ほうれん草おひたし。~あっためますか~と女将さん。加えて、京都弁で~時代祭り行ってきはりましたんか~と、急な問いかけにまた、はっとする。頭の中、あのCMが…。~伊東に行くならハトや~。そやそや、ここは京都の東山丸太町西南、熊野神社の向かい側である。~定食なら、はっとして、はとや~。

 

| | コメント (0)

2018年11月 3日 (土)

京のかたな展の刀剣女性

Img_0567

Img_0601

Img_0598

Img_0584

Img_0585

Img_0604

Img_0605

ウワサの刀剣女子、かくもとは~、いやはや、熱し方のほどに恐れ入る。京博初の刀剣特別展「京(みやこ)のかたな」へ、平日に行って、どこから来るのか、こんなにも刀剣女子である。まっこと驚いた。どうだろうか、8割以上は若い女の子。なかなかの、かたな展である。

 

 なぜに~そんなに刀に魅せられるのか。京博の学芸員らが出演していたNHKの日曜美術館で、刀剣の見方を知った。刀の反り、刀の刃文、地金の3点に加え、刀の銘について。歴史上、誰がどう所持して、どんなエピソードがあったのか。知人提供の招待券あり、ちょっと知識を得たと思い、ぶら歩きの流れで平日の午後に行ったら、この刀剣女子の皆さんである。

 

 「会場は混雑しております」のアナウンス。刀剣女子で混雑とまでの注釈はなかったが、音声ガイドから列また列。第1章、かたなの誕生(平安時代後期)の3階へ上がって、また驚いた。中央のガラスケースに国宝の太刀、銘三条「名物三日月宗近」の展示。目の前で見るには30分待ちという。刀身に浮かぶ三日月形の波文を直接、覗き込む鑑賞の長い列、さすがに刀剣女子。頭越し、女性列の後ろから、眺め歩いて、太刀また太刀の鑑賞にたじたじ??。

 

 京のかたな展は11月25日まで開催。国宝刀剣19点など展示。 ※ 番外で刀剣乱舞のオンライン展も。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 2日 (金)

日本最古、現役の蛇腹エレベーター

Img_0534

Img_0530

Img_0533

Img_0552

Img_0553

Img_0557

Img_0539

開いて、閉じて、アコーディオンみたいなエレベーター、ご存知かなあ。東京日本橋、高島屋にもあったけど、今はどうかな。これって、自動でなく、手動だし、手間がかかるけど、京都の中華料理店「東華菜館」では、まだ現役で動いて、日本最古って、誇っている。

 

年2回、「東華菜館」が主催の春秋会があって、第121回に行って、この蛇腹EVをじっくり観察してみた。耐震完成、装い新たな南座が東、鴨川の四条大橋を渡ってすぐ。建物は数々の名建築を今に残したウイリアム・メレル。ヴォーリズ設計だけど、EVは米国のオーチス製、1924年製造というから、もう94年も前である。入って、すぐ右にある。

 

下向き半円のフロアインジケーターがある。これ、珍しいそうな。行き先は5階建ての4階大広間、参加は131人。EVは13人乗り900㌔まで。運転手、古参の女性いたけど、この日は社長の弟さん直々。故障は?と聞くと、2週間に1回メンテで大丈夫と。見学だけはお断りで、HPにも紹介されている。操作盤はL字方向、二面開き扉…、洗練された設計という。鯉の姿甘煮、水餃子が出た宴会は2時間。閉じて、開いて蛇腹EV、じゃあ~またね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 1日 (木)

ノーベル化学賞の福井謙一さん生誕100年展

Img_0343

Img_0339

Img_0352

Img_0363

Img_0365

Img_0361

Img_0357

Img_0359

Img_0358

あの湯川秀樹さん以来、ノーベル賞受賞が伝統になった京都大学の総合博物館で、故福井謙一さんの生誕100年展を開催している。ノーベル化学賞受賞の福井謙一さんを育んだ教室が浮かび上がっている。~応用をやるには、基礎をやれ~の言葉がノーベル賞になった。

 

京大総合博物館へ、愛媛が誇る世界の石「輝安鉱」を見に行って、この企画展だった。入り口、本庶佑さんが京大でまたしてもノーベル賞に輝いた新聞の号外が掲示してあり、タイミングよく先輩、福井さんの生誕100年展である。世界最大の「輝安鉱」を見て、2階の福井さん展示。どこからどう見るか、講演映像、化学式模型、パネル、書籍…一杯ある。

 

大正7年、奈良県生まれの福井さん、メモまたメモのメモ魔だったという。散歩、新幹線、外国の町、枕元…いつもメモ用紙あり、思いつく着想はすぐメモに。中学、高校の愛読書はファーブルの昆虫記、夏目漱石の短編・夢一夜。研究は数式書いて、解いて、また数式…研究室でも自宅でも、紙と鉛筆あればよく、福井ノーベル賞は、先輩、喜多教授の~応用やるには基礎をやれ~の教えと、メモと紙と鉛筆だったという。基礎の積み重ね、おおようやったあ!。

 

 展示会は12月9日まで。京大総合博物館は市バス百万遍から南へ2分。大人入場料は400円。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »