雨森芳洲と朝鮮通信使
「学は人となることを学ぶなり」。かみ砕くと、「学問の目的は字句の解釈にあるのでなく、人格の修養にある」。もっと、砕くと、「勉強を通じて、自分を磨く」かな。これ、江戸の儒学者、雨森芳洲の言葉である。講演を聴き、展覧会を鑑賞し、図書館で本を開いて、学んだ。
始まりは成安造形大の近江学フォーラム。昨年、ユネスコ世界の記憶遺産に登録された朝鮮通信使の特別講座で、近江学の父と言われる、同大学名誉教授・木村至宏氏が講演した。テーマは「朝鮮通信使と雨森芳洲」。芳洲は湖北の高月町雨森村で医師の子として生まれ、対馬で没した88歳まで、京都、江戸で朱子学、長崎で中国語、釜山で朝鮮語を習得した。
木村講師はA4ペーパー2枚、雨森芳洲の生涯とソウルから江戸2千㌔の朝鮮通信使の挑戦?を書いて、話した。その紹介の一つ、雨森語録の「学は人となることを学ぶなり」。対馬藩で儒学者として、人として、朝鮮通信使の窓口となり、誠心の交わりの役割を演じた~と。翌日は講演案内の京都市北区の高麗美術館で、京近江の通信史展。2日後は岡崎の京都府立図書館で雨森芳洲本閲覧…。記憶遺産、××胃散でどうカタル?学びはまだまだかな?。
※ 朝鮮通信史、江戸時代に朝鮮国王から徳川将軍へ書簡の交換など計12回に及ぶ。通信使節団が医師、絵師、学者など500人にも及ぶ。 ※ 来年開館30周年の高麗美術館の「京・近江の挑戦通信使展」は8月21日まで。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント