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2017年11月

2017年11月30日 (木)

晩秋の湖北…余呉の徳山鮨へ

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初めての道、トコトコと歩いた。長浜市木之本から福井県越前市へ通じる湖北の国道365線である。車は通っても、人は通らない。北陸線余呉駅へ、ゴム革靴で、クツクツ…。柿がたわわ、遠い山が白い、川は流れのままに…、トコトコ?って、ここは晩秋の湖北!。

 

 軍師官兵衛の始祖の黒田村を超えて…ひとりウオークが続いた。余呉駅待ち合わせ、夕方の「徳山鮓」までである。葉が落ち、柿しかない木…、民家はない。熟した柿、だれが面倒みんか?。北陸自動車道とJR北陸線…並んで走っている。紅葉、どこの神社?道路わきの看板案内で、坂口の黒田観音寺…、あじさいともみじの達磨寺は全長寺、この先4㌔は長い。

 

 踏切渡って余呉が近い。ススキの穂、線路に揺れる。賤ヶ岳登り口、余呉湖が見えた。一周7㌔、伝説の衣掛の柳、ワカサギ釣り…。湖畔、水鳥が飛び立った。静か、別名で鏡湖…、ぐるり歩きたいけど、タイムアウト。白い暖簾は「徳山鮨」。醗酵博士の小泉武夫さんの勧めで、徳山夫妻創業13年。余呉湖のスッポン、鰻、鯉、近隣山中の熊、鹿、猪、山菜…、自然のままの食材、徳山さんの料理の腕…、臭くないベアーズ鍋、鮒ずし…湖北で幸福!。

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2017年11月29日 (水)

ぜんぶ国宝、夢の8週間!

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あれも、これも…ぜんぶ「国宝」と言われば~である。それに、100年ぶり、41年ぶり、23年ぶり…、京博開催の特別展「国宝」である。開館120周年記念~夢の8週間~という。入場者は30万人、40万人、50万人と増え続け、最終週に夜間鑑賞で入った。

 

 京博前、町ぶらで3日に一度は歩いている。通るたび、会期中、会館の前は人が溢れ、駐車場は満車だった。展示は210点すべて国宝、純度100%という。一番新しい国宝、一番小さい国宝、一番古い国宝…、人引き寄せのキャッチがうまい。考古―地中から語りかける日本の始まり、漆工―頼朝・政子は夫婦の絆…、これでもか、これでもか~のキャッチ!。

 

 金曜、土曜は午後8時まで、夕方なら~と行って、館内一杯も待ち時間なし。地元効果、偵察効果である。鑑賞の狙いは大正の初めまで西本願寺所蔵だった尾形光琳の燕子花図、100年ぶり、初の京都里帰り。最終週だけの展示、2階で見た。燕子花の色づかい、巧みな構成…。さすが光琳の代表作、光琳、降臨!。神護寺の頼朝ら三像は23年ぶり勢ぞろい、絵が生きている。入場は京博最高62万4500人、ぜんぶ国宝、いかにもいかにも!。

 

 ※ 展覧会は11月26日終了。撫子図屏風は現在、根津美術館所蔵。一番小さな国宝は福岡市博物館所蔵の金印。 ※ 京博入場、これまでの最高は1973年の中華人民共和国出土文物展の37万2500人。

 

 

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2017年11月28日 (火)

黒田官兵衛の始祖は、湖北の黒田村

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そうか、聞いてはいたが、ここだったのか。JR北陸線木之本駅から北國街道を経て余呉へ歩いて、歩いて…、軍師・黒田官兵衛のご先祖の村へ来た。旧で近江伊香郡黒田村。4年前のNHK大河「軍師・官兵衛」で、急にクローズアップ現代?になった奥びわ湖の村である。

 

 知人待ち合わせ、余呉「徳山鮓」へ。木之本駅のふれあいステーションで、歩くと3、40分と聞き、2個290円の戦国焼きおにぎり買い、地図に余呉、ようござんすか?とペンで印までつけてもらった。北國街道の道、どこでどうを外れたのか、「ここは黒田家始祖御廟所」の村へ。御廟所碑、集会所、黒田家の始祖の展示…、ベンチがあり、一服した。

 

 戦国武将の山内一豊の妻・千代が蓄え十両で、夫に名馬を買った馬宿は北國街道沿い。司馬遼「功名が辻」から「軍師・官兵衛」へ。昼、ベンチで戦国焼きおにぎりの包みを開いた。大河記念「黒田官兵衛博」のおり、賤ヶ岳七本鎗の秀吉軍団のパワーの源は、この味噌握りと、主婦の知恵でお土産に…梅入り、うめえ~。資料展示は宗清氏に始まる系譜、現在の第16代黒田長高氏写真…、道の間違いは歴史発見、怪我の功名が辻?。これも、うめえ!。

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2017年11月27日 (月)

~名にし負はば 逢坂山のさねかずら…~

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これ、これ!これがそうなんや!。~名にし負はば 逢坂山のさねかずら 人にしられで

くるよしもがな~の「さねかずら」。粒々の赤い塊り、艶々している。細い枝にぶら下がり、青い葉の間から顔を出している。百人一首の、逢坂山の「さねかずら」さん、こんにちは!。

 

 京都府立植物園、各入り口に週刊見ごろ情報を置いている。園内地図の中、いま咲いている旬の花を書き込む。晩秋入り、紅葉を見に行った11月第3週、四季彩の丘にさねかずらの果実~と出ていた。百人一首の歌は知っていても~である。北山から西へ園北側の四季彩の丘へ行って、どこかな、どこかな~と地図で確認、ヘチマなどのツル棚の中だった。

 

 片仮名で「サネカズラ」の名札。学名「kadsura japonica」。マツブサ科、原産地は関東以南、台湾、朝鮮南部と表示。もっと詳しく~と、手持ちのスマホで検索すると、漢字で「実葛」と書き、属名のカズラ(Kadsura)は日本語で、つる植物を意味するカズラ()に由来するという。樹液は頭髪の養毛によく、別名でなんと「ビナンカズラ(美男葛)」と。昔は武士の鬢付け油にも。頭に手をやった。ツルツル…、遅かったかな。花言葉は「また逢いましょう」!。

 

 「名にし負はば~」は後撰和歌集、三条右大臣の藤原定方の作。

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2017年11月26日 (日)

天地明察、江戸の「天球儀」ここに~

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ケースの中の球体、茶色がかり、旧態依然としている。旧態の球体、なんとも古い。制作は江戸時代、寛文から延宝への1673年、今から344年前である。直径60㌢。和紙を張り子に天空に見立て、色分けの鋲で星座と星の位置を示している。江戸のスター誕生??。

 

 囲碁棋士で天文歴学者、渋川春海が作った「天球儀」である。本屋大賞に輝く沖方丁さんの歴史小説「天地明察」の主人公、映画にもなり、岡田准一が主演した。映画は見なかったが、本は読んだ。春海が天体の運行を見続け、独自の暦を作る物語。天球儀はその成果を示している。京都の大将軍八神社が宝物館(方徳殿)に保管、秋の文化財特別公開があり、見に行った。

 

 北野の天神さん、今出川の鳥居前から南西へ徒歩7分ほど、妖怪で売り出す商店街を抜け、西大路通りに出る手前、一条通りにある。京都御所の北西、方位を司る神様で、本殿前に星型の碑、宝物館に陰陽道の宇宙観を表現する天体曼荼羅80体の神像がある。春海の天球儀は2階。ケースの中に望遠鏡。学生のガイドさん説明、星を示すツブツブの鋲は1739個、星座は377…。ここが獅子座、こちらが魚座…、乙女座はキュウ?!そこは百恵ちゃ~ん。

 天球儀のアップ写真は朝日新聞特集面からコピー。 ※ 特別公開は11月12日で終了。

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2017年11月25日 (土)

北斎は晩年、何を追い求めたか。

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年齢を重ねて、北斎が追い求めたものは何か。還暦60歳から没90歳までの肉筆画など晩年作品200点、あべのハルカス美術館で見た。大英博物館との共同開催「北斎―富士を超えて」。晩年の北斎は「画狂老人卍」と名乗り、落款に「百」と印した。なぜなのだろう。

 

 主催の朝日新聞、開催期間中、よく記事にした。夕刊アート蘭、亡くなる年に描いた「雪中虎図」を取り上げた。雪の中の虎、命の限り、天に向かって駆けているよう~となどと紹介、見出しは「90歳 ただ高みをみつめて」。北斎は「百」の落款どおり、100歳まで生きて、絵の道を究め、神の領域へ~と記述しており、その思いを込めた虎~と筆者は書く。

 

展覧会はロンドンの大英15万人、あべの26万人の入場、北斎人気を示した。朝日記事、何度も見て、会期後半に行った。日曜2時間半待ちで断念、平日30分待ちで入った。最晩年の雪の虎、李白の滝、外国人に「The Great Wave」と名高い神奈川沖浪裏など、入場待ちのおり、会場前の絵をデジカメ撮り。場内の「画狂老人卍」の晩年作品はマンジマンジ見て、北斎の宇宙観を示すスーパーハイビジョンの「濤図」は、なみなみと見た。

 

 北斎展は11月19日で終了した。 ※ 葛飾北斎(1760-1849)江戸の浮世絵師。富嶽三十六景などは、ゴッホなど印象派に影響を与えた。

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2017年11月24日 (金)

愛媛名物、宇和島のじゃこ天

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そうそう、愛媛へ行って、書いておきたいことが、もう一つあった。愛媛名物のじゃこ天である。松山から八幡浜2泊3日、朝昼晩と出た。鹿児島のさつま揚げでない愛媛の、宇和島の、じゃこ天。元巨人の長島さん口癖ではないけど「まあ、一つの~」で記録しておこう。

 

 じゃこ天も、さつま揚げも魚のすり身揚げだけど、じゃこ天は、小魚の身と骨や皮ごとなので、カルシウム多い。見た目はブツブツ、ネズミ色、食感はジャリジャリ、キシキシしても、うま味はジワジワ…、食べ出すと、はまる。アツアツは何よりだし、醤油をちょっと垂らすと、癖になるほどいける。愛媛のどこで食べたか、これもまた~一つの~で紹介しよう。

 

 初日は道後温泉の会食会、地元幹事が言う。~皆さん揃うまで、じゃこ天で軽く~。おろし付き…ビールのあてにピタリ。2日目は北条の居酒屋おでん盛り。大根、玉子にじゃこ天。地方には地方のおでん、新聞も地方には地方の新聞、ここは愛媛新聞。3日目の朝はJR松山駅構内。じゃこ天の実演見学。じゃこ天うどんがうまい。昼は伊予灘海岸沿い道の駅「ふたみ」にじゃこ天店。揚げたて歩きつつアツアツ、ウマウマ…。これぞ、一つのじゃこ天!。

 

 じゃこ天の材料、エソ、トラハゼ、イシモチ、グチなどの小魚。さつま揚げはアジ、イワシなど頭を落として、身をすり、塩など調味料を加える。 ※ じゃこ天じゃ宇和島藩初代の伊達秀宗公、さつま揚げは開明派の名君・島津斉彬公の発案~と言われる。

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2017年11月23日 (木)

京都の町歩き紅葉撮り

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歩いて撮るか、撮って歩くか、気づいて撮るか~。晩秋入りの京都、いま町が赤い、黄色い。デジカメ持って、ぶらり、ぶらり。紅葉写真、パソコンに移し替え、う~ん、これがいいかな、いやいや、こっちかな~。気ままに歩いて、紅葉のデジカメ撮り、こうよ!?。

 

 季節の変わり目、よく行く府立植物園、まだ早いかな~と行ったら、どうして、どうして、赤い。デジカメ、いそいそ。急ぐことはないのに気持ちがいそいそ。ズーム一杯、真っ赤に撮った。どうや!。赤く染まった池、鴨が群れる。紅葉と池と鴨、ちょっと、いいショット?。園内にタンポポ一つ。春やない秋なのに綿帽子、冬空に飛ぶのか…。寒いよ、風邪ひくな!。

 

 京都御苑はイチョウの大木。落葉の始まり、見上げて、嗚呼、黄色い。イロハモミジ、赤ちゃんの手のごとく、夕日に眩い。サクラの枯れ葉、1枚、2枚、3枚のぶら下がり。冬へ一日一日。冬にも咲く子福サクラ、小さく満開。東山七条から東福寺歩き。特別展国宝の京博、紅葉見ごろの通天橋。どちらも人、人、人…。社寺と紅葉、南天と紅葉、プラタナスと秋晴れ…コラボ撮りもいいなあ。骨休め写真?いや箸休め、ススキの穂にほっとする?。

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2017年11月22日 (水)

夕日に立ち止まる町、伊予の双海

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夕暮れが迫ってきた。海は静か、凪いでいる。海に落ちる真っ赤な夕日、見えるかなあ。日本の夕陽百選の一つ、愛媛県伊予市双海町の道の駅「ふたみシーサイド公園」。伊予灘の海、島は少ない。海岸線は長い。♪~ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む~♪。夕日、どうかなあ。

 

 松山から八幡浜、行きと帰り、一日二度、ここへ来た。町のキャッチフレーズは「沈む夕日に立ち止まる町」。水平線に沈む夕日がどこからでも見えるという。観光カリスマ・若松進一さん。地元の漁師から役場の職員になり、夕日で町おこし企画を勧めた。道の駅、人口海浜、恋人岬、夕日観覧席、夕日ライブ、願い石…、夕日の美しい町「ふたみ」が世に出た。

 

 朝は九州へフェリーで戻る宮崎のHさん、松山のSさんとともに砂浜を恋人岬まで歩いた。赤とんぼイラストの碑、春分と秋分、真ん中の穴に夕日が入るそうな。道の駅、揚げたてじゃこ天、ホグホグ…うまかった。八幡浜市を巡り、下灘駅に寄り、再び来た。朝歩いた砂浜、もう一度…、平日の夕、人影はそうない。空が暮れなずんできた。薄い雲から光が射して、伊予灘を照らした。夕日の帯が海岸線へ…、ひとみ、ふたみ?…来た甲斐があった。

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2017年11月21日 (火)

「なかなか遺産」認定、海の見える下灘駅

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海岸線の向こうから待った電車が来た。銀色と水色のツートンカラー。写真撮りの鉄ちゃんらがカメラを構えた。JR予讃線、内子から松山へ、上り電車である。一両、一時間一本、単線。屋根一つのホーム、時間通りにガタン!と停まった。若者人気、海の見える下灘駅である。

 

 愛媛行2泊3日、松山在住のSさんも初めてという下灘駅、マイカーで行った。この予讃線、今は観光化して、別名で「愛ある伊予灘線」と言い、観光列車・伊予灘ものがたりも走る。下灘駅はその一つ。ホームの向こうは海が広がり、真下に海岸道路ができるまでは、日本で海に一番近い駅と言われた。青春18きっぷポスター、渥美清のとらさんもロケで来た。

 

 行った日の朝、下灘駅は民間団体の「なかなか遺産」に選ばれ、ホーム上で認証式、プレートの授与などがあったという。国内5番目。どこにもないユニークさ、地域との結びつき…などが選考対象とか。着いたのは夕方、上り電車来るまで20分、若者と一緒に待った。空き地にコスモス、移動売店は下灘珈琲…、ホームにJRラブラブべンチも。世界遺産、記憶遺産、日本遺産…新しく「なかなか遺産」、何を語る?のか、多すぎると、胃酸カタル!?。

 

 なかなか遺産は、東大・村松伸教授らが共同代表の「国際なかなか委員会」が選考。第1号は岩手県一関の旧達古袋の横に119㍍もある長い校舎。第2号は愛媛県内子町の映画館・森文旭館、第3号は広島県呉のYWCAの三角地の。第4号は静岡県袋井市の旧洋裁学校。第5号の下灘駅の認証式は2017年11月10日にあった。

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2017年11月20日 (月)

八幡浜の保内町は、演劇「日暮町風土記」の町

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愛媛の八幡浜にちょっと行きたい町があった。それ、どこよ?、なんよ(南予)。平成の合併で、八幡浜市入りした保内町。ほないに?行きたかった訳は、町並み保存の葛藤を描いた永井愛作「日暮町風土記」の舞台が保内町。劇団大阪の公演を鑑賞したので、行ってみたかった。

 

 なんよ?は九州の方言、それ、なんよ!のように言う。愛媛の南予は宇和島、八幡浜、大洲など南伊予地方。ほないに?は、どこの方言か、まあ、そないに~ほどの意味。ほないな訳(そんな訳)で、愛媛の知人マイカーに同乗、人口1万人余の南予・保内町へ。公演では江戸時代からの老舗の菓子店・大黒屋さん解体を巡って、町民の保存運動に愛ラブユーを絡ませて…だった。

 

保内町は愛媛県内で一番早く電気が灯り、かつて紡績、柑橘などで賑わった町。今も当時の町並みが残っているという。地元商工会で、まちなみMAPをもらい、歩いて回った。演劇の菓子屋はドラマ上だけだが、町には明治の建物がそのままに保存されていた。旧東洋紡の赤レンガ倉庫、紡績・鉱山で財を成した白石邸…、明治積みという赤レンガの小径、運河沿いを歩くと、ポコポコと音がする板敷の「もっきん(木琴)ろーど」…、今日は木曜?、金曜?。

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2017年11月19日 (日)

伊予の長浜に旅情あり

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行ってから調べるか、調べてから行くか~、知人マイカー案内もあって、行ってから調べた。愛媛県大洲市の伊予長浜。跳ね上がりの赤橋があって、龍馬脱藩の宿と港があって、一日2便の船に乗ると、人より猫の多い島へ行く。滋賀県湖北の長浜でない伊予長浜である。

 

松山から八幡浜へ行き、再び松山へ戻る道筋だった。行きに見た赤い橋、今度は車で渡り、車を停めた。「坂本龍馬、吉村寅太郎宿泊之地」の看板。今年は大政奉還150年、龍馬暗殺150年…、維新へ扉を開いた龍馬が土佐から峠を幾つも越え、ここまで来た。草鞋歩き龍馬脱藩の道ツアーが人気という。歴史の観光化、龍馬脱藩効果…いま、ここに~である。

 

長さ200㍍余の赤い橋は、長浜大橋。むかし、船を通すのにバネの如く開閉した。今は近代建築遺産の重文。観光向けに日曜に開閉、伍代夏子さんのメロディーが流れる。橋が架かる一級河川、肱川(ひじかわ)。初冬の頃、白い霧が竜のように沸き、町を包む。この自然現象「肱川あらし」という。発生初日あてクイズ、知人持参の愛媛新聞切り抜きで知った。駅員不在の伊予長浜駅、人口15人に猫100匹の青島…、伊予長浜に今どきの旅情がある。

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2017年11月18日 (土)

飛行原理を究めた二宮忠八の生誕地へ行く

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我らが、町の誇りは二宮忠八さん。ライト兄弟の12年前、世界に先駆け、動力飛行の実験に成功。吉村昭著の長編小説「虹の翼」に波乱の人生が描かれ、教科書にも載った。愛媛県八幡浜市生まれ。生誕地は市指定文化財、石碑が立つ。商店街には「忠八通り」の名が…。

 

国宝・石清水八幡宮がある京都の八幡市に飛行神社。そこは二宮忠八が人生71年の幕を閉じた自宅。航空事故の犠牲者を弔い、空の安全を願って建てた。八幡浜へ行くなら~と愛媛の知人紹介で、「虹の翼」を読み、京阪八幡市駅下車、飛行神社へも。社殿は鉄筋、鳥居はジュラルミン、お供えにゴルフボール、飛ぶように~の願い?、思いは一つ、空は一つ…。

 

八幡浜商店街に「青少年の科学の祭典、八幡浜大会」の横断幕。少年時代、変形凧を飛ばし、町の人を驚かせた忠八魂を思う。生家前の碑に~世界に先駆け飛行器を考案した人~の文字。近くの八幡神社には「幼い頃、遊び場境内」の碑。NTTの公衆電話は忠八BOX、その隣に~飛行の原理を究め、動力飛行に成功した飛行機の父、二宮忠八~の経歴と写真の案内板。八幡浜に生まれ、京都の八幡市に没し、名は忠八。八の重なり人生、パチパチパチ…。

 二宮忠八(1866-1936)明治24年、26歳で、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。ライト兄弟飛行より12年前。のち、英国王立航空協会が忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示「世界に先駆け、飛行機の原理を発見した人物」と紹介する。大阪の薬剤会社で功を成す。

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2017年11月17日 (金)

八幡浜ちゃんぽん、振興条例あり、憲章あり

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松山から八幡浜へ、食べログをプリントしたマップを持って、どこ、どこ~と歩いて、聞いて、ここ!、ここ!と見つけた。店前に赤いノボリ、「創業昭和23年」の白い暖簾がかかっている。八幡浜ちゃんぽん発祥の店「丸山」である。引き戸を開け、ちゃんぽん!と入った。

 

 いや、びっくりする。八幡浜市は商工課にちゃんぽん担当、議会でちゃんぽん振興条例を議決、ちゃんぽん憲章もある市を挙げて、地元のソウルフード・八幡浜ちゃんぽん普及に力を入れる。憲章では、変わった素材、高級な食材は使わない。飾り立てのない素朴で実直な味を目指すという。発祥の店のメニュー見て、特製650円のちゃんぽんを注文した。

 

 マイカー案内人Sさんと一緒に出汁からすすった。日本一の長崎ちゃんぽんは豚骨ベースだけど、ここは鶏がら、昆布、鰹の出汁、あっさりしている。特製は具が多いから特製。木耳、蒲鉾、海老、豚肉、葱、白菜、もやし…確かにグー。店により具が十の天狗メニューも。市内50店舗のちゃんぽんマップ、フリーペーパーで「丸山」の女主人が母親から引き継いだ味を語る。ちゃんぽん、ちゃんぽん、八幡浜ちゃんぽん!、素朴な味、ここにあり!。

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2017年11月16日 (木)

魚は「ど~や」の「ど~や市場」

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うわっ~、宇和海産の天然鯛が1ケース1500円!。ピンク、ピンクして、艶々…、1尾が大きくて、3尾はいる。新鮮!、ええ眼してる。えっ!こっち、全部で700円やって。何尾いるかな?1、2、3…、20尾以上もいる。サヨリかな。これまた、やすいがな!。

 

四国は西の玄関口、愛媛県八幡浜の道の駅「ど~や市場」。仲買人が競り落とした魚を浜値で、さ~あ、ど~や、ど~や!と販売している。八幡浜は佐多岬半島の付け根。北にいよ、いよの伊予灘、西にうわっ~の宇和海、海の向こうは九州ですタイ。松山から海岸線を車で走り抜いて来た。丘陵地はミカン畑、秋の陽ざしで、丘が黄色い。魚とミカンの町である。

 

看板が「ど~や市場」、どや?と入った。ど~や丼が名物の「ど~や食堂」も。丼は、ど~やら海鮮丼。「ど~や市場」は誕生5年、16店舗が朝からど~や、ど~やと威勢がいい。八幡浜は西日本有数のトロール漁業の基地、売りの魚は多種多様。カツオ、ハマチ、カンパチ、ヒラメ、タチウオ…、高くないタコ、いかがとイカ。ホタテもサザエも、幸せそうなフグも。不漁のサンマ、ここは1尾100円健在…、安いよ、美味いよ、ど~や、ど~や!。

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2017年11月15日 (水)

伊予北条の居酒屋「勧商場」

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 たかが居酒屋、されど居酒屋…これでもか、これでもか~と情報が詰まっている。<かんしょうば>と読む居酒屋「勧商場」である。店名の由来は~勧んで商いをする場所~。むかし、従業員50人はいた木造3階建て百貨店、そのまま居酒屋の店名になっている。

 

 百貨店はオーナー名の富田から「富屋勧商場」で、居酒屋入口に扁額がある。いわゆるアクセスで言うと、店はJR伊予北条駅から徒歩5分。四国お遍路さんが行き来する道筋にある。この百貨店、実は今年が米寿の脚本家・早坂暁(あきら)さんの実家。桃井かおり主演のNHKTVドラマ「花へんろ」を書いた作家。吉永小百合の「夢千代日記」も同じ、早坂さん。

 

 店を出た所に「花へんろの町」の看板と石碑。松山行2日目の夜、ここの高台団地に住む知人ST夫妻の案内で行った。店の中、風早猛虎会の表示と六甲おろしの歌詞。なんで風早?むかし、この地域は愛媛県風早郡、その地名の名残り。店の名物は、大きな唐揚げ、すき焼きふう焼きそば。大阪から出てきて今のオーナー、メニュー考案の苦労を語る。案内のSさん夫妻、その日がキンコンカンの金婚式…、されど居酒屋、ここにあり。おめでとう!。

 

 早坂暁さん、1929年生まれ。本名は富田祥資(とみた・よしすけ)。日大芸術学部卒、業界紙編集長など経て脚本家。「花へんろ」のほか、「天下御免」なども。向田邦子賞など各賞。

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2017年11月14日 (火)

道後温泉ぶらり点描

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道後へ来た。日本書記に記載、日本最古の温泉へ来た。道前、道中、道後の道後へ来た。傷ついた鷺が毎日来て、元気になった伝説の温泉へ来た。道後へ、ようこそ、どうも!。平日でも賑わうドル箱の温泉。松山へ来たなら、後でも先でも道後。ぶらり、写真点描である。

 

 灯りが点いた。せり上がった。時計がくるっと回って、マドンナが出た。道後温泉本館建設100周年記念、本館を模した坊ちゃんカラクリ時計。30分に一度、人気、人気…人だかりが絶えない。人力車、坊ちゃん、入浴…クルリ、クルリ。隣は、からくり時計見上げての足湯、特等席かな。バット持つ野球命名の正岡子規像、若い。四季を通し松山を指揮?。

 

 浴衣の人そぞろ歩く商店街、見上げると「人間配達」の文字と子規イラスト絵。日本絵手紙協会会長、この道50年、愛媛県出身の小池邦夫さんの絵手紙。~子規は太陽、いつも生きる力を授けてくれる。私は手紙一筋。<只、ありのままに><今、今、今>~。愛媛と言えばミカン。お店の中にみかんの木。未完じゃないみかん。道後温泉、耐震改修で、その間の集客は別館「飛鳥乃湯」。あすか、きょうか~できょう入り、湯上り浴衣、湯かったあ~。

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2017年11月13日 (月)

JR松山駅前を歩いて…

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地方には地方特有の景色がある。今年2度目の愛媛松山行、JR駅前のホテルから朝食前のぶら歩き。駅まで行って、構内のじゃこ天うどん。開店は朝7時半、まだ準備中。駅前広場は大きな子規の石碑。「春や昔 十五万石の 城下かな」。俳都・松山の象徴の一句である。

 

司馬遼の「坂の上の雲」の第一章は、この句から始まるという。~春や昔~の昔は<せき><むかし>か、どう読むかなあ。駅名表示は「松山驛」。駅も「驛」も昔のまま、坊ちゃんがいるような。秋の愛媛国体は、天皇杯、皇后杯とも1位東京、2位愛媛。駅前に2位お礼の看板があがる。決まり決まった開催県優勝でなくても、テーマどおりの「愛顔」がいい。

 

駅前の地下歩道20㍍にポスター。中村時広・愛媛県知事が愛顔で登場して、愛知と同じ愛がつく県、愛媛県「アイチじゃないよ、エヒメだよ!」。ひつまぶしでなく鯛めし、メロンでなくミカン~と、トップセールス。駅前からお城への道路、大手町駅近くで伊予鉄道の踏切。遮断機が降りて、市電が待つ。この平面交差、全国にもそうなく、撮り鉄人気の「ダイヤモンド・クロッシング」。松山城の堀端、白鳥のねぐら小屋に鵜がいる。これはハクチョウ?。

 

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2017年11月12日 (日)

香川の坂出、どんなところ?

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岡山から瀬戸大橋を渡り、四国の入口、香川の坂出と言えば、どんなところかなあ。そりゃあ、日本一の塩田開発、讃岐うどん発祥の地…、歴史は保元の乱の崇徳上皇の墓などの史跡…、景観は海に沙弥島、山に讃岐富士あり…。今は、新しく、さらに、さらに?。

 

 愛媛の松山で、知人の個展があり、高松のFさんと、島根からマイカーで来るHさんと、坂出で合流。早く着いたJR駅で時間待ち。座ったベンチ前の顔出し看板は「ぴっぴめし」。うどん玉とご飯を炒め、出汁で味付けのご当地B級グルメという。地元商工会の皆さんにダウンタウンの浜田雅功さんも支援している。お腹こわし、ぴっぴ?、名前にちょっとぴぴる。

 

 駅前ハナミズキ広場の向こうはイオン。奥さんの誕生日ナンバー1215で、株をあげたHさんがそこへ。松山入り2時間少し、その前に軽く腹ごしらえ、駅ナカに「クック・チャム」。私の青い鳥、クッククックは桜田淳子、9×9=81は掛け算、このクックはお母さんクッキング。おでん煮、野菜の南蛮、ひじき煮…おかず数々?、どれにするか、店内を回り、ごった煮とまいたけご飯300円少し…、安く旨く、まいったけ。お母さんやさしい。

 ※ (株)クック・チャムは愛媛県新居浜市に本部があり、できたておかず、作り立て弁当で、チエーン展開している。

 

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2017年11月11日 (土)

お福の「夫婦そば」

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そうか、これが「夫婦そば」か。店の名物メニュー、長い連れ合いの?味かな。どう読む?そりゃあ「みょうとそば」。ザルそば、ツルツルはするが、フーフーしない。「ふうふ」と読んでは味ない。「みょうと」だからこそ、味がある。どんな「みょうと」か、味わおう~。

 

 北に朱色の大鳥居・平安神宮、南に青蓮院、知恩院…それに円山公園。お店は三条通り神宮道の東南かど、うどんとそばの「お福」さん。ほっぺたの赤いお福さんイラストが暖簾にかかっている。何度か入って、広くないのは知っている。ぎっしり、テーブル4つ。香ばしいモチ入りは、お福うどん。これもいいけど、あの日は初めて「夫婦そば」を頼んでみだ。

 

 土日となると、お福の看板か、場所か、客の出入りが多い。何時だったか、平日の昼遅く、近くの京料理の老舗社長が、きつねうどんすすっていた。滅多に食せない庶民の味、ほっこりしたかったんかな。夫婦そば、舟形の器で出てきた。右が茶そば、左が生そばのセパレーツ、夫婦の色合い。真ん中の千社札は「名物夫婦そばーお福」。粋やねえ。舟の器に箸の櫂、ぎっちら、ぎっちら~、独りでも夫婦そば?。長い人生ゆったり、スルスル、ツルツル~。

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2017年11月10日 (金)

土佐堀川の栴檀木橋

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鉄筋造りになっても、橋の名前は今も昔も木橋。むかし、橋筋に栴檀の大木があったので、<せんだんのきばし>と読む「栴檀木橋」である。北浜と中之島、土佐堀川に架かり、全長86㍍。なにをいおう浪花の名橋50選の一つ。車通行止め、端でなく橋の真ん中を渡った。

 

京阪淀屋橋駅で降りて、案内のあった個展鑑賞へ行って、会場が日本文化会館9階ギャラリー。すぐそばが「栴檀木橋」だった。橋を渡り切ると、正面は赤レンガの大阪中央公会堂。秋晴れの好日、公会堂をスケッチする人が多い。出来栄えはどうか~と、干渉せず鑑賞、お上手である。後悔することなく、公開に値する。「栴檀は双葉より芳し」の資質の方かなあ。

 

北浜側に橋の説明板があった。江戸時代の初期、中之島の蔵屋敷へ行き来するのに架けられたが、明治18年の大洪水で流され、何度か架け替えがあり、今の橋は昭和60年以来という。欄干脇の碑、栴檀の木の彫り込みも。かつて橋上から遠く生駒連山を背景に大阪城など眺めた~とあり、今はどうかな~とデジカメを向けた。背の高いビル群が目立ち、ビルの高さ300㍍で、日本一のあべのハルカスが、白い雲を突き抜けるように秋空にみはるかす。

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2017年11月 9日 (木)

石清水八幡宮、伝・甚五郎作「目貫の猿」

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ホンマかなあ~と思うところが「伝」である。~××~と言われる~の冠が付く「伝」。洒落るとデデンがデン。あの左甚五郎さん、伝の数々。日光東照宮の眠り猫、三猿、知恩院の忘れ傘…、石清水八幡宮に「目貫の猿」がいる。

 国宝になった朱色の本社、真ん前でパンパンして東門から回廊渡り、西門の欄間。竹の釘で右目を貫かれた猿はどこ?どこ?と見た。ガイドさんが指さす所、少し見えるけど、小さい。ガイド、パネルを取り出して、~これです~と拡大写真を見せる。枇杷を口に入れた猿の右目に釘、痛くないのか平気そう。

 春秋恒例、京都非公開文化財特別公開で、石清水八幡宮へ、表参道から30分で上がった。朝日新聞夕刊に記事が出ていた。~ここにある伝・左甚五郎作の目貫の猿は、里で悪さをして目を竹釘で打たれたという。利かんぼうも神威に恐れをなしたのだろうか~と。ガイドさん、甚五郎さんの猿、本物すぎて、飛び出したんです~。伝の不思議さ、2倍にも3倍にもなって、広がる。

 目貫の猿は「めぬきのさる」と読む。秋季特別公開は1112日まで。石清水八幡宮は京阪八幡市駅からすぐ。 ※ 石清水八幡宮は平成162月、国宝に指定。

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2017年11月 8日 (水)

独り初入店に居酒屋でジャ~ン!

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 ジャ~ン!これ、雪見だいふくやでえ~。ジャ~ン!これ、ミニ鯛焼きやでえ~。ジャ~ン!これ、どっちも串カツやでえ。左手で串2本持って、右手のデジカメで写真撮り、見て、見て~まあ、見てえなあ。ししとう、アスパラ、しいたけ…串カツ5本で500円やでえ。

 居酒屋さん、連れもって行ってワアワアか、独りで行って、黙々か~で、これは初めての店へ、独りで行って…である。京都文化博物館の北側、「屋台居酒屋やたいや」。店名、漢字と平仮名でやったい。文博の展覧会で店前通り、~昼から飲めます~の看板、勝手に気にしていた。早い!安い!美味しい!の看板も出ている。居酒屋の特典、3拍子揃っている。

 

 連れはなく、つれなく初入店は午後4時を回って…。古民家風の引き戸、ガラガラと開けた店内、おお広い。店全体が見える奥のカウンター席、壁じゅう貼った赤札メニュー見て、湯引きの豚肉、やたいやサラダ…それに串カツである。時間とともに賑やかさ増す。勤め帰りか、3人、4人…、店案内は、お二階へ、お二階へ…2階は70席。視察兼ねた居酒屋の独りハイボール呑み。写真撮って、ジャ~ン!雪見だいふくやでえ~。これも、人生やでえ。

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2017年11月 7日 (火)

国宝展、正倉院展、北斎展

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京都の国宝展か、奈良の正倉院展か、大阪の北斎展か~芸術のこの秋、三つの美術展がほとんど同時に開催、入場者を競い合っている。文化の日を挟む3連休がすんで、どこがどんな入場具合か、ブラ歩きの現場とネット調べ情報を集め、岡目八目で報告すると~である。

 

京都は三十三間堂前の国立博物館、41年ぶりの国宝展。紙面は毎日新聞、テレビはNHK…これもか、これでもか効果、会期折り返しで20万突破。大阪梅田の地下通路の丸柱に源頼朝、雪舟など写真貼り、光琳の燕子花図屏風も降臨?。会期中、国宝200件の展覧も入れ替えがあり、見たい国宝が出ているかどうか、混雑はどうか、よう調べてから…である。

 

入場者数で言えば、奈良博の正倉院展。毎年、一日平均の入場者数は一万人以上で、世界一のドットコム?。この洒落、光琳=降臨以上?。狙いは平日の夕方~と、情報で行って、最後尾10分待ち。公園の鹿、しかと見よ?。戦後すぐ昭和21年の第1回に出展の羊絵の屏風、しか!と見た。あべのハルカスの北斎展、連休中に行き、EV16階で乗車制限、上って、整理券配布で入場2時間半待ち…。看板の北斎~富士を超えて~、また、来んさい!。

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2017年11月 6日 (月)

吉村昭著「虹の翼」にチンチン電車

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ライト兄弟より早く、世界に先駆けた「飛行器」づくりへ、二宮忠八の波乱人生を描く吉村昭の長編小説「虹の翼」を読んでいて…日本で初めて走った京都の電車のことが出てきた。「飛行器」をどう飛ばすか、新時代の動力、石油、電気を思いついた~というくだりである。

 

日本初のチンチン電車、京都駅前、東洞院七条近くに碑がある。「電気鉄道事業発祥の地」の文字と、電線にポールをつけた電車の写真。明治28年1月31日、この場所から伏見油掛間6400㍍を走った伏見線。続いて、北野線。天神さんの北野神社から西洞院通りを京都駅まで走った。当時そのまま電車を民間が買い上げ、烏丸五条上ルのビルに展示している。

 

町ぶらで、碑も電車もよく見ている。吉村さんの電車のくだりを読んで、改めて写真を撮りに行った。乗客の定員16名、25馬力、時速8㌔、運転台はむき出し。吉村さんは~運転手のわきに助手の少年が乗っていて、停留所近くになると飛び降り、信号手の役目をし、電車が動き出すと飛び乗ることを繰り返した。夜間は少年が提灯を手に路面を照らした~と書いている。二宮忠八の生涯にチンチン電車が登場、明治は近く、今ここに~だった。

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2017年11月 5日 (日)

奈良駅前、緑の提灯店で~

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秋の夕暮れ早く、そうはない緑の提灯がグリーン、グリーンと光っている。地元産品応援の店「やまと庵」という。装い一新、何時からこんなに都会ぽくなったのか、JR奈良駅前、お店は三条通りの始まりにあった。緑の提灯、地元産品…、目をグリーンにして入った。

 

奈良の郷土料理って何だろう。カウンターなく、4人座れる個室に入って、メニューを見た。大和牛、大和鶏…三輪そうめん、酒は店前に菰樽があった春鹿…、しかと?心得て、逸品メニューから奈良ジビエの酒粕だんご汁と地元野菜のサラダにした。奈良へ来たなら地元のことは地元にならえ?。ジビエ?地冷えでなく、フランス語で、狩猟獣の料理という。

 

奈良の吉野で獲れた猪と鹿の肉をブレンド、だんごに~と、メニュー説明がある。開店5時過ぎに入り、空いていた店は、正倉院展帰りか、観光客が次々に…、4人個室にも老夫婦が~失礼します~と入ってきた。言葉からして東京、上品、学者ふう…。奥さんが~あなたのお好きなように~と。酒1合半、造り盛り。二人で乾杯、奥さんが~楽しかったわね~と。いや、ご馳走さま。カウンターが懐かしい。どう言葉をかけて、出るか。~ごゆっくり~。

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2017年11月 4日 (土)

南円堂、猿沢の池…夕日との出会い

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人あり、出来事あり、町あり、景色あり…、人生には、様々な出会いがある。あの日は夕日との出会いだった。奈良国博の正倉院展の鑑賞帰り、鹿の公園をしか?と抜け、JR奈良駅へ向かい、興福寺の五重塔前へ来たあたり、西の端の夕日が沈みはじめ、赤く輝きだした。

 

 真ん前は西国33か所観音霊場の一つ、八角形の興福寺南円堂。8番長谷寺、10番三室戸寺の間の9番札所である。朝から一日中の秋晴れ、そうはない夕日との出会い、デジカメをズームにした。午後5時前、まだ明るさが残っていたけど、撮った写真は夕日が南円堂八角の瓦屋根に射し込むよう。幽玄というのか、なかなかの出会い、ちょっと、ナイスショットに。

 

 澄まず濁らず~という不思議な池、猿沢の池はすぐである。夕日が沈まぬうちと、急いで階段を降りた。池は周囲360㍍、興福寺を池に映す。天平21年(749)興福寺とともに~の人工池である。水が流入する川も、流れ出る川もない。それでいて藻なく、蛙もいず、亀だけはいる。カメへんのかなあ?。夕日コラボ、どう撮るか。池だけではいかん、イケン?。柳を入れて、近づいて、離れて…、1枚、2枚…、夕日との一瞬の出会い、撮れたかな!。

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2017年11月 3日 (金)

鹿ケ谷、泉屋博古館の庭

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どこからどう紹介しようかなあ。住友コレクション、泉屋博古館の庭である。泉屋(せんおく)は江戸時代の住友家の屋号「泉屋(いずみや)」で、博古(はくこ)は宋時代に編纂の青銅器の図録「博古図録」に由来する。それが館名で、感銘は庭へ通じている。◎かな。

 

 所在は京野菜の一つ、瓢箪カボチャで名がある鹿ケ谷(ししがだに)。僧・俊寛ら平家追放を策した「鹿ケ谷の陰謀」でも、歴史に名を残す。山の中、山荘が今もある。市バスの停留所で言えば、東天王町。哲学の道、銀閣寺に近い。雨の日、日本画家・木島櫻谷描く動物画を鑑賞に行っての帰り、にわかに庭に気づいた。これ、洒落でなくて、ホントのホント。

 

 樹高の高い檜が林立、森のような庭である。庭の檜、なぜか?、住友ゆかり、愛媛県新居浜の別子銅山の檜からという。別子銅山は標高千㍍、今は東洋のマチュピチュ。愛媛の知人案内で行ったのを思いだす。作庭は11代小川治平衛。無鄰菴、平安神宮などは7代目、その流れが庭に息づく。雨上がり、檜の木立ちの中を散策した。井桁の泉から沸く水、古代石のつくばい、大きな鞍馬石…、鳥、虫、蝶…、心が安らぐ。博古館の庭歩き、お勧めしたい。

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2017年11月 2日 (木)

木島櫻谷描く動物たち

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 あっ!出たあ~。熊が出たあ~。看板の絵になって出た。えっ?目が優しそう。野生とちゃうなあ。怖くて…、くまる?ことはなさそう。動物園、檻の中の熊かな。動物画なら、左に出ても?この人の右に出る画家はない~と言われる日本画家・木島櫻谷さんの熊である。

 

 京都岡崎の天王町、住友の泉屋(せんおく)博古館で、木島櫻谷の「近代動物画の冒険展」が始まった。看板にこの熊が出て、ポスターに狐と鹿と熊が並んで、チラシには髪ふさふさの雄ライオンが登場している。泉屋博古館の櫻谷展、4年前にも開催した。むかしの文展、帝展以来、いま再びで~大きな反響があったという。4年前にも見て、今回も早々と見に行った。

 

 木島櫻谷(1877-1938)の櫻谷を<おうこく>と読み<このしま・おうこく>名前からも、ライオン王国みたい。京都生まれ、今尾景年に師事した四条派。若くして、画才あり、20歳代で熊あり、鷹あり、ライオンあり。等持院に当時のまま残るアトリエ居宅には、書画など1万点、公益財団管理という。岡崎の動物園パスポート、その写生帖は500冊…、動物はそらんじて描けたという。動物園にサイ不在か、サイいないが、画に才、加えて努力あり。

 

 木島櫻谷(1877-1938)。本名は文治郎。明治から昭和にかけて活躍、文展の花形画家。のち帝展の審査員。市美所蔵、雪の月夜に竹藪を歩く狐の「寒月」は代表作。 ※ 泉谷博古館展の櫻谷展は12月3日まで開催。

 

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2017年11月 1日 (水)

人生を変える書店

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ゆっくりするなら、ここがいいかな。本を持って、スマホを持って…。いわゆる本屋さんでない本屋さん、所謂カフェでないカフェ。そこは新しいタイプのブックカフェ・天狼院である。「てんろういん」と読む。京の2階建て一軒家改装、掘り炬燵がある。天窓がある。 

 

 今年の春だったか、「游ぶに學ぶ」の会、いや違う。「學ぶに游ぶ」の会…、どちらが先か、こだわりも大事である。その「學ぶ~」の会の案内があって行ったのが最初だった。大和大路通り団栗(どんぐり)の角っこ、まあ、祇園。あの案内以来、建仁寺の境内を抜けて、よく一服しに行く。階下で本をざあっと見て、レジで買った紙コップ持って、二階へ上がる。 

 

 今は「絶景を巡る京都」の写真本と連携して、2階で写真展を開催している。鴨川夜景、伏見稲荷、建仁寺法堂の双竜…、写真撮りたくなる。真ん中のソファに座り、司馬遼の長編「翔とぶが如く」開く。来年の大河ドラマはタイガーマスク、いや、違う。西郷隆盛…洒落がわざとらしい。2階に黒板、反省と書こうかなあ。池袋、福岡、仙台、京都と店舗を広げる天狼院のキャッチコピーは「人生を変える書店」。自分を見つめ直すひと時、寛ぎから!。

 

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