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2017年4月27日 (木)

漱石と京都、それと大山崎山荘

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ひょっとして、三川荘か、水明荘か…だったかもしれない。いや、回観荘か、空碧荘になっていたかも…。何せ、明治の文豪・夏目漱石が考えた山荘の名前である。一つや二つではない。竹外荘、冷々荘など、14も列記して、どれでもどうぞ~と、漱石は手紙に書いた。

 

 命名を依頼したのは、当時、20歳代だった実業家・加賀正太郎である。一橋大学を卒業した加賀は英国など遊学後、アルプスふうの山荘を京都と大阪の境、天王山の山麓につくった。その山荘の命名を京都に来た漱石に依頼。漱石は山荘から宇治川、桂川、木津川の三川が合流する景観を見て、三川荘などを考え、書き送った。漱石が49歳で没する前年である。

 

 今、山荘は持ち主の変遷を経て、美術館になり大山崎山荘。漱石から14もの山荘名をもらった加賀は、どれにもしなかった。来月28日まで開催の「生誕150年記念 漱石と京都」展。山荘名が並んだ加賀宛ての手紙が展示されている。漱石最晩年の手紙、初公開という。展覧会のチラシ、漱石が右手を頭に置いて、何か思考しているような写真と、左端に漱石直筆の一句。山荘の隣のお寺、宝積寺に思いを馳せた句である。「宝寺の隣に住んで桜哉」。

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